就職・転職の扉をひらく「ことばランド」

安正 前田
就職・転職の扉をひらく「ことばランド」

ことばは、自らを表現する大切なツールです。 そのツールをうまく使いこなして、未来の扉を開いていきましょう。「ことばランド」は、そのお手伝いをします。 文章コンサルタントの前田安正と、フリーアナウンサーのみどりーぬこと、江川みどりがお送りします。

  1. APR 21

    EP#139 「老後」は、もはや死語だ! 自ら限界を決める必要はない

    今回は「老後」について、考えてみます。就職に役立つ内容というのが、コンセプトなのに、なぜ「老後」なんだ、と思いますよね。誰もが老います。では「老後」ってどういう意味なのか分かりますか? どの辞書を引いても、「老いた後」としか書いていないんです。字の通りです。では「老いた後」に何があるのか。それは「死」しかない。「老後」とは、何のための言葉なんだろう。人は、生まれてから成長すると思っています。それは間違いない。では、どこから老いるのか、このポイントは分からない。はい、きょうから老いますので、と言われた経験もない。いつの間にか、なんです。 就活でも「終身雇用」という言葉を聞いたことがあると思うのですが、それは「定年」を迎える60ないし65歳までの「長期契約雇用」にしか過ぎないことは、もう当たり前になっています。昔は、55歳定年で、公的年金や企業年金なども含めて70歳くらいまで保証されていたし、大体その年齢で一生を終えていたのです。だから「老後」ということばは、大体「定年」を目安に使われていた。ところが、今は80、90は当たり前。60歳定年から後、2,30年生きていかなくてはならい。いわゆる終身雇用ということばは、もはや通用しない。 寺山修司が「懐かしのわが家」という詩冒頭、こう書いています。 昭和十年十二月十日に ぼくは不完全な死体として生まれ 何十年かかかって 完全な死体となるのである 僕たちは、生まれてから成長している過程で、すでに完全な死体になるために生きている。つまり、生まれた瞬間から「長い老後」を生きているとも言える。この詩の最後にこう言っているんです。 僕は 世界の涯てが 自分自身のゆめのかなにしかないことを 知っていたのだ。 人生100年時代です。僕たちは「100年の老後」を生きることになる。死の間際まで夢を追い続ければ、世界の涯てはまだまだ広げられるということだと思います。であれば、どこから老後だという考えをしなくてもいい。つまり、勝手に限界を決める必要がないってことです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、2022年6月から始まった「ことばランド」は、ずっと江川さんとのコンビで続けてきました。残念ながら、5月から前田一人でお伝えすることになりました。 江川さんにMCをしていただいて、リスナーの方から「名コンビ」とまで言われてきました。この番組は、江川さんと江川さんのファンの方に多く、支えられてきました。ありがとうございました。今後も、スポットで江川さんにMCをお願いしたいと思っています。 引き続きお聴きいただけると嬉しいです。

    15 min
  2. APR 14

    EP#138  希望は「まれなるのぞみ」。ただし、誰にでも与えられているものでもあるのです

    希望の「希」は、「まれ」、非常に少ない、とか、まばら、めったにない。という意味の感じです。元々は、さほどプラスに作用する言葉ではないんですね。希少価値という言葉があるように、極めてまれなことだから「なかなか手に入らない」。わずかしか手に入らないから、それを手に入れると価値がでる。 だから、それを「こいねがう」んです。これも漢字で書くと「希う」と書きます。手に入れたい、待ち望む、あることの実現を願い望むこと、将来に寄せる期待、というように、プラスに作用する言葉に変化します。 マイナスの言葉がプラスに転化する。面白いと思いませんか。 就職や将来を考えたときに、自らが望むもことこそが「希望」で、それはなかなか手に入らないものなんです。でも、そのマイナスは必ずプラスに転化できるということなんです。希望というのは「まれなる望みを得る」ということで、たとえ、スタートラインが違っていたとしても、これは誰にも平等なんです。ただ、口を開けていただけでは手に入らない、という事実も平等にあるなんです。 回り道をして時間が掛かってもいい。スタートラインに着くのが遅れてもいい。僕自身も周回遅れで、社会人になって、日本語とか漢字について勉強し始めたのも40歳過ぎからです。それでも、何とかやろうとした方向に舵を取ることができました。早い内から才能を開花させる人もいれば、僕のように50歳を過ぎてから、ようよう芽を出す人もいる。いまがうまくいかないから、と嘆くなら、その嘆く時間を使って半歩前に出るようにすればいいだけだから。

    12 min
  3. APR 7

    EP#137  シンプルは最強だ! 文章も、交渉ごとも、人生も、複雑な衣を剥ぎ取ろう!

    文章の講座や広報の研修などで「文をシンプルに書こう」と言うと、必ず「それでは思いが伝わらない」という反対の意見がでます。こう言われたときに、夏目漱石の『吾輩は猫である』の冒頭を例に挙げるんです。 「吾輩は猫である。名前はまだない」 実にシンプルだと思いませんか。ほぼ箇条書きですよ。しかも「吾輩は猫である」は「何がなんだ」しか書いていません。「名前はまだない」は「何がどうだ」ということだけなんです。それでも、読み手に強い印象を残し、いまだ読み継がれている。シンプルな文では思いが伝わらない、というのは一種の幻想だし、都市伝説に近いと思っています。 これは文章に限らず、ものの考え方にも通じることだと思っています。子どもを見ていると、その時その時関心の向いたことに、躊躇せず意識を向けるでしょ。「早くしなさい」と言われても、急にチョウチョを追いかけたり、しゃがみ込んでアリを眺めたりする。行動としては実にシンプルです。ところが、大人になると「時間」というものに制限されて動くから「早くしなさい」と言って怒り出す。子どもと大人の時間に対する価値観が全く違う。子どもの方がシンプルです。 大人になると「社会性」という外部要因が働き出します。これはとても大切なことかもしれませんが、考え方を複雑にする要因でもあるんです。前回「自分軸」という話もしました。これは、自分の考えや信念のことですが、外部要因がそれを邪魔する場合が多い。そのほとんどが「こうしなくてはならない」「こうすべきである」という自己規制に傾きます。それが極度に影響すると、自分の考えが外部要因に大きく引きずられたり、忖度が加わって複雑化します。そして、迷うんです。 社会性という外部要因を全て捨て去ることは難しいと思います。でも、何のために行動するのか、なぜそれがしたいのかという基本的な問いかけが、シンプルに考える切っ掛けになるはずです。文章も5W1HのWHYが重要なんです。 これと全く考えは同じです。削ぎ落とす先に見えるものが、実はとても大切なものだし、相手を説得する強い力になるんです。だって、そこはそれ以上削りようのない骨の部分だからです。これは最強です。それに逆らうことはできないからです。冒頭に挙げた「吾輩は猫である」に対して、「お前は犬だ」なんて言えないでしょ。このシンプルさが強さになるんです。

    17 min
  4. APR 1

    EP#136 「自分軸」って、みんなわかって使っている? 言葉に踊らされる必要もないと思うけれど・・・

    よく「自分軸」とか「軸をぶらさないように」とかいう言い方があります。実を言うと、この言葉がよく分からないんです。それで、自分なりに辞書を頼りに考えてみました。 「軸」の第一義は「車の左右二つの車輪をつなぐ棒。車の心棒。車軸」という意味なんですが、自分の車軸では、ちょっと意味をなさないですよね。車軸がずれたら、そもそも車輪を繋ぐことができませんものね。 この他に、座標の基準となる直線。いわゆる座標軸というのがあります。自分の基準となるもの、という考え方をすると、比較的わかりやすくなるような気がします。ただ、それが直線である必要があるのかどうか。もう一つが、回転するものの中心。回転運動の中心、物事の要という意味だと「チームの軸となって活躍する」みたいな表現もできます。回転運動が、社会の中の様々な動きや変数を意味すると、どんなに外部の環境が変わっても、自分が中心で動かない、つまり自分の信念を揺るがさないという意味になるかもしれません。 会社を選ぶときや、自分の行き方を考えるときに、「自分の信念」に背いていないかどうかを意識することは重要なことかもしれません。ただ「信念」という言葉も考え出すと難しい。「やりたくないことはするな」「やりたいことだけをしよう」という言い方も、実は無責任な気がしています。それだけでは成り立たないですものね。「やりたいことをするために、やりたくないこともしなくてはならない」というケースもあると思います。特に会社勤めの場合は。 だから、僕は「軸」という考え方を無理に持つ必要もないだろう、と思っています。何かをするときに、感覚に頼ることも重要なのではないか。急に写真を勉強したくなったとか、不動産が面白そうだなとかね。そう思う感覚を大事にすると、結果として「軸」に沿って行動していることになるのだろうと思うのです。興味の湧いたことに迷わず取りかかる。「軸」はその後に付いてくるもの。「軸」を先に考える必要もないと思うけどなあ。

    15 min
  5. MAR 26

    EP#135  緊張は一旦受け止めて後ろに流す

    入社試験の面接やピアノの発表会などの時に緊張しない人は少ないかもしれませんね。緊張の「緊」に「糸」が付いてるでしょ。これ、なぜだか分かりますか? もともとの意味は「弓や弦楽器の弦などが、きつくぴんと張ったさま」を言う漢字だったのです。それに「張る」という漢字が組み合わさったのが「緊張」。まさに張り詰めるって感じです。糸を張り詰めすぎると、キレちゃいますよね。ギターなの弦をきつく締めすぎれば、キレちゃいますもんね。 だから、一般的には、深呼吸して緊張を取ってリラックしよう、なんてことを言います。面接の時に緊張し過ぎて、過呼吸のようになった人もいましたし、泣き出してしまった人もいました。でも、それだけ一生懸命だということは分かります。緊張は必ずしも悪いことではないと思うんです。緩みっぱなしというのも、いざと言うときにやる気スイッチが入らないような印象にもなります。 緊張は必要だけれど、緊張し過ぎないようにするにはどうしたらいいのか、ですね。面接なら、担当者に対して過度に偉い人だというイメージを持ったり、その場の雰囲気に呑まれたりするからです。いまは、僕らの頃のようなガチガチの圧迫面接はなくなってきて、面接担当者も受験者をリラックスさせるように話を持っていって、受験者の話を聞くようになってきました。 最近は、親戚の集まりも少なくなって、年上との交流も場も減ってきたので、場慣れしていないんでしょうね。僕も親戚の集まりが苦手だったし、生活の場で親以外の大人と話をする機会もなかったですから。 だから、人と接する飲食店などのバイトをするようにしたんです。娘たちにも飲食でのバイトを進めました。客から理不尽なことを言われても、うまくいなせる方法などをそこで学びました。「一旦受け止めて、後ろに流す」。これは、アルバイトで学んだことで、今も役に立っています。

    13 min
  6. MAR 17

    #EP134 9割が知らない「文章と文書の違い」。これがわからないと、AIについていけない。

    AIが急速に発展して、いまやAIが何でもものを書いてくれる、という風潮があります。これが、本当なのか。 今回は、3月10日に発売された、前田の新著『AIに書けない文章を書く』(ちくまプリマー新書) の内容について、少しだけお話をします。 文章と文書の違い、おわかりですか? 実は、AIが書いたものに違和感を覚えるのは、この違いがあるからなのです。ビジネス文書とは言うけれど、ビジネス文章とは言わない。この謎も、文章と文書に違いがあるからです。 方角の「東」や、「山」の定義をご存じですか? こんな素朴な疑問をきちんと説明できないほど、僕たちの言語は曖昧なのです。その曖昧な言語を使って、文をつくり、文章を組み立てる。つまり、文章には、そもそも完璧さが求められていないのです。 それでも、言葉に対する共通の認識を持てるよう文章を書く必要があります。今回は、そんなことを中心にお話ししています。 番組を聴いて、興味を持っていただけたら、ぜひ手に取ってお読みいただきたいと思います。 https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Famzn.asia%2Fd%2F1MhN332%3Ffbclid%3DIwZXh0bgNhZW0CMTEAAR2IaAODfKmeRtR9aOAIGuMDohzA7ciwWu0UnVhQ7GdoeoKyQmrtdkSpfMQ_aem_9DOAskAatHB6exf9cfOaqQ&h=AT2FgTumQtb6jCjLVRGiiOTpXhyH4mw7bKVv43Du2ij69ybJDSlUnFw15KBUr_9v2dDvZfLlFfL54hSu3MtvvcMIvDUwTo6Ce1znrrg8autbMfUskxu6U7whx0E9HGO0Cnl3TxQoWT7usMIUtJN25Q&__tn__=%2CmH-R&c[0]=AT1REG98_HeXSI6cGjiEw4-lvRrESU-IHJbEKeb3nNVe6iYTvxfx-89tZoxppkMR0buqk7IcRurIa9r8Xkpg9p7J6AqdTSYdKv7PyNXh3uKB9bjSGyXzc3On6mhb97eGW3YngoIkYBUGuxNZyqtWNnsOodenzOHvM2eWzi-jDtrLaUbBv8k

    21 min
  7. MAR 10

    EP#133  好きと得意の小さな炎を燃やし続けて、育てていこう。そうすれば、チャンスの芽が見えてくる

    自分は何をしていけばいいんだろう、とか、社会での自分の役割って何だろうなんてことに、結構悩んだりしますよね。 そんな時に「好きなことをすればいいんだよ」とか「得意なことを伸ばせばいい」なんて言われたりします。しかしここは、案外難しいポイントです。「好きなこと」「得意なこと」仕事にできればいいんだけれど、なかなかそうはならないと悩んでいる人が多いと思うのです。 僕自身も校閲が好きで新聞社に入ったわけではないし、得意でもない。もちろん、校閲が天職だと言っていた同僚もいました。それは幸せなことだろうし、うらやましく思ってもいました。「自分の好き」が見つけられなくて、あれこれ迷い戸惑うことばかりだったのです。ところが、時間はかかったけれど結果的に、僕は自分の好きな仕事にたどり着くことができました。 新聞記者って何でも自由に好きなことを書けるかというと、そうでもない。紙面は限られているし、紙面を独占するなんてことは、不可能に近い。編集委員という専門記者でも、毎週自分の好きなテーマだけでコラムを何年も書くということはできない。紙面を独占できないからです。そこは会社の論理もあります。 それにもかかわらず、記者の訓練を受けることもなく、校閲も得意ではなかった僕が、約10年にわたって毎週、漢字や言葉にまつわるコラムを書き続けることができたんです。最後は自由にエッセイみたいなことを書いていました。実は、言葉や漢字についても、詳しかったわけではなかったんです。 いま振り返ると、とても不思議な感じがしているんです。タイミングや運もあったのかもしれません。ただ、文章を書きたいとずっと思い続けていたんです。ルーティーンの仕事もあるし、そのチャンスはほとんどないと思っていまた。それでも、ひたすら思っていたんです。あるとき、ほんの一つ、目の前に現れた細い糸をつかんで、それを丁寧に紡いでいっただけなのです。それだって、長く続くとは思っていませんでした。 何を言いたいかというと、今の仕事、これからの仕事に満足や納得がいかないにしても、心の中に小さな炎を燃やしておくことは、とても重要だということです。大きなことでなくてもいいと思うんです。日々の糧を得るために納得のいかない仕事をしていたとしても、歌が好きなら歌っていればいい。料理が好きなら料理を作っていけばいい。本を読むことが好きなら本を読み続けていけばいい。興味をもったこと、かつてやろうと思ってできなかったことに目を向けてみればいい。大きなことを考えなくてもいいんですよね。細い糸を大切に紡いでいって、本業の脇で少しずつ、それを育てて大きくしながら、発信していけばいい。10年続ければ、それなりになりますよ。時間は掛かるけれど、「ちりも積もれば山となる」という言葉もある。 いまは、結果を早く出そうとするからつらくなる。人生100年です。小さな炎を燃やし続けて、チャンスが来たら細い糸を丁寧に紡いでいけば、好きと得意が育っていくはずです。

    17 min

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ことばは、自らを表現する大切なツールです。 そのツールをうまく使いこなして、未来の扉を開いていきましょう。「ことばランド」は、そのお手伝いをします。 文章コンサルタントの前田安正と、フリーアナウンサーのみどりーぬこと、江川みどりがお送りします。

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