げらやく(よく笑う元薬剤師の雑談日記ポッドキャスト)

げらやく

毎週火曜・木曜更新! 映画・本・ゲーム・YouTubeなど、心が動いた作品をきっかけに、日常の違和感や人間の不思議を考えるポッドキャスト「げらやく」。 元薬剤師・現企画職のいけうちが、作品の感想だけで終わらせず、気になったことを調べたり、自分の仕事や生活に引き寄せたりしながら、ゆるく深く話しています。 扱うテーマは、認知バイアス、薬や病気のしくみ、科学と社会、哲学、生き方、仕事、創作、そしてたまに物理まで。 いろんな疑問を、ひとりで、時々だれかと、一緒にほどいていく知的(?)雑談日記ラジオです。

  1. 19h ago

    考えないを考える夜【ゲスト:人事お姉さん】

    #82【飲酒回】 今回は、人事お姉さんを迎えての飲酒回。 薄暗い照明、しだれる桜のような装飾、ふかふかのソファー、グラデーションのかかったお酒、白ワインとケーキ。どう考えてもムードのある空間なのに、始まる話は「この暗さ、睡眠にはよさそう」。せっかくの色気を睡眠衛生に変換してしまうところから、第82回は始まります。 デート向きの店に来ても、光量が気になり、バナナケーキを分け合い、気づけば映画と涙、人間関係、初対面の判断基準まで話が広がっていくようです。お酒の力も借りながら、いつも以上に話題が行ったり来たりする回です。 ▪️ 『ハート・オブ・ビースト』と、「分解」するほどの感情移入 最初の大きな話題は、映画『ハート・オブ・ビースト』。戦地から帰ってきた軍人と、同じく戦争を経験した軍用犬の物語について話しています。 PTSDを抱えた犬の余生を少しでも幸せなものにしようとする人間と、それに信頼で応える犬。多少「泣かせにきている」と感じる演出や、現実なら本当にそんな判断をするだろうか、とツッコミたくなる部分もありつつ、結局はふたりの信頼関係にしっかり心を持っていかれたとのこと。 しかし問題は、聞いている側が動物ものに異常なほど弱いこと。「軍用犬」という単語が出ただけで顔が曇り、あらすじの途中ですでに限界を迎えます。そしてここで誕生するのが、感情移入しすぎて自分自身が崩壊することを指す「分解する」という新語。 映画を観て泣くのではなく、映画館で「分解する」。意味はよくわからないのに、二人の間では妙に意味が通じてしまっています。こうしてまた一つ、この二人にしか通用しない言葉が増えました。 そもそも映画を観て泣かないことが「ほぼない」という話から、『鬼滅の刃』や『プラダを着た悪魔』の話にも寄り道。泣くことを目的に映画を観るというより、日常的に感情移入して勝手に涙が出るため、定期的に感情が自動排出されているのではないか、という妙な自己分析まで進んでいきます。 ▪️ 流行っているものより、「自分が良さそうと思ったもの」 『ハート・オブ・ビースト』を観た映画館がかなり空いていたことから、話は作品の知名度へ。人気シリーズや有名作品に人が集まるのは当然。でも、「みんなが観ているから」ではなく、自分が面白そうだと思った映画を観に行くのもいいのではないか、という話になります。 大げさな映画論というより、「自分がいいと思ったのに、なんでこんなに誰も観てないんだろう」という素朴な違和感から出てくる話なのが、この回らしいところです。 ▪️ 一度会った人と、もう一度会う面白さ そこから話題は、最近参加した「書くタイプの読書会」へ。初参加のあと、一人で反省会をして、ポッドキャストで喋って、友人たちから反応をもらう。それだけでも一度目とはかなり違う自分になっているはずで、二度目に参加すれば当然、出てくる言葉も変わる。 だから面白いのは、毎回知らない人に会うことだけではない。同じ人にもう一度会って、その人や自分がどう変わっているかを見ること自体がコンテンツなのではないか、という話になっています。 人は環境や一緒にいる相手によって、良くも悪くも変わっていく。数年後まで何も変わらない人のほうが、むしろ珍しいのかもしれません。人間そのものより、人間の「途中経過」を見ているのが好きなのでは、と気づけばそんな話になっているようです。 ▪️ バーでおばあちゃんにナンパされる 人間の変化について真面目に話していたと思ったら、突然始まるのが「バーでおばあちゃんにナンパされた話」。 友人を待って一人で座っていたところ、隣のおばあちゃんから声をかけられ、余ったピザを勧められ、そのままかなり積極的に話しかけられます。途中で友人が来ても会話は続行。店員がさりげなく助けに来るほどの勢いだったそうです。 一方では「もうおばあちゃんからモテなくていい」と言いつつ、別の日には道に迷った人を目的地まで連れていってしまう。口では面倒そうにしているのに、実際には案内してしまう。その言葉と行動の微妙な不一致を相手に発見され、本人はかなり不服そうです。 ▪️ 東京カレンダーみたいな店で、写真を撮り合う 今回収録している店は、とにかく写真映えする空間。そこで自然と始まったのが、二人で写真を撮り合う時間でした。 人事お姉さんは「東京カレンダーの表紙」のような表情を自然に作れる一方、普段はかなり堂々としているもう一人は、カメラを向けられた瞬間だけ急に照れる。撮られること自体が嫌なわけではない。むしろ嬉しい。でも、レンズを見るのは恥ずかしい。 中高生の頃に写真で変顔ばかりしていたのも、もしかすると照れ隠しだったのではないか。そんな昔の行動まで、カフェで写真を撮っているだけなのに掘り返されていきます。 「みんなにも見てほしい」と「でもこれは心のカメラロールにしまっておきたい」が同時に存在する。その距離感も含めて、写真を撮るという行為にも人間同士の相性が出るらしい、と気づきます。 ▪️ 人間の相性を、もう言語化しすぎない そして今回の後半、大きなテーマになるのが「最近、相性を言語化するのをやめようとしている」という話。 「なぜこの人といると居心地がいいのか」「なぜこの人とは合わないのか」。理由を説明できると安心するし、考えることそのものは楽しい。でも人間には、その日の気分、仕事で起きたこと、場所、一緒にいるメンバーなど、あまりにも多くの要素が混ざっています。 だから全部に理由をつけなくても、「ここは居心地がいい」「なんとなく今日は違う」くらいでいいのではないか。人間は複雑すぎるので、分析してわかった気になることを一度やめてみる。考えることが好きな人ほど、意外と難しい実験なのかもしれません。 ▪️ 二人だけの言葉が生まれるまで、何度か会ってみる その話とつながって出てくるのが、「初対面で相手を判断するのが早すぎたかもしれない」という気づきです。 今までは、最初の会話で「面白い」「合わない」をかなり早く判断し、合わないと思えばそのまま興味を切ってしまうことがあったそうです。しかし読書会で、文章では大量に考えを書けるのに、リアルタイムの会話になると極端に言葉が遅くなる人と出会います。 そこで初めて、その場で喋れることと、その人が頭の中で考えていることは、必ずしも一致しないのだと実感したとのこと。 そもそも今回生まれた「分解」という言葉だって、一度会っただけでは生まれません。何度も話して、過去の会話が積み重なって、二人にしかわからない文脈ができていく。人間関係には、そういう「何回目まして」から始まる面白さもあります。 グループでは見えなかった魅力が一対一では見えるかもしれないし、初対面では自己開示がゼロだった人も別の場面では違うかもしれない。……と、かなり寛容な方向へ話が進みますが、「そこまで待つのめんどくさくない?」と途中で自ら撤回しかけるのも、この番組らしいところです。 とはいえ、すべてを改善する必要もないのかもしれません。居心地のいい服だけがクローゼットに残るように、人間関係も結局、居心地のいいものが残っていく。 分析をやめたいと言いながら最後までしっかり分析している二人の、「考えない」を考え続ける飲酒回です。

    考えないを考える夜【ゲスト:人事お姉さん】
  2. 3d ago

    講座第1回目、元薬剤師として睡眠について話してきた

    #81【ひとり回】 今回は、初めて担当した大人向け講座を終えた直後の振り返り回。子ども向けのPC講座から始まったはずが、いつの間にか「薬剤師として何か話してほしい」という依頼につながり、選ばれたテーマは薬との付き合い方と睡眠でした。 講座の内容そのものを振り返りながら、「人前で知識を話すとき、信頼ってどうやって作るんだろう」「参加者が発言しやすい空気って何なんだろう」と考え始め、気づけば講師業と人間関係と締切の話まで広がっているようです。 ▪️「薬剤師です」を、どうやって信じてもらうのか講座の前半は、薬の基本を扱う時間。ただし、その裏にはひとつの狙いがありました。それが「まず話し手として信頼してもらう」こと。 肩書きとして「薬剤師です」と言うだけなら一瞬ですが、本当にこの人の話を聞いて大丈夫なのかは別問題。薬剤師免許証を掲げるわけにもいかず、白衣姿の写真を出すべきだったのか、薬局の写真があれば信頼感は増したのか……講義を終えたあとになって、なぜか「信頼の作り方」が気になり始めています。 ▪️○×クイズなのに「答えは△です」でブーイング講座は一方的な講義ではなく、かなり参加型。「○だと思う人?」と手を挙げてもらい、そこから話を広げていくスタイルです。 とはいえ、人前で最初に発言するのは難しいもの。話し手は、よく目が合う人、話したそうな人、今はそっとしておいた方がよさそうな人を見ながら、「誰なら最初の一言を出せそうか」を探していた様子。10人前後でも全員のリアクションを拾うのは思った以上に難しく、講義なのにかなり対人センサーを使う仕事だったようです。 そんな空気がほぐれ始めた頃に登場するのが、「食後の薬は、食事を抜いたら飲まない方がいい。○か×か?」という問題。 答えはまさかの「△。薬によります」。○×クイズだと言っておきながら△を出したことで、参加者からブーイングが発生します。さらに「コーヒーやエナジードリンクで薬を飲んでもいい?」でも再び△。 ところが、このブーイングがかなり嬉しかったらしい。最初は受け身だった参加者が、後半には発言し、質問し、ついには話し手の仕掛けにツッコミを入れるようになっている。「こっちが投げたものを、ちゃんと投げ返してくれる」ことへの喜びが、じわじわ語られています。 そして気づけば、「友達になりやすいのも、こういう仕掛けを拾ってくれる人なのでは」という話にまで到達。講座の話だったはずが、掛け合いそのものが生活の豊かさの一部なのでは、というところまで考えているようです。 ▪️薬を完璧に管理するより、困った時の扱い方を知る薬パートで繰り返し出てくるのは、「できなかったことを責める話ではない」という考え方。 薬が余る。飲み忘れる。飲むタイミングが分からなくなる。そういうことは普通に起きるので、「ちゃんとしてください」で終わらせるのではなく、ピルケースやお薬カレンダー、スマホのアラームなど、忘れにくい仕組みを一緒に作ればいい。 薬局勤務時代には、毎日薬を飲む若い患者さんと、その場でスマホのアラーム設定まで一緒に考えることもあったそうです。思い返せば今回やっていることも、薬局で患者さんと繰り返してきた会話の延長線上にあるようです。 「全部医療者に決めてもらう」でも、「全部自分だけで判断する」でもなく、自分の状態を観察して、必要なところで相談する。この辺りが、講座全体の土台になっていたようです。 ▪️本題は睡眠。「質」の前に、そもそも寝ているのかそして後半、ようやく本題の睡眠へ。一番伝えたかったのは、かなりシンプルな話でした。睡眠は、まず「質」より「量」。 「短時間でも質のいい睡眠なら大丈夫」という便利そうな言葉より先に、そもそも必要な睡眠時間を確保できているのかを見る。眠れない場合も、寝つけないのか、途中で何度も目が覚めるのか、朝早く起きてしまうのかによって困り方は違います。 睡眠薬にも短く作用するものから長く作用するものまであり、一度で完璧に自分に合う薬が見つかるとは限らない。飲んでみる、様子を見る、記録する、次の診察で伝える。そのサイクルを回していく話へつながります。 さらに、眠っている間には記憶の整理や学習、技能の定着も行われているという話をしたところ、学生の参加者から「一夜漬けをよくするんですけど、意味ないってことですか?」という質問が。 申し上げにくそうに「この理論でいくと……」と返す講師と、「やっぱり」と受け止める学生。講義資料の中の知識が、一瞬で誰かの生活に接続される。こういう瞬間が、かなり楽しかったようです。 ▪️寝だめ、スマホ、真っ白な照明。睡眠は生活の中にある休日にたくさん寝て、来週分の睡眠を貯金できるのか。答えはできない。休日に長く寝ているなら、それは未来への貯金ではなく、平日の睡眠不足を返済しているのかもしれません。 休みの日は昼過ぎまで寝る、という参加者とのやり取りもあり、ここでも急に講義が生活の話になっていきます。 特に盛り上がったのが「寝る前のスマホは絶対禁止なのか」という話。スマホそのものを悪者にするのではなく、ショート動画、SNS、ゲーム、チャットなど、次々と刺激が入ってきてやめにくい使い方に注意する。一方で、リラックスする音楽を流すなど、使い方によっては一律に禁止する必要もない。 すると「スマホがあるとショート動画を見てしまうから、寝る時は別の部屋に置いています」という参加者まで登場。すかさず「もうそれが一番いいです」と返すなど、睡眠講座というより生活改善作戦会議のようになっています。 さらに話は照明へ。朝は朝らしく明るく、夜は夜らしく暗くする。「寝る前のスマホ」には敏感なのに、夜中まで真っ白な天井照明を最大出力で浴び続けている人は意外と多いらしく、「この世は明るすぎる」という謎の熱量が発生します。 ▪️寝酒とエナジードリンクと、「全部禁止」にはしない話寝つくためのお酒は睡眠にいいのか。これは×。カフェインはコーヒーだけでなく、紅茶や緑茶、エナジードリンクにも含まれているので、量だけでなく摂る時間も考える。 エナジードリンクの話では学生から「めっちゃ飲みます」という申告が飛び出し、話し手自身も学生時代、テスト前に頼った記憶がよみがえります。 とはいえ、スマホもカフェインもお酒も、「全部ゼロにすれば健康です」と単純化したいわけではないらしい。好きなものを完全に禁止したストレスの方が大きくなれば、それもまた生活としてはうまくいかない。 一般的な情報を知ったうえで、自分の身体で様子を見て、自分なりのちょうどいいところを調整する。分からなければ医療者を頼る。結局、薬の話から始まった講座と睡眠の話は、同じ場所に着地していったようです。 ▪️締切だけが人を動かし、ライブだけが異様に楽しいなお、この大量のスライドは開始直前まで修正されていた模様。一夜漬けについて講義している本人も、締切が迫ることで突然すさまじい力を発揮するタイプです。 そこから「計画的にやれる人」と「締切が自分を動かしてくれる人」の話になり、さらに「約束が先、実働が後」という人生観らしきものまで出現。ポッドキャストが火曜・木曜に続いているのも、先に配信日という約束を作ったからなのではないか、と自分の行動原理を観察しています。 それでも、資料を調べるのも、スライドを作るのも苦ではなかった。なぜなら、その先に参加者とのライブの掛け合いがあるから。 講義が終わったあとに残ったのは、「疲れた」よりもかなり強い「楽しかった」だった様子。今後はアンケートで次に聞きたいテーマも集める予定で、しかもこの大人向け講座は毎月開催されるらしい。 薬剤師として積み上げてきた知識、相手の反応を拾うことが好きな性格、締切直前の謎の馬力。その辺りが思いがけず一か所に集まった初回講座。本人もまだ少し興奮したまま、次に何を話そうか考え始めているようです。

    講座第1回目、元薬剤師として睡眠について話してきた
  3. Sep 30

    大人40人が集まって、「花」をテーマに文章を書く読書会に行ってきた

    #80【ひとり回】文章を書く練習がしたい。でも、日記は基本的に自分しか読まないし、ポッドキャストなら喋れてしまう。では、「人に見せる文章を書く場所」はどこにあるのか。 そんなことを考えていたところ、たどり着いたのが「書く読書会」でした。文学部出身者、文章を仕事にしている人、同人誌を作っている人、絵を描く人、大学生から50代・60代らしき人まで。年齢も国籍も職業もばらばらな大人たちが集まり、ひたすら文章を書く。 その中に、文章を書いた経験がほぼ「読書感想文」くらいしか思い浮かばない人が一人、かなり緊張しながら混ざっています。 ▪️「ポッドキャストを聞いてる場合じゃない」映画『我々は宇宙人』本題に入る前から、最近観たアニメーション映画『我々は宇宙人』への熱量が止まりません。「2000円で観ていい完成度じゃない」「何を言ってもネタバレになるから、とにかく観て」と、もはや概要を説明することすら諦めて推薦しています。 さらに新宿で行われていた制作工程の展示にも足を運び、絵コンテや制作現場の資料をじっくり鑑賞。感想を付箋に書いて壁に貼るスペースまで含めて、作品を作った人と観た人の熱量が静かに残っている空間だったようです。 そして映画を観て残ったのが、「複雑なものと、分かりやすさは両立するんだ」という感覚。この気づきが、なぜかその日の読書会で自分の文章を眺めるときにも戻ってくることになります。 ▪️普通の読書会にはハマらなかった。でも「書く」なら話が違うこれまでにも、本を持ち寄って紹介したり、その場で読んで感想を話したりする一般的な読書会には参加したことがありました。ただ、本人にとってはどうもしっくりこない。 紹介したい本ならすでにポッドキャストで好き勝手に紹介できるうえ、他人に興味はあっても「興味があること」と「上手に質問できること」は別問題らしい。むしろ「こちらから誘導しなくても、勝手にいっぱい喋ってほしい」と思ってしまう。 そんな中で見つけたのが、読書よりもむしろ文章を書くことそのものに重心を置いた集まりでした。日記のような「自分だけが読めればいい文章」ではなく、誰かに読まれることを前提に文章を書いてみたい。本人いわく、求めていたのはどうやら「文章で殴り合う場所」だったようです。 ▪️文芸部に迷い込んだ初心者と、「本の処方箋」会場には、文章を仕事にしている人もいれば、文学部や文芸部出身者、趣味で小説を書いている人もいる。自己紹介を聞いているだけで、「本当に文芸部みたいなところに来てしまった」と少し怯えます。しかも、読書以外の趣味を聞かれても特に答えず、「本が好きなので」と言えてしまう人までいる。一つのものをそこまで好きでいられること自体が、すでに才能に見えてきます。 最初のお題は、持参した一冊について「本の処方箋」を書くこと。15分で「どんな人におすすめか」を文章にして、同じ班の人たちと読み合います。 選んだのは、やなせたかしの詩集。「自分の中の叙情性に身を委ねて、自分の表現で人を喜ばせたい人」へ向けた本として紹介しました。アンパンマンを生んだ人が、表現によって誰かを喜ばせることを自分自身の喜びとしていたこと。そして「アンパンマンの歌詞に一度でもぐっと来たことがある人にもおすすめ」と締める。 その文章を手書きし、パソコンへ移し、最後にLINEのノートへ投稿する。面白いことに、文章は場所を移動するたびに少しずつ変わっていきます。書き写しているだけなのに勝手に推敲が入り、「人に読ませる文章」へ変形していくのでした。 ▪️40人の大人が無言で「花」を書く続いてのお題は「花」。小説でもエッセイでも詩でもいい。とにかく一時間、花について何かを書く。 40人ほどの大人が一斉に黙り、文章に向かう時間が始まります。全員が集中している場所では、自分まで「オセロ方式」で集中してしまうらしい。途中でトイレに立って戻ってくると、部屋には人の熱気がこもっている。誰も喋っていないのに、大人数の大人が本気で考えているだけで空間には妙な密度が生まれるようです。 ▪️「花」からちゃんみなの『ダリア』へ「花」と聞いて選んだのは、最近ボイストレーニングで練習しているちゃんみなの『ダリア』でした。 ちゃんみなの歌声には、頭を殴られるような強さもあれば、今にも消えてしまいそうな切なさもある。最近ボイトレで「どんなふうに歌いたいのか、曲をよく聴いて考えてみて」と言われたことをきっかけに、ダリアという花や歌詞について調べながら文章を書いていきます。 ところが、ダリアの歌詞について考え始めたところで一時間終了。文章はまさかの未完。それでも最後に「一時間で書き終わりませんでした。最後まで読んでくださってありがとうございました」と締めています。 ▪️他人の文章と並べた瞬間、自分が「事実マン」だと分かったここからが今回いちばん大きな発見だったようです。 参加者の文章を読むと、景色がそのまま目に浮かぶような文章を書く人がいる。子どもの頃の記憶と、現在子育てをしている自分を重ねて書く人がいる。会話だけで進むフィクションを書く人もいれば、たった一時間でスマートフォンを何スクロールもするほど文章を書く人もいる。 それらと自分の文章を並べて初めて、「自分は思った以上に事実と分かりやすさを優先する人間なんだ」と気づきます。 人に見せると思った瞬間、「読みやすいか」「誤解されないか」「正確に伝わるか」を考え、余計なものをどんどん削ってしまう。結果、一文あたりの情報量は多いのに、文章全体はやたら短い。参加者からも「読む負荷が低い」「事実が正確に伝わってくる」と評されます。 一方で、他の参加者たちは、必ずしも全員に伝わることだけを目的に文章を書いていない。「この言葉を使いたい」「この表現が好き」という気持ちを、そのまま文章の中に残している。 分かりやすくするために削ることと、伝わらない可能性があっても自分の表現を残すこと。その間には、思っていたより広い場所があるらしい。『我々は宇宙人』を観て感じた「複雑なのに分かりやすい」という感覚が、ここでもう一度顔を出します。 ▪️文章を読んでいたはずが、結局「人間」を読んでいたそして、いろいろな文章を読み比べているうちに、この読書会が楽しかった理由にも気づきます。 絵を描く人の文章には風景があり、子どもを育てる人の文章にはその人の時間があり、フィクションにはその人の興味や視点が滲む。喋るのはゆっくりなのに、一時間与えられると驚くほど長い文章を書く人もいる。初参加なのに、班全体を自然に回せる人もいる。 つまり面白かったのは文章だけではなく、「この文章を書いた人は、どんな人なんだろう」と考えることでした。 普段エッセイを読むのが好きなのも、結局は同じ理由なのかもしれません。文章を読んで、その向こう側にいる人間を想像する。どうやら本人は、一周回ってかなり人間が好きなようです。 ▪️人に見せる文章は大変。でも、ちょっと小説も書いてみたいAIに文章を見せれば、文法や構成についてのフィードバックは返ってくる。けれど今回面白かったのは、「ここが正しい・間違っている」という採点ではなく、文章を書く人同士が、それぞれ何を意識しているのかを共有できたことでした。 誰かの文章を否定せず、特徴や良かったところを拾って返す。そんな場所だったからこそ、これまで一度も考えたことすらなかった「小説を書いてみる」という選択肢まで、少し現実味を帯びてきます。 書くことを練習しに行ったはずが、自分の思考の癖を知り、他人の頭の中を覗き、最後には新しい遊びまで一つ増えて帰ってきた。そんな「書く読書会」初参加の記録です。

    大人40人が集まって、「花」をテーマに文章を書く読書会に行ってきた
  4. Sep 29

    後輩力が高いのか、人を舐めてるだけなのか【ゲスト:人事お姉さん】

    #79【飲酒回】お久しぶりの「人事お姉さん」と、「後輩力」について考えることになった外ロケ回。 年上のお姉さんには妙に懐ける。けれど、いわゆる「かわいい後輩」として振る舞っているわけでもない。相手を立て続けるでもなく、遠慮するでもなく、かなり雑に接しているのに関係は成立している。 話しているうちに、その正体はどうやら「人を適度に舐めている」ことなのではないか、というところに着地していくようです。 そしてこの性質、最近始めた飛び込み営業でも妙な強さを発揮しているらしい。後輩力の話だったはずが、気づけば仕事の適性まで発掘されています。 ▪️「シンプル後輩」ではない、謎の需要と供給 人事お姉さんの周囲には、年上として頼り、悩みを相談し、「お姉さん!」という目線で接してくるシンプル後輩がいるそうです。 一方、今回の二人は少し違います。 人事お姉さん側からすると、年下ではあるものの、最初から「後輩」というより一人の人間として扱える相手なのだとか。 必要な時にはお姉さんをやるし、必要な時には後輩をやる。でも、それが常時発動しているわけではない。本人たちの言葉を借りれば、「スポットお姉さん」と「スポット後輩」のような関係です。 その土台にあるらしいのが、基本的に相手を怖がっていないこと。 「このくらい言っても大丈夫」「これくらい雑でも関係は壊れない」と、少しだけ相手を舐めている。その絶妙な雑さが、二人にとってはむしろ居心地のよさにつながっているようです。 ▪️ウェルカムされていない場所へ普通に入っていく そんな話から、最近経験している新規の飛び込み営業へ。 まだ関係のない相手のところへ突然入り、「お世話になっております」と声をかける。もちろん相手はこちらを待っていませんし、歓迎されているとも限りません。 多くの人にとっては精神を削られそうな仕事ですが、本人いわく意外にも「苦手じゃなさすぎる」そうです。 同行している人は、決められた説明をきれいに話すタイプ。一方、本人は話しながら相手の反応を見ています。 「ここはもう少し話したそう」「今の部分を気にしてそう」と感じたら、そこで説明を止める。そして相手が口を開けば、「そこ、そうですよね」と返す。 本人はこれを「技術としての共感」と表現しています。 台本通りに最後まで話すのではなく、相手の表情や間を拾いながら会話を変えていく。本人としては「おしゃべりしているだけ」に近いようですが、人事お姉さんから見ると、どうやら普通に特殊能力らしい。 ▪️断られたら帰る。でも「迷い」を見せたら帰らない さらに特徴的なのが、相手の断り方に対する解釈です。 「それは違うでしょう」ときっぱり断られれば、「そうですよね、ありがとうございました」と普通に帰れる。 ところが、相手の反応が少し曖昧だった場合、本人の中では「何を言ってもいい時間」が始まります。 なぜ嫌なのか。何が気になっているのか。逆に、少しでもいいと思ったところはどこなのか。 本音を隠しながらでも会話を続けてくれているなら、その隙に質問を重ねていく。 普通なら「ウェルカムされていないな」と感じた瞬間、傷つく前に撤退したくなるところです。しかし本人は、相手が一瞬でも迷うと「100%ダメではないんだな」と解釈する。 拒絶される可能性より、まだ残っている余白の方を見ているようです。 ▪️「あいつ、ちょっと迷ってたぞ」で10分後に再訪 それを象徴するのが、とある訪問先でのエピソード。 相手が忙しそうだったため、一度は早めに話を切り上げます。 ところが店を出たあと、「でも、あの人は100%嫌そうではなかった」「まだ取り付く島がある」と判断。 そこで同行者に、「もう一回行く」と宣言します。 当然、同行者からは「え、また行くんですか?」という反応。それでも10分後に再訪し、最終的にはアポイントを取ったそうです。 「さっき行ったばかりだから」「嫌がられるかもしれないから」というブレーキが、どうやらかなり弱い。 以前から「どんな仕事が向いているんだろう」という話はしていたものの、ここに来て思いがけず新規営業への適性が浮かび上がってきます。 ただし営業そのものが大好きなのかというと、そこはまた別の話。 初対面の人と喋ることより、駅から20分歩く方がしんどい。能力と好き嫌いは、案外きれいには重ならないようです。 ▪️久しぶりに会った先輩へ、手を振りながら大あくび ここまで「人を舐めている」という説について話したところで、人事お姉さんから決定的な証拠が提出されます。 数週間ぶりに会った日の待ち合わせ。 人事お姉さんは先に到着し、スマホもイヤホンもしまい、相手が来るのを待っていました。 そして姿が見えたので手を振る。 すると向こうから歩いてくる後輩は、こちらに手を振り返しながら、盛大にあくびをしていたそうです。 あまりの自然さに、「目が悪くなったのかと思った」という人事お姉さん。 本人は「人事お姉さんだから安心して気が緩んだ」と説明します。 シンプル後輩なら、久しぶりに会う先輩を見つけたら小走りで近づき、「お待たせしてすみません」と言うのかもしれません。 しかしこちらは、大あくびをしながら「おお、行こうや」くらいのテンションで合流する。 信頼とも言えるし、舐めているとも言える。その境目がだいぶ曖昧です。 ▪️人を怖がらないことは、意外と武器になる 年上のお姉さんとの付き合い方から、飛び込み営業、待ち合わせでの大あくびまで。 一見バラバラな話の中心には、ずっと「相手を必要以上に怖がらない」という性質があるようです。 年上だからと必要以上にかしこまらない。営業先の曖昧な反応を、すぐ拒絶だとは判断しない。そして安心した相手の前では、普通に気が抜ける。 もちろん、人を舐めすぎればただの失礼です。 一方で、人を怖がりすぎると、本当はまだ開いていた扉まで自分から閉じてしまうこともある。 後輩力について話していただけのはずが、気づけば仕事の適性と、人との距離の取り方について考える回になりました。 そんなことを話しながらも、久々に会った二人の金曜日の夜はまだこれから。 収録は軽めに終わりましたが、お楽しみはこのあとも続いていくようです。

    後輩力が高いのか、人を舐めてるだけなのか【ゲスト:人事お姉さん】
  5. Sep 23

    水虫にお茶っ葉?3万8千円の睡眠学習用枕|さくらももこ『もものかんづめ』

    #78【ひとり回】『もものかんづめ』を手に取ったきっかけは、好きな作家のエッセイで、この本から大きな影響を受けたと紹介されていたこと。 好きな人がいると、その人が読んできた本や、見てきたものや、影響を受けた誰かまで気になってくる。その人を構成している無数の材料のうち、ひとつだけでも教えてもらえるのは、ずいぶんありがたいことである。 ただし、好きな人の好きなものが、自分にも刺さるとは限らない。そう思いながら読み始めたところ、今回は無事にポッドキャスト一本分になりました。 緻密に笑わせにくる現代的なエッセイとは少し違い、『もものかんづめ』にあるのは、もっと素朴な「生活を覗いていたら、この人とその家族がそもそも妙に面白かった」という笑い。家族の話が多く、どこか温かいのに、本人は学校の授業をまともに聞けず、事務仕事ではミスを重ね、会社員生活も長くは続かない。 そこで妙な親近感が発生します。決められた正解を正しく出し続ける場所ではうまくいかないのに、宴会の余興のような「何をやってもいい場所」では力を発揮する。気づけば『窓ぎわのトットちゃん』を読んだときにも似た、「この人も社会の決められた椅子にそんなに綺麗に座れていない」という仲間意識の話になっているようです。 ▪️16歳の水虫と、お茶っ葉という民間療法 17あるエピソードの中で最初に引っかかったのが、水虫の話。 16歳で水虫になり、病院にも行き、市販薬も使い、さらにさまざまな民間療法にも手を出すさくらももこさん。足の裏の皮膚を剥がしてから薬を塗る描写には、元薬剤師として「削らないで!」と本の外側から止めに入りたくなります。 そして最終的に登場するのが、お湯に浸したお茶っ葉を足に巻くという方法。それを一週間続けると水虫が治ったという。しかも姉も試して、同じように治ったという。 さすがにこれは怪しい。 水虫の原因は細菌ではなく真菌である白癬菌。「お茶には殺菌作用があります」と言われても、それだけでは説明にならない。ほかの治療が効き始めたタイミングと重なっただけではないのか。季節的に症状がおさまっただけではないのか。 疑いながら調べてみると、まさかの茶の成分による白癬菌の増殖抑制を扱った論文に行き着きます。 現在使われる抗真菌薬は、真菌の細胞膜に必要なエルゴステロールの合成過程など、かなり明確な標的を狙って作用する。一方、お茶に含まれるポリフェノール類は、そこまで一点狙いではないものの、白癬菌の増殖や形成の複数段階に影響しているらしい。 半信半疑だった民間療法の背後から、あとになって科学的な説明が顔を出してくる。こういう瞬間は妙に面白い。 以前、咳止め不足のなかで患者から代替策を求められ、調べ続けた末に「はちみつ」に行き着いた経験も思い出します。おばあちゃんの知恵を全部信じるわけにはいかない。でも、ときどき「おばあちゃんの知恵論文」が存在する。民間療法と医療の間には、雑に切り捨てるには惜しい場所もあるようです。 ▪️3万8千円の睡眠学習枕は、本当に無駄だったのか 続いて登場するのは、さくらももこさんが買ったという3万8千円の睡眠学習枕。 寝ている間に英単語を聞けば覚えられるという夢のような商品に、母と姉は当然のようにマジレスを返します。学校で居眠りしている間の授業内容を覚えていたことがあるのか。夜中ずっと流れていたラジオの内容を、翌朝覚えているのか。 それでも購入。 しかも届いた説明書には、枕を使う前に「覚えたい単語を100回ずつ紙に書いて練習してください」とある。そこを省略したいから3万8千円払ったのではなかったか。 さらに10回払い。明け方には姉の横で枕から英単語が延々と流れてくる。 客観的に見れば、かなり無駄な買い物である。 しかし、その失敗が何十年後にも読者を笑わせ、ベストセラーのエピソードとして残っているなら、3万8千円は本当に高かったのだろうか、という話にもなってきます。 お金を失わないことと、お金を有効に使うことは同じではない。貯め方ではなく、「何にお金を使うと自分の人生に何が残るのか」を一度考えてみたい。睡眠学習枕の話から、いつの間にかそんな次回候補まで生まれています。 ▪️銭湯が好き、から銭湯を洗うところまで行く そして銭湯の話。 さくらももこさんが、いつもとは違う銭湯まで歩いて出かけ、妙に深くて45度もある湯船に遭遇するくだりから、話し手自身の銭湯の記憶も引っ張り出されます。 そもそも、でっかい水が好き。飲み会の前にわざわざ銭湯へ寄り、ひと風呂浴びてから人に会ったこともある。 その話を聞いた友人は、なぜか後日、銭湯の清掃体験イベントを予約します。しかしダブルブッキングで行けなくなり、「代わりに行けない?」と前日に連絡してくる。 普通なら断ってもよさそうな依頼なのに、「ちょっと面白いか」と代打で参加。 そこに集まっていたのは、休日に自ら銭湯を洗おうとしている人々です。好きな銭湯について語る自己紹介が始まり、常連の銭湯の暖簾を描いた漫画家が現れ、洗剤会社の歴史を学び、蛇口用、タイル用、鏡用と洗剤を使い分けながら、知らない人たちと風呂場を磨いていく。 特に残ったのは、元気なおばさまたちとの時間だったようです。洗剤の使い方を教わりながら、「街のおばちゃんからしか摂れない栄養がある」と思う。 休日に銭湯を掃除する必要なんて、本来どこにもない。それでも、人生で二度とやらないかもしれない妙な体験は、数年後にこうして誰かに話す材料になっています。 ▪️役に立たない時間が、あとから人生の材料になる 『もものかんづめ』は、ものすごく感動させようとしてくる本でも、全ページで爆笑を取りにくる本でもない。 水虫になった。怪しい枕を買った。銭湯へ行った。会社員が向いていなかった。 そのときには失敗や無駄にしか見えなかった出来事を、少し離れたところから眺め直してみると、人生を妙に豊かにするエピソードになっている。 そして今回の話し手も、本を読んでいたはずなのに、気づけば薬局での経験や、お金の使い方や、銭湯清掃の日のことを喋っています。 もしかすると、休みが必要なのも同じなのかもしれません。 すぐ役に立つことだけを処理している時間から少し離れて、変な本を読み、変な場所へ行き、ときには変なものにお金を払い、あとから「あれは何だったんだろう」と話せるものを増やしていく。 一見無駄な時間は、未来の自分が使う材料なのかもしれない。 そんなことを考えつつ、読みやすくて、可愛くて、ちょっと妙な『もものかんづめ』をおすすめするひとり回です。

    水虫にお茶っ葉?3万8千円の睡眠学習用枕|さくらももこ『もものかんづめ』
  6. Sep 22

    言語化したら野暮な映画を言語化して紹介してみた【ゲスト:ジョン】

    #77【紹介回】今回紹介するのはアニメーション映画『海獣の子供』。 いつものように作品を観て、自分なりに噛み砕いて、考えたことを言葉にしてみよう。そう思って再生したはずが、観終わったところで出てきた感想は、ほとんど正反対のものだったようです。 「これは、言語化するやつじゃない。浴びるやつだ。」 作品について喋るポッドキャストで、喋らないほうがいい作品を取り上げてしまう。開始早々からかなり致命的な矛盾を抱えながら、今回も話は進んでいきます。 ▪️「海の幽霊」を80億回聴いているのに、映画を知らない『海獣の子供』を観るきっかけになったのは、米津玄師の「海の幽霊」。 カラオケへ行けば歌い、人生でほぼ初めてピアノで練習する曲にも選び、「好きな曲ランキングなんて野暮だ」と言いながら、結局は一番と言っても過言ではないくらい好きらしい。 ところが、カラオケ画面に流れるアニメーションを見た友人から「これ結局どんな話なの?」と聞かれたところで、答えられないことに気づきます。 こんなに曲が好きなのに、その曲が生まれた作品を知らない。 そこで映画を観てみることにしたわけですが、視聴前にはすでに「これで一本ポッドキャストを録ろう」と決めていたとのこと。あとから考えると、この時点ですでに今回の悲劇――あるいは喜劇――は始まっていたのかもしれません。 ▪️居場所のない少女・琉花と、海からやってきた少年たち主人公は、中学生の少女・琉花。 夏休み。ハンドボール部の練習中にチームメイトと衝突し、うまく事情を説明することもできないまま部活へ行けなくなってしまいます。 家に帰っても、母親との関係はぎこちない。父親とは別居中。学校にも家にも、どうにも自分の居場所がない。 そんな琉花が向かうのが、父親の働く水族館です。 そこで出会うのが、ジュゴンに育てられたという不思議な少年「海」と、その兄「空」。 海の中に長くいられ、人間とは少し違う身体を持つ二人。彼らが結局「何者なのか」という疑問は当然浮かびますが、今回そこを詳しく追究しようとすると、すぐに「そこはもう飲み込んでください」と止められます。 ▪️水族館というより、美術館を見ているストーリー以上に何度も話題に上がるのが、圧倒的な映像の美しさ。 その感覚は、水族館というよりむしろ美術館に近かったとのこと。 美術館で絵の前に立ったとき、横に説明文が置いてあったとしても、描かれているものを完全に理解できるわけではない。それでも、なぜか立ち止まってしまう。何かを受け取ってしまう。 『海獣の子供』にも、そんな「意味が分からなくても、美しいものは美しい」という時間が延々と流れているようです。 ▪️クジラの「ソング」と、言葉にすると失われるもの物語の中では、クジラたちが「ソング」と呼ばれる方法で互いに何かを伝えています。 ここから、話は少しずつ映画の外へ。 人間は、自分が経験したことを誰かに伝えるとき、言葉に変換します。しかし、体験そのものと言葉になった体験は、当然まったく同じではありません。 さらに、その言葉を受け取る側にもそれぞれの解釈がある。 つまり、体験した人から語る人へ、語る人から聞く人へと渡っていくたびに、少しずつ情報は変わっていく。 ところが作中のクジラのソングは、もしかすると「見たもの、感じたものを加工せず、そのまま渡せる通信」なのではないか。 ▪️「祭り」が始まる。でも、何の祭りなのかは説明しないやがてクジラたちは、「祭りの本番」が始まることを告げます。 海洋生物が同じ場所へ集まり、巨大なクジラが現れ、空は自分の終わりが近いことを悟る。 そして空は琉花へ隕石を託し、光のようになって海へ消えていきます。 そこから始まる「祭り」の映像では、海、宇宙、星、細胞、胎児、生命そのものを思わせるイメージが次々と重なっていく。 一人の生命の誕生と、海と、地球と、宇宙。 それらが全部ひと続きになっているような場面なのですが、ここについては説明を試みれば試みるほど、「もう観てください」という結論へ戻ってしまいます。 何が起きたのかを理解するためのシーンというより、何か巨大なものを目撃するための時間だったのかもしれません。 ▪️分からないものは、分からないまま持って帰っていい祭りを終えた琉花は、やがて日常へ戻ります。 重要なのは、琉花自身もそこで起きたすべてを理解しているわけではないということ。 考えてみれば、物語の最初から琉花は、自分の感情をうまく言葉にできない少女でした。 最後に彼女が経験する「祭り」もまた、言葉では説明しきれない出来事です。 だからこの作品は、「言葉にできるようになること」を成長として描いているわけではないのかもしれません。 分からないものを分からないまま受け取る。いつか分かる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。それでも、その体験がなくなるわけではない。 そんなことについて話しているようです。 ▪️「海の幽霊」と、目に見えなくなったもの作中には「海の幽霊」という言葉そのものも登場します。 光に包まれ、魚たちが姿を消していくような現象。 そこから、「姿を失ったとしても存在まで消えてしまうわけではないのではないか」という話へ。 原作に登場するという、海岸に置かれた椅子のエピソードにも触れます。 亡くなった人が帰ってこられるように置かれた椅子。もちろん、そこに誰かが実際に座っている姿が見えるわけではありません。 それでも、見えないから存在しないとは限らない。 生命や記憶は、目に見える形を失ったあとも、海の中の何かのように残り続けているのではないか。 そんな解釈と「海の幽霊」という曲が、少しずつ重なっていきます。 ▪️ここで突然、夜光虫の話をしますとはいえ、このまま「感じてください」で終われないのがこの番組。 作品を言葉で解体するのは野暮だと散々言っておきながら、作中で波打ち際が青く光る夜光虫だけはしっかり捕まえて、科学の話が始まります。 夜光虫は単細胞のプランクトン。 波や人の動きによる刺激を受けると、細胞内の環境が変化し、ルシフェリンとルシフェラーゼが関わる反応によって発光するとのこと。 以前取り上げたホタルの発光とも共通する仕組みがありつつ、夜光虫の場合は「衝撃をきっかけに光る」ところがポイント。 なぜ光るのかについては捕食者への防御などの説もあるようですが、そこはまだ研究の余地があるらしい。 宇宙と生命の循環を前に「考えるな、感じろ」と言っていた数分後に、細胞膜とpHの話をしている。この番組らしい着地です。 ▪️今回の結論、「考えるな。まず浴びろ」まず米津玄師「海の幽霊」を聴く。 歌詞の意味を考える前に、一度そのまま浴びる。 そして映像に興味を持ったら、『海獣の子供』を観てみる。 分からない場面があっても、全部理解しようとしなくていい。 何を意味しているのか、正解は何なのか、という問いをいったん横へ置いて、海の光や魚の動きや音楽や、生命がぐるぐると巡っていく感覚を受け取ってみる。 それだけでいい作品なのではないか、と話しているようです。 ……と言いながら、ここまでずいぶん説明してしまいました。 本人たちいわく、今回は「今までで一番やってはいけない作品で、今までで一番やぼな回」。 喋らないほうがいい作品について、一生懸命喋ってしまった一回です。

    言語化したら野暮な映画を言語化して紹介してみた【ゲスト:ジョン】
  7. Sep 17

    AIってどうやって私と会話してるの?|岡野原大輔『ヒトとAI』

    #76【ひとり回】難しすぎる『ヒトとAI』を、まだ3章までしか読んでないのに喋る回。 岩波新書、岡野原大輔『ヒトとAI』を読み始めたものの、あまりの難しさに「久しぶりにこんなに難しい日本語を読んでいる」と絶叫するところから始まる第76回。 まだ第1部の3章までしか読んでいない。それでも、普段から仕事でも私生活でもAIをかなり使っているからこそ、「そもそも、なんであの雑な入力からちゃんとした文章が返ってくるんだろう」という疑問は前からあったようです。 今回は本の紹介というより、難解な文章を読み、AIにも助けてもらいながら、ここまで自分はどう理解したのかを一度声に出して確認してみる回。機械学習から始まったはずなのに、気づけば専門家の存在意義や、人間が判断を引き受けるとはどういうことなのかまで話が伸びています。 ▪️ 頭のいい人の文章、無駄がなさすぎて難しい 会社の推薦図書から手に取った『ヒトとAI』。AI研究者であり、AIを開発する会社の経営者でもある岡野原大輔による一冊です。 ところが読み始めて早々、「具体例も比喩もほとんどない」「極限まで削ぎ落とされた日本語だ」と苦戦。分かりやすく噛み砕くための余白が少なく、その一文が何を意味しているのかを自分で展開し直さなければならないらしい。 一方で、「本書では〇〇をこう定義する」と言葉の定義が出てくるたびに妙な安心感も覚えているようです。分からないから苦しいのに、分かりたいから読み続けてしまう。難しい本を読むとき特有の、始めるまでは重いのに、読み始めるとなぜか楽しい時間が始まります。 ▪️ AIは「一番もっともらしいもの」をものすごい計算量で出している まず挑むのは、そもそもAIがどうやって作られているのか。 従来のコンピューターは、人間が決めたルールに沿って計算するものだった。一方の機械学習では、大量の例を与えられた機械の側が、内部のパラメータを少しずつ調整しながらルールを獲得していきます。 たとえば大量の猫の画像を見せ、「これは猫」と学習させる。すると一度も見たことのない猫の画像にも「猫」と答えられるようになる。人間が「耳がこうで、ひげがこうで」と条件を一本ずつ書き込むのではなく、大量の経験から数字を調整していく。 文章でも同様に、「朝起きてパンを――」の次には何が来るのか。予測して、正解との差を確認して、パラメータを直して、また予測する。途方もない回数を繰り返した結果、生成AIは文脈から次に来る“もっともらしいもの”を出力するようになる。 日頃、誤字脱字だらけの入力を投げても突然ちゃんとした敬語にして返してくれるAI。その裏側を知り、「そういうことだったのか」と少しずつ答え合わせが始まります。 ▪️ 「分かってから決める」が逆転する世界 300ページの英語の契約書をAIに読ませたところ、「直すべき重大なポイントは3つです」と一瞬で返ってきたとする。 しかし使う側には英語の知識も、法律の専門知識もない。AIの結論を完全に理解しようとすれば何日もかかるのに、契約の締切は今日かもしれない。 これまでは「理解する→判断する」の順番だったものが、AIによって「判断結果が先に出る→人間の理解が後から追いつく」へ逆転していく。 もちろん、人間は昔から理解できない技術を使ってきました。相対性理論を説明できなくてもGPSは使える。問題は、AIが単なる道具ではなく、契約や医療のような「判断」そのものに入り始めることです。 説明できない判断を誰が承認するのか。間違っていたら誰が責任を取るのか。ここで話は、機械学習の仕組みから急に社会の話になっていくようです。 ▪️ 女2人で晩飯を探したら、なぜかイタリアンしか出なかった時代 AIの「判断過程が見えない」という話から、以前AIに飲食店探しを任せていた頃の記憶へ。 「〇〇駅、女2人、晩飯」くらいの雑な入力をすると、なぜか赤ワインが似合いそうなイタリアンばかり提示された時期があったらしい。 なぜ「女2人」からイタリアンに到達したのか。本人には分からない。ただ結果だけはもっともらしい顔をして並んでいる。 今では以前より幅広い候補が出るようになったものの、では内部で何が変わったのかはやはり見えない。便利さと、判断過程が分からない不気味さが同居している。そんな日常の小さな違和感が、本の内容と妙につながっていきます。 ▪️ AIに聞いたあと、なぜ人はもう一度「人」に聞くのか 話は薬剤師としての専門性にも及びます。 最近は薬について検索すると、検索結果より先にAIによる回答が表示されることもある。内容もかなり正確になっている。それなら、薬の知識だけを取り出したとき、薬剤師という専門家は今後どうなるのか。 実際に、AIへ体調について相談した人から「今すぐ救急車ではないけれど、こうなったら救急車を呼んだ方がいいと言われた。これ合ってる?」と確認されたことがあり、事情を聞くとAIの回答はかなり妥当だったそうです。 それでも、その人はAIだけで終わらず人間にも確認した。 そこにはまだ「AIを全面的には信じきれない不確実さ」があるのではないか。不確実さがなくなる日は来るのか。そしてAIの精度が上がり続けた先で、専門家の役割は「知識を持っている人」から何へ変わっていくのか。気づけばかなり大きな問いになっています。 ▪️ 人間は失敗を背負う。AIはパラメータを直す 第3章で特に引っかかったのが、人間とAIでは「失敗」の意味が違うという話。 人間が何かを選べば、選ばなかった可能性は失われる。転職をすれば、その選択は人生の履歴として残る。失敗しても完全に巻き戻すことはできず、その記憶が次の判断を慎重にする。 一方、AIの失敗は基本的にはパラメータを調整する材料になる。そこには、人間が感じるような「取り返しがつかない」という重さがない。 最初は「AIには身体がない、痛みを感じないからなのか」と考えます。しかし本が提示する差は、それよりもう少し広いものでした。 ▪️ AIには「世界の厚み」がない 今回もっとも印象に残った言葉が、「世界の厚み」。 AIは、問題として切り取られた条件がA・B・Cなら、その条件の中で非常にうまく答えを出せる。 しかし現実では、実はDも関係しているかもしれない。過去のEが影響しているかもしれない。そしてこの判断をした結果、未来のFが壊れて二度と元に戻らないかもしれない。 現実世界の条件をすべて文章にしてAIへ入力することはできない。一方、人間は問題として切り取られた世界の外側も含めて、身体を持ち、時間を連続して生きている。 だから「条件の中では正しい答え」と「現実世界で正しい判断」は一致しないことがある。 AIは嘘をついているというより、与えられた断片から、その瞬間もっとも整合的なものを返しているのかもしれない。普段感じていた「大体合っているのに、時々どうしてこんな答えになるんだろう」という違和感に、少し輪郭がついたようです。 ▪️ まだ3章。でも、もう哲学の入口にいる AIの仕組みを知るつもりで読み始めた本は、早くも「理解とは何か」「判断とは何か」「専門家とは何か」「責任を引き受けるとは何か」という方向へ進み始めています。 しかも、まだ全28章のうち3章。 難しすぎる、分からない、と何度も立ち止まりながら、それでも「この本を読み始められて楽しい」と着地する今回。AIについて分かったことを披露する回というより、分からないものをどうにか分かろうとしている途中経過そのものが記録されています。 睡眠導入になるのか、逆に好奇心を刺激して眠れなくなるのかは不明です。 機械学習、AIへの判断の委譲、薬剤師の専門性、取り返しのつかない選択、そして世界の厚みまで。絶叫しながら読む『ヒトとAI』、まずは第3章までのお勉強回です。

    AIってどうやって私と会話してるの?|岡野原大輔『ヒトとAI』
  8. Sep 15

    活字でこんな笑うことってあるの???|朝井リョウ『そして誰もゆとらなくなった』

    #75【ひとり回】 今回取り上げるのは、ゆとり三部作の3冊目『そして誰もゆとらなくなった』。数ページ読んでは笑い、笑った直後に「いや、この文章を書けるのすごいな」と感心する。本人がおもしろい上に、その本人を文章に変換する技術までおもしろいという、なかなか逃げ場のない二段構えに捕まっているようです。 ところが本について話し始めたはずなのに、気づけば結婚式の余興を延々と思い出し、中学時代の部活の掛け声を掘り返し、「社会人って合法的に大声を出せる場所が少なすぎない?」という話にまで到達します。 ▪️体が元気じゃないとき、朝井リョウに戻ってくる 人生5回目の椎間板ヘルニア再発中。朗読も進めたいし、いつもの行動量で動きたい。でも体がそれを許してくれない。 話し手にとっての「元気」は、どうやら気分というより行動量に近いらしく、動けないだけで少しずつ元気まで削られていくようです。 最近は難しいことを考える時間も多かった。そこで今必要だったのが、何かを理解するための本ではなく、数ページごとにちゃんと笑わせてくれる本だったらしい。 そして選ばれたのが朝井リョウ。弱っているときに欲しくなるものとして、かなり強力です。 ▪️「みんなを楽しませたい」ではなく、巨大な自己愛で準備する 特に引っかかったのが、朝井リョウが自身の過剰な準備癖について書いたエピソード。 何かを任されれば、とにかく準備する。結婚式の余興ではマジックショーを猛練習しすぎて、観客が状況を理解するより先にマジックが終わってしまう。出版社の真面目な説明会に呼ばれれば、「絶対に笑いを起こしてやる」と本の紹介の合間に健康情報を差し込んだPowerPointを作り、会場を見事なまでに無風にする。 サービス精神旺盛な人の話にも見えますが、本人の分析は少し違う。 「みんなに楽しんでもらいたいから」ではなく、「準備不足の自分を見られたくない」という巨大な自己愛が根っこにある。 他人の準備不足を見ると冷ややかな目を向けてしまう。だから、自分も同じ目で見られているかもしれないと怖くなる。結果として異様なほど準備する。 善意として処理すればきれいに終わりそうなところを、そこにある自意識まで掘り返してしまう。この辺りに朝井リョウのおもしろさを感じているようです。 ▪️ファンレターをデータベース化するサイン会 さらに準備はサイン会でも暴走します。 短い時間しか会えないファンに何か返したい。そこで過去にもらったファンレターをデータベース化。名前と手紙の内容を検索できる状態にし、タイピングの速い人まで隣に配置する。 サイン会で名前を聞く。検索する。「以前、転職について悩んでいましたよね」と数か月、あるいはそれ以上前の手紙の内容を返す。 完璧なファンサービスに見えるのですが、受け取った側からすると「なんでそんな昔の自分の悩みを今ここで掘り返されるんですか」という別方向の恐怖も発生する。 準備した。時間もかけた。相手を喜ばせようともした。しかし入念すぎる準備がきれいに空回る。 この「善意だけでは説明しきれないところ」まで本人が自分で書いてしまうことに、話し手はかなり惹かれているようです。 ▪️そして突然始まる、人生で見てきた結婚式の余興発表会 朝井リョウの結婚式余興の話をしていたはずが、そこから話し手自身が見てきた結婚式の記憶が次々と開封されます。 まずは東京ディズニーシー・ホテルミラコスタでの結婚式。 普段のパークではゲストにサービスしてくれるキャラクターたちが、結婚式では新郎新婦だけに全力を注いでいる。その光景を少し離れた場所から眺め、「プロってすごい」と感心する。 さらに心を奪われたのは音楽。『アナと雪の女王』の楽曲が結婚式用にアレンジされ、キャンドルサービスと完璧に同期している。あまりに気になって司会者に音源の入手方法まで確認したものの、どうやらその場でしか聴けない特別仕様だったらしい。 新郎新婦を撮影しているように見えて、実はBGMもかなり録っていたのではないかという疑惑については、本人の名誉のため深追いしないことにします。 ▪️大柄な男性と掛け声とタンバリンは強い さらに、体育大学出身者の結婚式で見た、大人数の男性による掛け声系の余興。 そして別の結婚式では、会場を一度わざと冷やしてから、突然大音量の音楽とともに屈強な男性たちがタンバリンを持って大量入場。足首や膝まで使いながらタンバリンを鳴らし、全力で踊るという余興に遭遇します。 おもしろいのは、派手な本番そのものだけではなく、その直前にきちんと「何も起きなさそうな時間」を作っていること。 落差を作るから、その後の爆発がもっとおもしろくなる。 朝井リョウの話から脱線したはずなのに、なぜかここでも「笑いの前に何を準備するか」という最初のテーマとつながっています。脱線しているようで、完全には離れていないようです。 ▪️社会人、あまりにも大声を出さなすぎる 体育会系の掛け声を思い出したところから、中学時代のバスケ部の記憶まで蘇ります。 学生時代には、練習中も試合中も、とにかく大きな声を出していた。ところが社会人になると、日常生活から「全力で声を出しても怒られない場所」が急激に消える。 もし社会人バスケサークルで、学生時代と同じテンションの掛け声を全員でやっているところがあるなら、かなり興味があるらしい。 大人になるとは、静かになることなのか。それとも、ただ大声を出せる場所を失っていくだけなのか。 余興の話から始まって、気づけばそんなことを考えています。 ▪️準備しすぎると、今度は余白がなくなる 朝井リョウは一時期、ラジオのフリートークまで細かく準備し、自宅で一度練習してから収録に臨んでいたそうです。 しかし台本を固めすぎると、収録中に起きた予想外の反応や、その場の空気を拾えなくなる。 準備は必要。でも、準備したものを守ることに必死になると、目の前で起きていることを取り逃がす。 普段はどちらかというと準備不足側にいる話し手にも、この「余白を残す」という感覚にはかなり覚えがあるようです。 ▪️「学校っていいよね」を、ここまで書けるのか 後半で強く残ったのは、朝井リョウが学校へ行ったときの描写。 朝早く、眠く、不安もある。それでも校門をくぐった瞬間、夏休みの朝の空気、白い校舎、自転車が起こす風、制服、部活が始まりそうな気配、セミの声、渡り廊下――そうしたものが一気に押し寄せてくる。 それを読んだ話し手の感想は、ものすごく乱暴に縮めると「学校、いいよね」。 でも、自分なら「学校の雰囲気っていいよね」で終わってしまう感覚を、作家はそこまで細かく分解し、読んだ人間の頭の中に景色として再構築できる。 同じものを見ても、持っている語彙と文章の技術によって、出力されるものはまったく違う。 「日本語の出力能力を上げないと、自分の表現にも上限がある」。 笑うために読んでいたはずなのに、最後には文章を書くことそのものへの憧れまで刺激されているようです。 ▪️活字で本当に笑う、という少し珍しい読書体験 一章読む。笑う。「なんだこの人」と思う。そして数秒後、文章のうまさに感心する。 それを繰り返しているうちに、気づけば朝井リョウの名前で検索し、ほかの人の感想まで探したくなる。 好きな作品ほど、同じところで笑った人や、同じ文章に引っかかった人を探したくなるものです。 今回は『そして誰もゆとらなくなった』を紹介する回だったはずが、結婚式の余興を思い出し、部活の掛け声を思い出し、社会人の大声不足を憂い、最後には文章力について考えるところまで来ました。 ただ、それだけいろいろな記憶を引っ張り出してくる時点で、かなり好きな本なのだと思います。 体が本調子ではない日に、難しいことはいったん横へ置いて、活字を読んでちゃんと笑える本を読む。 今回は、そんな読書に助けられながら、いつも以上に盛大に脱線していく雑談日記です。

    活字でこんな笑うことってあるの???|朝井リョウ『そして誰もゆとらなくなった』

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毎週火曜・木曜更新! 映画・本・ゲーム・YouTubeなど、心が動いた作品をきっかけに、日常の違和感や人間の不思議を考えるポッドキャスト「げらやく」。 元薬剤師・現企画職のいけうちが、作品の感想だけで終わらせず、気になったことを調べたり、自分の仕事や生活に引き寄せたりしながら、ゆるく深く話しています。 扱うテーマは、認知バイアス、薬や病気のしくみ、科学と社会、哲学、生き方、仕事、創作、そしてたまに物理まで。 いろんな疑問を、ひとりで、時々だれかと、一緒にほどいていく知的(?)雑談日記ラジオです。