5「必ず読むべき本を読まずに長年をすごした」ことを悔いる「私」がしていたのは、「思うこと」や「空想すること」でした。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節「ヨクミキキシワカリソシテワスレズ」は、そんな「私」への「はげましの言葉」となっていました。読むこともその中に含まれているのでしょうが、賢治が明言しなかった「思いやり」に「私」は救われるような思いを抱いています。読むことは他者の声に耳を傾けることであり、空想もまた他者を想像し、理解しようとすることです。「私」は、読まなかった時間にも、「思うこと」や「空想すること」を通じて「思いやり」を育んでいたのではないのでしょうか。「私」は、賢治の言葉を知識の量ではなく理解の深さと記憶の持続に重きを置いており、そのことにより「私」の来し方を静かに肯定していると思います。<文・白根直子>
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- Опубликовано13 октября 2025 г. в 02:30 UTC
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