南風舎  - Japanese Classical Literature Podcast

“ SUSHI ” ( 3 / 7 ) by Kanoko OKAMOTO 岡本かの子『鮨』

 客のなかの湊というのは、五十過ぎぐらいの紳士で、濃い眉がしらから顔へかけて、憂愁の蔭を帯びている。時によっては、もっと老けて見え、場合によっては情熱的な壮年者にも見えるときもあった。けれども鋭い理智から来る一種の諦念といったようなものが、人柄の上に冴えて、苦味のある顔を柔和に磨いていた。  濃く縮れた髪の毛を、程よくもじょもじょに分け仏蘭西髭を生やしている。服装は赫い短靴を埃まみれにしてホームスパンを着ている時もあれば、少し古びた結城で着流しのときもある。独身者であることはたしかだが職業は誰にも判らず、店ではいつか先生と呼び馴れていた。鮨の食べ方は巧者であるが、強いて通がるところも無かった。  サビタのステッキを床にとんとつき、椅子に腰かけてから体を斜に鮨の握り台の方へ傾け、硝子箱の中に入っている材料を物憂そうに点検する。 「ほう。今日はだいぶ品数があるな」  と云ってともよの運んで来た茶を受け取る。 「カンパチが脂がのっています、それに今日は蛤も――」  ともよの父親の福ずしの亭主は、いつかこの客の潔癖な性分であることを覚え、湊が来ると無意識に俎板や塗盤の上へしきりに布巾をかけながら云う。 「じゃ、それを握って貰おう」 「はい」  亭主はしぜん、ほかの客とは違った返事をする。湊の鮨の喰べ方のコースは、いわれなくともともよの父親は判っている。鮪の中とろから始って、つめのつく煮ものの鮨になり、だんだんあっさりした青い鱗のさかなに進む。そして玉子と海苔巻に終る。それで握り手は、その日の特別の注文は、適宜にコースの中へ加えればいいのである。  湊は、茶を飲んだり、鮨を味わったりする間、片手を頬に宛てがうか、そのまま首を下げてステッキの頭に置く両手の上へ顎を載せるかして、じっと眺める。眺めるのは開け放してある奥座敷を通して眼に入る裏の谷合の木がくれの沢地か、水を撒いてある表通りに、向うの塀から垂れ下がっている椎の葉の茂みかどちらかである。  ともよは、初めは少し窮屈な客と思っていただけだったが、だんだんこの客の謎めいた眼の遣り処を見慣れると、お茶を運んで行ったときから鮨を喰い終るまで、よそばかり眺めていて、一度もその眼を自分の方に振向けないときは、物足りなく思うようになった。そうかといって、どうかして、まともにその眼を振向けられ自分の眼と永く視線を合せていると、自分を支えている力を暈されて危いような気がした。  偶然のように顔を見合して、ただ一通りの好感を寄せる程度で、微笑して呉れるときはともよは父母とは違って、自分をほぐして呉れるなにか暖味のある刺戟のような感じをこの年とった客からうけた。だからともよは湊がいつまでもよそばかり見ているときは土間の隅の湯沸しの前で、絽ざしの手をとめて、たとえば、作り咳をするとか耳に立つものの音をたてるかして、自分ながらしらずしらず湊の注意を自分に振り向ける所作をした。すると湊は、ぴくりとして、ともよの方を見て、微笑する。上歯と下歯がきっちり合い、引緊って見える口の線が、滑かになり、仏蘭西髭の片端が目についてあがる――父親は鮨を握り乍らちょっと眼を挙げる。ともよのいたずら気とばかり思い、また不愛想な顔をして