リジョイス聖書日課

RCJメディアミニストリー

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

  1. Nov 2

    神の御手があなたを守り助ける(エズラ記 7章)

    エズラは、…モーセの律法に詳しい書記官であり、その神なる主の御手の加護を受けて、求めるものをすべて王から与えられていた。 (エズラ記7章6節) エルサレム神殿が再建された後、エズラがバビロンからエルサレムへ上ることになりました。エズラは神が与えてくださったモーセの律法に詳しい祭司であり書記官でした(6、11節)。 ペルシアの王アルタクセルクセス王はエズラに親書を送るほど信頼を寄せており、イスラエルの民の宗教生活についての責任と特権をエズラに与えました。親書の内容はイスラエルの民に対して好意的であり、全面的に支援する内容です。神殿への献げ物、神殿儀式に必要な祭具、生活に必要なものを十分提供することが約束されています。不足があれば国の費用から賄うことも許可されます。更に、祭司、レビ人、詠唱者、門衛、神殿の使用人など、神殿に仕える者たちに対する免税措置も約束されました(24節)。これらの待遇を得たエズラは、大きな見通しを得ながら、共に上る者たちを集めてエルサレムへと向かいます。そして、エルサレムに到着したエズラは、主の律法を研究しながら実行し、イスラエルの民に掟と法を教えました。 御言葉に親しんでいたエズラは、すべてに神の御手による守りがあったことに気づきました。そこから神に感謝し、御名をほめたたえることができたのです。 【祈り】 天の父なる神よ、御言葉からあなたの守りが常にあることに気づき、感謝できるようにしてください。

  2. 19h ago

    主は摂理的な働きにより民を導く(エズラ記 6章)

    ユダの長老たちは、…イスラエルの神の命令と、ペルシアの王キュロス、ダレイオス、アルタクセルクセスの命令によって建築を完了した。 (エズラ記6章14節) バビロン捕囚からエルサレムに帰還したイスラエルの民は、ペルシア王キュロスの命令にも助けられてエルサレム神殿の再建に取り組んでいました。しかし、その事業を快く思わない敵たちがエルサレム神殿再建の邪魔をし、工事を中断せざるを得なくなってしまったのです。さらに、ペルシアへの反乱が起こらないように警戒にあたっていた者たちにも目を付けられ、いよいよ神殿再建の道のりが遠のいていくようでした。 そのような時に、ペルシアへの反乱の警備にあたっていた者たちが、エルサレム神殿再建がペルシア王キュロスによる命令であったのかどうか、確認を要請してきました。そのときにペルシア王であったダレイオス王から、再度、正式にエルサレム神殿再建の許可が下りました。この正式な許可により、イスラエルの民は神殿再建を再開したのです。その期間には、預言者ハガイやゼカリヤからの言葉にも励まされました。イスラエルの民は、主なる神の命令、主に遣わされた預言者たちの言葉、さらにペルシアの王たちの判断も含めて、エルサレム神殿完成と神礼拝に必要な準備を整えることができたのです。 主はご自分の民が礼拝できるように、あらゆる領域に働きかけて礼拝する民を導いてくださるのです。 【祈り】 天の父なる神よ、一週間の旅路にある私たちを、再び神礼拝への場へと導いてください。

  3. 1d ago

    信仰のみ聖書のみ恵みのみ(テモテへの手紙二 3章14-17節)

    この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。 (テモテへの手紙二3章15節) 1517年10月31日、マルティン・ルターが「九十五箇条の提題」を提示したことから、宗教改革が始まったと伝えられています。 九十五箇条の提題の第一条にこうあります。「私たちの主であり師であるイエス・キリストが『悔改めよ…』といわれたとき、彼は信者の全生活が悔改めであることを望まれたのである」(『原典宗教改革史』)。悔い改めとは、御言葉によって神に立ち帰ることです。主イエスへの信仰によって心を神に向けることで、恵みとして罪の赦しが与えられます。 当時の教会では、教会が行う告解の秘蹟によって罪の赦しが与えられると教えられていました。そのため、事実上、聖書を超える権威が教会に認められていて、それが教会の腐敗の原因にもなっていました。宗教改革者たちは、聖書の権威に正しく服すよう、教会の改革に努めたのです。 宗教改革を受け継ぐとは、神の言葉によって絶えず改革され続けることです。私たちの周りには、経済力や武力が力であるとの言説があふれています。教会もいつの間にかその影響を受けてしまいます。私たちは、自分が誤りに陥る可能性のあるものであることを自戒し、神の御言葉のもとに自らを立たせます。聖書にこそ、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵があるからです。 【祈り】 あなたの御言葉を正しく理解し、心から従うことができますように。

  4. 2d ago

    裁きの谷と主の民の避けどころ(ヨエル書 4章)

    あなたたちは知るようになる。 わたしがあなたたちの神なる主であり わが聖なる山シオンに住む者であることを。 (ヨエル書4章17節) 主の民の繁栄を回復するその日、主は諸国の民をすべて集めて、「ヨシャファト(主の裁き)の谷」に連れていき、そこで裁かれる、とヨエルは告げます。歴史を振り返ると、力ある者が一方的な暴力によって勝利を手にしているように見えることがあります。しかし、主は苦しめられたご自分の民の叫びを決してお忘れにはなりません。捕囚による離散を経験した主の民にとって、それは大きな慰めでした。 主が裁きを行われるとき、「天も地も震える」とヨエルは記します(16節)。しかし同時に、主はご自分の民の避けどころとなられます。「主はシオンに住まわれる」という言葉で、ヨエル書全体は結ばれます(21節)。主の民にとって、主の日は神がその民と共におられる日であり、主の恵みが豊かに回復される姿が描かれます。 「主はシオンに住まわれる」という希望は、主イエス・キリストにおいて実現します。主はもはや神殿だけに住まわれるお方ではなく、聖霊によって主イエスを信じる者たちの中に住まわれることを、使徒ペトロは語りました(使2章)。それゆえ、主の日は恐れの日ではなく、主が共にいてくださる希望の日なのです。主の日の礼拝において、私たちはこの希望が示されているのです。 【祈り】 主の日に、私たちの避けどころとして、礼拝の中で希望を指し示してくださり、感謝いたします。

  5. 3d ago

    七十周年宣言 人を生かす命の道、神の愛(出エジプト記 20章12-13節)

    「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。殺してはならない。」 (出エジプト記20章12節~13節) 2011年に発生した東日本大震災と、それに伴う原発事故から五年後の2016年、「福音に生きる教会」と「善き生活」から成る「七十周年記念宣言」が告白されました。その時代的雰囲気を次の一文が端的に言い表しています。「それまで隠蔽されていたこの国と社会の深層を明るみに出すと同時に、命の犠牲の上に築いてきた近代文明社会の在り方そのものを根本的に問う出来事になった」。 その責任を教会もまた担うという決意のもと、「宣言」は全体を通して、「命」を語ります。その「命」を希求する言葉を聞いてみましょう。「真の羊飼いであるキリストは、あらゆる人を命の福音へと招いておられる」。「御父の心そのものである神の掟は、人を真に生かす命の道であり、造り主の愛の意志である」。「命はすべて神のものである。消え入りそうな人の命を救い、万物を更新するために主は来臨された。生きとし生けるものはみな、神の愛によってこそ光り輝く」。「各々に与えられた召しと賜物にしたがって主に仕え、完成をめざして共に命の道を歩み続けよう」。 人間を酷使し、命を軽んじる時代のなかになおあって、命を育む神の安息に生き、その回復のために働く教会の使命を今一度、覚えます。 【祈り】 「マラナ・タ(主よ、来てください)!ここに、わたしたちの生きる力と喜びは湧き上がる。栄光がただ神にあるように!」

  6. 4d ago

    主の名を呼ぶすべての者に注がれる霊(ヨエル書 3章)

    しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。 (ヨエル書3章5節) 預言者ヨエルは、悔い改めた神の民の回復の、その後についても語ります。すなわち神は、ただその民を慰めるだけではなく、ご自身に敵対する悪をそのままにされず、正しく向き合われるのです。 主の裁きの日、主はすべての人に聖霊が注がれることを約束されました。主の救いの御業には、何の分け隔てもありません。男女の差も、身分の差もなく、虐げられ、苦しみの中にある人びとにも、主は聖霊を注がれるのです。 主の日に現れるしるしを、ヨエルは「血と火と煙の柱である」と示します(3節)。人の血が流され、火が燃え上がり、煙が立ちのぼるような出来事。それは神がこの世界に沈黙しておられず、歴史の中に介入されるしるしとして語られています。しかし、「大いなる恐るべき日」と示されるその日に、主は同時に「主の御名を呼ぶ者は皆、救われる」と、神の民に対する救いの道を示されます。 聖霊に満たされた使徒ペトロは、この御言葉を引用し、主イエス・キリストの御業を証ししました(使2章17~21節)。主の日は、主の御名を呼ぶ者にとって、恐れの日ではなく、恵みの日となるのです。だからこそ、「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」なのです(2コリ6章2節)。 【祈り】 主よ、主イエス・キリストを通して、恵みの時、救いの日の喜びのうちに、私たちを生かしてください。

  7. 5d ago

    主なる神の慈しみに立ち帰る(ヨエル書 2章)

    あなたたちの神、主に立ち帰れ。 主は恵みに満ち、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに富み くだした災いを悔いられるからだ。 (ヨエル書2章13節) いなごや干ばつの災いのみならず、敵軍による破壊によって国が荒廃する現実を前に、預言者ヨエルは主の日の到来を「闇と暗黒の日」と言い表します(2節)。平和の秩序が損なわれ、不正や悪がはびこる時代にあって、私たちは、不安と恐れにさいなまれます。災いの中でも、主は主権をもって御業を実現されます。 しかし、恐れおののく主の民に、ヨエルは「今こそ、主に立ち帰れ」と呼びかけ、心からの悔い改めを、主の民に呼びかけるのです。打ち砕かれ、悔いる心を主は侮られません(詩51編19節)。 ヨエルは主が恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富んでおられることを主の民に示します。私たちが立ち帰るのは、神の慈しみです。神は、ご自分に心を向けて嘆く民を深く憐れまれました(18節)。そして救いのための雨と恵みの雨を増し加えられます(23節)。罪の赦しという恵みを受け取った主の民は、主への賛美へと促されます。 主なる神の慈しみに立ち帰る者に与えられるのは、主の御前に罪赦された者として生きる喜びです。十字架の光に照らされて、主の慈しみの中を歩んでいることを深く覚えたいと願います。 【祈り】 闇と暗黒の時代にあっても、慈しみと憐れみをもって臨まれるあなたのご支配に感謝いたします。

  8. 6d ago

    主の裁きが近づくときに天を仰ぐ(ヨエル書 1章)

    ああ、恐るべき日よ 主の日が近づく。 全能者による破滅の日が来る。 (ヨエル書1章15節) 思いがけない失敗や行き詰まりを覚えるときに、「天を仰ぐ」と表現することがあります。当たり前と思っていた日常生活や楽しみが、ある日突然失われる。そんなどうしようもない状況に直面したとき、私たちは天を仰ぎます。 「ヤハウェは神」を意味する名の預言者ヨエルは、未曾有の国難を前に、人びとが天を仰いで嘆く姿を描きます。いなごと干ばつという国の壊滅的な状況を、ヨエルは来たるべき「主の裁きの日」の前触れとしてとらえます。人の力を超えた災いを前に、私たちは無力です。主の裁きを前に、祭司たちは主の民に、神殿に集まり、神に立ち帰り、主に嘆きの祈りをささげるよう、呼びかけます(14節)。 全能者である主の裁きを前に、罪ある私たちは、憐れみを乞うほかありません。しかし、キリスト・イエスに結ばれている者にとって、主の日はもはや恐怖の日ではなく、救いの日です(ロマ8章1節)。十字架の御業によって、罪の赦しが成し遂げられたからです。天を仰いでささげられた嘆きの祈りに、主は確かに耳を傾けられます(詩116編参照)。 目まぐるしく変化する時代にあって、御言葉は主に立ち帰るよう、きょうも呼びかけています。 【祈り】 主よ、天を仰ぎ祈る私たちに、十字架によって応えてくださり、感謝いたします。

About

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

You Might Also Like