日暮里ゼミナール

加納エミリ・JillLamm

シンガーソングライターの加納エミリがゼミ生として、二村康太とともに様々な肩書を持つゲストから、キャリアやビジネス、文化を学んでいく番組! 収録場所の日暮里から、日々の学びを発信中🗒 ■stand.fmを始めとして各Podcastでも配信中! https://lit.link/nipporizemi ■番組感想は以下のハッシュタグをつけてください! #日暮里ゼミナール ■加納エミリ プロフィール 1995年2月13日生まれ。北海道出身。2018年5月にデビュー。19歳から楽曲制作を始め、作詞・作曲・編曲などを全て自らで手がける。2019年11月20日、1stアルバム “GREENPOP ”を全国発売。2021年2月17日、渋谷WWWで自身二度目となるワンマンライブ(振替公演)を開催。現在は編曲やRemix、楽曲提供などを精力的に行っている。 TW→https://twitter.com/EMILY_k0213

  1. 16h ago

    #153 ぼくらの偏見統計学と、あざとさの境界線「やってる」問題【補講・後編】

    こちらは日暮里ゼミナールの補講の第76回となる#153です。 これといった明確なテーマを置かない今回は、ぼくのLINEでの発言をきっかけに、ぼくらの日常の観察から導き出した「自分なりの統計学」の開陳となりました。 たとえば、長女はプレッシャーの影響で「貧乳になりやすい」という女医さんのエビデンス(?)や、そこから派生した「子役出身の芸能人は幼少期から大人の世界で立ち回るからホルモン異常で背が低くなりがち説」。あるいはテレビで見かけた「埼玉県は睡眠時間が短いからバストサイズが云々」といった、因果関係はラフだけれど妙にそれっぽい俗説で盛り上がります。 さらに名古屋出身の二村からは「中京圏の古い人間は性格が悪い、すぐ村八分にする」という地元発の強烈な自虐が飛び出します。新潟や長野、京都の卑屈さの歴史にも通じる「地元いじり」ですが、観光地を聞かれて「来ても見るもんないよ」と本気で答えてしまう名古屋の卑屈な空気感は、もはや愛おしさすら覚えます。 そこから成長と栄養の「たまごとひよこ論」や、ぼくら時代の「遠足のお菓子代は三百円か百円か」という物価の話を経て、大人の男の「嗜好品と男らしさ」へ。 40歳を過ぎてスナック菓子やカルビが重くなるのが大人の男らしさ(少年性)かと思いきや、話は「あざとさ」の境界線、いわゆる「やってる/やってない」のボーダーライン検証へと突入しました。 この「やってる」というのは、一周回ったあえて感やわざとらしさ、自分へのジャッジの甘さが見えてしまうポーズや仕草のこと。 たとえば、高円寺あえての四畳半界隈が着る「ラクトコーヒーTシャツ」や、明治、ビスコ、キッコーマンといった国内の企業ロゴTシャツ。 二村のジャッジでは「コカ・コーラやトヨタは市民権を得ているからやってないが、ビスコはやってる」。さらには、現代の電車内で紙の新聞を綺麗に折りたたんで広げる行為や、ネットで買えるのにわざわざジャンプを紙で読む行為も、完全に「やってる」に認定されました。ちなみに、二村が「日暮里」とデカデカと書かれたTシャツを背負っているのも、ぼくから言わせれば完全に「やってる」側です。 自分ではナチュラルだと思って手に取っているものが、じつは周囲から「やってんな」と思われているかもしれない恐怖。自己認識のズレを徹底的に炙り出すため、次回は各自が「これ、やってる?」と思うギリギリの勝負服やアイテムを持ち寄る「やってるコレクション」を開催しようかと(曖昧)。 皆さんも、自分が無意識に「やってしまっている」ボーダーラインを見つめ直しながら、次回の泥仕合を楽しみにお待ちください。   TEXT:ユスカル https://www.wowrecords.jp/ 【当番組のwebサイトが開設されました!】 人生に「キク」ラジオ - 日暮里ゼミナール https://nippori.lamm.tokyo/

    30 min
  2. Jun 12

    #151 全て「運営」のさじ加減!?おじさんたちのシミュレーション【補講・前編】

    こちらは日暮里ゼミナールの補講の第75回となる#151です。 さて、今回のテーマは、主宰・二村が以前からことあるごとに唱えている「シミュレーション仮説」について。じつはぼくもこれには昔からうっすら賛成で、この世のすべては、何者かがプログラミングした箱庭なのではないかと、にらんでいます。 たとえば、世の中には宝くじが当たるような「運営(神)」からやたらと優遇されている主人公キャラが確実に存在します。イーロン・マスクやビル・ゲイツ、大谷翔平のような勇者たちがそれです。 彼らは、未来のぼくらの子孫が「おじいちゃんたちが別の選択をしていたらどうなるか?」を検証するために走らせている、壮大な祖先シミュレーションゲームの主要プレイヤーなのです。 では、ぼくらおじさん3名の役割は何なのか。当然、主人公ではなくモブ中のモブなのですが、二村曰く「インディーズ枠のバグ誘発種」なのだそう。 メインストリームだけでは世界が均質化してつまらなくなるため、あえて主流に反発するようなサブカル的、アート的なバグの種として、少数だけ配置された存在であると説きます。さらに面白いのが、この世界のシステム的な「仕様」です。 人間が景色や匂いに対して抱く「デジャヴ(既視感)」の正体は、過去の繰り返しではなく、単なるシステムの読み込みエラー、つまりは「グリッチ」とも考えられる。 デジタル画像を拡大するとピクセルが見えるように、この世界をどこまでも掘り下げていくと「プランク長」というこれ以上細かくできない解像度の限界にぶち当たるのも、じつにプログラミング的です。 量子力学の定番「シュレーディンガーの猫」の思考実験も、オープンワールドのゲームに例えれば、すんなり理解できるはずです。ぼくらが今こうして集まっている空間はリアルタイムで描画されていますが、一方で見ていない遠くの街の出来事は、マシンのサーバーがパンクしないように省略されている。人間が観測して初めてその物体がレンダリングされるという仕組みは、まさに最新のゲームエンジンそのものです。 この宇宙において、光速を超えるスピードで移動できないのも、アインシュタインの相対性理論云々というより、単に「運営側のサーバーの処理速度の上限が光速だから」と考えた方が辻褄が合います。ワープやUFO、実在しない国の通貨が見つかる怪事件などは、親会社の違う別のプラットフォームから、バグでアセットがポロりと紛れ込んでしまった結果なのかもしれません。 すべてが最初から決まっている自然のプログラム(決定論)なのか、それとも人工的な機械のプログラムなのか。鶏が先か卵が先かという議論の果てに、二村が「結局、みんなそれぞれが自分の物語の主人公なんだよ」と、気持ちの悪いスピリチュアルなまとめをして幕を閉じました。 せいぜい僕らインディーズキャラは、これからも運営のメモリを無駄に消費するようなくだらない雑談を撒き散らしながら、このバグだらけの日常をサバイブしていく他ないのかもしれません。 TEXT:ユスカル https://www.wowrecords.jp/ 【当番組のwebサイトが開設されました!】 人生に「キク」ラジオ - 日暮里ゼミナール https://nippori.lamm.tokyo/

    26 min
  3. May 29

    #149 「スキン期」の衝撃と、ギュラれるぼくらの未来【補講・後編】

    こちらは日暮里ゼミナールの補講の第74回となる#149です。 後半からは、先月の収録後に足を骨折し、電気治療でベッカム並みの快復力を見せる大内も合流。後半の議題は、二村が並々ならぬこだわりを持つ「スキン期(人型外装を持つAIロボの時代)」についてです。 近年、イーロン・マスクが開発を進めるロボットのように、所作が極めて人間に近い機体が登場し始めています。ならば次は、その中身(メカ)にシリコンなどの人工皮膚を被せた「スキン付き」の時代が来るはずだと二村は言うのです。 しかし、いざ議論を始めてみると、「工場ならメカ剥き出しの方が効率的だ」「戦場ならロボットだと割り切れる外見の方がよっぽど怖い」と、ぼくらから次々と異論が噴出。介護の現場においても、生々しい人型よりはベイマックスのような、柔らかくて愛嬌のあるマスコット型の方が受容されやすいのではないか、という結論に至りました。 一方で、ぼくはさらにその先、AIが人間を凌駕したシンギュラリティ以降の世界を予見します。そこでは、肉体という概念すら希薄になり、人間の脳だけが塩水に浮かび、メタバース(仮想世界)の中でアバターとして生きていく。死の概念すら消え去ったその世界では、もはや「スキン」が人工か生身かという議論すら無意味なワケです。 さらに、昨今の「AIに仕事を奪われる」という社会現象を指して、巷では「ギュラれる(シンギュラリティによって職を失う)」という造語まで生まれているのだとか。我々がAI味の残る生成画像や不完全な合成音声を「レトロで可愛い」と愛でていられるのも、今のうちだけかもしれません。 結局、人間は機械に強さを求め、AIは人間に憧れて本来は不必要なはずの「スキン」を欲しがる。そんな、ないものねだりの逆転現象が起きる日は、案外すぐそこまで来ているのかもしれません。 というわけで、ぼくは、超知能AIに「ギュラれる」その日まで、せいぜい人間にしか出せない無駄なニュアンスを撒き散らし、Geminiさんにも敬語を正しく使いながら、神の逆鱗の触れないよう慎ましく生きていこうと思います。   TEXT:ユスカル https://www.wowrecords.jp/ 【当番組のwebサイトが開設されました!】 人生に「キク」ラジオ - 日暮里ゼミナール https://nippori.lamm.tokyo/

    28 min
  4. May 15

    #147 AIが描く未来と“プロセス”の消失【補講・前編】

    こちらは日暮里ゼミナールの補講の第73回となる#147です。 今回のテーマは、前回に続き「AI」おかわり回。 最近のAI、特に画像や動画生成の進化スピードには目を見張るものがあります。かつては分業が当たり前だったクリエイティブの現場でも、AIを駆使してひとりで完結させてしまう内製化が加速しており、これまで外注されていた仕事が目に見えて減り始めているというのです。 そんな中、ぼくが議題に挙げたのは、昨年のゲーム・オブ・ザ・イヤーを獲得したRPG『Clair Obscur: Expedition 33』を巡る炎上騒動です。背景美術などにAIを使用した疑いで批判を浴びたこの一件、ぼく個人としては「ゲーム自体が面白ければ過程のツールなんて何でもよくない?」と思うのですが、特に海外では「職を奪われる」という切実な問題に加え、「AIを使うのはダサい、粋じゃない」という美学的な反発が根強いと、二村は説きます。 人はなぜ、こうも“プロセス”にこだわるのでしょうか? ぼくはこれを「天丼キャンディ」に例えてみました。すると田嶋は「たとえ味が完璧に再現されていても、飴玉ひとつで天丼を食べた満足感は得られない。ぼくらが求めているのは味そのものだけでなく、サクッとした食感や店の雰囲気、大将が揚げている姿といった体験である」と、説くのです。 アートも同様で、制作過程の苦労や文脈、人間特有の揺らぎやニュアンスこそが体験価値の本質なのではないでしょうか。 現状のAI生成物には、まだどこかAI味(不気味の谷)が残っています。しかし、もしAIがその違和感を完全に克服し、人間そっくりの皮(スキン)を被る「スキン期」が到来したら、ぼくらはそれを見抜けるのでしょうか。 ロボットが握った寿司と、職人が握った寿司。中身が同じだとしても、受け手の認知ひとつで価値が180度変わってしまう。そんな情緒という名のあやふやな領域で、ぼくら人間はかろうじて踏みとどまっているのかもしれません。 結局のところ、ぼくらがAIに抱く恐怖の正体は、効率化の果てに人間らしさという名の贅沢な無駄が削ぎ落とされてしまうことへの寂しさなのかもしれません。と、今回も明確な答えは出ないまま、議論は「スキン期」のその先を見据える後編へと続きます。 TEXT:ユスカル https://www.wowrecords.jp/ 【当番組のwebサイトが開設されました!】 人生に「キク」ラジオ - 日暮里ゼミナール https://nippori.lamm.tokyo/

    27 min

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シンガーソングライターの加納エミリがゼミ生として、二村康太とともに様々な肩書を持つゲストから、キャリアやビジネス、文化を学んでいく番組! 収録場所の日暮里から、日々の学びを発信中🗒 ■stand.fmを始めとして各Podcastでも配信中! https://lit.link/nipporizemi ■番組感想は以下のハッシュタグをつけてください! #日暮里ゼミナール ■加納エミリ プロフィール 1995年2月13日生まれ。北海道出身。2018年5月にデビュー。19歳から楽曲制作を始め、作詞・作曲・編曲などを全て自らで手がける。2019年11月20日、1stアルバム “GREENPOP ”を全国発売。2021年2月17日、渋谷WWWで自身二度目となるワンマンライブ(振替公演)を開催。現在は編曲やRemix、楽曲提供などを精力的に行っている。 TW→https://twitter.com/EMILY_k0213

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