Sudo & Yoshida's Scrap Talking

海01

東京の片隅で働くサラリーマン、スドウとヨシダ。 中高の同級生として多感な時期を共に過ごした二人が、30歳という「何者かにならなきゃいけない気がするけど、結局何にもなれていない」微妙な季節に、日常の端々に溜まった感情のクズ(Scrap)を拾い集めては、とりとめもなく語り合うポッドキャストです。

  1. 11/02/2025

    チェンソーマンを全く知らない人間がチェンソーマン レゼ編を観て思ったこと

    / 日本の“緩さ”とアングラ文化 / / 韓国とアメリカ的正しさ / / 1軍カルチャーと観察者の視点 / / アジカンと坂本慎太郎 / / 日本の緩さが生んだニコニコ文化 / / K-POPの完成度と違和感 / / オアシスと90年代の空気 / / BUMPと繊細なゼロ年代 / / 『秒速5センチメートル』と光の感情 / / チェンソーマンと今の物語 / / 映画館と幸福の物理感 / / 朝のバナナと小さな感謝 / / 熊と現実の線引き / / 生きる領域が狭まる時代 / / フィジカルに戻る幸福 / / ポケモンと現実の重なり / まあ。無能に厳しい社会じゃないんだな。日本は転職してわかったこと。まず結論だけど、ああ、そう。まあちょっといろいろあるけど……あるけど、まあ、まあまあそうだね。うん。いやだから、日本って語るのもあれなんだけど、韓国とかに比べると、なんか、とにかく緩めの社会ではあるよなとは思うよね。だから年功序列とかもそうだね。まあ、今はこれから変わってくるのかもしれないけど。でも、確かにカルチャーなんかも、日本のメインカルチャーというよりは、アングラカルチャーがこんだけ発展しているのって「許し」だと思う。緩いからこそ、あるんだと思うんです。韓国は今、結局成長しているのは、もう成果主義が極まってるっていう、厳しい社会なんだよな。そうだね。 だから、ソウル行った時に感じたのがさ、なんかアメリカみたいだなって思っちゃったんだよね。表面的にはアジアの街並みなんだけど、後ろに流れてる理屈はアメリカ的というか。意識的に「正しさ」を目指す感じ。まあ、それはそれで一つの正解なんだけど。K-POPとか大成功してるわけじゃんか。それはそれで結果出ててすごいねと思うけど、ちょっと「おもんないな」って思う時もあるじゃん。あんま面白くないな、やっぱ。なんだろう。クラスの端っこでさ、1軍だからね、あれ。1軍の文化ってやっぱ面白くないんだよな。なんでなんだろう。 アメリカだったら、ラグビーとかチアリーディングみたいな“ピラミッド”があるじゃん。もうそれって、俺の性格の話になってきちゃうから、わかるけど。エリートのやつが上手になんかやってるの見てても、「はいはい」みたいな。俺はクラスの中心にいる気がしないよな。中心というより、わりと観察者みたいな視点なのかなと思う。歌詞とかの世界でも。観察者で、諸行無常感ももちろんあって。これは俺の主観ね。無常感はあるんだけど、そういうものを捉えた上で観察してるって感じ。自分の意見を張るというより、情景を描く。小説っぽいというか。 クラスの1軍のやつらがやってるのは演劇っぽい。パフォーマンスで、自己主張って感じ。でも、実際身に染みるのは情景とか、観察とか、ちょっと引いた目で「そういうのってあるよね」みたいなことの方が共感性が高い。俺、この前オアシスの音漏れを聴きに行ったんだけどさ。アジカンもあってさ。久しぶりにちゃんと聴いたら「やっぱいいな」と思ったんだけど、アジカンのゼロ年代の歌詞って、世の中に無常感を感じつつ「そこからどう戦うか」って世界なんだよね。『君という花』とか。見えすぎたホームの絶望から、取り戻す、飛び出す、自分の色を見つける、みたいな。ロスジェネっぽいけど、無常感に「抗う」テーマが多かった。 坂本慎太郎は、そういうわけでもない。洗うとかでもないし、諦観でもあるし、「嘘みたいな人たちがいるな」とか、「日常はすすいでってるよな」という感覚。経済指標で測れない。だから、韓国的な場所からはアングラ、インディーカルチャーは出にくいのかな、と。もちろん、俺らが捉えてないだけでシーンはいっぱいあるはずだけど、ここまで巨大化してないんだろうな、とも思う。やりづらいだろうね。日本の緩さが生み出したニコニコとか、そういうのもある。 この前、韓国料理屋に行ったら、ずっとK-POPがモニターで流れてて、ちょっと嫌な気持ちになった。美男美女が踊ってて、もうええでしょう、みたいな。クオリティは高いし、いいんだけど、表面撫でるのもうやめてくれって気持ち。キャベツの葉っぱじゃなくて、芯を食わせてくれ……みたいな。音楽って現実逃避にもなるけど、現実もあるじゃん。現実の良いところだけ持ってきてキラキラにしてる感じが、もういいよって。たくさんあるから。俺は現実を見せてくれるとか、視点を変える方が好き。時間とか気持ちを一回受け入れてから、どう転換するか。坂本慎太郎は「観察して見てる」。で、オアシスが90年代に流行ったのって、そこもある気がする。最初期のオアシスには「こんなクソみたいな状況だけど、まあなんとかなるでしょ」という気分があった。『Live Forever』とかさ。駅で雨の中立ち尽くしてた、みたいな。そういう時代の空気。社会が荒れてるけど、ポジティブさもある。カート・コバーン以降のアンチテーゼとしての「俺とお前は永遠にいけるんだ」って新しさ。強い気の持ちよう、みたいな。音漏れ聴きながらそんなことを思った。 ナンバーガールはまた別だけど、共感する部分は絶対ある。ただ出力の方向が違う。表面的には似てるけど、態度は真逆かもしれない。共通項は「荒れてる時代」って前提だったのかも。90年代のオルタナ/グランジは爆心だよね。で、BUMPに関しては、正直まだよくわかってない。繊細すぎて。どっから生まれてきたのかわからない。でもBUMPが作った流れは、日本のカルチャーに脈々と流れてる気がする。この前『秒速5センチメートル』の実写版を観たんだけど、あれってBUMPを映画化した、って言うと怒られるけど(笑)、BUMP的な繊細な世界観が日本のカルチャーに流れてる、って話。情景描写、光の感じ。その世界に浸ると気持ちいい。言葉にしづらいけど、ある。 そういうモードになると、人間って気持ちいいし、写真集みたいな映画でも良くなる。ある人は「どうでもいいシーンがめっちゃあった」と言ってたけど、それも含めての“体感”なんだろうな。奥山監督は才能がめっちゃあると思った。MVもやってる人で、“きらめきを採る”みたいな感覚がある。シティポップのエモも、情景とか光の感じに近い。次の作品が気になる。 映画の話ばっかりになるけど、チェンソーマンのレゼ編を観た。漫画もアニメも中途半端に追ってたから、ちゃんと観たのは初めて。ただクオリティが高い。今、日本で一番元気な人たちが才能を投じてる感じ。作画の動きはもちろん、彩度や美術のセンスも先端。元々もっとアングラにあるはずの漫画が、メインカルチャーになってるのも面白い。小学生が観てて「大丈夫?」と思ったけど、時代が違うのかもしれない。情報量が多い時代だし、SNSで何でも入ってくる。 主人公の行動原理が「女の子と付き合いたい」みたいな低い欲望から始まるのも、昔の“世界を救う”系の大きな物語とは違う。今っぽい。ダークヒーロー像というか。共感性より「眺める面白さ」。半現実SFで、国家や戦争がバックにある。悪魔の設定も、恐怖が強いほど強力になる、とか面白い。裏設定はキリスト教モチーフもあるらしいけど、そこは半信半疑で見るくらいがちょうどいい。映画は映画単体で面白いかどうかがすべて、というこだわりは俺にもある。土俵の外の設定は勝手にやってくれ、くらいの。 劇場の体験はやっぱり別物。ドルビーアトモスやIMAXで観ると音がすごい。映画って音がすべてみたいなところある。低音の作り方とか、映画館でしか味わえない。ライブを観るのに近い。サブスクで観ても意味がないタイプの作品ってあるよね。ライブ上映やリバイバル上映は最高。『パルプ・フィクション』を福岡で雨宿りがてら観た時なんて、人生の名シーンだった。午前十時の映画祭もいい。朝映画館、幸福感がある。観終わって昼に何か食べて帰る、小市民の幸せだけど、それでいい。 幸せって案外すぐ感じられる。朝、仕事行く前にちょっと早く起きて、バナナケースに入れたバナナ持って川沿いを歩く。太陽に向かってバナナを食べる。恵方巻きみたいに(笑)。太陽礼拝みたいな感じで、「今日も頑張るぞ」と。一駅歩いて、太陽に向かってバナナ食べると、幸せをすごく感じる。セロトニンなのか、太陽光が効いてるのか。「ありがたいなぁ」って。変に“ありがたがりおじさん

    1h 11m
  2. 09/27/2025

    1ヶ月間北海道で車中泊してきた話 ─ 道の終わりで考えたこと

    プレイエリアの外へ—道東車中泊で見た「道の終わり」/伊豆の人工リゾート/台風の孤島体験/軽で二週間・半時計回り/車中泊の自由/セコマとサウナが命綱/鹿と野犬とリス/釧路・根室のさびれた町/明治公園で道が終わる/納沙布岬と北方領土の距離感/野付半島の沈みゆく大地/デスストとブレワイ的風景/知床と摩周湖/紋別のアザラシ/直線40キロの道/1500kmの走行とレンタカー故障/エスコンフィールドのテーマパーク感/豚丼とホットシェフの幸福/セコマはセーブポイント/一次産業のリアル/熊と人間の境界/旅で脳が組み替わる時間感覚/自然は厳しいが最高だった 「1か月ぐらいだっけ?」「そうだね、1か月ぐらい」。最初は、わけわかんないと思うけど、伊豆の—なんかリゾートみたいなところに行ってて。人工のリゾートみたいなとこ、多分そう。家族でね。人工のリゾート。リゾートというか、海沿いにある東急の……そう東急なんだ。部屋から、ベランダに寝るところがあって、そのままプール行けるみたいな。つながってるんだよ。部屋からプール行って、海も行ける。 夜、台風みたいな突風が吹いてきて、昼間は別に天気悪くなかったんだけど、夜だけ台風中継みたいになった。翌日には電車とかバスとか全部止まって、交通も麻痺して陸の孤島みたいになって、もう1泊追加。それからすぐ晴れた。別に特に話すことはない。何かしたわけでもない。ボケっとダラっとしてた。9月上旬で暑かった。音楽聴いて、ビーチで何もしない—あれはいいよね。リゾートは何もしないのが一番正解。何もしないために行く、みたいな。 ——本題、札幌。レンタカーを2週間借りて、ステップワゴンみたいな……いやワゴンRみたいな軽自動車。寝袋も持ってって、基本は車中泊。札幌から帯広へ。道東を半時計回りで回った感じ。何も決めないで行けるのがいい。ホテルに着かなきゃいけない“イズ”がない。道の駅も結構ある。北海道はみんな車中泊してる。キャンピングカーが多いけど、俺は営業車みたいなのに寝てた。だんだん面倒くさくなって、最終的には運転席をガタッとやって3秒で寝る。セコマで弁当買って、缶ビール飲んで、そのまま横になる。アウトドアチェアも持ってって、海を見たりもしたけど、基本そんな感じ。身軽で良い。東京で車中泊は人がいて気になるけど、北海道は人がいないから気にならない。カーテンもなくて大丈夫。鹿が夜、近づいてきてうるさいとかはあるけど。百均でブルーシート買って前面だけ囲ったり、日よけしたり。 札幌から帯広へ行くとき、大雪山を通った。森の出来方、風景が本州と全く違う。ちょっとヨーロッパの大陸の山みたい。フィンランドの森みたいな感じ。針葉樹の景色。自然自体が違いすぎる。インフラや国境は日本だけど、自然は違う国みたい。町から少し離れるともう大自然。ポケモンみたいに、森の中からいきなり街が出てくる感じ。道路→街の転換が急。 帯広から太平洋側へ。海沿いは本当にやばい。海と草原しかない、誇張抜きでそれしかない。鹿が道路を占拠してる。帯広の森で野犬に囲まれた。飲酒検問みたいにバーっと囲まれて、リーダー格の犬が「もういいよ」みたいに仕切って、みんな退いてくれた。縦社会がある。朝、帯広の公園—公園って規模じゃない—を散歩したら、リスが100匹ぐらい。カンカン木の実を齧ってて、リスまみれ。白樺の木が基本で綺麗。ゴールデンカムイでリス食ってたのも、まあ分かるぐらいにいる。 そこから東へ。釧路、根室へ。さびれ具合がレベル超えてる。更新されてない感じ。昔は石炭や漁業で発展したらしいけど、ロシアの影響で獲れなくなって……。根室の真ん中を通る道路の先に明治公園があって、道が終わる。「ここで終点」。本当に道路の終点。作るのやめました、みたいな終わり方。明治公園からは2つ道があって、納沙布岬までは行ける。明治公園から左へ行くとオホーツク海ルート、太平洋側に戻るルート、みたいに1ルートだけ。 納沙布岬。国後、歯舞諸島が目と鼻の先。肉眼で見える。ロシアの警備隊の施設も見える。碑がいっぱい。「北方領土を返せ」系の鎮魂の詩や標語。地元の人は、もともと住んでた土地だから切実。超・日本の端っこ。太平洋は何もない。太平洋とオホーツクの境目、半無限。岬へ向かう道の風景がすごい。デスストとブレワイを足したみたいな新鮮風景。自然を形作った人工物が点在する。 走って寝て、寝て起きてまた走るので、エピソードは少ないけど、それが良い。物語とかいらない。最小限の荷物でも意外と余裕。道の駅にサウナがあって、それがめっちゃ良かった。釧路の近く、海沿いの道の駅。サウナから海が見えて、外気浴はビーチ。脳がやられたみたいに最高。貸切、新しいサウナ。 野付半島にも行った。ブレワイの渦巻き半島みたい。先へ進むほど両側の海が迫ってくる。数年で消えるんじゃないか、沈むんじゃないかって言われるほど低い。海が侵食して、枯れ木だらけ—だったけど、その枯れ木すらもう消えつつある。先端まで歩道があって、でも「ここで終わりです」。デスストの世界の空。国後が近くに見える。天気は晴れ。日本の“果て”をAIに描かせたら出てきそうな風景。ゲームみたいに「これ以上先はプレイエリア外」。 紋別にはアザラシの保護施設(とっかりセンター)。流氷の来る場所で、はぐれたアザラシを保護してる。名前の付いた個体がいて、ずっとテレビ見てるおじさんみたいなのもいる。頭が良いらしい。1日走ってサウナに着いて、一体化して寝る。結局、何してたのかよく分からないけど、平均200〜300キロ、5〜6時間、もっと走ってたかも。 家族を旭川空港に送ったあと、「自然はもういいや」と札幌に戻り、エスコンフィールドへ。テーマパーク的。野球を見に行くというより、ご飯を食べに行って、風呂もあって、応援でエンゲージして楽しい。飯は“北海道飯”、ちょっと高いけど旨い。日本ハム関連の店もうまい。野菜も肉も盛んで、飯は間違いない。豚丼は4杯ぐらい食べた。最初の3日間は毎日豚丼。焼き鳥丼(実際は豚)もコンビニで焼いてくれて、めっちゃ旨い。セイコーマートはセーブポイント。ここを逃すと次は100キロ先。ガソリンも半分になったら入れる。ほんとに何もないところがある。 本州では人のいない平地なんてあまりないけど、道東は「誰も助けを呼べないエリア」がある。住めないのかなと思うほど。寒さが厳しくて育てられるものが限られる。帯広あたりは野菜や畜産が見えた。まとめると、何をしてたか? とにかく走ってた。でも楽しかった。時間の流れは長く感じて、2週間が2〜3か月に感じた。東京のことは—忘れてはないけど、日常が遠のく。 新しい場所に行く面白さ、刺激。自由感もあるし、恐怖感もある。みんな車中泊のプロ。キャンピングカー、ハイエース、四駆のルーフテント、いろんなスタイル。アメリカのロードムービーみたいな世界観。ラジオ流して、洗濯して、わがくす……みたいな。金持ってそうな旅人も多い。 岬の草原と崖はめっちゃ綺麗。人がいないから、一人称視点ゲームみたい。世界が終わって走ってる感覚。セコマと郵便局があると「まあまあの街」。郵便局は町の最小単位。誰かが働いていることのありがたさ。ホットシェフは店ごとに裁量があって、ポテトの盛りや味が違って面白い。工場生産的な都心コンビニと違って、その場で作ってる。かつ丼もうまくて涙出た。 走ってばかりでめっちゃ疲れる。札幌に戻って「ニコーリフレ」に入り浸って寝てた。運転中はずっと気が張る。突風や倒木、動物の死骸、穴ぼこ、南米みたいな路面、頭文字Dよりやばいヘアピン……。でも楽しかった。転職前の旅はこれで終わり。10月1日から仕事。 旅中、時間が長く感じるのは、脳の回路が新しい刺激で繋ぎ直されるからだと思う。社会人1〜3年目は長く、4〜6年目は加速する、みたいな。新しい会社・書類・人間関係で回路が変わると時間が濃くなる。感受性を張り続けるのはストレスでもあり、幸福でもある。ずっと感受性MAXだと壊れる。たまの旅がちょうどいい。長すぎる旅は逆効果で幸福度が落ちるかも。後半「札幌行かせてくれ」ってなったし。羽田に戻って東京の景色を見た

    1h 26m
  3. 08/04/2025

    ドンキーコング買いに行ったら参政党の集会に出くわした夏

    新橋でドンキーコング・バナンザを買った日の偶然   - 参政党決起集会に遭遇   - 大学の先輩との再会   - 夏の空気と「全部フィクション」感  政治の肌感・選挙のリアル   - 参政党の印象、チーム未来に投票した話   - SNSで見た分断、届かないロジックの話   - 三島由紀夫 vs トランプ的な“鏡のリーダー像”  再生の道や石丸氏の分析、バズと地盤の違い   - TikTokと偶発的ヒット   - 熱狂と持続のギャップ  スピリチュアルな傾向と陰謀論の話   - 小麦粉・ジャンボタニシ・自然食思想   - 陰謀論=気持ちの話という見立て  10年代のSEALDsの記憶と政治への距離感   - 共感できなかった妖怪大戦争状態   - いまなら少し共感できる政治との距離感 転職活動のリアルとエージェント不信  - 自力でマッチした話  - 結婚や婚活に近いという転職観 掃除と自己整理の共鳴   - 掃除=人生の旅   - 物を減らすことで価値が浮かび上がる   - 内面と部屋のリンク  夏の旅と現在の幸福感  - 北海道へ旅に出る予定  - 坂本慎太郎の「まともがわからない」と今の自分  - 幸福=問題に対処している感覚  - 1-1から始める人生 ね、バンザ……そうそう、博品館で。 あのドンキーコング・バナンザ、バイクで行って買ったんだけど、買ったらちょうど新橋で、参政党の軽い決起集会みたいなのやってて。 「へぇ、夏だなあ」みたいな。なんか夏って、わかんないけど何かが起きてる感じ。バナンザが出たタイミングって、あれ選挙のちょっと前だよね?ほんとの直前。 「え、これってほんとにやってんだ…?」って感じで、ちょっと巻き込まれた感じだった。 そしたら大学の先輩に偶然会って、「おー!久しぶり」ってなって。別に賛成とかにいたわけじゃなくて、その近くで働いてたらしくて。 「こういうとこで働いてるんですか?」って話してた。場所はたしかリクルートのビルあたりだったかな。ベンチャー的な仕事やってるって聞いて、「へー、あるんだな」って思った。 で、巡り合わせ的にそのまま一緒に豚丼食べに行って、死んだように満腹で。「なんか夏だな〜」って。 全部フィクションみたいだけど、なんかリアルだった。会社とか見て、「こういう仕事してるんだな」って。 でも人はいっぱいいた。なんか、普通の人たちだった。 いわゆる右翼団体的な感じではなくて、もっと一般的な雰囲気。サングラスに学ラン、そういうキャラじゃない。 あと東さんの生配信。まだ全部見てないけど、あれ面白いよね。 ちょっとニコ動的なノリもあって、「今、政治っておもしろくなってるのかも」って思った。 特に最近は多党化が進んでて、バラエティ的な色合いが濃くなってるから、ある意味エンタメとしても見られるようになってきてる。 「お前もコンサルかよ!」みたいなツッコミもあったりして、ユーモアとしても成立してる。 共産党のポスターを貼ってた人もいて、「人じゃなくて制度が悪い」って言ってたのが印象的だった。 その通りだと思った。やっぱり、言葉って大事だし、支持する人の背景にある人生そのものが、言葉の重みに繋がってる気がした。本当に、誰が何を基準にしてるかって、人によってまったく違う。だからこそ、他人の投票行動にあれこれ言うのって難しいんだよね。 正直、今回は俺も全然調べてなかったし、忙しかったっていうのもあって。でも、今の政治はちょっと面白いなと思い始めてる。 で、投票率も1.1倍ぐらいに上がってたらしくて。前回が50%前後、今回が55%ぐらい? たぶんその5%〜7%分が賛成党が動員した数字なんじゃないかって。新橋で見た光景も、なんとなく勢いがあったもんな。 で、ああいう盛り上がりってさ、やっぱ「求められてるものをちゃんと提示してる」ってことなんだよね。 求められてる言葉を、ちゃんと与えてる。上手いなって思った。支持するしないは置いといて、やり方がうまい。 言葉が強いんだよな、実際。理屈とかじゃないんだよね、日常の中の不満にスッと入り込む感じ。言葉が「通る」っていうのは、そういうことなんだろうなって。 たとえばさ、飲食の人とか、氷売ってる人とか、現場でしんどい思いしてる人たちに、言っても響かない。 それが正しいとしても、届かない。現場と思想のズレって、埋まらないんだなって。大学がリベラル寄りだったから、なおさらそう思う。 結局、「現場の声を救い上げる言葉」があるかどうかなんだよね。そこが賛成党みたいな存在の「強さ」になってる。 もちろん、政策の中身とか、実行力は別問題として。 で、SNSで「東大生の周りには賛成党の支持者がいないから安心した」って書いてた人がいてさ、それに「それが分断だろ」ってツッコミが入ってた。 まさにそれ。価値観がすれ違いすぎて、もう会話が成立しないレベルの断絶。 ロジックで考えると、リベラルな考え方って確かに納得できる部分もあるし、俺もそっち寄りになりがちなんだけど、 それが「届くかどうか」は別の話なんだよな。ほんとに。 で、そういう届かないとこに届く言葉って、やっぱり賛成党とかトランプとかがやってる「強い言い切り」なんだよね。 あれって受け手が求めてる言葉を、ちょうど差し出してるだけっていうか。意思というより、反応してるっていう感じ。 ああ、これまさに鏡だなって思った。 受けるものを言う、外界のリアクションで動く、そういうリーダー像。意思があるというよりは、映してるんだよね。トランプもそうだし。 もしかしたら賛成党の神谷さんも、そういうタイプなのかもしれない。自分の思想というより、「とにかく受ける」言葉を発してる。 意思がないほうが、受けることができるというか。 だからさ、三島由紀夫の話になったのも自然だったんだよね。 あの人は、あまりに「意思の人」だった。だから、変えられなかった。 逆に、意思がなくて、外界の反応に応じて動ける人のほうが、歴史を変えていく——みたいなことを誰かが言ってて、確かにって思った。 トランプもそうだし。 彼が何を考えてるのか、正直わからない。 けど、「受けること」だけは的確にやってくる。 大衆の鏡みたいな存在。 何を映されるかで、その動きが決まっていく。 で、参政党のリーダーも、そういう存在なのかもしれないなって。 別に思想があるわけじゃないけど、受けがいい言葉を繰り出す。 で、それが「正しさ」とはまた別軸で、熱狂を生むんだよな。 最強の「鏡」っていうか。 その分析をしてる瞬間、ちょっとゾッとしたけど、めっちゃ腑に落ちた。 で、対になる存在が三島由紀夫。 あの人は意思と思想の塊で、それゆえに届かない。 民主主義のゲームルール的に言えば、意思の強さよりも「人気」が決定権を持つ。 だから、鏡みたいな人が強いんだよね。 このルール内では、ある意味で「正解」なんだと思う。 リーダー論の話でもある。 手を下さない存在。 天皇のような、意志を表明しない象徴。 そういう存在の方が、人々に影響を与える。 これはちょっと複雑な話だけど、でも腑に落ちた部分もあったな。 でも、ああいう人気の取り方って、実は持続性がないんじゃないかなって思ってて。 たとえば、「再生の道」みたいな動き。 あれも結局、再生できなかった。 石丸さんっていう人も、リーダーとしてのカリスマ性がちょっと弱かった。 素質というか、タイミングの相性ってのもあるけどさ。 TikTokでバズったりもしてたけど、あれって「支持基盤」じゃなくて、「偶発的なヒット」だった。 一時的な熱量ではあっても、それを継続する組織力や地盤がないと、流れてしまう。 だから基盤って大事だし、集まった人たちがどこに根を張るかが問われる。 で、その点、たまたま新橋で見た賛成党の集会は、いわゆる保守でも右翼でもなかった。 もう少し「スピリチュアル」に近いというか。 オーガニックとか自然派とか。 たとえば世田谷とかにいそうな、ちょっと収入に余裕のある自然志向の人たち。 「米を食べろ」とか、「小麦は陰謀」みたいなノリ。 なんか、ジャンボタニシを撒くとか、小麦粉はアメリカの陰謀とか、そういうネタ、2ちゃんとかでよくバカにされてたけどさ。 そういう陰謀論って、科学の話じゃなくて「気持ち」の話なんだよね。 D

    1h 1m

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東京の片隅で働くサラリーマン、スドウとヨシダ。 中高の同級生として多感な時期を共に過ごした二人が、30歳という「何者かにならなきゃいけない気がするけど、結局何にもなれていない」微妙な季節に、日常の端々に溜まった感情のクズ(Scrap)を拾い集めては、とりとめもなく語り合うポッドキャストです。