高千穂さんのご縁です。

RKKラジオ

仏教にまつわる色々なお話を、分かりやすくお話していただく番組です。仏教由来の言葉、豆知識、歴史、迷信、風習、教義、作法などなど。 出演は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正さん。お相手は、丸井純子さん。 お悩み相談もメールで受け付け中!goen@rkk.jp ▼メール goen@rkk.jp ★地上波ではRKKラジオ(熊本)FM91.4    AM1197で、毎週水曜日 午後6時10分から放送中。是非生放送でもお聴きください。

  1. 4d ago

    【布施の心とキャッシュレス】──ダーナの精神と現代の寺院事情

    🔶お布施の語源「ダーナ」と三つの施し お布施の語源は、古代インドのサンスクリット語「ダーナ(Dāna)」に由来し、「自分の持ち物を惜しみなく他人に与える(施し)」という意味があります。 仏教におけるお布施には、大きく分けて金銭や物品を施す「財施(ざいせ)」、仏さまの教えを説く「法施(ほうせ)」、人々の恐怖や不安を取り除く「無畏施(むいせ)」の3種類があります。また、お金や物がなくても笑顔や優しい言葉などで実践できる「無財の七施(むざいのしちせ)」という教えもあります。 🔶見返りを求めない「お布施」の本質 お布施において最も基本的な考え方は、「見返りを求めない」ということです。「これだけ施してやった」「これだけ払ったのだから」という見返りや自己顕示欲を離れ、純粋に相手を思いやり、ともに助け合って喜ぶことがお布施の本来の姿です。 つまり、お布施とは現代のビジネスにおける「サービスに対する対価(サービス料)」ではなく、あくまで仏さまや仏法に対する自発的な「お気持ち」の表現なのです。 🔶寺院におけるキャッシュレス化の波と背景 近年、大きなお寺や観光寺院を中心にお賽銭や拝観料の「キャッシュレス決済」が導入され始めており、今年からは宗教法人専用の決済サービスも登場しています。 この背景には、外国人観光客(インバウンド)や現金を持ち歩かない若い世代のニーズへの対応に加えて、「大量の硬貨(小銭)を銀行で入金・両替する際の手数料が非常に高く、寺社側の深刻な負担になっている」という現実的な経営課題があります。人手不足の中で大勢の参拝者をさばくための苦肉の策という側面も大きいのです。 🔶効率化(タイパ・コスパ)と失われゆくぬくもり 一方で、お布施やお賽銭のキャッシュレス化に対しては「お賽銭箱に小銭を投じる(チャリンと鳴らす)体験や、直接手渡しする際のぬくもりが失われてしまう」といった懸念や批判の声もあります。 現代はコストパフォーマンス(コスパ)やタイムパフォーマンス(タイパ)といった効率が極端に重視される時代ですが、情緒や心を根底に置かなければ、宗教儀式が単なる「デジタル決済の作業」へと変質してしまう恐れがあります。 🔶時代が変わっても変わらない「ダーナ」の心 お札や授与品など、金額が明確に決まっているものに対するキャッシュレス決済は合理的かもしれません。しかし、「お気持ち」であるお布施までが決済サービスに組み込まれ、プラットフォームへの手数料や税金の問題が絡んでくると、本来の「ダーナ」の精神から外れてしまう難しさがあります。 時代の流れとして新しい技術や変化を受け入れることは避けられませんが、どれほど決済手段が変わろうとも、「お布施=ダーナ(惜しみない施し)」であるという本質と心を決して見失わないことが何よりも大切です。 🔶今週のまとめ 【1】「お布施」はサンスクリット語の「ダーナ(惜しみない施し)」に由来し、財施・法施・無畏施・無財の七施など様々な実践方法があります。 【2】お布施の根本は「見返りを求めない」ことであり、サービスに対する対価(料金)ではなく、仏法に対する自発的な「お気持ち」です。 【3】近年、観光寺院などでキャッシュレス化が進む背景には、参拝者のニーズの変化や、硬貨取扱手数料の高騰による寺社側の経営圧迫があります。 【4】効率化が進む一方で、「お賽銭箱に入れる体験や受け渡しのぬくもりが失われる」といった情緒面での懸念も指摘されています。 【5】時代と共に決済手段が変化しても、お布施が単なるビジネスの支払いにならないよう、「ダーナ」の精神と心を忘れないことが大切です。 次回テーマは「紅葉から学ぶ」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

  2. Oct 21

    【浄土真宗と菊(聴く・聞く)】──菊の花に学ぶ「聴聞」と阿弥陀さまの救い

    🔶日本人に馴染み深い「菊」と仏花の歴史 毎年秋(10月中旬〜11月頃)になると、西本願寺をはじめ各地のお寺で「献菊展(けんぎくてん)」が行われます。菊はパスポートや皇室の紋章(菊花紋章)にも用いられるなど、日本人にとって非常に格式高く馴染み深い花です。一方で、菊といえば「お葬式やお墓にお供えする仏花(ぶっか)」というイメージを持つ方も多いでしょう。 しかし、お葬式などで菊が仏花として定着したのは、実は戦後(昭和時代)になってからのことです。昔の葬列では、その季節の野の花など、自然の中にある花が使われていました。戦後になり、温室栽培などの技術発展によって一年中安定して菊が栽培できるようになり、日持ちの良さも相まって仏花として広く用いられるようになったという歴史があります。 🔶花の終わりを表す「菊が舞う」という風流な表現 日本には花の終わり(散り方)を表す美しい言葉の文化があります。例えば「桜は散る」「梅はこぼれる」「椿は落ちる」などと表現されますが、菊の場合は「菊が舞う」と表現されます。 菊は枯れても花びらがバラバラに散って落ちることがなく、花全体が垂れるように枯れていきます。その姿が、まるで風に吹かれて舞い踊っているように見えることから「舞う」と表現されました。こうした風流な表現からも、日本人が菊という花に特別な感情を寄せてきたことがわかります。 🔶「聴」と「聞」の違いと浄土真宗の「聴聞」 浄土真宗において、お寺で阿弥陀さまの教えを聞くことを「聴聞(ちょうもん)」といいますが、この「聴」と「聞」の二つの漢字には明確な違いがあります。 「聴(耳へん)」は、自分から意識して自発的に聞こうとすること(例:ラジオを聴く)を指します。一方、「聞(門がまえ)」は、聞こうとしなくても向こうから自然に耳に入ってくること(例:救急車のサイレンが聞こえる)を指します。 浄土真宗では、この「聴聞」という言葉について、「『聴』は仏さまにお許しをいただいて聞かせていただくこと、『聞』は仏さまの教えを疑いなく信じて聞き入れること」と深く味わいます。最初は自分の意志で教えを聞きに行き、やがて阿弥陀さまの呼び声(教え)が私に至り届き、それをそのまま信じて受け入れる身になるという、仏法との尊い出会いが表されています。 🔶親鸞聖人が説く「聞」──仏願の生起本末を聞く 浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は、主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』において、「何を聞くのか」という問いに対し、次のように示されています。 > 「聞(もん)といふは、衆生(しゅじょう)、仏願の生起本末(しょうきほんまつ)を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり」 「生起(しょうき)」とは、なぜ阿弥陀仏が私を救おうと本願を起こされたのかという理由です。それは、私が自己中心的な煩悩にまみれた存在であるからです。 「本末(ほんまつ)」とは、そんな迷いの命である私を、必ず悟りの仏へと成らせるという阿弥陀さまの確かな働きのことです。 つまり、私のありのままの醜い姿(生起)と、私を絶対に救い取るという阿弥陀さまの広大な慈悲(本末)を、私の都合や計らいを交えずにそのままお聞かせいただく(疑心あることなし)ことこそが、浄土真宗における「聞(聴聞)」の本質なのです。 🔶色眼鏡を外して「ありのまま」をお聞かせいただく 菊の花の本質は同じであるにもかかわらず、ある人は「格式高い尊い花」と愛で、ある人は「お葬式の縁起の悪い花」と避けます。それは、私たちが物事を自分の都合や価値観という「色眼鏡」を通してしか見られないからです。 聴聞とは、そうした自己中心的な見方しかできない煩悩具足(ぼんのうぐそく)の自分自身のありのままの姿に気づかされ、そんな私こそが阿弥陀さまの救いの「目当て」であるとお聞かせいただく尊い時間です。菊の花を仏前にお供えするたびに、自分の色眼鏡に気づき、教えを聞き受ける「聴聞」の大切さを味わうご縁としたいものです。 🔶今週のまとめ 【1】西本願寺の「献菊展」や皇室の紋章など、日本人に馴染み深い菊の花が「仏花(お葬式の花)」として定着したのは、栽培技術が発展した戦後になってからのことです。 【2】日本の言葉の文化では、花びらが散らずに垂れるように枯れていく菊の美しい姿を、風に吹かれる様子に見立てて「菊が舞う」と表現します。 【3】自発的に聞く「聴(耳へん)」と、自然に聞こえてくる「聞(門がまえ)」を合わせた「聴聞」は、教えを許されて聞き、信じて聞き入れるという浄土真宗の要の歩みです。 【4】親鸞聖人は『教行信証』において、「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」と記し、仏さまが私を救う理由と確かな働きをそのまま受け入れることが「聞」であると説かれました。 【5】菊の花を「縁起が悪い」と決めてかかるような自分の色眼鏡(煩悩)に気づき、そんな私こそが救いの目当てであるとお聞かせいただくことが聴聞の真髄です。 次回テーマは「お布施の心とキャッシュレス」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

  3. Oct 14

    【王舎城の悲劇】──『観無量寿経』が説く救いと韋提希夫人の姿

    🔶マガダ国の王位をめぐる「王舎城の悲劇」 古代インドで強大な勢力を持っていたマガダ国の首都・王舎城(おうしゃじょう)を舞台にした、『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』というお経に説かれている物語です。 国王である頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)と韋提希夫人(いだいけぶにん)の間には長らく子供が恵まれませんでした。占い師に相談すると「3年後に山奥に住む仙人が死んで王子として生まれ変わる」と告げられます。しかし、待ちきれなかった王は使いを出して仙人を殺してしまいました。まもなく夫人は身籠もりますが、占い師は「仙人は恨みを残して死んだため、生まれてくる子はきっと両親に害を与えるでしょう」と予言します。恐ろしくなった王は、生まれてきた子を高い塔の上から産み落として殺そうとしましたが、奇跡的に手の小指を折っただけで命を取り留めました。この王子が阿闍世太子(あじゃせたいし)です。 🔶提婆達多の暗躍と親子の愛憎 一方その頃、お釈迦さまのいとこであり教団の乗っ取りを画策していた提婆達多(だいばだった)が阿闍世太子に接近し、神通力を見せて信頼を得ます。そして「お前は父を殺して新しい王になれ。私はお釈迦さまを殺して新しい仏になる」とそそのかし、ひた隠しにされていた誕生の秘密(親が自分を殺そうとした事実)を暴露してしまいました。 真実を知って激怒した阿闍世太子は、父・頻婆娑羅王を牢獄に幽閉して餓死させようとします。悲しんだ母・韋提希夫人は密かに牢獄へ食べ物を運びましたが、これが発覚すると阿闍世太子はさらに激怒し、実の母まで殺そうと剣を抜きました。 そこで、月光(がつこう)と耆婆(ぎば)という二人の大臣が「古来、王位を奪うために父を殺した者はいますが、母を殺した者など聞いたことがありません。そのような王にはついて行けません」と厳しく諫めました。阿闍世太子は母を殺すことだけは思いとどまりましたが、父親と同じように深い牢獄へと幽閉してしまいました。 🔶韋提希夫人の悲嘆とお釈迦さまの導き 牢獄の中で悲嘆に暮れた韋提希夫人は、お釈迦さまに向かって「私にどんな罪があって、このような悪い子を産んでしまったのでしょうか。そもそも、お釈迦さまはどうしてあんな悪人の提婆達多と親戚なのですか」と泣き叫び、怒りをぶつけました。元はと言えば自分たちが我が子を殺そうとした身勝手な過去があるにもかかわらず、そのことは棚に上げて他人を責め立てたのです。 しかし、お釈迦さまはそれに対して何も説教することなく、ただ微笑まれました。そして眉間から金色の光を放ち、宇宙に存在する数々の美しい仏の国(浄土)を映し出して見せました。それを見た韋提希夫人は、「私は阿弥陀如来の極楽浄土に生まれたい」と願います。お釈迦さまはそれに応え、お浄土へ至るための様々な修行(観法)を説き、その最終的な結論として「お念仏(南無阿弥陀仏)こそが、どんな者でも救われる最上の教えである」と示されるのです。 🔶経典の登場人物は「私の姿」を映す鏡 浄土真宗において、この『観無量寿経』の主人公である韋提希夫人の姿は、決して遠い昔の他人事ではありません。我が身の罪をごまかし、都合が悪くなると他人のせいにして泣き叫ぶその浅ましい姿は、まさに煩悩にまみれた「この私(凡夫)」自身のありのままの姿を映し出しています。 親鸞聖人は、頻婆娑羅王も韋提希夫人も阿闍世太子も提婆達多も、すべての登場人物は「この私一人をお念仏の教えに出会わせるために、お釈迦さまと共に仮の姿となって現れてくださった仏さま方である」と深く味わわれました。完全無欠な善人にはなれない、自分の中にあるドロドロとした悪やエゴイズムと向き合いながら、そんな私を決して見捨てずにすべてを包み込んでくださる阿弥陀さまの救い(お念仏)をいただいていく。それが「王舎城の悲劇」が私達に教えてくれる最も大切なメッセージなのです。 🔶今週のまとめ 【1】古代インド・マガダ国の王舎城を舞台に、親子の愛憎と救いを描いた『仏説観無量寿経』の物語を「王舎城の悲劇」と呼びます。 【2】親が自分を殺そうとした出生の秘密を知った阿闍世太子は、提婆達多にそそのかされて父・頻婆娑羅王を幽閉し、母・韋提希夫人をも牢獄に閉じ込めました。 【3】我が身の罪を棚に上げて他者を責め立てる韋提希夫人に対し、お釈迦さまは黙って数々の浄土を見せ、彼女は阿弥陀如来の極楽浄土へ生まれることを願いました。 【4】自己中心的で浅ましい韋提希夫人の姿は、実は私たち自身の醜い「凡夫」の姿そのものを表しており、経典は私自身の心を見つめる鏡となっています。 【5】親鸞聖人は、登場するすべての悪人や被害者は、「この私」をお念仏の救いへと導くために現れてくださった尊いご縁(仮の姿)であると深く受け止められました。 次回テーマは「浄土真宗と『菊(聴く・聞く)』」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

  4. Oct 7

    【仏教と悪】──大悪人・提婆達多の生涯と親鸞聖人の受け止め方

    🔶釈迦のいとこであり優秀な弟子だった提婆達多(だいばだった) 仏教の歴史において、「最大の悪役」とも言える人物が提婆達多(だいばだった)です。お釈迦さまのいとこにあたる彼は、お釈迦さまを殺害して教団を乗っ取ろうとした大悪人として知られ、生きながらにして最も苦しい無間地獄(むけんじごく)へ落ちたと伝えられています。 しかし、彼は最初から悪人だったわけではありません。出家した当初はお釈迦さまの弟子として極めて真面目に修行に励み、神通力を会得するほど優秀な修行者でした。また、「修行者であるならば、お釈迦さまの教えよりもさらに厳しい修行に徹するべきだ」という強いストイックさを持つ人物でもありました。 🔶教団乗っ取りの野心と「王舎城の悲劇」 修行を重ねる中で、提婆達多は次第に「自分がお釈迦さまに成り代わって教団を仕切るべきだ」という野心を抱くようになりました。ある時、多くの人々の前で説法をしていたお釈迦さまに対し、「お釈迦さまはご高齢になられたので、私が代わりに教団を率います。安心してご隠居なさってください」と発言しました。しかしお釈迦さまはこれを厳しく退け、面子を潰された提婆達多はお釈迦さまに強い恨みを抱き、教団を奪うことを画策し始めます。 まず提婆達多は、当時インドで強大な勢力を持っていたマガダ国の阿闍世(あじゃせ)太子をそそのかし、クーデターを起こさせました。阿闍世太子はお釈迦さまの最大の支援者であった父・頻婆娑羅(びんばしゃら)王を牢獄に幽閉し、餓死させてしまいます。この痛ましい事件は「王舎城(おうしゃじょう)の悲劇」と呼ばれ、浄土真宗で大切にされる『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』というお経の舞台となっています。 🔶釈迦の殺害計画と仏教で最も重い「五逆罪」 クーデターに成功して王となった阿闍世の後ろ盾を得た提婆達多は、次にお釈迦さまの暗殺を実行に移します。 山の上から大きな岩を落として圧死させようとしましたが、岩は外れ、砕けた石の破片がお釈迦さまの足の指に当たって出血させました。仏教において仏さまの体を傷つけて血を流させることを「出仏身血(すいぶっしんけつ)」といい、仏教で最も重いとされる「五逆罪(ごぎゃくざい)」の一つです。 (※五逆罪とは、①父を殺すこと、②母を殺すこと、③阿羅漢(あらかん=聖者)を殺すこと、④仏の身から血を流させること、⑤教団を分裂させること、の五つの極重悪を指します。) さらに提婆達多は、那羅吉里(ならぎり/ナーラーギリ)という凶暴な象に酒を飲ませて放ち、お釈迦さまを殺させようとしました。しかし、猛り狂う象も、お釈迦さまの前に近づくとその大いなる慈悲に触れて大人しくなり、膝をついて頭を下げてしまいました。 🔶教団の分裂(破和合僧)と無間地獄への転落 暗殺に失敗した提婆達多は、今度は教団の分裂(破和合僧)を図ります。彼は、当時の教団のルールよりもはるかに厳しい以下の「五事の戒律(五法)」の制定を強く主張しました。 村に入らず、林に住むこと 招待を受けず、托鉢(乞食)のみで食を得ること 信者からの布の施しを受けず、ボロ布(糞掃衣)をまとうこと 屋根のある家には住まず、樹の下に住むこと 魚や肉を一切食べないこと お釈迦さまは中道(ちゅうどう)を重んじていたため、日常生活の中で実践していくことを無視するようなこの極端な要求を拒否しました。すると提婆達多は、自分の厳格な主張に賛同する500人の弟子を引き連れて教団を離脱してしまいます。 しかし直後に、お釈迦さまの高弟である舎利弗(しゃりほつ)と目連(もくれん)が赴いて説得し、500人の弟子たちを連れ戻しました。これを知った提婆達多は激怒のあまり血を吐き、五逆罪のうち三つもの大罪を犯した果てに、生きながら無間地獄へと落ちていったと経典には記されています。 🔶親鸞聖人が大悪人を「提婆尊者」と敬った理由 ここからが浄土真宗の非常に大切なところです。仏教史に残るこの大悪人・提婆達多に対して、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は著書の中で「提婆尊者(だいばそんじゃ)」と尊称をつけ、深く敬意を払っておられます。お釈迦さまに反逆した悪人を、なぜ親鸞聖人は敬ったのでしょうか。 親鸞聖人は、「提婆達多はただの悪人ではなく、煩悩にまみれた『この私』がお念仏の教え(他力本願)に出会うきっかけを作るために、お釈迦さまと共にわざと悪役を演じて現れてくださった権化(仏・菩薩の仮の姿)である」と受け止められました。経典に登場する極悪人の姿は、実は怒りや嫉妬、野心に囚われやすい「私自身のありのままの姿(煩悩具足の凡夫)」を映し出す鏡なのです。 自分の中に潜む「悪(鬼)」の心をごまかさずに見つめ、完全無欠な善人には到底なれない私だからこそ、そんな私を決して見捨てずに救い取ってくださる阿弥陀さまの広大な慈悲(お念仏)に出遇っていく。提婆達多という存在は、私たちがその真実に気づくための尊いご縁となってくださった方であると、浄土真宗ではいただくのです。 🔶今週のまとめ 【1】提婆達多(だいばだった)はお釈迦さまのいとこであり、もとは優秀な弟子でしたが、次第に教団乗っ取りの野心を抱くようになりました。 【2】阿闍世(あじゃせ)太子をそそのかして父・頻婆娑羅(びんばしゃら)王を幽閉・餓死させた「王舎城の悲劇」を引き起こし、『観無量寿経』の舞台となる事件の引き金となりました。 【3】落石や凶暴な象(那羅吉里)を使ってお釈迦さまの暗殺を企て、仏を傷つける「出仏身血(すいぶっしんけつ)」という五逆罪を犯しました。 【4】極端に厳格な「五つの戒律」を主張して教団を分裂(破和合僧)させましたが、弟子を取り戻されて血を吐き、生きながら無間地獄へ落ちたとされています。 【5】親鸞聖人は、極悪人である提婆達多を「私が阿弥陀さまの救いに出会うために、悪役を引き受けて現れてくださった尊い方(提婆尊者)」として深く敬われました。 次回テーマは「王舎城の悲劇」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

  5. Sep 30

    【親鸞聖人とお墓】──鴨川に捨てるべしとの仰せと本願寺の原点

    🔶「鴨川にいれて魚にあたうべし」──親鸞聖人のお墓に対するお心 近年、後継者不足や生活スタイルの変化に伴い「墓じまい」を検討・選択される方が増えています。こうした現代のお墓に関する議論を考える上で、浄土真宗の宗祖・親鸞(しんらん)聖人のお墓に対するお姿勢は非常に深い示唆を与えてくれます。 親鸞聖人のひ孫にあたる本願寺第3世・覚如(かくにょ)上人が著された『改邪鈔(かいじゃしょう)』には、親鸞聖人の言葉として次のように記されています。 「それがし親鸞閉眼(へいがん)せば、鴨川にいれて魚にあたうべし」 「閉眼」とは息を引き取ること、すなわち「わたしが死んだなら、ご遺体は鴨川に投げ入れて魚の餌にしなさい」とおっしゃったのです。親鸞聖人ご自身は、自らのご遺体や豪華なお葬式、立派なお墓を建てることには全く執着されませんでした。自らの形骸を残すことよりも、ただひたすらに阿弥陀さまのお救い(お念仏の信心)を信じて生きることこそが最も大切であると示されていたのです。 🔶大谷廟堂の建立と本願寺の成立 親鸞聖人は弘長2年(1262年)、90歳(数え年)で示寂(じじゃく)され、翌日に京都・鳥辺野(とりべの)の南にある延仁寺(えんにんじ)にて荼毘に付されました。その後、東山大谷の地に質素なお墓が建てられます。 親鸞聖人の没後10年(1272年)、末娘である覚信尼(かくしんに)さまが、夫である小野宮善然(おののみや ぜんねん)氏の協力を得て吉水の地に土地を求め、親鸞聖人のご遺骨とお給仕のための御影(おすがた)を安置する「大谷廟堂(おおたにびょうどう)」を建立されました。 覚信尼さまは、この廟堂を私物化するのではなく、関東の直弟子(ご門弟)や子孫たちが力を合わせて親鸞聖人を顕彰し、お念仏の教えを語り合う「集いの場」として護っていくことを定められました。この大谷廟堂こそが、後に本願寺(浄土真宗本願寺派・真宗大谷派など)へと発展していく原点となったのです。 大谷廟堂は寛正6年(1465年)、第8代・蓮如(れんにょ)上人の時代に比叡山の僧徒らによって破壊(寛正の法難)されるまでおよそ200年間守られました。その後、幾多の移転を経て、江戸時代初期の慶長8年(1603年)、第12代・准如(じゅんにょ)上人の時代に徳川家康から与えられた現在の堀川六条の地(京都・西本願寺)へと遷座されました。親鸞聖人ご自身はお墓を求められませんでしたが、聖人を慕う残された人々のお心が、今日の本願寺という教団の礎を築いたのです。 🔶浄土真宗における「お墓」の真義と祟りへの捉え方 親鸞聖人の足跡からも明らかなように、お墓とは亡くなった人を閉じ込めたり、亡き人のために善根を積んで供養(追善供養)したりするための場所ではありません。亡くなられた方は、阿弥陀さまの導きによってすでにお浄土で仏さまとなられているからです。 また、「お墓を移動したり墓じまいをしたりすると祟(たた)りがあるのではないか」と不安に思われる方がいらっしゃいますが、そのような恐れは一切不要です。親鸞聖人の御廟所自体が歴史の中で何度も移動している通り、阿弥陀さまの大いなる慈悲に包まれている私たちが、墓じまいや改葬によって祟られたりバチが当たったりすることは絶対にありません。お墓とは「亡き人を縁として、いま生きている私が自らの命の行方を見つめ、お念仏のみ教えに出会わせていただく大切な場」なのです。 🔶時代に合わせたお墓の形と命の継承 家族の形や居住地が多様化し、東京や大阪、海外など離れて暮らすことが当たり前となった現代において、従来の代々墓を維持することが困難になるのは自然な流れでもあります。お墓のスタイルが時代とともに変化してきたように、形だけに固執するのではなく、現代を生きる家族にとって最も丁寧にお参りしやすい形態を選択していくことが大切です。 形が変わったとしても、ご先祖や亡き人を偲び、命の繋がりと阿弥陀さまの救いに感謝する「ご縁」そのものを絶やさないこと。残された人々が無理なく、心穏やかに集い、命を見つめ直せる場所を守り継ぐことこそが、最も尊いお墓のあり方といえます。 🔶今週のまとめ 【1】親鸞聖人は覚如上人の著『改邪鈔』に「わが死後は鴨川にいれて魚にあたうべし」と残されている通り、お葬式やお墓に執着せず、阿弥陀さまのお救い(信心)を心に収める重要性を示されました。 【2】親鸞聖人の娘・覚信尼さまが建立された「大谷廟堂(お墓)」は、聖人を慕う門弟や子孫が集い教えを歓び合う拠点となり、これが現在の本願寺の原点となりました。 【3】大谷廟堂は比叡山による破却などの歴史を経て、慶長8年(1603年)に第12代・准如上人の時代に現在の京都・堀川六条の地へと移転・定着しました。 【4】浄土真宗においてお墓は追善供養の場ではなく、お墓の移動や「墓じまい」によって祟りやバチが当たるような観念も一切存在しません。 【5】現代の過疎化や核家族化の中で、お墓の形に無理に固執するのではなく、いま生きる私たちが故人を偲び、命の尊さやお念仏に出会える最善の形(お参りしやすい形)を選択することが大切です。 次回テーマは「仏教と悪」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

  6. Sep 23

    【お彼岸】──太陽が導く西方浄土と無限に広がる命のご縁

    🔶お彼岸の語源「波羅蜜多」と西方浄土への思い 秋分の日を迎えるお彼岸は、「祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日」として広く親しまれています。 お彼岸という言葉は、古代インドのサンスクリット語「パーラミター(pāramitā/波羅蜜多)」に由来します。「パーラ(彼岸・悟りの世界)」へ「ミター(至る)」という意味であり、波羅蜜多とは「迷いの世界(此岸)から悟りの世界(彼岸=お浄土)へ至る」ことを意味しています。 春分・秋分のお彼岸の中日は、太陽が真東から昇って真西へと沈みます。古来より仏教では、何事にも偏らない「中道(ちゅうどう)」の心にかなう日とされ、沈みゆく太陽の向こう側にある阿弥陀さまの「西方極楽浄土」に思いを馳せ、お参りや修行を行う最もふさわしい時期として大切にされてきました。科学的な距離ではなく、私達に推し量ることもできない大いなる慈悲(限りなき光と命)の象徴として、西方浄土とお念仏の教えが説かれているのです。 🔶「先祖のパラドックス」が教えてくれる命の奇跡 先祖の数を数学的に遡っていくと、非常に興味深い命の事実が見えてきます。 両親は2人、祖父母は4人、曾祖父母は8人と、代を遡るごとに先祖の数は $2^n$ の倍数で増えていきます。一世代を約20〜30年と仮定すると、10代(約200〜300年前の江戸時代)遡るだけで10代前のご先祖は1,024人となり、それまでの累計は2,046人に達します。さらに20代遡れば、20代前だけで約104万人、累計では約209万人もの先祖が存在することになります。 これをそのまま千年も遡れば、理論上の先祖の数は当時の地球の総人口を遥かに超えてしまう「先祖のパラドックス」が生じます。これは実際には血縁同士の結びつき(再帰)があるためですが、言い換えれば「人類はみな、どこかで血の繋がった親戚・仲間である」ということです。そして、この膨大な数のご先祖のうち、たった1人でも欠けていたら「いまの私」は決してこの世に誕生していません。ご先祖を思うお彼岸は、私たちが受けてきた命の奇跡の重みを知る日でもあります。 🔶『歎異抄』が説く「世々生々の父母兄弟」と縁起の教え 浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の教えを記した『歎異抄(たんにしょう)』第5条には、次のような言葉が残されています。 「一切の有情は、みなもて世々生々の父母兄弟なり。」 「有情(うじょう)」とは、人間だけでなく命あるすべての生き物を指します。途方もない時間の中で命が巡る(世々生々)中で、いま目の前にいる人だけでなく、空を飛ぶ虫や池を泳ぐ魚でさえも、かつて過去世のどこかで私を育ててくれた親であり、ともに過ごした兄弟姉妹であったかもしれないという教えです。 仏教の根底にある「縁起(えんぎ)」とは、「すべてのものは相互に関わり合い、繋がり合って存在する」という真理です。私という存在は、自分ひとりだけで独立して生きているのではなく、無数の命のご縁と繋がりによって生かされているのです。 🔶「偲ぶ」の意味と自分自身の命に向き合うお彼岸 「偲ぶ(しのぶ)」という漢字は、人偏(イ)に「思」と書きます。 お彼岸にお墓参りや法要を通して亡き人を忍ぶことは、単に過去を懐かしむだけではありません。先立った大切な方々の命のご縁を通して、「多くの命の繋がりの中に生かされている私自身の命」に深く思いを馳せ、自分の生き方や命のあり様に向き合うことこそがお彼岸の真の意義です。 SNSなどを通じた人間関係が広がる現代社会だからこそ、画面の向こうや目の前にある一つひとつの命の背景に、果てしない繋がりと歴史が存在することに気づかされます。このお彼岸は、お墓にお参りするとともに、自らの命の尊さにそっと感謝を捧げる大切な機会としてお過ごしください。 🔶今週のまとめ 【1】「お彼岸」はサンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多・到彼岸)」に由来し、太陽が真東から真西に沈む秋分・春分に、西方極楽浄土や阿弥陀さまの慈悲に思いを馳せる行事です。 【2】先祖の数は10代遡るだけで2,000人を超え、誰もが途方もない数の命のバトンを受け取っており、誰ひとり欠けても今の私は存在しないという命の奇跡を示しています。 【3】親鸞聖人は『歎異抄』にて「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」と説かれ、あらゆる生きとし生けるものが過去世からの深いご縁で結ばれていることを示されました。 【4】仏教の基本である「縁起」の教えの通り、私たちは決して独りで生きているのではなく、目に見える・見えない無数の繋がり(ご縁)の中で生かされています。 【5】「偲ぶ(人偏に思)」という言葉の通り、お彼岸は亡き人を想うと同時に、先達のご縁によって生かされている自分自身の命の尊さに向き合い、感謝を深める大切なご縁です。 次回テーマは「親鸞上人とお墓」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

  7. Sep 16

    【一休宗純】──破戒の風狂僧が求めた真実と蓮如上人との絆

    🔶一休宗純の生涯と「一休」の名の由来 アニメや頓知(とんち)のイメージで親しまれている「一休さん」こと一休宗純(いっきゅう そうじゅん)禅師は、室町時代に実在した臨済宗大徳寺派の著名な禅僧です。後小松天皇の落胤(子)と伝えられており、現在も京都府京田辺市の酬恩庵(しゅうおんあん・通称「一休寺」)にある一休禅師の墓所は宮内庁によって管理されています。6歳で京都の安国寺に入門し、幼少期から漢詩などの才能を発揮しました。 「一休」という道号は、彼が青年期に詠んだ歌「有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)へ帰る 一休み 雨ふらばふれ 風ふかば吹け」に由来します。「有漏路」とは煩悩と迷いに満ちた現世、「無漏路」とは雑念のない悟りの世界(あの世)を意味します。「人の生涯とは、現世から悟りの世界へ還るまでのほんの一休みに過ぎない。雨が降るなら降れ、風が吹くなら吹け」という、過酷な修行の中で見出した悟りの境地を表したこの歌から、師の華叟宗曇(かそうそうどん)より「一休」の名を授けられました。 🔶腐敗した権力への反発と人間味あふれる風狂の姿 当時の仏教界は権力と結びつき、僧侶の位階(紫衣など)が金銭で買収されるなどの腐敗が進んでいました。一休禅師はこうした権威や虚飾を激しく嫌い、立派な衣を拒んでボロボロの黒い布衣(墨染の衣)を身にまとい、街に出て民衆の中に溶け込みながら仏法を説きました。 応仁の乱の戦火によって荒廃した大徳寺の再興を天皇から命じられ、81歳の時に大徳寺第47世住持に就任して復興に尽力しました。しかし、権威の象徴である大徳寺に住み着くことはせず、郊外の酬恩庵からお寺へ通い続けました。1481年(文明13年)、88歳で生涯を閉じる際、臨終の言葉として「死にとうない」と口にしたと伝えられています。聖人ぶることなく、死の恐ろしささえ隠さないどこまでも率直で人間臭い姿は、虚飾を廃した真実の探求者そのものでした。 🔶蓮如上人との深き交友と宗派を超えた歌の問答 一休禅師は、浄土真宗中興の祖である第8代・蓮如(れんにょ)上人と非常に深い親交がありました。「分け登る 麓の道は 多けれど 同じ高嶺の 月を見るかな」という道歌に示されるように、禅宗と浄土真宗という宗派の形は異なっても、目指すべき仏法の真理(同じ月)を見つめ合う同志として互いを高く評価し合っていたのです。 ある時、一休禅師は『仏説阿弥陀経』に説かれる「十万億土の彼方にあるお浄土」を引いて、次のような挑発的な歌を蓮如上人に送りました。 「極楽は 十万億土と 説くならば 足腰立たぬ 婆は行けまじ」 (極楽がそんな遥か彼方にあるのなら、足腰の弱ったおばあさんは辿り着けずに地獄へ落ちるしかないではないか) これに対し、蓮如上人は即座にこう応じました。 「極楽は 十万億土と 説くなれど 近道すれば 南無のひと声」 (どれほど遠くとも、『南無阿弥陀仏』とお念仏を称えれば阿弥陀さまが即座に救ってくださるのだから、すぐに行けるのだ) 互いに仏法の神髄を深く理解し合っていたからこそ成り立った、高潔でウィットに富んだやり取りです。 🔶親鸞聖人への敬意と「襟巻のあたたかそうな黒坊主」 寛正2年(1461年)、本願寺で営まれた浄土真宗の宗祖・親鸞(しんらん)聖人の二百回忌法要にも一休禅師は参詣したと伝えられています。その際、黒漆で塗られた親鸞聖人の御木像(防寒用の首巻きをされたお姿)を拝した一休禅師は、次のような歌を詠みました。 「襟巻の あたたかそうな 黒坊主 こやつが法は 天下一なり」 「黒坊主」「こやつ」という一見ぶっきらぼうで破天荒な口調の中には、形式にとらわれず庶民にただ一人のお念仏の道を切り開いた親鸞聖人の教えに対する、絶大な敬意と賞賛(リスペクト)が込められています。外面の権威や虚飾を剥ぎ取り、人間の真実の姿と仏法の真理を求め続けた一休禅師の足跡は、現代を生きる私たちにとっても大きな感銘を与えてくれます。 🔶今週のまとめ 【1】とんちで有名な一休宗純禅師は室町時代に実在した臨済宗大徳寺派の僧であり、後小松天皇の落胤と伝えられ、その墓所は今も宮内庁によって管理されています。 【2】「一休」の名は、「有漏路(煩悩の現世)より 無漏路(悟りの世界)へ帰る 一休み」という道歌に由来し、人生をあの世へ向かう束の間の「一休み」と捉える境地を示しています。 【3】名利や権力を嫌ってボロボロの衣で民衆の中に生き、応仁の乱で荒れた大徳寺の再興を果たしつつも、最後は「死にとうない」と率直な人間性を遺して88歳で入滅しました。 【4】浄土真宗の蓮如上人とは宗派を超えた深い心の交流があり、「十万億土」をめぐる歌の問答など、互いの教えを理解し合った尊い逸話が残されています。 【5】親鸞聖人の二百回忌法要では「襟巻のあたたかそうな黒坊主 こやつが法は天下一なり」と詠み、破天荒な表現の中に親鸞聖人のみ教えへの深い敬意と感銘を表しました。 次回テーマは「お彼岸(おひがん)のお話」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

  8. Sep 9

    【お寺の消滅と現代社会】──無縁化・不活動法人問題と私たちが育むご縁

    🔶納骨堂の破綻と闇で横行する「宗教法人売買」 近年、NHKの『クローズアップ現代』をはじめとする報道において、納骨堂の経営破綻に伴う「遺骨の紛失・所在不明」や、インターネット等を介した「宗教法人の売買(譲渡)」という不条理な問題が大きく取り上げられ、社会的な注目を集めています。 墓地や納骨堂の運営許可は、原則として「自治体」または「宗教法人」にのみ与えられます。この仕組みを悪用し、営利目的の不動産業者などが過疎化や少子高齢化によって無人化した「不活動宗教法人(休眠状態の寺院)」を買い取り、名義を利用して納骨堂ビジネスに参入するケースが後を絶ちません。こうした売買は法解釈の隙間を突いた脱法行為であり、事業が破綻して撤退した際、預けられていた大切な遺骨が行方不明になるなど、人間の尊厳を揺るがす重大な事態を引き起こしています。文化庁もこの問題を重く受け止め、注意喚起を行っています。 🔶全国に広がる住職不在(無住)寺院と後継者不足 この背景には、全国の地方や農村部で急速に進行する寺院の過疎化と後継者不足が存在します。 全国に約7万7,000存在する寺院のうち、既に約1万7,000寺(全体の2割以上)が住職のいない「無住寺院(兼務寺院などを含む)」となっており、文化庁の調査でも5,019の不活動宗教法人が確認されています。 この現実は浄土真宗においても他人事ではありません。浄土真宗本願寺派の調査によると、次期住職(後継者)が明確に決まっている寺院は全体のわずか44%にとどまり、半数以上の寺院で将来の継承が不透明な状況に置かれています。売買の標的となりやすいのは、特定の宗派に属さない「単立宗教法人」が中心ですが、宗派に所属する寺院であっても過疎化と後継者難という課題は共通して押し寄せています。 🔶信頼関係に基づくお寺の運営と社会貢献 お寺の維持や僧侶の生活は、そのお寺を長年支えてきたご門徒(檀家)の方々の真心の志と協力によって成り立っています。そのため、寺院運営において最も不可欠なのは、ご門徒とお寺・僧侶との間の強い「信頼関係」です。 特に財務面での透明性を保ち、不信感を与えない健全な会計運営を行うことが求められます。また、単にお経をあげるだけでなく、地域でのボランティアや社会貢献活動に積極的に携わり、「地域社会や人々に寄り添い、共に生きる存在」としてお寺の価値と存在意義を証明し続けていくことが重要です。 🔶お彼岸のお参りとお寺との繋がり お寺の消滅や納骨堂の問題は、決して僧侶や宗教界だけの問題ではなく、ご先祖の遺骨を預け、お参りを重ねてきた私たち一人ひとりの生き方に関わる切実な問題です。 「うちのお寺は大丈夫だろうか」と遠くから心配するだけではなく、秋のお彼岸などの節目を機に、自らお寺へと足を運ぶことが一番の解決策となります。本堂にあがってお参りをし、住職とお寺の現状やこれからのあり方について言葉を交わすこと。その一人ひとりの「参拝」と「関わり」こそが、無縁化社会の中で尊いご縁を護り、お寺を未来へと受け継いでいく確かな歩みとなります。 🔶今週のまとめ 【1】都会の納骨堂の経営破綻による遺骨紛失や、インターネットを通じた「宗教法人売買」という脱法行為が問題視されており、文化庁も注意を呼びかけています。 【2】全国約7万7,000寺のうち約1万7,000寺(2割以上)が住職不在であり、不活動宗教法人が5,019存在するなど、地方の過疎化と後継者難が深刻化しています。 【3】浄土真宗本願寺派でも次期住職が決まっている寺院は44%にとどまり、特定の宗派に属さない「単立宗教法人」だけでなく、すべての寺院にとって後継者育成が緊急の課題です。 【4】お寺の存続には、ご門徒との確かな信頼関係、透明性のある会計運営、そして地域社会に根ざした社会貢献活動への取り組みが欠かせません。 【5】お寺の消滅を防ぎ大切な遺骨やご縁を守るためには、お彼岸などの機会にお寺へ足を運び、参拝と対話を通じて関わりを深く保つことが大切です。 次回テーマは「一休さんのお話」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

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仏教にまつわる色々なお話を、分かりやすくお話していただく番組です。仏教由来の言葉、豆知識、歴史、迷信、風習、教義、作法などなど。 出演は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正さん。お相手は、丸井純子さん。 お悩み相談もメールで受け付け中!goen@rkk.jp ▼メール goen@rkk.jp ★地上波ではRKKラジオ(熊本)FM91.4    AM1197で、毎週水曜日 午後6時10分から放送中。是非生放送でもお聴きください。

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