歴史を紐解く!聞き流し偉人伝

ナスとカイ

「人から紐解く、ドラマチックな世界史」をコンセプトに ・ファンタジーではなく生々しい ・学問ではなくエンタメとしての 心揺さぶられるストーリーとしての世界史をお届けします!(したい!) 歴史好きの社会人2人がゆるゆるおしゃべりしています。 少しでも面白いと思っていただけたら、チャンネル登録やフォローお願いします! ▼下記からサポートのご参加を頂けますと幸いです! https://www.patreon.com/c/ijinden/posts ▼番組への感想やご意見はこちらからお願いします! https://forms.gle/pBpM7Zgs2BskExmJ7 【週5投稿】 平日18時にアップします。 Hosted by 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai) BGM:We_are_Friends! カバーアート作成:ynamnemsc様(instagram→https://x.gd/u0tON)

  1. #653【レオナルド・ダ・ヴィンチ】世界一有名な絵の謎!最後の晩餐に隠された秘密

    1d ago

    #653【レオナルド・ダ・ヴィンチ】世界一有名な絵の謎!最後の晩餐に隠された秘密

    本日のテーマ:「完璧主義が招いた奇跡と悲劇:ダ・ヴィンチの最高傑作『最後の晩餐』の異常な設計図」今回はダ・ヴィンチの最高傑作『最後の晩餐』の謎と異常性に迫ります。食堂の空間ごとデザインした究極の遠近法から、裏切り者ユダの顔にまつわる逸話、そして完璧主義ゆえに選んだ技法が招いた修復の歴史まで徹底解剖します。👇今回の見出し👇『最後の晩餐』の異常さを解剖/1490年代の最高傑作/サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院/食堂の空間デザイン/キリストと同じ食卓にいる感覚/極限まで計算された遠近法/消失点はキリストの右こめかみ/鑑賞者の視線を誘導する仕掛け/現実の窓からの光と絵の中の光を一致/空間ごとデザインするトリックアート/この中の一人が私を裏切る/言葉が落ちた瞬間の13人の反応/裏切り者ユダの顔が描けない/修道院長の苦情とダ・ヴィンチのジョーク/ぼかされたユダの輪郭/技術的な致命的ミス/フレスコ画法を使わなかった理由/描き直せない制約への拒絶/独自の混合技法と早すぎた剥落/完璧へのこだわりが招いた皮肉と永遠の魅力👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇①修道院の食堂と完全に同期した空間設計本作は単なる壁画ではなく、修道士が食事をする空間と地続きになるよう設計されました。壁の前に立つ人間の視線がキリストの顔に集まるよう消失点を設定し、実際の食堂の窓から入る光の方向まで絵の中に反映させるという、当時としては次元の違うトリックアート的な計算がされています。②裏切りの宣告に対する13人全員の感情表現絵の主題は、キリストが「この中の一人が私を裏切る」と告げた直後の瞬間です。ダ・ヴィンチは驚き、否定し、問い返す弟子たち一人一人の異なる感情を描き出すことにこだわりました。裏切り者ユダの顔がなかなか描けず、苦情を言う修道院長の顔を使おうとしたという皮肉な逸話も残されています。③完璧主義ゆえの致命的ミスと剥落の歴史当時の壁画の主流だったフレスコ画法は、漆喰が乾く前に一日で描き切る必要がありました。しかし、じっくり修正しながら描きたいダ・ヴィンチはこの技法を拒否し、独自の混合技法を採用します。その結果、完成から20年足らずで絵の剥落が始まり、現在残っているのは度重なる修復を経た姿となっています。■ 関連年表1495年頃: ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院にて『最後の晩餐』制作開始1498年頃: 『最後の晩餐』が完成1510年代後半: 独自の混合技法が原因で、完成から20年足らずで早くも剥落が目立ち始める🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!https://www.patreon.com/c/ijinden/posts▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちらhttps://kikinagashi-ijinden.web.app/更新日時: 月・火・木・金曜日の18時に更新中。Hosted by: 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai)※内容は諸説あります

    10 min
  2. #652【レオナルド・ダ・ヴィンチ】画家なのに軍事のスキルを売り込んだ?ミラノで始まった新たな挑戦

    2d ago

    #652【レオナルド・ダ・ヴィンチ】画家なのに軍事のスキルを売り込んだ?ミラノで始まった新たな挑戦

    本日のテーマ:「幻の巨大騎馬像とミラノの現実:ダ・ヴィンチはいかにして軍事都市に食い込んだか」1482年、30歳のダ・ヴィンチは芸術の都フィレンツェを去り、軍事都市ミラノへと向かいます。権力者スフォルツァへ宛てた軍事技師としての売り込みから、戦争の犠牲となった幻の7メートル級巨大騎馬像まで、波乱のミラノ時代前半戦を紐解きます。👇今回の見出し👇ミラノ移住から最初の大仕事まで/軍事と産業の都ミラノ/支配者ロドヴィコ・スフォルツァ/10項目にわたる売り込み書簡/軍事・土木・工学の徹底アピール/絵画と彫刻の実績は最後の一行/求められる役割を見抜く現実認識/フィレンツェを去った2つの理由/新興政権の気風と実用技術への投資/使節のコネを利用した就職活動/最初の仕事は宮廷の音楽家・エンターテイナー/舞台装置や謎かけへの没頭/フランチェスコ・スフォルツァの騎馬像/高さ約7メートルの前代未聞のスケール/馬の解剖学的研究と緻密なスケッチ/鋳造技術の研究と炉の設計/70トンの実物大粘土模型の公開/フランス軍侵攻によるブロンズの大砲転用/ガスコーニュ兵の的となって消えた傑作/喪失と並行して生まれた『最後の晩餐』👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇①芸術家から軍事技師への自己プロデュースダ・ヴィンチはミラノの権力者スフォルツァに対し、大砲や装甲車の設計など軍事・土木技術を前面に出した10項目の売り込み書簡を送りました。芸術の都フィレンツェとは異なり、戦争の絶えないミラノが何を求めているかを正確に見抜いた、彼の鋭い現実認識が伺えます。②エンターテイナーとしての宮廷デビュー軍事技師として自らを売り込んだにもかかわらず、ミラノで最初に与えられたのは宮廷の宴会を盛り上げる音楽家やエンターテイナーとしての役割でした。しかし彼はプライドに縛られることなく、宴会の謎かけや舞台装置の設計などにも純粋な好奇心を持って本気で取り組んでいました。③戦争に消えた幻の巨大騎馬像スフォルツァ家から高さ約7メートルにおよぶ巨大な騎馬像の制作を依頼され、馬の解剖から鋳造炉の設計まで並外れた執念で取り組みました。しかし、実物大の粘土模型を完成させた矢先にフランス軍が侵攻。用意されたブロンズは大砲に回され、模型も兵士の的として破壊される悲劇的な結末を迎えました。■ 関連年表1482年: フィレンツェを離れミラノへ到着、スフォルツァに売り込み書簡を送付1493年: スフォルツァ家の祝典にて、高さ約7メートルの騎馬像の粘土模型が公開される1494年: フランス軍がイタリア侵攻を開始、騎馬像用のブロンズが大砲に転用される1499年: フランス軍がミラノを占領、放置された騎馬像の粘土模型が破壊される🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!https://www.patreon.com/c/ijinden/posts▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちらhttps://kikinagashi-ijinden.web.app/更新日時: 月・火・木・金曜日の18時に更新中。Hosted by: 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai)※内容は諸説あります

    13 min
  3. #651【レオナルド・ダ・ヴィンチ】フィレンツェ最高の工房へ弟子入り!天才レオナルド成長の舞台裏

    4d ago

    #651【レオナルド・ダ・ヴィンチ】フィレンツェ最高の工房へ弟子入り!天才レオナルド成長の舞台裏

    本日のテーマ:「天才はいかにして覚醒したか?ダ・ヴィンチのヴェロッキオ工房時代と未完の大作」今回は、ダ・ヴィンチが14歳で入門したヴェロッキオ工房時代を深掘りします。師匠に筆を折らせた伝説の天使の絵や、貴族を魅了した即興演奏の才能、そしてフィレンツェを去る際に大作をあえて未完のまま放棄した理由など、野心ではなく純粋な探求心で動き続けた若き日の軌跡に迫ります。👇今回の見出し👇ヴェロッキオ工房時代の深掘り/14歳から約15年間の軌跡/メディチ家御用達のマルチ工房/ペルジーノやボッティチェリとの交流/才能が集結する伝説的スタートアップ環境/職人の下積みと『洗礼者ヨハネの洗礼』/師匠を超えた別次元の天使/野心ではなく純粋な探求心が生んだ結果/リュートと即興演奏の才能/身分の壁を越えて貴族の宴へ/20代後半での大作依頼/『東方三博士の礼拝』と『聖ヒエロニムス』/完成よりも次の問いを優先/ウフィツィ美術館に残る未完の傑作/下絵から透けて見える革新的な設計思想/1482年・30歳でミラノへ/スケールの大きな仕事を求めて/未完ゆえに永遠に残された痕跡👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇①ルネサンスの中心地・ヴェロッキオ工房ダ・ヴィンチが14歳で入門したヴェロッキオの工房は、メディチ家御用達であり、絵画から建築装飾までを手がけるフィレンツェ随一のマルチ工房でした。ペルジーノやボッティチェリなど、後に歴史に名を残す同世代の才能が集結していました。②師匠を超えた『キリストの洗礼』工房での修業時代、ダ・ヴィンチは師匠ヴェロッキオの大作の左端にいる天使を描くことを任されました。しかし、その技術があまりにも突出していたため、自らの才能の限界を悟った師匠が「二度と絵筆を持たない」と宣言したという逸話が残されています。これは彼が野心から描いたわけではなく、対象への純粋な好奇心が生み出した結果でした。③2つの大作の放棄とミラノへの旅立ち20代後半になり『東方三博士の礼拝』などの大作の依頼を受けますが、ダ・ヴィンチはこれらを未完のまま放棄し、30歳でミラノへ旅立ちます。フィレンツェでは叶わない軍事工学や大規模建築への関心が強まったためとされますが、完成させずに去ったことで、彼の下絵の革新的な設計思想が現代にまで生々しく残ることになりました。■ 関連年表1466年頃: 14歳でヴェロッキオの工房に弟子入り1470年代: ヴェロッキオの大作『洗礼者ヨハネの洗礼』の天使を担当1481年頃: 20代後半で『東方三博士の礼拝』などの制作を開始1482年頃: 依頼された大作を未完のまま残し、30歳でミラノへ移住🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!https://www.patreon.com/c/ijinden/posts▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちらhttps://kikinagashi-ijinden.web.app/更新日時: 月・火・木・金曜日の18時に更新中。Hosted by: 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai)※内容は諸説あります

    11 min
  4. #650【レオナルド・ダ・ヴィンチ】持たざる者として生きた少年!天才を生んだ数奇な前半生

    5d ago

    #650【レオナルド・ダ・ヴィンチ】持たざる者として生きた少年!天才を生んだ数奇な前半生

    本日のテーマ:「天才の原点と孤独:私生児のダ・ヴィンチを形作った持たざる前半生」今回はレオナルド・ダ・ヴィンチの前半生に迫ります。公証人の父と農民の母の間に私生児として生まれ、職業の制限や母との別離、そしてソドミー容疑による空白の2年間など、彼の圧倒的な好奇心の燃料となった数々の試練を紐解きます。👇今回の見出し👇レオナルド・ダ・ヴィンチの生い立ち/1452年イタリア・ルネサンス/メディチ家の芸術支援/公証人の父と農民の娘の母/私生児としての誕生/母カテリーナとの別離/ミラノ時代における母との再会と葬儀/異様に鋭い観察眼とスケッチ/私生児ゆえの知的職業の制限/14歳でヴェロッキオ工房へ弟子入り/絵画・彫刻から解剖学までの修業/解剖学への果てしない探求心/24歳で起きたソドミー容疑の告発/死刑もあり得た重罪と不起訴/謎に包まれた2年間の空白/空白期間を経た代表作の制作への着手/持たざる者の好奇心/奪われたものが燃料になる人生👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇①ルネサンス期のフィレンツェとメディチ家1452年当時のフィレンツェはヨーロッパ最大級の金融都市でした。大富豪であるメディチ家がパトロンとして文化や芸術に多額の資金を注ぎ込んでおり、ダ・ヴィンチのような才能ある芸術家が多数輩出される土壌がありました。②私生児という出自と職業制限ダ・ヴィンチは公証人の父と農民の母との間に婚外子(私生児)として生まれました。当時の法律では私生児は医師や公証人などの知的職業に就くことが制限されていたため、腕一本で生きる芸術工房へと進むことになりました。③ヴェロッキオ工房での修業と解剖学への目覚め14歳でフィレンツェ屈指の芸術家ヴェロッキオの工房に弟子入りしました。ここでは絵画や彫刻だけでなく、人体を正確に描くための筋肉や骨格の知識(解剖学)も職人として求められ、これが彼の果てしない探求心に火をつけるきっかけとなりました。④24歳でのソドミー容疑と空白の2年間24歳の時、匿名の告発により同性愛の罪(ソドミー容疑)をかけられます。有罪なら死刑もあり得る重罪でしたが、2ヶ月後に証拠不十分で不起訴となります。しかしその後、約2年間にわたり活動記録が完全に途絶える謎の空白期間が存在します。■ 関連年表1452年: フィレンツェ近郊のヴィンチ村で誕生1466年頃: 14歳でヴェロッキオの工房に弟子入り1476年: 24歳でソドミー容疑で告発される(後に不起訴)1476年〜: 約2年間の空白期間に入る1490年代: 40代のミラノ時代に母カテリーナを引き取り共に暮らす🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!https://www.patreon.com/c/ijinden/posts▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちらhttps://kikinagashi-ijinden.web.app/更新日時: 月・火・木・金曜日の18時に更新中。Hosted by: 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai)※内容は諸説あります

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  5. #649 ゼロから分かるレオナルド・ダ・ヴィンチ!流浪の果てに伝説となった天才の生涯

    Jun 12

    #649 ゼロから分かるレオナルド・ダ・ヴィンチ!流浪の果てに伝説となった天才の生涯

    本日のテーマ:「本当の天才?レオナルド・ダ・ヴィンチ67年の波乱万丈な生涯」今回は「万能の天才」レオナルド・ダ・ヴィンチの全生涯を解説します。私生児という不遇な出自から始まり、戦争やパトロンの失脚を乗り越え、最後はフランス王に「存在するだけでいい」と言わしめた彼の、泥臭くも圧倒的な生き様に迫ります。👇今回の見出し👇レオナルド・ダ・ヴィンチの全生涯/ルネサンス全盛期/1452年ヴィンチ村生まれ/公証人の父と私生児という出自/ヴェロッキオの工房へ弟子入り/師匠を絶望させた天使の絵/軍事技師としてミラノへ売り込み/雇い主はロドヴィコ・スフォルツァ/次元が違う『最後の晩餐』/掟破りの死体解剖と探求心/フランス軍侵攻によるミラノ陥落/チェーザレ・ボルジアの軍事顧問/権力者を渡り歩く流浪の時代/未完の大作『モナ・リザ』/死ぬまで手放さなかった謎/フランス王フランソワ1世の招待/クロ・リュセ城での晩年/ただ存在するだけでいい/生き延びた天才の軌跡/次回は生い立ち深掘り編👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇①私生児という出自と工房への弟子入り公証人の父を持ちながらも私生児として生まれたため、当時の法律によって職業の選択肢が制限されていました。しかし10代でフィレンツェの著名な画家ヴェロッキオの工房へ弟子入りし、師匠が筆を折るほどの圧倒的な画力を発揮して人生の転機を迎えます。②画家ではなく軍事技師?ミラノでの活躍20代後半で戦争の渦中にあるミラノへ移住し、権力者スフォルツァに対し大砲や戦車が作れる軍事技師として自身を売り込みました。約18年のミラノ時代には、遠近法を駆使した名作『最後の晩餐』を描いたほか、法を犯してまでの人体解剖など常軌を逸した探求心を見せました。③パトロンの失脚と生き延びるための流浪フランス軍の侵攻でミラノが陥落すると、後ろ盾を失ったダ・ヴィンチはイタリア各地を転々とする流浪の時代に入ります。恐れられた軍人チェーザレ・ボルジアの顧問を務めるなど、権力者を渡り歩きながら激動の時代をしたたかに生き抜きました。■ 関連年表1452年: フィレンツェ近郊のヴィンチ村で誕生1482年頃: フィレンツェを離れミラノへ移住、ロドヴィコ・スフォルツァに仕える1490年代: ミラノにて『最後の晩餐』を制作1499年: フランス軍の侵攻によりミラノが陥落、流浪の時代へ入る1503年頃: フィレンツェにて『モナ・リザ』の制作を開始1516年: フランス王フランソワ1世の招きで、ロワール渓谷のクロ・リュセ城へ移住1519年: フランスにて死去(享年67歳)🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!https://www.patreon.com/c/ijinden/posts▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちらhttps://kikinagashi-ijinden.web.app/更新日時: 月・火・木・金曜日の18時に更新中。Hosted by: 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai)※内容は諸説あります

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  6. #647【玄奘】死ぬまで翻訳の筆を止めなかった!75部1335巻を訳し続けた晩年

    Jun 9

    #647【玄奘】死ぬまで翻訳の筆を止めなかった!75部1335巻を訳し続けた晩年

    本日のテーマ:「死の直前まで続いた19年の翻訳事業!『般若心経』と信念の完結」17年の旅を経て長安に凱旋した玄奘は、還俗の誘いを断り、死の直前まで19年間にわたる壮絶な翻訳作業に没頭します。75部1335巻を訳し、『般若心経』を後世に残した彼の生涯と信念の完結に迫ります。👇今回の見出し👇翻訳の19年間/長安・大慈恩寺/サンスクリットの原典/旧訳と新訳/75部1335巻/月に1冊以上のペース/太宗の狩りの誘いを拒否/『大般若経』600巻/文庫本数百冊分の規模/省略の進言/悪夢と全訳の決意/翻訳終了と体調の悪化/命が尽きる知らせの夢/筆を置く決断/664年2月の入滅/持ち帰るだけでなく使えるものに/翻訳がバラバラ問題の答え/36年越しの問題解決/般若心経/色即是空 空即是色/1400年後の日本への影響/ブレない信念の完結👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇①19年に及ぶ壮絶な翻訳作業と新訳の誕生帰国した玄奘は長安の大慈恩寺に拠点を構え、自らサンスクリットの原典を読み上げ、弟子が書き取る体制で翻訳を開始しました。訳語の最終決定はすべて彼自身が行い、その圧倒的な正確さと質の高さから、玄奘以前の翻訳を旧訳、以降を新訳と呼ぶほどの歴史的転換点となりました。②皇帝の誘いも断り、全訳を貫いた『大般若経』19年間で当時の中国の翻訳仏典の4分の1に相当する75部1335巻を訳した玄奘。太宗からの狩りの誘いすら断って没頭し、晩年に着手した600巻にも及ぶ『大般若経』では、弟子の省略案を「原典の意味が変わる」と退け、一字も省かない全訳を成し遂げました。③玄奘の最期と現代に生き続ける『般若心経』『大般若経』の翻訳を終えた直後、命の終わりを悟る夢を見た玄奘はついに筆を置き、664年2月に亡くなります。長安密出国から36年、「正しい仏教を伝える」という彼の信念の結晶は、私たちがよく知る『般若心経』の「色即是空 空即是色」という言葉として、1400年経った今の日本にも生き続けています。■ 関連年表645年: 長安の大慈恩寺にて経典の翻訳を開始する663年: 晩年の大事業である『大般若経』600巻の全訳を完成させる664年: 命の終わりを悟って筆を置き、2月に入滅する🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!https://www.patreon.com/c/ijinden/posts▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちらhttps://kikinagashi-ijinden.web.app/更新日時: 月・火・木・金曜日の18時に更新中。Hosted by: 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai)※内容は諸説あります

    10 min
  7. #646【玄奘】死を覚悟で出国した旅!17年後に英雄となった玄奘の帰還

    Jun 8

    #646【玄奘】死を覚悟で出国した旅!17年後に英雄となった玄奘の帰還

    本日のテーマ:「17年ぶりの凱旋と生涯を懸けた翻訳の旅!信念と結果が作った伝説」密出国から17年。大論戦で勝利し大乗天の称号を得た玄奘は、膨大な経典と共に長安へ帰還します。皇帝・太宗との対面、還俗の誘いの拒絶、そして死の直前まで19年間続いた翻訳作業。最後までブレなかった信念の生涯を締めくくります。👇今回の見出し👇大論戦からの帰国/17年ぶりの長安帰還/経典657部/象と馬の帰路/数十万の市民の歓迎/唐の太宗・李世民/密出国の追及/正直な告白/還俗と補佐の要請/翻訳の使命と拒絶/凱旋の構造/覚悟と結果の絡み合い/諦めなかった旅路/大慈恩寺での翻訳/19年間の徹底作業/75部1335巻/中国翻訳仏典の4分の1/旅に17年、翻訳に19年/正しい仏教を持ち帰る/ブレない信念の完結👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇①17年ぶりの長安凱旋と大熱狂643年にインドを発った玄奘は、経典657部や仏像などを携え、象や馬を連れた大規模な行列で645年に長安へ帰還しました。密出国をしたかつての犯罪者は、街道に数十万の市民が溢れかえるほどの熱狂的な歓迎を受け、英雄としての凱旋を果たします。②皇帝・太宗との対面と還俗の拒絶唐の皇帝・太宗(李世民)に謁見した玄奘は、過去の密出国の理由を「志が強く待てなかった」と正直に告白します。太宗はその熱意と持ち帰った圧倒的な成果を前に罪を問わず、還俗して自らを補佐するよう求めましたが、玄奘は「翻訳の使命がある」としてキッパリと断りました。③覚悟と結果の証明、そして19年の翻訳作業玄奘が英雄として迎えられたのは「諦めずに進み続けた覚悟」と「経典や称号という結果」の両方があったからです。帰国後、彼は大慈恩寺に拠点を置き、死の直前までの19年間を翻訳に捧げました。当時の中国仏典の4分の1にあたる75部1335巻を訳し、「正しい仏教を伝える」という初志を生涯貫き通しました。■ 関連年表627年: 玄奘、長安を密出国してインドへの旅に出発643年: 大論戦で勝利を収めた後、膨大な経典と共にインドを出発645年: 17年ぶりに長安に凱旋。太宗に謁見し、大慈恩寺で翻訳を開始664年: 帰国から19年後、生涯にわたる翻訳作業の末に没する🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!https://www.patreon.com/c/ijinden/posts▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちらhttps://kikinagashi-ijinden.web.app/更新日時: 月・火・木・金曜日の18時に更新中。Hosted by: 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai)※内容は諸説あります

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