残間光太郎の"闘うものの歌が聞こえるか"

誰かのためになら頑張れるノベーション(1623回)

朝ドラの、あんぱんロスになってる私ですが、脚本家の中園ミホさんの「精力的に仕事を続けるためには?」への回答に感動しました

曰く

"ああ、やっぱり ほんと自分のためには頑張れない。

なんか誰かに喜んでもらおうとか、 あの誰かを笑顔にしたいなとか

ちょっと。 

あの人の なんか助けになるといいなとか。

今回は、やっぱり、やなせさんのメッセージを伝えようとか。

あと、その戦争で傷ついた自分の親たちの世代の思いを伝えようとか

そういう誰かのためだときっとその 2年間私生活なくてもなんとか、この怠けものな私が頑張れるわ、これ。自分のためのちょっと無理だろうなって"

1、利他パッション

2、パッション、仲間、大義

3、究極の贈与

1、利他パッション

朝ドラの、あんぱん、が終わってしまって、なかなかの、あんぱんロスを味わっている私ですが

脚本家の、中園ミホさんが、2年間に渡り、どのようなパッションで、継続する力を支えていたのかを伺うことができて、とても感動しました。

情熱のポートフォリオからすると、これは、大好き、利他、個性、成長、という四象限の中でも、利他パッションが炸裂している状態なのかなあと思います

情熱の源は、必ずしも自分良がりなものだけではなく、人のために尽くすことが、自分の幸せと感じる方もたくさんおられるし

もっと言えば、どなたの中にも、誰かのために何かしてあげたいという気持ちはあると思います

その情熱を糧に、この感動的な、あんぱんの物語を書き上げたのかと思うと、ある意味、やなせさんの思いが乗り移っていたのかもしれないなあと、そんなことを思いました

2、パッション、仲間、大義

もう一つの観点として、イノベーションや創造的活動という観点で見ると

誰かの痛みをなんとしたいという思い(パッション)が立ち上がり

たくさんの人たちと協力することによって(仲間)

世の中のたくさんの人たちが喜んでくれることを実現する(大義)

これによって、新しい価値がどんどん創造されていき、そこに感謝のループが回り始めるという幸せのループが生まれるとも思います

朝ドラあんぱんの大義は、決してひっくり返らない正義、それはすなわち、アンパンマンのように、お腹を空かせた誰かがいたら、食べ物を分けてくれるということ

どんな世界でも決してひっくり返ることのない、その正義を伝えるために、放送局の皆さんや役者さんや衣装さんや小道具さんや、様座生仲間が集まって

中園さんの、やなせさんのメッセージを伝えたい、戦争で苦労された方の思いを伝えたい、そのパッションを支えてくれた

そんなふうにも思えました

3、究極の贈与

ライブや舞台の演者であれば、すぐに喜んでくれる人がいるので、すぐにフィードバックをもらえて、喜んでもらえたことが実感できると思うのですが

中園さんのような脚本家の皆様は、その実感を得られる相当前に書き上げなくてはならないことを考えると

究極の贈与的な気持ちではないとなかなかできないお仕事だなあと思いました

ある意味、そのフィードバックがあろうがなかろうが、やなせさんや、戦争で傷ついた親世代の思いを伝えたと思えた時点で

親が子供に何かをしてあげて、特にフィードバックを得たいと思わないのと同じように、その作品を世の中に届けた時点で、何かパッションに火をつけることができるのかもしれないなあとも思いました

それが究極の利他パッションにもつながるのかもしれないなと

ということで、中園さんから

誰かのためになら頑張れるノベーション

を教えていただきました

そんな話をしています^^

参考:NHK  あさイチ「あんぱん」中園ミホ再び!2025/9/25(木)NHK総合・東京