2025年10月5日 三位一体後第16主日
説教題:私たちは夢見る旅人
聖書: 創世記 11:10–12:9、ヘブライ人への手紙 11:1–8、詩編 121、マタイによる福音書 5:3–10
説教者:稲葉基嗣
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創世記の物語は、アブラム(アブラハム)とその家族の物語にたどり着きます。アブラムとその家族は、父親のテラが生きていた時代に、故郷であるカルデアのウルを離れて、カナン地方を目指して旅に出ました。父親のテラはその旅の途中、ハラン滞在中に亡くなってしまったようです。カナン地方を目指していたその旅の途中で、家長であるテラを失ったあと、家長となったアブラムには大きな選択が委ねられていました。テラが望んだように、カナンの地を目指すべきなのか。それとも、引き返して、自分たちの親戚がいる、生まれ故郷に戻るべきなのか。そんな彼に「あなたは生まれた地と親族、父の家を離れ、私が示す地に行きなさい」(2節)と神が語りかけたとき、物語は動き始めます。この言葉を聞いて、将来の保証のない、先の見えない旅へと彼は出て行きました。アブラムの旅を決定的に方向づけたのは、神が彼に語りかけた言葉でした。決定的なメッセージは、「あなたは祝福の基となる」という言葉でした。神は、その祝福をアブラムやその家族を通して、全世界に伝えることを願いました。このようなアブラムの旅と、私たち教会は決して無関係ではありません。教会は、天の国を目指して、この世界を旅する神の民です。私たちの人生は、既に神の祝福に包まれているのにもかかわらず、神が「祝福であれ」と語り、私たちに祝福を注ぐのは、私たちの存在を通して、神の祝福をこの世界へと広げていくためです。暴力によって命が傷ついている世界に、癒やしと命の喜びをもたらすためです。神の祝福された世界に、神の祝福が行き届いていくという、神の夢を私たち自身が神と一緒に担うために、神は「祝福であれ」と私たちに語りかけておられるのです。神が私たちに与える約束は、私たちが祝福の源となるということでしょう。祝福の源であるということは、そこから祝福が沸き起こってきて、周囲に広がっていく、ということです。この世界の「祝福であれ」と神から伝えられている私たちから、喜びや愛や憐れみが、この世界を祝福として湧き出ていく。神は、そんな風にして、私たちを通して、この世界を祝福し、祝福に溢れた世界にしたいと願っています。ここに集う私たちと共に生きる人たちのために、顔も名前も知らない人のために、主キリストにあって、私たちは祝福の源であることができます。夢見る神の民である私たちの旅は、神の祝福をこの世界に喜びをもって分かち合っていくために、これからも続きます。
Информация
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- ЧастотаЕженедельно
- Опубликовано5 октября 2025 г. в 05:51 UTC
- Длительность22 мин.
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