2025年9月28日 三位一体後第15主日
説教題:バベルの塔の物語は呪い?それとも祝福?
聖書: 創世記 11:1–9、使徒言行録 2:1–13、詩編 150、エフェソの信徒への手紙 4:1–7
説教者:稲葉基嗣
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バベルの塔の物語は、世界中に様々な言語がある理由を説明しようとしています。この物語は、人間の傲慢さがたくさんの言語を人々が話す状況を作り出すきっかけとなったと伝える物語として、理解されることが多いかと思います。天に届くような塔を建てることによって神のようになりたいという彼らの願いは、人の欲望や傲慢さとして神の目に映ったため、神は人間の言葉を混乱させました。けれども、この世界に様々な言語があるのは、罪や過ちの結果なのでしょうか。多様性に満ちた人々がこの世界に広がっていくことを神は喜び、そんな世界を祝福していることが創世記がこれまで強調してきたことです。言語がたくさんあることって、まさに神が願う多様性ではないのでしょうか。この物語に登場する人々は、散らされることを恐れています。彼らは自分たちが世界中に散らされないため、一つであるため、そして同じであるための試みを続けました。けれども、同じ言葉しか聞こえてこないというのは、その背後で声を上げることができない人たちがいるからです。同じとか、一つというものの背後には、沈黙や抑圧がある可能性があります。その背後で苦しんでいる人たちにとっては、同じことや、一つであることは、抑圧の道具であり、呪いです。神が願った世界のあり方は、一つであるとか、同じであることを誇るのではなく、彩りが豊かな、多様性に満ちた状態でした。だから、神は、人々が一つであり、同じであることを目指した、この物語において、人々が用いる言語を多様なものにしました。ひとつであることを押し付けられることにこそ、人間存在の混乱があるからです。だからこそ、人々の間に多様性を実現するバベルの塔の物語の結末は、神の祝福と希望に満ちたものといえます。もちろん、多様な人々がお互いの違いゆえにぶつかり合ってしまうことは、現実的な問題です。けれども、多様性を喜び、誰の存在も決して諦めなかった神は、歩むべき道を示してくださる方です。ひとつの考え、価値観、言葉によって、神は私たちを結び合わせようとはしません。私たち一人一人の違いを尊重しながら、聖霊によって結び合わせることによって、それぞれの違いが大切にされると同時に、 平和のうちに共に歩むことができる道を神は備えてくださいました。それは、教会の交わりにおいて実現すると、神は私たちの背中を押してくださっています。
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- Đã xuất bảnlúc 03:54 UTC 28 tháng 9, 2025
- Thời lượng23 phút
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