記憶に残る活動を 埼玉県在住 関根 健一 2025年6月。巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄さんの訃報が、全国の野球ファンのもとに届きました。 長嶋さんと言えば、誰もが認める、日本のプロ野球界を牽引してきたスーパースター。「我が巨人軍は永久に不滅です」の名ゼリフを残した、あの引退セレモニーの時、私はまだ一歳でした。ですから、現役時代の活躍をリアルタイムで見ることは出来ませんでした。 小学3年生から始めたリトルリーグ。当時、チームメイトに「茂雄」という名前の子が何人もいたことを覚えています。それだけでも、長嶋さんが世代を超えて、日本中の野球少年に影響を与えてきた存在だったことが分かります。 長嶋さんのことを、「記録より記憶に残る選手」と評する声があります。もちろん実際には、名選手と言われるにふさわしい数々の大記録を残しています。しかし、そうした記録を見るまでもなく、誰もがその姿を心に深く焼きつけている。だからこそ、この言葉に意味があるのだと思います。 一方、長嶋さんの現役引退から約20年後。1990年代には、野茂英雄さんがメジャーリーグのドジャースで大活躍しました。それ以降、日本の野球選手が海を越え、メジャーリーグで活躍することも珍しくなくなりました。 2000年代に入ってからは、イチローさんや大谷翔平さんのように、メジャーリーグの記録をも塗り替え、世界の野球史に名を刻む日本人選手も現れました。その背景には、旧来の野球理論が変化し、より科学的・効率的なトレーニングが取り入れられてきたことが考えられます。 たとえば、私が子供の頃には当たり前だった「うさぎ跳び」。今では、成長期の子供には弊害があるとされ、トレーニングに取り入れるチームはほとんどなくなりました。また、「根性論」に頼った指導や、体罰による指導もあまり見かけなくなってきました。 こうした流れの中で、SNSなどでは、長嶋さんのような過去の名選手と、現代の選手を比較する議論がよく見られます。 「昔の選手が今の時代にプレーしていたら、あれだけの記録は残せなかったのではないか?」 野球ファンとして、想像を膨らませながら楽しむ分には良いのですが、議論が過熱するあまり、過去の名選手の記録を否定するような風潮も少しずつ現れてきました。 そんな中、あるSNSでこんな意見を目にしました。 「過去に記録を打ち立てた名選手が、もし今の時代に現役だったとしても、時代に合わせた努力をして、結果を残していると思う。時代が彼らをスターにしたのではなく、彼らの努力が彼らをスターにしたんだ」 私はこの言葉に深く納得しました。 どんなに想像しても、現実に過去と今の選手を比べることは出来ません。けれど、過去の名選手が、その時できる最大限の努力を重ね、野球界を盛り上げてくれたからこそ、今に至るまで選手たちが活躍できる場が守られてきたのだと思います。 さて、話は変わりますが、先日、上級教会を会場に開催された「ようぼく一斉活動日」に参加しました。 プログラムの中で、教祖が現身(うつしみ)を隠された明治20年陰暦正月26日のお屋敷の様子を演劇で再現した動画が上映されました。 その動画では、後の初代真柱様をはじめ、天理教の草創期を支えてきた先人たちが、教祖との突然の別れに直面しながらも、未来へ向かう決意を抱く姿が描かれていました。とても勇んだ気持ちになれるものでした。 上映後、参加者同士で感想を語り合う「ねりあい」の時間となりました。私のグループは、同年代の男性Aさんと、私より少し年上と思われる女性Bさん、そして私の三人でした。 AさんもBさんも支部管内にお住いのようぼくで、お二人とも、動画にとても感動された様子でした。感想を出し合う中で、Aさんはこうおっしゃいました。 「昔の先生は凄すぎて、私なんか何もできていないなあと、反省してしまいました」 その気持ち、私も痛いほど分かります。でも、せっかくの機会だから、勇みの種を持って帰って頂きたい。そんな思いで私はこう話しました。 「野球が好きでプレーしている人の多くは、大谷選手のようにはなれません。でも、大谷選手のように打てないからといって、野球をやめてしまうのはもったいないですよね。多くの人にとって、野球は趣味。だからこそ、自分に見合った場所で、それに合わせた努力をすることが大切です。信仰も同じだと思います。私たちも、先人の先生の姿を見習いながら、今、置かれた場所、職場や教会で、出来ることをさせて頂けばそれでいいのだと思います」 するとAさんは、「なるほど。そのとおりですね」と、にっこり微笑んで下さいました。Bさんも横で静かにうなずいて下さいました。 そのお二人の姿を見ていたら、ふと、「このお二人の所属する教会の会長さんが、この様子をご覧になったら、きっと大層喜ばれるだろうなあ…」と思いました。私自身も教会長として、信者さんが教えを通して前向きに勇む姿を見るのは、何よりも嬉しいことだからです。 その時、年祭活動一年目に、この「家族円満」の原稿依頼を頂き、大教会長様にご相談した際に、「関根さんにしか出来ない年祭活動だから、勇んで勤めてください」と声をかけて頂いたことを思い出しました。あの時の大教会長様も、私が前向きに取り組もうとする姿を喜んで下さっていたのだと思います。 残りわずかな年祭活動。目に見える結果が出ずに焦る気持ちがあったのですが、まずは自教会につながる信者さんの勇んだ姿を喜び、「140年祭の年祭活動は、教会につながる皆が勇んでつとめさせてもらった」という記憶を胸に刻めるように、前向きに歩んでいこうと決意を新たにしました。 だけど有難い「ノミのジャンプ」 ノミという虫がいます。先日、この虫にまつわる面白い話を聞きました。 ノミというのは非常に小さいものですが、自分の体の五十倍から百倍くらいジャンプするのです。すごいですね。そのノミを、コップを裏返して中に閉じ込めてしまうと、当然、高く跳ぶことはできません。どうなるかというと、コップの底に当たって落ちるを繰り返すのです。そして、そのままにしておくと、コップを外しても、その高さまでしか跳べなくなるそうです。 人間も、神様から授かった能力は無限でも、嫌なことやつらいことがあると、自分で「これが限界」と枠や殻を作って、コップのなかのノミのように、そこまでしかジャンプしなくなることがあるのではないでしょうか。 私は、病気や事情は、私たちが自分で「もうここまで」「自分の能力はこんなもの」と決めてかかっている壁を突き破るチャンスとして、親神様が与えてくださっているのではないかと思うのです。病気になったら、普段は当たり前にできていることができなくなると考えがちですが、心の持ち方によっては、普段できないことができるようになる。私は、それが「ふし」だと思うのです。 最近、ある三十代の男性の話を聞きました。彼は、父親が末期の胆嚢ガンの宣告を受けました。家族はとてもショックを受けました。ところが、その直後、自分自身も肝臓ガンのステージⅡだと分かったのです。父親のことだけでも家族は大変なのに、自分の病気のことはとても言い出せないと、彼は悩みました。 そこへ教会の人がやって来て、「親神様、教祖にもたれさせてもらおう」と彼を励ましました。しかし、その言葉にも勇めず、教会やお道に対する不足を並べ立てて、その人を追い返してしまいました。あとで冷静になってみて、自分は何も実行しないで文句ばかり言っていたと、少し反省したそうです。 そこへまた教会の人がやって来て「十月のひのきしん隊に行かないか」と声を掛けました。前回のことがあったので、彼は一応「はい」と返事をしました。しかし、内心では「この体でつとめさせていただくのは、とても無理だ」と思っていたそうです。 それから二週間後、病院の診察がありました。検査の結果、「リンパ節に転移している。余命は二カ月」と宣告を受けました。彼には、男の子が二人いました。こんなに小さいうちに父親がいなくなると思うと、不憫でなりません。残った家族はどうなるの
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- Publicado3 de octubre de 2025, 10:09 a.m. UTC
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