和歌、俳句、詩。Waka, Haiku & Poem : A Journey into Japanese Verse

“Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (15)

Part 15 顔の印象 六篇    A 精舎 うち沈む広額、夜のごとも凹める眼―― いや深く、いや重く、泣きしづむ霊の精舎。 それか、実に声もなき秦皮の森のひまより 熟視むるは暗き池、谷そこの水のをののき。 いづこにか薄日さし、きしりこきり斑鳩なげく 寂寥や、空の色なほ紅ににほひのこれど、 静かなる、はた孤独、山間の霧にうもれて 悔と夜のなげかひを懇に通夜し見まもる。 かかる間も、底ふかく青の魚盲ひあぎとひ、 口そそぐ夢の豹水の面に血音たてつつ、 みな冷やき石の世と化りぞゆく、あな恐怖より。 かくてなほ声もなき秦皮よ、秘に火ともり、 精舎また水晶と凝る時愁やぶれて 響きいづ、響きいづ、最終の霊の梵鐘。 以下五篇――四十一年三月    B 狂へる街 赭らめる暗き鼻、なめらかに禿げたる額、 痙攣れる唇の端、光なくなやめる眼 なにか見る、夕栄のひとみぎり噎ぶ落日に、 熱病の響する煉瓦家か、狂へる街か。 見るがまに焼酎の泡しぶきひたぶる歎く そが街よ、立てつづく尖屋根血ばみ疲れて 雲赤くもだゆる日、悩ましく馬車駆るやから 霊のありかをぞうち惑ひ窓ふりあふぐ。 その窓に盲ひたる爺ひとり鈍き刃研げる。 はた、唖朱に笑ひ痺れつつ女を説ける。 次なるは聾しぬる清き尼三味線弾ける。 しかはあれ、照り狂ふ街はまた酒と歌とに しどろなる舞の列あかあかと淫れくるめき、 馬車のあと見もやらず、意味もなく歌ひ倒るる。    C 醋の甕 蒼ざめし汝が面饐えよどむ瞳のにごり、 薄暮に熟視めつつ撓みちる髪の香きけば―― 醋の甕のふたならび人もなき室に沈みて、 ほの暗き玻璃の窓ひややかに愁ひわななく。 外面なる嗟嘆よ、波もなきいんくの河に 旗青き独木舟そこはかと巡り漕ぎたみ、 見えわかぬ悩より錨曳き鎖巻かれて、 伽羅まじり消え失する黒蒸汽笛ぞ呻ける。 吊橋の灰白よ、疲れたる煉瓦の壁よ、 たまたまに整はぬ夜のピアノ淫れさやげど、 ひとびとは声もなし、河の面をただに熟視むる。 はた、甕のふたならび、さこそあれ夢はたゆたひ、 内と外かぎりなき懸隔に帷堕つれば、 あな悲し、あな暗し、醋の沈黙長くひびかふ。