われらの哲学 レオンラジオ 楠元純一郎

Leo_楠元纯一郎

leonradio われらの哲学 ラッセル(Russell)哲学研究会メンバー 松尾欣治(会長)王前 冯宪中 张红  福留邦浩(2021年2月3日~) 楠元純一郎 尹乐(レオー)  オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」 エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」 作詞作曲 楠元純一郎 編曲 山之内馨  会長 松尾欣治: 新型コロナウイルス(covid-19)が世界中で猛威をふるう最中に、わたしたちの「Society基盤教育Pandora」は発足しました。  今は、“Stay home !”。感染拡大を防ぐために学校、大学にも行くことができません。いったい、どうしたらいいのでしょうか?  日本では教育の改革が進み、この4月からは、小学校でも英語教育が始まることになっていました。出鼻をくじかれ、学校は休校となってしまいました。  なぜ、小学校から英語教育なのか?  いままでは、中学校から学び始めましたが、中学校、高校、大学でも英語を学びながら、生徒、学生は英語が苦手の人が、ほとんどです。卒業して社会人になっても英語の苦手意識は消えません。  英語にかぎらず語学教育は、早期教育が大事で、中学校からでは遅いのではないか。そこに原因を求めるならば、小学校から英語教育を開始すれば、英語を苦手とする生徒、学生は減るでしょう。  この推論は間違っています。この苦手意識は、英語ばかりではなく、数学、歴史、国語、得意科目以外にも働いて、勉強嫌いを増やし、楽しいはずの学校が行くのさえツラい場所になっている、そういう児童、生徒も多い。語学の早期教育では、この問題は解決しないのです。  この問題を解決するもの、それがこの「Society 5.0 基盤教育Pandora」なのです。この「Society 5.0基盤教育Pandora」は小学校の高学年から参加可能です。いや、参加していただきたい。哲学なんで苦手、というお母さんにも参加していただきたい。  いまや、中国語、英語、日本語の三つの言葉は、できないでは済まなくなりつつあります。すると、否応なく、この「Society 5.0基盤教育Pandora」になります。  ラッセルの『哲学の諸問題』の英語は、受験英語の最高峰とも言われています。その章立て、構成も見事です。数学者としても卓越した才能の持ち主ですが、文章家としても優れていて、その才能はノーベル文学賞に輝いています。  わたしたちの「Society 5.0基盤教育Pandora」が、ラッセルの『哲学の諸問題』を選んだのは、そのためです。百年前、北京大学がラッセルを招聘したのも、そういうことだったのではないでしょうか。  日本では、学習指導要領が改訂され、この4月から小学校でも英語教育が始まりました。今回の改訂は従来の暗記型教育から思考型へと転換し、主体的、対話的な深い学びを目指しています。  ラッセルの『哲学の諸問題』には暗記すべきことがなく、問題が、なぜ問題なのか?を明らかにしつつ、次の問題へと続き展開します。暗記力ではなく、思考力が働いて、物事の大事な奥深いところには何があるのか、またはないのか?こういう問題を論理的に考える。すると、どういうことが起こるのでしょうか?日本の教育では未知の世界です。  さあ、その未知の世界への扉を開けて、みんなで思考の世界で遊びましょう!

  1. Oct 6

    われらのラッセル我们的罗素哲学226(第1章第10段落③)

    <レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 20261006通算226回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第10段落③ Op.「水魚の交わり」、Ed.「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 )司会 楠元純一郎(東洋大学教授・法学者・クスモン) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師・レオ君) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師・日の出仙人)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士・かっか)畠山果成(キャナル君)。前回収録2020812 <<レオンラジオ日の出アクセス総数44.4万回突破!>> It is plain that if we are to know anything about the table, it must be by means of the sense-data -- brown colour, oblong shape, smoothness, etc. -- which we associate with the table; but, for the reasons which have been given, we cannot say that the table is the sense-data, or even that the sense-data are directly properties of the table. もし我々がテーブルについてなにか知ろうとするならば、茶色で、長方形で、なめらかである等の、我々がテーブルと関連づけるセンスデータによるものであるにちがいないということは明らかである。しかしこれま述べたいくつかの理由から、そのテーブルはセンスデータであるということはできず、それどころか、そのセンスデータは直接的に、テーブルの性質(本質)であるということすらいうことができないのである。 it that構文、be to構文 (可能、予定、運命、意志、義務) 很明显,如果我们想知道关于桌子的任何事,就必须借助于我们与桌子相关的感觉数据——棕色、长方形、平滑度等。但是,我们并不能因为上述的理由,就说桌子就是一系列的感觉数据,或者直接说这些感觉数据就是这桌子的性质。 这里的plain是明显的意思!by means of 用,依靠 Thus a problem arises as to the relation of the sense-data to the real table, supposing there is such a thing. このように、そのような本当のテーブル(そのようなものがあると仮定すれば)とセンスデータとの関係において、ある問題が生じるのである。 于是,假设有这样一张真实的桌子,关于感觉数据和这桌子的关系,一个问题产生了。

    われらのラッセル我们的罗素哲学226(第1章第10段落③)
  2. Sep 15

    われらのラッセル我们的罗素哲学224(第1章第10段落①)

    <レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 20260915通算224回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第10段落① Op.「水魚の交わり」、Ed.「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 ) 司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(CUC中国語専攻・Kakehashi Studio社長)。前回収録2020812 <<レオンラジオ日の出アクセス総数42.6万回突破!>> It will help us in considering these questions to have a few simple terms of which the meaning is definite and clear. その意味が明確ないくつかの簡単な用語があれば、これらの問題を検討するのに役立つだろう。 it to 構文 有几个意思明确的简单术语,有助于我们去考虑这些问题。 it作为形式主语,将真正的主语(从句)放在后边。 Let us give the name of 'sense-data' to the things that are immediately known in sensation: such things as colours, sounds, smells, hardnesses, roughnesses, and so on. 感覚で直接知られるもの、つまり、色、音、匂い、硬さ、肌理(きめ)の粗さなどのようなものに、「センスデータ(感覚与件)」と名づけることにしよう。 让我们将那些通过感官直接获得的“东西”命名为“感觉数据”:例如颜色,声响,气味,硬度,粗糙程度等。 We shall give the name 'sensation' to the experience of being immediately aware of these things. 我々は、これらのものについて直接知っている経験を「感覚」と名づけることとしよう。 我们把直接意识到这些感觉数据的经验,赋名为“感觉”。 Thus, whenever we see a colour, we have a sensation of the colour, but the colour itself is a sense-datum, not a sensation. かくして、我々がある色を見るときはいつでも、その色についての感覚を有するが、しかし、色それ自体はセンスデータであって感覚ではない。 data複数形 datum dataの単数形 于是,每当我们看到一种颜色,我们就有了这个颜色的“感觉”,但这个颜色本身是一种“感觉数据”,而并不是一种感觉。

    われらのラッセル我们的罗素哲学224(第1章第10段落①)
  3. Sep 15

    われらのラッセル我们的罗素哲学223(第1章第9段落)

    <レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 20260908通算223回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第9段落 Op.「水魚の交わり」、Ed.「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 ) 司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(CUC中国語専攻・Kakehashi Studio社長)。前回収録2020803 <<レオンラジオ日の出アクセス総数42.5万回突破!>> Thus it becomes evident that the real table, if there is one, is not the same as what we immediately experience by sight or touch or hearing. このように、その本当のテーブルが、もし一つだけ存在しているとして、我々が視覚または触覚または聴覚によって直接体験するものとは同じではないということが明らかになる。 所以事情就很清楚了,如果存在有一张“真实的桌子”,那么它也和我们通过视觉,触觉和听觉所直接感受到的桌子是不一样的。 The real table, if there is one, is not immediately known to us at all, but must be an inference from what is immediately known. その本当のテーブルは、もし一つだけ存在しているとして、我々にはまったく直接知られることはないが、直接知られているものから推論されねばならないのである。 如果存在有一张“真实的桌子”,它并不为我们所直接认知,而是经由我们的直接认知而推论得出的结果。 Hence, two very difficult questions at once arise; namely, (1) Is there a real table at all? (2) If so, what sort of object can it be?  したがって、二つの非常に難解な問題がただちに生ずる。つまり、 (1)いったい本当のテーブルは存在しているのか? (2)もし存在しているとすれば、それはどんな対象でありうるのだろうか? 由此,会同时出现两个非常困难的问题,即: (1)是否存在“真实的桌子”? (2)如果存在,它会是什么样的对象?

    われらのラッセル我们的罗素哲学223(第1章第9段落)
  4. Aug 27

    われらのラッセル我们的罗素哲学222(第1章第8段落)

    <レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 20260811通算222回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第8段落 Op.「水魚の交わり」、Ed.「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 ) 司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(CUC中国語専攻・Kakehashi Studio社長)。前回収録20200729 <<レオンラジオ日の出アクセス総数41.6万回突破!>> Similar difficulties arise when we consider the sense of touch. 我々が触覚について考えるときに、同様の問題が生じる。 当我们谈及触感时也会有同样的问题。 It is true that the table always gives us a sensation of hardness, and we feel that it resists pressure. テーブルはいつも我々に硬さの感覚を与えるのは事実であり、そして、我々はそれが圧力に抵抗していることを感じている。 的确桌子总是会给我们以坚硬的感觉,我们觉得它可以抵抗压力。 But the sensation we obtain depends upon how hard we press the table and also upon what part of the body we press with; thus the various sensations due to various pressures or various parts of the body cannot be supposed to reveal directly any definite property of the table, but at most to besigns of some property which perhaps causes all the sensations, but is not actually apparent in any of them. しかし、我々が得る感覚は、そのテーブルをどれほど強く押すか、また身体のどの部分で押すかにかかっている。したがって、様々な圧力または身体の様々な部分による様々な感覚は、そのテーブルのある特定の性質を直接明らかにすることはできず、せいぜい、おそらくあらゆる感覚を引き起こすある性質のサイン(記号)にすぎないように思われるが、しかし、テーブルの特定の性質は、そのような感覚のいずれにおいても、実際には明らかではない。 be supposed to ~と思われる at most せいぜい 「要するに触覚も、物の性質を特定するのに必ずしもあてにならない。」 但是我们获得的这种感觉取决于我们用多大的力道和身体哪个部位按压桌子;于是通过不同的按压桌子的力道和身体部位而产生的不同的感觉并不能直接揭示桌子的任何确定的性质,而至多是某种性质的符号,这种性质才引发了所有上述这些的感觉,但是这些感觉无论哪个都不是明确的。 depend on(upon) 取决于 And the same applies still more obviously to the sounds which can be elicited by rapping the table.  そして同様のことが、そのテーブルを叩くことによって引き出されうる音にも、より明確に当てはまる。 同样的情况也更明显地适用于敲击桌子所发出的声音。 elicit v. 引出,这里指的是我们敲打桌子的结果是“使得桌子发出声音”

    われらのラッセル我们的罗素哲学222(第1章第8段落)
  5. Aug 27

    われらのラッセル我们的罗素哲学221(第1章第7段落②)

    レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 20260728通算221回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第7段落② Op.「水魚の交わり」、Ed.「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 ) 司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(CUC中国語専攻・Kakehashi Studio社長)。 <<レオンラジオ日の出アクセス総数41万回突破!>> All these things are not commonly noticed in looking at a table, because experience has taught us to construct the 'real' shape from the apparent shape, and the 'real' shape is what interests us as practical men. テーブルを見るときには、普通これらのことはすべて気づかない。なぜならば、目に見えている形から「真実の」形を作り上げるよう経験が我々に教えてきたからであり、そして、その「真実の形」こそが、実用的な人としての我々の関心を引くものだからである。 所有这些事情在我们观察一张桌子的时候都不太会被注意,因为经验教我们从表面的形状构造出“真实”的形状,而这“真实”的形状才能引起作为实干家的我们的兴趣。 But the 'real' shape is not what we see; it is something inferred from what we see. しかし「真実の」形は我々が見ているものではない。それは我々が見ているものから推測されるものである。 但是“真实”的形状并不是我们的所见;它只是我们从我们的所见当中推断出来的。 infer v. 推断,推理得出,暗指 (无论是现在分词,过去式,都要双写r!) And what we see is constantly changing in shape as we move about the room; so that here again the senses seem not to give us the truth about the table itself, but only about the appearance of the table.  そして、我々が見ているものは、我々が部屋の中を移動するにつれて常にその形を変え続けているのである。そのため、ここでもまたその感覚はテーブルそれ自体の真実の姿ではなく、テーブルの表相しか我々に示してくれないようである。 而且当我们在房间里走动时,我们所见的桌子形状也会不断地变化;这再一次说明,感觉似乎并未告诉我们关于桌子本身的真相,而只是桌子的表象。

    われらのラッセル我们的罗素哲学221(第1章第7段落②)
  6. Aug 27

    われらのラッセル我们的罗素哲学220(第1章第7段落①)

    レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 202600723通算220回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第7段落① Op.「水魚の交わり」、Ed.「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 ) 司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(CUC中国語専攻・Kakehashi Studio社長)。 <<レオンラジオ日の出アクセス総数40万回突破(408564)>> The shape of the table is no better. そのテーブルの形に関しても状況はよくならない(見る視点によって見え方が変わるということ)。  从桌子的形状来看,情况也没有好到哪里去。 We are all in the habit of judging as to the 'real' shapes of things, and we do this so unreflectingly that we come to think we actually see the real shapes. 我々にはみな、物の「真実の」形について判断する習慣がある。そして我々は、あまりにも無分別にその判断を行うので、実際に真実の形を見ているものと考えるようになる。 我们都习惯于判断物体“真正”的形状。我们如此下意识地这样做,以致于我们倾向于认为我们看到的是事物真正的形状。 But, in fact, as we all have to learn if we try to draw, a given thing looks different in shape from every different point of view. しかし、実際、我々が絵を描こうとするときに我々がみな知っておかねばならないように、所与の物(五感でとえている物)は、異なった視点からは、すべて形が異なって見える。 但事实上,正如我们尝试画画时必须学会的事情一样,在不同的视点观察一个既有的物品时,它的形状看起来是不一样的。 If our table is 'really' rectangular, it will look, from almost all points of view, as if it had two acute angles and two obtuse angles. もし我々のテーブルが「本当に」長方形であるならば、ほとんどすべての視点から、あたかもそれには二つの鋭角と二つの鈍角があるように見えるであろう。 acute 鋭角、obtuse 鈍角 如果我们的桌子“真的”是长方形,那么几乎从所有的视点来看,它都会呈现出两个锐角和两个钝角。 If opposite sides are parallel, they will look as if they converged to a point away from the spectator; if they are of equal length, they will look as if the nearer side were longer. もし、テーブルの向かい合う二辺(対辺)が平行であるならば、観察者からは遠ざかる方向にその二辺(対辺)が一点に収斂していくように見え、その二辺が同じ長さであるならば、より近い方の辺がより長く見えるだろう。 如果桌子的相对的两边是平行的,它们会看起来像是相交于远离观察者的某一点;如果它们的长度相等,较近的那条边会看上去长一些。

    われらのラッセル我们的罗素哲学220(第1章第7段落①)
  7. Jul 20

    われらのラッセル我们的罗素哲学219(第1章第6段落①)

    レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 202600707通算219回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第6段落① 前回ラジオ収録20200708 OP「水魚の交わり」、ED 「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 ) 司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(CUC中国語専攻・Kakehashi Studio社長)。<<39万回突破。ありがとうございます!>> The same thing applies to the texture. 同様のことは素材(生地)にも当てはまる。 同样的情况也适用于谈论它的质地。 With the naked eye one can see the grain, but otherwise the table looks smooth and even. ある者は、肉眼でその木目(もくめ)を見ることができるが、それ以外は、テーブルは滑らかで平ら見える。 虽然用肉眼可以看见桌子的纹理,但是另一方面,桌子看起来是平滑的。 If we looked at it through a microscope, we should see roughnesses and hills and valleys, and all sorts of differences that are imperceptible to the naked eye. もし我々がそれを顕微鏡で見たら、肌理(きめ)の粗さ、丘や谷(でこぼこ、凹凸=おうとつ、起伏)が見え、肉眼では知覚できないあらゆる違いが見えるはずである。 如果我们通过显微镜观察,我们会看到桌子的粗糙,高山低谷的模样(高低起伏),以及肉眼看不到的各种差异。 Which of these is the 'real' table? We are naturally tempted to say that what we see through the microscope is more real, but that in turn would be changed by a still more powerful microscope. これらのうち、いったいどれが本当のテーブルなのであろうか?我々は顕微鏡で見ている物がより本物であると自然に言いたくなるところであるが、今度はもっと高性能の顕微鏡を使えば、我々が見ている物がまた変わってしまう。 ※ tempt ~を誘惑する、~にその気にさせる 到底哪个是“真实的”桌子?我们当然会想说通过显微镜看到的总会比较真实一些,可是反过来,这又会被一只更强力(高倍数)的显微镜所改变。 If, then, we cannot trust what we see with the naked eye, whyshould we trust what we see through a microscope? そこでもし、我々が肉眼で見たものを信用できないならば、顕微鏡で見たものをどうして信用すべきというのであろうか? 那么如果我们不能相信我们用肉眼看到的,我们又凭什么可以相信我们通过显微镜观察到的一切? Thus, again, the confidence in our senses withwhich we began deserts us.  こうしてまた、我々が感覚に対して抱き始めていた自信は失われるのである。 ※ desert 見捨てる、放棄する desert 砂漠、荒野、 砂漠のような、不毛の dessertデザート、食事の後の甘い物 于是,我们那始于感官的自信又一次抛弃了我们。

    われらのラッセル我们的罗素哲学219(第1章第6段落①)

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leonradio われらの哲学 ラッセル(Russell)哲学研究会メンバー 松尾欣治(会長)王前 冯宪中 张红  福留邦浩(2021年2月3日~) 楠元純一郎 尹乐(レオー)  オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」 エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」 作詞作曲 楠元純一郎 編曲 山之内馨  会長 松尾欣治: 新型コロナウイルス(covid-19)が世界中で猛威をふるう最中に、わたしたちの「Society基盤教育Pandora」は発足しました。  今は、“Stay home !”。感染拡大を防ぐために学校、大学にも行くことができません。いったい、どうしたらいいのでしょうか?  日本では教育の改革が進み、この4月からは、小学校でも英語教育が始まることになっていました。出鼻をくじかれ、学校は休校となってしまいました。  なぜ、小学校から英語教育なのか?  いままでは、中学校から学び始めましたが、中学校、高校、大学でも英語を学びながら、生徒、学生は英語が苦手の人が、ほとんどです。卒業して社会人になっても英語の苦手意識は消えません。  英語にかぎらず語学教育は、早期教育が大事で、中学校からでは遅いのではないか。そこに原因を求めるならば、小学校から英語教育を開始すれば、英語を苦手とする生徒、学生は減るでしょう。  この推論は間違っています。この苦手意識は、英語ばかりではなく、数学、歴史、国語、得意科目以外にも働いて、勉強嫌いを増やし、楽しいはずの学校が行くのさえツラい場所になっている、そういう児童、生徒も多い。語学の早期教育では、この問題は解決しないのです。  この問題を解決するもの、それがこの「Society 5.0 基盤教育Pandora」なのです。この「Society 5.0基盤教育Pandora」は小学校の高学年から参加可能です。いや、参加していただきたい。哲学なんで苦手、というお母さんにも参加していただきたい。  いまや、中国語、英語、日本語の三つの言葉は、できないでは済まなくなりつつあります。すると、否応なく、この「Society 5.0基盤教育Pandora」になります。  ラッセルの『哲学の諸問題』の英語は、受験英語の最高峰とも言われています。その章立て、構成も見事です。数学者としても卓越した才能の持ち主ですが、文章家としても優れていて、その才能はノーベル文学賞に輝いています。  わたしたちの「Society 5.0基盤教育Pandora」が、ラッセルの『哲学の諸問題』を選んだのは、そのためです。百年前、北京大学がラッセルを招聘したのも、そういうことだったのではないでしょうか。  日本では、学習指導要領が改訂され、この4月から小学校でも英語教育が始まりました。今回の改訂は従来の暗記型教育から思考型へと転換し、主体的、対話的な深い学びを目指しています。  ラッセルの『哲学の諸問題』には暗記すべきことがなく、問題が、なぜ問題なのか?を明らかにしつつ、次の問題へと続き展開します。暗記力ではなく、思考力が働いて、物事の大事な奥深いところには何があるのか、またはないのか?こういう問題を論理的に考える。すると、どういうことが起こるのでしょうか?日本の教育では未知の世界です。  さあ、その未知の世界への扉を開けて、みんなで思考の世界で遊びましょう!