リジョイス聖書日課

RCJメディアミニストリー

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

  1. Jun 30

    シュネムの女性に対する神の恵み(列王記下 4章)

    すると彼女は言った。「わたしがあなたに子供を求めたことがありましょうか。わたしを欺かないでくださいと申し上げたではありませんか。」 (列王記下4章28節) 預言者エリシャは、さまざまな人たちと交流を持っていました。貧しい人も裕福な人も、男も女もですが、預言者としての働きもその人びとの中でなされます。4章には比較的長く述べられる奇跡が二つと、短くまとめられたものが三つあります。 第一の油の奇跡が有名ですが、今回は第二の奇跡を見てみましょう。シュネムにいた裕福な女性がエリシャのために休憩場所を提供しました。何か求めるものがあるかなと思ったエリシャが尋ねると、「何不足なく暮らしている」という返事です。けれども、子どもがいないことが分かり、彼女に「来年の今ごろ、あなたは男の子を抱いている」と告げました。そのとおりになりましたが、その子どもが急死してしまいます。彼女は夫にも知らせず、五十キロも離れた所にいるエリシャのもとに急いで行き、言いました。「わたしがあなたに子供を求めたことがありましょうか」。 感情が高ぶっていますから、言葉も激しいのですが、彼女の態度は常に一つです。エリシャだけが解決できるという、預言者の権威を正しく認めていてこその態度です。また、「主は生きておられ」ますと言って、主に依り頼みます。彼女の名前もわかりませんが、見倣うところのある信仰の持ち主だったと言えます。 【祈り】 生ける神よ。私たちが絶望に近い思いになるときも、どうかあなたの解決に委ねられますように。

  2. Jun 29

    四十周年宣言神の言葉を託された教会(ローマの信徒への手紙 10章5-21節)

    実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。 (ローマの信徒への手紙10章17節) 新信条の作成は、「我等ノ言葉ヲ以テ」と「創立宣言」に明記されて以来の私たちの教会の悲願です。「四十周年記念宣言(以下、「宣言」)」はそのための具体的な一歩を踏み出しました。『ウェストミンスター信仰告白』第1章「聖書について」に応答し、「聖書について」、「聖霊について」、「福音の宣教について」からなる「信仰の宣言」が作成されました。そのような「信仰の宣言」を積み重ねていく先に新信条作成の幻を見たのでした。 「宣言」は、「旧新約聖書はそこにおいて神が、み子イエス・キリストを通し、みたまによって、私たちに今語っておられる、神の生けるみ言葉であり、信仰と生活の唯一の誤りなき基準である」と告白します。聖書を「神の生けるみ言葉」として聞くとき、その言葉を託された教会のあり方が問われもします。「真の教会は、…キリストの権威あるみ声にのみ、常に全き信頼をもって聞き従い、それに対してみずから主となることをせず、またほかの人々の声に耳を貸すことをしない」。教会は聖書から「熱心に真理」を探り、「信仰と愛をもって受け入れ」、そこから応答の歩みをなします。祈りをもって学び、語り、神が民を招き、「主の再び来られるのを待ち望」みます。そのように、「宣言」は「聖書」を告白し、「聖書」を委ねられた教会を告白しています。 【祈り】 「アーメン。造り主なるみたまよ、来たりませ。」

  3. Jun 28

    剣をもたらすために来られたキリスト(マタイによる福音書 10章34-42節)

    「わたしよりも父や母を愛する者…息子や娘を愛する者…また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。」 (マタイによる福音書10章37節~38節) 主イエス・キリストは、平和ではなく、まず剣をもたらすために来られました。ミカ書7章を引用して、私たちの家族、父や母、息子、娘が、キリストへの信仰のゆえに、敵対することを告げられます。また、自分自身の自己愛にも剣を投げ込まれます。 主イエスは、御自身よりも家族を愛し、自分を愛する者は、わたしにはふさわしくない、と言われます。それは、家族関係が罪と腐敗という古さにあるならば、そこに死ぬこと。また、自分の十字架を担って、キリストのあとに従うこと。そのあとに、剣の破れが修復され、キリストにある、真の命と平和にあずかることができます。 キリストに従って、神の国の福音を宣べ伝える預言者、正しい者、弟子をキリストの名のゆえに受け入れる者は、主イエスを受け入れたことになります。主イエスを受け入れる人は、遣わされた天の父なる神を受け入れる、光栄と特権が与えられます。 小さき者である伝道者を助けて、水一杯でも飲ませ、世話をし、支援する者となるならば、必ず報いがあると、主は励ましてくださいます。伝道者と伝道された者とが、キリストにある新しい家族となって形づくられ、育てられます。こうして神の国にふさわしい者が、神の家族となって、その報いと慰めにあずかります。 【祈り】 古い家族に死に、自分に死んで、キリストに従い、伝道を通して、新しい神の家族にあずからせてください。

  4. Jun 27

    シオンから主が祝福してくださるように(詩編 128編)

    シオンから 主があなたを祝福してくださるように。 (詩編128編5節) 「いかに幸いなことか、主を畏れ、主の道に歩む人よ」とあり、主の道に歩む人の幸いが歌われています(1節)。そこで幸いとして挙げられるのは、自分の手で労して得たものがすべて自分の食べ物となること、妻や食卓を囲む子ら、子孫がいることです(2、3、6節)。特別なことではなく、当たり前のことにも思えます。 しかし、エジプトで奴隷だったイスラエルの人びとにとって、自分の手で労して得たものがすべて自分のものとなるとは、決して当たり前ではありませんでした。家族が一緒に食卓を囲むことも決して当たり前ではなく、たとえばイサクの二人の息子、エサウとヤコブは仲違いし、ヤコブは家を飛び出してしまいました。信仰者の家族であっても理想的な家族でいられるわけではありません。 私たちの現実は、詩編の描く光景から遠く、痛みと破れを抱えたものだと言えるでしょう。いったいどうしたら、ここに描かれる幸いを得ることができるのでしょうか。 「シオンから、主があなたを祝福してくださるように」。祝福はシオンから来ます。シオン、すなわちエルサレムで十字架にかけられた主イエスから来るのです。十字架によって平和の礎を築かれた主が、本当は当たり前の幸いを真に実現してくださいます。主の平和の実現を祈ります。 【祈り】 主よ、私たちの家庭に、家族に、あなたの平和を成し遂げてください。

  5. Jun 26

    風もなく雨もないのに水が溢れる(列王記下 3章)

    「主がこう言われるからである。『風もなく、雨もないのに、この涸れ谷に水が溢れ、あなたたちは家畜や荷役の動物と共にそれを飲む。』」 (列王記下3章17節) 北イスラエルのアハブ王の死は、モアブにとってイスラエルの支配から逃れる絶好の機会でした。それでモアブが反旗を翻しました。アハブを継いだアハズヤ王が死に、北イスラエルの王となったヨラムは南ユダのヨシャファト王に、連合してモアブを討伐することを持ちかけます。 しかし、「エドムの荒れ野の道」で難渋し、特に飲料水の不足が問題となります。信仰深いヨシャファトは神の導きをいただくために主の預言者を求め、彼らはエリシャを訪ねます。エリシャのヨラム王に対する冷たい態度に驚きますが、それはヨラムの不信仰な姿を反映しているでしょう。エリシャはヨシャファト王への敬意から神の言葉を伝えます。涸れ谷に次々と堀を造りなさい。すると周りが水でいっぱいになると。 そのとおり、翌朝、周りは水でいっぱいになります。その溜まった水を太陽が照らし、遠くから見ると血のようで、同士討ちが起こったと勘違いしたのでしょう。モアブがイスラエルの陣営に突入しますが、イスラエルが迎え撃ち、勝利しました。 エリシャが言うとおりでしたが、しかしヨラム王の思惑どおりではありません。主なる神は、不信仰な王をも自然をも支配し用いて、ご自分の民を導いておられます。この絶妙なはからいをなさる神を信じましょう。 【祈り】 生ける神よ。あなたの不思議な導きとご支配を信頼できますように。

  6. Jun 25

    神の霊を受け継いだエリシャ(列王記下 2章)

    エリシャは、「あなたの霊の二つの分をわたしに受け継がせてください」と言った。 (列王記下2章9節) エリヤの付き人として預言者教育を受けていたエリシャは、「あなたの霊の二つの分をわたしに受け継がせてください」とエリヤに願いました。長男は他の兄弟の倍を受け継ぐと律法で定められていて、わたしを後継者にしてくださいという意味です。 これはエリヤの一存で決まることではありません。エリシャが非常に熱心で、エリヤのそばを離れなかったことが何度も書き留められます。しかし、「預言者の仲間五十人」とあり(7節)、誰が後継者になっても不思議はなかったのでしょう。単に熱心があるだけではいけません。主が遣わされる、はっきりしたしるしが必要です。それでエリヤは、「わたしがあなたのもとから取り去られるのをあなたが見れば、願いはかなえられる。もし見なければ、願いはかなえられない」と答えます(10節)。 エリシャの目の前で火の戦車が現れ、エリヤが天に上って行きます。その後、エリシャは、水を打つと水が左右に分かれて渡ることができるなど、不思議な奇跡を行うようになり、預言者の仲間たちからエリヤの後継者として認められました。 異教が広がり、霊的に底を打つほどに低下していた時代です。その中でも、主が不思議な出来事をとおして、後継者を立ててくださいました。主が神の民を導いておられます。 【祈り】 生ける神よ。ご自分の民を守り導く、愛と慈しみに感謝いたします。

  7. Jun 24

    御言葉を求めるのはどなたにか(列王記下 1章)

    「『あなたはエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして人を遣わすが、イスラエルには神がいないとでも言うのか。』」 (列王記下1章6節) アハズヤ王はアハブ王の子で、北イスラエル王国を治めていました。「屋上の部屋の欄干」は当時の流行であった細かい編み目のある木の柵です。涼しい風は入りますが強風は通しません。そこからなぜ落ちたのかは分かりませんが、再起の見通しが立たない重傷であったようです。 未来を知りたくなった王は、こともあろうにペリシテのエクロンという町のバアル・ゼブブに伺いを立てます。直訳すると「蝿の神」です。「主なる君」を意味するバアル・ゼブルが本来の名と思われますが、侮蔑して言い換えているのでしょう。アハズヤは父アハブの不信仰を受け継いでいて、求める相手を間違えたのです。 主の御使いに命じられ、預言者エリヤがアハズヤの使者を帰らせます。それでアハズヤはエリヤを捕らえようとします。第一陣、第二陣は失敗します。隊長が高飛車で、神よりも王の命令を上にしていて、それが裁きを招きます。求め方を間違ったのです。へりくだった第三陣には、そのような裁きはくだりませんでした。 アハズヤの姿は、神を見失った霊的な暗さを示しています。御言葉が与えられ、取り継ぐ預言者がいながら、神を見失い、道を見失うのは最悪です。謙そんに主の御声に耳を傾けて歩みましょう。 【祈り】 生ける神よ。どうかわたしの心を照らし、求めるお方と方法を誤らないようにしてください。

  8. Jun 23

    羊のために命を捨てる羊飼い(ヨハネによる福音書 10章)

    「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」 (ヨハネによる福音書10章11節) 10章には、ヨハネによる福音書に特徴的な主イエスの七つの「エゴー・エイミ(わたしは~である)」聖句のうちの二つがあります。7節・9節「わたしは羊の門である」と11節・14節の「わたしは良い羊飼いである」の二つです。 草や水を求めて山野を歩き回る羊は、夜には羊飼いに導かれて囲いの中に入ります。囲いの中に入れば安全であり、羊は安息を得ます。羊は、囲いに入るときも、翌朝、囲いから出る時も必ず門を通ります。門を通って牧草地に行き、門を通って安息を得るのです。そのように、私たちは主イエスを通って生活し、罪の赦しと永遠の命を得るのです。 主イエスは「わたしは良い羊飼いである、良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と言われます。「命を捨てる」とは、命を惜しむことなく羊を守り養うことです。主イエスは、私たちの罪を赦し、命を与えるために十字架にお架かりになり、三日目によみがえられました。 羊飼い出身のイスラエルの王ダビデは、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」(詩編23編1節)と歌いました。死んでよみがえり、今、生きておられる主イエスと結ばれ、主イエスに依り頼んで生きるとき、私たちの救いは確かです。 【祈り】 主よ、あなたが羊のために命を捨てる良き羊飼いでいてくださることに感謝します。

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