リジョイス聖書日課

RCJメディアミニストリー

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

  1. 4h ago

    あなたはメシア生ける神の子(詩編 16章13-20節)

    シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 (詩編16章16節) フィリポ・カイサリアの地方で、主は「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問われました。ペトロは、聖霊の導きによって「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。 この告白こそが真理であり、教会の不動の土台です。イエス・キリストは、単なる道徳の教師や預言者の一人ではありません。死に勝利し、今も生きてすべての創られたものを統治しておられる全能の神の御子です。 主イエスは、「この岩の上にわたしの教会を建てる」と約束なさいました。それゆえ陰府の力さえも、この恵みの場所に打ち勝つことはできません。 主はまた教会に「天の国の鍵」を託されました。福音の宣教によって罪の赦しを宣言し、神の国へと人びとを導き入れる特権が与えられました。 教会を建てるという働きは、私たちの熱心や人間の力をもっては決して成し遂げることはできません。世の中の価値観がどれほど激しく移り変わっても、他人がどう言おうとも、「あなたはメシア、生ける神の子です」と心から信じて告白する信仰によって建てられ、主に保たれます。 きょうもこの確信に立ち、主イエスの御名のみを誇りとして、世へと遣わされていきましょう。主は常にあなたと共におられ、あなたの告白を支えてくださいます。 【祈り】 あなたこそ救い主、生ける神の子です。この信仰の土台の上に、わたしの生涯と教会をお支えください。

  2. 1d ago

    わたしたちの神の家の庭に居並ぶ人々よ(詩編 135編)

    シオンから、主をたたえよ エルサレムにいます主を。 ハレルヤ。 (詩編135編21節) 詩編134編と135編は、表現と思想において深く結びついています。134編は、1節に「夜ごと、主の家にとどまる人々」とあり、夜に務めを果たす聖職者の姿を示し、135編は、2節に「わたしたちの神の家の庭に居並ぶ人々よ」とあり、聖所に集う礼拝者全体へと賛美の呼びかけが広がります。「都に上る歌」が締めくくられたあとも、聖所における賛美の光景は続いていくのです。 とくに詩人は、特定の場所に臨在される神、すなわち、「エルサレムにいます主」を固く信じていました。彼にとって、やがてその特定の場所にある神殿が廃止されることは想像できなかったでしょう。かつてのイスラエルの民は幕屋や神殿に臨在される神を仰ぎましたが、神殿が失われた後は、特定の場所を超えた「神の臨在」そのものにいっそう大きな意味を見いだすようになりました。 これは、現代の私たちが礼拝において「招きの言葉」に応え、心を一つにして神を賛美することに通じます。詩人が聖職者や礼拝者に求めたように、私たちもまた、主が今この場に臨在され、共におられることを信じて、賛美をささげるように招かれています。神は時代を超えて変わることなく、私たちのただ中に臨在し、ささげられる賛美に耳を傾けてくださるのです。 【祈り】 神の臨在を深く感じ、心からの賛美をささげることができますように。

  3. 2d ago

    主の力の下でへりくだって生きる(ダニエル書 5章)

    「ベルシャツァル王よ、あなたはその王子で、これらのことをよくご存じでありながら、なお、へりくだろうとはなさらなかった。」 (ダニエル書5章22節) バビロニア帝国のネブカドネツァル王の息子であるベルシャツァル王の時代に、王は盛大な宴会を開きました。宴会には、王の命令によって、バビロンがユダの神殿から奪い取った金や銀の器が運ばれました。そして、彼らはそれで酒を飲み、自分たちの神々を賛美し始めたというのです。 ここには、権力を握ったベルシャツァル王が、主なる神の前にどこまでも高ぶる姿があります。父であるネブカドネツァルには、まだ天の神をほめたたえる心が見られました(21節)。しかし、このベルシャツァル王は、いと高き神の支配を知りながらも、結果的に自らの心を低くすることがなかったのです。 主は、ここで王宮の白い壁に人の指で書かれた不思議な文字を通して、帝国が二つに分けられることを示されました。御前に高ぶるベルシャツァルの支配の終わりです。その文字は王を激しく動揺させるものとなり、主の裁きによって彼は殺され、その治世は終わることになったのです。 人がへりくだることは、難しいことです。王でなくとも、私たちも時に高ぶることがあります。人は、自分自身でへりくだることはできません。ただ力ある神のもとで、自ら低くなられたイエス・キリストに倣うときに、へりくだって、神を神とすることが許されているのです。 【祈り】 私たちがあなたの前にへりくだり、ただあなたを喜ぶ者にしてください。

  4. 3d ago

    この世界で賛美されるべき神(ダニエル書 4章)

    それゆえ、わたしネブカドネツァルは天の王をほめたたえ、あがめ、賛美する。その御業はまこと、その道は正しく、驕る者を倒される。 (ダニエル書4章34節) バビロン帝国で繁栄を極めていたネブカドネツァル王は、一つの幻を見せられました。既に彼は、自らの王国に関する夢を見ましたが(2章)、ここでも自分についての一本の木の幻を見ることになります。 幻に出てくる一本の木は、王自身を指し示します。その木は天に届くほど高く、地のどこからもそれが見え、その葉は美しく、実も豊かで、野の獣と空の鳥がその下で養われるほどのものでした。当時のバビロンには、それほどの力がありました。 しかし、それほどの大きな木が切り倒され、その葉や実も取り去られて、ただ切り株だけが残るとの悲惨な姿が幻によって示されたのです。それは、主から与えられた知恵によってこの幻を王に解き明かしたダニエルも、動揺するほどのものでした。 この箇所が明らかにすることは、どのような地上の王国も、王もその力も、すべてはいと高き神の支配の下にあることです(14節)。この方こそが、地上の王国の支配を誰にでも自由に与えることのできるお方です。 この章の最後でネブカドネツァル王は、すべてのものをご自身の下に置く、いと高き神の永遠の支配をほめたたえました。この世界にあって、この方のみが、私たちがあがめ、賛美すべき唯一のお方です。 【祈り】 私たちの生きる世界が、目に見えないあなたの真実の支配の下にあることを覚えさせてください。

  5. 4d ago

    私たちを救うことのできる神を信じる(ダニエル書 3章)

    「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。」 (ダニエル書3章17節) バビロン帝国で頂点を極めたネブカドネツァル王は、高さ三十メートル近くに及ぶ巨大な金の像を造り、これを全住民が拝むことを強制しました。そうしなければ命はない、との絶対的な命令です。 しかし、このバビロンで主なる神を拝んでいたユダヤ人、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は、この命令を受け入れず、決して像を拝もうとはしませんでした。 彼らの中にあったのは、自分たちの仕える主なる神は、たとえ燃え盛る炉や王の手からも自分たちを救うことができるとの救いの神への確信でした。さらに、たとえ炉の中から救われることがなくても、自分たちは像を拝まないとの絶対的な姿勢を貫いたのです(18節)。信じたとおりに、彼らは主なる神の遣わされた御使いによって、全く傷を受けずに救い出されました。 この三人を通して明らかにされたのは、私たち一人ひとりが救いの神を、真実に信じる歩みです。この生涯の中で、たとえどのような危険の中にあっても、この方に自分の救いがある。そのような信仰こそ、私たちの歩みを強めるものです。きょうも、救い主イエス・キリストを遣わされた神を真実に喜び、信じる歩みが私たちに備えられています。 【祈り】 私たちがこの生涯でどのような危険にあっても、救いの神であるあなたを信じさせてください。

  6. 5d ago

    この世で真の力を持つ神を見る(ダニエル書 2章)

    「神の御名をたたえよ、世々とこしえに。知恵と力は神のもの。」 (ダニエル書2章20節) ダニエル書の舞台は、イスラエルの主だった民が捕らえ移された先のバビロン帝国です。当時、権力の絶頂にあったバビロンの王ネブカドネツァルは、ある夜、いくつかの夢を見ました。その夢について、王国の賢者たちは何もできませんでしたが、神によって夢や幻を理解することの許されたダニエルは(1章17節)、ここで王の夢を明らかにし、その夢を解き明かすことに用いられます。 ネブカドネツァル王が見た像の夢は、この後の世界の帝国の攻防を示す恐るべき夢でした。この像の金の頭はバビロンを指しますが、その後に興る国々については、ダニエル書にもその名が出てくるメディアやペルシア、ギリシアといった国々が考えられます。王が見た夢は、自らの帝国の滅亡さえ示される、国同士の激しい争いを指すものでした。 しかし、きょうの箇所は、ただの地上の王国の戦いを述べたいのではありません。国同士の戦いの後、終わりの日に明らかにされる永遠の神の国が明らかにされています(44節)。地上の国はあくまでも神の力の下にあり、神こそ王を退け、また立てられるのです(21節)。 今も、世界の力ある国々による戦争が続く中で、私たちは、真実に力を持っておられる神に立ち帰りたいと思います。 【祈り】 この世界で、真実に力あるあなたを信じることができますように。

  7. 6d ago

    目で見ず心で悟らず立ち帰らない(ダニエル書 1章)

    神の御計らいによって、侍従長はダニエルに好意を示し、親切にした。 (ダニエル書1章9節) ダニエル書は、旧約聖書の中でも、最も遅い時代に書かれた書物の一つです。 イスラエルの民が主に背いたことで、主の怒りによってユダ王国は滅亡し、主はユダの王や神殿をバビロンの手に渡されました。ダニエルは、そのバビロンに連れて行かれた捕囚の民の一人です。 このバビロンの支配下で、捕囚の民であるダニエルらはその国の文学と言葉を学び、バビロンの名前がそれぞれに付けられます。そして、彼らには王のご馳走が与えられ、バビロンに仕える者になるための養育が行われることになるのです。もはや、主なる神に仕える歩みが失われてしまったようにも見えます。 しかし、このバビロンという強大な王国の中でも、そこに貫かれているのは主の御計らい(直訳は「恵みと憐れみ」)なのです(9節)。確かな主の恵みの中で、ダニエルには主からの知恵と知識が与えられ、この王国で主なる神に仕えるための道が開かれていきます。 私たちの目の前にも、主なる神を見失わせる厳しい現実があるかもしれません。しかし、そこに貫かれている主の恵みの支配が今日もあることを覚えたいと思います。その幸いが一人ひとりに備えられています。 【祈り】 困難な状況の中にあっても、きょうもあなたの恵みと憐れみに信頼して歩ませてください。

  8. Aug 16

    異邦の地にも注がれる広大な恵み(マタイによる福音書 15章21-38節)

    そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」 (マタイによる福音書15章28節) 主イエスは異邦の地であるティルスとシドンの地方で、娘のいやしを願うカナンの女と出会われます。主の沈黙や厳しい拒絶の言葉に直面しても、彼女は「食卓から落ちるパン屑」でも十分だと食い下がりました。主はその大胆な信仰を「立派だ」と賞賛し、願いを叶えられました。それに続いて、主イエスは大勢の足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人といった多くの病人をいやされました。さらには、四千人の人々をパンと小さい魚で養われました。これらもまた、異邦人が多く住む地での出来事です。 これらの物語は、救いの恵みがイスラエルの枠を超え、全世界の民に開かれていることを示しています。主は特定の民だけでなく、すべての人に憐れみを注がれるお方です。 私たちもイスラエルからすれば異邦人ですが、主の主権的な慈しみによって、命の食卓に招かれました。主は決して人を差別せず、ただご自分を求める者に豊かなパンを与えられます。どれほど自分が不釣り合いだと感じても、主の憐れみはあなたを拒みません。主は四千人を養われたときのように、今もあなたの必要を知り、最高の形で満たしてくださいます。この広大な愛に留まり、主の慈しみを大胆に求めて歩みましょう。 【祈り】 わたしのような者にも恵みの食卓を分かち合ってくださり感謝します。あなたの深い憐れみに依り頼みます。

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