リジョイス聖書日課

RCJメディアミニストリー

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

  1. 8月26日

    裁きと救いの完成を待ち望む(ダニエル書 7章)

    見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り 「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み 権威、威光、王権を受けた。 (ダニエル書7章13節~14節) ダニエル書は黙示文学と言われます。世界の終わりについて、幻などを用いて預言されます。これまでダニエルは、バビロン王の夢や幻を神からの知恵によって解き明かしてきました。しかしここからは、ダニエル自身が終わりの日の幻を見、その意味を教えられることになります。 彼がここで見たのは、2章の幻にも似た四匹の獣の幻でした。それは四つの王国を表します。第一の獣はバビロン、その後の獣は、メディア、ペルシア、ギリシアといった国々が考えられます。 とりわけ第四の獣は最も強く、そこから出た十本の角(王)の内の一本は、主なる神に対して高ぶり、尊大なことを語っていたと言われます。神の聖者たちもそれに悩まされることになりますが、終わりの日には、その王も主の裁きに服することになります。このとき、人の子のような方が「日の老いたる者」である神の前に来て、永遠の主権を託され支配することになるのです。 私たちも、この地上で尊大なことを語る国家や権力者に悩まされることがあるでしょう。しかし、それにまさる神の裁きと、人の子イエス・キリストの支配があります。その力ある支配のもとで、私たちは今日も世界で生きることが許されています。 【祈り】 地上の権威にまさる権威が神と御子にあることを覚えさせてください。

  2. 19時間前

    危機の中で救いの神を信じる(ダニエル書 6章)

    ダニエルは引き出されたが、その身に何の害も受けていなかった。神を信頼していたからである。 (ダニエル書6章4節) 6章では、これまでのバビロンの時代が終わり、メディアによる支配を迎えることになります。ダニエルは、既にバビロンの時代にも王国を治める第三の位が与えられていましたが(5章29節)、メディア人の支配の下でも同じ地位にとどまり、王に用いられることになります。捕囚の民であったダニエルには、神の霊の導きがあったのです。 しかし、このダニエルの活躍は王国の他の指導者たちの激しいねたみを買うことになり、彼らの企みによって、ダニエルは獅子のいる洞窟に投げ込まれる刑罰を受けることになりました。そこから、ダニエルは全くの無傷で獅子の穴から救い出されることになりますが、その理由は、彼がただ神に信頼していたからでした(24節)。 ダニエルの心にあったのは、どのような中でも、神は必ず自分を救われるとの信仰です。私たちがこの地上で純粋な信仰に生きるとき、地上の困難や迫害さえ伴うことがあります。救い主イエス・キリストご自身も地上の指導者たちから罪を着せられ、十字架刑につけられる中で、最後まで父なる神を信頼する祈りの声を上げられました。主イエスを信じる一人ひとりにも、どのような中でも、信仰に生きる道が開かれています 【祈り】 生涯のどのようなときも、私たちが救いの神を信じて歩むことができますように。

  3. 1日前

    平和宣言戦争の時代に平和を模索す(マタイによる福音書 5章3-21節)

    「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」 (マタイによる福音書5章9節) 2023年に採択された「平和の福音に生きる教会の宣言(以下、「平和宣言」)」は、「今や再び『戦争の時代』が到来しつつあることを予感させ」との現実認識に立ちます。「罪と悲惨の絶えない人間世界には暴力が満ちています」という文言も見つけることができます。その現実世界のなかで、教会が主の御言葉に応答するために、今日から後の教会の責任を明らかにし、「この世界におけるキリストの平和の実現に献身する」ために、「平和宣言」は作成されました。 「キリストはわたしたちの平和」です(エフェ2章14節)。その平和を具現する共同体こそが教会です。真の平和は正義と公正と隣人愛によってつくり出されることを、キリストは地上のご生涯において現してくださいました。ならば「キリストに愛されたわたしたちは、この世に満ちる差別・暴力・不正の犠牲者に寄り添い、不安と恐れの中にいる人々の隣人となることを選び取ります」。 「この世における平和はまた、絶えずつくり続けなければ失われます」。神が完全な平和をもたらされる終末のその日まで、教会は「決して諦めることなく平和の道を模索し続けます」。きょうを平和を模索する一日として用いることができますように。 【祈り】 「言葉だけの平和に終わることのないように、平和を実現するために必要な知恵と力を、聖霊によってお与えください」。

  4. 2日前

    あなたはメシア生ける神の子(詩編 16章13-20節)

    シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 (詩編16章16節) フィリポ・カイサリアの地方で、主は「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問われました。ペトロは、聖霊の導きによって「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。 この告白こそが真理であり、教会の不動の土台です。イエス・キリストは、単なる道徳の教師や預言者の一人ではありません。死に勝利し、今も生きてすべての創られたものを統治しておられる全能の神の御子です。 主イエスは、「この岩の上にわたしの教会を建てる」と約束なさいました。それゆえ陰府の力さえも、この恵みの場所に打ち勝つことはできません。 主はまた教会に「天の国の鍵」を託されました。福音の宣教によって罪の赦しを宣言し、神の国へと人びとを導き入れる特権が与えられました。 教会を建てるという働きは、私たちの熱心や人間の力をもっては決して成し遂げることはできません。世の中の価値観がどれほど激しく移り変わっても、他人がどう言おうとも、「あなたはメシア、生ける神の子です」と心から信じて告白する信仰によって建てられ、主に保たれます。 きょうもこの確信に立ち、主イエスの御名のみを誇りとして、世へと遣わされていきましょう。主は常にあなたと共におられ、あなたの告白を支えてくださいます。 【祈り】 あなたこそ救い主、生ける神の子です。この信仰の土台の上に、わたしの生涯と教会をお支えください。

  5. 3日前

    わたしたちの神の家の庭に居並ぶ人々よ(詩編 135編)

    シオンから、主をたたえよ エルサレムにいます主を。 ハレルヤ。 (詩編135編21節) 詩編134編と135編は、表現と思想において深く結びついています。134編は、1節に「夜ごと、主の家にとどまる人々」とあり、夜に務めを果たす聖職者の姿を示し、135編は、2節に「わたしたちの神の家の庭に居並ぶ人々よ」とあり、聖所に集う礼拝者全体へと賛美の呼びかけが広がります。「都に上る歌」が締めくくられたあとも、聖所における賛美の光景は続いていくのです。 とくに詩人は、特定の場所に臨在される神、すなわち、「エルサレムにいます主」を固く信じていました。彼にとって、やがてその特定の場所にある神殿が廃止されることは想像できなかったでしょう。かつてのイスラエルの民は幕屋や神殿に臨在される神を仰ぎましたが、神殿が失われた後は、特定の場所を超えた「神の臨在」そのものにいっそう大きな意味を見いだすようになりました。 これは、現代の私たちが礼拝において「招きの言葉」に応え、心を一つにして神を賛美することに通じます。詩人が聖職者や礼拝者に求めたように、私たちもまた、主が今この場に臨在され、共におられることを信じて、賛美をささげるように招かれています。神は時代を超えて変わることなく、私たちのただ中に臨在し、ささげられる賛美に耳を傾けてくださるのです。 【祈り】 神の臨在を深く感じ、心からの賛美をささげることができますように。

  6. 4日前

    主の力の下でへりくだって生きる(ダニエル書 5章)

    「ベルシャツァル王よ、あなたはその王子で、これらのことをよくご存じでありながら、なお、へりくだろうとはなさらなかった。」 (ダニエル書5章22節) バビロニア帝国のネブカドネツァル王の息子であるベルシャツァル王の時代に、王は盛大な宴会を開きました。宴会には、王の命令によって、バビロンがユダの神殿から奪い取った金や銀の器が運ばれました。そして、彼らはそれで酒を飲み、自分たちの神々を賛美し始めたというのです。 ここには、権力を握ったベルシャツァル王が、主なる神の前にどこまでも高ぶる姿があります。父であるネブカドネツァルには、まだ天の神をほめたたえる心が見られました(21節)。しかし、このベルシャツァル王は、いと高き神の支配を知りながらも、結果的に自らの心を低くすることがなかったのです。 主は、ここで王宮の白い壁に人の指で書かれた不思議な文字を通して、帝国が二つに分けられることを示されました。御前に高ぶるベルシャツァルの支配の終わりです。その文字は王を激しく動揺させるものとなり、主の裁きによって彼は殺され、その治世は終わることになったのです。 人がへりくだることは、難しいことです。王でなくとも、私たちも時に高ぶることがあります。人は、自分自身でへりくだることはできません。ただ力ある神のもとで、自ら低くなられたイエス・キリストに倣うときに、へりくだって、神を神とすることが許されているのです。 【祈り】 私たちがあなたの前にへりくだり、ただあなたを喜ぶ者にしてください。

  7. 5日前

    この世界で賛美されるべき神(ダニエル書 4章)

    それゆえ、わたしネブカドネツァルは天の王をほめたたえ、あがめ、賛美する。その御業はまこと、その道は正しく、驕る者を倒される。 (ダニエル書4章34節) バビロン帝国で繁栄を極めていたネブカドネツァル王は、一つの幻を見せられました。既に彼は、自らの王国に関する夢を見ましたが(2章)、ここでも自分についての一本の木の幻を見ることになります。 幻に出てくる一本の木は、王自身を指し示します。その木は天に届くほど高く、地のどこからもそれが見え、その葉は美しく、実も豊かで、野の獣と空の鳥がその下で養われるほどのものでした。当時のバビロンには、それほどの力がありました。 しかし、それほどの大きな木が切り倒され、その葉や実も取り去られて、ただ切り株だけが残るとの悲惨な姿が幻によって示されたのです。それは、主から与えられた知恵によってこの幻を王に解き明かしたダニエルも、動揺するほどのものでした。 この箇所が明らかにすることは、どのような地上の王国も、王もその力も、すべてはいと高き神の支配の下にあることです(14節)。この方こそが、地上の王国の支配を誰にでも自由に与えることのできるお方です。 この章の最後でネブカドネツァル王は、すべてのものをご自身の下に置く、いと高き神の永遠の支配をほめたたえました。この世界にあって、この方のみが、私たちがあがめ、賛美すべき唯一のお方です。 【祈り】 私たちの生きる世界が、目に見えないあなたの真実の支配の下にあることを覚えさせてください。

  8. 6日前

    私たちを救うことのできる神を信じる(ダニエル書 3章)

    「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。」 (ダニエル書3章17節) バビロン帝国で頂点を極めたネブカドネツァル王は、高さ三十メートル近くに及ぶ巨大な金の像を造り、これを全住民が拝むことを強制しました。そうしなければ命はない、との絶対的な命令です。 しかし、このバビロンで主なる神を拝んでいたユダヤ人、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は、この命令を受け入れず、決して像を拝もうとはしませんでした。 彼らの中にあったのは、自分たちの仕える主なる神は、たとえ燃え盛る炉や王の手からも自分たちを救うことができるとの救いの神への確信でした。さらに、たとえ炉の中から救われることがなくても、自分たちは像を拝まないとの絶対的な姿勢を貫いたのです(18節)。信じたとおりに、彼らは主なる神の遣わされた御使いによって、全く傷を受けずに救い出されました。 この三人を通して明らかにされたのは、私たち一人ひとりが救いの神を、真実に信じる歩みです。この生涯の中で、たとえどのような危険の中にあっても、この方に自分の救いがある。そのような信仰こそ、私たちの歩みを強めるものです。きょうも、救い主イエス・キリストを遣わされた神を真実に喜び、信じる歩みが私たちに備えられています。 【祈り】 私たちがこの生涯でどのような危険にあっても、救いの神であるあなたを信じさせてください。

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