リジョイス聖書日課

RCJメディアミニストリー

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

  1. 9月25日

    主の御名に力を得て歩み続ける(ゼカリヤ書 10章)

    わたしは主にあって彼らに力を与える。 彼らは御名において歩み続けると 主は言われる。 (ゼカリヤ書10章12節) きょうの聖句の「力」とは、飼い主のいない羊のようにさまよう心が、今すぐにでも必要とする力です。 「テラフィムは空虚なことを語り、占い師は偽りを幻に見、虚偽の夢を語る。その慰めは空しい」(2節)。その空しさがすぐに明らかにはなりません。むしろ人を代え、様子を変えて、いろいろなことが語られます。そして、それは自覚もしないうちに、人の心に入り込みます。その慰めは一時的です。そして、苦しみ、疲れます。誰に従えばよいのか、わからなくなります。 主が与えてくださる力は、その人の心と思いを立ち上がらせ、一歩前へと進ませます。その力を受けて、「彼らは御名において歩み続けると、主は言われる」。その御名は、イエス・キリストです。「主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む」(詩9章11節)。依り頼む者たちは、羊飼いの声を聞き分けます。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。…わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタ28章18、20節)。主はすぐ近くにおられます。そして、その心と思いを日ごとに、あらゆる人知を超える神の平安の中へと守ります(フィリ4章5~7節)。 だから、私たちは歩み続けられます。その力は朝ごとに、御名を呼ぶ者へ新しく備えられるのです。 【祈り】 主よ、あなたに従う力を、きょうも与えてください。

  2. 18時間前

    王が来たろばに乗って高ぶりはない(ゼカリヤ書 9章)

    見よ、あなたの王が来る。 彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。 (ゼカリヤ書9章9節) 神殿の建築がなされ、神への礼拝が霊的に再建されなければなりません。神の言葉への信頼が、見える現実の中で、信仰によって確認されます。主は周囲の国々の高ぶりを、ことごとく絶たれます(1~7節)。神を畏れる信仰に、神の守りが伴うことを思い起こさせます。「もはや、圧迫する者が彼らに向かって進んで来ることはない。今や、わたしがこの目で見守っているからだ」(8節)。 そして、未来の希望は一人のお方にかかっています。「見よ、あなたの王が来る」(9節)。そのお方こそ、主の民がダビデの子として、望みをかけるべき永遠の王です。「わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える」(サム下7章13節)。そのお方が主イエスです。主イエスはろばの子に乗って、エルサレムに入られました。死に至るまで従順に神に従い、勝利を与えられた王として。 この預言がなされたときも、また、主イエスにおいて成就したときも、その王の栄光は、人の目に隠されていました。しかし、神を礼拝する人びとは、そのお方を日々新たに知って、望みを抱き続けます。神の栄光はご自分を無にして従順に神に従い、一切の高ぶりのない王によって現されます。神を礼拝する人びとはこのお方を仰ぎます。 【祈り】 主よ、主を仰ぐ喜びをもって、きょうも歩ませてください。

  3. 1日前

    勇気を出せ自らの霊を強められて(ゼカリヤ書 8章)

    「勇気を出せ。 あなたたちは、近ごろこれらの言葉を 預言者の口から、度々聞いているではないか。… 神殿の基礎が置かれ 再建が始まった日から。」 (ゼカリヤ書8章9節) 神殿の再建が始まりました。それは、神の力と栄光が鮮やかな日でした。バビロンは倒れ、神の預言が成就し、破壊された神殿の基礎が据えられました。しかし、その基礎は、見た目が貧弱でした。「初めのささやかな日」を示すものでした(4章10節)。その後も、順調に進みませんでした。 しかし、信仰はここからです。信仰によって見ながら、将来の実りを望みます。自分の心と考えが進む道が決定的に重要です。「権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる」(4章6節)。むなしい思い込みや独断ではありません。主の言葉があります。その言葉によって、見えないものに目を注ぎます。そして、「勇気を出せ」。 そのような信仰をもって、神にひたすら祈り求めるのは決してむなしいことではありません。そこに喜びがあります。信仰によって見るべきは、神の御顔です。「神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました」(2コリント4章6節)。聞くべきは、その口から語られる一つ一つの言葉です。その言葉によって日ごとに望みを新たにしつつ、神を待ち望みます。「今やわたしは再びエルサレムとユダの家に幸いをもたらす決意をした。恐れてはならない」(15節)。 【祈り】 力と愛と思慮分別の霊よ、信仰の勇気を満たしてください。

  4. 2日前

    果たして誰のため何のためか(ゼカリヤ書 7章)

    「果たして、真にわたしのために断食してきたか。… ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか。」 (ゼカリヤ書7章5節~6節) 神に従うことを喜びとするか、重荷とするか。二つに一つかもしれません。預言者に「節制して悲しみのときを持つべきでしょうか」と尋ねた人びとは、神に従うことを重荷とし始めていました。長年続けてきたけれども、喜びも変化もないかのように考えたのかもしれません。実際、神の預言が成就して、バビロン捕囚から解放されました。エルサレムの神殿の基礎も据えられました。すでに二十年近くが経ちました。しかし、最初の目覚ましい変化は続かず、神殿の工事も、さまざまな妨害の中で、滞っていました。 預言者をとおして、神が語られました。「主が先の預言者たちによって呼びかけられた言葉を知らないのか」(7節)。先祖たちに語られた言葉は、今も生きているのです。その時代、先祖たちは、その表向きの熱心にもかかわらず、心から聞き従うことはありませんでした。そして、「彼らは喜びの地を荒廃に帰させた」(14節)のです。 状況は変わりました。しかし、神へと向かう心の現実は変わったか。先祖たちに語りかけた主は、昨日もきょうも変わりません。悔い改めと信仰へと招いておられます。そのために、預言者が語り、主の言葉がそこに与えられました。 【祈り】 主のもとで重荷を軽くして、主を喜ぶ道へと進むよう、主の言葉を理解させてください。

  5. 3日前

    足もとから萌えいでる若枝(ゼカリヤ書 6章)

    「見よ、これが『若枝』という名の人である。 その足もとから若枝が萌えいでる。 彼は主の神殿を建て直す。」 (ゼカリヤ書6章12節) ゼカリヤは、バビロンから帰還したユダの民に神の言葉を語った預言者です。この帰還した民の中に大祭司ヨシュアがいました。主なる神は、ゼカリヤに、銀と金で冠をつくらせました。そして、大祭司ヨシュアの頭に載せ、「見よ、これが『若枝』という名の人である」と宣言するように命じました。こうして、主なる神は、大祭司ヨシュアを主の神殿を建て直すために遣わされました。 エルサレム帰還後、ユダの民に王はいません。そのため、大祭司ヨシュアが民を守り導く王としても働くことが主によって命じられました。祭司と王、両方の働きを行った大祭司ヨシュアは、来るべきメシアをあらわしていました。大祭司ヨシュアの中心的な働きは、神殿を建て直すこと、すなわち、礼拝を整えて導くことです。ユダの民がエルサレムで再出発するにあたって、礼拝を整えることは最も必要なことでした。 大祭司ヨシュアがあらわしていた、「若枝」と呼ばれる、来るべきメシアとは、イエス・キリストです。イエス・キリストは、大祭司として、王として、預言者として働かれます。イエス・キリストは、私たちと共にいて、私たちの礼拝を導いてくださいます。イエス・キリストに導かれた礼拝を土台として、これからも信仰の歩みを続けていきましょう。 【祈り】 主がいつも共にいて、私たちの信仰の歩みが守られますように。

  6. 4日前

    すべての人を慈しむ神の気前のよさ(マタイによる福音書 20章1-16節)

    「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。」 (マタイによる福音書20章14節) 主イエスは、ぶどう園の主人と労働者のたとえで、神の慈しみの豊かさを教えてくださいます。一日の労働が終わると、最後に来た者から賃金が支払われます。日暮れに雇われた者は、与えられた恵みに感謝し、生かされる喜びに震えます。夜明けから汗を流した者は、周りと比べて、自分の考える正当な報酬を求めます。地上の社会は成果と効率で動きますが、天の国は主人の慈愛という別の物差しで満たされているのです。 一時間しか働かなかった者に一日分の賃金を与える主人の姿は、人間の目には不公平に映るかもしれません。しかし、主イエスが見つめているのは、労働の量ではなく、誰にも雇われず広場に佇んでいた者の切実な絶望です。主の心は、誰ひとりとして空腹のまま帰したくない、家族を養う糧を与えたいという愛と慈しみに満ちています。 神の恵みとは、そもそも資格なき者に注がれる無償の贈り物です。私たちは皆、主の憐れみによって招かれた者同士ではないでしょうか。自分の損得を計算する手を止め、主の「気前のよさ」を共に喜ぶとき、私たちの心に真の平和が訪れるのです。 【祈り】 主よ、私たちの狭い正義感であなたの愛をはかることがありませんように。比べる心を捨て、きょう生かされている幸いを感謝します。あなたの慈愛の中で、互いに愛し、主の招きを喜んで歩む者であらせてください。

  7. 5日前

    怒るのに遅いようにしなさい(箴言 29章)

    怒りやすい人はいさかいを引き起こし 激しやすい人は多く罪を犯す。 (箴言29章22節) 箴言は怒りを繰り返し戒めます。「激しやすい人はいさかいを引き起こし」(15章18節)、「罪を愛する者は争いを愛する」(17章19節)。 神は、私たちの人格の座である心に知識と意志だけでなく、感情も与えておられます。ですから、私たちは、すばらしいものに感動し、人の喜びや悲しみ、痛みに共感できます。感情は何と尊いものでしょうか。 しかし、否定的な感情である怒りには危険な面があります。「いさかいを引き起こし、…多く罪を犯す」。実際、私たち罪人の怒りは、人に対してだけでなく、神にも向けられます。カインは激しく怒り、ついに弟アベルを殺してしまいました(創4章5、8節)。何と恐ろしいことでしょう。 神の御心を無視することへの正しい怒りもあります(マコ3章5節参照)。しかし、私たちの怒りは自己中心的で一方的なことが多いため、これをよく支配することが極めて大切です。「だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。人の怒りは神の義を実現しないからです」(ヤコ1章19、20節)。 主イエスは言われました。「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ」(マタ5章5節)。 【祈り】 神様、聖霊の結ばせてくださる愛、寛容、親切、善意、柔和、節制(自制)などの実をわたしに与え、平和を造る者にしてください。

  8. 6日前

    一つの巻物が飛んでいた(ゼカリヤ書 5章)

    それは盗人の家に わが名によって偽りの誓いをする者の家に入り その家の中に宿り 梁も石ももろともに滅ぼし尽くす。 (ゼカリヤ書5章4節) ゼカリヤは、とてつもなく大きい巻物が全地に向かって飛んでいくところを幻で見ました。この巻物の表面と裏面には、人間の罪と裁きについて記されていました。この巻物がある家に入っていき、その家は滅ぼしつくされました。この幻は、神がすべての人間の罪を裁かれる方であることを示しています。神は、どのような罪も見逃すことはありません。 ゼカリヤは、次に幻でエファ升を見ました。エファ升の中には一人の女性が座っていました。この人は主の民の「邪悪」をあらわしていました。エファ升に鉛の重しで蓋がされ、この人は閉じ込められました。すなわち、主の民の「邪悪」が封じられました。 しかし、今度は、二人の女性が風を受けて出てきました。この二人には、こうのとりのような翼があり、エファ升を運び去ろうとしました。二人は、「邪悪」をあらわす人を閉じ込めたエファ升をシンアルの地、すなわちバビロンへと運びました。バビロンは、偶像崇拝の国であり、「邪悪」をあらわすこの人のために、神殿を建築しました。 「邪悪」は、主の民には必要ありません。神は、主の民から「邪悪」を取り除いてくださいます。逆にバビロンは、その「邪悪」のゆえに神に滅ぼされます。 【祈り】 神よ。私たちが悪から遠ざかり、罪に陥ることがないようにお守りください。

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