オーディオドラマ「五の線3」

闇と鮒
オーディオドラマ「五の線3」

【一話からお聴きになるには】 http://gonosen3.seesaa.net/index-2.html からどうぞ。 「五の線」の人間関係性による事件。それは鍋島の死によって幕を閉じた。 それから間もなくして都心で不可解な事件が多発する。 物語の舞台は「五の線2」の物語から6年後の日本。 ある日、金沢犀川沿いで爆発事件が発生する。ホームレスが自爆テロを行ったようだとSNSを介して人々に伝わる。しかしそれはデマだった。事件の数時間前に現場を通りかかったのは椎名賢明(しいな まさあき)。彼のパ

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    198.2 第187話【後編】

    3-187-2.mp3 瓦礫が散乱し、崩壊したフロアの中にもかかわらず、アパレルショップのディスプレイが無残に残っていた。その中に、ミリタリーショップが偶然にもあった。 椎名はその店内で服を物色し、迷彩服を手に取った。雨に濡れたシャツを脱ぎ捨て、軍人らしい出で立ちに着替えていく。 鏡に映る自分の姿をじっと見つめる。その姿はまさに彼の本質――戦場に生きる者そのものだった。 「やはり、しっくりくるな。」 彼はふと何かを思い出したかのように呟く。 「仁川さん…?」 「仁川さっ…!」 「椎名!」186 声が脳裏をよぎる。 「あのとき…俺の名前を呼んだ気がしたが。」 椎名は姿見に映る迷彩服姿の自分をもう一度確認し、口元に不敵な笑みを浮かべた。 「さて…。」 ベネシュには特殊作戦群との交戦を命じている。両者が正面からぶつかれば、いかに特殊作戦群が精強な部隊であろうとも、何らかの被害は免れないだろう。 「いくら歴戦の猛者でも、力が拮抗すれば互いに削り合う。そうなれば、消耗戦に持ち込むだけだ。」 創設された特殊作戦群の初戦。ここで彼らが大きな損害を被れば、日本政府の中枢に動揺が広がる。 「政府内にはすでに不満分子が潜んでいる。彼らは特殊作戦群の損耗を口実に、現政権の足を引っ張り始めるはずだ。」 その不満がさらに広がれば、内部での不協和音が助長される。そして混乱がピークに達したとき、次の段階に移行すれば良いだけだ。 「皆殺しだ。」 冷酷な一言が彼の口から漏れた。自分自身に対する確認のようでもあった。 ウ・ダバはすでに壊滅状態にあり、彼らの継戦能力は失われている。ヤドルチェンコは残っているものの、単独で何かを成し遂げる存在ではない。 「オフラーナ――奴らは必ず事の詳細を確認しようとするだろう。そして、俺が何かを企んでいると気づけば、直接的な圧力をかけてくる。」 だが、椎名はその先を見据えていた。 オフラーナが圧力をかける前にヤドルチェンコを排除し、その死を利用することで、さらなる混乱を引き起こす計画を考えていた。 「ヤドルチェンコの死は、オフラーナにとって人民軍の仕業に見えるだろう。彼らはそれを許さず、報復に動き出す。」 オフラーナの動きが激化すれば、それに対抗するように人民軍も強硬な措置を取る。そして最終的には両者の衝突が激化し、その余波が日本に及ぶ――そのときが椎名の最終目的を果たす瞬間だ。 「日本政府がそれにどう対応するか。その答えは一つ。」 椎名の冷笑は、鏡に映る自分の姿に向けられたものだった。 「戦争だ。」 オフラーナの横暴を排除すると言う名目で、ツヴァイスタン人民軍の正規軍が日本に介入する――その準備が整いつつあることを、彼はすでに知っていた。 「政府も公安も、自衛隊ですら、この流れを止めることはできまい。ヤドルチェンコの死は、その引き金にすぎないわけだが…。」 「問題はやつをどう排除するか…。」 しばらく考えた挙げ句、椎名は携帯を手にした。 発信音 雨音がかすかに混じり、数回の呼び出しの後、応答が入る 「はい。」 「目薬はいるか。」 「…結構です。」 「いま何をしている勇二。」 「先ほどまでここに居た捜査員が逃走しました。」 「なにっ?」 「署内で電話をする奴の姿を見た同僚警察官が声をかけると、ごにょごにょ言ってその場から走って逃げだしたというものです。」 「目薬の男ね…。」175 「現場から2㌔地点で待機。」 「ひとりか。」 「いえ、矢高さんと一緒です。」 「そうか。じゃあ代わってくれ。」 矢高の声が入る。どこか沈んだ響きが混じっている。 「矢高です。ご無事で何よりです。」 「朝戸の排除は完了した。」 「ははっ。ご迷惑をおかけしました…。」 矢高の声はどこか恐怖を感じているようにも思えるものだった。 「あいつ映画館でトゥマンの連中を皆殺しにした。おかげで折角の戦力が削がれてしまった。」 「申し訳ございません!」 「まぁいい。結果的にちょうど良かったのかもしれんな。戦力のバランス的に。」 「と、申しますと。」 「ベネシュは過信している。トゥマンの実力を。今回トゥマンは壊滅的打撃を受けた。ここからどう巻き返すか。それとも…。」 「それとも…。」 「そのまま消え去るか。」 「消え去る…。」 「そうだ。」 「…それほどまでに自衛隊の特殊作戦群は。」 椎名は少し間を置き、冷静に言葉を選んだ。 「強い。」 短い言葉に込められた確信が、矢高の心を揺さぶる。 「…。」 「この攻撃で多少の被害はあるだろう。しかし、それが目に見える形で現れることはない。それほどまでに彼らのダメージコントロールは完璧だ。」 「そんなにですか…。」 「無傷ではないだろうが、壊滅状態でもない。それを引いても、奴らの精強さはトゥマンの上だ。」 矢高は息を呑む。 「では、私はどうすれば…。」 「プリマコフ中佐に応援を要請せよ。」 その言葉が電話越しに伝わった瞬間、矢高は目の前が真っ暗になるような感覚に襲われた。 「少佐、それは無理です。他国の治安維持に正規軍を投入するなんて…そんなこと、現代ではあり得ません!」 声が震え、言葉を並べるたびに自分の心が不安定になっていくのを感じる。 「正規軍が他国に介入するなんて、国際世論が絶対に許しません!どんな裏付けがあったとしても、それを現実化させるのは…!」 矢高は言葉を詰まらせた。 「君がヤドルチェンコを始末すれば、可能になる。」 椎名の声はどこまでも冷静で、疑いの余地を全く与えないものだった。 「…は?」 「テロ組織の指導者が殺害されれば、オフラーナは人民軍の仕業だと考えるだろう。そこから先は、報復に向けた軍事行動に進むのは自然な流れだ。」 矢高はその説明を聞いて、頭が混乱するのを感じた。 「でも、それは…それでは、戦争になりませんか……。」 矢高は必死に言葉を吐き出したが、それはまるで水中で声を出そうとしているような虚しさを伴っていた。 「その通りだ。」 矢高は椎名の一言に絶句した。その言葉に揺るぎない確信が滲み出ているのを感じたからだ。 「オフラーナが動けば、人民軍も対抗せざるを得ない。その衝突が日本に波及するのは時間の問題だ。」 「いえ、それでも…それでも国際社会がそんなことを許すはずが…!」 矢高は声を震わせながら、必死に現実にすがりつこうとした。 「国際社会? 君はまだそんなものを信じているのか。」 椎名は冷笑を含んだ声で返す。その瞬間、矢高の中で崩れかけていた防波堤が完全に崩壊し始めた。 ー信じているわけではない。あんなものツールのひとつに過ぎない。そんなことは分かっている。だがそのツールによって戦争を回避してきたのも事実…。 矢高は必死に椎名の言葉を否定しようとした。しかし、これまで椎名が見せてきた完璧な計画と、その実行力を思い出すたびに、否定する根拠が失われていった。 ー少佐の言うことが本当なら…本当にプリマコフ中佐が動くというのか?でも、それは…。 頭の中で何度も反論の言葉を組み立てるが、椎名の言葉の重さがそれを次々に打ち砕いていく。 「君は分かっていないようだな。」 椎名の声が鋭く響く。 「準備はすでにできている。」 「準備…?」 矢高はその言葉に背筋が凍るような感覚を覚えた。だが、椎名がその詳細を語ることはなかった。 矢高はついに言葉を失い、唇を震わせるだけになった。 「無理です…。自分には…そんなことはできません。」 その声には、精一杯の抵抗と、全てを諦めたような諦念が混じっていた。 椎名は冷徹にその答えを受け止めた。 「ほう、命令に背くか。」 「いえ…ですが…。ですが…。」 「分かった。」 その短い言葉は、全てを終わらせるものだった。 「君はいままでよくやってくれた。その点は評価する。」 椎名の言葉はどこか空虚で、決定事項を読み上げるようなものだった。 「だが、ここで終わりだ。君は解雇だ。我々とは無関係の人間となる。」 「少佐…!」 矢高が声を絞り出そうとした瞬間、椎名はさらに冷たい声で告げた。 「ご苦労だった。すぐにその場を立ち去れ。」 電話越しに無言が続いた後、椎名は勇二を呼び出した。 「勇二。」 「はい。」 「矢高を消せ。」 勇二は一切の迷

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    198.1 第187話【前編】

    3-187-1.mp3 相馬からの報告がないまま、時間だけが過ぎていた。 テロ対策本部の室内は、重苦しい空気に包まれていた。誰も言葉を発さず、机上の時計の秒針がやけに耳に響く。 「こちらSAT。テロ対策本部ですか。」 突然、無線から声が響いた。 岡田は反射的に無線機を手に取った。 「こちらテロ対策本部だ。そちらは?」 「SATの吉川です。自衛隊から応援に入っています。」 その名を聞き、岡田は瞬時に思い出した。相馬から自衛隊特務2名と協力しているとの報告だった。そのうち1名がSATに応援として加わり、もう1名は死亡した――この無線の相手がその一方の生き残りだ。 「相馬から報告を受けている。残念だった。」 無線越しの吉川の沈黙に、本部内も自然と押し黙る。その沈黙は、吉川が相棒の死を受けて沈んでいるのだと、誰もがそう思っていた。だが、次の言葉がその思いを根底から覆した。 「相馬周は死亡しました。」 室内が一瞬で凍りついた。 岡田は目を見開き、呆然とした表情を浮かべる。片倉は両手で頭を抱え、無言で肩を震わせた。 「詳しい状況については、今、別の人間に代わります。」 無線から再び声が聞こえた。それは吉川ではなく、別の人物――「黒田」と名乗る者だった。 「…黒田と申します。」 その名を聞いた片倉の表情が変わった。まるで過去の記憶が引き戻されたかのように目を鋭くし、無線マイクを岡田から奪うように取り上げた。 「黒田…。黒田か!」 「…片倉さん…。」 無線越しに聞こえる声には動揺と焦燥が滲んでいる。 「どうした…何があった…。」 片倉の声は、すがるような響きだった。 「見たんです…。信じられないものを。」 「何を見た?」 「仁川…仁川征爾です。」 その名に、片倉は息を呑む。 「仁川…征爾…。」 「ええ。」 黒田の声は震えていた。 「あの仁川征爾を見ました。」 「…その仁川が…どうした…。」 沈黙が続く。本部内も誰一人動けない。 「黒田、答えろ!」 「仁川が…相馬を撃ちました。」 片倉は絶句した。 「撃って…どこかに行きました。」 「嘘だろ…。」 「嘘じゃありません…。」 「いや、嘘だ…。」 「嘘じゃありません!」 「…んな…馬鹿な…。」 片倉の声はかすかに震え、消え入るようだった。 「片倉さん…何が起きているんですか…。」 その問いに片倉は返事をすることができず、代わりに肩を落とし、まるで小さくなったように見えた。 「吉川です。」 沈黙を破るように、冷静な声が無線に入った。 「黒田さんが仁川と言っている男は椎名賢明です。その自分の理解は正しいですか。」 片倉は答えられない。言葉を失った片倉の代わりに、百目鬼が前に出て答えた。 「テロ対策本部の統括責任者、百目鬼だ。その理解で間違いない。」 「椎名は、この状況の何かを知っていると自分は考えます。公安特課は?」 「同感だ。」 「ならば、自分はこれより椎名を捜索します。」 「よいのか?」 百目鬼が問いかける。 「良い悪いの話ではありません。自分にとって、3人の相棒が殺された可能性がある。」 相馬、児玉、そして古田――。吉川は一時的であれ彼らと共に任務をこなしてきた。 「自衛隊はそれで了としているのか。」 「撤収せよとの命令です。」 百目鬼は苛立ちを露わにした。 「ではいかんではないか!」 「人としての問題です。」 吉川の言葉が百目鬼の声をかき消した。 「たった今から、自分は自衛官でもなく、警官でもありません。ただの民間人です。それならば、誰にも迷惑はかけません。」 百目鬼は短く息をつき、沈黙を破った。 「…いいだろう。君の椎名捜索について、我々は全面的に協力する。ただし警察公式としては一切関知しない。」 「ありがとうございます。」 「礼を言うのはこちらだ。」 無線が切れた後、百目鬼は深々と無線機に頭を下げた。その姿に引き寄せられるように、他の本部メンバーも次々と立ち上がり、頭を下げた。 沈黙は1分間続いた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 雨が降り続き、相馬の遺体の周囲を冷たい水が流れていく。 吉川と黒田は、降りしきる雨に打たれながら、無言で立ち尽くしていた。 吉川がポケットから無線機をしまい、重く息を吐いた。 「黒田さん。あんた一旦帰るんだ。ここは危険だ。」 黒田は吉川の言葉にかぶせるように答えた。 「俺も行く。」 吉川は深い溜息をついた。 「おいおい…素人が出張るような局面じゃないんだ。あんたのようなのがいるとかえって迷惑なんだ。」 黒田は振り返らずに言った。 「仁川…。」 黒田の視線は地面に伏せられたままだった。 「あいつを見たからには、俺はやらなきゃならんことがあるんだ。」 「…なんだよ。」 黒田はわずかに顔を上げ、吉川の目を見た。その目には何か深い決意が宿っていた。 「あいつの帰りをずっと待ち続けていた男。その話を伝える。」 吉川は怪訝な顔をした。 「…なんだそれ。」 黒田は説明を続けることなく、わずかに顔を背けた。 その表情は「これ以上聞くな」と語っているようだった。 「頼む。俺にも行かせてくれ。でないと…俺は、もう…。」 黒田は相馬の遺体から目を逸らした。 三波の死亡報告、そして相馬の死――立て続けに襲いかかった悲劇に、黒田の精神は限界に達していた。これだけでも十分すぎるほどのショックだ。しかし、彼をさらに苦しめるものがあった。 それは、相馬の恋人である片倉京子の存在だ。 職場の上司であり尊敬していた三波の死を目の当たりにし、続いて恋人である相馬の死を知ったとき、彼女はどうなってしまうのか――そのことが黒田の心を引き裂いていた。 このまま立ち止まっていると、自分まで気がおかしくなりそうだった。何か行動しなければならない。動くことでしか、この耐えがたい現実から逃れる術はなかった。 吉川は黒田の言葉を聞き、その姿を見つめた。 何か込み入った事情を抱えていることは察していた。しかし、それでも戦場に素人を連れていくことがどれだけ危険かも理解していた。 吉川は静かに腰のホルスターから拳銃を抜き、それを黒田に差し出した。 「俺はあんたを守らない。ここからは自己責任だ。そういうことで良いなら着いてこい。」 黒田は一瞬その拳銃を見つめ、ゆっくりと手を伸ばした。手にした瞬間、思った以上の重さに驚いた表情を浮かべる。 「そいつは自分を守る唯一の武器だ。」 吉川は冷静に続けた。 「あんたを守るのは、その一丁の拳銃だけだ。使うときが来たら、躊躇わずに引き金を引け。それが自分の身を守る唯一の方法だ。」 黒田は拳銃を握る手に少し力を込めた。 「撃つときは狙いを定めるな。相手の身体のどこかに当たればそれで十分だ。それだけを覚えておけ。」 吉川の言葉に、黒田は黙って頷いた。 吉川が振り返り、雨の中で歩き始めた。 「行くぞ。」 その背中に向かって、黒田は一言だけ返した。 「おう。」 雨の音が二人の足音を掻き消していく。濡れた拳銃の冷たさが、黒田の手に馴染むまでには、まだ時間がかかりそうだった。

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    197.2 186話【後編】

    3-186-2.mp3 雨音の中、椎名は低い声を出した。 「トゥマンの状況は。」 電話の向こう、アルミヤプラボスディアの精鋭部隊トゥマンを指揮するベネシュ隊長は、一瞬の間を置いて答えた。 「戦力の4割は削られた。」 その報告に、椎名は短い沈黙を挟み、冷ややかに呟く。 「全滅か…。特殊作戦群はまだそこまでの被害は出ていない。」 ベネシュは唇を噛みながら問いかけた。 「どうする。」 「今こそ撃鉄を起こせ。反共主義者に鉄槌を下すのだ――とプリマコフ中佐はおっしゃっている。」 仁川の言葉には感情の起伏がなく、ただ淡々と任務を遂行するかのような響きがあった。その言葉を聞いたベネシュの眉がわずかに動く。 「撤退は選択にないということか。」 「そうだ。」 「しかし、こちらもここまでの被害が出ると事情が変わってくる。本社に確認させてくれ。」 ベネシュは絞り出すように言った。その声には焦燥が滲んでいた。 「何を確認すると言うのだ。」 仁川の声が通信機越しに鋭く響く。 「我々が御社の金主だろうが。」 「そうだが…。」 「おやおや、自衛隊が怖くなったか。」 仁川の言葉には冷笑が混じっていた。その一言がベネシュの胸に刺さり、怒りが沸き上がる。 「…私を侮るな!」 電話の向こうでベネシュが声を荒げる。しかしその怒りを全く意に介さず、椎名はさらに冷徹な言葉を浴びせた。 「命が惜しいと言うなら撤退しても構わんが、そうなれば御社は会社ごと消えることになるかもな。」 その一言に、ベネシュは息を飲んだ。 仁川の脅しは、単なる言葉ではない。ベネシュはそれを理解していた。アルミヤプラボスディアの市場と利益――その全てがツヴァイスタン人民軍の手の中にある。いまここにおけるツヴァイスタン人民軍は仁川征爾少佐である。 「…分かった。」 ベネシュは短く答えた。その声には屈辱が滲んでいた。 「残る部隊をすべて動員し、特殊作戦群を可能な限り削る。」 その言葉に仁川が応じた。 「よろしい。目標はただ一つ、反共主義者に鉄槌を下すことだ。」 その言葉を聞いたベネシュは、ふと胸の奥に冷たい違和感を覚えた。 ーこいつは…狂っている。 共産主義――それは過去の理念であり、現代の戦場で語られるべきものではないはずだ。 だが、仁川はまるでそれに取り憑かれたかのように、冷静に、しかし狂気をはらんだ声で語っていた。 ベネシュは問いかけた。 「何がそこまでお前を駆り立てる。いったい何が目的だ。」 だが仁川はそれ以上の説明をすることはなく、ただ一言、冷たく言い放った。 「言っただろう。反共主義者に鉄槌を下すだけさ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 雨の音 ーやはり…似ている…。 記憶の奥底から浮かび上がる顔――6年前、熨子山事件の真相を追う過程で無視できなかった、あの仁川という男。その顔が重なった。 ーまさか…。 黒田は息を呑み、思わず呟くように口を開いた。 「仁川さん…?」 その声が雨の中で微かに響いた。 この黒田の声に、椎名は動きを止めた。まるでその名に反応するかのように、雨の中で僅かに顔を動かす。 ー嘘だろ…。 黒田の胸に確信が走った。その瞬間、言葉が勢いを帯びて口をつく。 「仁川さっ・・・!」 「椎名!」 鋭い声が雨音を切り裂いた。 黒田は反射的に声の方へ振り返った。 ー今の声は…? 雨の中で瓦礫を踏み越えながら立っている一人の男。その顔を見て、黒田の目が大きく見開かれた。 ー相馬…!? その名を心の中で叫ぶ。 相馬の目には鋭い光が宿り、表情には緊張感が滲み出ている。これは黒田の知る相馬ではない。 「椎名!お前、なぜSATの格好をしている!」 相馬の問いに、椎名は答えない。雨が二人の間を叩きつける音だけが響く。 「答えろ!」 相馬の声が荒れる。椎名はただ静かに相馬の方を向いている。 相馬は咄嗟に拳銃を抜き、椎名に銃口を向けた。その手は微かに震えている。 「ヤドルチェンコの討伐なんかどうでもいい!」 相馬の声は雨音に混じりながらも力強く響く。 「お前は…すぐに本部に戻るんだ…!」 椎名は無表情のまま相馬を見つめ、静かに言葉を返す。 「本部に戻る?」 「そうだ!」 「ここがこんな状況で、おれだけおめおめと本部に戻る訳にいかんだろう。」 相馬の額には雨と汗が混じり、瞳が揺れる。 「そんなことどうでもいい!俺はお前を確保しろと言われている!」 雨が二人の間を絶え間なく打ち付ける中、相馬はさらに声を張り上げた。 「椎名、そこに跪け!」 その言葉に椎名は僅かに眉を動かし、冷笑を浮かべた。 「確保して本部に連行するか。」 「そうだ!」 椎名は短い沈黙を挟み、静かに言葉を放った。 「おやさしいことだな。」 次の瞬間、鈍い音が響いた。 相馬の身体が大きく揺れ、彼の声が喉の奥で途切れる。力なくその場に膝を突き、拳銃が手から滑り落ちた。 雨音がその場を支配する中、椎名が冷静に手元の銃を下ろす。銃口にはサイレンサーが付いており、発砲音は周囲の雨音に紛れて消えていた。 相馬は肩を押さえ、口から血を滲ませながら椎名を見上げた。 「…お前…何を…。」 椎名は無言のまま、彼を見下ろしている。その瞳には、わずかな感情すら読み取れない。 その一部始終を、瓦礫の影から黒田は息を殺して見つめていた。 ー…撃った…? 仁川が、相馬を撃ったのか…? 雨に濡れた眼鏡を指で拭いながら、黒田は震える手で瓦礫にしがみつく。サイレンサー付きの銃が雨に濡れ、冷たく光る。その光景が、黒田の脳裏に鮮明に焼き付いた。 雨音だけが響く中、椎名はその場を立ち去る素振りもなく、ただ静かに立ち尽くしていた。

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    197.1 第186話【前編】

    3-186-1.mp3 「三波…。」 ハンドルを握る手に力が入る。先ほど耳にした三波の死亡報告が、黒田の胸に重くのしかかっていた。 「お前なら、この状況をどう伝える…?」 黒田は自分に問いかけた。 三波はこの事件に命を懸けた。それは自分たちの仕事が単なる報道ではなく、社会に真実を伝える事こそが「使命」だと信じていたためでもあった。 その信念を知っている黒田だからこそ、その死を無駄にすることはできなかった。 誰かが、このこと世の中にを伝えなければならない。 京子は泣きながら三波の死を報告してきた。だが、黒田はその涙を受け止める間もなく、すぐに車に乗り込んだ。 彼の向かう先は金沢駅。現在進行形で戦闘が繰り広げられているという情報が入った場所だ。 ワイパー音 雨脚がさらに強くなり、ワイパーがフロントガラスを滑る速度を上げていた。 助手席に置いたスマホを手に取り、画面を確認する。一般のメディアは、金沢駅で「テロが発生した」という短いニュースを伝えるだけ。詳細な映像も情報も一切ない。 一方で、SNSは混沌としていた。 「金沢駅で銃撃戦が展開されている」 「商業ビルの最上階で無差別銃乱射が起きた」 「ドローン攻撃による爆発があった」 矛盾した情報が飛び交い、事態の全容を把握するには程遠い。 ー一体何が起きてるんだ…。誰も状況を掴めていない…これじゃ、真実が埋もれる。 雨が激しさを増す中、金沢駅へ向かう道は次第に狭まり、警察による封鎖が見えてきた。 ふとスマホを手に取り、電話帳からひとりの人物の電話番号を表示させる。しかし黒田はそこで手を止め、ふうっと息をついてそれをしまった。 ーここでさすがにあの人に頼れない…。 黒田は深く息を吸い、車を停めると雨の中へと足を踏み出した。 「ちゃんねるフリーダムの黒田です。この中に入らせてください。」 警察官の一人が振り返り、迷惑そうな顔をする。 「無理だ。ここから先は立入禁止区域だ。」 「取材が必要です。 全国民が知りたがっています。」 食い下がる黒田だったが、警察官たちは一切取り合わなかった。厳重な規制に黒田の苛立ちが募る。 その時だった――。 爆発の轟音 突然、轟音が金沢駅の方向から響いた。爆風が空気を震わせ、雨の音すら掻き消すような衝撃音が周囲を襲った。 警察官たちは驚き、思わずその場で足を止めて振り返った。 「なんだ今のは…!」 「爆発だ! 様子を確認しろ!」 一瞬、規制線を守る警察官たちの注意が爆発の方向に向いた。その隙を黒田は見逃さなかった。 ー今だ! 彼は規制線の隙間をすり抜け、一気に内部へと駆け込んだ。 「おい、待て!」 制止の声が後ろから飛んできたが、黒田は振り返らずに雨の中を突き進む。雨水が靴底に染み渡り、足元の瓦礫が滑る。それでも彼の目はまっすぐに金沢駅の方向を向いていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー しばらく進むと黒田の目の前に広がる光景が、次第にその全容を現した。 そこは、映画やドキュメンタリーでしか見たことのない戦場そのものだった。 瓦礫の山が行く手を遮り、その間に転がるのは、ねじれた鉄骨や崩壊した建物の破片。そして人の形をかろうじて留めている無数の遺体。 あるものは瓦礫の下敷きになり、またあるものは爆風で飛ばされたのか、原形を留めないほどに損壊している。黒焦げになった肉片が散乱し、ところどころに血溜まりができていた。 鼻を突くのは、焦げた金属と肉の混ざり合った異様な臭い。それが雨に濡れた地面に染み込み、ぬかるんだ泥の中に薄赤い水を広げている。 黒田は息を呑み、足を止めた。 ーこれが…現実…? 普段はペンとカメラを手に取材を続ける彼も、この光景には言葉を失った。あまりにも非現実的で、まるで悪夢を見ているかのようだった。 ー「音」がない。 ふと気づく。降りしきる雨がすべての音をかき消しているようだが、それだけではなかった。瓦礫の間から聞こえるはずの呻き声や助けを呼ぶ声がまったくない。 生命の気配がない。 現場を覆っているのは、「死」という言葉すら足りないほどの完全な静寂。 ー誰も…生きていない? 黒田の全身に鳥肌が立つ。雨が肩や頭を容赦なく叩きつけてくるが、それがかえって静寂を際立たせていた。 足元の瓦礫を踏む音が妙に大きく感じられる。雨に濡れた靴底が瓦礫を滑らせるたびに、不安定な足元がさらに不気味さを増していく。 歩みを進めるたびに、また一つ、また一つと壊れた形のものが視界に入ってくる。それが人であったものなのか、単なる物体なのかさえ、見分けがつかない。 遠くで、崩れた建物の残骸が冷たい雨を浴びながら揺れている。瓦礫の隙間から、煙が細く立ち昇り、雨に消されていく。 そんな中で、黒田はふと目の前の瓦礫の隙間に視線を移した。 「…?」 遠く、煙にかすむ視界の中に、人影が見えた。それは一瞬だけ動いたように見えたが、雨でぼやけてはっきりとしない。 ー生存者か…? 黒田の心にかすかな希望と警戒が同時に湧き上がった。彼は慎重に歩を進め、その影を確かめようとした。 そのとき足元の瓦礫が不気味な音を立てて崩れ、黒田の胸に一抹の不安が広がった。 ライフル音 突然、雨の音を貫くように鋭い銃声が響いた。 「っ…!」 黒田は思わず身をかがめ、瓦礫の影に体を隠した。音の方向を探ろうとしたが、雨のせいで音は乱反射し、正確な場所を掴むことはできない。ただ、音の鋭さからそれが近い場所での狙撃だと直感する。 冷や汗が背中を伝う。黒田は瓦礫の隙間から視線を巡らせ、周囲を慎重に観察した。 先ほど見えた人影が遠くに見えている。 雨の中、黒田が目に捉えたのは、一人の男だった。 SATの装備を身に纏った彼は、周囲に散らばる遺体を一瞥することもなく、ただ冷静にどこかと連絡を取っているようだった。 ー何やってるんだ、あいつ…。 黒田はじっと目を凝らした。 降りしきる雨がその全てを覆い隠し、命の気配を消し去っている中、その男だけがこの世界に生きている。 それだけなら、仲間を探しているSAT隊員だと判断することだろう。 だが――。 黒田の胸の奥に、言葉にできない違和感が広がった。 直感がざわめく。 遺体が転がるこの現場で、仲間を助ける素振りも見せず、ただ淡々と電話に向かって話すその姿。 その横顔に何かが引っかかる。 ーあの顔…どこかで見たことがある。 雨音がさらに激しくなり、瓦礫に叩きつける音が響く中、黒田は記憶を手繰り寄せた。 何かが脳裏に浮かびかけているが、はっきりと思い出せない。 その時――。 男が濡れた髪を掻き分けた。それによって露わになった顔を前に、黒田の頭の中に眠っていた記憶が呼び覚まされた。 ーこの顔…。 「椎名と申します。はじめまして。」 「印刷会社でDTPやっています。」 「安井から聞いています。映像のお仕事はあくまでも個人でやってるらしいですね。」 「はい。」84 「黒田。お前を真に信頼できる協力者として打ち明ける。」 「…どうぞ。」 「椎名賢明は仁川征爾や。」 「仁川征爾…?」 「仁川征爾はすでにこの日本に亡命している。」144 「仁川征爾…。」 黒田の視線の先で、椎名は話し続けていた。 雨が会話の内容をかき消し、何を言っているのかは聞き取れない。ただ、その佇まいはあまりにも異質だった。 ーいや、そんなはずは…。 記憶と目の前の現実が交錯し、黒田の中で疑念が膨らむ。その正体が何なのかを確かめるには、もっと近づくしかなかった。

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    196.2 第185話【後編】

    3-185-2.mp3 瓦礫と煙が充満する中、相馬は身を屈めながらもてなしドームの方向に進んでいく。 鉄骨がむき出しになった構造物の隙間から、焦げた臭いと重い空気が流れ込んできた。 「…本当にここは金沢駅か?」 相馬は一人ごちるように呟いた。 滑りやすい足元に何度もつまづきながら、ようやく車両の残骸にたどり着く。彼は息を呑んだ。 車両は完全に焼け落ち、炭化した鉄の骨組みだけがかろうじて原形をとどめている。周囲には黒焦げになった肉片のようなものが散らばり、もはやそこに人がいた形跡すら分からなかった。 何者かの無事を知りたい。その一心で呼びかけをするが、答える者は誰もいない。 全員死亡。 改めて確認しなくても分かる。ここには生命の予感がまったくしない。 相馬は拳を握りしめ、顔をそらした。 その時だった。相馬は瓦礫の隙間を越えた先に、微かに動く人影を見つけた。 「…誰だ?」 雨音がその声をかき消す中、相馬は注意深く視線を凝らした。 人影は遠く、不規則に揺れるような動きを見せていた。生存者か、それとも――。 警戒心が相馬の体を緊張させた。 そのとき彼の足元に近い瓦礫の隙間で、わずかに動くものがあった。 全身に火傷を負い、皮膚がただれた一人の男。 ウ・ダバ構成員のひとりだ。 彼は虫の息の状態ながら、仲間たちが次々と倒れていくのを目撃したのだ。 ー俺だけか…。 明らかに焦点が合っていないその目は意思によってのみ機能していた。 男はかすかに動く手で拳銃を掴む。雨で滑りそうになる手を震わせながらも、相馬の背中に狙いを定めた。 相馬はその背後の危険に気づかず、視線は依然として遠くの人影に向けられていた。 ウ・ダバの男は最後の力を振り絞り、ゆっくりと引き金に指をかける。 雨音に混ざり、男の荒い呼吸が瓦礫に反響する。 銃声 男の頭部が弾け飛び、身体が力なく地面に崩れ落ちた。 「え?」 銃声と共にその場に伏せた相馬は、何が起きたのかを理解しようとした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ビルの屋上から、一部始終を見ていた卯辰一朗は、スコープ越しに相馬の姿を見つめていた。 「やれやれ…。」 卯辰は低く呟き、スコープを外した。焼け落ちた瓦礫、崩壊したドーム、倒れた無数の死体。 金沢駅の惨状は、かつてのアフガニスタンの戦場さえ思い起こさせるほどだった。 「何だってこうなっちまった…。」 卯辰の表情には苛立ちと疲労が滲んでいた。 それでも彼は再び銃を構え、状況を俯瞰した。金沢駅全体を俯瞰できるこの位置は、彼にとって目の前の惨状を冷静に観察する唯一の場でもあった。 「一郎、こちら神谷。」 卯辰の眉がわずかに動く。通信の相手が神谷であることを確認すると、彼はすぐに応答した。 「どうぞ。」 「そこから3時方向のビル屋上にいる男を排除しろ。」 その短い命令に、卯辰は視線を鋭くする。 彼の目は遠くのビルの上で微動だにせず立ち尽くす人影を捉えていた。 「了解。」 短く答えると、卯辰は体を低くし、雨に濡れた地面を滑らせるように移動した。再びライフルを構えスコープを覗き込む。 その視界には、雨に濡れながら静かに空を見上げるアサドの姿があった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ビル屋上。 アサドはその場に立ち尽くしていた。 雨が容赦なく彼の身体を濡らし、冷たい水滴が頬を伝って落ちていく。それでも、彼はただ静かに空を見上げていた。 先ほどのドローン攻撃は、間違いなく大成功だった。 機動隊車両を正確に破壊し、現場にいる敵勢力をほぼ壊滅状態に追い込んだ。 だがこの雨では、残りのドローンを飛ばすことは不可能だ。どれだけアサドのドローン運用が優れていても、この自然の力には抗えない。 彼の耳に、無線の雑音が入り始めた。そして、ヤドルチェンコの声が響く。 「ドローン班、よくやった。」 その一言が、アサドの心を強く揺さぶった。声を震わせながら、彼は応答する。 「ありがとうございます。」 「一旦待機だ。」 「…あの…」 アサドはためらいながら口を開いた。 「なんだ。」 「同志は…」 その問いに、ヤドルチェンコは一瞬の間を置いた――だが、声には迷いの色を見せることなく、淡々と言い放った。 「見事だった。」 その言葉を聞いた瞬間、アサドの胸の中で込み上げてくるものがあった。全身が熱くなり、頬を濡らすのが雨か、それとも涙かさえ分からなくなる。 ー彼らの犠牲は無駄ではなかった…私たちは…正しいことをした… 感情が溢れ出し、アサドは堪え切れず、嗚咽を漏らした。 雨の中に立ち尽くしながら、彼の肩は震え、声を上げることもなく涙を流した。 ライフル音響く 再び鋭い銃声が轟き、雨音と瓦礫の静寂を切り裂いた。 相馬は反射的に身をかがめ、瓦礫の影に隠れるように腰を落とした。耳にはまだ銃声の余韻が残り、心臓が嫌なほど早く脈打っている。 ーどこからの発砲だ? 敵か…それとも…。 視線を巡らせても、雨で視界はぼやけ、瓦礫の山が全ての方向を遮っている。先ほどまで捉えていた人影も、どこに消えたのか分からない。 相馬は無線機を掴み、すばやく公安特課本部に通信を入れた。 「こちら相馬。狙撃手がいる。動けない。」 声が震えないように努めたが、雨音に混じって伝わる自分の息遣いが異常に荒いことに気づく。 「相馬。片倉だ。狙撃手は味方だ。心配ない。」 「味方…?」 「あぁそうだ。」 だが無理はしなくて良い。今居るところからで良いから、状況を報告してくれと片倉は言った。 「機動隊車両周辺ですが、命の気配すらありません。」 無線越しに響く相馬の声が、公安特課本部に重くのしかかった。 机に肘をつき、顔を覆うようにして座る片倉。その眉間の深い皺が、彼の胸中を物語っている。 岡田は口元を覆ったまま視線を下げていた。古田と富樫。この老練な二人の警察官の死が何を意味するのか、ここにいる全員が理解していた。これまで培ってきた公安特課の基盤が、根底から揺らぎかけている。 片倉は、低く搾り出すような声で言った。 「椎名は?」 無線の向こうで相馬が口を開く。 「…確認できていません。」 椎名。 その名前が発せられるたび、本部の空気が微妙に歪む。 事ここに至って彼の生存は希望なのだろうか。それとも危険なのだろうか。 片倉の目がわずかに細くなる。 鼓門に侵入したウ・ダバの車。それを爆破させて以来、全く連絡が取れなくなった椎名。 彼はただ「巻き込まれた側」で済むのか? 以前から心の奥底でくすぶらせていた椎名に関する疑念を、片倉は反芻していた。 「椎名や。椎名が鍵や。」 その一言が、彼の胸中を垣間見せていた。 「その考えはおそらく正しい。」 片倉の言葉にかぶさるように、百目鬼理事官が本部に足を踏み入れた。その顔には疲労の影があり、報告書を片手に握りしめている。 「理事官。」 岡田が慌てて立ち上がるが、百目鬼はそれを手で制した。 「座れ。この状況で立たれても疲れるだけだ。」 百目鬼は部屋を見渡し、一言漏らした。 「惨憺たる様子だ。」 彼はそのまま報告を開始した。三好からの情報として、自衛隊が政府の決定に基づき、一個中隊の金沢駅への派遣を決定したという。 「政府がこの事態を“武力攻撃事態”と認定した。」 その言葉に、本部全体が凍り付いたように静まり返った。片倉は一瞬目を閉じ、呼吸を整えるように息を吸った。 百目鬼は続けて、特殊作戦群の被害が軽微である事を報告した。かの部隊はそのまま金沢駅に留まり、次なる敵に備えていることを説明した。 「次なる敵とは?」 片倉が百目鬼に問う。 「アルミヤプラボスディアの残存勢力だ。ベネシュの安否が確認できていない。きっと奴は生きている。」 「では自衛隊はなぜこのタイミングで追加派遣を。」 「まだ終わらんとみている。」 「何がですか。」 「ウ・ダバの更なる攻勢だ。」 百目鬼のこの発言は、警察では対処しきれない規模の敵戦力が相手になっていることを示していた。 「だが――」 百目鬼は報告を締めくくる前にわずかに間を置いた。 「事態がここまで混乱した背景には…」 彼の目が片倉と交わる。 片倉は冷静に頷きながら応じた。 「椎名だ。」 これまでも片

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  6. 17 ЯНВ.

    196.1 第185話【前編】

    3-185-1.mp3 金沢駅周辺は瓦礫と黒煙に包まれていた。 さっきまでの轟音と衝撃は過ぎ去り、代わりに訪れた静寂が耳を痛くするほどだった。辺りには硝煙と焼け焦げた鉄の匂いが漂い、崩れ落ちた構造物の隙間から冷たい風が吹き抜けている。 雨はすでに降っていた。小さな雨粒が瓦礫や死体の上に降り注ぎ、静かに煙を冷やしている。 雨音がかすかなざわめきのように現場に広がっていたが、次第にその音が耳障りなほど強くなり始めた。 吉川は荒れ果てた現場に足を踏み入れた。 靴底が瓦礫を踏む音だけが響く中、彼の目は現場を注意深く見回していた。 雨粒が額に叩きつけられ、濡れた髪が顔に張り付く。 「…こちら吉川班。隊長、応答されたい…。」 かすれた声が口から漏れる。何度目かの呼びかけだったが無線からも周囲からも、何の応答もなかった。 胸の奥に嫌な予感が膨らむ。 雨脚はさらに激しくなり、まるで現場の傷口を抉るように瓦礫や遺体を濡らし続けた。 雨水が地面にたまり、小さな水たまりが幾つもできる。 「自分は指揮車両の方を確認してきます!」 一緒にいた部下が焦燥感に駆られたようにそう言うと、瓦礫を避けながら駆け出した。 濡れた瓦礫が滑りやすくなっているのか、彼の足取りはぎこちなかったが、それでも彼の背中には必死さが宿っている。 吉川はその背中を追いかけようとしたが、一瞬足が止まった。 雨音が現場全体を支配する中、瓦礫の間で鉄片が転がるような音が響いた。それは、重たい沈黙の中で不気味に響いた。 その場に立ち尽くし、耳を澄ませた吉川の背中に冷たい雨が容赦なく降り注いでいた。 「班長!」 部下の叫び声が聞こえ、吉川は慌ててそちらへ向かった。 瓦礫を踏み越え、崩れた壁をくぐり抜けた先に、指揮車両があった。だが、それはもはや「車両」と呼べる形を保っていなかった。爆発で大きく歪み、窓ガラスは砕け散り、扉は吹き飛ばされている。 「…これは…。」 言葉を失った吉川は、部下の指差す先を見た。そこには明らかに生命を失ったSAT隊長の遺体があった。 首には扼殺の痕がくっきりと残り、顔は苦悶に歪んでいる。遺体は座席に崩れ落ち、腕は不自然な方向に折れ曲がっていた。 「…嘘だろ…。」 吉川の声が震えた。明らかに人の手による殺害だ。 このSAT隊長は自分の首を握りしめる相手の顔を見ながら絶命したのである。 ー嵌められた。 指揮官に成りすました何者かが、SATを掌握してこの惨劇を引き起こした。 そう理解するまでに、彼は数秒を要した。 「児玉。吉川だ。」 吉川は無線を手に取り、かすれた声で呼びかけた。 この混乱の中で唯一頼れるのは彼しかいない。 だが、無線は無音のままだった。 「児玉、児玉。こちら吉川。応答されたい。」 再度の呼びかけにも、返事はない。その時別の声が無線に割り込んできた。 「こちら、相馬…。」 「相馬!?大丈夫か!」 「だ、大丈夫です…。」 相馬の声は震えており、その言葉の端々に絶望が滲んでいた。吉川は嫌な予感がした。 「相馬、児玉はどうした?」 沈黙が一瞬流れた後、相馬が重い声で言葉を絞り出す。 「児玉さんは…死亡しました。先ほどの爆発で…。」 吉川は息を呑み、その場に立ち尽くした。 自分を支えるはずだった仲間がもういない。その現実が全身を締め付け、喉の奥が詰まるようだった。 「そちらはどうですか。」 指揮車両の惨状と、目の前にあるSAT隊長の無残な遺体。その二つの光景が彼の中で現実感を失わせ、心の中に虚無感を広げていく。そこに古田の変わり果てた姿がある。吉川は分かっている。今のこの状況で相馬になにを伝えるべきなのかを。しかし彼は躊躇した。 「吉川さん。」 「…相馬…。」 吉川は相馬を遮った。 「古田さんは死んだ。」 「え…。」 「胸を撃たれた。息はない。残念だ。」 「そんな…。」 「古田さんだけじゃない。ここは死体の山だ。SATの指揮部隊も、ウ・ダバも死んでる。制服警官もいる。みんな死んだ。」 感情もなく報告される状況を相馬は飲み込めないようだった。 「テロ対策本部には相馬、お前から報告を入れろ。俺は俺で自衛隊に報告を入れる。」 そう言って吉川は無線を切った。 ーなぜだ…。 心の中で誰にも答えられない問いが繰り返される。足元の瓦礫に雨が叩きつけられ、じわりと靴に染みてくる冷たさを感じても、吉川は動けなかった。 ーなぜこんなことになった…。 彼の胸の奥でうごめく感情は、悲しみと怒り、そして自分自身への苛立、それらが一つになって吉川を押し潰そうとしていた。 ふと自分の右手が震えているのに気づいた。 濡れた無線機を握る指先の震えは、止めようとしても止まらない。それが今の自分が抱えている無力感そのものだと悟った瞬間、吉川の中で何かが弾けた。 吉川は無線機を持ち直し、冷静さを装うように深く息をついた。 震える手を抑え、口を開く準備をする。その声にどんな感情を込めるべきなのか、まだ答えは出ていなかった。 「小寺機関長。こちら吉川。」 「小寺だ。」 「吉川、現場の状況送ります。」 一息つき、彼は言葉を続けた。 「ウ・ダバ壊滅。アルミヤ壊滅。SATは指揮部隊含めほぼ全滅。残る戦力は自分の班のみ。特殊作戦群は詳細不明。敵も当方も継戦能力はありません。」 報告を終えると、無線の向こうで一瞬の沈黙が訪れた。 「現場から撤退しろ。」 小寺の冷静な口調が、吉川には重たく響いた。その命令に従うべきだと頭では分かっていたが、彼は最後に一言を付け加えた。 「…児玉が、死亡しました。」 小寺はその言葉に応答せず、無言で通信を切った。 吉川は無線を握ったまま、崩れ落ちるように座り込んだ。現場の静寂が、無情に彼を包み込んでいた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 金沢駅の状況を伝える無線が一瞬の雑音とともに、公安特課本部に届いた。相馬の声だった。 通信の向こう側から、時折かすかな爆発音や崩れる建物の音が聞こえる。片倉はその声に耳を傾けながら、眉間に深い皺を寄せた。 「古田さんが…死亡しました。」 その一言が本部内に冷たい波紋を広げた。机の上で震えていた片倉の拳が、さらに強く握られる。 数秒の間、彼は何も言葉を発しなかった。 「本…当…か?」 片倉がようやく口を開く。 「はい。自衛隊特務からの報告です…。」 相馬の声はかすれており、その言葉の裏には疲労と無力感が滲み出ていた。 岡田も隣で息を飲み、目を伏せた。 古田の死。それはこの作戦において最悪の知らせだった。 「状況を話せ。」 片倉の声が低く響く。 相馬は深呼吸をするようにして、言葉をつないだ。 「古田さんの死に関しては胸を銃で撃たれたとだけ報告を受けています。息はないとのことです。」 相馬は続ける。 「こちらから報告していたとおり、自分は古田さんと自衛隊特務2名と連携して今回のテロに当たっていました。その特務の一方から入った報告ですので間違いはありません。」 「そう…か…。」 「ちなみに特務のもう一方は死にました。」 「死んだ?」 「はい。爆発に巻き込まれて。」 片倉をはじめ、このテロ対策本部でも金沢駅で大きな爆発があったことを掴んでいた。 「…その爆発やが、詳しく教えてくれ。」 これに相馬は淡々と答えた。 「もてなしドームに突入した機動隊車両の上空にドローンが飛来。そいつが車両の上で小規模な爆発を起こし、直後、車両が大爆発しました。これにより現場はすべてが吹き飛び、焼かれ、死体の山です。SATの指揮部隊も、ウ・ダバも死んでる有様。特務曰くみんな死んだと。」 「みんな死んだってことは、機動隊車両に乗っていた人間もか。」 「はい。全員死亡と聞いています。」 片倉は沈黙したまま、机の上のモニターを見つめていた。だがその目はどこか虚ろだった。 彼の脳裏には、椎名の監視任務に就いていた冨樫の顔が浮かんでいた。彼と連絡が取れなくなっていたことが、ここで嫌でも説明がつく状況となったわけだ。 ーマサさん…。 片倉はこの言葉を声に出すことはなかった。ただ唇を結び直し、目を閉じた。 「相馬、お前は今、その機動隊車両の様子を確認できるのか?」 片倉の声が震えを押し殺しているのが分かった。 相馬の返事は一拍遅れて返ってきた。

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  7. 3 ЯНВ.

    195.2 第184話【後編】

    3-184-2.mp3 半壊した柱の陰にしゃがみ込む朝戸は、壁越しに男の姿を捉えていた。 男はSATの制服をまとい、平然とした態度で無線に向かって何かを指示している。だが、周囲に転がる遺体、SAT隊員たちの無残な姿が、その男の存在に異様な違和感を与えていた。 「不自然すぎるだろ…。」 朝戸は呟いた。 SAT隊員たちが壊滅状態にある中で、彼だけが生き残っているのはどう考えてもおかしい。 男の佇まい、異常な状況、不敵な態度。すべてが朝戸に「こいつは普通じゃない」と訴えかけてきた。 「偽物…。」 朝戸の目には、そのすべてが「意図的に仕組まれたもの」に見えた。 何か巨大な力が働き、自分をさらに不利な立場へ追い込んでいるような感覚。それは彼がこれまでの人生で幾度となく感じてきたものだった。 ーまただ…また俺を踏みつける奴が現れた…。 心の中で呟いた言葉が、体の奥底から沸き上がる怒りの奔流をさらに煽った。 就職氷河期――あの時の記憶がよみがえる。 希望する会社の門前払い、理不尽なまでの競争、どれだけ努力しても選ばれるのは「もっと条件のいい」誰か。 企業の冷たい笑顔と一言が脳裏を過ぎる。 「厳正なる選考の結果、誠に残念ではございますが今回は採用を見送らせて頂くこととなりました。 朝戸様の今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます。」 何十回、何百回と突きつけられた現実。そこで味わった挫折と屈辱。それでもなおもがいて手を伸ばしても、周囲の冷笑と無関心は変わらなかった。 「なぜだ…俺が何をした…。」 目の前に立つSAT隊長の姿に、かつての自分を踏みつけたあらゆる象徴が重なって見えた。 意図的に選ばれ、意図的に捨てられた。 常に誰かがルールを作り、それに翻弄される自分。 目の前の男が、まさにその「支配者」の象徴に見えた。 力で状況を支配し、自分を見下し、踏みつける存在。それを許すことはできなかった。 ーお前だ!お前が沙希を殺した…。 心の中で叫ぶ。喉から言葉が出そうになるのを必死に押し殺しながらも、彼の全身から滲み出る怒りは隠しきれなかった。手が震え、拳が痛くなるほど強く握り締められる。目の前にいる男に銃口を向けるべきだという衝動が頭を支配する。 ー俺はどれだけ努力すればいいんだ…。こんなにしているのにそれでも努力が足りないっていうのか…。 ーどうして俺だけが、こんな目に遭わなければならない…! 自分の人生を切り裂くような不条理。その象徴である椎名が、自信満々に立つ姿に対し、怒りが怒りを生み、止まらない激情が彼の思考を埋め尽くしていった。 ーいつまでだ…俺はいつまでこんな目に遭えば気が済むんだ! 銃を握る手に力がこもる。その先にいる男は動じる様子もない。むしろその冷静さが、朝戸にさらなる屈辱を味わわせるようだった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 一階の廃墟となったロビーに踏み入れるた古田の足音は聞こえないほど小さかった。 朝戸は依然として柱の陰に隠れ、じっと男を見つめている。古田の緊張は最高潮に達していた。手は汗で滑り、視線は朝戸の一挙手一投足を捉え続けている。 「朝戸…。」 柱の陰に潜んでいた朝戸の身体がピクリと動いた。声の方向を振り返り、動揺した表情で古田を見つめた。 「藤木さん…。」 その瞬間、静寂だった空間に、別の異質な気配が割り込んだ。 古田は目線を上げ、背後に立つSATの姿を捉える。そして、その顔を見た途端、彼の全身の血の気が引いた。 「椎名…。」 古田の声は震えていた。 そしてその名を呟いた瞬間、彼は全てを理解した。 「これか…これを貴様は…。」 椎名の冷たい目が古田を捉えた。 彼の手に握られた銃口が、ゆっくりと古田の方向へ向かうのを見たとき、古田は反射的に叫んだ。 「伏せろ!朝戸!」 その叫び声は瓦礫の中に反響し、朝戸の耳に届いた。しかし、朝戸がその意味を理解するより早く、銃声が鳴り響いた。 銃声 火薬の鋭い音が空気を引き裂き、古田の胸に弾丸が撃ち込まれた。 衝撃に彼の身体が大きくのけぞり、背後の瓦礫に倒れ込む。口から血が溢れ、彼は息を詰まらせながら、目を大きく見開いた。 「…くそっ…。」 かすれた声を漏らしながら、古田の瞼が次第に閉じていく。 視界はぼやけ、彼の意識は薄れていった。 「藤木さァァン!」 古田が倒れるのを目撃した朝戸の顔が、一瞬で激情に歪んだ。震える手で銃を構え、椎名の方向へ向けた。 「貴様ァァァ!!」 怒りと絶望の中で、彼は引き金を次々と引いた。 パン!パン!パン! 銃声が連続して鳴り響き、火花が暗い空間を照らした。 しかし、弾丸は椎名に掠ることもなかった。椎名の動きは異常なほど冷静で、朝戸の銃口の方向を正確に見極め、身をかわした。 「ナイト…。」 椎名は小さく呟きながら、冷たく銃を構え直した。 「え?ナイト?」 朝戸の銃声が止むと同時に、椎名が静かに引き金を引いた。 「俺だよ。キングだよ。」 「え…。」 パン! 弾丸は正確に朝戸の眉間を貫いた。彼の身体が硬直し、力なくその場に崩れ落ちる。 怒りと絶望で満ちていた瞳から、光が完全に消えた。 この場に再び静寂が訪れた。 椎名は冷たい目で朝戸の倒れた身体を見下ろし、無言で銃を下ろした。その後、視線を古田の方へ向ける。 「あぁそうだ。だがまだ終わらんよ。」 椎名は小さく息をつき、周囲を見渡した。 周囲にはSAT隊員たちの無惨な遺体、そして撃ち抜かれた朝戸の死体。そして、遠くで横たわる古田の静まり返った身体。すべてが彼の意図した結果だった。 椎名は足元に散乱する血濡れの瓦礫を踏み越え、彼はその場を静かに後にした。 誰もその姿を止める者はいない。いや、誰もその存在に気づきさえしないかのようだった。 数分後、吉川が指揮所の瓦礫の中へと駆け込んできた。 無線の途切れた通信、爆発音、そして長く続いた沈黙。胸騒ぎを抑えきれないまま現場に到着した彼が目にしたのは、想像を遥かに超えた地獄絵図だった。 「……これは…。」 瓦礫と血の海に足を取られながら、吉川は恐る恐るその場を進む。SAT隊員たちの遺体が散乱し、火薬の焦げた匂いが鼻を突く。血溜まりに倒れた隊員の手には、いまだ拳銃が握られたままだった。 「誰が…。」 そして、彼の目が最初に捉えたのは朝戸の死体だった。 「制服警官がなぜ…?」 眉間に正確に撃ち込まれた弾痕が、その最後の瞬間を語っている。吉川は息を飲みながら、その先に目を移す。 そこには、古田の身体があった。 「古田……?」 吉川は膝を折り、崩れるように古田に駆け寄った。瓦礫をかき分け、彼の胸元を押さえたが、そこに感じられるはずの鼓動は、どこにもなかった。 「嘘だ…嘘だろ…!」 彼の声が瓦礫の中に反響する。古田の目は半ば開かれたままだが、そこに宿る光は完全に失われている。吉川の手が震え、血で濡れた彼のカメラマンジャケットを掴む。 「なんで…こんなことに…!」 力なく呟く声が、吉川自身の耳にも悲しく響いた。彼の膝は瓦礫に沈み込み、肩が震える。周囲の惨状が視界に広がり、彼の心を押し潰していった。 椎名はビルの瓦礫の隙間から吉川らの方を見つめていた。 遠くから聞こえる彼の叫び声に、彼の表情は微かに動いたようだった。が、それもすぐに元の無表情へと戻った。 ため息 椎名のその背中は、何か底知れぬ暗い決意を宿しているように見えた。 【X】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはXからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。

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  8. 3 ЯНВ.

    195.1 第184話【前編】

    3-184-1.mp3 機動隊の車両がもてなしドームに突っ込んでくる様を、相馬は物陰に隠れて見ていた。 「あいつを壁にするんですか。」 「そのようだな。」 相馬の隣で児玉も同じように物陰に隠れていた。 「え…あれって。」 相馬の視界に一機のドローンが映った。 刹那それは機動隊車両の上で自爆した。 「伏せろ!」 唐突に、児玉の声が交番内に響いた。 声の鋭さに、相馬は条件反射的に身をかがめ、床に倒れ込むように伏せた。その瞬間――。 爆発の轟音 轟音とともに、全てが白くなり、凄まじい衝撃が空間を引き裂いた。爆風が壁を吹き飛ばし、破片とガラスが嵐のように舞い散る。鼓膜を破るような音が耳をつんざき、相馬は一瞬、自分の体が宙に浮いたように感じた。 相馬は体を起こそうとしたが、右腕に鋭い痛みが走り、呻き声を漏らした。 腕を見ると上着の袖が裂け、血がじわじわと流れ出ている。腕に刺さった小さな金属片が、真っ赤に染まった布地から鈍く光っていた。 「くそ…!」 相馬は痛みに耐えながら周囲を見回した。 交番は瓦礫の山と化し、粉塵が濃く漂っている。息をするたびに、焦げた匂いと土埃が喉を焼くようだった。 「児玉さん…!」 相馬は手を伸ばし、すぐ隣にいたはずの児玉の姿を探した。 やがて目に飛び込んできた光景に、彼の心臓は凍りついた。 児玉は机の残骸の下敷きになり、全身が血と埃に覆われていた。 目を見開いたままの顔には、かすかな表情の痕跡すら残っていない。 首から下は大きな破片で抉(えぐ)られたようになり、胸から血が滝のように流れていた。 「う、嘘だろ…?」 相馬の声は震え言葉にならない。 彼は這いつくばって児玉に近づき、震える手で肩を揺すった。 「児玉さん! 返事してくれ!」 しかし、返事はなかった。 児玉の瞳はどこか遠くを見つめているようで、彼の身体から感じるべき温かさはもうどこにもなかった。 相馬はその場に膝をつき、荒い息を吐いた。右腕からはまだ血が滴り落ちていたが、それどころではなかった。 爆発の原因も、誰が何を仕掛けたのかも、何も分からない。ただ目の前の現実だけがあまりに重く、そして冷たかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 爆発音は凄まじかった。まるで空間そのものが引き裂かれるような衝撃が商業ビル全体を貫き、続いて崩壊音と瓦礫が落ちる轟音が響き渡った。ビルの窓ガラスは一瞬で粉々に砕け散り、外へと吹き飛ばされていく。埃と煙が濃い霧のように立ち込め、目の前の視界は灰色に染まった。 古田は瓦礫の中に倒れ込んだまま、耳鳴りの中で僅かな人の声を聞いた。 「久美子! 久美子!」 森の叫び声だ。 その声には恐怖と焦燥が詰まっていた。古田は一瞬、心臓が締め付けられるような感覚に襲われた。 山県久美子――彼女もこの爆発の中に巻き込まれたのだ。 森の声を頼りに、古田は血塗れた瓦礫の中で体を起こす。周囲はまだ煙と埃に包まれ、咳をこらえながら瓦礫をかき分けると、森が倒れた山県の肩を揺さぶる姿が見えた。彼の手は震えており、その表情には恐怖が浮かんでいる。 「大丈夫か、久美子!目を開けろ!」 山県の額には血が滲み、唇は青白く、微かに動く胸だけが彼女がまだ生きていることを示していた。 森が呼びかけるたび、かすかに唇が震えた。 周囲にはまだ機動隊の生存者たちがいる。誰もが瓦礫の下から必死に這い出し、互いを確認し合っていた。 しかしその中には動かない隊員たちの姿もあった。破片や倒壊した梁に押しつぶされ、動かぬ肉体が無惨に横たわっている。 「マスター!」 古田は声を張り上げながら森に駆け寄った。 瓦礫に足を取られながらも、何とか山県の元に辿り着くと、彼女の首元に手を伸ばし脈を確かめる。 「大丈夫や。生きとる。ほやけど手当が必要や。」 古田の言葉に、森は縋るように頷いた。 古田の視線は自然とビルの外側へ向いていた。 ガラスが吹き飛び、外の景色がむき出しになった窓から、壊滅した一階部分がちらりと見える。混乱する瓦礫の中で、誰かが動いていた。その姿を見て古田の胸に鋭い緊張が走った。 埃と煙の向こう、倒壊した柱や散乱した破片の間に、その男がいた。 「朝戸…。」 柱の陰に隠れ、その場にふさわしくない制服警官姿の朝戸が何かをじっと見つめている。 その目の先にあるのは、SATの指揮車両の前で連絡を取る人間だった。彼は転がる遺体の中で感情を殺すように冷静に指示を飛ばしている様に見られた。 「まさか…SATが壊滅…。」 古田の中で、恐怖が冷たい波のように押し寄せてきた。 「この爆発も、朝戸の仕業か…?」 頭をよぎる疑念が脳内をかき乱す。先ほどまでの銃乱射事件、そしてこの大規模な爆発。あまりにタイミングが合いすぎている。物陰に潜む朝戸の姿が、古田にはこの状況の全ての元凶に見えた。心臓が嫌なほど早く脈打ち、額に汗がにじむ。 気づくと古田は無意識に動いていた。 瓦礫を避け、音を立てないように歩きながら、彼は階段へと向かっていた。 「待て…。落ち着け…。」 心の中で自らに言い聞かせる。それでも、彼の足は止まらなかった。何がどうなっているのか分からない。爆発の原因も、朝戸の意図も。だが朝戸がこの場にいる以上、放置するわけにはいかない。 一歩、一歩と階段を下りるたびに、彼の鼓動は大きくなる。頭の中では無数の可能性が錯綜していた。 このままでは朝戸がさらなる殺戮を行うのではないか。SATの指揮官らしき男を殺害し、大将首を取ることを企図している可能性もある。だがここで古田自身が朝戸を止められる保証などどこにもない。 そうだ、特殊作戦群はどうした。爆発前まで銃撃戦が展開されていたもてなしドームから、銃声のような音は全く聞こえなくなった。SATが壊滅し、まさか自衛隊の特殊部隊までも同等の被害を受けたというのか。 不気味なまでの静寂が彼をぶるりと震わせた。 それでも、彼は動くことをやめなかった。何かを掴むように手すりを強く握りしめながら、彼は慎重に階下へと降りていった。

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Об этом подкасте

【一話からお聴きになるには】 http://gonosen3.seesaa.net/index-2.html からどうぞ。 「五の線」の人間関係性による事件。それは鍋島の死によって幕を閉じた。 それから間もなくして都心で不可解な事件が多発する。 物語の舞台は「五の線2」の物語から6年後の日本。 ある日、金沢犀川沿いで爆発事件が発生する。ホームレスが自爆テロを行ったようだとSNSを介して人々に伝わる。しかしそれはデマだった。事件の数時間前に現場を通りかかったのは椎名賢明(しいな まさあき)。彼のパ

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