南風舎  - Japanese Classical Literature Podcast

“ SUSHI ” ( 4 / 7 ) by Kanoko OKAMOTO 岡本かの子『鮨』

 ある日、ともよは、籠をもって、表通りの虫屋へ河鹿を買いに行った。ともよの父親は、こういう飼いものに凝る性分で、飼い方もうまかったが、ときどきは失敗して数を減らした。が今年ももはや初夏の季節で、河鹿など涼しそうに鳴かせる時分だ。  ともよは、表通りの目的の店近く来ると、その店から湊が硝子鉢を下げて出て行く姿を見た。湊はともよに気がつかないで硝子鉢をいたわり乍ら、むこう向きにそろそろ歩いていた。  ともよは、店へ入って手ばやく店のものに自分の買うものを注文して、籠にそれを入れて貰う間、店先へ出て、湊の行く手に気をつけていた。  河鹿を籠に入れて貰うと、ともよはそれを持って、急いで湊に追いついた。 「先生ってば」 「ほう、ともちゃんか、珍らしいな、表で逢うなんて」  二人は、歩きながら、互いの買いものを見せ合った。湊は西洋の観賞魚の髑髏魚を買っていた。それは骨が寒天のような肉に透き通って、腸が鰓の下に小さくこみ上っていた。 「先生のおうち、この近所」 「いまは、この先のアパートにいる。だが、いつ越すかわからないよ」  湊は珍らしく表で逢ったからともよにお茶でも御馳走しようといって町筋をすこし物色したが、この辺には思わしい店もなかった。 「まさか、こんなものを下げて銀座へも出かけられんし」 「ううん、銀座なんかへ行かなくっても、どこかその辺の空地で休んで行きましょうよ」  湊は今更のように漲り亘る新樹の季節を見廻し、ふうっと息を空に吹いて 「それも、いいな」  表通りを曲ると間もなく崖端に病院の焼跡の空地があって、煉瓦塀の一側がローマの古跡のように見える。ともよと湊は持ちものを叢の上に置き、足を投げ出した。  ともよは、湊になにかいろいろ訊いてみたい気持ちがあったのだが、いまこうして傍に並んでみると、そんな必要もなく、ただ、霧のような匂いにつつまれて、しんしんとするだけである。湊の方が却って弾んでいて 「今日は、ともちゃんが、すっかり大人に見えるね」  などと機嫌好さように云う。  ともよは何を云おうかと暫く考えていたが、大したおもいつきでも無いようなことを、とうとう云い出した。 「あなた、お鮨、本当にお好きなの」 「さあ」 「じゃ何故来て食べるの」 「好きでないことはないさ、けど、さほど喰べたくない時でも、鮨を喰べるということが僕の慰みになるんだよ」 「なぜ」  何故、湊が、さほど鮨を喰べたくない時でも鮨を喰べるというその事だけが湊の慰めとなるかを話し出した。 岡本かの子『鮨』“ SUSHI ” ( 4 / 7 ) by Kanoko OKAMOTO https://youtu.be/6v85YIZgz2Q