LeoN Radio Sunrise レオンラジオ日の出

楠元純一郎&レオー

the podcast projected by 楠元純一郎&レオー。我らの文学+哲学+文化+法学。カバーアートの色で内容を区別しています。ximalayaからの引っ越し、順調に進んています。今後ともよろしくお願いいたします。

  1. Sep 23

    239 中勘助 銀の匙 167(後編15④) @ LeoN Radio 我らの文学

    日の出ラジオ 我らの文学240 中勘助『銀の匙』168(後編15⑤)> ラジオ収録20260923 作詞作曲 楠元純一郎 OP「水魚の交わり」、ED 「遺伝子の舟」司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)。 今日はお彼岸の中日。 <<43.5万回突破記念!ありがとうございます!>>   老僧がなくなつたのはそれから三年ばかり後のことであつた。 那之后不过三年,老僧人就去世了。   私は中学へはひるし、貞ちやんは奉公にでるし、寺とはいつとはなしにうち絶えてたがある晩突然 老僧がなくなつたから といふ使がきたので私は父といつしよに悔みにいつた。 <奉公(ほうこう)→住み込みで家事に従事すること。行儀見習い。いつとはなしに→いつの間にか。うち絶えて→関係が切れて。使(つかい)→命令や任務を受けて派遣される使者(ししゃ)。お悔(く)やみ→故人の死を悼(いた)み、悲しむ気持ちを伝える行動様式。> 我升上中学,小贞工作了,不知不觉,我已经很久不去寺里玩。一天晚上,突然有寺里的人来告诉我们老僧圆寂的消息。我和父亲一起出席了他的葬礼。   老僧はこれといふ病気もなくいはば寿命がつきたので、方方の住職になつてる昔のお弟子たちがかはるがはる世話をしてたのださうだ。 <寿命(じゅみょう)が尽きた→老衰。住職(じゅうしょく)→お寺の代表。弟子(でし)→師匠について学問・技芸・芸道の教えを受ける人。かわるがわる→交替交替で> 听说老僧人生前一直由各家寺院的住持轮流照料,他们都是老僧人的弟子。而他不是病逝,只是寿命到了,自然死亡。

    239 中勘助 銀の匙 167(後編15④) @ LeoN Radio 我らの文学
  2. Sep 15

    239 中勘助 銀の匙 167(後編15④) @ LeoN Radio 我らの文学

    我之前从未坐得离他这么近,紧张得浑身是汗。在这天之前,我已认定老僧会像石佛一样,摇一辈子的铃;如今我目不转睛地望着他,仿佛他的一举一动都带有珍稀的意味。 老僧は大きな硯をもちだして墨をすらせ、筆をとつてさらさらと糸瓜の絵をかいた。一枚の葉と、一本の蔓と、一つの糸瓜と。 <硯(すずり)→固形の墨(すみ)を水で磨(す)って液体にする書道用具。糸瓜(へちま)→インド原産の瓜科、ツル性の一年草。蔓(つる)→地面を這う、または他のものに絡みついて伸びる「つる」。> 老僧取出一只大砚台,把墨磨开,拿起笔利索地画了一幅丝瓜。纸上画了一片叶子,一条藤蔓,一个丝瓜。   そのうへへ 世のなかをなんのへちまと思へどもぶらりとしてはくらされもせず とかき急須みたいな書判をしてとみかうみしてたが、不意にからからと笑つて「さあ、これをあげるであちらへもつておいで」といつて硯を棚にのせ、筆を洗ひ、さつさと金剛座へ帰つてもとの石仏になつてしまつた。 <とみかうみ→あっちを見たり、こっちを見たり。「世の中を 何のへちまと思えども ぶらりとしては 暮らされもせず」→世間や人生の厳しさと、それでも適当に気を抜いてばかりでは生きていけない現実を、ユーモアを交えて詠んだ江戸時代の狂歌(または俗謡)。→「世の中(浮世)なんて、へちまのように大した価値もないくだらないものだと思ってみても、だからといって何もせずにぶらぶらと暢気に暮らしていくわけにもいかない(生きていくためには働いたり、世間のしがらみに付き合ったりしなければならない)」。急須(きゅうす)→茶葉にお湯を注いでお茶の成分を抽出するための、日本で広く使われている茶器のこと。書判(かきはん)→昔の文書の末尾に自筆で書いた署名やサイン、または手書きの印影のこと。金剛坐→仏教用語でダイヤモンドのように堅固で壊れない、釈迦が悟りを開いた際の座所。> 接着又在上面题字:“我看人世如丝瓜,切莫吊儿郎当活。”他在旁边画了一个小茶壶似的花押,左看右看了一会,忽然哈哈大笑道:“好了,这个送给你,你把它带走吧。”说完他把砚台放回书架,洗好毛笔,匆匆回到自己的金刚座上,又成了一尊石佛。   私は木から落ちた猿のやうにすごすごと糸瓜の絵をもつて家へ帰つた。 <すごすごと→期待した結果が出せず、気落ちして(意気消沈して)元気がない様子でその場から引き下がる、立ち去る様子> 我像离了水的鱼一样不知所措,最后只好垂头丧气地拿着这幅丝瓜回家了。

    239 中勘助 銀の匙 167(後編15④) @ LeoN Radio 我らの文学
  3. Sep 15

    ラッセル『哲学の諸問題』224(『哲学の諸問題』remake:第1章10段落① )@ LeoN Radio 我らの哲学

    <レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 20260915通算224回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第10段落① Op.「水魚の交わり」、Ed.「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 ) 司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(CUC中国語専攻・Kakehashi Studio社長)。前回収録2020812 <<レオンラジオ日の出アクセス総数42.6万回突破!>>   It will help us in considering these questions to have a few simple terms of which the meaning is definite and clear. その意味が明確ないくつかの簡単な用語があれば、これらの問題を検討するのに役立つだろう。 it to 構文 有几个意思明确的简单术语,有助于我们去考虑这些问题。 it作为形式主语,将真正的主语(从句)放在后边。   Let us give the name of 'sense-data' to the things that are immediately known in sensation: such things as colours, sounds, smells, hardnesses, roughnesses, and so on. 感覚で直接知られるもの、つまり、色、音、匂い、硬さ、肌理(きめ)の粗さなどのようなものに、「センスデータ(感覚与件)」と名づけることにしよう。 让我们将那些通过感官直接获得的“东西”命名为“感觉数据”:例如颜色,声响,气味,硬度,粗糙程度等。   We shall give the name 'sensation' to the experience of being immediately aware of these things. 我々は、これらのものについて直接知っている経験を「感覚」と名づけることとしよう。 我们把直接意识到这些感觉数据的经验,赋名为“感觉”。   Thus, whenever we see a colour, we have a sensation of the colour, but the colour itself is a sense-datum, not a sensation. かくして、我々がある色を見るときはいつでも、その色についての感覚を有するが、しかし、色それ自体はセンスデータであって感覚ではない。 data複数形 datum dataの単数形 于是,每当我们看到一种颜色,我们就有了这个颜色的“感觉”,但这个颜色本身是一种“感觉数据”,而并不是一种感觉。

    ラッセル『哲学の諸問題』224(『哲学の諸問題』remake:第1章10段落① )@ LeoN Radio 我らの哲学
  4. Sep 15

    238 中勘助 銀の匙 166(後編15③) @ LeoN Radio 我らの文学

    日の出ラジオ 我らの文学238 中勘助『銀の匙』166(後編15③)> ラジオ収録20260908 作詞作曲 楠元純一郎 OP「水魚の交わり」、ED 「遺伝子の舟」司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(社長)。 <<42.5万回突破記念!ありがとうございます!>>   そんなにして橋をわたつてゆくこともたびたびであつたけれどこの枯木のやうな隠者にはとりつくしまもない。 <とりつくしまもない→取り付く島もない→頼りにして取りすがろうとしても相手にもしてもらえないこと。けんもほろろ(頼み事を無愛想に突き放し、冷淡に断ること。> 就这样,我从那座桥上走过许多次,这枯木一般的隐士却连一点靠近他的机会都没有给我。   ところがある時またからからと鈴がなつて、いつものとほり茶碗をおいて帰らうとしたら意外にも後ろから呼びとめて「絵をかいてあげように紙を買つておいで」といつた。 然而有一次,铃铛又“咔啦啦”地响了,我像往常那样放下茶杯转身回去的时候,他竟然从身后叫住了我:“你把纸买好,我给你画幅画吧!”   私は狐につままれた気もちで唐紙を買つてきて老僧のまへに出した。老僧は根の生えたやうに坐つてる脇息のそばから立つて日あたりのいい隣の間へ私をつれていつた。 <狐(きつね)につままれた→狐に化(ば)かされたように、何が起きたのか分からずポカンと唖然とする様子。唐紙(からかみ)→中国由来の装飾紙。根の生えたように座っている→じっと座ったまま動かない様。脇息(きょうそく)→肘掛け> 我莫名其妙地买来一张有金粉花纹的纸,递给老僧人。他从那张坐到生了根似的摇椅上站起来,把我带到旁边采光明亮的房间。   部屋は悉く渋色に燻ぼつて 椿寿 と書いた小さい額がかかつてゐる。 <悉(ことごと)く→残らずすべて。渋色(しぶいろ)→燻(くす)んだ茶褐色。燻ぼって→燻(くすぶ)って→火が炎をあげずに煙ばかりを出している状態→煤(すす)ける、黒ずむ。椿寿(ちんじゅ)→長寿を祝う言葉。額(がく)→絵画や書を飾る額縁・枠。> 屋子的墙壁已经被线香熏成淡黄色,上面挂着一张写有“椿寿”二字的小小匾额。

    238 中勘助 銀の匙 166(後編15③) @ LeoN Radio 我らの文学
  5. Sep 15

    ラッセル『哲学の諸問題』223(『哲学の諸問題』remake:第1章9段落)@ LeoN Radio 我らの哲学

    <レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 20260908通算223回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第9段落 Op.「水魚の交わり」、Ed.「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 ) 司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(CUC中国語専攻・Kakehashi Studio社長)。前回収録2020803 <<レオンラジオ日の出アクセス総数42.5万回突破!>>   Thus it becomes evident that the real table, if there is one, is not the same as what we immediately experience by sight or touch or hearing. このように、その本当のテーブルが、もし一つだけ存在しているとして、我々が視覚または触覚または聴覚によって直接体験するものとは同じではないということが明らかになる。 所以事情就很清楚了,如果存在有一张“真实的桌子”,那么它也和我们通过视觉,触觉和听觉所直接感受到的桌子是不一样的。   The real table, if there is one, is not immediately known to us at all, but must be an inference from what is immediately known. その本当のテーブルは、もし一つだけ存在しているとして、我々にはまったく直接知られることはないが、直接知られているものから推論されねばならないのである。 如果存在有一张“真实的桌子”,它并不为我们所直接认知,而是经由我们的直接认知而推论得出的结果。   Hence, two very difficult questions at once arise; namely, (1) Is there a real table at all? (2) If so, what sort of object can it be?  したがって、二つの非常に難解な問題がただちに生ずる。つまり、 (1)いったい本当のテーブルは存在しているのか? (2)もし存在しているとすれば、それはどんな対象でありうるのだろうか? 由此,会同时出现两个非常困难的问题,即: (1)是否存在“真实的桌子”? (2)如果存在,它会是什么样的对象?

    ラッセル『哲学の諸問題』223(『哲学の諸問題』remake:第1章9段落)@ LeoN Radio 我らの哲学
  6. Aug 27

    ラッセル『哲学の諸問題』222(『哲学の諸問題』remake:第1章7段落③)@ LeoN Radio 我らの哲学

    <レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 20260811通算222回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第7段落③ Op.「水魚の交わり」、Ed.「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 ) 司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(CUC中国語専攻・Kakehashi Studio社長)。前回収録20200729 <<レオンラジオ日の出アクセス総数41.6万回突破!>>   Similar difficulties arise when we consider the sense of touch. 我々が触覚について考えるときに、同様の問題が生じる。 当我们谈及触感时也会有同样的问题。   It is true that the table always gives us a sensation of hardness, and we feel that it resists pressure. テーブルはいつも我々に硬さの感覚を与えるのは事実であり、そして、我々はそれが圧力に抵抗していることを感じている。 的确桌子总是会给我们以坚硬的感觉,我们觉得它可以抵抗压力。   But the sensation we obtain depends upon how hard we press the table and also upon what part of the body we press with; thus the various sensations due to various pressures or various parts of the body cannot be supposed to reveal directly any definite property of the table, but at most to be signs of some property which perhaps causes all the sensations, but is not actually apparent in any of them. しかし、我々が得る感覚は、そのテーブルをどれほど強く押すか、また身体のどの部分で押すかにかかっている。したがって、様々な圧力または身体の様々な部分による様々な感覚は、そのテーブルのある特定の性質を直接明らかにすることはできず、せいぜい、おそらくあらゆる感覚を引き起こすある性質のサイン(記号)にすぎないように思われるが、しかし、テーブルの特定の性質は、そのような感覚のいずれにおいても、実際には明らかではない。 be supposed to ~と思われる at most せいぜい 「要するに触覚も、物の性質を特定するのに必ずしもあてにならない。」 但是我们获得的这种感觉取决于我们用多大的力道和身体哪个部位按压桌子;于是通过不同的按压桌子的力道和身体部位而产生的不同的感觉并不能直接揭示桌子的任何确定的性质,而至多是某种性质的符号,这种性质才引发了所有上述这些的感觉,但是这些感觉无论哪个都不是明确的。 depend on(upon) 取决于   And the same applies still more obviously to the sounds which can be elicited by rapping the table.  そして同様のことが、そのテーブルを叩くことによって引き出されうる音にも、より明確に当てはまる。 同样的情况也更明显地适用于敲击桌子所发出的声音。 elicit v. 引出,这里指的是我们敲打桌子的结果是“使得桌子发出声音”

    ラッセル『哲学の諸問題』222(『哲学の諸問題』remake:第1章7段落③)@ LeoN Radio 我らの哲学

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