げらやく(よく笑う元薬剤師の雑談日記ポッドキャスト)

げらやく

毎週火曜・木曜更新! 映画・本・ゲーム・YouTubeなど、心が動いた作品をきっかけに、日常の違和感や人間の不思議を考えるポッドキャスト「げらやく」。 元薬剤師・現企画職のいけうちが、作品の感想だけで終わらせず、気になったことを調べたり、自分の仕事や生活に引き寄せたりしながら、ゆるく深く話しています。 扱うテーマは、認知バイアス、薬や病気のしくみ、科学と社会、哲学、生き方、仕事、創作、そしてたまに物理まで。 いろんな疑問を、ひとりで、時々だれかと、一緒にほどいていく知的(?)雑談日記ラジオです。

  1. 19h ago

    お悩み相談に回答してみたかった|「お悩み相談 そんなこともアラーナ」ヨシタケシンスケ

    #89【ひとり回】今回は、以前から気になっていたお悩み相談について。というより、正確には「お悩み相談をやってみたい」という話をするはずが、そもそもなぜ他人のお悩み相談を聞くのが好きなのか、芸人のラジオから何を学んでいるのか、人はなぜ悩むのか、そして元気がないときにはどうやって生き延びればいいのか、と話がどんどん横道へ進んでいきます。 後半では、ヨシタケシンスケさんの『お悩み相談 そんなこともアラーナ』を片手に、実際のお悩みに回答してみることに。答える側に回って初めて分かる難しさに四苦八苦しながら、気づけば悩みを解決することより、悩みをどう受け取るかについて考えているようです。 ▪️ お悩み相談を聞くと、少しだけ自分の人生まで大丈夫になるそもそも、お悩み相談というコンテンツがかなり好きらしい。転職したばかりで、仕事のことが何も分からず、誰に何を聞けばいいのかも分からなかった時期。そんなときに繰り返し聞いていたのが、ポインティのお悩み相談でした。 恋愛、仕事、人間関係。相談者から届く長い文章を読んで、まずはその人が何に困っているのかをちゃんと受け取る。そして、簡単に否定せず、ときには映画や本まで持ち出しながら、その人なりに納得できそうな場所まで一緒に歩いていく。 他人の悩みなのに、聞いている側まで「みんなそれぞれ困っているんだな」と少し安心する。問題が解決することと、ひとりではないと分かることは、たぶん別の救いである。当時はその「大丈夫だよ」と言われているような感覚を、かなり受け取っていたようです。 ▪️ 芸人のお悩み相談から、なぜか営業を学んでいる最近よく聞いているという、ニューヨークのお悩み相談企画の話へ。相談内容そのものも面白いけれど、それ以上に気になっているのが人の話をどう解釈して、どう言葉にするのかという部分です。 相談文に書いてあることだけを見るのではなく、「これを言っているということは、本当はこういう状態なのでは」と背景を想像する。本人が直接書いていない性格や、人間関係の癖まで推測しながら話を進めていく。その様子を見ていると、お悩み相談というのは回答力だけでなく、かなり読解力のいる作業に見えてきます。 さらに、芸人のラジオから学んでいるのは内容だけではありません。あえて間を作ること、伝わるまで同じことを繰り返すこと、相手が理解する前に次へ行かないこと。最近は新規営業で一対一で話す機会も増えているため、営業本より芸人ラジオのほうが会話の教材になっているらしい。教材の選び方として正しいのかは分かりませんが、本人はかなり真面目に学んでいるようです。 ▪️ 友達と恋人は、なぜ混ぜなければいけないのかニューヨークに届いていた、完璧な彼女が自分の友達に会ってくれないという相談から、今度は人間関係を混ぜることへの違和感へ。 友達には友達の軽さがあり、恋人やパートナーには生活まで含んだ別の深さがある。その二つをわざわざ一つの食卓に集めたり、ダブルデートをしたりする必要が本当にあるのか。一方で、家族ぐるみで付き合える友人がいることの便利さや、助け合える関係の良さも理解はできる。 嫌いだから会いたくないわけではない。相手の友達を否定しているわけでもない。ただ、自分にとって心地いい人間関係の配置がある。「絶対楽しいから」と誘う側にも善意があるからこそ、こういう問題は少しややこしい。気づけば、お悩み相談を聞きながら自分の対人関係の取扱説明書まで確認しているようです。 ▪️ ヨシタケシンスケが考える「元気がない人」の戦い方そして今回の本題、ヨシタケシンスケさんの『お悩み相談 そんなこともアラーナ』へ。帯に並ぶのは、美しい逃げ方、楽しいあきらめ方という、かなり脱力した言葉たちです。 本の冒頭では、人の考え方を大きく「元気がある人」と「元気がない人」に分けています。元気がある人は、そのエネルギーを問題解決に使える。自分や環境を変え、周囲に働きかけることもできる。しかし元気がない人には、そもそも使えるエネルギーがそれほど残っていない。 だったら問題に真正面から立ち向かうのではなく、問題から離れる、理想を下げる、現実の受け取り方を変える。「どうすればうまくいくか」ではなく、「そもそもうまくいかなくて当たり前」と考えてみる。 ▪️ 心配性には、もっとネガティブになってもらうここから実際に、本に載っているお悩みに答えてみます。最初は、物事を始める前から心配して、終わったあとも「ああすればよかった」とくよくよしてしまうという相談。 思考を切り替えるにはどうすればいいのか。いざ回答する側になると、「運動する?」「スクワット100回?」「飽きるまで悩む?」と迷走。お悩み相談を聞くのは簡単でも、答えるのは全然簡単ではありません。 一方、ヨシタケさんの回答はまだネガティブさが足りないというもの。うまくいくかもしれないと思っているから、失敗したときにしょんぼりする。だったら最初から「何ひとつうまくいかないかもしれない」と考えておけば、一つ成功しただけで加点できる。思考を無理に切り替えるより、最初の期待値を下げておくという発想です。 でも、買う前に「あれがいいかな」「家のここに置こうかな」と考えている時間も案外楽しい。物事を始める前の迷いは、必ずしも全部が無駄ではない。そんな話になっているようです。 ▪️ 何もしなかった日は、人生を一日スキップしたことにする続いて、気分が良くない日は何もできず、夕方になると後悔するという相談。これについてはかなり即答で、「そんな日があっていい」。 何もできなかった日を、本人は一日スキップしたと呼んでいるそうです。人生が常に一倍速で再生されなければいけないなんて、誰が決めたのか。こっちには一日飛ばす権利だってある。 それでも何かしたことにしたければ、その日の後悔を書いておけばいい。ヨシタケさんの回答をきっかけに、ノートやポッドキャストなど、自分の考えを外に出すことの話へも広がります。 ▪️ 「ご自愛ください」を具体化すると、でっけえ風呂になる最後に選んだのは、ヨシタケさんにとっての「ご自愛」とは何か、という質問。これに対する今回の回答は迷いなく、でっけえ風呂。銭湯でも温泉でもいい。身体を温めることほど「自分を大事にしている感」のある行為はないらしい。 一方、ヨシタケさんの回答は、何もできない日があっても「そんなこともあるよな」と自分を慰めてあげること。そして、まだ読まない本を買っておくこと。いつか自分を変えてくれるかもしれない本を手元に置いておくこと自体が、未来の自分を少し応援する行為になる。 実際、『そんなこともアラーナ』も買ってからかなり時間が経って、今になって読んだ本でした。でも、作品は触れるタイミングによって刺さる場所が変わる。同じ本、同じ映画、同じ音楽でも、見る側が変われば受け取り方も変わる。読まなかった時間まで含めて、その本を持っていた意味があるのかもしれません。 ▪️ そんなこともあるよな、で生き延びるお悩み相談に必要なのは、必ずしも相手の人生を正しい方向へ動かすことではないのかもしれません。状況をよく見て、少し別の角度から眺めて、本人が自分を責めすぎない場所まで一緒に移動する。 何もできない日もある。買おうと思っていたものを買わないこともある。失敗することも、人付き合いの好みが合わないこともある。そのたびに全部を改善しようとするのではなく、まあ、そんなこともあるよなと一度置いてみる。 元気がある日は頑張ればいいし、元気がない日は元気がない人なりの方法で生きればいい。そんなことを考えながら始まった初のお悩み相談回。三問しか進まなかったので、どうやら続編の余地はかなりありそうです。

    お悩み相談に回答してみたかった|「お悩み相談 そんなこともアラーナ」ヨシタケシンスケ
  2. 5d ago

    新規開拓営業を始めたら、社会に適応しすぎない岡本太郎が刺さった

    #88【ひとり回】岡本太郎の「自分の中に毒を持て」を読んで ▪️何を売っているのか、本人にもまだうまく説明できない営業最近は、薬剤師でもなければ、いわゆる完成された商品を売る営業でもなく、新規開拓の営業をしているようです。 とはいえ、売るものが明確に決まっているわけでもない。サービスを利用する人にとっては便利になるけれど、それを提供する側には少し手間が増える。しかも、その提案内容自体が数か月後には変わっているかもしれない。 「あなたにとってこんなに得ですよ」と真正面から口説ける営業ではなく、長い目で見ればきっと意味があるので、一緒にやってみませんか、とお願いして回る。本人曰く、時々「ボランティアしませんか」と勧誘しているような気分にもなるらしいです。 トークスクリプトも完成形もないまま、電話をかけ、初めての場所へ行き、初めて会う人に頭を下げる。自分たちの利益、相手側の利益、その先にいる利用者の利益。その全部がなるべく同時に成立する場所を、実際に歩きながら探しているようです。 「今、何してるんだろう」と本人も若干思っている。しかし、薬局で薬剤師をしていた頃より、今の方がかなり楽しい。このよく分からないものを、よく分からないまま動かしている感じが、どうやら性に合っているようです。 ▪️「今これだ」と思って手に取った『自分の中に毒を持て』そんなタイミングで本屋に行き、以前誰かから勧められていた岡本太郎の『自分の中に毒を持て』を見つけます。 赤と黒でかなり主張の強い表紙。前に勧められたときには読まなかったのに、その日はほとんど迷わずレジへ。「今だ」と思ったらしいです。そして、そのまま二回読んでいます。 読んでみると、勧めてくれた人がなぜこの本を選んだのかにも納得したとのこと。社会人としてきちんと働くこと、組織に適応すること。それ自体を否定しているわけではない。でも、そこへ適応することばかり考えているうちに、自分の中にあった尖ったものまで全部丸くしてしまっていいのか、という問いが残る。 薬剤師という一つの仕事に違和感を覚えて離れ、会社員として働いている今も、やはり完全には馴染みきらない。その微妙な引っかかりに、岡本太郎のギラギラした文章がかなり効いたようです。 ▪️社会性も欲しいし、尖ってもいたいこの本から受け取ったのは、単純な「いい子になるな」という話ではなかったようです。 人とは仲良くしたい。嫌われたいわけではない。でも、人に合わせすぎたり、媚びているような自分には違和感がある。社会の中でちゃんとやっていきたい自分と、もっと自由に表現したい自分。その矛盾した二人を、無理に一人にまとめなくてもいいのではないか。 以前の配信でも、人と話すときに「媚びを売っている気がする」と感じる自分と、それでも人と仲良くしたい自分について話していました。その矛盾を解消するのではなく、抱えたまま生きる。むしろ、その摩擦がある人間の方が熱く、鋭くなれるのではないか。そんなふうに読んでいるようです。 資産、キャリア、安定。大人になるほど大事なものは増えていく。しかし、それらを守ることだけに夢中になった結果、自分の中にあった「毒」まで無毒化してしまうのは、少しもったいない。 そのあたりで急に麦茶を飲み、ヨーグルトに蜂の巣入りの蜂蜜を入れる話が始まります。カルディが近所にないことで「自分はカルディから季節感を摂取していた」と気づいたそうです。本の話をしていたはずなのに、蜂蜜の食感まで詳細に語り始める。この脱線も、ある意味かなり無毒化されていない。 ▪️『反応しない練習』の翌日に岡本太郎を読む前回取り上げたのは『反応しない練習』。起きた出来事に感情を振り回され続けるのではなく、問題を理解し、できる行動へ落とし込んでいく。感情のジェットコースターを少し降りるような本でした。 その直後に読んだ岡本太郎は、体感としてほとんど逆方向。 こちらは「もっと出ろ」「もっと動け」「失敗したっていい」と言ってくる。自信のなさについてさえ、本当はもっと立派な自分であるはずだと思っているから苦しくなるのではないか、という強烈な角度から刺してくる。 まず「自分はそんなに大した人間ではない」と認めてしまえば、失敗のハードルも下がる。それなら、さっさと何か始めて失敗してみればいい。 原始仏教の教えに触れた直後に岡本太郎を摂取し、「温度差で風邪をひきそう」と感じつつ、気づけばどちらも仕事の仕方へ結びつけて考えているようです。 ▪️恋愛の話を読んでいたら、営業で人を見る話になった特に面白かったのが、第3章の「相手の中から引き出す自分、それが愛」という恋愛の話。 岡本太郎のパリ時代の恋愛や、目が合った瞬間に相手へ惹かれる感覚。付き合うことで、それまで見たことのなかった自分が引き出される。その新しい自分との出会いこそが愛なのではないか、という話に強く引っかかったようです。 そして、なぜかここから現在の営業の話につながります。 最近は初対面の人に会う機会が一気に増えた。部屋に入り、挨拶をして、ほんの一言交わした瞬間に「あ、この人は大丈夫そう」「この人とは少し難しそう」と感じることがある。 もちろん、それが正しいとは限らない。しかし、何人もの知らない人と会っていると、言葉になる前の第一印象の解像度が少しずつ上がっていく。 相手がはっきり断れる人なのか、断りたくないから曖昧にしている人なのか。こちらがかしこまった方がいいのか、少し柔らかく話した方がいいのか。相手によって自然と自分の振る舞いも変わっていく。 恋愛の「目と目が合った瞬間」の話を読んでいたはずなのに、気づけば営業で人間を見る感覚をもっと研ぎ澄ませたいという話になっているようです。 ▪️ちゃんとした社会人になりたい。でも、改善した方が楽しい営業先へ行く日はスーツを着て、「社会人っぽくしなければ」という感覚もある。しゃんとする日もあれば、相手によってはかなり朗らかに話す日もある。 それでも、与えられた仕事をただこなして帰るより、「この説明に変えた方がいいのでは」「このやり方を改善できるのでは」と考えた方が面白い。 別に給料が上がるわけではない。それでも、自分の満足度は上がる。 一方で、仕事が楽しくなりすぎた結果なのか、かなり怪しいミスも発生しています。自分が取ったアポイントを別の社員にお願いし、スプレッドシート上でも担当者を変更し、DMまで送ったにもかかわらず、当日なぜか自分も現地へ行き、同僚と営業先の前で待ち合わせてしまう。 別の日には、完璧な移動計画を立てて向かった先が普通に休診日だった。 本人は「今のところ、やらなさすぎるミスではなく、やりすぎる方のミスだから助かっている」と前向きに評価しています。確かに二人で訪問する分には少し恥ずかしいだけだが、二人とも行かなかったら洒落にならない。 社会人らしくあろうとしながら、どこかで社会人らしさからはみ出し続ける。そんな毎日の中で岡本太郎を読み、「もう少し自分の尖ったところを尖らせてもいいのかもしれない」と思った回です。 社会に適応しすぎている気がする人、安定や正しさを考えるうちに少し小さくまとまっている気がする人には、『自分の中に毒を持て』のギラギラした文章がいい刺激になるかもしれません。 反応しすぎず、でも無反応にもならず。ちゃんと社会に参加しながら、毒までは抜かない。そのくらいの加減を探しながら、今日も初対面の人に会いに行っているようです。

    新規開拓営業を始めたら、社会に適応しすぎない岡本太郎が刺さった
  3. Oct 26

    普通の人ってなんだろうね?|『反応しない練習』草薙龍瞬

    #87【ひとり回】 書くタイプの読書会の休憩時間に隣の席の女性へ話しかけようとして放った第一声が、まさかの「雑談」。初対面が得意だと思っていた自認が、一言で崩壊します。 それでも相手がきれいに拾ってくれたことで、10分のはずだった休憩はいつの間にか1時間ほどの会話へ。文章を書くために集まった場所で、文章を書くより先に、他人の頭の中を覗く時間が始まったようです。 ▪️「普通の女の子」って、いったい何をして暮らしているのか 隣の女性が書こうとしていたのは、35歳くらいの「普通の女性」を主人公にした物語。結婚するつもりだったけれど結婚せず、周囲の刺激の強い人たちに囲まれながら悩み、最終的には新しい人生へ進んでいく人物です。 ところが作者本人には、その「普通の人」の日常が分からない。そこで二人で「普通とは何か」を考えることになります。Instagramを見る、テレビやドラマを見る、期間限定の商品について話す、身の回りの人の話をする。過去に「池内って変だよね」と言ってきた人たちを思い出しながら、世間一般の「普通」をなんとか言語化していきます。 そもそも「普通」を説明するために、普通ではない側だと自認する二人が一生懸命会議をしている。この時点で少し妙な光景ですが、気づけば話題はさらに「悩み続ける人とは何なのか」へ進んでいったようです。 ▪️悩みがないのではなく、悩み続けられない 二人には共通点がありました。悩まないわけではないけれど、長期間うだうだと悩み続けることがあまりできないこと。 問題があれば原因を考えて、調べて、解決策を探して、ダメなら次へ進む。一方で世の中には、調べれば分かることでも「どうしよう」と悩み続けられる人がいる。 実際に、会社の規則を確認すれば答えが出そうなことで長く悩んでいた知人を思い出しながら、「悩み続けること」と「行動に移すこと」の関係について考えています。 「ポジティブだね」「悩みなさそう」と言われることもあるものの、本人の中に悩みが存在しないわけではない。ただ、悩みが表面に長く残らない。その違いは何なのか。読書会で偶然始まった雑談が、ずいぶん大きな問いになっています。 ▪️そこで思い出した『反応しない練習』 その会話から思い出したのが、草薙龍瞬さんの『反応しない練習』。ブッダの考え方を現代の生活に落とし込みながら、悩みや苦しみに対して無駄な反応を増やさない方法を紹介する本です。 本の出発点は、「悩みをなくそうとするのではなく、まず悩みがあることを理解する」というもの。仕事が思い通りにいかない、人付き合いが難しい、自分をうまく伝えられない、将来が不安。 冒頭に並んでいる悩みの例を見ながら、あまりにも当てはまるものが多く、逆に「人間の悩みってこんなに普遍的なのか」と驚いています。 悩みが発生したら、まず事実を認識する。そして、その事実から勝手に妄想を膨らませない。たとえばテストが0点だったなら、「0点だった」は事実。でも「自分は頭が悪い」「自分はダメな人間だ」まで広げる必要はない。必要なのは、勉強時間を増やすのか、方法を変えるのか、次に取れる具体的な行動を考えることだと紹介しています。 ▪️求める心、そして分かりやすすぎる承認欲求 本の中では、人を反応させ続けるものとして「求める心」が登場します。生きたい、眠りたい、食べたい、楽をしたい、感覚的な快楽を得たい、認められたい。欲求が満たされれば喜びが生まれ、満たされなければ不満が生まれる。その繰り返しが人間の生活だと説明されています。 ここでどうしても引っかかるのが承認欲求。SNSで「いいね」が欲しいという分かりやすい話だけではなく、普段の会話でも気づけば「もっと褒めて」と着地している自分を発見します。人に好かれるように喋るのが得意で、時には「媚びを売るような話し方」になっているのではないか。好かれなくてもいい相手からまで好かれてしまうのではないか。そんな自分の対人コミュニケーションについても振り返っています。 一方で、欲求は悪者として扱われているわけでもありません。音楽を聴きたい、かわいいものを見たい、集中して何かを作りたい。小さなデジタルカメラから透明な万年筆、内部の歯車が見える時計にまで話が飛びながら、「感覚の快楽を味わいたい」という欲求もしっかり実感しているようです。 ▪️「楽をしたい」と「集中したい」は同時に存在する もう一つ引っかかったのが、楽をしたいという欲求。集中してアウトプットを出せたときの充実感は好きなのに、サボれる環境にいれば普通にサボる。その矛盾を抱えながら、喫茶店へ行く、出社する、文芸サークルへ行くなど、強制的に集中できる環境を自分で用意していることに気づきます。 本の中には、自信をつけるには「やってみる→体験を積む→成果が出る→周囲に認められる→こう動けば成果が出るという見通しが立つ」という話も登場。ところが、やってみる前に止まったり、1〜2回で飽きたり、成果が出るまで続かなかったりする。結局、自信の前には地味な「やる」と「続ける」が置かれているようです。 ▪️ルーティンを殺さないために、改善し続ける 同じことを同じやり方で繰り返すのが苦手でも、「もっと早くできないか」「もっと良くできないか」と改善する視点が入れば、昨日と同じ仕事も少し違って見える。 新しいことを始めても、続ければいつかルーティンになります。それでも改善し続ければ、そのルーティンは完全なルーティンにはならない。ここで気づいたのは、改善したほうが正しいという話以上に、改善すること自体が本人にとっての喜びらしいということでした。 ▪️最後に残ったのは、「役に立てればよし」 終盤で特に残ったのが、他者の幸福を願うこと、相手の苦しみに寄り添うこと、喜びを共有すること、余計な執着を手放すこと。そして、貢献すること、もてなすこと、サービスすること、誰かの役に立つことだけでも、働く意味や生きる意味になり得るのではないか、という話です。 そこから思い出すのは、薬剤師として現場で働いていた頃のこと。自分が動くことで同僚が助かり、患者が喜ぶ。目の前の人から直接反応が返ってくる仕事には、給料とは別の大きな報酬がある。現場を一度離れた人が、また薬局へ戻りたくなる気持ちも少し分かる気がすると話しています。 読書会で「普通の人って何だろう」と考えていたはずが、悩み、承認欲求、怠ける自分、改善する喜びを通過し、最後は「人の役に立つって結構うれしい」という場所へ。 本人にとって今その一つが、このポッドキャストを配信することなのかもしれません。 「反応しない」という静かなタイトルの本を読みながら、本人は相変わらずよく反応し、よく脱線し、よく笑っています。 どうやら反応しない練習には、まだもう少し練習の余地がありそうです。

    普通の人ってなんだろうね?|『反応しない練習』草薙龍瞬
  4. Oct 22

    ボイトレ4件回って、社会人音楽サークルも行ってきた

    #86【ひとり回】 今回は、「社会人サークル」の話から始まります。少し前までなら、「趣味が同じだから何なんだ」と思っていたはずなのに、気づけば自分から音楽サークルへ足を運んでいる。 読書が好き、音楽が好き、と言われても「で、そこから何を話すんだ」と思っていた人が、いつの間にか“同じものを好きな人たちと一緒に何かをやること”に面白さを感じ始めているようです。 ただし、音楽サークルの話がすぐ始まるわけではありません。 なぜそこへ行こうと思ったのか。その前提を全部説明しないと本題に入れないという、本人も最後に反省するほどの長い助走があります。そしてその助走こそ、妙に今回のテーマをよく表しているようでもあります。 ▪️「残念さ」の正体は、等身大じゃないことなのかもしれない 最初に登場するのは、最近よく聴いているという芸人のラジオ「うなげろりん」。本人たちの性格や人間関係をひたすら掘り続け、二人だけの世界をそのままコンテンツにしているところがお気に入りなのだそうです。 その中で引っかかったのが、「自分を大きく見せようとして、ずっと上っ面の発言をしてしまうこと」が、人をどこか“残念”に見せるのではないか、という話。 格好をつけたり、弱さやだらしなさを隠したりするのは、ある意味では自分のプライドを守るための防御でもあります。だから単純に悪いとは言えない。けれど、それを続けていると、発言と本人の実像が少しずつ離れていく。 そこから「自分の身の丈に合うことを喋りたい」「身の丈に合うことをしていたい」という最近の感覚について話しているようです。社会人サークルに行くなんて以前なら少し恥ずかしいと思っていたのに、今は「楽しそうなら、とりあえずやってみればいい」に変わっている。人生の途中で、いつの間にか“格好よく見えるか”より“本当に面白いか”のほうが重要になってきたのかもしれません。 ▪️自分は一人で考えていても、案外わからない その変化の背景にあるのが、「いろんな人と接することで、自分がわかる」という感覚です。家で一人、本を読みながら自分について考えることもできる。 けれど、人と会えば、自分との違いが勝手に目に入ってくる。「この人のこういうところは自分にはない」「昔の自分はこんな感じだった」「こういう人といると居心地がいい」。そうやって他人を見ているうちに、自分の輪郭まで浮き上がってくる。 どうやら社会人サークルへの興味も、単純に友達が欲しいとか、歌いたいだけではなく、まだまだ「自分のことを知りたい」という欲求とつながっているようです。 ▪️ボイトレ4か所を回ったら、「先生との相性」がよく見えた 音楽サークルに行く前には、ボイストレーニング教室も4か所体験。課題曲はすべてちゃんみなの「ダリア」に固定し、同じ曲を題材にすることで教え方を比較するという、なかなか真面目な検証が行われています。 基礎練習を積み上げて、いつか突然うまくなるタイプのレッスン。華やかでエネルギッシュな先生。腹式呼吸の感覚をいくつもの方法で教えてくれる、距離感がかなり近めのロック風の先生。それぞれ面白さはありつつ、最終的に選んだのは最初の先生でした。 理由は、決められたカリキュラムを渡すのではなく、本人の様子を見ながら「今ここに足りないもの」だけを見つけて差し込んでくれるから。比較したからこそ、最初に感じた「この人いいな」が何だったのかまで言葉にできたようです。恋愛の話ではありません。たぶん。 ここでは、人間を勝手に「出役」と「裏方」に二分する説まで登場します。自分は明らかに“出役”であり、だからこそ、自分が前に出ている間に相手を観察し、足りない部分をそっと補ってくれる“裏方”的な人との相性がいいのではないか。かなり乱暴な分類ではありますが、ボイトレの先生選びから人間関係の相性まで一本につながっていくあたりに、今回の思考の癖がよく出ています。 ▪️カラオケで歌っていた人が、突然バンドの真ん中に立つ そしてようやく本題、社会人音楽サークルへ。事前に共有された曲一覧から、担当したい曲と楽器を選ぶ方式で、今回は「丸ノ内サディスティック」のボーカルとして参加します。 スタジオに入ると、ドラム、ベース、ギター、キーボードに加えて、サックスやフルートまでいる。ほとんどカラオケでしか歌ってこなかった人間が、その日いきなり生演奏の中心で歌うことになります。ところがこれが、とにかく気持ちいい。 特に印象的だったのがサックスの音。 大きな音に引っ張られるように自然と声が出て、自分まで急に歌が上手くなったような感覚になる。静かなところからキーボードが入り、ベースが入り、ドラムが入り、ギターが入って、一気に音が膨らむ。 「息を合わせる」という言葉が、本当に身体でわかる瞬間だったようです。 三時間ほどのスタジオで、自分が歌ったのはほんの数回。それ以外の時間はほとんど観客のように他の人の演奏を楽しんでいたのに、それでもずっといい時間だった。何かに打ち込んでいる人たちの中に混ざること自体が楽しい、という発見もあったようです。 ▪️ベース10本のおじさまと、1か月で7kg落としたお父さん 音楽そのものと同じくらい面白かったのが、そこにいた人たち。家にベースが10本あり、同じ型番でも一本ずつ試奏して個体差を確かめてから買うという人。 社会人サークルで友達を作るために「垢抜けたい」とChatGPTに相談し、そこから本当に1か月で7kg落とし、髪や眉毛まで整えてきた子育て中のお父さん。全部の出来事に全力で反応する、感受性の豊かな人。 他人を見ながら、「昔、自分にもこういう時期があったな」と勝手に過去を思い出したり、「ここまで一つのことを極めている人ってすごいな」と眺めたりする。 年下の人には過去の自分が見えて、経験者には未来の可能性が見える。社会人サークルは音楽をする場所であると同時に、いろんな人生を少しずつ覗く場所にもなっていたようです。 ▪️「ボーカルっぽい人」なんて、本当はいない もうひとつ意外だったのが、ボーカルを希望していた人たち。本人は自分を「目立ちたがり」「完全に出役」と分析しているため、ボーカルをやりたがる人も当然、似たようなタイプだと思っていた。ところが実際には、控えめで静かそうな人もたくさん歌っていました。 話を聞けば、ただ歌うことが好きで、一人でずっと練習してきて、今度は誰かと音を合わせてみたかったのだという。性格と役割は、別にきれいにつながっていなくていい。見た目や普段の振る舞いから「この人はこういう人」と勝手に接続していたものが、少し外れる瞬間でもあります。 ▪️失敗しても、ポッドキャスト一本分になる 今回、新しい場所へ飛び込めた理由について、最後にはこんな話も出てきます。もし音楽サークルが死ぬほどつまらなくても、「どれだけつまらなかったか」をポッドキャストで喋ればいい。そう思えば、時間は完全な無駄にはならない。 実際には予想以上に楽しく、ミスをしても責める人はいない。経験者が土台を支えているから初心者が転んでも曲は終わらないし、「間違えました」「全然大丈夫です」で済む。 本人があまり使いたくないと言いつつ、結局「心理的安全性が高い」と表現したくなるような場所だったそうです。 何かを始める前に、その体験が正解かどうかまで決めなくてもいい。面白かったらそのまま楽しめばいいし、面白くなかったら面白くなかった話をすればいい。そんな逃げ道があるだけで、人は案外いろんなところへ行けるのかもしれません。 社会人音楽サークルの話をするはずが、芸人ラジオ、等身大の自分、ボイトレ講師との相性、人間を出役と裏方に分ける話まで盛大に寄り道した第86回。 気づけば「何かに熱中すること」と「他人の中で自分を知ること」について話しているようです。 そして最後に残る感想は、意外とシンプルです。たくさんの楽器の音の中で歌うのは、めちゃくちゃ楽しい。どうやらまたひとつ、夢中になれるものが増えたようです。

    ボイトレ4件回って、社会人音楽サークルも行ってきた
  5. Oct 20

    苦しい過去と向き合い続ける|「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」を観て

    #85【ひとり回】 ※本編は戦争に関する具体的な描写が含まれます。しんどくならない範囲でご視聴をお願いします。 ▪️映画館に行く理由、だいたい音響とポップコーン 映画はわりと観るものの、サブスクよりも圧倒的に映画館派。 今回の作品を知ったきっかけは、最近参加している文芸系の読書会。そこで以前紹介した、軍用犬とPTSDを扱う映画『ハート・オブ・ビースト』の話から、「戦争ものが好きなら」と勧められたのが『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』でした。 そして少し脱線しながら、読書会で感じている「成長実感」についても話しています。文章を書き、人に読まれ、「ここが良かった」「こう受け取った」と直接フィードバックされる。書くたび、話すたびに少しずつ上手くなっている感じがする。その感覚が、今かなり楽しいようです。 さらに、言葉の扱い方が似ている人から勧められた作品は、自分にもヒットしやすいのではないか、という仮説まで。趣味が同じというより、「同じ日本語を、似た手触りで使っている人」とは、作品の受け渡しもうまくいくのかもしれません。 ▪️「面白かった」と言っていいのか問題 実際に観終わって最初に出てきたのは、「面白かった」という言葉。 ただ、戦争映画に対してそれを言っていいのか。少し考えて、ここでの「面白い」は楽しいではなく、interestingのほうの面白さなのだと訂正しています。 映画の主人公は、実在したアレン・ネルソン。貧困と差別の中で育ち、軍人を英雄として描く映画に憧れ、海兵隊へ入り、ベトナム戦争へ向かった人物です。作品は、戦争から帰還した彼がカウンセリングを受ける現在と、戦場での記憶を行き来しながら進んでいきます。 ▪️人が「殺せる人」に変わっていく過程 特に強く残ったのが、軍隊での教育と戦場の描写。 人間の身体のどこを狙えば効率的なのかを教える授業。「殺せ」と繰り返す訓練。さらに、相手を自分たちと同じ人間として見ないための教育。 やがてその感覚は戦場の外にも染み出し、沖縄では現地の人々への暴力として現れていきます。 そしてベトナムの最前線へ。 仲間が突然撃たれる。どこから敵が来るのかわからない。身体が壊れる様子が、そのまま目の前に映される。村へ入り、人を殺し、さらに「どうすれば効率よく殺せるか」を考えるようになっていく。 身体的な残酷さももちろん強烈ですが、それ以上に怖かったのは、最初は異常に見えることが、繰り返されるうちに本人たちの中で「普通」になっていくことだったようです。 このあたりを説明している途中、話し手自身が映画の映像を思い出してしまい、一度本気で休憩しています。映画を観終わったあとに感想を話しているだけなのに、汗をかきながらもう一度食らっている。どうやら、それくらい映像と音が身体に残る作品だったようです。 ▪️「戦争だったから」から、「自分が殺したかったから」へ 帰還後のネルソンはPTSDに苦しみます。 突然怒鳴る。物を投げる。暴力的になる。家族と一緒に暮らすことも難しくなり、一時はホームレス状態にまでなる。 そんな彼に、カウンセラーは繰り返し問いかけます。 「なぜ、人を殺したのか?」 最初の答えは、「戦争だったから」「軍人だったから」。戦場ではそれが仕事だった、仕方なかった、という答えです。 けれど最後には、「自分が殺したかったから殺した」という言葉へたどり着く。 もちろん、貧困や差別、軍隊による教育、戦争という環境が彼をそこへ連れていったことは消えません。それでも、最後に引き金を引いたのは自分だった。その事実を「戦争のせい」だけにせず、自分の行為として認識する。 その厳しさが、この映画にはずっと流れているようです。 ▪️小さな女の子の「あなたは人を殺しましたか?」 やがてネルソンは、子どもたちの前で戦争体験を話す機会を得ます。 最初は虫やジャングルの話など、なるべく安全なところだけを話そうとしていた彼に、小さな女の子が聞きます。 「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 その質問をきっかけに、自分が戦争で何をしたのかを真正面から語り始めるネルソン。 そしてその後、自分の経験を何度も、何度も、人に伝えていくことになります。 ここで話は、戦争そのものから少し離れて、「こんなにきつい記憶を、なかったことにしない人間のすごさ」へ向かっていきます。 ▪️きつい記憶は、できれば忘れたい 人には、思い出したくない記憶があります。 「あの時なんであんなことしたんだろう」という程度の恥ずかしい記憶ですら、突然よみがえると十分つらい。もっと大きな痛みなら、細部まで思い出さずに「まあ、あの時期はきつかった」で蓋をしておきたくなる。 だからこそ、自分が受けたことだけでなく、自分が加害したことまで詳細に思い出し、人前で話し続けたネルソンに強く惹かれたようです。 過去を美化するでもない。忘れたことにするでもない。自分の中にある一番きつい記憶を、そのまま存在させ続ける。 戦争という大きなテーマ以上に、「この人、これをなかったことにしなかったんだ」という一点に、かなり心を持っていかれています。 ▪️理解することと、許すことは別 終盤にはリリー・フランキーが登場。過去回ではエッセイ『美女と野球』の、酒と煙草とその他いろいろな話をする人として紹介していたため、「めちゃくちゃかっこいいリリー・フランキー」に若干の混乱もあったようです。 彼が演じる人物は、戦争から帰った父親の暴力をずっと理解できず、父を嫌っていた。しかしネルソンの話を聞いたことで、「父も戦争によって傷ついていたのかもしれない」と初めて背景を捉え直します。 ここで残ったのが、「理解することと、許すことは別」という感覚。 なぜそんなことをするのかわからない人間は、ただただ恐ろしい。でも、その人がどういう経験をして、どういう背景を持ち、どうしてそうなったのかが見えると、行為を許せなくても、少なくとも「正体不明の恐怖」ではなくなる。 人を理解するために、背景を見る。 それは相手を無罪にする作業ではなく、自分の中で相手を理解可能な存在に戻す作業なのかもしれません。 ▪️戦争が終わっても、話は終わらない 最後にネルソンは、かつて自分が人を殺したベトナムへ戻り、現地の人々を前に自分の経験を語ります。 この映画を通して見えてくるのは、「戦争は悪い」という一文だけでは収まりきらないものです。 貧困や差別があり、余裕がなくなり、戦争という選択肢が魅力的に見える。その先で、一人の人間が人を殺す側になり、帰ってきても戦場を身体の中から追い出せず、その影響が家族にまで続いていく。 最前線の「加害する側」から見た戦争を、ここまで身体感覚を伴って見たのは初めてだったようです。 そして観終わってからも、話しながらまた食らい直してしまうくらいには、ずっと残る作品だったようです。 今回はそんな、戦争と加害、PTSD、記憶、そして「背景を知る」ということについて。 最後にはすっかり汗をかいてしまい、「ちょっと休みたい」「お風呂に入ってこようと思います」という、戦争映画の感想回とは思えないほど生活感のある着地をしています。 重たい回なので、聴き終わったあとは皆さんものんびりしてください。

    苦しい過去と向き合い続ける|「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」を観て
  6. Oct 15

    初めてフィクションを書いて、100%の嘘なんかないと体感した

    #84【ひとり回】書くタイプの読書会に参加した記録の続きです。最近、仕事でいわゆる「営業屋さんムーブ」をしている話からスタート。外を歩き回り、約束の10〜15分前には現地に着き、建物の前で何をするでもなく待つ。スマホをいじるのも、本を読むのも、なぜか少し違う気がする。結果、太陽の下でトークスクリプトを反芻しているような、していないような時間が発生しています。 営業というより、もはや「体力」という肩書きなのではないか。そんなことを考えながら、デスクワーク中心だった頃より体がずっとぽかぽかしていることに気づいたようです。人生で何度もヘルニアを経験した人から、デスクワーカーへ「せめて1時間に1回は立とう」という妙に説得力のある忠告も添えられています。 ▪️ 短歌が昼休みの遊び道具になった前回の読書会で短歌を作った話を同僚にしたところ、昼休みにその場で短歌らしきものを作って遊ぶ流れに。生まれたのが「キーボード叩く池内もちもち」という一節です。 本人のイメージでは「もちもち」は、資料作りに詰まりながらキーボードを叩く、少し頼りない打鍵音。しかし同僚には、音ではなく本人を含めた空間全体が「もちもちしている」と受け取られていたらしい。言葉は出した瞬間、勝手に他人の頭の中で別の生き物になる。そのズレまで含めて面白くなり、短歌はすでに鑑賞物ではなく人と遊ぶための道具になりつつあります。 ▪️ 「風」から始めたのに、なぜか「凪」にたどり着く読書会後半は、テーマをひとつ与えられ、黙って文章を書く時間。今回のお題は「風」でした。 秋の風から金木犀を思い浮かべる人もいる中、まず「風とは何か」を調べ、「水平方向の空気の流れ」という情緒の消え失せた定義を確認。そこから最初に出てきたのは、まさかの藤井風。さらに藤井風の佇まいから「凪」を連想し、今度は凪の定義まで調べ始めます。 吹いていた風や波がやみ、海面が穏やかになる状態。そこから、良いことにも悪いことにも過剰に反応せず、受け流していく感覚へ。気づけば「風」というお題から「凪になりたい人」の話を書こうとしているようです。ひとつの単語から枝を伸ばし続ける、いつもの脱線癖が、今回はそのまま創作のエンジンになっています。 ▪️ 人生初のフィクションで「切なさ」を作ってみる今回は、実体験をそのまま日記にするのではなく、架空の人物を動かす文章に初挑戦。登場人物は二人、会話を中心に進めることにします。 そして書きたい感情として選ばれたのが「切なさ」。好きな曲や作品を振り返ると、どうやら胸がきゅっとなるものに惹かれている。では、切なさはどう作ればいいのか。冒頭で読者に「この人、ちょっと自分にもあるかもしれない」と思わせておいて、最後に少しだけ突き放す。その高低差で胸を苦しくできないか、と考え始めます。 そこで生まれた短編のタイトルが『凪』。仕事帰りの男が、友人の働くバーで「俺、凪になりたい」とこぼすところから始まります。転職、新しい人間関係、恋愛、刺激。若い頃から目の前の面白そうなものを次々つかんできた主人公は、そろそろ刺激中毒を卒業し、何事にも反応しすぎない人になりたいらしい。 ところが友人は「あんたにはしばらく無理だと思う」と一刀両断。勝手にいろんな経験をして、それを持ち帰って報告してくる方がよほどその人らしい、と返します。そして最後、主人公は誰からも連絡の来ないスマホを眺める。たくさん動いてきたはずなのに、何が積み上がったのかはよく分からない。狙っていた「急に一人になる切なさ」が、静かに置かれています。 ▪️ 架空の人物に言わせたら、初めて言い返せたこの創作で最も本人が興奮したのは、主人公の過去のナンパ話に対して、友人役にきっぱり否定させた場面でした。普段の自分が直接言うのではなく、架空の人物同士の会話として言葉を置く。その瞬間、これまでとはまったく違う爽快感があったようです。 感想会で、それを「カタルシス」と表現した参加者がいました。調べてみると、抑圧されていた感情やモヤモヤが外に出ることで、心が浄化されるような状態のこと。過去、街中で突然声をかけられたり、怖い思いをしても、その場でうまく抵抗できずに終わっていた。その蓄積を、創作の中の誰かが代わりに言葉にしてくれた。 「この感情、ちゃんと名前があったんだ」と驚きつつ、創作がただの嘘ではなく、現実では返せなかった言葉を別の形で返す場所にもなることを知った回でもあります。 ▪️ 嘘の話を書いたはずなのに、自分がにじむもちろん主人公は本人そのものではありません。目先の刺激や快楽に流され、「自分が選び取っている」と思いながら進んできた人物として、意図的に歪ませて作っています。それでも書いてみると、自分の考えていることや、最近感じている変化がどうしても混ざる。 以前は、感情をジェットコースターのように上下させ続けることこそ人生の面白さだと思っていた。でも最近は、必ずしも反応し続けなくてもいいのではないかと思い始めている。仏教をもとにした『反応しない練習』の考え方にも触れながら、「反応する自分」と「凪になりたい自分」の間を行ったり来たりしています。 しかも、読んだ人から「刺激を追い続けた結果、深い関係を作れないままここまで来た人にも見える」と、狙っていた以上の読みを返される。文章より書き手のほうが大騒ぎしながら、「伝わった!」を喜んでいるのもこの回の見どころです。 ▪️ 人間を分類してきた癖が、キャラクター作りに化けるもともと、周囲の人を観察し、「この人はこういう場面でこう動く」「この側面では常識人だけど、別角度から見るとかなり変」と分類する遊びを延々としていた時期があったそうです。分類できると安心するし、分類できるまでは「あなた何者?」と情報を集めたくなる。 その癖が、今回初めて創作に接続しました。特定の誰かをモデルにするのではなく、頭の中に蓄積された「こういう人間、いる」という分類棚から人物を取り出す。今まで少し怪しかった人間観察が、急に創作資源として合法化されたような瞬間です。 ▪️ お賽銭の額で「風」を出す人がいる。創作、自由すぎる他の参加者の作品にもかなり刺激を受けています。中でも印象に残ったのは、神社でアルバイトを始めた大学生が、裏手の秘密の場所で「お賽銭の金額に応じて風の強さを調整するボタン」を押す仕事を任される話。 本人はまだ、自分に近い人物や感情を材料にしていました。そこへ、現実には存在しない設定を当然のように立ち上げ、しかも読みやすい文章にしている人が現れる。「そんなバイトないじゃん」という当たり前の驚きから、ショートショートの作り方に興味が移り、おすすめされた創作指南本まで即購入。次の作業会で試してみる気満々です。 大量の人と大量のアウトプットに触れると、その中に必ず「これ好きだな」が発生する。そして好きなものに反応すると、次の遊び道具が増える。読書会について話していたはずが、だんだん好奇心の増殖記録のようになっているようです。 ▪️ 最後は寿司一貫サイズのカメラを買っている参加者がnoteに書いていた、一人ディズニーの日記。その中に載っていた小さなデジタルカメラの写真があまりに可愛く、画質の粗さ、ピンぼけ、フィルムっぽい質感、小ささ、キーホルダーとして鞄につけられる気軽さに惹かれ、最終的に購入しています。 価格は約6,400円、しかも何種類かあるうち何が出るか分からないガチャ形式。結果は一番オーソドックスな黄色のレトロデザイン。それでもかなり気に入り、すでに写真を撮りまくっている様子です。 スマホほど綺麗に撮れない。撮った写真もその場ではほとんど見返せない。動画の音もガビガビ。それなのに、その不便さがむしろ可愛い。写真を撮る行為に少し照れがある人でも、おもちゃのようなカメラなら自然に持ち歩けるらしい。 短歌、小説、人間観察、他人の日記、そしてトイカメラ。今回は、何かひとつを極めるというより、「面白い」を見つけた瞬間に次の遊びが増えていく回になっています。凪になりたいと言いながら、好奇心だけは今日もまったく凪いでいません。

    初めてフィクションを書いて、100%の嘘なんかないと体感した
  7. Oct 13

    高尚なものだと思ってた短歌、かなり自由な遊び道具だということが判明した

    #83【ひとり回】 今回は、2回目となる「書くタイプの読書会」の報告回です。 自己紹介でおすすめ映画の話をしたら、なぜか次の人まで戦争を扱った映画を紹介してくる。そんな妙な偶然から始まった今回の読書会。ところが、この日のいちばん大きな出来事は映画でも文章でもなく、開始からわずか十数分ほどの短歌ワークショップだったようです。 短歌といえば、『サラダ記念日』を読んだことがあるくらい。なんとなく古典っぽくて、繊細で、少し高尚なものだと思っていたはずが、「嘘をついてでも面白く」と言われた瞬間、急に様子が変わります。 気づけば短歌が、鑑賞するものから自分の手元で遊べるものになっていたようです。 ▪️突然始まった15分間の短歌ワークショップ そして前半のワークショップで告げられたのが、「今日は短歌を作ります」。 そこで提示されたルールは、「5・7・5・7・7の定型を守る」「いつもの言葉遣いで書く」「嘘をついてでも面白くする」というもの。さらに今回は、好きなオノマトペをどこかに入れるという条件も加わります。 短歌についてほとんど知らない状態からすると、何より引っかかったのが「嘘をついてでも面白く」の部分。 日常を繊細に切り取って、きれいな言葉にして、静かに差し出すもの。どこかそんなイメージだった短歌に、いきなり「嘘ついていいですよ」が入ってくる。 そこで生まれたのが、「え、そんなのおもちゃじゃん」という感覚だったようです。 触るのに少し緊張していたものが、突然こちらの手のひらまで降りてくる。しかも31音という小さな箱の中なら、ふざけてもいいし、盛ってもいいし、実際には存在しなかった景色を置いてもいい。 高尚だと思っていたものが遊び道具になる瞬間というのは、案外かなり気持ちいいものなのかもしれません。 ▪️「ポロポロ」から生まれた初めての短歌 今回選んだオノマトペは、ピアノの音をイメージした「ポロポロ」。 前日に音楽サークルへ行った記憶も混ざりながら、夜、ひとり、ピアノ、『海の幽霊』といったものを31音へ詰め込んでいきます。 そして完成した短歌を参加者同士で読み合い、「どこがよかったか」を言葉にして伝え合う時間へ。否定するのではなく、それぞれの作品の中にあるものを拾っていく。 完成した一首を人前で読む段階になって急に恥ずかしくなるあたりまで含めて、きちんと初めての創作体験だったようです。 ただ、それ以上に残ったのは、短い時間の中で「なんでこんなに面白いことがあるんだ」と思うほど夢中になれたこと。 ▪️「もちもち資料を作る人」とオノマトペの相性 そもそも話し手は、普段からオノマトペをかなり自由に使うタイプ。 資料作成がなかなか進まず、キーボードを叩きながらもだもだしていた状態を、以前職場で「もちもち作っていた」と表現し、同僚からしっかり突っ込まれたこともあるそうです。 そんな我流のオノマトペが日常的に発生している人間に、「好きなオノマトペを入れて短歌を作ってください」という課題が渡される。考えてみれば、かなり相性のいい遊びだったのかもしれません。 さらに『あなたとわたしの短歌教室』を読むと、オノマトペは単にかわいい音を追加するためだけのものでもないらしい。 31音すべてへ情報を詰め込むと、読み手には受け取る暇がなくなる。そこに「ポロポロ」「きらきら」のような音が入ることで、意味を猛烈に処理しなくてもいい小さな空白ができる。 短歌の中にも、読み手が咀嚼するための余白が必要らしい。情報量は、多ければ多いほど親切というわけでもないようです。 ▪️飲み会で捕まえた人から『あなたとわたしの短歌教室』へ ワークショップがあまりに面白かったため、終了後のご飯では企画した参加者のもとへ向かい、「本当に面白かった」「今日来てよかった」と感想を伝えることに。 そこでおすすめされたのが、歌人・服部真里子さんの『あなたとわたしの短歌教室』でした。 読んでまず驚いたのは、短歌以前に説明文そのものがものすごく読みやすいこと。短歌の作り方や考え方を説明しているのに、難しい文章を読んでいる感じがしない。必要な言葉だけが置かれていて、すっと頭に入ってくる。 そして内容を読み進めるほど、ワークショップで出てきた「嘘をついてでも面白く」の意味が少しずつ見えてきます。 ▪️作者と短歌の主人公は、同じ人じゃなくていい 特に印象に残ったのが、短歌の主人公である「作中主体」と作者本人を切り分ける考え方。 短歌に「私」が出てくると、なんとなく作者本人の日記のように読んでしまう。しかし、そこで起きたことが実話である必要はないし、作者本人が主人公である必要もない。 むしろ最初から「これは作中の人物です」「嘘をついていいです」としておくことで、本当に自分が経験したことを書いたとしても、それがそのまま深い自己開示として扱われずに済む。 さらに、人間はそもそも100%の嘘を書くこともできないのではないか、という話にも惹かれているようです。 架空の出来事を書いていても、選ぶ言葉や発想には、その人がこれまで見てきたものや考えてきたことがどうしても混ざる。 つまり創作は嘘でいい。でも、その嘘の中にも勝手にその人が漏れ出してしまう。 このあたりから、話題は短歌の作り方というより、少しずつ「表現って何なんだろう」という話になっています。 ▪️なぜ、そんなに5・7・5・7・7を守らされるのか 一方、この本は優しいだけでもないようです。 初心者はまず、字余りや字足らずにせず、きっちり5・7・5・7・7を守る。助詞も、入れたい言葉を詰め込むためだけに省略しない。 「でも、この言葉をどうしても使いたいんです」と思ったところで、その“どうしても言いたいこと”こそ、実はどこかから借りてきた言葉かもしれない。 ならば定型に入らない「りんご」を捨て、突然「リス」を入れてみる。その制約の中で試行錯誤した結果、予定していなかった言葉が出てくる。そこに、その人自身の面白さが現れるのではないか。  自由に書くことが、必ずしもその人らしさにつながるわけではない。むしろ不自由なルールの中でどう逃げるかに、その人が出る。 短歌の話をしていたはずなのに、気づけばだいぶ面白い創作論の話になっているようです。 ▪️「人生の楽しみをひとつ増やす」という目的 そして、この短歌教室の目的として出てくるのが、「人生の楽しみをひとつ増やすこと」。 賞を取ることでも、誰かより上手になることでも、短歌の世界で勝ち上がることでもない。ただ、人生に楽しいものをひとつ増やす。 この「ひとつ」という小ささが、かなり気に入ったようです。 世の中には、まだ知らない遊びが大量にある。その中から自分が本当に面白いと思えるものに出会うには、とりあえずいろいろ触ってみるしかない。 今回も、短歌をやるために読書会へ行ったわけではありません。たまたま参加した場所で、たまたまその日の企画が短歌だった。それだけで、30歳になった今、突然ひとつ遊び道具が増えました。  新しい趣味との出会いは、探しに行った先にあるとは限らない。別のものを見に行った場所で、横から急に渡されることもあるようです。 高尚そうだった短歌が、急に手元のおもちゃになった日。 人生の楽しみは、大げさに探さなくても、たまたま座った読書会の席から増えることがあるようです。

    高尚なものだと思ってた短歌、かなり自由な遊び道具だということが判明した
  8. Oct 8

    考えないを考える夜【ゲスト:人事お姉さん】

    #82【飲酒回】 今回は、人事お姉さんを迎えての飲酒回。 薄暗い照明、しだれる桜のような装飾、ふかふかのソファー、グラデーションのかかったお酒、白ワインとケーキ。どう考えてもムードのある空間なのに、始まる話は「この暗さ、睡眠にはよさそう」。せっかくの色気を睡眠衛生に変換してしまうところから、第82回は始まります。 デート向きの店に来ても、光量が気になり、バナナケーキを分け合い、気づけば映画と涙、人間関係、初対面の判断基準まで話が広がっていくようです。お酒の力も借りながら、いつも以上に話題が行ったり来たりする回です。 ▪️ 『ハート・オブ・ビースト』と、「分解」するほどの感情移入 最初の大きな話題は、映画『ハート・オブ・ビースト』。戦地から帰ってきた軍人と、同じく戦争を経験した軍用犬の物語について話しています。 PTSDを抱えた犬の余生を少しでも幸せなものにしようとする人間と、それに信頼で応える犬。多少「泣かせにきている」と感じる演出や、現実なら本当にそんな判断をするだろうか、とツッコミたくなる部分もありつつ、結局はふたりの信頼関係にしっかり心を持っていかれたとのこと。 しかし問題は、聞いている側が動物ものに異常なほど弱いこと。「軍用犬」という単語が出ただけで顔が曇り、あらすじの途中ですでに限界を迎えます。そしてここで誕生するのが、感情移入しすぎて自分自身が崩壊することを指す「分解する」という新語。 映画を観て泣くのではなく、映画館で「分解する」。意味はよくわからないのに、二人の間では妙に意味が通じてしまっています。こうしてまた一つ、この二人にしか通用しない言葉が増えました。 そもそも映画を観て泣かないことが「ほぼない」という話から、『鬼滅の刃』や『プラダを着た悪魔』の話にも寄り道。泣くことを目的に映画を観るというより、日常的に感情移入して勝手に涙が出るため、定期的に感情が自動排出されているのではないか、という妙な自己分析まで進んでいきます。 ▪️ 流行っているものより、「自分が良さそうと思ったもの」 『ハート・オブ・ビースト』を観た映画館がかなり空いていたことから、話は作品の知名度へ。人気シリーズや有名作品に人が集まるのは当然。でも、「みんなが観ているから」ではなく、自分が面白そうだと思った映画を観に行くのもいいのではないか、という話になります。 大げさな映画論というより、「自分がいいと思ったのに、なんでこんなに誰も観てないんだろう」という素朴な違和感から出てくる話なのが、この回らしいところです。 ▪️ 一度会った人と、もう一度会う面白さ そこから話題は、最近参加した「書くタイプの読書会」へ。初参加のあと、一人で反省会をして、ポッドキャストで喋って、友人たちから反応をもらう。それだけでも一度目とはかなり違う自分になっているはずで、二度目に参加すれば当然、出てくる言葉も変わる。 だから面白いのは、毎回知らない人に会うことだけではない。同じ人にもう一度会って、その人や自分がどう変わっているかを見ること自体がコンテンツなのではないか、という話になっています。 人は環境や一緒にいる相手によって、良くも悪くも変わっていく。数年後まで何も変わらない人のほうが、むしろ珍しいのかもしれません。人間そのものより、人間の「途中経過」を見ているのが好きなのでは、と気づけばそんな話になっているようです。 ▪️ バーでおばあちゃんにナンパされる 人間の変化について真面目に話していたと思ったら、突然始まるのが「バーでおばあちゃんにナンパされた話」。 友人を待って一人で座っていたところ、隣のおばあちゃんから声をかけられ、余ったピザを勧められ、そのままかなり積極的に話しかけられます。途中で友人が来ても会話は続行。店員がさりげなく助けに来るほどの勢いだったそうです。 一方では「もうおばあちゃんからモテなくていい」と言いつつ、別の日には道に迷った人を目的地まで連れていってしまう。口では面倒そうにしているのに、実際には案内してしまう。その言葉と行動の微妙な不一致を相手に発見され、本人はかなり不服そうです。 ▪️ 東京カレンダーみたいな店で、写真を撮り合う 今回収録している店は、とにかく写真映えする空間。そこで自然と始まったのが、二人で写真を撮り合う時間でした。 人事お姉さんは「東京カレンダーの表紙」のような表情を自然に作れる一方、普段はかなり堂々としているもう一人は、カメラを向けられた瞬間だけ急に照れる。撮られること自体が嫌なわけではない。むしろ嬉しい。でも、レンズを見るのは恥ずかしい。 中高生の頃に写真で変顔ばかりしていたのも、もしかすると照れ隠しだったのではないか。そんな昔の行動まで、カフェで写真を撮っているだけなのに掘り返されていきます。 「みんなにも見てほしい」と「でもこれは心のカメラロールにしまっておきたい」が同時に存在する。その距離感も含めて、写真を撮るという行為にも人間同士の相性が出るらしい、と気づきます。 ▪️ 人間の相性を、もう言語化しすぎない そして今回の後半、大きなテーマになるのが「最近、相性を言語化するのをやめようとしている」という話。 「なぜこの人といると居心地がいいのか」「なぜこの人とは合わないのか」。理由を説明できると安心するし、考えることそのものは楽しい。でも人間には、その日の気分、仕事で起きたこと、場所、一緒にいるメンバーなど、あまりにも多くの要素が混ざっています。 だから全部に理由をつけなくても、「ここは居心地がいい」「なんとなく今日は違う」くらいでいいのではないか。人間は複雑すぎるので、分析してわかった気になることを一度やめてみる。考えることが好きな人ほど、意外と難しい実験なのかもしれません。 ▪️ 二人だけの言葉が生まれるまで、何度か会ってみる その話とつながって出てくるのが、「初対面で相手を判断するのが早すぎたかもしれない」という気づきです。 今までは、最初の会話で「面白い」「合わない」をかなり早く判断し、合わないと思えばそのまま興味を切ってしまうことがあったそうです。しかし読書会で、文章では大量に考えを書けるのに、リアルタイムの会話になると極端に言葉が遅くなる人と出会います。 そこで初めて、その場で喋れることと、その人が頭の中で考えていることは、必ずしも一致しないのだと実感したとのこと。 そもそも今回生まれた「分解」という言葉だって、一度会っただけでは生まれません。何度も話して、過去の会話が積み重なって、二人にしかわからない文脈ができていく。人間関係には、そういう「何回目まして」から始まる面白さもあります。 グループでは見えなかった魅力が一対一では見えるかもしれないし、初対面では自己開示がゼロだった人も別の場面では違うかもしれない。……と、かなり寛容な方向へ話が進みますが、「そこまで待つのめんどくさくない?」と途中で自ら撤回しかけるのも、この番組らしいところです。 とはいえ、すべてを改善する必要もないのかもしれません。居心地のいい服だけがクローゼットに残るように、人間関係も結局、居心地のいいものが残っていく。 分析をやめたいと言いながら最後までしっかり分析している二人の、「考えない」を考え続ける飲酒回です。

    考えないを考える夜【ゲスト:人事お姉さん】

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毎週火曜・木曜更新! 映画・本・ゲーム・YouTubeなど、心が動いた作品をきっかけに、日常の違和感や人間の不思議を考えるポッドキャスト「げらやく」。 元薬剤師・現企画職のいけうちが、作品の感想だけで終わらせず、気になったことを調べたり、自分の仕事や生活に引き寄せたりしながら、ゆるく深く話しています。 扱うテーマは、認知バイアス、薬や病気のしくみ、科学と社会、哲学、生き方、仕事、創作、そしてたまに物理まで。 いろんな疑問を、ひとりで、時々だれかと、一緒にほどいていく知的(?)雑談日記ラジオです。

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