こころメンテナンス

421.自分の経験価値観が正しい主張してくる人

「自分の経験や価値観が正しい」と強く主張してくる人、周りにいませんか?
相手の意見を押し付けられると、なんだかモヤモヤしてしまうもの。
今回はそんな人との向き合い方、自分の心を守るヒントをお話しします。

 
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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:今日も色々持ってきました。私が感じていることなんですが、今の時代、やっぱり一人ね、スマホをみんな一台持っていて色んな情報が飛び交う中でもあります。

そんな中、私が最近思ったことがあってそれが、「やるって言って今日やらない人は一生やらない。」みたいに言い切ってる人がいたんです。

吉村:なるほど。

三上:その言葉に私は、ん?って思って。

吉村:うんうん。

三上:確かにわかんないわけではないけど、やるって言って今日やらない人もいて、明日やるって言う人もいるかもしれない。なのに一生やらないって言い切るのはどうなんだって思ってしまって。だから、そういうニュアンスで言う人がたまにいるんですよね。

吉村:うんうん。なんか断言しちゃうみたいな。

三上:断言して、自分は一生懸命やってきたからこそこれが正しいみたいな。そういう方にすごい私、違和感を覚えるんですよ。それ、大変な思いはあったかもしれないけど言い切るのは違うかなって、私はすごい感じていて。

吉村:うんうんうん。

三上:なのでそういう時のお話ってどうなんだろうと思って、吉村さんのお考えも伺いたいと思って今日持ってきました。

吉村:なるほどね。何ていうのかな、色んな出来事とか現象とかこの世界の中に存在しているものって、どの視点から見るかで全然違って見えたりするわけですよね。

三上:そうですよね。

吉村:そういう断言しちゃう人たちって、まず一つには自分の視点から見えてる景色が全てであるって思ってるっていうのが一つあるんじゃないかと思うんですよ。

三上:うん。

吉村:だからこの角度から見たらこうだけど、別の角度とか向かい側に立ってる人から見たら全然違うものが見えてるかもしれないんだけど、まずそこに考えが至ってないから自分から見えてる景色が全てだと思ってるんでこうであるって断言しちゃってるっていう。

だから要は視野が狭くなってるっていう話じゃないかなってまず一つ思うのと、あとは断言することで自分を奮い立たせるみたいなことをしてるっていう要素もあるかなって思うんですよね。

三上:うんうんうん、はいはい。

吉村:だから自分はこういうふうにしたいって思ってるんだけど、そこに無意識レベルの抵抗が起きてるみたいなね。

だから例えば今日やれることを今日やらなかったら一生やらないって言ってるってことは、その人は今日やれることをやるっていうときに、すごく頑張ってそれをやらなきゃいけない人なんじゃないかなっていう可能性があるなと思うんですよね。

だから別に何も頑張らなくても 大体今日やれることは普通に今日やってるよみたいな人だったら、まずそこを一生懸命アピールしなくてもいいわけじゃないですか。

もしその人が私はそれをやってるのに周りの人たちはやってない人がすごい多いよねって思ってるとしたら、多分その人は何かすぐにやるってことに対してブロックが発動していて、すぐにやるっていうことをスルッと頑張らずにできてないから、多分すごく頑張ってやってるんですよ。

三上:うんうん。

吉村:ブロックは結構スピリチュアル界隈で、よく引き寄せの法則って言われてるものっていうのはあると思うんですけど、これって要は近い周波数のもの同士が引き寄せ合うんですよ。

なのでその人がすごく頑張ることでこれをやってると、今日やるべきことを今日やるためにすごく頑張ってるっていうことは、先送りにしたいとかめんどくさいとかっていうブロックをその人が持ってるのに対して

そのブロックに逆らって、すごく向かい風の中すごく頑張って前に進んでるっていうことをやってるから、その同じようなブロックを持ってる人たちが言ってみたら引き寄せられてきてるわけですね。

三上:うん。

吉村:そうするとその人の周りには、今日やるべきことを今日やらない人たちが結構目につく状態になってるんですね。

そうなるとその人から見える景色は、私がこんなに頑張って今日やるべきことをやってるのに周りの人たちは今日やるべきことをやらなくて、結局先送りにして全然やらないからこの人たちは全然成功できてないんだなっていうね。

私がこんな頑張ってるのにやっぱりみんな怠惰だからできないんだっていう世界が見えてて、そういうふうに世界を解釈してる状態になってるから、だからそういうその人から見える景色の中ではもうそれはすごく真実性がある、すごく確固とした真実であり現実でありって見えてるんですよ。

三上:うん。

吉村:だからそこで断言しちゃうし、しかもそれを断言することで一生懸命自分が抵抗がある中頑張ってそれをやるっていう、自分の言ってみたら尻を叩いて無理に前に進ませるみたいなことをやってる、

その一環としてSNSでバンと断言することで、自分に対しても発破を掛けるみたいなことをやってるんじゃないかなっていうふうに思いますね。

三上:ある意味、じゃあ自信がないってことなんですね、自信があるように見えてね。

吉村:だから私には自信があるっていうアピールをすごいしなきゃいけない人たちっていうのは、多分あんまり自信がないんだと思うんですよ。

三上:そう言ってる必要ないですもんね。

吉村:本人たちはそういう自覚はないから、私は自信があるんだ自信があるんだって言ってると思うんですけど、そんなに一生懸命アピールしなきゃいけないってことは何かがちょっと逆方向に力がかかってるっていうことだと思いますよ。

三上:なるほどね。いや、そうですね。私自身も色んな視点から今日は見れそうだなって今の話を聞いて、確かにそうですね。

吉村:そうですね。でもその人たちはその人たちで、言ってみたらちょっと氣の毒な状態ではあるわけですよね。だって一生懸命頑張ってアピールしなきゃいけないぐらいに、重荷を背負ってるってことなんでね。

僕自身の経験の中でちょっと振り返ってみると、僕はやっぱり自信もなかったしそれにすごい傷ついて辛い状態だったわけですよ。

でも自分がその傷ついて辛い思いをしてるっていうことを自覚しちゃうと、言ってみたら前に進めなくなってしまうんで、その自分自身を自分のそういう自分が傷ついてるって現実から目を逸らさないといけないっていうことが起きてたわけですよね。もちろん全然自覚なくやってましたけど。

三上:うん。

吉村:だから僕は常に自分は平氣だとか大丈夫だっていうアピールを自分自身に対してやってたわけですよ。別にそれは周りに対してそういうアピールしてるっていう自覚もないんだけど、要は自分に発破をかけるみたいな、

平氣平氣みたいなね、平氣だから前に進むよみたいな感じで、本当はすごい傷ついて痛くてしょうがなくてそのままうずくまって前に進めないみたいな状態になっててもおかしくないような状態、状況だったけど、それでも前に進むためには自分は平氣だって自分に言い聞かせなきゃいけなかったわけですよ。

そうすると何が起きても平氣なリアクションっていうのかな、平氣な態度を取り続けるようになっちゃうんですよね。

三上:うん、危険。

吉村:そうすると周り