軽井沢にあった父親の別荘『浄月庵』で心中をはかった文豪がいます。
 有島武郎(ありしま・たけお)。
 『カインの末裔』『生まれ出づる悩み』『或る女』『一房の葡萄』など、今も読み継がれる傑作を世に送り出した作家の、あまりにセンセーショナルな心中事件は、新聞で大きく取り上げられました。
 相手の女性は、波多野秋子(はたの・あきこ)。
 雑誌『婦人公論』の記者でした。
 有島は妻亡きあと、ずっと独身を通していましたが、波多野には夫と3人の子がありました。
 享年、有島45歳。秋子30歳。
 亡くなったとされる6月8日、有島にある決断が迫っていました。
 秋子の夫から、不義を訴えられていたのです。
 高額な慰謝料を払うか、姦通罪で監獄に入るか。
 一説には、秋子の夫が、ブルジョアで流行作家だった有島に対し、金をとれるだけとろうと脅していた、と言われています。
 有島は、そのどちらの選択も捨て、秋子と軽井沢行きの汽車に乗ったのです。
 有島武郎にとって、由緒正しい有島家の長男に生まれたことは、想像を絶する重荷でした。
 気が弱く、自己主張のできない武郎にとって、泰然自若な父は、大きな壁、決して越えられない山のような存在だったのです。
 小説家としての才能を認められながら、彼が作家一本で世にうって出られなかったのは、有島家の呪縛に勝てなかったから。
 人生が大きく動いたのは、38歳のときです。
 妻を亡くし、父もまた、病で亡くします。
 このとき初めて、文豪・有島武郎が誕生したのかもしれません。
 彼の行きついた最期はともかく、彼が書いた優れた小説を裏打ちするのは、安易な道を選ばないという矜持でした。
 今、自分が置かれている状況で、最もつらい道を選択する。
 それは、多くの血や汗をともないます。
 ですが、それを選ばなければ、この世に生まれて来た本来の仕事ができない、そう思うのなら、あえて、茨の道を進むしかないのです。
 自ら地獄に飛び込んだ、大正時代の文豪、有島武郎が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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 - Published15 March 2025 at 09:27 UTC
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