歴史を紐解く!聞き流し偉人伝

ナスとカイ

「人から紐解く、ドラマチックな世界史」をコンセプトに ・ファンタジーではなく生々しい ・学問ではなくエンタメとしての 心揺さぶられるストーリーとしての世界史をお届けします!(したい!) 歴史好きの社会人2人がゆるゆるおしゃべりしています。 少しでも面白いと思っていただけたら、チャンネル登録やフォローお願いします! ▼下記からサポートのご参加を頂けますと幸いです! https://www.patreon.com/c/ijinden/posts ▼番組への感想やご意見はこちらからお願いします! https://forms.gle/pBpM7Zgs2BskExmJ7 【週5投稿】 平日18時にアップします。 Hosted by 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai) BGM:We_are_Friends! カバーアート作成:ynamnemsc様(instagram→https://x.gd/u0tON)

  1. #635【モルトケ】戦う前から勝負あり!?18日で38万を動かした異次元の動員作戦とは

    13H AGO

    #635【モルトケ】戦う前から勝負あり!?18日で38万を動かした異次元の動員作戦とは

    本日のテーマ:「ビスマルクの罠とモルトケの驚異の動員力!普仏戦争が開幕」今回はモルトケのキャリア最大の舞台となる普仏戦争の前半戦を解説します。ビスマルクの巧妙な外交術によってフランスから宣戦布告を引き出し、モルトケが準備した鉄道網で38万の大軍をわずか18日で展開。最強と謳われたフランス陸軍を圧倒的なスピードで追い詰めていくプロイセン軍の戦略に迫ります。👇今回の見出し👇普仏戦争が開幕/モルトケ最大の舞台/大陸最強のフランス陸軍/フランスからの宣戦布告/ナポレオン3世の焦り/国内支持率の低下/スペイン王位継承問題/ビスマルクの罠/意図的に編集された文書/世論の爆発/防衛戦争という名目/驚異的な動員計画/38万の兵を18日で展開/鉄道ネットワークの勝利/混乱するフランス軍/大規模な分進合撃/フランス軍の分断/マクマオン将軍/メッス要塞に閉じ込められたバゼーヌ将軍/皇帝みずから前線へ/次回はセダン包囲戦👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇①普仏戦争の開戦とビスマルクの罠普墺戦争以降、ヨーロッパでの発言力と国内支持率の低下に焦るフランスのナポレオン3世に対し、プロイセンの宰相ビスマルクは「スペイン王位継承問題」を利用して罠を仕掛けます。交渉のやり取りを意図的に編集してフランス世論を激高させ、フランス側から宣戦布告させることで、見事に防衛戦争の形を作り上げました。②モルトケの驚異的な動員力開戦直後、モルトケが長年かけて綿密に作り上げていた鉄道網による動員計画が発動します。宣戦布告からわずか18日間で38万もの大軍をライン川沿いに展開するという、当時のヨーロッパでは前例のないスピードを実現。兵士が自力で集合し混乱していたフランス軍に対し、開戦前から圧倒的な優位に立ちました。③フランス軍の分断とナポレオン3世の出陣開戦後、プロイセン軍は3方向に分かれて進撃する大規模な分進合撃を実施します。これによりフランス軍は押し込まれ、マクマオン将軍の部隊とメッス要塞に閉じ込められたバゼーヌ将軍の部隊に分断されてしまいます。内政的に後がないナポレオン3世は自ら前線へと赴きますが、結果的にこれがモルトケに皇帝ごと包囲するという絶好のチャンスを与えてしまうことになります。■ 関連年表1866年: 普墺戦争終結(これ以降、フランスのナポレオン3世が焦りを抱き始める)1870年7月: ナポレオン3世がプロイセンに宣戦布告し、普仏戦争が勃発1870年8月: プロイセン軍が進撃を開始、大規模な分進合撃によりフランス軍が分断される🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!https://www.patreon.com/c/ijinden/posts▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちらhttps://kikinagashi-ijinden.web.app/更新日時: 月・火・木・金曜日の18時に更新中。Hosted by: 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai)※内容は諸説あります

    10 min
  2. #634【モルトケ】机上の戦略が現実になる!二つの戦争で動き出したプロイセン快進撃の始まり

    1D AGO

    #634【モルトケ】机上の戦略が現実になる!二つの戦争で動き出したプロイセン快進撃の始まり

    本日のテーマ:「常識を覆すモルトケの戦術!デンマーク戦争と普墺戦争で見せた分進合撃」今回はモルトケが参謀総長として初めて実戦指揮を執ったデンマーク戦争と、彼の戦略が完全な形で炸裂した普墺戦争について解説します。鉄道と電信を駆使した分進合撃がいかにしてヨーロッパの軍事の常識を覆したのか、その全貌に迫ります。👇今回の見出し👇モルトケの戦略が実戦で炸裂/デンマーク戦争はウォームアップ/64歳での初陣/シュレスヴィヒ問題/プロイセンとオーストリアの同盟/5ヶ月でデンマーク降伏/鉄道輸送のシステムテスト/1866年普墺戦争勃発/ドイツ統一の主導権争い/ビスマルクの外交術/当時の常識「集結してから進撃」/モルトケの「分進合撃」/各個撃破のリスク/ケーニヒグレーツの戦い/44万人が1日で激突/圧倒的な損害の差/ドライゼ銃(後装式ライフル)の威力/七週間戦争の衝撃/ナポレオン3世の誤算/次回は普仏戦争へ👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇①デンマーク戦争とシュレスヴィヒ問題デンマークとドイツの国境付近にあるシュレスヴィヒの帰属を巡り、プロイセンとオーストリアが連合してデンマークと戦った戦争です。モルトケにとっては、鉄道を利用した軍隊輸送計画が実戦で機能するかを確認する「テストラン」となりました。② 普墺戦争と分進合撃ドイツ統一の主導権を巡るプロイセンとオーストリアの戦争です。ここでモルトケは、軍隊を3方向に分けて進撃させ、決戦地点でのみ合流させる分進合撃という当時の常識を覆す作戦を採用しました。鉄道と電信の活用により、大軍の移動問題を解決しました。③ ケーニヒグレーツの戦いとドライゼ銃普墺戦争の最大の激戦で、両軍合わせて44万人が激突しました。モルトケの緻密な包囲戦略に加え、プロイセン軍は伏せて装填できる後装式ライフルを採用していたため、オーストリア軍に5倍近い損害を与え、わずか7週間で戦争を終結させました。■ 関連年表1864年: デンマーク戦争が勃発(モルトケ64歳の初陣)1866年6月: 普墺戦争が開戦1866年7月3日: ケーニヒグレーツの戦いでプロイセン軍が大勝1866年8月: プラハ条約が結ばれ普墺戦争が終結(七週間戦争)1870年: 普仏戦争が勃発(次回のテーマ)🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!https://www.patreon.com/c/ijinden/posts▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちらhttps://kikinagashi-ijinden.web.app/更新日時: 月・火・木・金曜日の18時に更新中。Hosted by: 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai)※内容は諸説あります

    16 min
  3. #633【モルトケ】遅咲きの天才誕生!57歳で表舞台に立つまでの静かな前半生

    4D AGO

    #633【モルトケ】遅咲きの天才誕生!57歳で表舞台に立つまでの静かな前半生

    本日のテーマ:「「7カ国語で沈黙できる男」遅咲きの天才モルトケ、57歳での参謀総長就任」いよいよモルトケ本人の生涯に迫ります。デンマークでの幼少期から、ひたすら地図と文章に向き合った地味な前半生を経て、57歳で参謀総長に抜擢されるまでの軌跡と、彼が着手した革新的な軍事改革を解説します。👇今回の見出し👇モルトケ本人の生涯/地味な前半生/1800年生まれの貧乏貴族/デンマーク軍将校の父/コペンハーゲン士官学校首席/地図と文章への異常な才能/22歳でプロイセン軍へ転籍/ベルリン陸軍大学校/小説が売れる軍人/参謀本部での20年/オスマン帝国への派遣/7カ国語で沈黙できる男/55歳での転機/皇太子の副官/57歳で参謀総長就任/権力を欲しがらない男/鉄道動員計画の整備/訓令戦術の浸透/考える軍隊の完成/次回は実戦編👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇① モルトケの前半生と知られざる素顔デンマークで育ち、士官学校を首席で卒業後、プロイセン軍へ転籍します。軍事専門の学者のような人物で、歴史や哲学を読み漁り、小説を書いて出版するほどの文才や、多国語を操る卓越した才能を持っていました。② 7カ国語で沈黙できる男と57歳での大抜擢寡黙で自己アピールをしない性格から皮肉めいた異名を取ったモルトケですが、精密な作戦計画と地図製作の能力が上官の目に留まり、55歳で皇太子の副官に。そして57歳という遅咲きで参謀総長に就任します。③ 参謀総長としての2つの大改革就任後、モルトケは鉄道を用いた緻密な動員計画の調査・整備と、細かい命令を出さず目的だけを与えて現場に判断させる戦術の浸透に着手します。ナポレオン敗北以来の目標だった考える軍隊の基盤を完成させました。■ 関連年表1800年: モルトケがドイツ北部の貧乏貴族の家に誕生1822年: デンマーク軍からプロイセン軍へ転籍(22歳)1855年: 皇太子フリードリヒ・ヴィルヘルムの副官に任命される(55歳)1857年: プロイセン軍の参謀総長に就任(57歳)🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!https://www.patreon.com/c/ijinden/posts▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちらhttps://kikinagashi-ijinden.web.app/更新日時: 月・火・木・金曜日の18時に更新中。Hosted by: 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai)※内容は諸説あります

    9 min
  4. #632【モルトケ】すべてはナポレオンへの敗北から始まった!プロイセンが近代軍へ生まれ変わった理由

    5D AGO

    #632【モルトケ】すべてはナポレオンへの敗北から始まった!プロイセンが近代軍へ生まれ変わった理由

    本日のテーマ:「ナポレオンに敗れた屈辱から世界最強へ。モルトケを生んだプロイセン軍事革命」ナポレオンに完敗し、国家崩壊の危機に陥ったプロイセン。そこからわずか60年でなぜ最強の軍事大国へ返り咲けたのか?モルトケという天才が活躍する舞台を整えた参謀本部の創設と産業革命の衝撃を解説します。👇今回の見出し👇プロイセンの黄金期と劣化/フリードリヒ大王の死/ナポレオンの衝撃/イエナの戦い/一日で主力壊滅/人間機械vs考える兵士/市民兵の柔軟性/軍制改革の始動/シャルンホルストとグナイゼナウ/身分制度の廃止/能力主義の導入/参謀本部の発明/戦略の専門家集団/平時のシミュレーション/産業革命の直撃/鉄道による高速移動/電信による通信革命/分散進撃と同時集中/敗北が作った天才の舞台/57歳の参謀総長👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇① 人間機械の限界とナポレオンの衝撃かつて最強を誇ったプロイセン軍は、命令通りに動く「人間機械」のような組織でしたが、自ら判断して戦うナポレオンの「市民兵」に完敗しました。1806年のイエナの戦いでの壊滅的な敗北を受け、プロイセンは「兵士に考えさせる」柔軟な軍隊への作り直しを余儀なくされます。② 近代軍事の心臓「参謀本部」の発明敗北の反省から生まれた最大の発明が、戦争を専門に考える頭脳集団「参謀本部」です。戦争が起きてから考えるのではなく、平時から地図や統計を分析し、緻密な作戦を練り続ける専門職を育成。これが現代の組織経営にも通じる「戦略立案の専門部隊」の雛形となりました。③ 産業革命による移動と通信の革命19世紀半ばに登場した鉄道と電信は、戦争のルールを激変させました。数万の兵を疲れさせず数日で運ぶ「鉄道」と、遠く離れた部隊へ一瞬で命令を届ける「電信」。この2つの技術を参謀本部の戦略に組み込むことで、敵を圧倒するスピードと包囲戦術が可能になったのです。■ 関連年表1786年: フリードリヒ大王死去。プロイセン軍の硬直化が始まる1806年: イエナの戦い。ナポレオン軍によりプロイセン軍が一日で壊滅1807年: プロイセン改革(軍制改革)が始まり、参謀本部の原型が誕生1830年代: ヨーロッパ各地で鉄道網の整備が加速1840年代: 電信が実用化され、情報の即時伝達が可能になる1857年: モルトケが57歳でプロイセン参謀総長に就任🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!https://www.patreon.com/c/ijinden/posts▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちらhttps://kikinagashi-ijinden.web.app/更新日時: 月・火・木・金曜日の18時に更新中。Hosted by: 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai)※内容は諸説あります

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  5. #631 ゼロから分かるモルトケ!鉄道と包囲戦術で戦争の形を変えた近代参謀の父

    MAY 12

    #631 ゼロから分かるモルトケ!鉄道と包囲戦術で戦争の形を変えた近代参謀の父

    本日のテーマ:「超略モルトケ:戦場に出る前に勝利を確定させた『近代参謀の父』」19世紀、プロイセンを軍事大国へと押し上げ、ドイツ統一を実現させた天才戦略家モルトケ。鉄道と電信を駆使した革命的な参謀制度とは?戦略で戦争を終わらせたと言われる彼の驚異的な功績を、その生涯とともにざっくり解説します。👇今回の見出し👇ヘルムート・フォン・モルトケ/近代参謀制度の父/プロイセン/ドイツ統一/ビスマルクとのコンビ/鉄道と電信/迅速な動員/包囲戦術/デンマーク戦争/普墺戦争/七週間戦争/ケーニヒグレーツの戦い/普仏戦争/セダンの戦い/ナポレオン3世の降伏/ヴェルサイユ宮殿での帝国宣言/二正面作戦の警告/90歳の現役/戦略家/超略👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇①近代参謀制度の確立モルトケは、軍の頭脳集団である参謀本部の役割を劇的に進化させました。前線での個人的な勇猛さや運に頼るのではなく、高度な教育を受けた専門家集団が事前に緻密な作戦を立て、地図と情報を駆使して軍をコントロールする。この現代軍事のスタンダードを形作ったのが彼でした。②産業革命の軍事応用彼は当時普及し始めた鉄道を、兵力を素早く大量に動かすための最強のツールとして活用しました。普仏戦争では38万もの大軍をわずか18日で展開させるという、当時の世界記録レベルの速さを実現。敵が準備を整える前に包囲を完成させる速度の勝利を確立しました。③勝ってもなお冷静な予言者3つの戦争に全勝し、ドイツ帝国の立役者となったモルトケですが、晩年は非常に冷静でした。将来の戦争がフランスとロシアに挟まれた二正面作戦になり、泥沼化することを警告。彼が死の直前に予言した通り、数十年後に始まった第一次世界大戦はまさに長期戦となりました。■ 関連年表1800年: ドイツ北部の貴族の家に誕生1857年: プロイセン軍の参謀総長に就任1864年: デンマーク戦争(ドイツ統一への第一歩)1866年: 普墺戦争(七週間戦争)。ケーニヒグレーツの戦いでオーストリアに圧勝1870年: 普仏戦争開始。セダンの戦いでナポレオン3世を捕虜にする1871年: ヴェルサイユ宮殿にてドイツ帝国の成立が宣言される1891年: 90歳で死去。最後まで現役の指導者として活動🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!https://www.patreon.com/c/ijinden/posts▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちらhttps://kikinagashi-ijinden.web.app/更新日時: 月・火・木・金曜日の18時に更新中。Hosted by: 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai)※内容は諸説あります

    16 min
  6. #629【源平合戦】なぜ義経は殺されたのか?源平合戦の英雄が辿った転落と最期

    MAY 8

    #629【源平合戦】なぜ義経は殺されたのか?源平合戦の英雄が辿った転落と最期

    本日のテーマ:「戦の天才、悲劇の終焉。源義経の最期と奥州藤原氏の滅亡」ついに完結。源平合戦の英雄・源義経の最期を紐解きます。兄・頼朝による暗殺計画、全国を逃げ回る逃亡生活、そして安宅の関の伝説を経てたどり着いた奥州。しかし、そこには残酷な結末が待っていました。義経の死が、なぜ鎌倉幕府誕生の最後のピースとなったのか。その人間ドラマに迫ります。👇今回の見出し👇義経の転落/土佐坊昌俊/暗殺計画/兄弟の決裂/頼朝追討の宣旨/後白河法皇の思惑/兵が集まらない現実/西国への逃亡/嵐と難破/静御前との別れ/逃亡生活/山伏への変装/安宅の関/勧進帳/弁慶の機転/奥州平泉/藤原秀衡の遺言/藤原泰衡の裏切り/衣川の戦い/弁慶の立ち往生/義経自害👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇①埋まらない溝と暗殺の刺客京都へ戻った義経に対し、頼朝は刺客・土佐坊昌俊を送り込みます。この襲撃をきっかけに義経は頼朝追討の宣旨を朝廷から引き出しますが、頼朝が築いた鎌倉の秩序を望む武士たちは義経に味方せず、逆に義経は逆賊として追われる身となりました。②伝説に彩られた北陸逃亡劇西国への脱出に失敗した義経は、かつての恩人・藤原秀衡を頼り奥州を目指します。この逃避行の中で生まれたのが、山伏に変装して関所を突破する「安宅の関(勧進帳)」のエピソードです。主君を打ってまで守ろうとした弁慶の忠義は、後世の創作を交えながら今も語り継がれています。③頼朝の圧力と奥州藤原氏の終焉平泉で義経を庇護していた藤原秀衡が没すると、跡を継いだ泰衡は頼朝の軍事的圧力に屈します。「義経を討たねば奥州を滅ぼす」という脅しに屈した泰衡は、ついに父の遺言を破って義経の館を襲撃。義経は31歳の若さで妻子とともに自害しました。④鎌倉幕府の完成と義経の役割義経の死後、頼朝は「義経を匿った罪」を理由に結局奥州藤原氏を攻め滅ぼします。これにより全国の武士を完全に掌握した頼朝は、1192年に征夷大将軍となり鎌倉幕府を盤石なものにしました。義経の悲劇的な死は、皮肉にも新しい時代の幕開けを決定づけるものとなったのです。■ 関連年表1185年 10月: 土佐坊昌俊による義経襲撃事件が発生1185年 11月: 義経、頼朝追討の宣旨を受けるも兵が集まらず京都を脱出1187年 2月: 義経、奥州平泉にたどり着く1187年 10月: 奥州の雄・藤原秀衡が死去1189年 閏4月: 衣川の戦い。源義経、自害(享年31歳)1189年 9月: 頼朝が奥州藤原氏を滅ぼす1192年: 源頼朝が征夷大将軍に任命され、鎌倉幕府が確立🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!https://www.patreon.com/c/ijinden/posts▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちらhttps://kikinagashi-ijinden.web.app/更新日時: 月・火・木・金曜日の18時に更新中。Hosted by: 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai)※内容は諸説あります

    12 min
  7. #628【源平合戦】英雄が追放される理由とは?頼朝と義経が対立した決定的瞬間

    MAY 7

    #628【源平合戦】英雄が追放される理由とは?頼朝と義経が対立した決定的瞬間

    本日のテーマ:「源平合戦の英雄・義経の転落。なぜ頼朝は最愛の弟を拒絶したのか?」平家を滅ぼした最大の功労者、源義経。しかし、勝利の先に待っていたのは兄・頼朝との決定的な決裂でした。組織の規律を重んじる政治家・頼朝と、「純粋な武人」であり続けた義経。二人の間に生じた致命的な思想のズレと、悲劇の腰越状について詳しく解説します。👇今回の見出し👇源頼朝/源義経/兄弟対立/思想の違い/武士のための政治/鎌倉幕府の構想/朝廷との距離感/戦の天才/政治的感覚の欠如/後白河法皇/無断任官/検非違使/組織のルール無視/分断工作の恐怖/三種の神器紛失/草薙剣/鎌倉入り拒否/腰越状/平宗盛/組織の規律👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇①兄弟の決定的な思想の乖離兄・頼朝は、鎌倉を拠点に武士が自立する新しい政治体制を築こうとする冷徹な政治家でした。対して義経は、旧来の朝廷の秩序を重んじ、天皇に認められることを純粋に喜ぶタイプの武士でした。この国家観の違いが、後の悲劇の根源となります。② 頼朝を激怒させた無断任官事件義経が頼朝に無断で、後白河法皇から検非違使という官位を受けたことが決定打となりました。頼朝にとって、家来が自分を飛び越えて朝廷と直接つながることは、武士団の統制を崩壊させる組織への反逆に他ならなかったのです。③ 政治的失点となった壇ノ浦の戦後処理軍事的には大勝利した義経ですが、戦いの中で三種の神器の一つ草薙剣を紛失したことや、安徳天皇を入水させてしまったことは、朝廷との交渉を有利に進めたかった頼朝にとって、源氏全体の信用に関わる重大な過失とみなされました。④悲劇の書状「腰越状」鎌倉入りを拒否された義経が、鎌倉の手前・腰越の地で書いた切実な嘆願書です。「自分に野心はなく、ただ兄のために戦った」と訴えますが、組織の規律を最優先する頼朝は、情に流されることなくこれを無視し、兄弟の縁は修復不可能となりました。■ 関連年表1185年 3月: 壇ノ浦の戦いで平家が滅亡1185年 4月: 義経が後白河法皇より検非違使に任ぜられる1185年 5月: 義経、平宗盛を連れて鎌倉へ向かうも、腰越で足止めされる1185年 6月: 義経、腰越状を執筆。しかし面会は叶わず京都へ引き返す🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!https://www.patreon.com/c/ijinden/posts▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちらhttps://kikinagashi-ijinden.web.app/更新日時: 月・火・木・金曜日の18時に更新中。Hosted by: 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai)※内容は諸説あります

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