天理教の時間「家族円満」

TENRIKYO

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。

  1. 4D AGO

    楽しい夏のセミナー

    楽しい夏のセミナー フランス在住  長谷川 善久 天理教の教会では、親子三世代が一緒に暮らしている様子は、割とどこにでもあるものだと思います。しかし、日本とフランスにおける三世代同居の割合を調べてみると、日本が9.4%、フランスではわずか1%ほどであり、かつどちらの国も年々減少傾向にあるようです。 おじいちゃん、おばあちゃんが孫と一緒に平穏な日々を過ごす天理教の教会は、そのライフスタイルだけをとっても、社会的に希少価値が高まっていることが分かります。 フランスにあるヨーロッパ出張所も大所帯で生活しています。現在、同じ敷地内で寝食を共にしているスタッフは、上は50代後半から下は1歳まで、一家族、一夫婦、6人の独身者の計13人が暮らしています。ここに日中は外から通う70代後半のひのきしん者が一人、30代の勤務者が一人加わって、毎日神様の御用を賑やかにつとめています。 正直に言って、このような共同生活ではストレスも溜まりやすいもの。まして日本人が外国に住んでいるのですからなおさらです。それだけに、普段から生活の意識を自分中心に置くのではなく、親神様、教祖を中心にして、人様をしっかりと内側に引き寄せる努力が大切になってきます。 お互いに関心を持ち合い、ささいなことからでも、温かいコミュニケーションを通して信頼関係を保つことは欠かせません。私も所長の務めとして、お互いが自然に円滑に触れ合えるような雰囲気を作り上げることを、絶えず意識しています。 色々と苦労は絶えませんが、最近の社会学や心理学の研究でも、「共同生活は人々の幸福感に良い影響を与える」と分かってきたように、実際、私自身の経験からもこの説に間違いはないと思っています。 そんな、ストレスも溜まれば幸福感も高まる共同生活空間である出張所を会場に、昨年の夏、宿泊型の教理セミナーが開催されました。 一週間にわたる授業では、形式にとらわれることなく、生徒は疑問に思ったことはいつでも質問ができます。また、教え方も講師の自由裁量を認めていて、例えば教祖の道すがらについては、劇画『教祖物語』の場面描写を用いた授業もありました。 私が講師を担当した『みかぐらうた』では、お歌の意味の理解に加えて、受講生が一人で歌えるようになることを目標にした、日本人に対してはやらないであろう指導を行いました。 と言うのも、フランスでもみかぐらうたは日本語で歌われており、フランス人には簡単には覚えられません。参拝に来るほとんどの方は、翻訳冊子を見れば意味は理解出来ますが、日本人信者のように自信を持って歌うことは難しいのです。 もし一人ひとりが、鳴物に合わせてみかぐらうたを歌う事が出来るようになれば、彼らももっと、おつとめに心を込めることが出来るようになり、月に一度の月次祭も楽しく参拝出来るのではないかと思いついたのです。 そこで、日本語が出来ないのに、日本のアニメソングをカラオケで上手に歌う外国人にヒントを得て、独自にみかぐらうたのカラオケを作成しました。そして、授業では一人ずつ何度も何度も繰り返し歌いながら、言葉の意味は同時に理解出来なくても、教祖が教えられた言葉の響きや調べを身体で感じてもらうよう努めたのです。人生で一度もカラオケに行ったことがないという人もいましたが、勇気を出して一人で歌ってもらいました。 そのようなセミナーの初級クラス参加者5名の中に、子供のない高齢者夫婦がいました。この夫婦は古くから出張所にご縁があり、一度おぢばがえりしたこともあったのですが、旦那さんの気難しい性格と様々な状況が重なり、信仰に対して距離を取る時間が長く続いていたのです。 そんな夫婦でしたので、セミナーに参加されると聞いた時は、もしかしたら旦那さんによって、場が乱されるような展開があるかも知れないと、若干の不安が頭をよぎりました。 セミナーでは、朝、昼、夜の三食を講師やスタッフも受講生に混ざって一緒にとります。毎食20名以上が一緒に食べる賑やかな時間となっていました。普段は二人だけで過ごしているこの夫婦にしてみれば、最初は慣れない状況に戸惑ったと思います。このような団体生活を初めて経験し、精神的な疲労も溜まるでしょうし、加えて机に座って勉強することに対するストレスもあるだろうことは予見出来ていました。 そこで私がとった方策はただ一つ、講師はもちろんのこと、フランス語の出来ないスタッフに対しても、食事の時に日本人同士で固まるのではなく、意識してフランス人受講生の隣りに座ること。そして彼らと一言でも二言でも言葉を交わして、コミュニケーションを取ってもらうことです。 戸惑いの顔を見せる若いスタッフもいましたが、とにかくどんな手段でもいいので、自分から積極的に受講生にアプローチする努力を続けるようお願いしました。 そうしたところ、最初は緊張した雰囲気が漂っていた食事の場が、日が経つにつれて次第に和らいでいきました。実際、食堂に笑い声が絶えることはなく、食事にかける時間も徐々に長くなり、場合によっては一時間を超えることも珍しくなくなっていました。 おてふり、鳴物の指導は主に若いスタッフが担当していましたが、食事の時間を通して生まれた信頼関係が指導の未熟さをカバーしてくれ、参加者は親子ほど年齢の違う若い講師に対しても、リスペクトをもって積極的に学んでくれたのです。 こうして、一週間を通してスタッフ全員と受講生全員が家族のようにつながり合ったセミナーの最後の懇親会では、全員での大合唱も飛び出し、楽しい夜を過ごすことが出来ました。セミナーが始まる前に私が持っていた不安は、全くの杞憂に終わったのです。 その不安の要素となっていた旦那さんに、終了後感想を求めると、「出張所の若い人達の生き生きとした姿に感動した。彼らを見ているだけで元気になれる。このような天理教のコミュニティーのメンバーでいられて本当に幸せだ」と語ってくれました。 懇親会のカラオケ大会では、旦那さんは初めて人前でマイクを握って熱唱し、場の盛り上げに一役買ってくれました。そんな彼の姿に、スタッフ全員が、この夏のセミナーが大成功に終わった喜びを感じたのでした。 夫婦   このよのぢいとてんとをかたどりて   ふうふをこしらへきたるでな  これハこのよのはじめだし このお歌は、天理教の朝夕のおつとめで唱える「みかぐらうた」の一節です。 「自然のすべてが天地の間で生成発展するように、夫婦があって新しい命が宿り、家族ができ、社会が形成される。夫婦こそ人間世界のすべての始まりであり、元である」と、これ以上ないほど端的にお示し下されています。 夫婦や結婚の形も時代と共に様変わりしています。お見合い結婚はもう過去のもの、恋愛結婚が主流となり、今やSNS上での出会いから関係が発展して夫婦となるのも、当たり前の現象となってきました。しかし、どのような出会いにも、その蔭ではちゃんと神様が働いて下さっているというのが、次のお言葉です。 「縁談というは、そう難しいようなものやない。一人があれと言うた処が行くものやない。あれとこれと心寄り合うがいんねん。いんねんなら両方から寄り合うてこうと言う。いんねんがありゃこそ、これまで縁談一条治まって居る」(M27・9・21) 結婚とは自分だけで決められるものではない。双方が歩み寄って夫婦となるのはもちろんですが、そこには出会うべくして出会ったいんねんというものがある。そのいんねんという捉え方が、結婚生活を支える上で、特に夫婦の関係が危機を迎えた時にとても大切な土台となるのです。 そして何より、陽気ぐらしへ向けて、二人の心が寄り合い、心の成人に向けて励まし合うためにこそ夫婦というものがあることを忘れてはなりません。 「おつとめ」は、お互いが向き合うのではなく、横並びになって、それぞれが一対一で親神様に向き合い、親心を求めて真剣につとめます。それは、時に向かい合ってぶつかり合うこともある夫婦の日常の中で、一人ひとりが安らかに自らの心を顧みる貴重な時間です。 おつとめでそれぞれが自らの通り方を反省し、あらためて横に並んでいる相手と向き合った時、夫

  2. FEB 6

    地域に「誠」の心を

    地域に「誠」の心を 埼玉県在住  関根 健一 一昨年の春から、地域で「Clean up & Coffee Club」(クリーンアップ・アンド・コーヒークラブ)という新たな活動を始めました。頭文字をとってCCC(シーシーシー)と呼ばれる活動で、コロナ禍になり、人とのつながりが疎遠になってしまったことを憂いた青年が、東京で始めたものです。 活動はシンプルで、簡単に言えば地域のゴミ拾いなのですが、ただ街をきれいにすることだけではなく、地域で友達を作ること、そして地域において「ただ居るだけでいい場」を作ることを目的としています。運営本部は一般社団法人化もしており、やりたいと思った人が気軽に始められるようなサポート体制も出来ていて、今では全国50か所以上で開催されています。 私も東京都内で始まった活動の様子をSNSで知り、ちょうど公民館で行っていた地域交流のイベントがコロナ禍で出来なくなった時期でもあったので、いつか地元でも開催したいと思っていました。 そんな矢先に、知人を通して開催方法や本部担当者への連絡先などを知り、準備を進めることが出来ました。そして、手探りながら地元富士見市の名を冠した、第一回「CCC富士見」の開催に至り、現在、一年半以上続けることが出来ています。 このイベントは親子連れの参加者も多く、子供たちにはいつも助けられています。我れ先にゴミを見つけ、自分の背丈に近い長さのゴミばさみを使い、一生懸命にゴミを拾ってくれる姿は、微笑ましく映ると共に、我々大人たちを勇んだ気持ちにさせてくれます。 そして、ゴミ拾いをしていて気付くのが、タバコの吸い殻の多さです。携帯灰皿が普及して、紙タバコから電子タバコに変える人が増えてきたこともあって、昔ほど落ちてはいないものの、数でいうと他のゴミに比べて圧倒的に多いのが現状です。 CCCの参加者の中には、ほとんど喫煙者がいないこともあり、タバコの吸い殻が落ちていると、「どうしてこんなにタバコの吸い殻が多いんだろう。だからタバコ吸う人って嫌い」と、誰からともなく愚痴がこぼれ始めます。 確かに吸わない人から見れば、タバコは生活に全く必要がないどころか、目の前で吸われれば副流煙が発生し、悪影響さえあるものです。私も昔からタバコが嫌いなので、その気持ちはよく分かります。 そんな会話が耳に入ってきた時に、ふと昔聞いた上級教会の親奥様の言葉が頭の中を過りました。 「教会はね、心のゴミを捨てに来るところなんだよ。でもね、たまにゴミを拾って帰る人がいるの。せっかく教会に運んで来たのに、ゴミを拾って帰っちゃもったいないよね」。 教会でお茶を頂きながら談笑していた時の何気ない一言でしたが、なぜかその言葉が心に残って、今でも一緒に聞いていた妻と時折思い出して話題に上ります。 教会では、おつとめやひのきしんをつとめることで、心の埃を落として帰ります。ですが、たまにせっかく落とした埃を拾うかのように、他人の悪口や不満を垂れ流して帰る人がいるのが残念なんだ、という意味で仰ったのだと記憶しています。 ともすると、周りの人に同調して悪口を言ってしまいそうになる私に、親奥様の言葉がブレーキをかけてくれた気がしました。 私が地元で始めた「CCC」の表向きの目的は、地域に仲間を作ることですが、私自身は心の中で親神様、教祖への感謝を忘れずに「ひのきしん」の精神でゴミ拾いをしています。 自分たちが暮らす街を汚すのは、もちろん褒められた行為ではありませんが、ゴミを捨てた人を責める前に、こうしてゴミを拾えるのも親神様のご守護によって身体が動かせるからであることを実感します。参加者に天理教の教えを具体的に説くわけではありませんが、やがては皆さんに、私の行いを通して「成程」と思ってもらえるように心がけています。 神様のお言葉に、「成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という」とあります。  「誠」を辞書で調べると、「言葉や行いに作りごとがない。真実の心」と出てきます。一方、大正時代に宮森与三郎という先人の先生が、「誠」についてこう書き残しています。 「誠というのは、心と口と行いの三つがそろわねば誠やござりません。誠の話するくらいの人は、世界にはささらでかき集めるほどある。口でどれほど誠なことを言うても、誠なことをせなかったら、それは誠ではございません」。 CCCの活動で言えば、ゴミ拾いという行いに、感謝の心が伴っていること、そして言葉で参加者の方たちを勇ませること。そのように、心と口と行いが揃うように実行してこその「誠」である。この活動を通して、今の私に必要なことを教えて下さっていると感じました。 地域の活動の中で、参加者の皆さんに言葉でストレートに伝えることは難しくとも、常に誠の行いを心がけていれば、親神様のご守護の有り難さ、教祖のひながたの素晴らしさが伝わると信じて、この活動を続けていきたいと思います。 だけど有難い「たすかるキーワード」 よく、物事に「ひたむき」に取り組むという言い方をします。「ひたむき」という言葉は、一生懸命、健気に、一途に、真面目になど、そういう意味を含んでいると思います。このことが私は大事だと思います。 子供がひたむきに、一途に、一生懸命、健気に努力している姿は、親神様からご覧になれば、「いじらしい」とお感じになると思うのです。をやが「いじらしい」とお感じになったら、絶対に救いの手が伸びる。たすけてくださる。私は、たすかる元は「いじらしい」と感じていただけるかどうかだと言ってもいいような気がするのです。 私の育ての母・富子は水泳選手でした。母は信仰のうえでは全くの一信者、一ようぼくでしたから、河原町大教会長であった父のところへ嫁ぐときは、ずいぶん不安だったようです。 その母に、長老の役員先生が、こう言ったそうです。 「奥さん、心配せんでよろしい。奥さんが一生懸命つとめているその姿を、神様が『いじらしいな』とお思いになったら、絶対、身は立っていく。一生懸命、健気につとめている姿さえ受け取っていただいたら間違いない」 母は「『なるほど』と思って努力した」という話を聞いたことがあります。私もそれを聞いて、なるほどと思いました。「布教の家」の若者が、人生経験も少なく、おたすけの体験も無いなかで、大きな成果を上げるのも、このいじらしい姿があるからだと思います。 結婚したカップルにも、私はよくこの話をします。いじらしい夫婦になろう。いきなり立派な夫婦になれるわけがない。しかし、教祖から「いじらしい」と思ってもらえるような夫婦にはなれる。「いじらしい」という言葉は、たすかるキーワードだと思います。 (終)

  3. JAN 30

    をやの代り

    をやの代り 千葉県在住  中臺 眞治 今から四年前のある日、市役所から電話がかかってきました。 「60代の男性を一人、今日から数日でいいので天理教さんで預かってもらえませんか? 一人にすると自殺してしまう可能性が高くて…。入院させてあげたいんですが、それにはどうしても時間がかかるんです」とのこと。 私は「大丈夫ですよ。どうぞ連れてきてください」と答え、その方が来るのを待ちました。 40分ほどして、市役所の職員さんがその方を連れて来られました。早速部屋までご案内したのですが、その方は部屋の前までは来たものの、一向に中に入ろうとしませんでした。 私と職員さんが「どうぞどうぞ」と言っても、首を何度も横に振りながら、「ダメだ。自分は悪い人間なんだ!死ぬべきなんだ!」と繰り返すばかりで、私たちも戸惑ってしまいました。 「大丈夫ですよ。何も気にしないでください」と何度伝えても首を横に振るばかり。そんなやり取りを20分ほど繰り返していました。 罪悪感や自己嫌悪の感情に心が支配され、あきらかに心を病んでしまっている様子でした。どうしたら良いのだろうかと途方に暮れていたその時、当時4歳だった娘が近づいてきました。 そして、その男性の横に立ち、顔を見上げながらゆっくりと穏やかな声で、 「おじさん、ここはね、神様がいるところだから、大丈夫だよ」 と言ったのです。 すると男性は「うん」と大きくうなずいて、部屋の中へと入っていきました。その光景を見た市役所の職員さんは、娘に「そうだよね。ここには神様がいるもんね」と笑顔で言ってくれたのでした。 その日の夜、妻に一連の出来事を話すと、「え?それ、まこちゃんが言ったの?」と驚き、ぽろぽろ泣きながら娘に近づいて、たっぷりたっぷり褒めていました。後日、男性は無事に入院することができ、市役所の職員さんもとても喜んで下さいました。 この出来事から4年が経ち、娘は8歳になりました。つい先日の話になるのですが、学校から帰ってくるなりその日の出来事を聞かせてくれました。 「先生がね、蜂に2回刺されたんだって。でもね、大丈夫だったんだって。何でだろうね?って聞くからね、それはね、神様がたすけてくれているんだよって教えてあげたんだ」とのこと。 私はその言葉を聞いてとてもあたたかい気持ちになり、「それはとても大切なことを教えてあげたね。お父さん嬉しいよ」と伝えました。 今後、子供たちがどんな大人に育っていくか、どんな運命を辿っていくかは私には分かりません。しかし、どうであったとしても、自分の人生をしっかり受け止め、前向きに生きていってほしいと願っています。そして、そのための支えとして、信仰を伝えていきたいと考えています。 時々夫婦で、「どうしたら子供たちに信仰が伝わっていくのだろうか?」と話し合うことがあります。8歳と6歳の子供たちに「おつとめの時間だよー」と声をかけても、「今は遊んでるからムリー」と返される始末。なかなか先は長いなと感じています。 子育てについて、天理教では「をやの代りをするのや」(M21.7.7)と教えて下さっています。ここでいう「をや」とは神様のことであり、「をやの代りをするのや」とは、子育ては神様の代わりをさせて頂くものであるということを意味しています。 人間世界を創造し、今も絶えずご守護をお与え下さっている神様の代わりとは、何とも身の引き締まる思いがします。それは、子育てを通して、私たち夫婦が神様の大きな親心にどれだけ近づいていけるのかが問われているということです。そう考えると、親としての自分をとても未熟に感じてしまいます。 少し話は変わるのですが、私はこれまでの人生で「親孝行」や「親孝心」という言葉を意識して生活したことはほとんどありません。両親のことを思い浮かべた時、感謝や尊敬という感情が自然と湧いてくるからです。 なぜ、今、自分がそのように思えているのか。それは、両親が神様の大きな親心に近づく努力を日々積み重ねていたからであり、どんな時も神様の代わりとして、真実込めて私たちきょうだいを育ててくれていたからだと思います。 そうして振り返ると、両親に対する感謝や尊敬の思いは、自分の努力で身に付けたものではなく、「をやの代り」をしていた両親が与えてくれたものであったのだと気付かされ、さらなる感謝の気持ちが湧いてくるのです。 ひとすぢごゝろ  六ツ むりなねがひはしてくれな    ひとすぢごゝろになりてこい  七ツ なんでもこれからひとすぢに    かみにもたれてゆきまする (三下り目) 教祖は、日々唱える「みかぐらうた」の中で、このように教えられています。この二首は、「ひとすぢごゝろになりてこい」という親神様の呼びかけに対して、「かみにもたれてゆきまする」と人間の側からお誓い申し上げる形式になっています。 「ひとすじ」とは、信仰の世界だけでなく、社会の中で広く使われている言葉です。たとえば、ある一つの仕事をコツコツと長年続けている人は、その道一筋だと言われます。また、自らに課した約束事をひたすら守り続ける人にも、この言葉が当てはまるでしょう。 その上で、信仰における「ひとすぢごゝろ」とはいかなるものか。それは、どんな時にも親神様の思いに心を合わせて生きる姿勢を貫くことです。自らの考えを押し通していく一筋ではなく、我が身思案を捨て去って、親神様のお計らいに身をゆだねていく生き方です。 この親神様の思いに叶う一筋心は、実は私たち人間が本来持っている資質であると言えます。それは、この世の元初りにおいて、親神様が人間を創造されるにあたり、その雛型と道具を引き寄せられる場面によって明らかです。教典第三章「元の理」に、このように記されています。 「そこで、どろ海中を見澄まされると、沢山のどぢよ(泥鰌)の中に、うを(魚)とみ(蛇)とが混っている。夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄ました上、最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた」 親神様は、人間を生み出す雛型となるものの「一すじ心なるを見澄ました上」で、承知をさせて貰い受けられている。すなわち私たち人間には、あらかじめ一筋心という特性が備えられており、またそのような心の働きを親神様は私たちに求めておられるのです。 「ひとすぢごゝろになりてこい」との呼びかけに対して、「かみにもたれてゆきまする」と親神様に宣言をしているわけですから、これは何としても実現させたいものです。 目に見えない親神様に身を預けるためには、ひたすら我欲を捨て、親神様への信頼ひとすじに通り切る。もたれるという語感からは、やや消極的な印象が感じられますが、むしろ積極的な心の大転換が必要です。   どのよふな事をするにも月日にて  もたれていればあふなけハない (十一 38) どのような事が起きても、神の思いにもたれていれば決して危ないことはないのだと、私たちの元の親、実の親である親神様はそう断言して下さっています。 (終)

  4. JAN 23

    気が付かないまま、守られている

    気が付かないまま、守られている 東京都在住  松村 登美和 先日、インターネットを見ていると、「生活定点」という名前の生活意識調査が目に留まりました。国内の大手広告代理店の研究所が二年に一度行っている調査で、2024年の調査結果が発表されていました。 質問の一つに、「あなたは幸せですか?」という問いがあり、その回答に「幸せ」と答えた人が73.5%、「不幸せ」と答えた人が5.3%、「どちらともいえない」と答えた人が21.2%という結果でした。それを見て、私は「幸せ」と答えた人が思ったより多いなと感じ、なんとなくホッとしました。 続いて関連質問を見ていくと、「あなたが欲しいものは何ですか? 三つまで回答してください」というものがありました。 これに対する答えの上位3つは、「お金」が61.8%、「健康」が47.1%、「安定した暮らし」が41.7%。これについては、やはりお金を求める人が多いよな、と思ったのが率直な感想でした。 ちなみに余談ですが、私は現在60歳です。この調査では年代別の集計もされているのですが、「欲しいもの」に対する60代の回答の1位は、「お金」ではなく「若さ」でした。ここは実に共感を覚えるところでした。 さて、「欲しいもの」の1位、2位が「お金、健康」、3位が「安定した暮らし」という結果を見て、しみじみ思ったことがあります。それは、お金があり、体が健康であっても、「暮らしが安定している」こととイコールではない、ということです。 私は30年近く天理教の教会長を務めていますが、この間、多くの人と出会ってきました。その中には、お金は持っているけれども、暮らしが安定しているとは感じていない人、身体に疾患があっても、暮らしはしっかり安定している人など、様々な人がいます。要は、自分の心のあり方、物事の受け止め方によって、暮らしが安定するかどうかが決まってくる、そのように感じます。 その「暮らしが安定する物事の受け止め方」を身につけることが出来るのが、天理教の信仰の有り難いところです。 少し紹介したいと思いますが、天理教の神様は、天理王命(てんりおうのみこと)というお名前で、親しみを込めて私たちは「親神様」とお呼びしています。 この親神様は、十全の守護を下される神様です。「十全」とは、十分完全ということ。つまり何も欠けることなく完全に、私たち人間や、人間が生きている地上のあらゆることをお守り下されている神様、ということです。 その御守護の具体的な働きを、天理教の教祖「おやさま」は、イメージしやすいように、神様の名前を付けて教えて下さいました。その一つに「くもよみのみこと」という名前のお働きがあります。 「くもよみのみこと。人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理」と教えられています。 飲み食い出入りとは、口から食べて、胃で消化して、腸で栄養を吸収し、血液に乗せて体の隅々に養分を行き渡らせ、お尻から不要物を排泄する。つまり、消化器系や循環器系の働きのことです。 水気上げ下げとは、空から雨が降り、地面に浸み込んで、土の中の養分もろとも稲や野菜が吸収し、育つ。そして水分は蒸発して空に上がり、雲となり、また雨が降る。そうした地球環境の循環の御守護のことです。親神様はそのように、私たちが普段あまり意識をしていない中で、確実に私たちを生かし、守って下さっているのです。 以前、とあるご婦人に、この親神様の御守護の話をしました。するとその方が「なるほど、よく分かります」と仰いました。天理教のことは全くご存知ない方だったので、「どうして分かるんですか?」と逆に聞き返しました。 そのご婦人が言うには、一年前に息子さんが結婚をした。ところが奥さんになった方は食が細く、体も細い。ご婦人は心配して、お嫁さんに「無理をしてでも食べなさい」と促して、食事の量を増やしました。 すると、ふっくら健康そうに見える体になったのに、ある日突然体調を崩し、倒れてしまった。診察を受けると、「お母さんも結果を一緒に聞いてください」と同席を求められました。悪い病気かと思い、恐る恐る病院へ行くと、「お嫁さんはどこも悪くありません」と。 「この人は痩せているけれど、体は内臓も筋肉もとても健康です。ただ、生来全身の血管が細い。無理にたくさん食べて体が大きくなったことで、栄養を届ける血流が追いつかず、心臓が一生懸命に動きすぎて、負担がかかっている状態なんです。お母さん、この人はこの体で十分元気なのだから、無理に食べさせなくて大丈夫です」。お医者さんから、そう言われたのです。 ご婦人は、「人間の目で見て不健康そう、と私は思っていたけれど、実はそれが守られている姿だったんですね。神様の御守護って、そういうことなんですね」と話して下さいました。 お金の有る無し、体の具合、年齢など、それぞれ人により状況は違うと思います。ですが「自分は人と比べて違う」と焦ったり悩んだりすることは、目の前にある幸せを、見落としたり見過ごしたりすることにつながります。 親神様は、一人ひとり、その人その人にふさわしい形で、間違いなく御守護を下されています。 もし、いま「不幸せ」だと感じている方は、「もしかしたら、不幸せばかりではないのかもしれない」と、そして、いま「どちらともいえない」と感じている方は、「もしかしたら、幸せがあるのかもしれない」と、一度考えてみてはどうでしょうか。 むらかたはやくにたすけたい 江戸末期、この教えが伝え始められた頃は、人口のおよそ八割の人々が農業に従事していたと言われています。お言葉に出て来る「村方」とは、その農家の人たちのことを指します。 直筆による「おふでさき」に、   村かたハなをもたすけをせへている  はやくしやんをしてくれるよふ (四 78) とあるように、教祖は近隣の村方の人々をとても気にかけておられます。「一に百姓たすけたい」と仰せになったのも、困窮する農家の多い時代、人々が食糧に困らぬように陽気ぐらしへ導いてやりたいという、まさに人類の母親ゆえの思召しからであると言えましょう。 その一方で、「みかぐらうた」に、   むらかたはやくにたすけたい  なれどこゝろがわからいで (四下り目 六ッ) とあるように、そうした教祖の親心が、当時、お屋敷の近隣に住む人々にはなかなか伝わらなかったのです。 人々は、普段から身近に教祖に接しているがゆえに、その心安さもあって、教祖が神のやしろとなられたことを理解できなかったようです。ましてや、「貧に落ち切れ」との神様の思わくのままに、食べ物や着る物、家財道具や金銭、田畑まで次々に施されるのですから、驚くのも無理のないことでしょう。 そうしたなか、誤解を解かなければたすけの道が前へ進まないとの思いから、教祖自らお針の師匠をつとめられたり、また息子の秀司さんは寺子屋を開き、近所の子供たちに読み書きなどを教えられました。こうして村人たちは少しずつ、教祖の行いが憑き物や気の違いによるものではないことを理解していったのです。 このような逸話が残っています。 明治八年九月二十七日、この日は、教祖の末女・こかん様の出直した日です。庄屋敷村の人々は、病中には見舞い、容態が変わったと聞いては駆け付け、葬式の日は、朝早くから手伝いに出ました。 葬式の翌日、後仕舞の膳の席で、村人たちがこかん様の生前の思い出を語っていました。そして教祖に思いを致し、話し合ううちに、「ほんまに、わし等は、今まで、神様を疑うていて申し訳なかった」と、中には涙を流す者さえありました。 そこで「わし等も、村方で講を結ばして頂こうやないか」と相談がまとまり、その由を教祖に申し上げました。講とは村々における信者の集まりのことで、いわば賑やかにおつとめがつとめられるわけですから、教祖は大層お喜び下さいました。 こうして、最初はお屋敷へ疑いの目を向けていた村方の人々へも、徐々にこの教えが広まっていったのでした。 (終)

  5. JAN 16

    サードマン現象(後編)

    サードマン現象(後編)       助産師  目黒 和加子 リスナーの皆さん、NHK総合テレビで人気だった『爆笑問題のニッポンの教養』という番組を覚えていますか? これは、お笑いコンビ・爆笑問題の二人が大学教授や研究者をはじめ、その道のプロフェッショナルの現場を訪問する番組でした。 あの日の主役は、著名な心臓外科医A先生。タイトルは『天才心臓外科医の告白』。 A先生は、最新の医療機器を見せながら手術方法を爆笑問題の二人に説明しつつ、「実はね。手術中、僕の中に神様が降りてくる時があるんですよ」と言ったのです。そして、その意味を説明し始めました。 「手術前の検査データから手術の難しさを予想して臨むんですが、切開して心臓を見ると想定外に状態の悪い時があります。『これはマズイ、自分には無理かもしれない』と頭の中は真っ白になり、もう祈るしかないという心境になるんです。 そういう時に神様が降りてくる。神様が降りてくると頭の中は冴え渡り、普段の手術の時よりも手先がシャープに動く、というか動かされている。もはや自分の手という感覚ではない。 さほど重症でなく手術した患者さんよりも、想定外に状態が悪く神様が手術した患者さんの方が術後の回復が早く、退院後も良好に過ごしておられます」。そう笑顔で語っていました。 「私と同じような経験してる医療職者がいてはる。しかもあのA先生やん」と嬉しい反面、「不思議を感じているのは私だけで、周りの人と共有したことはないよなぁ」と、何かすっきりしません。 そんなある日、サードマンの存在を決定づけるお産に当たるのです。 その日は夜勤。出勤すると、初産婦の田辺さんが分娩室に入るところでした。日勤からの申し送りでは、胎児の推定体重は3500グラムとかなり大きく、産道を下りれずに途中で停滞しているとのこと。それから一時間息み続けましたが、胎児は産道の途中で止まったまま。田辺さんは力尽きて言葉も出ません。 すると胎児心拍が一気に低下。この医院には、吸引分娩や鉗子分娩の器械も装置もありません。手術室もないので帝王切開もできません。産婦のお腹を押すしかないのです。 体重100キロを超える巨体の院長が、全力で田辺さんのお腹をグイグイ押しますが、全く動きません。院長の汗が田辺さんのお腹に滴り落ちています。「トン……、トン……、」胎児心拍は今にも止まりそう。15分後、とうとう心拍が停止してしまいました。 「もうこれ以上、力が出ません。ご主人さん代わりに押して!」パニックになる院長。 「何を言うんだ、それでも医者か!」怒り出すご主人。分娩台の上の産婦を挟んで言い合いになっています。 分娩室が修羅場と化す中、オロオロする私に院長が「そうや、目黒さん押してみて」と言ったのです。 「相撲取りのような院長が15分押しても動かへんのに、私が押して出るわけないやん」と思いつつ、出来ませんとは言えない雰囲気。産婦の息みに合わせて全力でお腹を押しましたが、胎児は微動だにしません。 「心拍停止して5分、もうダメや」と諦めかけた時、田辺さんが「助産師さん…赤ちゃんをたすけてください」と、か細い声を発したのです。 「こうなったら神さんしかない!」自分の寿命を差し出す覚悟を決めました。 「次の陣痛で底力出して息むんよ。私も命がけで押すからね!」 精魂尽き果てる寸前の田辺さんと自分に喝を入れ、全力でお腹を押しました。すると、拍子抜けするぐらいスルスルッと出てきたのです。しかし、出てはきたものの赤ちゃんの全身は群青色で心拍は停止したまま。ぐったりして産声をあげません。 「ここで諦めてなるものか!まだ間に合う!」がっくり肩を落とす院長に喝を入れました。 再び身を捨てる覚悟を決め、あらゆる蘇生処置を施すと心拍が戻ってきたのです。「ふんぎゃ~」と呻くような産声をあげ、自発呼吸が始まりました。 弱々しい産声はだんだん力強くなり、身体の色も群青色から紫色、紫色からピンク色へと変化していきました。手足を動かし始め、筋肉の緊張もしっかりしてきたのです。 3750グラムの男の子。この赤ちゃんの、へその緒と胎盤の中に流れる血液、臍帯血のpH値は6.89。見たことのない数字です。pH値が7.0を下回ると限りなく死に近づきます。pH値が書かれた紙を持ったまま、全身の毛が逆立つのを感じました。 廊下から蘇生の様子をガラス越しに見ていたご主人に、「状態は安定しました。もう大丈夫です」と伝えると、「ありがとうございます! 目黒さんにたすけて頂いたことは一生忘れません」私の腰にしがみつき、泣き崩れています。 「私がたすけたように見えるけど、それは違う。お産の神さんがたすけてくれはったんよ。神さんがたすけたんやから、社会の役に立つ子に育ててくれはる?」 「約束します、約束します! この子の名前は浩(ひろ)です。ありがとうございます…」 ご主人の泣き声が、夜の廊下に響いていました。 それから二年が経ち、二人目を妊娠中の田辺さんが、里帰り分娩で実家に帰る前に私に会いに来られました。 「お産のことは怖い思い出になってしまって、夫婦の間で話すことはなかったんですが、浩の一歳の誕生日の日に主人が、『浩は社会の役に立つ人に育てる』と言い出したんです。訳を聞くと、『お産の後、目黒さんが、私がたすけたのと違う、お産の神さんがたすけてくれはったんよ。神さんがたすけたんやから、社会の役に立つ子に育ててねって言わはった。だから約束したんや』って。それを聞いて私、やっぱりって納得したんです。 目黒さんが一回目に私のお腹を押した手は、冷たい手でした。喝を入れられて二回目、目黒さんの冷たい手の他に温かい二本の手、合計四本の手が私のお腹を押してたんです。温度差があったのではっきり分かりました。 本当にお産の神様がたすけてくれたんですね。浩はお約束通り、社会の役に立つよう育てていきます」 ニコニコしながら、そう言ってくれたのです。 「手が四本って…。あの時、教祖も一緒にお腹を押してはったんや…」 サードマンの存在を産婦さんと共有し、あの時も、この時も、教祖が側にいて加勢して下さっていたことを確信したのでした。 水にたとえて 教祖は、私たち人間が得心しやすいように、生活に根差したあらゆる例えを用いて教えを説かれています。例えば、人の心は「水」に例えられています。   これからハ水にたとゑてはなしする  すむとにごりでさとりとるなり (三 7) 透き通るように澄んだ水もあれば、濁っている水もある。それに例えて話しをするから、しっかり悟りとるようにと仰せられます。 『天理教教典』には、 「人の心を水にたとえ、親神の思召をくみとれないのは、濁水のように心が濁っているからで、心を治めて、我が身思案をなくすれば、心は、清水の如く澄んで、いかなる理もみな映ると教えられた」 と記されています。 また、親神様の思いに添わない、自己中心的な心遣いを「ほこり」に例えて戒められ、         せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ  神がほふけやしかとみでいよ (三 52) と、そうした「ほこり」の心遣いを払うためには、親神様の教えを箒として、絶えず心の掃除をすることが大切であると諭されています。 水や箒など、誰もが生活に必要なものに例えてお教えくださるのは、水槽に少しずつ水を蓄える如く、徐々に私たちに深い思わくを理解させていこうとの親心からなのです。 それと同様に、直筆による「おふでさき」では、親神様の呼び方、「神名」についても、最初は「神」といい、次に「月日」と呼び、更には「をや」という呼び方を用いて、徐々に身近な存在として理解できるようにご配慮下さっています。   にんけんもこ共かわいであろをがな  それをふもふてしやんしてくれ   (一四 34)   にち/\にをやのしやんとゆうものわ  たすけるもよふばかりをもてる   (一四 35) 人間も子供が可愛くて仕方がないであろう、神もそれと同じであると、私たちが我が子を慈しむ親心によせて、お教え下されています。 親神様はすべてにわたりご守護下さる絶対的な神であると同時に、ただ仰ぎ見るばかりの遠い存在では決してないということ、日頃のささい

  6. JAN 9

    サードマン現象(前編)

    サードマン現象(前編) 助産師  目黒 和加子 「勝手に促進剤を中止するとは、どういうことだ!」 「夜通し促進剤を続けるなんてありえません。子宮筋が疲労して子宮破裂の可能性があります! 母と子に危険が及ぶと判断し、中止しました!」 職員通用口を開けるなり耳に飛び込んできたのは、大声で怒鳴り合う声。院長と夜勤助産師の池田さんが、休憩室で大ゲンカの真っ最中です。 「すぐに促進剤を始めるぞ!」と言い放ち、部屋を出ていく院長。その背中を睨みつける池田さん。一体、何があったのでしょう。 その二日前、破水で来院した初産婦の原さんは丸一日待っても陣痛が来ず、前日の朝から分娩促進剤の点滴を始めました。胎児を取り巻く卵膜が破れ、羊水が漏れ出すことを破水といいます。破水すると細菌が子宮内に侵入し、胎児が感染の危険にさらされます。自然に陣痛が来なければ薬で陣痛を起こし、お産を進めます。 17時の時点で子宮口は半分の5センチ開大。通常はここで点滴を止め、夜は子宮を休ませます。子宮は促進剤で強制的にギュッと縮んだり戻ったりをさせ続けられるので、疲れてくるのです。 院長は「20時まで点滴を続けよう」と言いました。20時になり内診しましたが、子宮口は5センチと変わりません。今度は「23時まで続ける」と言い、車で外出。23時に外出先から電話で、「明日の朝まで点滴続行しておいて」と指示を出しました。この時も子宮口は5センチのまま。 池田さんは、「子宮が疲労して分娩が停止しています。促進剤を中止して子宮を休ませてください」と上申しましたが聞き入れてもらえず、中止を自分で判断しました。 翌朝、院長が来てみると促進剤は前日の23時で中止されていて、バトルとなったようです。 申し送りを受けた日勤の私。怒りが治まらない池田さんに、「今日のところはゆっくり休んで」と声をかけ、原さんのいる陣痛室に行くと、とんでもないことになっていました。 引きつった顔の原さんがお腹を抱えて息み、強烈な痛みで言葉も出ない様子。促進剤の点滴量を調整するポンプの設定が、なんと通常の倍の量になっているではありませんか。院長が早くお産にしようと量を多くしたので、子宮の収縮が強くなり過ぎ、過強陣痛となっているのです。 すぐに促進剤を中止。分娩室に入れて内診すると、子宮口はほぼ全開大。このままお産になると判断し、病衣をめくるとお腹に薄茶色の縄のようなものが浮かび上がっています。 「まさか、これって…。バンドル収縮輪や!」 助産学の教科書でしか見たことのない、子宮破裂の前に現れる「バンドル収縮輪」が目の前に。 「まずい。このままでは子宮が破裂して母児共に命がない!」 バンドル収縮輪を見た院長は青ざめ、「T病院に搬送をお願いしてきますッ!」と大慌てで電話をしています。 すぐに救急車が到着。原さんとご主人を乗せ、T病院へ出発するその時、「僕は外来診療があるので、目黒さんが乗って行って」と院長。 「何言うてるんですか! ドクターが行かないと途中で何かあったらどうするんですか!」 「日勤の医者は僕一人やし、外来の患者さんを待たせてるので」と、立ち去ってしまったのです。 そのやりとりを聞いていた救急隊員が、偶然にも私が以前に分娩介助した秋本さんのご主人でした。 「目黒さん、どうする?」 「押し問答してても時間のムダや。秋本さん、突っ走って!」 「任せてください!」 救急車は原さんとご主人と私を乗せ、飛ぶようにT病院へ。この車中で私は不思議な体験をしたのです。 震える原さんの手を握り、「すぐに着くからね」と励ましつつも、バンドル収縮輪は一層くっきりと浮かび上がり、破裂寸前。 「神さん、私の寿命、好きなだけ差し上げます。原さんと赤ちゃんをたすけてください!」と身を捨てる覚悟を決めました。 「あ、T病院が見えた」。一瞬気が緩んだその時、気づいたのです。誰かが私の背中をさすっていることに…。 振り返ってみると、ご主人は椅子に腰かけて震えています。 「ご主人と私との間に誰かいてる…。これは何?」 不思議に包まれると同時に、T病院に到着。分娩室に運び入れ、3分後に出産。子宮破裂はギリギリのところで回避されました。 T病院からの帰りのタクシーの中。ドキドキが治まらず、深呼吸すると背中がスースーするのに気づきました。 「あれ、ブラジャーのホックが外れてるわ。なんで外れてんのやろ?」 ブラジャーのホックは簡単に外れません。なぜ、外れているのか。女性のリスナーさんは分かりますよね。背中を強くさすられたから外れたのです。 頭の中がザワザワしながら、思い出したのは、数か月前にNHK教育テレビで見た「地球ドラマチック」という番組。テーマは「サードマン現象」。第三の存在という意味です。 「サードマン現象とは、遭難や漂流、災害現場などで絶体絶命の極限状態に置かれた時、奇跡の生還へと導いてくれる目に見えない第三者の存在を感じること」と説明されていました。 その時は、「なんやそれ。根拠のないこと言うて」と流していたのですが、「けど、スースーする背中は現実や。私の背中をさすっていたのはサードマンなんやろか?」と思案をめぐらせていると、過去に同じような経験を何度もしていることに気づいたのです。 「子宮が収縮せず胎盤剥離面から大出血したMさんの時、産道から子宮の中に手を入れて圧迫止血する私のそばに誰か居てた。息遣いを感じたよな」 「へその緒が四重に巻きついて産道で動けなくなったYちゃんの時、誰かが私の背中にくっついて、二人羽織状態で赤ちゃんを取り上げたっけ」 「薬剤性ショックで血圧低下したFさんの時は、頭の中がコンピューターのようになって、優先順位をはじき出して抜かりなく処置できた。あの時は自分の頭の中が自分じゃないみたいやった。危機一髪の時に出てくるのは、いったい誰なんやろう?」 そんなある日、私の周りに現れるサードマンが分かったのです。それを教えてくれたのは、これまたNHKのテレビ番組。 その正体は…来週の後編で。 夫婦揃うて 大阪で左官業を営んでいた梅谷四郎兵衛さんは、入信して間もない頃、教祖から「夫婦揃うて信心しなされや」とのお言葉を頂きました。四郎兵衛さんは早速、妻のタネさんに「この道というものは、一人だけではいかぬのだそうであるから、おまえも、ともども信心してくれねばならぬ」と話したところ、タネさんはこれに素直に従い、夫婦で熱心に信仰を始めました。(教祖伝逸話篇92 「夫婦揃うて」) 信仰の先人の中では、おしどり夫婦の代表のような四郎兵衛さんとタネさん夫妻。四郎兵衛さんはおたすけに出向く際には、タネさんに場所や人物、お願いの筋を必ず詳しく伝え、タネさんもそれを一心に受け、留守番をしながら必死にたすかりを願ったと伝えられています。 明治十五年、教祖が奈良監獄署へ拘留された時の話です。この時、四郎兵衛さんはお屋敷に滞在しながら、朝暗いうちから起きて、奈良までの約12㎞の道のりを差し入れのために通っていました。 奈良に着く頃に、ようやく空が白み初め、九時頃に差し入れ物を届けてからお屋敷へ戻る毎日でした。ある時は、監獄署の門の中へ黙って入ろうとすると、「挨拶せずに通ったから、かえる事ならん」と警官に脅かされたり、帰ったら帰ったで、お屋敷の入り口では張り番の警官にとがめられ、一晩中取り調べを受けるなど、毎晩二時間ぐらいしか寝る間がない有様でした。 十二日間の拘留の末、教祖は大勢の人々に迎えられ、お元気にお屋敷へ帰られました。すると教祖は四郎兵衛さんをお呼びになり、 「四郎兵衛さん、御苦労やったなあ。お蔭で、ちっともひもじゅうなかったで」 と仰せられました。 四郎兵衛さんは不思議に思いました。監獄署では、差入れ物をするだけで、直き直き教祖には一度もお目にかかっていないのです。それに、自分のそのような行動を、他の誰かが申し上げているはずもありません。 ところが、その頃、大阪で留守番をしていた妻のタネさんが、教祖の御苦労をしのび、毎日蔭膳を据えて、お給仕をしていたのです。(教祖伝逸話篇106「蔭膳」) 四郎兵衛さんとタネさんが、夫婦で心を一つに合わせ、教祖を思うその真実を見抜き見通され、

  7. JAN 2

    ピンポンが押せなくて…

    ピンポンが押せなくて… 兵庫県在住  旭 和世 ある日、中学生の娘が「今日友達に天理教の布教してきた~」と言います。「ええ?そうなん?どんな布教したん?」と聞くと、 「うちの家は、普通の家と違ってお寺っぽいから不思議がられるねん。だから、うちは天理教の教会やで~って紹介したら、友達が『私のおばあちゃん家の近くにも天理教あるわ~』とか、『結構色々な所にあるよな~』って盛り上がってさ~」と嬉しそうに話しています。 若い人達の間で、自分の推しや好きなものを友達に紹介したり広めることを「布教」と言うのが流行りのようで…。道を伝える「伝道」とはまたちょっと違った意味にはなりますが、娘がそうやって教会について楽しく紹介してくれたことを嬉しく思いました。 私自身も天理教の教会で生まれ、育てて頂いたので、友達が家に来ると、神殿のぼんぼりなどを見て「大きいお雛さんやな~」とか、「広くていいなあ」などと言われてちょっと嬉しかったことを思い出します。 でも、だんだん成長するにつれて、友達に説明したり、天理教について話したりすることが難しいなあと思うようになりました。時々、親について行って神名流しをしたり、戸別訪問をすることがありましたが、特に母は電車に乗っていても、病院や買い物に行っても、隣にいて仲良くなった人にいつでも神様のお話をするような人でした。内心、「お母さんすごいな~。私は恥ずかしくてそんな話できないわ~」とずっと思っていました。 そんな中でも、教会に出入りされる方が、神様のお話を聞いて心の向きが変わり、幸せになっていく姿をたくさん見せて頂いてきたので、「やっぱり神様はおられるんだ。これは真実の教えなんだ」と実感することも度々でした。 その後、私は教会の後継者さんとご縁があり、教会に嫁がせてもらいました。ところが、育児や日々の生活に必死で、布教・にをいがけに出ることがほとんどなくなっていました。「こんなことでいいんだろうか」と思いながらも、外に出ずにいると、どんどん気持ちが沈んでいって、喜べない自分に自己嫌悪がつのる毎日でした。 そんな時、近くの教会の同年代の奥さんにその悩みを打ち明けたことがきっかけで、「一緒ににをいがけをしよう!」となり、近隣の奥さん達にも声をかけ、月に数回にをいがけに回らせて頂けるようになりました。みんな子育て道中で、それぞれ悩みや事情を抱えながらも、子供達を連れて神名流し、路傍講演、戸別訪問が出来るようになりました。 中でも、私が緊張するのは戸別訪問です。インターホンを押すのに勇気が要って、「もし出て来られたら何て言おう…」とドキドキしながら回っていました。 そして、ドキドキしながらも思い出したのは、若い頃、大阪にある「花園布教修練所」で三カ月間、布教の勉強をさせてもらっていた時のことでした。寮生活をしながら、毎朝にをいがけに出る時にみんなで掛け合う言葉がありました。 匂いが掛からなんだら掛からんでよろしい お救けがあがらなんだらあがらんでよろしい 食えなんだら食わんでよろしい そんなこと神様のなさる事や あんたはただ歩いたらええのや 雨の日も風の日も毎日な 歩けんようになったら座ったらええ 神様の領分と人間の領分 はっきり分けることが肝心や 賢うなったら道は通れん 喜び湧いてこん 神様の邪魔をしているようなものや この道は実行 ひながたの道通るより他に道はない この言葉が頭に浮かんできました。 そうか、自分に何が出来るのか、何を話すのかとオロオロしていたけれど、そうじゃなかった! 神様の領分! 神様のなさること! だから私は、教祖のお供をさせてもらったらいいんだと、心が軽くなり、勇気が湧いてきました。 すると、嫌そうな顔をされたり、ちょっと怒られたりしながらも、頭を下げて「ありがとうございました」とお礼を言って、そのお家の幸せを祈りながら回れるようになりました。 そして不思議なことに、普段の生活の中でも、それまで喜べなかったことがとても小さなことに感じられたり、にをいがけで断られる度に、知らず知らずのうちに高慢になっていた自分の心を低くして頂いているなあ、ありがたいなあと、喜びがどんどん増えていきました。 そんなある日、大教会の団参を控え、一人でも多くの方におぢばに帰って頂きたいと、教会につながる方や、まだおぢばに帰ったことのない方に声をかけていました。もう一人、もう一人と思っても、なかなかいい返事はありませんでした。 そんな中、花園布教修練所で教えて頂いた言葉がまた浮かんできました。 「信仰は裏付けが大切。ご守護頂くには、理づくりや伏せ込みが大切だよ」と聞かせて頂いていたので、とにかく理づくりのために歩かせてもらおうと、時間を見つけては歩いていました。 そして、いよいよ団参の前日です。その日もお誘いに歩いていました。けれど、いつものようにお断りばかり…。もう少し、もう少しと歩きましたが、とうとう時間が来て、肩を落としながらトボトボと坂道を歩いて帰ろうとしていました。 すると、坂の途中で一本の電話がかかってきたのです。以前、団参にお誘いしていた未信者のおじさんでした。 「旭さん、明日、なんか天理に行く言うてはりましたなあ。ぼく、それ行きますわ」とのことです。 私はとても驚き、「あ~、親神様が働いて下さったんだ、教祖が導いて下さったんだ」と胸が熱くなりました。その方はその後、別席を運ばれ、ようぼくになって下さいました。 「どんな所にをい掛かるも神が働くから掛かる」(M26.7.12) というお言葉がありますが、私のこんなつたない「理づくり」にも、神様のお働きを見せて頂けたことに、心から喜びを感じました。そして、神様に受け取って頂けるための理づくりの大切さを、実感した出来事でもありました。 「自分の智恵や力には限界があるけど、神様のご守護は無限大だよ」と、よく母が言っていた意味がようやく理解できた気がしました。 インターホンがなかなか押せず悶々としていたあの日のことを思うと、またこうやって、にをいがけに歩けるようになって本当に良かった。今でもインターホンを押す時はドキドキしますが、あの頃のドキドキとは少し違って、「この扉の向こうには、どんな方が待っていて下さるのかな。教祖が導いて下さる方だから、きっと前生からご縁のある方だろうな」と思えるような、楽しみなドキドキに変わっています。 そして、私が連れて一緒に歩いていた子供達はと言うと…。今では成長し、にをいがけに出る私に「よくやるわ~」と言います。 かつて私が母に抱いていた気持ちと同じだなあと、微笑ましく思いつつ、一緒に歩いた日々は、子供たちにとってきっと無駄にはならないと信じて、先を楽しみにしています。 だけど有難い「初詣はするものの…」 年の初めに、大勢の人が初詣に行きます。そして「家内安全」「家運長久」「商売繁盛」などをお願いします。なぜ、そうしたことをお願いするかというと、自分の力では実現できないからです。その際、大半の人はタダでお願いはしないものです。お賽銭を上げます。「良い年=一一一四円」、あるいは「福来い=二九五一円」などと縁起の良い数を金額にしてお願いするのです。それくらいのお供えでたくさんお願いするのは、ちょっと厚かましいのではとも思いますが、それはさておき、一生懸命にお願いをします。 しかし、どうでしょう。年末になって「おかげで家内安全で過ごせました」とお礼に来る人で神社が溢れ返るといった話を聞いたことはありません。毎年ひっそりと年の瀬を迎えます。そして新しい年を迎えると、いきなり大勢の人が初詣に訪れて、また「家内安全」「家運長久」「商売繁盛」を願うのです。要するに、願いっ放しなのです。お願いが叶っても、お礼はしない。 私たちは、親神様のご守護のおかげで生きているということを知っています。一年間、家族が元気に過ごさせていただけたこと一つをとっても、どれほど有難いことかと思わずにいられません。そうしたことを忘れることなく、お礼をさせていただかなければならないと思います。 今年一年、家族のうえに、自分自身のうえにお見せいただいたこと、

  8. 12/26/2025

    心の生活習慣

    心の生活習慣 福岡県在住  内山 真太朗 近年、生活習慣病になる人が増えているようです。これは日々の食生活や生活リズムなど、何気ない小さな事の毎日の積み重ねが大きな要因の一つと言われていますが、人間関係で起こってくる事情も、これと同じ事なのかもしれません。 ある教会月次祭の日、おつとめも終わり、参拝者も帰られ、ひと息ついていた時、自転車に乗って教会に入ってくる人がいました。見れば、ついさっきまで一緒に月次祭を参拝していた信仰熱心な75歳の女性、タカコさん。 よく見ると、自転車に荷物をいっぱい積んでいるので、てっきりバザーに出す品を何か持ってきてくれたのかと思い、声をかけると「ちょっとしばらく教会に泊めてほしい」と言います。突然のことで驚きましたが、話を聞くと、夫婦げんかをしたとのこと。 タカコさんは、80歳になるご主人と夫婦で二人暮らし。ご主人は、若い頃は銀行マンとして支店長まで勤め上げ、社会的な信頼も非常に厚く、地域でも色んな役をつとめておられた方です。しかし、家庭では厳しく、ちょっと気に入らない事があると奥さんに当たり散らし、ひどい時には手が出てしまうこともあると言います。 教会月次祭のこの日、予定していた時間よりタカコさんの帰りが遅かった事にご主人は腹を立て、「だいたいお前は嫁としてのつとめが全く出来ていない!もう出ていけ!」と大激怒。そこまで言われると、売り言葉に買い言葉で、タカコさんは「出ていけと言われるなら出ていきます!」と言って、荷物をまとめて家を出て、行くところもないから教会に来た、ということでした。 まあ、せいぜい2、3日もすれば気持ちも落ち着いて帰るだろうと、最初は軽い気持ちで見守っていました。ところが、それから一週間経ち、二週間、三週間経っても一向に帰る気配はありません。 タカコさんは教会に来てからというもの、朝づとめ前から起きて、お掃除や洗濯、子供の世話まで、教会の用事は何でもやってくれるので助かりはしますが、ご主人の事が心配じゃないのかと尋ねると、「あの人は家事も自分でするし、一人で生きていけるから大丈夫」とキッパリ言います。 教会に来て一か月が経ち、ご主人から電話が掛かってきました。「もう帰ってきてくれ」と。私は内心、「あー良かった。これで治まる」と思い、タカコさんに電話を変わると、「あなたはこの前、私の事を全否定しましたね。私にあなたの嫁はもう務まりませんから、帰るつもりはありません」と平然と言ってのけ、電話を切ってしまいました。 これ以降も、何回もご主人から電話がありましたが、頑なに同じ返事を繰り返します。とうとう、事情を聞いたご主人の親族から連絡があり、「教会にご迷惑をおかけして申し訳ありません。ついては本人と一緒に教会に行って、タカコさんと話し合います」とのことで、早速来て頂きました。 あんなにお元気だったご主人がげっそり痩せて、歩くのもやっとの状態。奥さんに出て行かれてから一か月、まともな食事をしていなかったそうです。 教会で、一か月ぶりの夫婦再会。タカコさんと顔を合わせた瞬間、ご主人はボロボロ涙を流され、「私が悪かった。申し訳なかった。この一か月、お前のいない生活で、いかに自分が一人で生きていけないかが分かった。頼む、この通りだから帰ってきてほしい。もう一度、私にやり直すチャンスを下さい」。 大の男の魂のさんげ。それに対してタカコさんは、「私の事は先立ったと思って一人で生きて下さい。世の中には独り身の男性は大勢いますから。私はもうあなたの元には帰りません」とキッパリ言います。そこから一時間、話は平行線のままでその日は終わりました。 これはさすがに放っておく訳にはいかんと思い、とにかく私は第一にげっそり痩せたご主人が心配でしたので、それから毎日、タカコさんには内緒で、教会から食事を持って自宅にうかがい、ご主人と色々話をしながらご飯を食べることを続けました。 そして肝心なのは、タカコさんの心の向きを変えることだと思い、本人とねりあいを重ねました。しかし「ご主人も反省されているし、一度帰ったらどうでしょう」といくら説得しても、全く動く気配はありません。 タカコさんは教会生まれ、教会育ちで、おぢばの学校も卒業しており、教理や夫婦についての教えをしっかり理解しています。その上で、「私はね、結婚して40年以上、主人に何とひどい事を言われようが、ずーっと我慢して、夫を立てて通ってきました。おかげで家も建ち、たった一人の息子も立派に独り立ちしてくれました。夫婦二人になった今、もう余生は生まれ育った実家の教会で過ごしたいんです」と、年を重ねたご婦人の切実な思いを語ります。 「みかぐらうた」に、「ひとのこゝろといふものハ ちよとにわからんものなるぞ」とありますが、人の心、気持ちを変えるという事は実に難しいものです。 これはまず神様に働いてもらうより他ないと思い、私はその日から毎日、一日6回のお願いづとめ、そして12下りのてをどりをつとめさせて頂きました。それに加えて思案したのは、息子さんにこの事情をきっかけに、信仰に目を向けてもらいたいということでした。 私とは幼馴染で、当然両親の状況も知っている彼ですが、国立大学の先端技術研究者として日夜研究に励みながら、授業も担当して多忙を極め、しかも遠方に住んでいるのでどうすることも出来ないとのこと。 そこで私は、「自分たちではどうにもならない事を神様にお願いする以上は、自分たちが今まで出来なかったような事を神様に約束したいんだ。是非とも、久しぶりにおぢばがえりをして、別席を運ぶという約束をしてもらえないだろうか」と彼に話をしました。 すると彼は、「自分も何とか両親には仲直りしてもらいたいと思っている。実は大学の隣りに天理教の教会があって、お昼休みに毎日参拝に行っているんだ」と。彼は子供の頃、教会の鼓笛隊に入っていたので、参拝の仕方も知っているし、おつとめも出来るのです。 そして、「別席もずっと声を掛けられていたけど、なかなか気持ちも向かなかったし時間も取れなかった。でも、こういう時に折角声を掛けてもらったから、久しぶりにおぢばがえりをしよう」と、別席を運ぶことを約束してくれました。 さて、それから3日後、約二か月近く教会にいたタカコさんが突然、「うちに帰ります」と言い出しました。え?突然どうして?と驚いて話を聞くと、「やっぱり自分の家と主人が気になるから、もう一度やり直してみます」と言って、いともあっさり帰って行きました。 数日後、さっそくご夫婦で教会にお礼に来られました。夫婦でたくさん話し合ったそうで、ご主人も笑顔を取り戻しておられました。息子さんが日々、時間を作って参拝していた真実、そして別席を運ぶと心定めをした真実を、神様がお受け取り下さった姿だと思いました。 夫婦や親子関係、仕事場での人間関係のトラブル、または借金などの金銭トラブル。これらは「心の生活習慣病」と言えるのかもしれません。 普段の家族や周囲の人たちに対する何気ない心遣い、心の生活習慣を、お道では「ほこり」と教えて頂きますが、それが積もり重なると、さまざまなトラブルや事情が起こってきます。 タカコさんとご主人のトラブルも、40年間もの日々の「心の生活習慣」がもたらした出来事だったのです。 教祖は、様々なお言葉や行いによって、日々の通り方の大切さを教えられています。教えを自らの心のほこりを払う箒として日々を通り、それによって家族がたすかり、周りの人がたすかるご守護を頂けるように、これからもつとめさせて頂きたいと思います。 尽くした理は末代 日ごろ私たちは、どれくらいの時間の幅を意識しながら生きているでしょうか。理想と情熱に燃える若き時代は、何十年先の将来を見つめていたこともあるでしょう。仕事や子育ての慌ただしさの中で、今日明日のことしか考えられない時期もあるかも知れません。その状況や年齢によって、時間の価値や感じ方が違うのは当然のことです。 いずれにしても、総じて人の視野には、自分の一生という限られた時間しか映ってこないのが普通のことのようです。人生八十年、九十年

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