残間光太郎の"闘うものの歌が聞こえるか"

kotaro zamma

イノベーションで世界をよりよく変えていこう、という闘う人々を応援するチャネルです。スタートアップや大企業、音楽家やアーティストなど、様々なイノベーターのビジョン、考え方、パッションを是非是非、全身で感じてください!

  1. 社会にも貢献できて、自分がワクワクできるノベーション(1644回)

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    社会にも貢献できて、自分がワクワクできるノベーション(1644回)

    新炭素素材で寿命100年の電池を目指している、東北大学発ベンチャーの3DC・黒田拓馬CEOの言葉に震えました ブレイクスルーとは何か?との質問に曰く "自分が心からワクワクできること、 大変だけど、ワクワクできることですね。  すごく信頼できるチームと一緒に作り上げていって 、世界がちょっとだけ幸福になると。 リスクを取ったからこそ、これだけのチャレンジができているとも思っておるので 社会にも貢献できて、自分がワクワクできることっていうのが 、ブレイクスルーの実は本質なんじゃないかなと、私と私は考えております。" ここから私は思いました 1、パッションに火をつけるのはセレンディピティ 2、信頼できるチームとしての仲間 3、世界がちょっとだけ幸福になるという大義 1、パッションに火をつけるのはセレンディピティ VCの時代に出逢われた東北大学の西原洋知教授の技術に感銘して、3DCを立ち上げられたという、黒田拓馬CEOは、元々は裏方が好きでベンチャーを自身でやるとは思ってなかったとの言葉に パッションの源に、火がつくということは、誰にでもある意味、ラブストーリーが突然始まるように、突然起きることなのかもしれないなあと思いました そして、結果論ですが、もともと機能性材料メーカーで、開発職をされていた黒田さんが、新たな挑戦としてVCに行かれたことが、セレンディピティを自らが掴みに行ったことになったのだろうなあと思いました そこに、東北大学の西原洋知教授が、起業をするための経営者を探していたとは、その時には思いもよらないことだったと思うのですが、スピードスケートの高木美帆さんが言われていた通り 普段やらないこと、それは、たとえ、イカが苦手だけど今日は食べてみようなどという、ほんの小さな挑戦であっても、普段から何かにチャレンジすることをやっている人に、セレンディピティは訪れる、そんなことかと思いました 2、信頼できるチームとしての仲間 世界の科学者100にも選ばれている東北大学の西原洋知教授と、技術開発もわかり、かつVC経験を積まれた黒田拓馬CEOの、コンビは、最強の技術者と経営者の仲間ということが言えるかと思います まるで、Appleのスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックのような、お互いの得意技が秀でている仲間が信頼関係を組んだ時に、爆発的イノベーションが起きる、そんなことを思い起こされました そこには、東北大学の西原洋知教授が、自らの技術の社会実装をするためには、ベンチャー企業にする必要性を感じて、仲間としての経営者候補を探し続けたということが、運命の分かれ道だったような気がします 全てを自分でやる必要はなくて、得意なところは、得意な仲間を見つけることが大切だと、改めて教えて頂いた気がしました 3、世界がちょっとだけ幸福になるという大義 この技術を使ったら、どのように世の中の人たちや社会が、これまでより幸せな人が増えるのか?それは、自分たちの利益や継続する必要もあるけれども、社会への貢献、喜んでくれる人を増やす、そんな大義があるからこそ、たくさんの人たちの応援を頂けているし さらには、それがまた自らのパッションの源にもフィードバックされて、よりビジネス化へのウィルが高まっていく、そんな、自らのパッションと、世界への大義、これがうまく結びつくことで生まれる、正のループなのだろうなあと思いました こう考えると、まさに、イノベーターリップルモデル、または、3つのフレームである、ワクワクするパッションに火がつくことから始まり、自分だけではできないことを仲間と共に、たくさんの人たちが喜んでもらえることを目指す大義 つまり、パッション、仲間、大義、を意識されていた、イノベーターの動き方そのものだなあと、共感させていただきました ということで一言で言うと 社会にも貢献できて、自分がワクワクできるノベーション そんな話をしています 参考: ブレイクスルー “寿命100年”の充電池を実現へ 新・炭素素材で目指す“驚異の性能”2025/10/18(土)AM10:30~AM11:00 テレビ東京https://apps.apple.com/JP/app/id973776639?mt=8

    18 min
  2. 200年後の舞台に影響を与えるノベーション(1643回)

    1 G FA

    200年後の舞台に影響を与えるノベーション(1643回)

    又吉直樹さん脚本、市村正親さん主演の、音楽劇エノケンで、喜劇王の凄まじいパッションと秘められた思いに、めちゃくちゃ感動しました 演出家のシライケイタさん曰く "稀代の喜劇人であるエノケンの人生を辿る旅は、想像を超えて険しく、苦しいものなのだと実感しています。それは、エノケンが観客や視聴者に見せていた芸人としての表の顔の裏側に、筆舌に尽くしがたい悲しみと苦しみを抱えていたからに他なりません。" "劇中でエノケンと仲間たちが夢見た「いつかきっと時代なんか気にせず、客が思いっきり楽しめる芝居を作りたい」という切実な思い、そして親友の菊谷榮がエノケンに言う「ケンちゃんの思いが、百年後、二百年後の舞台に影響を与える」という言葉。 又吉さんの書かれたこれらの台詞が、当時の演劇人たちと現在の我々を強く結び付ける、見えない糸でした。 その糸を手繰って進むうちに、彼らの思いに照射されるように「我々は今、命の限り精一杯生きているか?」という問いかけが、鋭い刃になって胸に刺さり続ける稽古場でした。" ここから私は思いました 1、脱出パッション 2、200年後への大義 3、生き様を遺せるか 1、脱出パッション 音楽劇エノケンは、めちゃくちゃ泣きました。素晴らしい物語と、そして俳優の皆様の迫力の演技、さらには素晴らしい音楽、美術、セット、全てにおいて、観て良かったと心から言える作品でした 特に、エノケンさんが、戦時中の制限された中、自らの病や、家族や仲間との関係など、本当に筆舌しがたいほどのハードシングスを抱えて、それでも諦めずに前に進み、人々に笑いを届けようとしていた姿には、強く心を打たれました これは、もちろん、喜劇が大好きパッションは異常に強かったのかと思いますが、それに加えて、ハードシングスを、何とか乗り越えてやるという、脱出・成長パッションが半端なくあったのかと思いました 大好き、利他、個性、脱出などあるパッションの源の中でも、最も激しく力強いバネを持つのが、脱出パッションだと改めて思いました。コンプレックスや逆境があるからこそ、激しく飛び上がることができる、改めてその強さと美しさを思いました 2、200年後への大義 シライケイタさんのお話にもある通り、200年後の演劇に影響を与えるほどの、喜劇をやるんだ!というその大義があったからこそ、さまざまな人たちを仲間として巻き込むことができたのだろうなと思いました エノケンさんが活躍されたのは、昭和の初期になるので、まさに、今から数えると約100年前にあたることになり、まさに我々の生きている時代、さらには、今から100年後へも続くメッセージを届けるという、長期の大義やビジョンは、今の自分たちに直接突き刺さるなと思います 人をいかに笑わすか、楽しんでもらうか、そして、そのためには何もかもかなぐり捨てて、ハードシングスにも決して歩みを止めず、最後の最後まで諦めない そんなエノケンさんの200年後までつながる、大いなる大義は、今の私の心を軽々と貫いて、今の自分は何をすべきかを、考えさせてくれるものだと思いました 大いなる大義とは、その時代のたくさんの仲間だけでなく、時間を超えてまでも、人を動かすことができる、そういう物なのかもしれないと思いました 3、生き様を遺せるか 能や歌舞伎、さらには老舗と言われる何百年続く活動は、全てにおいて、数100年変わることのない大いなる大義があるのかもしれないと思いました その大義の中で、後世へ繋げるための、自分はどんな生き様を遺すことができるのか、何を繋ぐことができるのか、そんなことを人の一生を超えて、大義へ近づこうとする、そんな生き様を果たして自分は生きることができるか 内村鑑三さんの、後世への最大遺物や、ヨーゼフボイスさんの社会彫刻、のような、何かを少しでも引き継いでいくことができる、そんな活動ができれば、素敵な人生と自分で思えるかもしれないなあと、そんなことを思いました 一言で言うと 200年後の舞台に影響を与えるノベーション そんな話をしています^ ^ 参考:音楽劇エノケン 脚本 又吉直樹、演出 シライケイタ 主演 市村正親、松雪泰子他 プロデユーサー 吉永千紘 飯田千佳奈 齋藤安彦 制作 ホリプロ、東宝 https://enoken-stage.jp

    19 min
  3. 人生とどう向かい合って生きてきたかに美しさが出るノベーション(1642回)

    1 G FA

    人生とどう向かい合って生きてきたかに美しさが出るノベーション(1642回)

    愛知専門尼僧堂 堂長の青山俊董さんの、美しさに対する言葉に震えました "例えば、 1つの歌を聞いていても、技の上手いだけの歌と、その人の人生をどう生きてきたかの人生観を生き方を背景としたの歌とはね。歌の重さが違う、響きが違う。 やっぱりね、いろんな人生がそれぞれの人生あるに決まってる。人生が幸せか不幸せはどうでもいいんです。それをどういただいてどう受けてきたか。そして 30年 50年の人生を一つ一つどんなことがあることに、どう取り組んで生きてきたか。 皆さんのようないわゆる芸の仕事でも。そこに立っただけで、何か違うものがある。恐ろしいですね。 それはごまかしようがない。" "そういう意味でね。本分は絵とか歌とか芸ではなくて、自分の人生とどう取り組んだかと向かい合って生きてきたか。それが真ん中です。それが芸として現れる。 そういうことではないかな。それが本当の意味での美しさということでもあるのではないかなって思えてならんのです。" ここから私は思いました 1、日々の人生との向き合い方が全てに出る 2、そこに本当の意味の美しさがある 3、生き様が姿に現れる 1、日々の人生との向き合い方が全てに出る アカペラグループ香港好運で33年歌を歌ってきましたが、この青山さんの言葉には、めちゃくちゃ考えさせられるところがありました 20代の頃は、多少の風邪をひいても、ライブに支障があることなんてほとんどなく、かつ、さまざまなバンドと一緒になることがありましたが、負ける気がしない、みたいな気持ちで、良いバンドが出れば尚更燃えて、対抗して歌うみたいな気持ちがありました でも、それらのライブは、自分としての満足感はあったものの、聴いてくれている人達に響いていないなあと、よく思っていたことも思い出しました もちろん、技術として磨く必要はあるのですが、その歌をどんな気持ちで歌うのか、どう解釈して歌うのか、自分の人生に照らし合わせて歌うなんてことは、ほとんどやっていなかったなあと思いました また、それが、テクニックとしてするのではなく、さらに滲み出てくるものだ、ということに関しては、技術を磨くことだけでなく 全く関係のない人生の部分に関しても、磨いていくことをしない限り、良い歌は歌えないという言葉は、心に突き刺さります。 果たして自分の歌はどこまで人生が透けて見えてしまっているのだろうと考えると、かなり怖くなってしまいますが、それでも、これまでの人生が反映できるような、そしてこれからの人生も、そのために磨いていくことをすることが きっと歌だけでなく、さまざまなことに、透けて、滲んで見えるということは、心に刻みたいと思いました。 2、そこに本当の意味の美しさがある 自分が美しさを感じる時を考えてみると、何か、舞台やライブを見に行った時に、その人が本気で何かを伝えようとしている、または本気で観客を楽しませようとしてくれている、そこに後先を考えないフルスロットルで臨んでくれている、などを感じたときは その舞台やライブの内容云々よりも、その人のドキュメンタリー映像を見ている感覚で、とても美しくて、感動して涙が出ることがあります そして、それが、その時だけでは、絶対にできないもので、長い間、その思い出積み重ねてきたものを感じたときは、さらに神々しくさえ見えてくるなあと思いました 見てくれが美しいという方もいらっしゃいますが、何かその日々の生き方が美しいと思える人は、何かのおりに、それが垣間見えたりすると、美しさに本当に感動するなあと思いました 3、生き様が姿に現れる そしてそれこそが、内村鑑三さんが言われているところの、「後世への最大の遺物」における、思想、お金、事業はなかなか遺せなくても 生き様だけは誰もが遺せる、と言われているものかもしれないなあと思いました。つまり、ただ生きているだけでは、生き様は遺せなくて、日々、自らと向き合って真摯に対応してきた人だけが、実は生き様を遺せる、そんなことなのかもしれないなあと思いました それはもしかしたら、一番難しいかもしれないけれども、誰もがやろうと思えばできる、という、本気で覚悟を持って取り組むかどうか、本人の意識にかかっている、そんなことを突きつけられている気がしました 全てを完璧になんて生き切ることは、自分には無理だとしても、常日頃、忘れそうになったら、思い出したい、そんな言葉になりました ということで、一言で言えば 人生とどう向かい合って生きてきたかに美しさが出るノベーション そんな話をしています 参考:NHK  スイッチインタビュー「俳優瀧内公美✕青山俊董EP1」2025/10/17(金)https://www.nhk.jp/g/ts/K7Y4X59JG7/blog/bl/ppoboWY15R/ 動画で観たい方はこちら https://youtu.be/L8qzcbJu3Dc

    17 min
  4. 2 GG FA

    人生とどう向かい合って生きてきたかに美しさが出るノベーション(1642回)

    愛知専門尼僧堂 堂長の青山俊董さんの、美しさに対する言葉に震えました "例えば、 1つの歌を聞いていても、技の上手いだけの歌と、その人の人生をどう生きてきたかの人生観を生き方を背景としたの歌とはね。歌の重さが違う、響きが違う。 やっぱりね、いろんな人生がそれぞれの人生あるに決まってる。人生が幸せか不幸せはどうでもいいんです。それをどういただいてどう受けてきたか。そして 30年 50年の人生を一つ一つどんなことがあることに、どう取り組んで生きてきたか。 皆さんのようないわゆる芸の仕事でも。そこに立っただけで、何か違うものがある。恐ろしいですね。 それはごまかしようがない。" "そういう意味でね。本分は絵とか歌とか芸ではなくて、自分の人生とどう取り組んだかと向かい合って生きてきたか。それが真ん中です。それが芸として現れる。 
そういうことではないかな。それが本当の意味での美しさということでもあるのではないかなって思えてならんのです。" ここから私は思いました 1、日々の人生との向き合い方が全てに出る 2、そこに本当の意味の美しさがある 3、生き様が姿に現れる 1、日々の人生との向き合い方が全てに出る アカペラグループ香港好運で33年歌を歌ってきましたが、この青山さんの言葉には、めちゃくちゃ考えさせられるところがありました 20代の頃は、多少の風邪をひいても、ライブに支障があることなんてほとんどなく、かつ、さまざまなバンドと一緒になることがありましたが、負ける気がしない、みたいな気持ちで、良いバンドが出れば尚更燃えて、対抗して歌うみたいな気持ちがありました でも、それらのライブは、自分としての満足感はあったものの、聴いてくれている人達に響いていないなあと、よく思っていたことも思い出しました もちろん、技術として磨く必要はあるのですが、その歌をどんな気持ちで歌うのか、どう解釈して歌うのか、自分の人生に照らし合わせて歌うなんてことは、ほとんどやっていなかったなあと思いました また、それが、テクニックとしてするのではなく、さらに滲み出てくるものだ、ということに関しては、技術を磨くことだけでなく 全く関係のない人生の部分に関しても、磨いていくことをしない限り、良い歌は歌えないという言葉は、心に突き刺さります。 果たして自分の歌はどこまで人生が透けて見えてしまっているのだろうと考えると、かなり怖くなってしまいますが、それでも、これまでの人生が反映できるような、そしてこれからの人生も、そのために磨いていくことをすることが きっと歌だけでなく、さまざまなことに、透けて、滲んで見えるということは、心に刻みたいと思いました。 2、そこに本当の意味の美しさがある 自分が美しさを感じる時を考えてみると、何か、舞台やライブを見に行った時に、その人が本気で何かを伝えようとしている、または本気で観客を楽しませようとしてくれている、そこに後先を考えないフルスロットルで臨んでくれている、などを感じたときは その舞台やライブの内容云々よりも、その人のドキュメンタリー映像を見ている感覚で、とても美しくて、感動して涙が出ることがあります そして、それが、その時だけでは、絶対にできないもので、長い間、その思い出積み重ねてきたものを感じたときは、さらに神々しくさえ見えてくるなあと思いました 見てくれが美しいという方もいらっしゃいますが、何かその日々の生き方が美しいと思える人は、何かのおりに、それが垣間見えたりすると、美しさに本当に感動するなあと思いました 3、生き様が姿に現れる そしてそれこそが、内村鑑三さんが言われているところの、「後世への最大の遺物」における、思想、お金、事業はなかなか遺せなくても 生き様だけは誰もが遺せる、と言われているものかもしれないなあと思いました。つまり、ただ生きているだけでは、生き様は遺せなくて、日々、自らと向き合って真摯に対応してきた人だけが、実は生き様を遺せる、そんなことなのかもしれないなあと思いました それはもしかしたら、一番難しいかもしれないけれども、誰もがやろうと思えばできる、という、本気で覚悟を持って取り組むかどうか、本人の意識にかかっている、そんなことを突きつけられている気がしました 全てを完璧になんて生き切ることは、自分には無理だとしても、常日頃、忘れそうになったら、思い出したい、そんな言葉になりました ということで、一言で言えば 人生とどう向かい合って生きてきたかに美しさが出るノベーション そんな話をしています 参考:NHK スイッチインタビュー「俳優瀧内公美✕青山俊董EP1」2025/10/17(金)https://www.nhk.jp/g/ts/K7Y4X59JG7/blog/bl/ppoboWY15R/ 動画で観たい方はこちら https://youtu.be/L8qzcbJu3Dc

    17 min
  5. 2 GG FA

    生きてる人も死んだ人も縁の中で影響し続けるノベーション(1641回)

    愛知専門尼僧堂 堂長の青山俊董さんの、美しさに対する言葉に震えました "例えば、 1つの歌を聞いていても、技の上手いだけの歌と、その人の人生をどう生きてきたかの人生観を生き方を背景としたの歌とはね。歌の重さが違う、響きが違う。 やっぱりね、いろんな人生がそれぞれの人生あるに決まってる。人生が幸せか不幸せはどうでもいいんです。それをどういただいてどう受けてきたか。そして 30年 50年の人生を一つ一つどんなことがあることに、どう取り組んで生きてきたか。 皆さんのようないわゆる芸の仕事でも。そこに立っただけで、何か違うものがある。恐ろしいですね。 それはごまかしようがない。" "そういう意味でね。本分は絵とか歌とか芸ではなくて、自分の人生とどう取り組んだかと向かい合って生きてきたか。それが真ん中です。それが芸として現れる。 
そういうことではないかな。それが本当の意味での美しさということでもあるのではないかなって思えてならんのです。" ここから私は思いました 1、日々の人生との向き合い方が全てに出る 2、そこに本当の意味の美しさがある 3、生き様が姿に現れる 1、日々の人生との向き合い方が全てに出る アカペラグループ香港好運で33年歌を歌ってきましたが、この青山さんの言葉には、めちゃくちゃ考えさせられるところがありました 20代の頃は、多少の風邪をひいても、ライブに支障があることなんてほとんどなく、かつ、さまざまなバンドと一緒になることがありましたが、負ける気がしない、みたいな気持ちで、良いバンドが出れば尚更燃えて、対抗して歌うみたいな気持ちがありました でも、それらのライブは、自分としての満足感はあったものの、聴いてくれている人達に響いていないなあと、よく思っていたことも思い出しました もちろん、技術として磨く必要はあるのですが、その歌をどんな気持ちで歌うのか、どう解釈して歌うのか、自分の人生に照らし合わせて歌うなんてことは、ほとんどやっていなかったなあと思いました また、それが、テクニックとしてするのではなく、さらに滲み出てくるものだ、ということに関しては、技術を磨くことだけでなく 全く関係のない人生の部分に関しても、磨いていくことをしない限り、良い歌は歌えないという言葉は、心に突き刺さります。 果たして自分の歌はどこまで人生が透けて見えてしまっているのだろうと考えると、かなり怖くなってしまいますが、それでも、これまでの人生が反映できるような、そしてこれからの人生も、そのために磨いていくことをすることが きっと歌だけでなく、さまざまなことに、透けて、滲んで見えるということは、心に刻みたいと思いました。 2、そこに本当の意味の美しさがある 自分が美しさを感じる時を考えてみると、何か、舞台やライブを見に行った時に、その人が本気で何かを伝えようとしている、または本気で観客を楽しませようとしてくれている、そこに後先を考えないフルスロットルで臨んでくれている、などを感じたときは その舞台やライブの内容云々よりも、その人のドキュメンタリー映像を見ている感覚で、とても美しくて、感動して涙が出ることがあります そして、それが、その時だけでは、絶対にできないもので、長い間、その思い出積み重ねてきたものを感じたときは、さらに神々しくさえ見えてくるなあと思いました 見てくれが美しいという方もいらっしゃいますが、何かその日々の生き方が美しいと思える人は、何かのおりに、それが垣間見えたりすると、美しさに本当に感動するなあと思いました 3、生き様が姿に現れる そしてそれこそが、内村鑑三さんが言われているところの、「後世への最大の遺物」における、思想、お金、事業はなかなか遺せなくても 生き様だけは誰もが遺せる、と言われているものかもしれないなあと思いました。つまり、ただ生きているだけでは、生き様は遺せなくて、日々、自らと向き合って真摯に対応してきた人だけが、実は生き様を遺せる、そんなことなのかもしれないなあと思いました それはもしかしたら、一番難しいかもしれないけれども、誰もがやろうと思えばできる、という、本気で覚悟を持って取り組むかどうか、本人の意識にかかっている、そんなことを突きつけられている気がしました 全てを完璧になんて生き切ることは、自分には無理だとしても、常日頃、忘れそうになったら、思い出したい、そんな言葉になりました ということで、一言で言えば 人生とどう向かい合って生きてきたかに美しさが出るノベーション そんな話をしています 参考:NHK スイッチインタビュー「俳優瀧内公美✕青山俊董EP1」2025/10/17(金)https://www.nhk.jp/g/ts/K7Y4X59JG7/blog/bl/ppoboWY15R/ 動画で観たい方はこちら https://youtu.be/L8qzcbJu3Dc

    17 min
  6. 生きてる人も死んだ人も縁の中で影響し続けるノベーション(1641回)

    3 GG FA

    生きてる人も死んだ人も縁の中で影響し続けるノベーション(1641回)

    30年間で700人、日本でもっとも多くのALS患者と向き合ってきた徳島大学病院医師であり、僧侶でもある和泉唯信さんの言葉に震えました 曰く "人の命は一回限りで尊い。それはもう言うまでもないことですよ。 だから、それは長ければいいというふうなとは、それは、同居しない話だと思いますよ。その人がその人らしくというようなところで、そこで終わりを迎えるというふうなのは、私は同居できる考え方だと思いますよ。 私たちが関わったのは、ほんのごく1部なんで、そういう中で、家族さんの負担という多大な時間があって。  ちょっとした喜びというふうなのが、本当に嬉しいいうのもありますよね。そういうふうなところが、やっぱり生きてこそ 、その一瞬という風なのは、もう変えがたいじゃないですか。何者にも変えがたいですよね。 その嬉しさっていうのは。 人生てそれの積み重ねじゃないかと思うんです。人生の終わりに対して、非常に恐怖を持って、その恐怖があってもいいじゃないですか。 生きてる人も死んだ人も、それとともにいろいろ縁の中であって、かつそれで生きてる人に影響をし続けてくれる、そこを感じたいなと。生身の人間同士の会話ももちろん大切。先に逝かれた人との会話も大切。 体力も弱ってくるし、いろんなものも、能力も弱ってくるけれど。最後まで歩みを、死ぬ日まで歩みを続けたい、というのが、今の私の願望ですね。" ここから私は思いました 1、その人らしく選択できること 2、日々のちょっとしたことが幸せ 3、生きてる人、逝かれた人、との会話が大切 1、その人らしく選択できること 病をケアするお医者さんと、逝かれた人や残された人をケアする僧侶の、両方の立場を行き来されている、和泉さんの言葉の重みに感動しました。 私が思ったのは、生きている時も、逝くときも、自らの選択ができるようにやりたいなということです。 私は常日頃自らのパッションの源を意識しておきたいとの話をしていますが、生きている時の選択としても、自分軸と他人軸の拮抗した選択をせざるを得ないと思いますが、ともすると、他人軸の考えでいつのまにか動かされている、そんなこともあるなあと思います 最近、私の父の命日で思い出すのは、生前は延命治療はしないでくれと、キッパリ伝えてくれていたことです。そのおかげで、私の方でも、迷うことなくそちらの道を父に選択してもらうことができたのは、本当に感謝です 生きている時も、逝かれるときも、自分としても、どちらも自分で選択している、そんなことを、パッションの源に従って生きていきたいなと思いました 2、日々のちょっとしたことが幸せ 人の幸せの三要素は、樺沢紫苑さんや、シリコンバレー最重要思想家のナヴァルさんと言われている、健康(セロトニン)、仲間(オキシトシン)、成功(ドーパミン)のお話がありますが 人それぞれの人生のステージや、時々の状況で異なると思いますが、そのどれかにでもほんの少しの出来事や、自らの気づきがかかることで、幸せを感じることができると思いますし 例えば、全てがなくでも、一つでもほんの少しでもちょっとしたことでも、どこかにかかれば、幸せに感じられるのだよなあと改めて思います 例えば、健康が思った通りでなくとも、思ったような成功がなくたって、家族や友達などの仲間との、ほんの少しのふれあいでも実は幸せを感じれるし、結局はそれが人生の幸せってことなんだなあと、改めて思わせて頂きました 3、生きてる人、逝かれた人、との会話が大切 以前、私が作った曲で、みんなのかけら(未発表)があるのですが、自分自身のちょっとした思いが、ああ、これって父がよくいってたことだなあとか、以前の仲間が言ってたなあとかいうことがあると思います それは、自分自身の中身が、いろんな人たちの言葉や思いで、たくさん形作られているということなんだなあと、つまり、みんなのかけらが僕らの中に実はビルトインされているんだろうなあと思います それはもう二度と会えない人だったり、逝かれた人だったり、すぐにでも会える人だったり、本や映画や舞台の登場人物だったり、いろんな人たちのかけらで自分はできてるんだなあとおもいます とすると自分はあるのか?ってこともありますが、総合的に自分で、そして平野啓一郎さんの分人思想のように、時と場合によってその割合も変わる、それで良いのかと思います いずれにしても、自分の中に、実は、二度と会えない人だって、逝かれた人だって、実は、生きていて、今も自分と会話してる、そんな感覚があるなあと思いました ということで、一言で言えば 生きてる人も死んだ人も縁の中で影響し続けるノベーション とても元気が出て勇気のいただけるお話をもらったなあと思いました そんな話をしています^ ^ 参考:NHK  心の時代 医師にして僧侶 和泉唯信 2025/10/28  https://www.nhk.or.jp/tokushima/info/articles/310/014/81/

    19 min
  7. 荒波に漕ぎ出すノベーション(1640回)

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    荒波に漕ぎ出すノベーション(1640回)

    大沢たかおさんがプロデューサーかつ主演という、"映画 沈黙の艦隊 北極海大海戦"に、イノベーションを実現しようとする人のマインドセットを学ばせていただきました イントロダクションより "描かれるのは、原作漫画随一のバトルシーン〈北極海大海戦〉と、連載当時にテレビ特番が組まれるほどの社会現象となった〈やまと選挙〉。 冷たい北の海で繰り広げられる緊迫の魚雷戦。砕ける流氷を回避しながら、最新鋭潜水艦同士の戦いが激しく加速する――― シリーズ随一の見所が詰まった、極上のアクション・ポリティカル・エンターテインメント。 新たなる戦いがはじまろうとしている。" ここから私は思いました 1、大義を諦めない 2、必ず答えはあると問い続ける力 3、行動に移す覚悟 1、大義を諦めない "〈大〉いなる平〈和〉と名づけられた原子力潜水艦"「やまと」が、対立が終わらない世界を、終わらせることを目的に、たった一隻で世界と渡り合う そんなことはできるはずがないと、誰もが思っていることに、挑戦し続ける姿に、心底感動で胸が打ち震えました それは、自分自身が守りたい大義を、決して諦めないということかと思いました。本当に平和な世の中、争いのない世の中をつくりたい、と本気で思えるのか どこかにそんなことはできっこないという諦めと、バイアスに支配されているのではないか、自分の情熱の源にある根っこの感情を、本当に追求し続けられるか、そんなことを問われている気がしました 2、必ず答えはあると問い続ける力 あまりにも困難な状況や、自分自身のちっぽけな思いなんてと思ってしまって、安易な答えに飛びついてしまう。みんながそちら側にいるからという理由で、仕方ないと言いながら、選択してしまう 沈黙の艦隊の海江田四郎元首は、世界に紛争はなくせすはずがない、というそんな気持ちに楔を打ちつける、新しい答えを探し続けてる人なんだろうなあと思いました それは、詩人のジョンキーツさんの言われるネガティブケイパビリティであり、ニーチェさんの言われる、「真実はない。あるのは解釈だけである」という言葉による新たな世界の解釈かもしれないし、さらには、ピーターティールさんの言われる、「賛成する人はほとんどいないが、重要な真実」なのかもしれないなと思います そこに答えはないのかもしれないけれども、それを問い続ける、そんな姿勢を持ち続けることができるか、それを問われている気がしました 3、行動に移す覚悟 例えば、一隻の原子力潜水艦が、一国の大和を名乗り、世界の均衡を新たに変えていくことで平和を実現する、そんな構想があったとして または、その他の構想として、世界の紛争を解決できる構想があったとして、自分に実行に移すまでの覚悟と行動力が、果たしてあるだろうかと考えてしまいました それは、必ずしも大掛かりな話をいきなり実施するということだけでなく、まずはできる範囲のことから、育てていくようなことでも、始めていけるのかもしれない その先に行くまで継続してやり続ける覚悟があるのか、行動を始めることと、行動を継続し続ける覚悟があるのか、行くところまで行く覚悟があるのか、戻れないかもしれない荒波に漕ぎ出す覚悟があるのか それが真のイノベーターとしてのマインドセットとして、とても重要なことなのかもしれないなあと、教えて頂いた気がしました 一言で言うと 荒波に漕ぎ出すノベーション そんなことを思いました 参考:映画 沈黙の艦隊 北極海大海戦 原作:かわぐちかいじ「沈黙の艦隊」(講談社「モーニング」)監督:吉野耕平 脚本:髙井 光 音楽:池 頼広 プロデューサー:戸石紀子 松橋真三 大沢たかお 千田幸子 浦部宣滋 製作:Amazon MGM Studios 制作プロダクション:CREDEUS 協力:防衛省・海上自衛隊 配給:東宝 https://silent-service.jp

    17 min
  8. 生活の中の小さな挑戦ノベーション(1639回)

    5 GG FA

    生活の中の小さな挑戦ノベーション(1639回)

    五輪メダルを日本女性最多の7つ獲得しているスピードスケート選手の高木美帆さんの言葉に、挑戦に対する姿勢をいただきました 曰く "昨日の夜、生のイカが出てきたんですよね。私イカあんまり好きではなくて、何かふと見た時に、今日食べれるかもしれないと思って思い切って食べてみて。 でも、結果としてやっぱりダメだと思って、そのまま、ちょっとお茶で流し込んだんですけど。 どうですか ?挑戦に入ると思いますか ?チャレンジしたこと。には入らないと言う人も思う人もいますかね。  なんか私はこういうことも 、チャレンジの 1つなんじゃないかなっていうふうに思っていて、いつも同じラーメン屋さんで同じラーメンを食べてる人が、違うラーメンを食べてみたりとか 皆さん 、使い慣れた道を通ると思うんですけど、例えば、 1本違う道を行ってみるっていうことも、私は 挑戦だと思っていて。 私の生活の中に。なんか変化だったり、気づきだったり、その彩りっていうものを与えてくれる。小さいと感じるようなことでも、 チャレンジしてみるっていう気持ちを大事にしています。" ここから私は思いました 1、生活でコンフォートゾーンを抜ける練習 2、日々の暮らしでの気づきを大切に 3、誰もが創造者 1、生活でコンフォートゾーンを抜ける練習 高木さんが非常に長い間、トップ選手として活躍し続けている姿は、常に感動をいただいているのですが、、その挑戦へのマインドセットに感動しました スケートだけではなく、常日頃の生活の中で、挑戦をする癖をつけているということなのかなあと思いました。 私の大好きな本に、超一流になるためには才能か努力か、というアンダースンさんの本があるのですが 超一流になるための3つが1、最高の教師、2、コンフォートゾーンを抜ける、3、自分を信じる、ということが言われておりますが まさに、高木さんは、常日頃の生活の中から、コンフォートゾーンを抜け出す、癖をつけているということなのかもしれないなと思いました 2、日々の暮らしでの気づきを大切に 普段と違うものを食べてみる、違う道を言ってみると、普段とは違う気づきがある、というお話についても、これは、ある意味、コンフォートゾーンを抜ける挑戦をするからこそ、新たな気づきを得られるということに通じるのかもしれないなとも思いました このいつもと違う違和感や、気づきについて、日々の生活の中では、どうしてもすぐに忘れてしまうので、私はそれを、スマホでもメモでも、蓄えていくことが重要だと思っています 理由は、最初の違和感は、慣れていくうちに違和感とは思わなくなってしまうので、その最初の違和感を大切にするためには、メモをしておくことがとても大切で、そして、それこそがイノベーターの大切な要素になりネタにもなると思いました 3、誰もが創造者 高木さんのように、世界一のスケート界のイノベーターになれるような人は一握りかもしれませんが ハーバード大学・京都大学名誉教授の広中平祐先生の言われるように、誰かに編み物をしてあげたり、庭の手入れをしたり、日々の工夫をして生きている人たちは、みんな創造者であると言う通り 日々の生活の中で、小さなコンフォートゾーンを抜ける挑戦や、日々の気づきを積み重ねていく活動をすることで パッションが湧き上がり、自分だけでなく仲間も共に、そしてみんなが喜んでくれる大義を実現しようと動く人は、みな、創造者であり、イノベーターだと言っていいと思いました 日々の小さな挑戦を続け、そしてそこから何らかの技術の習得が始まり、挑戦軸と技術軸が高まると、チクセントミハイさんが言われるフローという没入体験が始まり それが自分の生きがいに変わっていく、そんなストーリーもできてくるのかもしれない、そんなことを思いました 一言で言うと 生活の中の小さな挑戦ノベーション そんな話をしています^ ^ 参考:NHK  スポーツ✕ヒューマン選 心のままに日々を紡いで~スピードスケート 高木美帆~2025/10/10(金)https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-KQ8893GKX6/ep/5796Z4GMPG

    13 min

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Descrizione

イノベーションで世界をよりよく変えていこう、という闘う人々を応援するチャネルです。スタートアップや大企業、音楽家やアーティストなど、様々なイノベーターのビジョン、考え方、パッションを是非是非、全身で感じてください!

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