ブックカタリスト

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面白かった本について語るポッドキャスト&ニュースレターです。1冊の本が触媒となって、そこからどんどん「面白い本」が増えていく。そんな本の楽しみ方を考えていきます。 bookcatalyst.substack.com

  1. 5d ago

    BC143『言語化するための小説思考』と『理系の読み方』

    今回は、二冊セットシリーズの第三弾として、『言語化するための小説思考』と『理系の読み方: ガチガチの理系出身作家が小説のことを本気で考えてみた』の二冊を取り上げました。 収録で使ったメモは、以下からご覧になれます。 ◇ブックカタリストBC143用メモ | 倉下忠憲の発想工房 それぞれの本の内容よりも、お二人の作家さんに興味を持っていただけたら嬉しいです。 読むことと書くことの呼応 文章を書くという行為は、たいてい誰かに読んでもらうことが意図されます。個人的な手紙なら具体的な人物でしょうし、作品の場合は不特定多数の人間となります。どちらにせよ、そういう人に読んでもらって、文章はその意義を真っ当できます。 だから、読むことと書くことは呼応します。どう読まれるかを考えないと、どう書くかを検討できないからです。 ところで、どう読まれるのかが完璧に演算できるなら、この環は閉じます。そう読まれる通りに書く。言い換えれば、読まれるようにしか書けない。そこでは新しい表現は生まれてこないでしょう。 実際は違います。その文章がどのように読まれるのかを完璧に演算することはできません。個人レベルでもそうですが、不特定多数ならよりいっそう不可能です。だからこそ、誤配が生じる。そこから新たな「読み方/読まれ方」が立ち上がっていく。 一方で、ぜんぜんまったくわからないということもありません。全体として見たときの統計的な読まれ方の傾向、というのはたしかにあります。それを完全に無視して書けば、前衛芸術とすら呼ばれない代物ができあがるでしょう。 新しいものを生み出す人たちというのは、そのような二者のバランスの間をジグザグしながら採り続けている人たちなんだろうなと思います。 分析と「書いてみる」という実験 本編でも出てきましたが、ある状況を設定し、そこからどうなるのかを見守りながら、伏線や意味を(後づけで)見出していく、という書き方を二人の作家は採用しているわけですが、これはもちろん思考法でもあるわけです。 よく「書いて考える」という言い方をしますが(書きながら考えるという言い方でもいいです)、そこで行われているのはそのような「シミュレーションを動かす」に近いものです。 つまり、思考する→書く→思考する→書くという風に「書くこと」と「考えること」を交互に行うのが「書いて考える」ではありません。そうではなく、脳内である状況をシミュレーションし、そのシミュレーションを前に進めることを「書くこと」を通して行うのが、「書いて考える」なのです。 残念ながらそのプロセスは完全に脳内で進んでいくので、今こうして言葉で説明すること自体難しさがありますが、頭の中ですっかり思考を終えたものをただ紙の上に移すのでもなく、何も考えずにただ文を紡ぐのでもない、中間的な思考法が「書いて考える」です。そこでは、脳と文が相互に作用することで、思考のプロセスが前に進んでいきます。 だから文がただあるだけでは「書いて考える」は行えません。文から刺激を受け、次の文を生み出そうとするプロセスの中に「書いて考える」があります。だとすれば、生成AIが生成した文章を眺めているだけでは「書いて考える」にはならないでしょう。そうした点は注意したいポイントです。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe

  2. Jun 16

    BC141『置き配的』と『「手に負えない」を編みなおす』

    2冊テーマシリーズの第二弾です(第一回は以下)。 今回は、福尾匠さんの『置き配的』と友田とんさんの『「手に負えない」を編みなおす』の二冊を紹介しつつ、そこにある共通的なテーマを取り上げてみました。 プラットフォームが前提の社会において 収録時に参照したメモは以下に置いてあるので、書誌情報などはそちらでご確認ください。 ◇ブックカタリストBC141用メモ | 倉下忠憲の発想工房 私たちは、プラットフォームが前提の社会に生きています。SNS的言論空間だけでなく、ITサービスそのものが全般的にその方向に進んでいます。企業が作った土俵の上で生活しているといっても過言ではありません。 その上で、言論的空間のプラットフォームは私たちにある傾向を持たせようとします。プラットフォームにとって「好ましい」立ち振る舞いをそれとなくするように環境設計するのです。 はっきりそれをしろ、と命令するまでもありません。”適切”な報酬を見つけ出し、効果的なUIを構築すれば、ユーザーは自ずからそうした行動をとるようになります。大量のA/Bテストと、私たちの即時のフィードバックが「どんな機能が誘導において有効か」という問題を進化論的に解決してしまうのです。 BC034『啓蒙思想2.0―政治・経済・生活を正気に戻すために』 で「外部足場」という概念を紹介しましたが、そうした外部環境は自らを好ましい方向に拡張していくためだけに機能するものではなく、ある種のデバフ的効果も持ちえるものです。 だからこそ、私たちは何かしらの「対抗策」を持っておいた方がいい。 SNSをまったく使わなくても話はかわりません。私たちの身の回りは重商主義ならぬ重消費主義で満ちあふれていて、物事の価値や意義が経済性のみで測られます。私たちが社会=関係の中で生きていく以上、仮に自分がだけがそうした刺激から解放されたとしても、この社会の有り様はぜんぜん変わらないのです。 もちろん、そんな大きな問題を快刀乱麻に解決できるはずがありません。だからといって、何をしても無駄、ということはないでしょう。きっと手に負えないけども、手当てくらいはできる、ということがあるはずです。 別にそうしたプラットフォーマーを悪だと断じる必要はないのです(そもそも、その物の見方はあまりにも単純です)。それよりも日常に向ける目線、自分が感じる価値を多様に構築していく。それで人々の日常生活が少しでも変わるなら、まわりまわりまわりまわりまわりまわって、やや大きな何かが変わるかもしれません。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe

  3. May 19

    BC139『ケアと編集』と『遊びと利他』

    今回から2冊テーマシリーズを始めます。第一回は、『ケアと編集』と『遊びと利他』の二冊を取り上げます。 二冊テーマシリーズとは “二冊テーマシリーズ”は、一見異なる二冊の本から共通的なものを取り出そうという試みです。読書の醍醐味の一つです。 そうした「取り出し」を行うには、まず本の外側に立つ必要があります。本の中に閉じこめられていると「その本」しか目にはいりません。そうではなく、より広い視野で本を捉え、位置づけること。 ただし、手前勝手に位置づけるのは厳禁です。読むときは本の世界に入り込み、読み終えた後でその外に出て考える。言い換えれば、一人の著者が言わんとしていることを捉え、また別の著者の言わんとしていることを捉え、その二つを呼応させる。そういうアプローチです。 もちろん、誰がどう見ても同じこと言っているよね、という二冊を取り上げても面白みはありません。かといってどれだけ言葉を尽くされてもその二つがつながっていると理解できないものは受容はされないでしょう。 「一見すると」遠いような、しかし読んでみると納得できる程度の距離感を見つけるのが書き手・語り手としての腕の見せ所です。 入れ子状の構造 といったことが、知的に面白いのだよ、と示す為にまさにそういうことを行っている二冊を今回は取り上げました。それが『ケアと編集』と『遊びと利他』です。 タイトルが示すように、それぞれ「ケアと編集」と「遊びと利他」のつながりを示している本です。つまり、一見すると異なるトピックが結び合わされています。 そのような本二冊から共通するテーマを取り出そうとする、という入れ子状の構造になっています。 (文字で書いて説明していても、こんがらがってきますね) 意図・意志・支配・管理・効率…… 実際どんな風に語って、要素を取り出しているのかは本編をお聴きいただくとして、重要なのは単一の主体の「思った通りにする」ことの貧しさです。 私がある種の自己啓発に拒否感を覚えるのはこの点で、「思考が現実化する」ことが嬉しいことのように語られることがあるわけですが、自分の思考ってバイアスだらけで、ろくな想像力をしていないわけですから、その通りになるのは現実を「自分の思考の枠組み」に抑えこむのに等しいのです。ぜんぜん嬉しくありませんね。 でもってこれは、強引にたとえるならば、「単一意志の独裁政権」と言えます。独裁政権がヤバイことが直観的に理解できるなら、単一意志の思い通りになる(思い通りにしかなっていない)ことのヤバさもイメージできるかもしれません。 でもって、独裁政権はある観点で言えば、圧倒的に効率が良いのです。だって、トップが決めたら、他の誰も口を挟むことはできません。会議も打ち合わせも根回しも妥協もいらないのです。それが最高効率を実現させるのだとしても、長期的にみてそれでいいと言えるのかどうかはちょっと考えた方がよいでしょう。 管理や効率は、部分的に効いているならばうまく働いてくれます。でも、それが全体を支配し、「それって変じゃないですか」と誰も言わなくなったら、危険度が増します。 倉下は片方では、そのような効率化への工夫を好んでいますが、もう片方ではそのようなものが支配的になることへの警戒感を持っています。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe

  4. Apr 21

    BC137 薄い本を読む

    今回は、「薄い本を読む」をテーマに、読書初心者向きのレーベル・シリーズを紹介しました。ちなみに、135回の続きのつもりです。 知的好奇心、あるいは知的背伸びとして、難しい本に取り組むのもよいと思います。一方で、それが無理そうならばぐっと簡単な本に手を伸ばすのも懸命な判断です。初心者だから薄い本から読むべしという規範ではなく、「まあ、こういう本から手に取ってみてもいいんではないでしょうか」という提案として聴いてもらえればと思います。人間はその二つをジグザグに進みながら、”読書技能”を高めていくものです。 名前を挙げたレーベル・シリーズについては、以下のページでテキストとしてまとまっていますのでご興味あればご覧ください。 ◇BC137メモ 薄い本を読む | 倉下忠憲の発想工房 ちなみに、水声社さんの本はAmazonでは買えないので、書店か公式のサイトからどうぞ。 倉下流読書理論 第135回と今回は、「倉下流読書理論」の構成素材について少し語っています。本をどう読むのか、という話ですね。 その「理論」は、一冊一冊の本をどう読解していくのかというレイヤーと、複数の本をどう渡り歩いていくのかというレイヤーの二層で構成されていて、それぞれがお互いに影響を与え合っているのがポイントです。 また、「何のために本を読むのか」という目的論的分析も欠かせません。そう考えると、読書のノウハウって存外に複雑です。 どこかの時点で、そういった話を一冊の本にまとめたいとも考えております。請うご期待。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe

    BC137 薄い本を読む

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