日本新教会

Japan new church

We are Japanese new church which belongs to The General Church of the New Jerusalem.

Episodes

  1. 12/22/2019

    初子の聖別と二人の証

    出エジプト13. ルカ2:21ー39 天界の秘義8078ロバの(胎を開いたものすべては)初子はみな、羊で(群れの一つ)で贖わなければならない。 これは単に自然的な信仰ではなく、その中にある信仰の無垢を主に帰さなければならないことは、「開いたもの」が、再生されたものから最初に生まれたもの、または初子が、信仰の意であることから明かです(信仰が初子であることはここで示されています)。またロバの意は、自然的であるとは、ロバによって事実知(5492, 5741)と服従(5958, 6389)が意味され、これらはまた同じく自然的であることが意味されます。(なぜなら事実知は自然的なものに属し、自然的なものは霊的なものに対して服従するからです)。「ロバの間で開いたものすべて」がここで意味するのは、以下に示す単に自然的な信仰です。「贖う」の意味から、代わりに何かを与えることが意味されます(贖うがこの意味を持つのはこれらの言葉が含むすべてのメッセージ、「ロバの間から開いたものをエホバに捧げてはならず、群れのひとつで贖わなければならない」から明かです)。  [2] 「エホバに捧げる」が主に捧げるとは、「聖別する」そして「犠牲とする」ことと同じように(上記8074参照)、「捧げててはならず、贖わなければならない」が、「帰してはならず、他のものを代わりに捧げなければならない」から、そして「群れの一員」の意味が、無垢の真理であることが意味されます。 「群れの一員」は無垢の真理を意味します、なぜならこれ子羊か子山羊を表現するのに用いられ、無垢とは、3519, 3994, 7840,これらから意味され、この時点では無垢の真理です。というのは、「子羊」も「子山羊」という言葉も使われず、「群れの一員」が使われているからです。このすべてから明かなのは、ロバの間から開いたすべては、その一員から贖わなければならないとは、自然的信仰は主に帰してはならず、その中にある無垢の真理を帰さなければならない、ということが明かです。    [3] 単なる自然的な信仰とは、内側の道からを通してでは無く、外側から教えられた信仰のことです。

    17 min
  2. 11/01/2019

    不正の富

    【新改訳2017】イザ  23:15 その日になると、ツロは七十年の間忘れられる。一人の王の生涯ほどの期間である。七十年が終わると、ツロは遊女の歌のようになる。  23:16 「竪琴を取り、町を巡れ、忘れられた遊女よ。うまく弾け、もっと歌え。思い出してもらうために。」  23:17 七十年の終わりに、【主】はツロを顧みられる。彼女は再び遊女の報酬を得て、地のすべての王国と、地の面で淫行を行う。  23:18 その儲け、遊女の報酬は、【主】の聖なるものとなる。それは蓄えられず、積み立てられない。その儲けは、【主】の前に住む者たちが食べて満ち足り、上等の衣服を着るためのものとなるからだ。    【新改訳2017】ルカ  16:1 イエスは弟子たちに対しても、次のように語られた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この管理人が主人の財産を無駄遣いしている、という訴えが主人にあった。  16:2 主人は彼を呼んで言った。『おまえについて聞いたこの話は何なのか。会計の報告を出しなさい。もうおまえに、管理を任せておくわけにはいかない。』  16:3 管理人は心の中で考えた。『どうしよう。主人は私から管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力はないし、物乞いをするのは恥ずかしい。  16:4 分かった、こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、人々が私を家に迎えてくれるようにすればよいのだ。』  16:5 そこで彼は、主人の債務者たちを一人ひとり呼んで、最初の人に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言った。  16:6 その人は『油百バテ』と答えた。すると彼は、『あなたの証文を受け取り、座ってすぐに五十と書きなさい』と言った。  16:7 それから別の人に、『あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、その人は『小麦百コル』と答えた。彼は、『あなたの証文を受け取り、八十と書きなさい』と言った。  16:8 主人は、不正な管理人が賢く行動したのをほめた。この世の子らは、自分と同じ時代の人々の扱いについては、光の子らよりも賢いのである。  16:9 わたしはあなたがたに言います。不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうすれば、富がなくなったとき、彼らがあなたがたを永遠の住まいに迎えてくれます。  16:10 最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。  16:11 ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなければ、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょうか。  16:12 また、他人のものに忠実でなければ、だれがあなたがたに、あなたがた自身のものを持たせるでしょうか。  16:13 どんなしもべも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは、神と富とに仕えることはできません。」    神の摂理250 アルカナ訳   (5) これはまた、主の次の〈みことば〉によってはっきりします。    「主は、かしこく振舞った不正な家令をほめて言われた、『この世の子らは、その時代にあって、 光の子らよりはかしこい。それでわたしはあなた方に言う。不正の財をつかってでも、自分のため友人をつくっておきなさい。あなた方が困ったとき、その不正の財はあなた方を永遠の住み家に受け入れてくれる』と」(ルカ16・8、9)。   自然的意味で以上が何を言っているのか分かります。  霊的意味では「不正な財産」とは悪人がもっている真理と善の知識です。悪人は自分の地位と財産のためにだけそれを使います。善人すなわち光の子らは、自分のために友人をつくるためその知識をつかいますが、これがかれらを永遠の住み家に迎えいれてくれます。自己愛と世間愛の人はたくさんいますが、神の愛をもっている人は少数です。主は次の〈みことば〉で教えておられます。    「滅びにいくための門は広く道も大きいが、そこから中に入る人も多い。しかし〈いのち〉にいたる道はせまく、けわしく、それを見つけ出す人は少数である」(マタイ7・13、14)。

    18 min

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