いのちをつなぐ架け橋プロジェクト

いのちをつなぐ架け橋プロジェクト

〔希望と平和を編む インターネットラジオ〕

Episodes

  1. 11/05/2018

    母たちから聴いたヒロシマ、そしてヒバクシャ

    《vol.11》 9条の会 所沢やまぐち編『いのちあり ひかりあり―私の戦争体験―』より、「あしたのために」 今回は、「9条の会 所沢やまぐち」編『いのちあり ひかりあり―私の戦争体験―』の中から、山中茉莉さんの手記「あしたのために」をお聴きいただきます。 本書は、埼玉県所沢市の市民グループ「9条の会 所沢やまぐち」の会員が戦争の記憶を後世に伝えようとまとめたものです。 お聴きいただくのは所沢市在住の被爆者、山中茉莉さんの証言です。 山中さんは現在の広島市西区中広町、爆心地から1.4キロ地点で、母親らとともに被爆しました。 当時まだ2歳だったため、山中さん自身に記憶はありません。けれども、物心が付いたころから、ともに被爆した母親とおばあさま、伯母さまから、8月6日の朝、突如、地獄と化した広島の街の様子を聴いて育ったと言います。 しかし、その後を生きた被爆者にとって、地獄はその日だけで終わりませんでした。山中さんは家族を通じて、被爆者として生きることによる肉体的、精神的苦悩を目の当たりにします。 朗読は「9条の会 所沢やまぐち」会員の森生郁代さんです。 The post 母たちから聴いたヒロシマ、そしてヒバクシャ first appeared on いのちをつなぐ架け橋プロジェクト.

    18 min
  2. 09/25/2018

    戦争の始まりの日の情景、声と音と光の記憶

    《vol.10》 9条の会 所沢やまぐち編『いのちあり ひかりあり―私の戦争体験―』より、詩2編 今回は、「9条の会 所沢やまぐち」編『いのちあり ひかりあり―私の戦争体験―』より、2編の詩をお聴きいただきます。 「9条の会 所沢やまぐち」は埼玉県所沢市の南部、山口、荒幡、小手指南の地域に住む市民たち、およそ50人が憲法9条を中心に平和の問題を取り上げて勉強しているグループです。 戦後73年を迎えた2018年、その会員の中から、「自分たちの戦争体験を若い人たちに残しておきたい」という声が上がりました。そこで、戦争の記憶がある20人が当時の生々しい体験を書き綴り、1冊の本にまとめたのがこの本です。 手記を寄せた方々は現在70代から90代。戦時中の庶民の暮らし、子どもの時に受けた軍国主義教育、疎開など一つ一つの体験から、戦争は人々の暮らし全てを巻き込んだ出来事であることが伝わってきます。 その中から、所沢市在住の2人の方が寄せた詩、いしだみちおさんの「ところざわ<昭和十二年>」、中原道夫さんの「記憶の中から」をお聴きいただきます。 いしださんは日中戦争が始まった1937年、昭和12年7月7日の出来事と、少年だったいしださんの見た所沢の光景を重ね合わせました。 中原さんは記憶の中にある少女の嗚咽、B29の残骸、高射砲の破片、部屋にともした裸電球に戦争の姿を浮かび上がらせます。 朗読は、「9条の会 所沢やまぐち」会員の森生郁代さんです。 The post 戦争の始まりの日の情景、声と音と光の記憶 first appeared on いのちをつなぐ架け橋プロジェクト.

    18 min
  3. 08/14/2018

    夜がいつまでも続けばいい

    《vol.9》 関豊・青井傑・荒川明子編『初めて知った戦争の話 中学生の聞きがき』(新興出版社)より、「シベリア抑留記」 今回は、関豊・青井傑・荒川明子編『初めて知った戦争の話 中学生の聞きがき』の中から、関豊さんの手記「シベリア抑留記」をお聴きいただきます。 関さんは1942年(昭和17年)、宇都宮の第14師団騎兵第18連隊に入隊し、翌年、満州に渡りました。しかし、終戦を迎えると同時にシベリアに抑留され、復員したのは1948年(昭和23年)10月のことでした。 関さんは今回の朗読者、遠藤信子さんが当時赴任していた中学校の校長を務めていました。 その関さんの体験記が収められたこの本は、遠藤さんの受け持つ学年が3年生のときに生徒全員で取り組んだ夏休みの課題から生まれたものです。生徒が戦争体験者に直接話を聴いて作成した聞き書きなどに加え、関さんたち教師の手記を寄せて、翌年一冊の本としてまとめられました。 さらに、学校の文化祭でこの本と戦争資料とを合わせて展示したところ、新聞や雑誌などメディアにも取り上げられ、話題になりました。 関さんは東京美術学校、現在の東京藝術大学の出身です。 遠藤さんによると、シベリア抑留中にスターリンのポスターを描かされたこと、帰国後は厳しかった抑留生活に思いをはせ、一日一枚の絵を描くことを自らに課していたことを話してくれたそうです。 関さんはご自身の作品を「シベリアシリーズ」と称し、東京・銀座の画廊で何度も個展を開きました。現在、その作品の一部は新宿にある平和祈念展示資料館に所蔵されています。 これからお読みする手記には、シベリア抑留生活で初めて迎えた厳冬期の日常が淡々とつづられています。 朗読は、読み聞かせボランティアの遠藤信子さんです。 The post 夜がいつまでも続けばいい first appeared on いのちをつなぐ架け橋プロジェクト.

    14 min
  4. 08/07/2018

    戦後食糧難時代に感じた親のぬくもり

    《vol.8》 松美子・越山田鶴子編『母の歩み 戦中戦後・母子の記録 第四巻』(笠原政江)より、「赤い毛布のモンペ」 今回は、松美子・越山田鶴子編『母の歩み 戦中戦後・母子の記録 第四巻』の中から、西川悦子さんの手記「赤い毛布のモンペ」をお聴きいただきます。 この本『戦中戦後・母子の記録』は、全国各地から集められた、戦中から戦後を生き抜いた女性たちの体験集です。1978年から1980年にかけて発行された全10巻からなるシリーズですが、これは京都・山科にある川崎大師京都別院笠原寺の尼僧だった、笠原政江さんが私財を投じて出版したものです。 そこに収められた「赤い毛布のモンペ」は山口県徳山市の西川悦子さんの手記です。 悦子さんは戦時中、小学生でした。 戦争が激しくなって、当時住んでいた山口県光市から母方の里である徳山市郊外へ疎開。さらに敗戦後には、父方の里へと移ります。そこでようやく、家族5人そろって暮らせることになりました。 しかし、食糧難であることに変わりはありません。しかも、悦子さんは「よそ者」として、地元の男の子たちにいじめられます。 けれども、どんなときも母親は悦子さんを元気づけてくれました。悦子さんも必死に生きる母の姿を見て成長していきます。 一方、父親は戦後しばらく出稼ぎに行っていましたが、父が出稼ぎから戻ったとき、お土産に赤い毛布を持ち帰ってきました。 その毛布で、悦子さんのために母が作ってくれたのがモンペでした。 朗読は、KYOKOさんです。 The post 戦後食糧難時代に感じた親のぬくもり first appeared on いのちをつなぐ架け橋プロジェクト.

    15 min

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