身体の教養ラヂオ

大沼竜也

大沼竜也(おおぬま・たつや) 鍼灸師。1991年宮城県生。 身体の教養──自分の身体の状態を感じ取り、自分で調整できるようになること。読み書きと同じように、誰もが身につけるべきリテラシーだと考えています。 漠然とした不安、疲れ、行き詰まり。その原因を思考で探しても、また同じ不調が戻ってくる。身体の状態が変わっていないからかもしれません。 身体は常に何かを感じています。あなたが気づいていなくても。この「感じ」が、気分も判断も行動も──暮らし全体を方向づけています。 身体の構造を知り、自分の身体に通し、感覚が立ち上がる。コーヒーを飲む、本を開く、誰かと話す。行為は同じでも、身体の状態が変われば暮らしの質が変わります。 自分の手で触れ、ゆすり、さする。感じて、解いていく。僕はこれを身体動態瞑想と呼んでいます。瞑想は身体的な行為であり、感じ解いていくことです。 変われないのは、あなたのせいではありません。身体が固まったまま思考だけで何とかしようとしている構造のせいかもしれない。この番組では、身体の教養という視点から暮らしを見つめ直します。 ▼ 話している人について https://www.somaticstudiojapan.com/newsletter

  1. Jul 7

    毎日が同じことの繰り返しでむなしい|岩を押し続けた男の話

    毎日が同じことの繰り返しで、何のためにやってるのかわからなくなることがあります。 その「何のため?」が消えている時間が、身体にはあります。夢中でやっているときです。 岩を押し続けた男の話から、「希望」の意味を取り戻す回です。 最も伝えたかったのは、 大事にすべきは、どんな構えを保とうとするか、その意思が幸福の起源であるということ。 身体が合理的になれば、むしろストレスは楽しめるものになるのです。辛いものも、スポーツも、仕事もそうでしょう。ストレスを避けるのではなく(一時的に必要なこともある)、ひたすら泳げる身体を作っていくということなんです。 アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』(清水徹訳・新潮文庫)から引用しています。 無料の「身体の教養便り」をお届けしています☺️ 入門ガイド「身体の教養 入門」と、2週間の「自分のからだを読む」練習メールが届きますよ。登録は無料で、いつでも解除できます。 https://www.somaticstudiojapan.com/newsletter 話している人について https://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma お手紙・ハガキ募集中です。 〒980-0811 宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503 大沼鍼灸 宛

  2. Jun 30

    人と会うとぐったりするのは、なぜ?|繊細だから疲れるんじゃない

    人と会うと、どっと疲れる。「私、感受性が強すぎるのかもしれない」。そう感じることはないでしょうか。でもその疲れは、弱さというより、相手の体験に触れて自分の中の体験が呼び起こされ、増幅して、自分を飲み込んでしまうから起きているのかもしれません。コミュニケーション三部作の最終回。繊細さの正体と、飲み込まれずに人と関わる「戻り方」を、身体の視点からゆっくり話しています。――――――――――【チャプター】0:00 「もらった」んじゃない、自分の中で増幅している2:14 生きることは、ぜんぶコミュニケーション8:01 「もらい疲れ」という言葉で、見えなくなるもの13:31 境界線を引くだけでは、もったいない19:58 共感できる人ほど、相手が見えなくなる30:41 「ちゃんと聞かなきゃ」が、防御になる38:45 僕が「感受性が低い」と思っていた頃45:29 感受性は、鈍らせなくていい51:29 戻り方さえ覚えれば、飲み込まれない【今日の3つの問い】・「もらい疲れ」という言葉で、何が見えにくくなるのか・共感できる人ほど、なぜ相手が見えなくなることがあるのか・感受性を鈍らせずに、人と関われる体に戻るには何をすればいいのか【参考】・HSP(Highly Sensitive Person/エレイン・アーロンが提唱した、刺激に敏感な気質の概念)・共感疲労(compassion fatigue)・もらい疲れ・刺激をきっかけに記憶が立ち上がる現象(プルースト効果/匂いや音が当時の体験を呼び起こす)・トラウマの仕組み(無意識のうちに体が過去の体験を追体験する)・前回(第2回):共感=体験の共有/間身体性【コミュニケーション三部作】第1回 会話で大事なのは、何があったかじゃない第2回 共感とは、体験の共有である第3回 繊細だから疲れるんじゃない(本編・最終回)このコミュニケーションの土台を、対人支援者の方と一緒に学んでいく場として、私塾を開いています。今、夏期の募集をしています。気になった方はこちらから。https://www.somaticstudiojapan.com/sijyuku話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonumaお手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛

  3. Jun 22

    相手が遠く感じるたったひとつの理由|共感とは、体験の共有である。

    「わかるよ」と言いながら、本当に伝わっているのかなと不安になることはないでしょうか。自分には共感力がないのかも、と感じている方もいるかもしれません。でも共感は、相手をよく観察する技術ではなくて、自分の中に眠っていた似た体験が呼び起こされる「体験の共有」なんです。だとすると、鍵は相手ではなく、自分の体のほうにあります。コミュニケーション三部作の第2回。共感とは何かを、身体の視点からゆっくり話しています。【チャプター】0:00 「わかるよ」が起きるとき、体では何が起きているのか3:12 共感は「相手に集中すること」だと思われている6:38 「わかる」のは、自分の中に同じものがあるから9:33 共感は、自分を通っていく13:41 世間が消えて、共感を経ずに大人になる16:28 共感とは、体験の共有である21:45 自分の体験が、共感の幅を作る26:30 共感は、特別な才能ではない【参考】・タニア・ジンガーら:他者の痛みを見ると、痛みの情動成分が働く(Singer et al., 2004, Science)・カール・ロジャーズ:共感的理解の「あたかも」・メルロ=ポンティ:間身体性(体と体の響き合い)・sympathy(共に+感じること)/empathy(中へ感じ入る)・内受容感覚(自分の体内状態を感じる力)【コミュニケーション三部作】第1回 会話で大事なのは、何があったかじゃない第2回 共感とは、体験の共有である(本編)第3回 繊細だから疲れるんじゃない(来週)話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonumaお手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛

  4. Jun 16

    会話で大事なのは、何があったかじゃない

    「ちゃんと話を聞いたつもりなのに、なぜか相手とのあいだに距離ができてしまう」。会話で大事なのは、何があったかという事実ではなく、どう感じたかという体験のほうなのだと思います。そしてその体験は、頭ではなく身体に起きています。対人支援を仕事にしている方も、そうでない方も。あなたと、目の前の誰かとのあいだに毎日起きていることの話です。この夏の私塾募集にあわせた、コミュニケーションをめぐる三回シリーズの第一回。「ちゃんと聞かなきゃ」と力むと身体が固まって、かえって相手の体験を追体験できなくなる。受け止めたものを自分の中で閉じ込めず、自分の体験も返しながら、相手の体験を掘り下げて聞いていく。その身体的な土台についてお話ししました。― チャプター ―00:00 対人支援は、つきつめればコミュニケーション03:33 コミュニケーションは、生きることそのもの06:09 「ちゃんと聞かなきゃ」と力むと、相手が遠くなる10:13 受け止めるのはいい。でも飲み込まれると共感疲労15:03 「悲しい」を「辛い」で塗り替えない18:50 事実だけ追うと、古い傷を開く ── トラウマの正体24:46 体験を、掘り下げて聞く31:35 足を持って揺らす ── これは、あなたの話ブログ版(書籍情報カード・因果フロー図付き)はこちら。https://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma-blog/what-matters-isnt-what-happened身体の教養ラヂオ/のんべんだらりと暮らすだけお手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma

  5. Jun 7

    「変われない」と「知ったかぶり」|宮崎駿と知ったかぶりの身体

    本を読んでも、学んでも、なぜか変わらない。それは頭が悪いからではなく、画面を指でなぞるように「知った気」になっていて、身体がどこへも出かけていないからかもしれません。宮崎駿が十五年前にiPadへ放った一節を手がかりに、「わかる」と「知ったかぶり」の境目を、身体から考えてみます。スタジオジブリのフリーペーパー『熱風』2010年7月号「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」。そこで宮崎駿は、画面をさする手つきを「自慰行為のよう」と言い、「あなたには調べられません」と言い切りました。情報がいくらあっても、その対象へ出かけていける身体がなければ、調べたことにはならない――。ライブで初めて曲の良さが「わかる」瞬間、他人の汗の上澄みだけを掬う「受け売り」、「カメラを持っていくな、記憶で描け」という宮崎の調べ方、そして施術室で出会う「学んでも変わらないんですよね」という身体。道具の問題ではなく、手つきの問題なのだと思います。――あなたの指は、今、何を撫でているでしょうか。〈チャプター〉00:00 電車で、画面を指でさすっている ── 宮崎駿の予言04:39 わかった気になるのは、気持ちいい10:08 「わかる」には二つある ── ライブで初めて分かる19:03 「あなたには調べられません」26:55 受け売り ── 他人の汗の上澄みを掬う35:33 カメラを持っていくな、記憶で描け39:06 「学んでも、変わらない」と言う身体46:03 あなたの指は、今、何を撫でているか身体の教養ラヂオ/のんべんだらりと暮らすだけお手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma

  6. Jun 2

    【後編】子供の飛び方から、大人の飛び方へ|身体の教養とは何か

    自分を分析するツールはたくさん試した。MBTI、HSP、ストレングスファインダー、エニアグラム。自己理解はできているはずなのに、なぜか生きやすくなっていない──そんな停滞を感じたことはありませんか。それは「俯瞰で意識的に見つめる」つもりが、いつのまにか頭の中だけで完結する「思考の檻」になっているからなのかもしれません。今回は宮崎駿監督の「俯瞰で意識的に見つめる」を身体の方から読み替え、「身体の教養」とは何かを話していきます。「キキはなぜ飛べたのか|宮崎駿『血で飛ぶ』と身体の話」シリーズの後編です。後編(今回)でお話ししているのはこんな内容です。・宮崎駿「いくつになっても成長したいなら、自分を俯瞰で意識的に見つめる態度が必要」・デカルト「我思う、ゆえに我あり」が遺した、身体を置き去りにする思考の罠・「思考の檻」──記号と物語だけで自分を捉えようとする状態・体を観察するのではなく、体に同一化する/体に問いかける・メルロ=ポンティ後期の言葉「反省とは、自己との差異の欠如、沈黙せる同一化である」・第二次言語(HSP・愛着障害・人見知りといったラベル)と第一次言語(ふわーっと・ここが詰まる・なんて言っていいかわからないけど…)・中動態──涙が出る、眠くなる、心が動く、その仲間としての「身体に焦点を当てて待つ」・養老孟司の「手入れ」──庭師は庭を完全に管理できない、けれど手は離さない・キキの最後の飛行、トンボを助ける場面で身体に起きていたこと・身体合理性と理性の循環──野生を抑え込むのではなく、承認し、豊かに開いていく・子供のままの飛び方ではなく、大人の飛び方として3回のシリーズの締めくくりです。「学んでも変わらない」「分析するほど苦しくなる」と感じている方に、特に聴いてほしい一本です。------身体の教養ラヂオ/のんべんだらりと暮らすだけお手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma#身体の教養 #ソマティクス #魔女の宅急便 #ジブリ #中動態 #養老孟司 #メルロポンティ #身体知の書庫

  7. May 31

    【中編】考えても答えが出ないとき|キキが飛べなくなった日

    考えても考えても答えが出ない。でも考えるのを止められない。いつもと同じはずなのに、急に自分が言うことを聞かなくなる──そういう夜、ありませんか。それは思考力の問題ではなくて、「身体図式」というあなたの中の無意識の当たり前が、状況の変化に追いつけなくなっているサインなのかもしれません。今回はキキが突然飛べなくなった日に身体で起きていたことを、メルロ=ポンティの「習慣の獲得は身体図式の組み換えである」という言葉を補助線に読み解いていきます。「キキはなぜ飛べたのか|宮崎駿『血で飛ぶ』と身体の話」シリーズの中編です。中編(今回)でお話ししているのはこんな内容です。・血で飛ぶの限界──新しい状況が身体に「組み直してくれ」と要求してくる・メルロ=ポンティ「習慣の獲得とは身体図式の組み替えであり更新である」・「自分を持てあます」──思春期だけの話ではない・飛べない時に身体に現れる3つの兆候(身体が変わる感じが訪れない/問題解決の言葉ばかりが先行する/感覚の具体性が消えていく)・思春期に限らない人生の節目──引っ越し、独立、出産、子離れ、転職、引退、更年期、退院後…・画家ウルスラがキキに伝えた言葉──「ジタバタするしかないよ/何もしない/そのうちに急に描きたくなるんだよ」・コントロールするのではなく、身体がぴったり合う瞬間を待つ・思考の檻から出て、世界と身体の手触りを取り戻していく後編では、宮崎駿監督の「俯瞰で意識的に見つめる」を身体の方から読み替え、「身体の教養」とは何かまでを話していきます。「変わりたいのに変われない」「自分を分析するほど、生きづらさが増している気がする」と感じている方に、聴いてほしい一本です。------身体の教養ラヂオ/のんべんだらりと暮らすだけお手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma#身体の教養 #ソマティクス #魔女の宅急便 #ジブリ #身体図式 #思考の檻 #身体知の書庫

  8. May 28

    【前編】キキはなぜ飛べたのか|宮崎駿『血で飛ぶ』と身体の話

    何も考えずにできていたことが、ある日急にできなくなる。子供の頃は当たり前にできていたのに、今は同じことがどうしてもうまくいかない──そんな感覚を、誰しも一度はくぐっているのではないかと思います。その「できる/できない」を分けているものは、意志の強さでも頑張りの量でもなく、身体に組み込まれていた「ある条件の整い方」だった。今回は魔女の宅急便のキキを起点に、その「整い方」の正体を身体論の側から読み解いていきます。「キキはなぜ飛べたのか|宮崎駿『血で飛ぶ』と身体の話」シリーズの前編です。3回に分けてお話ししていきます。前編(今回)でお話ししているのはこんな内容です。・魔女の宅急便、キキが突然飛べなくなる場面の不思議・宮崎駿監督の「血っていったいなんですか?親からもらったものでしょう?」「無意識に成長することは不可能である」という二つの言葉・アフォーダンス──環境が私たちに「こうできるよ」と差し出してくる可能性(ジェームズ・J・ギブソン)・メルロ=ポンティの「I can/je peux」──「私はできると信じる」ではない、別の意味の「できる」・コップに手が伸びるとき、私たちは「取ろう」と決意してから動いているわけではない・「できる」を支える4つの条件──身体合理性/身体図式/物理的条件/環境・生まれたばかりの赤ん坊が走れない理由(身体合理性は高いのに)・キキの「血で飛ぶ」の正体──野生としての身体知中編・後編では、キキが飛べなくなった日に身体で何が起きていたのか、そして「俯瞰で意識的に見つめる」を身体の方から読み替えるとどうなるのか、までを話していきます。「子供の頃のあの感覚が懐かしい」と感じる方、「最近、急にできなくなったことがある」という方に、聴いてほしいシリーズです。------身体の教養ラヂオ/のんべんだらりと暮らすだけお手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma#身体の教養 #ソマティクス #魔女の宅急便 #ジブリ #アフォーダンス #宮崎駿 #身体知の書庫

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大沼竜也(おおぬま・たつや) 鍼灸師。1991年宮城県生。 身体の教養──自分の身体の状態を感じ取り、自分で調整できるようになること。読み書きと同じように、誰もが身につけるべきリテラシーだと考えています。 漠然とした不安、疲れ、行き詰まり。その原因を思考で探しても、また同じ不調が戻ってくる。身体の状態が変わっていないからかもしれません。 身体は常に何かを感じています。あなたが気づいていなくても。この「感じ」が、気分も判断も行動も──暮らし全体を方向づけています。 身体の構造を知り、自分の身体に通し、感覚が立ち上がる。コーヒーを飲む、本を開く、誰かと話す。行為は同じでも、身体の状態が変われば暮らしの質が変わります。 自分の手で触れ、ゆすり、さする。感じて、解いていく。僕はこれを身体動態瞑想と呼んでいます。瞑想は身体的な行為であり、感じ解いていくことです。 変われないのは、あなたのせいではありません。身体が固まったまま思考だけで何とかしようとしている構造のせいかもしれない。この番組では、身体の教養という視点から暮らしを見つめ直します。 ▼ 話している人について https://www.somaticstudiojapan.com/newsletter

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