序)「福音」とは待ち望んでいた良い報せ
・「福音(ユーアンゲリオン:良い知らせ)」はただの情報ではない。福音が届いたところでは世界が変わり、宴や祭りが開かれることになる。それゆえ「福音」には動詞形「福音する」がある。
1)貧しい人に「福音する」のが油注がれた者の使命
・ルカ 4 章 18 節は、油注がれた者(メシア)であるイエス様の使命を語る。
・ルカはこのユーアンゲリゾーを多用し、イエス様の働きと使徒たちの働きを同じ言葉で語る。(参考:使徒 5:42)
・聖霊という「油注がれた者」である私たちも、同じ使命に立っている。
・「貧しい人(プトーコイ)」は経済的困窮者を意味するが、当時の文脈ではそれ以上の内容をもつ。捕囚され、奴隷になっている者という意味。
⇒バビロン捕囚から物理的には帰還していたも、未だに帝国の奴隷であり、神に赦されていないと人々は感じながら生きていた。だから福音は「捕囚の終わり」としての解放を告げるものだった。
2)「貧しい人に福音する」の中身
・「捕らわれ人には解放を」…社会全体が刑務所状態だったユダヤ社会において「解放」=「赦し」とは、帝国の奴隷でも罪の奴隷でもない生き方へと人々を招く。罪の因果にし配される世界は断ち切られた!
・「目の見えない人」…文字通りの意味ももち、イエス様の働きは実際に多くの目の見えない人を癒した。そこには霊的な盲目状態からの癒しの象徴がこめられている。「福音する」ことによって神様がわかるようになる。
・「虐げられている人を自由の身とし」…「虐待された人」は世界の認識が歪んでしまう。安心安全を感じられないし、存在価値を否定されているので、どうにかして存在価値を見出さなくてはいけないともがく。けれども、そこで用いる方法は、決して満足できない方法ばかり。「福音する」とはそういう人を「自由の中に」一緒に連れて行くこと。
・「主の恵みの年」とは「ヨベルの年」という祝いの時の別称。ヨベルは、一切の負債が帳消しになり、失敗のせいで失われたものが自分の手に返ってくる時。ヨベルの特別な犠牲の血により、この解放が 50 年に一度起こるのが旧約聖書の定め。
⇒イエス様の十字架の血が、本当のヨベルをもたらした。永遠の解放が私たちに与えられている。私たちの人生、いのちはもはや誰にも奪われない。
・ヨベルの祝いに続いて「仮庵の祭り」が続く。それは神の国の完成を意味する。今、私たちはヨベルから仮庵の祭りの間を生きている。
結)神の民こそ「福音する/される」必要がある
・私たちが福音を喜ぶとき、その喜びの輪が地域へと広がる。
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- Đã xuất bảnlúc 01:00 UTC 2 tháng 11, 2025
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