高千穂さんのご縁です。

RKKラジオ

仏教にまつわる色々なお話を、分かりやすくお話していただく番組です。仏教由来の言葉、豆知識、歴史、迷信、風習、教義、作法などなど。 出演は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正さん。お相手は、丸井純子さん。 お悩み相談もメールで受け付け中!goen@rkk.jp ▼メール goen@rkk.jp ★地上波ではRKKラジオ(熊本)FM91.4    AM1197で、毎週水曜日 午後6時10分から放送中。是非生放送でもお聴きください。

  1. 5d ago

    【親鸞聖人とお墓】──鴨川に捨てるべしとの仰せと本願寺の原点

    🔶「鴨川にいれて魚にあたうべし」──親鸞聖人のお墓に対するお心 近年、後継者不足や生活スタイルの変化に伴い「墓じまい」を検討・選択される方が増えています。こうした現代のお墓に関する議論を考える上で、浄土真宗の宗祖・親鸞(しんらん)聖人のお墓に対するお姿勢は非常に深い示唆を与えてくれます。 親鸞聖人のひ孫にあたる本願寺第3世・覚如(かくにょ)上人が著された『改邪鈔(かいじゃしょう)』には、親鸞聖人の言葉として次のように記されています。 「それがし親鸞閉眼(へいがん)せば、鴨川にいれて魚にあたうべし」 「閉眼」とは息を引き取ること、すなわち「わたしが死んだなら、ご遺体は鴨川に投げ入れて魚の餌にしなさい」とおっしゃったのです。親鸞聖人ご自身は、自らのご遺体や豪華なお葬式、立派なお墓を建てることには全く執着されませんでした。自らの形骸を残すことよりも、ただひたすらに阿弥陀さまのお救い(お念仏の信心)を信じて生きることこそが最も大切であると示されていたのです。 🔶大谷廟堂の建立と本願寺の成立 親鸞聖人は弘長2年(1262年)、90歳(数え年)で示寂(じじゃく)され、翌日に京都・鳥辺野(とりべの)の南にある延仁寺(えんにんじ)にて荼毘に付されました。その後、東山大谷の地に質素なお墓が建てられます。 親鸞聖人の没後10年(1272年)、末娘である覚信尼(かくしんに)さまが、夫である小野宮善然(おののみや ぜんねん)氏の協力を得て吉水の地に土地を求め、親鸞聖人のご遺骨とお給仕のための御影(おすがた)を安置する「大谷廟堂(おおたにびょうどう)」を建立されました。 覚信尼さまは、この廟堂を私物化するのではなく、関東の直弟子(ご門弟)や子孫たちが力を合わせて親鸞聖人を顕彰し、お念仏の教えを語り合う「集いの場」として護っていくことを定められました。この大谷廟堂こそが、後に本願寺(浄土真宗本願寺派・真宗大谷派など)へと発展していく原点となったのです。 大谷廟堂は寛正6年(1465年)、第8代・蓮如(れんにょ)上人の時代に比叡山の僧徒らによって破壊(寛正の法難)されるまでおよそ200年間守られました。その後、幾多の移転を経て、江戸時代初期の慶長8年(1603年)、第12代・准如(じゅんにょ)上人の時代に徳川家康から与えられた現在の堀川六条の地(京都・西本願寺)へと遷座されました。親鸞聖人ご自身はお墓を求められませんでしたが、聖人を慕う残された人々のお心が、今日の本願寺という教団の礎を築いたのです。 🔶浄土真宗における「お墓」の真義と祟りへの捉え方 親鸞聖人の足跡からも明らかなように、お墓とは亡くなった人を閉じ込めたり、亡き人のために善根を積んで供養(追善供養)したりするための場所ではありません。亡くなられた方は、阿弥陀さまの導きによってすでにお浄土で仏さまとなられているからです。 また、「お墓を移動したり墓じまいをしたりすると祟(たた)りがあるのではないか」と不安に思われる方がいらっしゃいますが、そのような恐れは一切不要です。親鸞聖人の御廟所自体が歴史の中で何度も移動している通り、阿弥陀さまの大いなる慈悲に包まれている私たちが、墓じまいや改葬によって祟られたりバチが当たったりすることは絶対にありません。お墓とは「亡き人を縁として、いま生きている私が自らの命の行方を見つめ、お念仏のみ教えに出会わせていただく大切な場」なのです。 🔶時代に合わせたお墓の形と命の継承 家族の形や居住地が多様化し、東京や大阪、海外など離れて暮らすことが当たり前となった現代において、従来の代々墓を維持することが困難になるのは自然な流れでもあります。お墓のスタイルが時代とともに変化してきたように、形だけに固執するのではなく、現代を生きる家族にとって最も丁寧にお参りしやすい形態を選択していくことが大切です。 形が変わったとしても、ご先祖や亡き人を偲び、命の繋がりと阿弥陀さまの救いに感謝する「ご縁」そのものを絶やさないこと。残された人々が無理なく、心穏やかに集い、命を見つめ直せる場所を守り継ぐことこそが、最も尊いお墓のあり方といえます。 🔶今週のまとめ 【1】親鸞聖人は覚如上人の著『改邪鈔』に「わが死後は鴨川にいれて魚にあたうべし」と残されている通り、お葬式やお墓に執着せず、阿弥陀さまのお救い(信心)を心に収める重要性を示されました。 【2】親鸞聖人の娘・覚信尼さまが建立された「大谷廟堂(お墓)」は、聖人を慕う門弟や子孫が集い教えを歓び合う拠点となり、これが現在の本願寺の原点となりました。 【3】大谷廟堂は比叡山による破却などの歴史を経て、慶長8年(1603年)に第12代・准如上人の時代に現在の京都・堀川六条の地へと移転・定着しました。 【4】浄土真宗においてお墓は追善供養の場ではなく、お墓の移動や「墓じまい」によって祟りやバチが当たるような観念も一切存在しません。 【5】現代の過疎化や核家族化の中で、お墓の形に無理に固執するのではなく、いま生きる私たちが故人を偲び、命の尊さやお念仏に出会える最善の形(お参りしやすい形)を選択することが大切です。 次回テーマは「仏教と悪」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

  2. Sep 23

    【お彼岸】──太陽が導く西方浄土と無限に広がる命のご縁

    🔶お彼岸の語源「波羅蜜多」と西方浄土への思い 秋分の日を迎えるお彼岸は、「祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日」として広く親しまれています。 お彼岸という言葉は、古代インドのサンスクリット語「パーラミター(pāramitā/波羅蜜多)」に由来します。「パーラ(彼岸・悟りの世界)」へ「ミター(至る)」という意味であり、波羅蜜多とは「迷いの世界(此岸)から悟りの世界(彼岸=お浄土)へ至る」ことを意味しています。 春分・秋分のお彼岸の中日は、太陽が真東から昇って真西へと沈みます。古来より仏教では、何事にも偏らない「中道(ちゅうどう)」の心にかなう日とされ、沈みゆく太陽の向こう側にある阿弥陀さまの「西方極楽浄土」に思いを馳せ、お参りや修行を行う最もふさわしい時期として大切にされてきました。科学的な距離ではなく、私達に推し量ることもできない大いなる慈悲(限りなき光と命)の象徴として、西方浄土とお念仏の教えが説かれているのです。 🔶「先祖のパラドックス」が教えてくれる命の奇跡 先祖の数を数学的に遡っていくと、非常に興味深い命の事実が見えてきます。 両親は2人、祖父母は4人、曾祖父母は8人と、代を遡るごとに先祖の数は $2^n$ の倍数で増えていきます。一世代を約20〜30年と仮定すると、10代(約200〜300年前の江戸時代)遡るだけで10代前のご先祖は1,024人となり、それまでの累計は2,046人に達します。さらに20代遡れば、20代前だけで約104万人、累計では約209万人もの先祖が存在することになります。 これをそのまま千年も遡れば、理論上の先祖の数は当時の地球の総人口を遥かに超えてしまう「先祖のパラドックス」が生じます。これは実際には血縁同士の結びつき(再帰)があるためですが、言い換えれば「人類はみな、どこかで血の繋がった親戚・仲間である」ということです。そして、この膨大な数のご先祖のうち、たった1人でも欠けていたら「いまの私」は決してこの世に誕生していません。ご先祖を思うお彼岸は、私たちが受けてきた命の奇跡の重みを知る日でもあります。 🔶『歎異抄』が説く「世々生々の父母兄弟」と縁起の教え 浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の教えを記した『歎異抄(たんにしょう)』第5条には、次のような言葉が残されています。 「一切の有情は、みなもて世々生々の父母兄弟なり。」 「有情(うじょう)」とは、人間だけでなく命あるすべての生き物を指します。途方もない時間の中で命が巡る(世々生々)中で、いま目の前にいる人だけでなく、空を飛ぶ虫や池を泳ぐ魚でさえも、かつて過去世のどこかで私を育ててくれた親であり、ともに過ごした兄弟姉妹であったかもしれないという教えです。 仏教の根底にある「縁起(えんぎ)」とは、「すべてのものは相互に関わり合い、繋がり合って存在する」という真理です。私という存在は、自分ひとりだけで独立して生きているのではなく、無数の命のご縁と繋がりによって生かされているのです。 🔶「偲ぶ」の意味と自分自身の命に向き合うお彼岸 「偲ぶ(しのぶ)」という漢字は、人偏(イ)に「思」と書きます。 お彼岸にお墓参りや法要を通して亡き人を忍ぶことは、単に過去を懐かしむだけではありません。先立った大切な方々の命のご縁を通して、「多くの命の繋がりの中に生かされている私自身の命」に深く思いを馳せ、自分の生き方や命のあり様に向き合うことこそがお彼岸の真の意義です。 SNSなどを通じた人間関係が広がる現代社会だからこそ、画面の向こうや目の前にある一つひとつの命の背景に、果てしない繋がりと歴史が存在することに気づかされます。このお彼岸は、お墓にお参りするとともに、自らの命の尊さにそっと感謝を捧げる大切な機会としてお過ごしください。 🔶今週のまとめ 【1】「お彼岸」はサンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多・到彼岸)」に由来し、太陽が真東から真西に沈む秋分・春分に、西方極楽浄土や阿弥陀さまの慈悲に思いを馳せる行事です。 【2】先祖の数は10代遡るだけで2,000人を超え、誰もが途方もない数の命のバトンを受け取っており、誰ひとり欠けても今の私は存在しないという命の奇跡を示しています。 【3】親鸞聖人は『歎異抄』にて「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」と説かれ、あらゆる生きとし生けるものが過去世からの深いご縁で結ばれていることを示されました。 【4】仏教の基本である「縁起」の教えの通り、私たちは決して独りで生きているのではなく、目に見える・見えない無数の繋がり(ご縁)の中で生かされています。 【5】「偲ぶ(人偏に思)」という言葉の通り、お彼岸は亡き人を想うと同時に、先達のご縁によって生かされている自分自身の命の尊さに向き合い、感謝を深める大切なご縁です。 次回テーマは「親鸞上人とお墓」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

  3. Sep 16

    【一休宗純】──破戒の風狂僧が求めた真実と蓮如上人との絆

    🔶一休宗純の生涯と「一休」の名の由来 アニメや頓知(とんち)のイメージで親しまれている「一休さん」こと一休宗純(いっきゅう そうじゅん)禅師は、室町時代に実在した臨済宗大徳寺派の著名な禅僧です。後小松天皇の落胤(子)と伝えられており、現在も京都府京田辺市の酬恩庵(しゅうおんあん・通称「一休寺」)にある一休禅師の墓所は宮内庁によって管理されています。6歳で京都の安国寺に入門し、幼少期から漢詩などの才能を発揮しました。 「一休」という道号は、彼が青年期に詠んだ歌「有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)へ帰る 一休み 雨ふらばふれ 風ふかば吹け」に由来します。「有漏路」とは煩悩と迷いに満ちた現世、「無漏路」とは雑念のない悟りの世界(あの世)を意味します。「人の生涯とは、現世から悟りの世界へ還るまでのほんの一休みに過ぎない。雨が降るなら降れ、風が吹くなら吹け」という、過酷な修行の中で見出した悟りの境地を表したこの歌から、師の華叟宗曇(かそうそうどん)より「一休」の名を授けられました。 🔶腐敗した権力への反発と人間味あふれる風狂の姿 当時の仏教界は権力と結びつき、僧侶の位階(紫衣など)が金銭で買収されるなどの腐敗が進んでいました。一休禅師はこうした権威や虚飾を激しく嫌い、立派な衣を拒んでボロボロの黒い布衣(墨染の衣)を身にまとい、街に出て民衆の中に溶け込みながら仏法を説きました。 応仁の乱の戦火によって荒廃した大徳寺の再興を天皇から命じられ、81歳の時に大徳寺第47世住持に就任して復興に尽力しました。しかし、権威の象徴である大徳寺に住み着くことはせず、郊外の酬恩庵からお寺へ通い続けました。1481年(文明13年)、88歳で生涯を閉じる際、臨終の言葉として「死にとうない」と口にしたと伝えられています。聖人ぶることなく、死の恐ろしささえ隠さないどこまでも率直で人間臭い姿は、虚飾を廃した真実の探求者そのものでした。 🔶蓮如上人との深き交友と宗派を超えた歌の問答 一休禅師は、浄土真宗中興の祖である第8代・蓮如(れんにょ)上人と非常に深い親交がありました。「分け登る 麓の道は 多けれど 同じ高嶺の 月を見るかな」という道歌に示されるように、禅宗と浄土真宗という宗派の形は異なっても、目指すべき仏法の真理(同じ月)を見つめ合う同志として互いを高く評価し合っていたのです。 ある時、一休禅師は『仏説阿弥陀経』に説かれる「十万億土の彼方にあるお浄土」を引いて、次のような挑発的な歌を蓮如上人に送りました。 「極楽は 十万億土と 説くならば 足腰立たぬ 婆は行けまじ」 (極楽がそんな遥か彼方にあるのなら、足腰の弱ったおばあさんは辿り着けずに地獄へ落ちるしかないではないか) これに対し、蓮如上人は即座にこう応じました。 「極楽は 十万億土と 説くなれど 近道すれば 南無のひと声」 (どれほど遠くとも、『南無阿弥陀仏』とお念仏を称えれば阿弥陀さまが即座に救ってくださるのだから、すぐに行けるのだ) 互いに仏法の神髄を深く理解し合っていたからこそ成り立った、高潔でウィットに富んだやり取りです。 🔶親鸞聖人への敬意と「襟巻のあたたかそうな黒坊主」 寛正2年(1461年)、本願寺で営まれた浄土真宗の宗祖・親鸞(しんらん)聖人の二百回忌法要にも一休禅師は参詣したと伝えられています。その際、黒漆で塗られた親鸞聖人の御木像(防寒用の首巻きをされたお姿)を拝した一休禅師は、次のような歌を詠みました。 「襟巻の あたたかそうな 黒坊主 こやつが法は 天下一なり」 「黒坊主」「こやつ」という一見ぶっきらぼうで破天荒な口調の中には、形式にとらわれず庶民にただ一人のお念仏の道を切り開いた親鸞聖人の教えに対する、絶大な敬意と賞賛(リスペクト)が込められています。外面の権威や虚飾を剥ぎ取り、人間の真実の姿と仏法の真理を求め続けた一休禅師の足跡は、現代を生きる私たちにとっても大きな感銘を与えてくれます。 🔶今週のまとめ 【1】とんちで有名な一休宗純禅師は室町時代に実在した臨済宗大徳寺派の僧であり、後小松天皇の落胤と伝えられ、その墓所は今も宮内庁によって管理されています。 【2】「一休」の名は、「有漏路(煩悩の現世)より 無漏路(悟りの世界)へ帰る 一休み」という道歌に由来し、人生をあの世へ向かう束の間の「一休み」と捉える境地を示しています。 【3】名利や権力を嫌ってボロボロの衣で民衆の中に生き、応仁の乱で荒れた大徳寺の再興を果たしつつも、最後は「死にとうない」と率直な人間性を遺して88歳で入滅しました。 【4】浄土真宗の蓮如上人とは宗派を超えた深い心の交流があり、「十万億土」をめぐる歌の問答など、互いの教えを理解し合った尊い逸話が残されています。 【5】親鸞聖人の二百回忌法要では「襟巻のあたたかそうな黒坊主 こやつが法は天下一なり」と詠み、破天荒な表現の中に親鸞聖人のみ教えへの深い敬意と感銘を表しました。 次回テーマは「お彼岸(おひがん)のお話」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

  4. Sep 9

    【お寺の消滅と現代社会】──無縁化・不活動法人問題と私たちが育むご縁

    🔶納骨堂の破綻と闇で横行する「宗教法人売買」 近年、NHKの『クローズアップ現代』をはじめとする報道において、納骨堂の経営破綻に伴う「遺骨の紛失・所在不明」や、インターネット等を介した「宗教法人の売買(譲渡)」という不条理な問題が大きく取り上げられ、社会的な注目を集めています。 墓地や納骨堂の運営許可は、原則として「自治体」または「宗教法人」にのみ与えられます。この仕組みを悪用し、営利目的の不動産業者などが過疎化や少子高齢化によって無人化した「不活動宗教法人(休眠状態の寺院)」を買い取り、名義を利用して納骨堂ビジネスに参入するケースが後を絶ちません。こうした売買は法解釈の隙間を突いた脱法行為であり、事業が破綻して撤退した際、預けられていた大切な遺骨が行方不明になるなど、人間の尊厳を揺るがす重大な事態を引き起こしています。文化庁もこの問題を重く受け止め、注意喚起を行っています。 🔶全国に広がる住職不在(無住)寺院と後継者不足 この背景には、全国の地方や農村部で急速に進行する寺院の過疎化と後継者不足が存在します。 全国に約7万7,000存在する寺院のうち、既に約1万7,000寺(全体の2割以上)が住職のいない「無住寺院(兼務寺院などを含む)」となっており、文化庁の調査でも5,019の不活動宗教法人が確認されています。 この現実は浄土真宗においても他人事ではありません。浄土真宗本願寺派の調査によると、次期住職(後継者)が明確に決まっている寺院は全体のわずか44%にとどまり、半数以上の寺院で将来の継承が不透明な状況に置かれています。売買の標的となりやすいのは、特定の宗派に属さない「単立宗教法人」が中心ですが、宗派に所属する寺院であっても過疎化と後継者難という課題は共通して押し寄せています。 🔶信頼関係に基づくお寺の運営と社会貢献 お寺の維持や僧侶の生活は、そのお寺を長年支えてきたご門徒(檀家)の方々の真心の志と協力によって成り立っています。そのため、寺院運営において最も不可欠なのは、ご門徒とお寺・僧侶との間の強い「信頼関係」です。 特に財務面での透明性を保ち、不信感を与えない健全な会計運営を行うことが求められます。また、単にお経をあげるだけでなく、地域でのボランティアや社会貢献活動に積極的に携わり、「地域社会や人々に寄り添い、共に生きる存在」としてお寺の価値と存在意義を証明し続けていくことが重要です。 🔶お彼岸のお参りとお寺との繋がり お寺の消滅や納骨堂の問題は、決して僧侶や宗教界だけの問題ではなく、ご先祖の遺骨を預け、お参りを重ねてきた私たち一人ひとりの生き方に関わる切実な問題です。 「うちのお寺は大丈夫だろうか」と遠くから心配するだけではなく、秋のお彼岸などの節目を機に、自らお寺へと足を運ぶことが一番の解決策となります。本堂にあがってお参りをし、住職とお寺の現状やこれからのあり方について言葉を交わすこと。その一人ひとりの「参拝」と「関わり」こそが、無縁化社会の中で尊いご縁を護り、お寺を未来へと受け継いでいく確かな歩みとなります。 🔶今週のまとめ 【1】都会の納骨堂の経営破綻による遺骨紛失や、インターネットを通じた「宗教法人売買」という脱法行為が問題視されており、文化庁も注意を呼びかけています。 【2】全国約7万7,000寺のうち約1万7,000寺(2割以上)が住職不在であり、不活動宗教法人が5,019存在するなど、地方の過疎化と後継者難が深刻化しています。 【3】浄土真宗本願寺派でも次期住職が決まっている寺院は44%にとどまり、特定の宗派に属さない「単立宗教法人」だけでなく、すべての寺院にとって後継者育成が緊急の課題です。 【4】お寺の存続には、ご門徒との確かな信頼関係、透明性のある会計運営、そして地域社会に根ざした社会貢献活動への取り組みが欠かせません。 【5】お寺の消滅を防ぎ大切な遺骨やご縁を守るためには、お彼岸などの機会にお寺へ足を運び、参拝と対話を通じて関わりを深く保つことが大切です。 次回テーマは「一休さんのお話」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

  5. Sep 2

    【仏教と鬼】──恐れの対象から自らの姿を照らす鏡へ

    🔶鬼のルーツとインド・中国から日本への変遷 現代で「鬼」というと、人を襲う化け物や、地獄で亡者を痛めつける恐ろしい存在をイメージする人が多いかもしれません。しかし、古代インドの初期仏教における地獄(サンスクリット語で「ニラヤ」)には、もともと「鬼」という概念はありませんでした。 地獄・餓鬼・畜生の「三悪道(さんあくどう)」において、地獄で亡者を懲らしめる役目は「獄卒(ごくそつ)」と呼ばれていました。これが中国に伝わった際、漢訳によって「獄卒鬼」や「鬼」と表現されるようになります。また、鬼が「虎の皮のパンツ」を履いて角を生やしているイメージは、ヒンドゥー教のシヴァ神(退治した虎の皮を腰に巻く姿)やヤクシャ(夜叉)などのイメージが混ざり合ったものです。さらに中国では死者の霊を「鬼(キ)」と呼び、人が亡くなることを「鬼籍(きせき)に入る」と表現する文化も生まれました。日本に伝わると、目に見えない疫病や災厄(おに=隠・おん)が恐ろしい容貌として可視化され、今日の鬼のイメージが定着していったのです。 🔶親鸞聖人が説く鬼神への恐れからの解放 浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は、主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の中で、「鬼」や「鬼神(きじん)」という言葉を用いておられます。当時の人々は、目に見えない病気や災難を鬼や邪神の祟り(たたり)として深く恐れ、それらを鎮めるための祈祷や迷信に捉われていました。 それに対し親鸞聖人は、「そうした目に見えないものや鬼神を恐れて祀ったり、おもねったり(鬼神仕え)する必要は全くない」と強く示されました。阿弥陀さまの「絶対にあなたを救う」という大いなる本願を信じ、お念仏を称えて生きる者は、どのような鬼神や災厄からも護られているから大丈夫であると解き放たれたのです。外なる恐怖に脅かされていた当時の人々にとって、この教えは心の底から救いとなるものでした。 🔶妙好人・浅原才市にみる「わが心の中の鬼」 浄土真宗でお念仏の喜びの中に生きた人々を「妙好人(みょうこうにん)」と呼びますが、石見国(現在の島根県大田市温泉津町)の妙好人・浅原才市(あさはら さいち)さんにまつわる味わい深いエピソードがあります。 ある時、画家が才市さんの肖像画を描いて見せたところ、とてもよく似ていたのにもかかわらず、才市さんは「これはわしじゃない」と怒り出しました。そして「わしは鬼じゃ。頭に角を二本書いてくれ」と画家に頼み込んだのです。画家が言われた通り頭に角を描き加えると、才市さんは「これこそ真実のわしの姿じゃ」と大変喜び、深く感謝したといいます。 これは「私の中には、他人を羨み、妬み、腹を立てる自尊心や煩悩(鬼)が渦巻いている」という、自らの醜い姿を鋭く見つめた言葉でした。才市さんは、自らの内に棲む鬼の姿(煩悩具足の凡夫)を自覚したからこそ、そんな浅ましい自分をも決して見捨てずに包み込んでくださる阿弥陀さまの慈悲のありがたさを誰よりも深くかみしめていたのです。 🔶外の鬼を恐れるのではなく内なる鬼を見つめる 近年、漫画作品などの影響もあり「鬼」という存在への関心が高まっていますが、仏教の視点は「外にいる恐ろしい鬼を退治する」のではなく、「自分自身の心の中に潜む鬼を見つめ直す」ことに向けられています。 怒り、嫉妬、貪りといった煩悩に振り回され、ともすれば他者を傷つけてしまう私たちの心こそが「鬼」そのものです。「鬼は外、福は内」と外に退散させるのではなく、実は「鬼は内」にこそ存在するという現実を受け止めること。そして、そんな鬼のような私をそのまま救い取ってくださる阿弥陀さまのみ教えに出会い、自らを照らす鏡として「心の中の鬼」を見つめていく姿勢こそが、現代に生きる私たちに求められている大切な歩みなのです。 🔶今週のまとめ 【1】現代の鬼のイメージは、インド仏教の「獄卒」やヒンドゥー教のシヴァ神の姿、中国の死者霊信仰、日本の「隠(おん・災厄)」の思想が合流して形成されました。 【2】中国で死者の霊を「鬼」と呼んだ文化は、現代日本でも人が亡くなることを意味する「鬼籍に入る」という言葉として残されています。 【3】親鸞聖人は『教行信証』において、祟りや鬼神を恐れて祈祷に頼る「鬼神仕え」を否定し、お念仏の者は阿弥陀さまの慈悲によって常に護られていると説かれました。 【4】島根の妙好人・浅原才市さんは、自らの肖像画に「角」を描かせ、「自分の中に潜む怒りや妬みの心こそが鬼である」と、自らの凡夫の姿と仏さまの救いを表されました。 【5】仏教における鬼とは、外にいる攻撃対象ではなく自分自身の心の中にある煩悩(怒りや嫉妬)であり、その姿を直視することでお念仏のみ教えのありがたさを深める鏡となります。 次回テーマは「お寺の消滅と現代社会」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

  6. Aug 26

    【築地本願寺】──江戸の歴史と現代に開かれた新たな挑戦

    🔶築地本願寺の歴史と「築地」の地名の由来 東京都内には約2,800の寺院が存在しますが、浄土真宗本願寺派は338か寺にとどまります(熊本県の464か寺よりも少ない数です)。その中で中心的な拠点となっているのが、豊かな歴史とユニークな特徴を持つ「築地本願寺(つきじほんがんじ)」です。 築地本願寺は江戸時代初期の元和3年(1617年)、浅草近くの横山町に「江戸浅草御坊」として建立されたのが始まりです。しかし、明暦3年(1657年)の「明暦の大火」によってお堂を焼失。再建にあたり江戸幕府から与えられた土地は、当時八丁堀沖の海上でした。そこで海を埋め立てて地盤を築き、本堂を建てたことから「築地(ついち・つきじ)」という地名が誕生したといわれています。その後、1923年(大正12年)の関東大震災に伴う火災で再び本堂を焼失しますが、1934年(昭和9年)に再建され、現在の壮麗な姿となりました。 🔶伊東忠太博士によるシルクロードとインド様式の建築美 現在の築地本願寺の建築デザインを手掛けたのは、東京帝国大学(現・東京大学)名誉教授で建築家の伊東忠太(いとう ちゅうた)博士です。建築研究のためにアジア各国を旅した伊東博士と、シルクロード探検(大谷探検隊)で知られる西本願寺第22鏡如(きょうにょ)上人・大谷光瑞(おおたに こうずい)門主との深い親交がきっかけとなり、この唯一無二の建物が作られました。 古代インドをはじめとするアジアの仏教建築を模したオリエンタルな外観は、一般的な日本の伝統的寺院とは一線を画し、石造りでステンドグラスや動物の彫刻が施されたエキゾチックな雰囲気を醸し出しています。また、本堂内部は正座を必要としない全席「椅子席」となっており、後方には2,566本のパイプで構成された本格的なパイプオルガンが設置され、コンサートなども開催されています。 🔶終活サポートから結婚相談所まで──お寺の敷居を下げる試み 築地本願寺では、現代社会における「お寺の敷居の高さ」を解消するため、革新的な取り組みが次々と行われています。 その一環として、人生の終末期やエンディングノート作成に寄り添う「終活サポート」をはじめ、なんと境内に「結婚相談所」を開設・運営しています。これは僧侶やご門徒に限らず広く一般の方々も利用可能であり、成婚後はお浄土の阿弥陀さまへ報告・参拝する温かい試みとして親しまれています。 🔶「第十八願」にちなんだ18品の朝ごはんと地域交流 境内に併設されている人気の「築地本願寺カフェ Tsumugi(ツムギ)」では、浄土真宗で最も根幹となる「阿弥陀如来の第十八願(すべての生きとし生けるものを救うというお誓い)」になぞらえた「18品の朝ごはん」が提供されています。お粥やお味噌汁とともに18個の小鉢が並ぶ豪華な朝食セットは、お肉や魚介も取り入れたバラエティ豊かなメニューで、観光客や周辺住民の間で大好評を博しています。 銀座からも近い立地を活かし、東京の7月のお盆に合わせた大賑わいの盆踊り大会や、仏教以外のさまざまな分野の研究者を招いた勉強会など、多角的な交流の場を創出しています。「時代やニーズに合わせて変化し、人々に寄り添う」築地本願寺の先進的な姿勢は、全国の寺院や地方のお坊さんたちにとっても大きな学びと刺激を与え続けています。 🔶今週のまとめ 【1】築地本願寺は1617年に浅草近くで創建され、1657年の明暦の大火後に海を埋め立てて土地を「築いた」ことが「築地」という地名の由来となっています。 【2】1934年に再建された本堂は建築家・伊東忠太博士と大谷光瑞門主の交流から生まれ、古代インド様式の外観やステンドグラス、パイプオルガンや全席椅子席を備えたエキゾチックな建築です。 【3】「お寺の敷居を下げる」取り組みとして、人生の終末期を支える「終活サポート」や、一般の人々も利用できる「結婚相談所」などの先進的な事業を展開しています。 【4】境内のカフェでは、阿弥陀如来の「第十八願」にちなんだ「18品の朝ごはん」が話題を呼んでおり、食を通じても教えや存在に親しんでもらう工夫が施されています。 【5】東京の7月盆に合わせた盆踊りや各種勉強会など、時代の変化に対応しながら人々とみ教えを繋ぐ築地本願寺の挑戦は、現代のお寺のあり方の模範となっています。 次回テーマは「仏教と鬼」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

  7. Aug 19

    【地域の繋がり】──無縁化社会におけるお寺の役割と「寄り添い」

    🔶無縁化社会の現状と「地縁・血縁」の喪失 現代社会では、「無縁化」という深刻な問題が進行しています。マンションやアパートで隣に誰が住んでいるかわからない状況が当たり前となり、日本全体で一人暮らしの割合は約34.6%に上り、65歳以上の高齢者においては5人に1人が単独世帯となっています。さらに2040年には全体の約4割が一人暮らしになるとも予測されています。 かつての日本社会を支えていた「家」や「家族」といった地縁・血縁の繋がりが失われ、各個人が孤立して苦しみを抱え込むことで、孤独死や様々な犯罪リスクなどの社会問題が浮き彫りになっています。 🔶宗教者の役割と「ネガティブ・ケイパビリティ」 こうした無縁化社会の中で、お寺や宗教者の役割が改めて問われています。お坊さんは医師のように医療行為を行ったり、物質的な支援をしたりすることはできません。しかし、「教えを説くこと」、そして「ただ話を聴くこと」が大きな役割となります。 心理学や文学の世界には「ネガティブ・ケイパビリティ(Negative capability)」という言葉があります。これは「答えが出ない、どうしようもない事態に耐える能力」のことです。「なぜ私がこんな病気になったのか」「なぜ大切な人を亡くさなければならなかったのか」といった、科学や医療では答えを出せない不条理な問いに対して、すぐに解決策を提示するのではなく、その悲しみに共に留まり、共感し、寄り添い続けることこそが宗教者の使命なのです。 🔶AIにはできない「生身の人間」による傾聴 現代の若い世代は、悩み事や相談事をAI(人工知能)に投げかけることが増えています。確かにAIは、膨大なデータから論理的で適切な回答(レスポンス)を瞬時に返してくれるかもしれません。 しかし、AIは人間ではありません。生身の人間が同じ空間に座り、声のトーンや表情を感じ取りながら、答えの出ない苦しみにただじっと耳を傾ける「傾聴(けいちょう)」の時間は、決してAIには代替できない温もりを持っています。身近に「自分の話を聴いてくれる人がいる」と知っておくこと自体が、人々の心を軽くする大切な拠り所となります。 🔶再評価される月忌参りとお寺のコミュニティ お寺が古くから行ってきた伝統的な活動は、現代において「ご縁づくり」の場として再評価されるべき意味を持っています。 一つは「月忌参り(がっきまいり)」です。これは毎月の命日にお坊さんが各家庭を訪問してお経をあげる習慣ですが、遠方に住む家族に代わって月に一度安否を確認し、対話をするという見守りの役割も果たしています。 もう一つは「お寺という場所のコミュニティ機能」です。月に一度の「ご法座(ごほうざ)」をはじめ、仏教婦人会や子ども会など、人々が集い語り合う場としてのお寺の存在意義は、地域社会の繋がりが希薄化した今だからこそ一層重要になっています。昔のようにお寺の軒先で気軽にお坊さんと話ができるような、敷居の低い開かれた場所であり続けることが求められています。 🔶今週のまとめ 【1】現代は地縁・血縁が希薄化した「無縁化社会」であり、一人暮らしの増加による孤独死などが深刻な社会問題となっています。 【2】宗教者の役割は、医療行為や物質的支援ではなく、人々の悲しみに寄り添い、教えを伝えながらただ話を聴くことにあります。 【3】「なぜ私が」という科学で解決できない問いに対し、答えを急がずに共に留まり続ける「ネガティブ・ケイパビリティ」が宗教者には求められます。 【4】悩み事をAIに相談する時代にあっても、生身のお坊さんによる「傾聴」は人々の心を軽くする代替不可能な心の拠り所となります。 【5】お坊さんが毎月訪問する「月忌参り」や、人々が集う「ご法座」などのお寺の伝統的なコミュニティ機能が、現代の孤立を防ぐご縁づくりの場として再評価されています。 次回テーマは「築地本願寺のお話」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

  8. Aug 12

    【いのちのご縁】──因幡の源左に学ぶお盆と阿弥陀さまの慈悲

    🔶因幡の妙好人・足利源左と父親の遺言 お盆を迎えるにあたり、浄土真宗で教えを喜び生き抜いた人物「妙好人(みょうこうにん)」として知られる「因幡の源左(いなば の げんざ)」こと、足利源左(あしかが げんざ)さんの生涯とその教えをご紹介します。 源左さんは天保13年(1842年)、因幡国(現在の鳥取県)にて農家を営む父・善輔さんと母・おちよさんの子として生まれました。安政6年(1859年)、全国的にコレラが大流行した際、18歳だった源左さんは父・善輔さんを40歳の若さで亡くします。激しい苦しみの中、父は最後の力を振り絞り、「おらが死んだら親様を頼め」と言い残して息を引き取りました。「親様(おやさま)」とは阿弥陀さまのことです。父を失った源左さんは、若くして一家の働き手として厳しい農業と家族の生活を支えることになりました。 🔶荷を預ける牛の姿に開けた「阿弥陀さまの救い」 父の遺言である「親様を頼むとはどういうことか」という根源的な悩みを抱えた源左さんは、10年以上にわたり各地のお寺や高僧を訪ねて教えを請いましたが、心の霧が晴れることはありませんでした。 30歳を過ぎたある早朝、源左さんはいつものように牛を引き連れて草刈りに出かけました。刈り取った草の束のほとんどを牛の背に載せましたが、「すべて背負わせては牛がかわいそうだ」と、1束だけ自ら背負って帰り道を歩んでいました。その途中、激しい腹痛に襲われて動けなくなってしまいます。限界を感じた源左さんが自ら背負っていた最後の草束も牛の背に預けた瞬間、不思議なことに腹痛がすっと治まりました。 その時、源左さんの心はパッと開かれました。 「自らの力で命の問題や死の不安という重荷を背負う必要はない。『その重荷のすべてをわたしが引き受けるぞ』と常に呼びかけてくださる阿弥陀さまがおられるのだ」と悟ったのです。 自らの力に頼るのをやめ、すべてを牛(阿弥陀さま)に任せた時、父の遺言の真意が開かれました。以来、源左さんは生涯を通じてお念仏の歓喜に包まれた人生を歩まれました。 🔶追善供養ではなく「私が仏法に出会う」お盆の本質 お盆は、亡くなった方々の魂を呼び戻して慰める「追善供養」のための行事と思われがちです。 しかし浄土真宗においては、亡くなられた方は阿弥陀さまの導きによってすでに仏となられ、いま生きている私たちのすぐそばに寄り添ってくださっていると受け止めます。したがって、霊魂を遠くから運んでくるといった行事や風習を必要としません。 お盆の本質とは、亡き方の命のご縁を通して、「いま生きているこの私」が自らの命のあり様を見つめ直し、阿弥陀さまの救いのみ教え(お念仏)に出会わせていただくことにあります。 源左さんが父の死という苦難のご縁から阿弥陀さまの慈悲に出出会われたように、お盆とは生きている私たちが教えに導かれるための尊い機会なのです。 🔶お墓参りの心得と熱中症への配慮 お墓参りもまた、故人に何かを買い与えたり善根を施したりする場ではなく、先祖や亡き親しい方々のご縁によって私自身が命の尊さに気づかされ、み教えに導かれる場です。ご家族やご親戚が集い、故人の思い出を語り合いながら自分自身の生を見つめ直す時間は、かけがえのない人生の糧となります。 なお、夏の時期にお墓参りへ出かけられる際は、熱中症への十分な注意が必要です。墓石や石畳は強烈な太陽光線によって熱を蓄え、周囲の放射熱が非常に高くなります。日陰も少ないため、日中の厳しい暑い時間帯を避け、早朝や夕方の涼しい時間帯にお参りされることをお勧めします。水分や塩分の補給を欠かさず、ご自身の身体と命を大切にお守りいただきながら、心穏やかにお参りください。 🔶今週のまとめ 【1】鳥取の妙好人・足利源左さんは、18歳の時にコレラで父を亡くし、「おらが死んだら親様(阿弥陀さま)を頼め」という遺言を胸に生きていかれました。 【2】自ら背負っていた草束を牛の背に預けて腹痛が治まった経験から、「命の問題や苦難のすべてを引き受けてくださる阿弥陀さま」のお心に気づき、お念仏を喜ぶ生涯を送られました。 【3】浄土真宗におけるお盆は、亡き人の供養(追善供養)のためではなく、亡き人の命のご縁を通して「いま生きている私」が阿弥陀さまの救いに出会うための場です。 【4】お墓参りも同様に、先祖や故人をきっかけとして自分の命のあり様を見つめ直し、いま生かされている感謝と教えを受け止める大切な機会です。 【5】夏場のお墓参りでは墓石の放射熱や日照りに注意し、早朝や夕方の涼しい時間帯を選び、水分補給等の熱中症対策を徹底することが身を守る配慮となります。 次回テーマは「地域の繋がり」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

About

仏教にまつわる色々なお話を、分かりやすくお話していただく番組です。仏教由来の言葉、豆知識、歴史、迷信、風習、教義、作法などなど。 出演は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正さん。お相手は、丸井純子さん。 お悩み相談もメールで受け付け中!goen@rkk.jp ▼メール goen@rkk.jp ★地上波ではRKKラジオ(熊本)FM91.4    AM1197で、毎週水曜日 午後6時10分から放送中。是非生放送でもお聴きください。

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