リジョイス聖書日課

RCJメディアミニストリー

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

  1. Oct 12

    地上に神の国が完成する時(ヨハネの黙示録 11章)

    「この世の国は、我らの主と、 そのメシアのものとなった。 主は世々限りなく統治される。」 (ヨハネの黙示録11章15節) 黙示録11章の前半には、第六のラッパの吹奏による第三の場面が描かれています。神から遣わされた二人の証人が、千二百六十日の間、預言します。彼らは力強く働きますが、獣によって殺されてしまいます(7節)。けれども、三日半の後、神の息によって彼らは立ち上がり、雲に乗って天に上っていきます(11、12節)。 解釈が難しいところですが、これはどのような苦難の時代にも、神の預言者が絶えないことを示していると言えるでしょう。神の言葉を語る預言者は苦難を身に受けますが、最後には神によって祝福されます。 15節で第七のラッパが吹奏されます。すると、天からの大声がありました。「この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される」。いよいよ、神とキリストの支配が地において実現することが宣言されます。敵対勢力は完全に滅ぼされ、地上に神の国が完成するのです。 19節に「そして、天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見え」とあります。かつて神殿の中心に契約の箱がありました。それが天の神殿で再現することは、決定的な終末の始まりを意味しています。歴史はこの終末に向かって動いています。私たちにとって終末は、救いの完成にほかなりません。 【祈り】 主よ、終末の救いの時まで、神の言葉を語り続けさせてください。

  2. 16h ago

    御子イエスの婚宴の礼服とは何か(マタイによる福音書 22章1-14節)

    「王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。」 (マタイによる福音書22章11節) 主イエスは、「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている」と言われます。ここでの王は神であり、王子は御子イエスであり、婚宴は御子イエスにおいて到来した天の国を表しています。王は家来たちを使いに出し、婚宴に招いておいた人びとを呼ばせますが、来ようとしません。招いておいた人びとは王の招きを無視しました。そこで、大通りで見かけた者皆を集めるよう、王は家来たちに命じて、王子の婚宴は客でいっぱいになります。招いておいた人びととはイスラエルの民を指していて、今や婚宴はすべての人に開かれ、福音は異邦人にも告げ知らされているということです。 さて、その客の中に、婚礼の礼服を着ていない者がいました。「友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか」と王が尋ねます。その人が黙っていると、王は側近の者たちに、男の手足を縛って外の暗闇にほうり出すように命じました。 この礼服とは何でしょうか。それは、信仰であり、へりくだりだと言えるでしょう。天の国に入るとはまったくの恵みです。しかし、「畑に」「商売に」と自分事を優先して、招きを無視する者はふさわしくありません。信仰をもって神の御前にへりくだる者が天の国に入れられるのです。 【祈り】 神よ、あなたの招きに応えて天の国に生きることができるよう、信仰とへりくだりをお与えください。

  3. 1d ago

    御手の業をどうか放さないで!(詩編 138編)

    主よ、あなたの慈しみが とこしえにありますように。 御手の業をどうか放さないでください。 (詩編138編8節) わたしの小学一年生の子は、いろいろなことに興味があって、何でも試してみたい年頃です。怖いとわかっていても、高い壁や木に登ってみようとします。そしてわたしの手を掴んで、「手を放さないで!」と念を押すのです。間違ってもわたしが手を放さないと分かっていても、です。 詩人ダビデも、神に向かって「御手の業をどうか放さないで!」と訴えます。ダビデは詩の後半で自分の人生を振り返り、神がすべてを成し遂げてくださる信頼できるお方であるとの信仰を深めています。それにもかかわらず、「手を放さないで!」と訴えずにはいられなかったのです。 子どもが父親にそう訴えるのは、父親を信頼していないからではありません。信頼はしているが一人では怖いという、自分の弱さの率直な表明です。その言葉を聞くと、頼られている喜びを感じ、愛おしくなります。 神は決してお見捨てにはならないと分かっていても、どうかわたしを置いていかないでと祈らずにはいられません。その祈りは決して不信仰から出た言葉なのではなく、むしろ神の前に自分が弱い者であることの表明です。ですから神は、「御手の業をどうか放さないで」と訴える子どもたちの言葉をご自分への信頼の証しとして喜んで聞いてくださり、私たちへの愛を深めてくださいます。 【祈り】 率直な心の叫びに耳を傾け、御手の業を離さない慈しみに感謝します。

  4. 2d ago

    口には甘く腹には苦い神の言葉(ヨハネの黙示録 10章)

    わたしは、その小さな巻物を天使の手から受け取って、食べてしまった。それは、口には蜜のように甘かったが、食べると、わたしの腹は苦くなった。 (ヨハネの黙示録10章10節) 黙示録10章には、第六のラッパの吹奏によって起こったもう一つの場面が描かれています。一人の天使が天から降ります。「手には開いた小さな巻物」を持ち、「右足で海を、左足で地を踏まえて」立っています(2、3節)。海と地を踏まえて立つ天使の姿は、そのメッセージが、全世界にかかわることを暗示しています。 天使は、「右手を天に上げ、世々限りなく生きておられる方にかけて」誓いました(5、6節)。「もはや時がない。第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する」(6、7節)。つまり、第七のラッパの吹奏とともに、神の救いの計画が成就するのです。 ヨハネは、この救いの計画が記されている巻物を「受け取って、食べてしまえ」と天使から命じられます(9節)。彼が受け取って食べると、口には蜜のように甘かったのですが、腹は苦くなりました。巻物に記されているのは神の言葉です。神の言葉を読み理解することは甘美で喜ばしいことです。しかし、そこには罪に対する神の怒りと審判が記されていますので、皆が喜んで受け入れてくれるわけではありません。それゆえ、腹には苦くなりました。しかし、真の預言者は、御言葉を真っすぐに語る責任が神の前にあるのです。 【祈り】 主よ、どのようなときも、教会が神の言葉を真っすぐに伝え続けることができるように導いてください。

  5. 3d ago

    人間の恐るべき頑なさ(ヨハネの黙示録 9章)

    これらの災いに遭っても殺されずに残った人間は、自分の手で造ったものについて悔い改めず、なおも、…偶像を礼拝することをやめなかった。 (ヨハネの黙示録9章20節) 黙示録9章には、第五のラッパと第六のラッパの吹奏とその結果が記されています。第五のラッパの吹奏によって、いなごの襲来が起こります。いなごの襲来は、旧約聖書以来、神の罰を象徴しています。人類の罪に対する罰は、「いなご」に象徴される悪の力が解き放たれることによって起こります。悪魔的な力は解き放たれると「いなごの群れ」のような具体的な形をとって地上に現れます。そしていなごは、「額に神の刻印を押されていない人」に害を加えます(4節)。しかし、殺すことはできませんし、五か月と期限が定められています(5節)。すなわち、この災害もすべて神の御支配のもとにあることが明らかにされています。またこれは、最終的な裁きではありません。 第六のラッパの吹奏によって、四人の天使が解き放たれます。その騎兵の数は二億です。その馬は「口からは火と煙と硫黄とを吐いて」おり、これらによって人間の三分の一が殺されます(17、18節)。地獄のような出来事が起こります。しかし、これらの災いにあっても、生き残った者は悔い改めませんでした(20節)。人間の恐るべき頑なさが示されています。人間は脅されても悔い改めることはありません。赦しがなければ、決して悔い改めることはできないのです。 【祈り】 主よ、イエス・キリストによる罪の赦しに感謝いたします。素直に悔い改めつつ歩ませてください。

  6. 4d ago

    神は御力によって歴史を支える(ヨハネの黙示録 8章)

    第一の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。 (ヨハネの黙示録8章7節) 小羊が第七の封印を開きます。これがきっかけとなって、七つのラッパ吹奏が続きます。8章には、第一から第四のラッパ吹奏と、その結果が記されています。 七つのラッパ吹奏には、七つの災害が伴います。これらの災害は、出エジプトの際に起こった十の災いを想起させます。第一のラッパ吹奏によって起きた災いは、「血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた」ことです。モーセが天に向かって杖を差し伸べると、主は雷と雹をくだされました(出エ9章23節)。 第二と第三のラッパに伴う災害は、海と川に関する災いです。これは、ナイル川の水が血に変ったことに関連します。第四のラッパに伴う災いは、太陽、月、星の三分の一が損なわれるというものです。これは、モーセが手を天に向けると三日間暗闇がエジプトを襲ったことに関連します(出エ10章21節)。 出エジプトにおける神の介入は、破壊を目指すものではなく、神の民を救うためのものでした。これらの災いも同じです。災害の背後に神の御手があり、それらをとおしてさえ、神は民を救いに導くことができます。神の力強い御手に信頼することが何より求められています。神こそが歴史を支えておられるお方です。 【祈り】 主よ、力強い御手によって歴史を支えておられるあなたに信頼します。

  7. 5d ago

    小羊の血はわたしの衣を白くする(ヨハネの黙示録 7章)

    「玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、 命の水の泉へ導き、 神が彼らの目から涙をことごとく ぬぐわれるからである。」 (ヨハネの黙示録7章17節) 最後の封印が開かれる前に、ヨハネは、一人の天使が「生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを」見ました(2節)。そして天使が、イスラエル各部族から一万二千人ずつ刻印を押していきます。その総数は十四万四千人でした。彼らは民族としてのイスラエルというより「真のイスラエル」、すなわち、イエス・キリストによって救いにあずかった人びとを指していると思われます。彼らは終末の苦難の時に、救いの先どりとしてしるしを受けた限定された人びとでした。 9節以下では、その限定がなくなります。ヨハネは「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆」を見ました(9節)。ここでは、決定的な終末における完全で普遍的な救いが述べられています。救いの完成の時です。その救いは「玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊」(10節)からのものです。 彼らの衣は、小羊の血によって洗われ、白くなっていました(14節)。罪によってどれほど汚れた人間の衣も、小羊の赤い血で洗われると雪のように白くなります。小羊の血、すなわち主イエスの十字架の血のみが私たちを罪から救います。そして私たちは、神によって目から涙をぬぐっていただけるのです。 【祈り】 主よ、主イエスの血によって、私の罪を清めてくださり感謝いたします。

  8. 6d ago

    すべての上に神の支配がある(ヨハネの黙示録 6章)

    その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。また、この者には大きな剣が与えられた。 (ヨハネの黙示録6章4節) 黙示録6章には、メシアである小羊が、六つの封印を開く記事が記されています。最初の四つの封印の開封には共通点があります。いずれも、生き物が「出て来い」と呼びかけ、その呼びかけに応じて、馬に乗った人が登場します。馬の色は、白、赤、黒、青白です。馬に乗った人物は皆、天上界から呼ばれて登場します。つまり、彼らによって起こる出来事もすべて、神の御支配の中にあるのです。 彼らによって何が起こるのでしょうか。「赤」は流血、暴力の象徴です。「黒」は悪と不正の象徴です。そして「青白」は「もえぎ色」と考えられますが「はかなさ」の象徴です。この第四の馬が現れたとき、これに乗る者の名は「死」と呼ばれ、陰府が従い、「彼らには、地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死をもって、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威が与えられ」ました(8節)。 世界は今も、さまざまな悪が横行しています。暴力、不正、死に圧倒されます。騎馬の描写はその様子を雄弁に描いています。しかし、この馬も騎手も神の支配のもとにあると聖書は語ります。すべての上に神の御支配があります。キリスト者はそれを知りつつ、現実に向き合うのです。神に信頼しつつ、主にあってなすべきことを果たすのです。 【祈り】 主よ、世界はあなたの御手の内にあります。どうかこの世界で、あなたの責任を果たさせてください。

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