南風舎  - Japanese Classical Literature Podcast

“ The Gate ” by Soseki NATSUME #18/23 夏目漱石 『門』 3rd part

眼が覚めると枕元の障子がいつの間にか明るくなって、白い紙にやがて日の逼るべき色が動いた。昼も留守を置かずに済む山寺は、夜に入っても戸を閉てる音を聞かなかったのである。宗助は自分が坂井の崖下の暗い部屋に寝ていたのでないと意識するや否や、すぐ起き上がった。縁へ出ると、軒端に高く大覇王樹の影が眼に映った。宗助はまた本堂の仏壇の前を抜けて、囲炉裏の切ってある昨日の茶の間へ出た。そこには昨日の通り宜道の法衣が折釘にかけてあった。そうして本人は勝手の竈の前に蹲踞まって、火を焚いていた。宗助を見て、 「御早う」と慇懃に礼をした。「先刻御誘い申そうと思いましたが、よく御寝のようでしたから、失礼して一人参りました」  宗助はこの若い僧が、今朝夜明がたにすでに参禅を済まして、それから帰って来て、飯を炊いでいるのだという事を知った。  見ると彼は左の手でしきりに薪を差し易えながら、右の手に黒い表紙の本を持って、用の合間合間にそれを読んでいる様子であった。宗助は宜道に書物の名を尋ねた。それは碧巌集というむずかしい名前のものであった。宗助は腹の中で、昨夕のように当途もない考に耽って脳を疲らすより、いっそその道の書物でも借りて読む方が、要領を得る捷径ではなかろうかと思いついた。宜道にそう云うと、宜道は一も二もなく宗助の考を排斥した。 「書物を読むのはごく悪うございます。有体に云うと、読書ほど修業の妨になるものは無いようです。私共でも、こうして碧巌などを読みますが、自分の程度以上のところになると、まるで見当がつきません。それを好加減に揣摩する癖がつくと、それが坐る時の妨になって、自分以上の境界を予期して見たり、悟を待ち受けて見たり、充分突込んで行くべきところに頓挫ができます。大変毒になりますから、御止しになった方がよいでしょう。もし強いて何か御読みになりたければ、禅関策進というような、人の勇気を鼓舞したり激励したりするものが宜しゅうございましょう。それだって、ただ刺戟の方便として読むだけで、道その物とは無関係です」  宗助には宜道の意味がよく解らなかった。彼はこの生若い青い頭をした坊さんの前に立って、あたかも一個の低能児であるかのごとき心持を起した。彼の慢心は京都以来すでに銷磨し尽していた。彼は平凡を分として、今日まで生きて来た。聞達ほど彼の心に遠いものはなかった。彼はただありのままの彼として、宜道の前に立ったのである。しかも平生の自分より遥かに無力無能な赤子であると、さらに自分を認めざるを得なくなった。彼に取っては新らしい発見であった。同時に自尊心を根絶するほどの発見であった。  宜道が竈の火を消して飯をむらしている間に、宗助は台所から下りて庭の井戸端へ出て顔を洗った。鼻の先にはすぐ雑木山が見えた。その裾の少し平な所を拓いて、菜園が拵えてあった。宗助は濡れた頭を冷たい空気に曝して、わざと菜園まで下りて行った。そうして、そこに崖を横に掘った大きな穴を見出した。宗助はしばらくその前に立って、暗い奥の方を眺めていた。やがて、茶の間へ帰ると、囲炉裏には暖かい火が起って、鉄瓶に湯の沸る音が聞えた。 「手がないものだから、つい遅くなりまして御気の毒です。すぐ御膳に致しましょう。しかしこんな所だから上げるものがなくって困ります。その代り明日あたりは御馳走に風呂でも立てましょう」と宜道が云ってくれた。宗助はありがたく囲炉裏の向に坐った。  やがて食事を了えて、わが室へ帰った宗助は、また父母未生以前と云う稀有な問題を眼の前に据えて、じっと眺めた。けれども、もともと筋の立たない、したがって発展のしようのない問題だから、いくら考えてもどこからも手を出す事はできなかった。そうして、すぐ考えるのが厭になった。宗助はふと御米にここへ着いた消息を書かなければならない事に気がついた。彼は俗用の生じたのを喜こぶごとくに、すぐ鞄の中から巻紙と封じ袋を取り出して、御米にやる手紙を書き始めた。まずここの閑静な事、海に近いせいか、東京よりはよほど暖かい事、空気の清朗な事、紹介された坊さんの親切な事、食事の不味い事、夜具蒲団の綺麗に行かない事、などを書き連ねているうちに、はや三尺余りの長さになったので、そこで筆を擱いたが、公案に苦しめられている事や、坐禅をして膝の関節を痛くしている事や、考えるためにますます神経衰弱が劇しくなりそうな事は、噫にも出さなかった。彼はこの手紙に切手を貼って、ポストに入れなければならない口実を求めて、早速山を下った。そうして父母未生以前と、御米と、安井に、脅かされながら、村の中をうろついて帰った。  午には、宜道から話のあった居士に会った。この居士は茶碗を出して、宜道に飯を盛って貰うとき、憚かり様とも何とも云わずに、ただ合掌して礼を述べたり、相図をしたりした。このくらい静かに物事を為るのが法だとか云った。口を利かず、音を立てないのは、考えの邪魔になると云う精神からだそうであった。それほど真剣にやるべきものをと、宗助は昨夜からの自分が、何となく恥ずかしく思われた。  食後三人は囲炉裏の傍でしばらく話した。その時居士は、自分が坐禅をしながら、いつか気がつかずにうとうとと眠ってしまっていて、はっと正気に帰る間際に、おや悟ったなと喜ぶことがあるが、さていよいよ眼を開いて見ると、やっぱり元の通の自分なので失望するばかりだと云って、宗助を笑わした。こう云う気楽な考で、参禅している人もあると思うと、宗助も多少は寛ろいだ。けれども三人が分れ分れに自分の室に入る時、宜道が、 「今夜は御誘い申しますから、これから夕方までしっかり御坐りなさいまし」と真面目に勧めたとき、宗助はまた一種の責任を感じた。消化れない堅い団子が胃に滞おっているような不安な胸を抱いて、わが室へ帰って来た。そうしてまた線香を焚いて坐わり出した。その癖夕方までは坐り続けられなかった。どんな解答にしろ一つ拵らえておかなければならないと思いながらも、しまいには根気が尽きて、早く宜道が夕食の報知に本堂を通り抜けて来てくれれば好いと、そればかり気にかかった。  日は懊悩と困憊の裡に傾むいた。障子に映る時の影がしだいに遠くへ立ち退くにつれて、寺の空気が床の下から冷え出した。風は朝から枝を吹かなかった。縁側に出て、高い庇を仰ぐと、黒い瓦の小口だけが揃って、長く一列に見える外に、穏かな空が、蒼い光をわが底の方に沈めつつ、自分と薄くなって行くところであった。