ひとりひとりの人生・オンリーワン

Talk Shift

特別な人でなくても、一人ひとりに価値 ① 1人1人素敵なものを持ち、1人1人違う人生を歩んでいる。でも、みんな気付いていない、、 だから、あなたのオンリーワン(失敗、成功、キャリア、価値観など)を発信します。 世の中には色々な人、考え方、価値観を知ることができます。 「自分は狭い世界で生きていたな~。こんな人生もあるんだ」と自分を変えるキッカケ、感動、刺激、楽しい人生になると最高です。 ② この番組は、有名人ではなくとも、身の回りの方々の物語を紡ぎ出す特別な番組です。 私たちの周りには、スポットライトを浴びることのない素晴らしい人生が無数に存在しています。 「オンリーワン」は、そんな"普通の英雄たち"の物語を、深い対話を通じて紡ぎ出していきます。ここでは、テレビでは決して語られることのない、人生の真実の物語が展開されます。 ③ 番組の特徴的なのは、単なるインタビューではなく、国際コーチICF資格を持ったプロのコーチとの深い対話を通じて、ゲスト自身も気づいていなかった自分の価値や人生の意味を掘り起こしていくところ。 ④ さらに、この番組はゲストの方の「人生の名刺」としても活用できます。自分の価値観や生き方を、音声という温かみのある形で残すことができるのです。 ⑤ テレビや雑誌では決して語られることのない、しかし確かにそこにある輝かしい人生の物語。それがオンリーワンです。

  1. FEB 11

    #108 売上120億の頂点から、爪も髪の毛もなくなる入院生活、依田さんの働きすぎた人生物語①

    「こんな人生、ドラマでも信じてもらえない」 徹夜続きのバブル期の電通プロックス。 タクシーチケットを振っても、 タクシーが来ない時代。   朝3時、4時に家に帰り、 シャワーを浴びるだけの日々。 そんな激務の中、彼女はCMを作り続けた。 電通プロックスを退職した依田さんは ドクターデヴィアス化粧品という 高級化粧品ブランドで、 売上120億を達成。 さらにプロデューサーとして独立。   華やかなキャリアの裏で、 彼女の身体は確実に蝕まれていった。   今回のゲストは、依田侑香里さん。 現在の肩書きは「医学气功師」と「国際中医薬膳師」。 でも、そこに至るまでの道のりは、 波乱万丈の人生。   1.シャワーのためだけに帰る家――バブル期、彼女の限界点 撮影現場に女性がほぼいない中、 依田さんは電通プロックスの関連会社で CM制作担当として働いていた。 1年目から徹夜の連続。 「家に帰るのはシャワーを浴びるため」という日々だった。 しかし、会社でも休めない、 家でも休めない。 当時うつ病だった母親は 彼女の帰りを待ってましたとばかりに 母親は彼女の部屋に来て、 ずっと喋り続ける、 怒鳴り続ける。   父親は夜の10時に帰らないと、 プロデューサーにまで怒鳴り込む人だった。 限界を迎え、 電通プロックスは病気が原因で 退職することに、、、   2.一流企業から、4万3000円の部屋へ 「私の人生、どうなるんだろう」 母親から家を出たら 「縁を切る」と言われる矛盾。   病気で電通プロックスを退職した彼女は、 病気を治すために 病气治療を経て 月4万3000円のアパートで、 ゼロからの人生を始めることを選んだ。   3.派遣から始まった、次の時代 派遣社員として ようやく辿り着いたのが、 NTTドコモの黎明期。   「携帯なんて売れるか」と言うおじさんたちの中で、 彼女は毎月「何万台達成!」という時代の 転換点を目撃する。   4.畑違いの挑戦が、会社を急成長させた 「もう激務はやめよう」 広告業界は好きだけど やめておこうと思っていたのに、 やっぱり好きで 正社員として ドクターデヴィアス化粧品の 広報企画本部に入社。 広告の人間なのに、 商品開発。 でも、それが運命の転機となる。 彼女が関わった商品は、 会社を20億、40億、80億へと急成長させた。 ようやく掴んだ成功。 ようやく見えた光。   8.独立し、限界は、静かに近づいていた 依田さんは ドクターデヴィアス化粧品を退職し、 プロデューサーとして独立後は さらに過酷な仕事が加速します。   9.病院で目覚めたら、肌が黒くなっていた 3年が経ったある日、 彼女の身体は限界を迎える。   突然の入院。パジャマに着替えたところまでは覚えている。 次に目が覚めたとき、 依田さんは全身が真っ黒になっていた。 最初は4人部屋だったはずが、 気づけばナースステーション横の 特別室に移されていた。   看護婦長さんがずっと付き添っていたという。 「先生、これは何なんですか? 私は黒人になったんですか?」 医師も答えられなかった。   「免疫が間違ったとしか言えない。 メラニンを大量に発生してしまったのかもしれない。 元に戻るまで、1年はかかると思う」 しかし1年では戻らなかった。 3年経っても、彼女の肌は真っ黒だった。 いや、今も完全には戻っていない。   10.爪、髪の毛がなくなり、老婆のような姿に それは始まりに過ぎなかった。 1日3食きちんと食べても、 彼女の体重はどんどん落ちていく。 髪の毛が抜け落ちた。 爪までなくなった。 「爪ってなくなるんだ」と、 依田さんは驚いた。 体重は30kgまで落ち込み、 中の肉がなくなったせいで、 座っているだけで骨が痛む。 余った皮膚がペロンと垂れ下がる。 太ももも、お尻も。 顔はシワシワになり、 まるで知らない老婆のようだった。 トイレに行くたび、 鏡に映る自分の姿を見て 「誰、これ?」と思う。 そして「ああ、私か」と気づく。 自分の姿を忘れるほどに、 彼女は変わり果てていた。 身体だけではない。 お金も、人も、すべてが消えていった。   12.もう、この人生を終わりにしてください 3年が経ったころ、 依田さんは毎晩、 天に祈るようになった。 全身真っ黒で、 髪も爪もなく、 体重30kg。 お金も人も失い、 「もう、この人生を 終わりにしてください」 「私はもう無理です。 この依田侑香里という人生は、 もう限界です。 このままでは路上生活になる。 家賃も払えなくなる。 自殺も考えた。 でも飛び降りて、 もし生き延びてしまったら? 半身不随になったら? 怖くて、自分では死ねなかった。 未来が見えなかった。   今、あなたは「やりすぎ」ていませんか? 依田さんの物語は、 ただの成功談ではありません。 月曜日から金曜日まで毎日終電帰り、 土日も休まず働き続ける。 栄養ドリンクで身体を騙し、 「私は大丈夫、大丈夫、 仕事が好きだから、 全然へっちゃら」と 言っている人たち。   自分のことを後回しにして 限界を超えて 働いた先に何があるのか? そして、本当に大切なものは何か。 その答えが、このエピソードにあります。 そして、 そこからどうなったのか? どうやって彼女は、 「漢方医」という 全く異なる世界へと辿り着いたのか?   この配信では、依田さんの口から語られる、 リアルすぎる昭和と、 何度倒れても、 立ち上がり続けた 女性の物語が明かされる。   彼女は今、穏やかに、 そして力強く、 漢方医として多くの人を救っている。   人生に「遅すぎる」なんてない。 人生に「終わり」なんてない。 そう思わせてくれる、圧倒的な物語が、ここにある。

    38 min
  2. JAN 13

    #107 失われた日本に必要な行動力がここにある、碇さんの人生物語②

    起業する気などなかった青年が、なぜ30億円企業を作れたのか。 8年間も影に徹しながら、なぜ4億円を稼げたのか。 そして、過疎地域の廃校で、なぜ新しいビジネスを始めたのか。   その答えは、彼の人生そのものの中にあります。 起業を考えているあなたへ。逆境をチャンスに変えたいあなたへ。地方創生に興味があるあなたへ。一人ひとりの人生には、必ず学びがある。   1.高校卒業10日前、人生は始まった この男、ただ者ではない。 高校卒業まであと10日。普通なら卒業式の準備をしている時期に、高校を中退し、彼は家を出た。 先輩の家に転がり込んで7日。「早く出てけ」と言われ、築地で住み込みの仕事を始める。 そして1年後、結婚。さらに3ヶ月後には子供ができていた。 20歳で父親になった男、碇さんの物語がここから始まる。 築地で働きながら音楽活動を続ける日々。 しかし、そこには「遅刻OK」「飲酒運転も薬物使用も黙認」という独特の世界が広がっていた。 「ここにいたら人間的にやばい」 そう感じた碇さんは、冷凍庫のオペレーター、半導体工場へと転職を重ねていく。   2.理解されない選択を、選び続けた人 そんな中、北海道の実家から連絡が入る。 父親が病気で手術が必要だと。中学生の弟を残すわけにはいかない。妻子を連れて北海道へ。 父親は家業を継いでくれると期待していた。しかし碇さんの答えは違った。 「2拠点生活をしよう」 墓も2箇所、家も2箇所、仕事も家業と自分のやりたいこと、両方やればいい――。 30年以上前、そんな提案をした男がいた。 当然、理解されなかった。「お前とは意見が合わない」。 再び東京へ。   3.今の若者に足りないのは「行動力」だ 碇さんは語る。 「今の子たちは頭がいい。でもリスクヘッジばかりで行動が足りない」 「リスクヘッジじゃなくて、リカバリーで考える。右に曲がりながら方向修正する方が頭を使った方がいい」 「やらない選択肢は誰でもできる。PDCAを1回転目でやめてしまう」 この言葉、あなたの心に刺さりませんか?   4.Windows95前夜、パソコンとの出会いが人生を変える 碇さんは、元々ミュージシャンを目指していた。 しかし、現実は厳しかった。 「パソコンで音楽編集しないと、これからのミュージシャンは売れないぞ」 Windows95が出るか出ないかの時代。そんな言葉に後押しされ、半導体工場で働きながらパソコンを購入した。 音楽の道を諦めた青年が手にしたパソコン。それが、彼の人生を大きく変える「原型」となった。 半導体工場では、派遣法の制約で年間10ヶ月しか働けなかった。 2ヶ月の空白期間をどう過ごすか。そんな時、中古パソコンのオークション会社のアルバイト募集を見つけた。 「パソコンが安く買えるかもしれない」という軽い気持ちで飛び込んだその会社で、碇さんは中古パソコン販売の面白さに目覚める。 世の中にほとんど知られていなかった、その可能性に。   5.「絶対に会社なんてやりたくない」と思っていた男 実は、碇さんには起業する気など全くなかった。 家業が自営業で、人を雇う側と雇われる側の間の苦労話をさんざん聞いていた。 「絶対にこんなのやりたくない」。それが彼の本音だった。 しかし、運命は彼を起業へと導く。 中古パソコン会社で働いていた時、経営者から声をかけられた。 「社員になるか、それとも独立して会社を持って、うちの業務を下請けしてくれないか」 そして、あの提案が来た。「月額80万円で、アルバイト18人分の仕事をやってくれ」 「計算が合わないんです。ちょっと預からせてください」どう考えても無理な話だった。普通なら、ここで断る。しかし、彼は違った。相手の会社の業務と自社の業務をうまく組み合わせる方法を考えた。数日後、彼は「逆提案」を持って再び、その経営者の前に現れる。 場所を借りる、リソースを一緒に使う。条件を整えた逆提案を持って行き、「これを飲んでくれるなら80万円で受けます。飲んでくれないなら受けられません」と交渉した。 経営者は、その提案を受け入れた。この一手が、のちに年商30億円を超える企業グループへの扉を開くことになる。 冷静に考えれば、断るべき条件だった。   6.8年間、影に徹した男 起業したものの、碇さんには奇妙な制約があった。 「会社名で営業してはいけない。代表の名前も出してはいけない。表に出るな」。 オークション会社の事情で、運営を外部委託していることを明かせなかったのだ。 会社は立ち上げた。しかし、8年間、彼は影に徹した。 インターネット通販だけで販売し、営業活動は一切しなかった。 それでも、結果は驚異的だった。初年度で売上4億円。3年で10億円に到達した。 「超超ブラック企業スタイル」と彼が振り返る、猛烈な働き方があったからこそ実現できた数字だった。 8年後、ようやく碇さんは表舞台に立つことを許された。 会社名もリペアシステムサービスから株式会社RSSへ、そして現在の株式会社リングローへと変わっていった。   7.廃校が、ビジネスになる 中古パソコン事業を軌道に乗せた碇さんは、次なる挑戦に目を向けた。 「中古パソコンは、20代後半から50代の男性には人気がある。でも、それ以外の層にはハードルが高い」。 そのハードルをどう下げるか?彼は常に考えていた。 ある時、壮大なアイデアが浮かんだ。「ビルを1棟、サーバーにしよう」。 パソコン内部のようなサーバー設備を持つビル、アミューズメントパークのような空間。 しかし、見積もりを取ると「何億円かかるかわからない」と言われた。 資金力が足りない。諦めかけた時、彼の頭に別のアイデアが浮かんだ。 「廃校なら、タダで借りられるかもしれない」 日本全国で、人口1万人以下の小さな町や村から、企業が撤退していた。 携帯キャリアも店舗も閉め、地域の人々は十分な情報を得られず、「別にいらない」「使わなくてもいい」という選択をしている。 それは、もったいない。 碇さんは、廃校を拠点に、デジタルデバイド対策を始めた。 地域全体を顧客化し、ハードウェアのメンテナンスからサポートまで提供する。 誰も手をつけていなかった、ブルーオーシャンの領域だった。   8.ブレない軸、柔軟な手段 音楽からパソコン、中古パソコン販売から廃校利活用へ。 一見バラバラに見える碇さんの選択には、実は一本の太い軸が通っている。 目標への圧倒的なコミット力。そして、「手段はあの手この手でいい」という柔軟性。 「順調なんてことは全然ない。常に山あり、谷あり」と碇さんは語る。 年商30億円を超える企業を築いた裏には、語りきれないほどの苦労があった。 今、彼が見据えているのは、リングローをコーポレート化してグループ企業として成長させること。 そして、一般社団法人として運営している廃校利活用事業を公益社団法人にして、各拠点を自走させること。 「その地域のものにしていきたい」という、彼の想いは揺るがない。   今すぐ聴く  高校中退から始まった型破りな人生。その先に見えてくる、本当に大切な「行動力」とは何か。 リスクヘッジではなく、リカバリーで生き抜く。   碇さんの人生哲学が、あなたの明日を変える。 「やらない選択肢は誰でもできる」 今すぐ聴いて、あなたも一歩を踏み出そう。

    19 min
  3. JAN 13

    #106 高校卒業まで10日を残して中退する有言実行の碇さんの人生物語①

    ドイツのフランクフルトで、 老夫婦に道を尋ねられた。 タイでは、現地の女子大生に アンケートを求められた。 「いや、俺日本人なんだけど…」 英語はろくに話せない。でも、世界中どこへ行っても、 人と仲良くなれる碇さんは、2つの会社を経営されています。 • リングロー株式会社 代表取締役社長・創業者• 廃校利活用の一般社団法人 代表理事 一見、優しく穏やかな表情からは想像できない、 波乱万丈の人生。 大人を困らせた「めんどくさい子供」が、 どのようにして成功企業を築き上げたのか? その答えは、彼の幼少期の経験と、 培われた独自の価値観にありました。   ありふれた成功ストーリーではありません。 これは、型にはまらない少年が、 自分の「欠点」を 最大の「武器」に変えて駆け上がった、 唯一無二の人生物語です。   1.笑顔の裏に、型破りな子供時代 優しい雰囲気の経営者・碇さん。 しかし、その印象とは裏腹に、彼の幼少期は「とにかく、大人の揚げ足を取り、めんどくさい子供」だったと本人が語ります。 「社長の親じゃなくて良かった」 「こんな子供欲しくない」——今でも社員からそう言われるほどの、 型破りな子供時代だったのです。   2.普通じゃない子供時代が、普通じゃない人生を作る 「働かざる者食うべからず」 碇さんの家には、お小遣い制度はなかった。 欲しいものがあれば、 交渉する、働く、対価を得る。 同級生がお小遣いをもらっているのを見て、 羨ましかった。 でも今思えば、それが彼の原点だった。 小学2年生。150円を握りしめて、 勝手にバスに乗った。 目的地は親戚の家。 親は困惑した。 「なんでそこにいるの?」 「行きたかったから」 見知らぬ土地へ行くこと。 見知らぬ人と出会うこと。それが、彼の生き方になった。   3.北海道の自転車旅行者に声をかけ、家に連れて帰る少年 学校帰り、北海道の国道沿いで旅人を見つけると、 声をかける。「よかったら、うちでご飯食べてって」 親は最初驚いたが、やがて慣れた。「またか」 赤の他人が1人、2人増えても、誰も気にしない。それが、碇さんの育った環境だった。   4.「厄介な性格」こそが、経営者としての武器 碇さんの特異な能力:   (1)   恐るべき記憶力飲み会の会話も、面接時のやり取りも、すべて記憶。「その話は忘れてください」と 社員に言わしめるほど。 (2)  本質を見抜く観察力人の行動、会話、矛盾——すべてを見逃さず、一言一句覚えている。 (3)  幼少期からのビジネスマインドお小遣い制ではなかった家庭環境で、小学生時代から自力で稼ぐ術を編み出していた。 5.高校卒業まであと10日を残して、なんと高校中退 中学生の頃、音楽に目覚めた。「東京でやりたい」 父は最初、理解を示してくれた。東京の専門学校にも泊まってもらった。 でも、卒業直前になって、父は言った。「行く必要ねえだろう。早く働け」 約束が、覆された。 「じゃあもう、高校行くのやめる」 卒業まで、あと10日。校長先生まで出てきて説得された。 でも、彼の決意は揺るがなかった。 「約束を破られたなら、俺も約束を守らない」 ギター1本、着替え3日分、現金3万円。それだけを持って、彼は東京へ向かった。   6.有言実行。手段を問わず。 高校3年の2月。音信不通で家を出た。 ギター1本。着替え3日分。現金3万円。先輩の家に転がり込んだ。 捜索願が出るかどうか、というギリギリのライン。 でも、彼にとっては当たり前のことだった。 「やると言ったら、やる」   7.この男の人生は、まだ序章に過ぎない 目的にコミットした時の強さ。周りがドン引きするほどの行動力。 それが、会社の立ち上げに。AIの活用に。すべての成功に繋がっている。 碇さんの物語は、ここから始まる。常識を超えた人生を生きる男の、本当の話。 あなたの人生観が、変わるかもしれない。 あなたの「めんどくさい部分」も、実は誰にも真似できない強みかもしれない。 碇さんの物語が、あなたの人生の見方を変えるかもしれません。

    19 min
  4. #105 「等身大」を貫く勇気――「自由と納得」を大事にするエグゼクティブコーチ、八起さんの人生物語 ②

    12/13/2025

    #105 「等身大」を貫く勇気――「自由と納得」を大事にするエグゼクティブコーチ、八起さんの人生物語 ②

    1.「あ、私それになる」──その瞬間、すべてが動き出した 就職へのモチベーションがなかった。専業主婦になるつもりだった。 それなのに、慌てて就職活動をして、なんとか福岡の不動産会社に滑り込んだ八起さん。1日100件の営業電話をかける日々。バリバリの営業職。新人賞を獲得するほどの成績を残しながらも、社内のゴタゴタで退職。 誰もが「普通の人生」を歩むと思っていた24歳の女性が、ある出会いで、22年続くコーチング人生への扉を開けることになります。その出会いとは、、、   2.変屈な私でも、納得できた 「私、結構変屈だと思っていて」 八起さんは自分をそう表現します。 何かを学ぶとき、いつも心の中で「いや、そうは言っても」「ここが押し付けがましくないか」と疑問を抱いてしまう。 素直じゃない、可愛くない。そんな自分に気づいていました。 恋人との喧嘩が絶えない。喧嘩をしたくて付き合っているわけじゃないのに、どうしてもぶつかってしまう。どうしたもんか──。 そんな悩みを抱えていたとき、朝日カルチャーセンターの新聞広告で「コーチング」という言葉を見つけました。 カルチャースクールに通い始めた八起さん。そして、運命の2回目の講座で、講師がこう言いました。 「コーチングを専門にして、1対1でコーチをする職業があるんだよ」 その瞬間── 「あ、私それになる」 恋愛の悩みはどこかへ消えていました。   3.高校時代から繋がっていた、見えない糸 説明会で提示された会社名は「コーチ21」。 スクリーンに映し出された社長の名前を見て、八起さんは息を呑みました。 「伊藤  守」 高校時代、繰り返し繰り返し読んでいた本の著者。あの伊藤 守さんが作った会社。 「絶対間違いない」 働いて貯めたお金、約70万円を迷わず即申し込み。福岡から電話会議システムという当時の最新の技術を使って、スクールに通い始めました。   4.「自由」という言葉がポロッと出た瞬間 八起さんの口から、何度も出てくる言葉があります。 「自由」と「納得」 小さい頃から、制約されることが苦しかった。納得しないと前に進めない。そんな変屈な自分でも、コーチングは受け入れてくれました。 押し付けない。教えるというスタンスを貫かない。自分に考えさせる。自分に気づかせる。 「自由に、自分のペースで成長ができる。そんな変屈な私でもやっていけるっていう確信しかなかった」 2005年1月2日。 開業届を提出。 それから22年間、八起さんのコーチング人生が始まります。   5.売上は好調。なのに、心は地獄だった。 「クライアントは目標を達成していく。でも、私には、それがハリボテにしか見えなかった」 八起さんがそう語る時、その声には今でも当時の苦悩が滲んでいました。 35歳で育児休暇から復帰した彼女が飛び込んだのは、いわゆる「稼げる系コーチングスクール」。売る方法は完璧に教えてくれる。実際、売上は順調に伸びていきました。 でも、提供するコーチングの質は「ズタボロ」。 目先の目標達成だけを追いかけ、クライアントの本当に大切な価値観、腹の底にある想いには触れることができない。 自分が良いコーチングができていないことを、誰よりも自分自身が分かっていたのです。 「良くないものを売り続ける苦痛が、きつすぎた」   6.「計画的育児休暇」の5年間 実は八起さん、20代でコーチングの道に入り、順調にキャリアを積んでいました。 個人クライアントへのコーチング、研修講師。副業もしながら、着実に実績を重ねていた彼女が選んだのは、30歳から35歳まで丸5年間、仕事を完全にストップして育児に専念すること。 「保育園に預けるという発想を持っていなかった」と笑う彼女ですが、その5年間は単なる休息ではありませんでした。 「毎日トライアスロンをやっているみたい」 自分の限界を突破し続ける日々。3人の子どもを育てながら、彼女は"プロの専業主婦"として、自分と向き合い続けていたのです。   7.技術を取り戻す――そして、仲間を救う 稼げる系スクールを離れた八起さんは、コーチングのスーパービジョン練習会に通い、徹底的に自分の技術を立て直しました。 すると、不思議なことが起こります。 かつてのスクール仲間たちが、次々と彼女に相談を持ちかけてきたのです。 「コーチングができない」「クライアントからクレームが来た」「キャンセルされてしまった」 困っている人たちが目の前にいる。そして、コーチングの契約をもらえるということは、それ自体が奇跡のようなことだと彼女は考えていました。   「お金を払ってまで、1人の人を雇うんです」  その奇跡が、技術不足によって壊れていくのを、業界の一人として放っておけなかった。 恐る恐る始めたコーチング指導。でも、彼女が教えた人たちは、どんどんコーチングができるようになっていきました。 「私、うまいじゃん」――その瞬間、新しい道が開けたのです。   8.感覚ではなく、エビデンスで伝える 八起さんのコーチング指導には、明確な哲学があります。 「感覚で伝えない」 セッションを文字起こしを行い、エビデンスを示しながら解説する。 「ここの関わりが良かった」「この質問はクローズドになっていて相手を追い詰めている」――黒板に書くように、見える化し、スキルとして伝えていく。 でも同時に、こうも言います。 「それは私の主観であって、唯一の答えではない」 極めて冷静に、理論的に。でも、クライアント一人ひとりの心境に寄り添いながら。   9.「労働者」として生きる幸せ 今、八起さんは3つの柱で活動しています。ワンオンワンのコーチング、コーチング技術指導、そして企業研修。 「事業をもう一回り大きくしたい」と言いながらも、彼女が目指すのは途方もない成功ではありません。 「もっと自由に遊びたい。真面目に楽しみたいんです」 労働を愛し、腕まくりして「よっしゃ行くぞ」と働く。短時間で集中して働き、自由な時間を生み出す。 「私は労働者だと思っていて、そういう自分が好き」 等身大。無理に大きく見せない。圧をかけない。 それは夏目漱石の言葉「則天去私(天に則り、私を去る)」にも通じる、 彼女のコーチング哲学そのものでした。 八起さんの人生には、 自分らしく生きるためのヒントが詰まっています。

    26 min
  5. 12/09/2025

    #104 「専業主婦のプロ」を目指した女性が、「裏方のプロ」になるまでの八起さんの人生物語 ①

    なぜ、彼女は中学時代に「鎧」を着ていたのか? 「芸能人に詳しくないと…深夜番組を知らないと…1日3本映画を見に行けないと…」 私立女子中学で感じた息苦しさ。 周りに合わせるために着ていた見えない鎧。でも、公立高校に転校したその日、彼女は初めて気づいたのです。 「あ、自分のままでいいんだ」と。その瞬間、彼女の人生が動き出しました。 今回のゲストは、コーチング歴22年のプロのエグゼクティブコーチ、 八起(やおき)さん。福岡を拠点にオンラインで 全国のクライアントをサポートし、コーチ育成にも携わる業界屈指のベテランです。 1.“鎧”を着て生きた中学時代 八起さんの原点は意外にも、「大人数が苦手」「女子より男子と遊ぶ方が楽」「自由でいたい」という、少し風変わりな小学生時代にありました。 八起さんが語る中学時代の「鎧」事件は、多くの人の心に刺さる物語です。 私立女子校で感じた居場所の悪さ。 友達と遊びに行けば、休日に3本も映画を見るような派手な遊び方。芸能人や深夜番組の話題についていかなければ、、、 「どんだけお金使って遊ぶんだろう」「そんなに何本も映画なんて見たら疲れるよ」と心の中で思いながらも、無意識に合わせていた自分。 2.鎧を脱いだ少女の再生物語 家族の引っ越しをきっかけに公立高校に転校したとき、世界が一変しました。「裸で運動場を駆け回るみたいな素朴な学校」で、彼女は初めて鎧を脱ぐことができたのです。 私立時代には「知らない方」だった自分が、公立では「いろんなことを知ってる人」になった。 友達から「そんなに知らなくても全然いいんだって」と 言われたとき、彼女は悟りました。 「私、努力しなくていいんだ。ついていこうとしなくていいんだ」と。 この経験こそが、八起さんの今のコーチング哲学を形作っています。 3.人は変わらない。でも“環境”が人を活かす 「人は根本では変わらない。でも、それとどう付き合うか」。 気を使う性格も、自由を求める心も、大人数が苦手なところも、小さい頃から変わらない。 でも、環境によって、その個性が苦痛にもなれば、強みにもなる。 両方の学校を経験したからこそ、彼女は「自分にとっての心地よさ」を 知ることができました。 4.高校時代に見つけた「自分の役割」 執行部という部活動。40km遠足の企画運営。文化祭の副運営委員長。 表舞台に立つのではなく、裏でゴソゴソと準備をする。 当日、みんながスムーズに動いていく様子を見守る。 「私がトップの役をやることは違うな」 派手な運動会の盛り上げ役には関わらない。でも、行事の裏方では誰よりも輝いていた。 彼女は気づいたのです。 自分の好きなの裏方。**「人がうまくいくサポートをすること」**だと。 5.あなたは、自分の「役割」を知っていますか? 大学生の頃、多くの同級生が就職活動に奔走する中、一人の女性は違う夢を描いていました。 「私は、有能な専業主婦になりたい」 周りからは珍しがられたその夢。でも彼女の中では、すでに明確な人生哲学が確立されていました。 6.専業主婦も、コーチも、本質は同じ 「専業主婦は家族がうまくいくことをサポートする影の存在」 「コーチはクライアントがうまくいくのをサポートする影の存在」 主役はあちら。私は裏方。 そう語る八起さんの目は、驚くほど澄んでいました。 学生時代から一貫して持ち続けてきたこの価値観。それは今も、彼女の人生を貫く一本の軸となっています。 7.「やってみる」ことで見えてくる道 多くの人が気づかない自分の適性を、なぜ八起さんは早くから理解できたのか? 答えはシンプルでした。 「やりたいことをやってみる人だったから」 合うこと、合わないこと。好きなこと、苦痛なこと。 ひとつひとつ試して、確認して、自然と「自分」が見えてきた。 父親が会社経営者だったこともあり、就職というレールを意識せずに育った彼女。 だからこそ、自分の心に正直に生きられたのかもしれません。 8.付け焼き刃の就職活動、そして... 「卒業と同時に結婚」の予定が、相手がいないという現実に直面。 慌てて始めた就職活動は、企業にことごとく見破られ、内定は一社のみ。 でも、そんな中でも八起さんが最初に行動したのは... 整理収納アドバイザーへの直接アプローチ 飯田久恵さんという著名なアドバイザーの本に心を動かされ、どうにか電話番号を調べて直接連絡。 「アシスタントの募集はないですか?」 結果は「もっと人生経験を積んでからおいで」という返答。 でも、この行動力。このまっすぐさ。 「すごく慎重派だけど、静かに行動してます」 彼女自身は謙遜しますが、多くの人はこれを「行動派」と呼ぶでしょう。 9.自分を知る旅は続く 「自分のことは分かってるような、分かってないような」 そう笑う八起さん。 でも、自分が何に心引かれているか、何に興味があるか。 それを慎重に感じ取り、調べて、行動する。 この繰り返しの中で、彼女はある出会いを果たします。 コーチングとの運命的な出会い— 続きは、八起さんの人生物語②で 「裏方」という役割に誇りを持ち、人をサポートすることに生きがいを感じる女性。 彼女がどのようにしてコーチングと出会い、どんな人生を歩んできたのか。 あなたも、自分の「役割」を見つけるヒントが、 ここにあります。 このエピソードは、自分らしさを見失っている方、周りに合わせて疲れてしまう方、コーチングに興味がある方、そして自分の個性との付き合い方を知りたいすべての方に聴いてほしい内容です。 22年もコーチングを続けられる秘訣が、実は自分の個性を受け入れることだったという事実に、あなたも驚くかもしれません。 「鎧を脱いだ瞬間、本当の人生が始まる」──あなたも、自分が無意識に着ている「鎧」に気づくかもしれません。 八起さんの22年のコーチング人生の原点を、ぜひあなた自身の人生と重ね合わせながらお聴きください。 この番組では、ゲストの人生を深く掘り下げ、その人だけの「オンリーワン」なストーリーを配信しています。 今すぐ再生ボタンをクリックして、八起さんの物語を聴いてみてください。あなたの「鎧」は、どこにありますか?

    18 min
  6. 11/21/2025

    #103 50歳で廃業、そして再起。「仕事がある喜び」に気づいた北村さんの人生物語4

    うれしーーーーい!なんと北村さんが2度目の登場です!   まさか2度も出演して下さるとは思っていなかったので、びっくり。   今回は、新生北村!新しく生まれ変わった北村さんの人生物語です。   成功を恐れる経営者の、誰にも言えなかった本音がここにあります。   あなたは今、何と戦っていますか?その答えが、この配信の中にあるかもしれません。   1.「俺の方がすげえ」 あなたは今、何と戦っていますか?   「俺の方がすげえ」   かつて北村さんの心を支配していた、この言葉。  大企業で出世競争に明け暮れ、ベンチャー企業の「C◯◯O」という肩書きを名刺に刻むことが人生のゴールだった男。 成功している人を見ては比較し、自分の価値を測り続けていた。   でも今、彼は全く違う戦いをしています。 「他人」ではなく「自分」と戦う日々へ。   2.「このままでいいのか?」 現在、50社の顧客を抱え、契約率は驚異の30%(業界平均3%)。一件一件の仕事に真剣に向き合い、目の前の人を大切にする。そのサイクルが「あったかい」と北村さんは言います。 順風満帆に見えるビジネス。 なのに、なぜ彼は不安なのか? 「大きな成功を手にした時、また昔の自分に戻ってしまうんじゃないか?」 この番組で語られるのは、成功者の華やかな物語ではありません。 むしろ、成功を恐れる経営者の正直な葛藤です。   3.「友達不要論」から「大切な人を大事にする」へ かつて効率を追求し、人間関係さえもコスパで測っていた北村さん。 それが今では「誰かのために何かをする楽しさ」を知り、「酒がうまい」と感じる瞬間を人生の指標にしています。 でも、彼はこう言うのです。 「油断すると、また変わってしまう気がする」 この価値観の転換は、どうやって起きたのか?そして、なぜ彼は「満心」を警戒し続けるのか?   4.一度は全てを失った経営者が、たどり着いた"本当に大切なもの"とは? 大きな仕事を取れば取るほど、心は不安になる。 成功すればするほど、失うことが怖くなる。 「このままでいいのだろうか…」 50歳を過ぎ、一度は廃業を経験した北村さん。 再び起業した今も、心の奥底に迷いを抱えていました。   5.成功の裏に隠された"ビビり"の正体 個人事業主として、3年半。順調に見える日々の中で、北村さんは大きな矛盾を抱えていました。 「大きな仕事は取りたい。でも、取った時にビビってしまう」 なぜなのか? それは、太いご縁が切れる恐怖。安定を手に入れた瞬間に、それを失う不安が襲ってくる。 そして何より、自分の"器"への自信のなさ。 50歳を過ぎて一度失敗した自分に、本当にそれだけの価値があるのか—   6.対話の中で見えてきた"本質" しかし、対話を重ねる中で、北村さんの表情が変わり始めます。 「仕事がある喜び」 創業時につけた会社名「Work Be」に込めた想い。 それを語る時、北村さんの目は自信に満ち、声にはエネルギーが溢れていました。 仕事は単なる収入源ではない。 人を成長させ、自己実現のツールであり、そこで作られる関係性に人生がある。 営業で何度も断られ、「向いていない」と思った日々。 それを乗り越えた先にあった、絶大なる成長とやりがい。   7.たどり着いた答えは、驚くほどシンプルだった 「それだけでいい」 大きい仕事も小さい仕事も、法人化も個人事業も— 実は、それらは本質ではなかったのです。 北村さんが本当に大切にしたいもの。 それは「仕事がある喜び」を伝え続けること。 成功する前の絆奏が大切。結果が出ないからと辞めてしまう人たちに、働く喜びを伝えたい。 対話の最後、北村さんの顔は驚くほどすっきりしていました。   8.50年かけて気づいた"本当の価値" 「もっと早く気づけば良かった」 そう笑う北村さんですが、50年かけて気づいたからこそ、 その価値観の変化は本物でした。 一度は全てを失った経験。 それがあったからこそ、仲間のありがたさ、支えてくれた人たちへの感謝、 そして「仕事がある喜び」の尊さに気づけたのです。   9.聞いてください:本音の経営論 北村さんの言葉から 「結局、正直に自分を見つめた時、良かったかどうか。仕事も人生の一部。分けてないんです」 「昨年の自分に勝つ。これが僕なりのゴール」 「成功体験に溺れてしまうリスク。大きな仕事が取れた時、また曲がってしまうんじゃないか」   10.聴けば分かる、"本物の気づき"が生まれる瞬間 この配信では、リアルタイムで北村さんの表情が変わり、声のトーンが変化し、エネルギーが満ちていく様子が分かります。 コーチングの対話を通じて、 一人の経営者が自分の本質にたどり着く17分間。 計算された成功ストーリーではない、 生々しい人間の変容の物語がここにあります。   ひとりひとりの人生「オンリーワン」北村さん回 - 50歳からの再起、そして気づき   今すぐ再生して、本物の"気づきの瞬間"を体験してください。 「余計なことは考えない。仕事がある喜びを、これからも伝えていきたい」

    18 min
  7. 11/20/2025

    #102 「NO」を97回聞いた男が、法人化という夢に挑むまで。北村さんの人生物語3

    うれしーーーーい!なんと北村さんが2度目の登場です!   まさか2度も出演して下さるとは思っていなかったので、びっくり。   今回は、新生北村!新しく生まれ変わった北村さんの人生物語です。   北村さんの人生物語は、まだ完結していません。 法人化という新たなスタートラインに立つ彼が、これまでの3年半の経験をどう語り、そしてどんな未来を選ぶのか──   今回の人生物語で明かされること  ― 数千万円を失った絶望からどう立ち直ったのか? ― 97%の断りをどう乗り越えたのか? ― 「友達不要論者」から「仲間こそ全て」への価値観の大転換 ― 法人化を前に揺れる本音と、これからの選択 そして何より── 成功した後に訪れる「本当の迷い」をどう乗り越えるのか   1.二度目の挑戦、それは絶望からのスタートだった 北村さんは、かつて数千万円の早期退職金を全て失い、廃業という痛恨の経験をしています。 高校時代、うまく陸上で推薦を受けながら、自分のパフォーマンスを発揮できなかった時から、彼の人生は「うまくいった瞬間にこける」パターンを繰り返してきました。 愛知県から東京へ、そしてグループ全体の責任者へ ──20年間積み上げたキャリアは、上司との衝突で一瞬にして崩壊。 そこから始まった再起への道。それは想像を絶する厳しさでした。   2.97%の「NO」と向き合う日々 ゼロから顧客を作る。 ペンネーム「Work Be」として活動を始めた北村さんを待っていたのは、月100件のうち、97件に断られるという現実でした。 そう97%も断られ続けたのです。 普通なら心が折れる数字です。 しかし、彼は歩み続けました。 Work Be売上推移の数字だけ見れば成功です。 でも、北村さんは今、迷っています。   3.「このままでいいのか?」法人化の決断に揺れる心 株式会社として正式に歩み出す──人生に一度あるかないかの節目。 嬉しいはずのこの瞬間に、北村さんは立ち止まります。 「一定作りたい世界は作れた」「でも、過去を振り返ると、そう思った瞬間にこけてる」 成功体験がトラウマになる。そんな矛盾を抱えながら、彼は自問します。 このやり方を続けることが、本当に正しいのか?   4.3年半で掴んだ「本当の宝物」 数字、実績、安定した生活──それらを手に入れた北村さんが気づいたこと。 それは、**「仲間の存在」**でした。 97%断られる中で出会った仲間たち。一緒に仕事を取りに行く相棒。支えてくれる友人たち。 「組織にいた時は、同僚や後輩がいるのが当たり前だった。でも今は違う。1人だからこそ、仲間の存在の大きさが分かる」 かつて「友達は踏み台」と言い切っていた男は、今こう語ります。 「全ては仲間がいて実現している」   5.80点から90点への挑戦──彼が選ぶ次のステージとは? 0点から80点への道のりは険しくとも、確実に前進できました。 しかし、80点から90点へ──この10点が、最も難しい。 「3年続けることには可能性がある。でも、同じことを10年続けることが正解なのか?」 法人化という節目を前に、北村さんは新たな決断を迫られています。   6.人生は、うまくいった時こそ試される 仕事がうまくいった日。 北村さんは一人で飲みに行きます。   それは、自分への問いかけの時間。「慢心していないか?」「大切な人を大切にできているか?」   7.かつて「友達不要論者」だった男の告白 「なんで分かってくれないんだろう」「自分が正しい、自分が一番できる」 北村さんは、そんな風に考えていた時代を振り返ります。 客観的に見ると「つまんないやつだった」と。 そこに戻りたくない。 その強い思いが、今の彼を支えています。   8.廃業という転機が教えてくれたもの 厳しい廃業を経験し、必死で生きていく中で、気づいたら価値観が変わっていた。 今、北村さんが大切にしているのは2つ。 ①大切だと思う人を大切にできること (スターになりたいわけじゃない) ②相手を思う気持ち (プレゼントを渡す前に考えている時間が楽しい) 50歳を過ぎて気づいた、この喜び。   9.成功の陰にある、静かな悩み 「いいやつの後ろには、いいやつがいる」 多くの人に支えられ、濃厚な時間を過ごす日々。 でも、人が増えれば一人当たりの時間は減っていく。 アクセルを踏むのか ?ブレーキを踏むのか ? 次の予定が入ってしまい、ちゃんと御礼を言って、帰れなかった日。振り返って、悔いが残る。 成功している人だからこそ抱える、関係性の総量という悩み。   10.3年後も笑顔でいるために 「なんで分からないんだろう」と思っていた自分には、油断すると戻ってしまう危機感がある。 だから、今日も問い続ける。大切な人を大切にできているか、と。 プライベートでも、仕事でも、 疲れた顔ではなく、笑顔でいたい。 それが、北村さんの願いです。   11.相手を思う気持ちを忘れてないか? 自転車操業から抜け出し、今は多くの人に支えられながら充実した日々を送る北村さん。 その言葉の端々には、 失敗を経験した人だけが持つ深みと優しさがあります。 「相手を思う気持ち」が何より大切。 そう語る彼の笑顔の裏には、戻りたくない過去と、守りたい今があります。   12.今すぐ視聴 人生の転機を経験したすべての人へ。 北村さんの率直な語りが、あなたの心に響くはずです。 「このままでいいのか?」と悩むすべての人へ贈る、リアルな再起の物語 第2回では「油断すると戻ってしまう」という危機感について、さらに深く語ります。お楽しみに。

    13 min

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特別な人でなくても、一人ひとりに価値 ① 1人1人素敵なものを持ち、1人1人違う人生を歩んでいる。でも、みんな気付いていない、、 だから、あなたのオンリーワン(失敗、成功、キャリア、価値観など)を発信します。 世の中には色々な人、考え方、価値観を知ることができます。 「自分は狭い世界で生きていたな~。こんな人生もあるんだ」と自分を変えるキッカケ、感動、刺激、楽しい人生になると最高です。 ② この番組は、有名人ではなくとも、身の回りの方々の物語を紡ぎ出す特別な番組です。 私たちの周りには、スポットライトを浴びることのない素晴らしい人生が無数に存在しています。 「オンリーワン」は、そんな"普通の英雄たち"の物語を、深い対話を通じて紡ぎ出していきます。ここでは、テレビでは決して語られることのない、人生の真実の物語が展開されます。 ③ 番組の特徴的なのは、単なるインタビューではなく、国際コーチICF資格を持ったプロのコーチとの深い対話を通じて、ゲスト自身も気づいていなかった自分の価値や人生の意味を掘り起こしていくところ。 ④ さらに、この番組はゲストの方の「人生の名刺」としても活用できます。自分の価値観や生き方を、音声という温かみのある形で残すことができるのです。 ⑤ テレビや雑誌では決して語られることのない、しかし確かにそこにある輝かしい人生の物語。それがオンリーワンです。