Sudo & Yoshida's Scrap Talking

海01

東京の片隅で働くサラリーマン、スドウとヨシダ。 中高の同級生として多感な時期を共に過ごした二人が、30歳という「何者かにならなきゃいけない気がするけど、結局何にもなれていない」微妙な季節に、日常の端々に溜まった感情のクズ(Scrap)を拾い集めては、とりとめもなく語り合うポッドキャストです。

  1. 4月11日

    アジカン30周年ライブに行ってきた話

    1. ASIAN KUNG-FU GENERATION 30周年ライブ回顧 • 記憶のトリガー: 30周年ライブで流れた『君という花』のMV(団地の風景)から、17歳の頃の空気感や「0年代の空気」をフラッシュバックした体験。 • 30歳の共鳴: アルバム『ファンクラブ』制作時の後藤正文氏の閉塞感や「爪を見つめるような暗さ」が、今の自分(30歳)の感覚と驚くほどリンクするという話。 • 音楽のオマージュ: 『ワールド ワールド ワールド』がビートルズの『サージェント・ペパーズ』へのオマージュであることや、楽曲の構造が持つ時間軸の厚みについて。 2. サカナクション 山口一郎と「30歳の転換点」 • 下積みと上京: 山口一郎氏が30歳前後で上京し、責任感に押しつぶされそうになりながらも、サービス精神を意識してバンドをブレイクさせた泥臭いキャリアの裏側。 • 中日ドラゴンズ問題: 山口氏のメンタルと中日ドラゴンズの勝敗が比例しているのではないかという懸念と、野球観戦が持つ不思議な救済について。 3. ライブ体験と音響空間の心地よさ • ライブのダイナミズム: TEN-DOJIやMONO NO AWAREのライブを通じ、スタジオ音源では再現しきれない演奏の「熱量」や「納得感」に触れた話。 • フェスよりも「しっぽり」: 芝生でビールを飲みながらぼーっと眺めるライブの心地よさ(ハイドパーク・フェスティバルなど)。 • サマーアイ(夏目知幸)の魅力: 川崎でのフリーライブ、日記(Diary)に綴られる絶妙な温度感の言葉、そして「本人を目の前にするとうまく喋れない」というもどかしさ。 4. 出力メディアとしての「会話」と「文章」 • 速度の差: 会話の瞬発力では思考の深さにたどり着けない。散歩や執筆など、時間をかける「遅いメディア」の方が自分の再現度が高いという自己分析。 • ネット記事と紙の読書感: 同じ文字数でも、スマホで読むのと紙で読むのとでは苦痛の量が違うという身体感覚の不思議。 5. 映画レビュー:『プロジェクト・ヘイル・メアリー』 • 音楽と歌詞のリンク: 劇中でのビートルズ『Two of Us』の使い方が、歌詞の意味を知っているとより涙腺に来るという選曲の妙。 • 宇宙ものとしての新しさ: 従来の「極限状態のシリアス」だけでなく、ロマンとウィット、そして主人公とロッキー(異星人)の「共通言語としての科学」を通じた友情。 • 吹き替え版の発見: 三石琴乃氏(エヴァ役)の「ミサトさん感」や、V tuberの起用など、現代の吹き替え事情と没入感について。 6. 映画三本立ての土曜日 • 『ミルキーサブウェイ』: ネット文脈から生まれた圧倒的な情報量とスピード感。 • 『マーティ・シュプリーム』: A24制作、卓球選手をモデルにした過剰なハングリー精神と欲望の物語。

    1時間3分
  2. 2025/11/02

    チェンソーマンを全く知らない人間がチェンソーマン レゼ編を観て思ったこと

    / 日本の“緩さ”とアングラ文化 / / 韓国とアメリカ的正しさ / / 1軍カルチャーと観察者の視点 / / アジカンと坂本慎太郎 / / 日本の緩さが生んだニコニコ文化 / / K-POPの完成度と違和感 / / オアシスと90年代の空気 / / BUMPと繊細なゼロ年代 / / 『秒速5センチメートル』と光の感情 / / チェンソーマンと今の物語 / / 映画館と幸福の物理感 / / 朝のバナナと小さな感謝 / / 熊と現実の線引き / / 生きる領域が狭まる時代 / / フィジカルに戻る幸福 / / ポケモンと現実の重なり / まあ。無能に厳しい社会じゃないんだな。日本は転職してわかったこと。まず結論だけど、ああ、そう。まあちょっといろいろあるけど……あるけど、まあ、まあまあそうだね。うん。いやだから、日本って語るのもあれなんだけど、韓国とかに比べると、なんか、とにかく緩めの社会ではあるよなとは思うよね。だから年功序列とかもそうだね。まあ、今はこれから変わってくるのかもしれないけど。でも、確かにカルチャーなんかも、日本のメインカルチャーというよりは、アングラカルチャーがこんだけ発展しているのって「許し」だと思う。緩いからこそ、あるんだと思うんです。韓国は今、結局成長しているのは、もう成果主義が極まってるっていう、厳しい社会なんだよな。そうだね。 だから、ソウル行った時に感じたのがさ、なんかアメリカみたいだなって思っちゃったんだよね。表面的にはアジアの街並みなんだけど、後ろに流れてる理屈はアメリカ的というか。意識的に「正しさ」を目指す感じ。まあ、それはそれで一つの正解なんだけど。K-POPとか大成功してるわけじゃんか。それはそれで結果出ててすごいねと思うけど、ちょっと「おもんないな」って思う時もあるじゃん。あんま面白くないな、やっぱ。なんだろう。クラスの端っこでさ、1軍だからね、あれ。1軍の文化ってやっぱ面白くないんだよな。なんでなんだろう。 アメリカだったら、ラグビーとかチアリーディングみたいな“ピラミッド”があるじゃん。もうそれって、俺の性格の話になってきちゃうから、わかるけど。エリートのやつが上手になんかやってるの見てても、「はいはい」みたいな。俺はクラスの中心にいる気がしないよな。中心というより、わりと観察者みたいな視点なのかなと思う。歌詞とかの世界でも。観察者で、諸行無常感ももちろんあって。これは俺の主観ね。無常感はあるんだけど、そういうものを捉えた上で観察してるって感じ。自分の意見を張るというより、情景を描く。小説っぽいというか。 クラスの1軍のやつらがやってるのは演劇っぽい。パフォーマンスで、自己主張って感じ。でも、実際身に染みるのは情景とか、観察とか、ちょっと引いた目で「そういうのってあるよね」みたいなことの方が共感性が高い。俺、この前オアシスの音漏れを聴きに行ったんだけどさ。アジカンもあってさ。久しぶりにちゃんと聴いたら「やっぱいいな」と思ったんだけど、アジカンのゼロ年代の歌詞って、世の中に無常感を感じつつ「そこからどう戦うか」って世界なんだよね。『君という花』とか。見えすぎたホームの絶望から、取り戻す、飛び出す、自分の色を見つける、みたいな。ロスジェネっぽいけど、無常感に「抗う」テーマが多かった。 坂本慎太郎は、そういうわけでもない。洗うとかでもないし、諦観でもあるし、「嘘みたいな人たちがいるな」とか、「日常はすすいでってるよな」という感覚。経済指標で測れない。だから、韓国的な場所からはアングラ、インディーカルチャーは出にくいのかな、と。もちろん、俺らが捉えてないだけでシーンはいっぱいあるはずだけど、ここまで巨大化してないんだろうな、とも思う。やりづらいだろうね。日本の緩さが生み出したニコニコとか、そういうのもある。 この前、韓国料理屋に行ったら、ずっとK-POPがモニターで流れてて、ちょっと嫌な気持ちになった。美男美女が踊ってて、もうええでしょう、みたいな。クオリティは高いし、いいんだけど、表面撫でるのもうやめてくれって気持ち。キャベツの葉っぱじゃなくて、芯を食わせてくれ……みたいな。音楽って現実逃避にもなるけど、現実もあるじゃん。現実の良いところだけ持ってきてキラキラにしてる感じが、もういいよって。たくさんあるから。俺は現実を見せてくれるとか、視点を変える方が好き。時間とか気持ちを一回受け入れてから、どう転換するか。坂本慎太郎は「観察して見てる」。で、オアシスが90年代に流行ったのって、そこもある気がする。最初期のオアシスには「こんなクソみたいな状況だけど、まあなんとかなるでしょ」という気分があった。『Live Forever』とかさ。駅で雨の中立ち尽くしてた、みたいな。そういう時代の空気。社会が荒れてるけど、ポジティブさもある。カート・コバーン以降のアンチテーゼとしての「俺とお前は永遠にいけるんだ」って新しさ。強い気の持ちよう、みたいな。音漏れ聴きながらそんなことを思った。 ナンバーガールはまた別だけど、共感する部分は絶対ある。ただ出力の方向が違う。表面的には似てるけど、態度は真逆かもしれない。共通項は「荒れてる時代」って前提だったのかも。90年代のオルタナ/グランジは爆心だよね。で、BUMPに関しては、正直まだよくわかってない。繊細すぎて。どっから生まれてきたのかわからない。でもBUMPが作った流れは、日本のカルチャーに脈々と流れてる気がする。この前『秒速5センチメートル』の実写版を観たんだけど、あれってBUMPを映画化した、って言うと怒られるけど(笑)、BUMP的な繊細な世界観が日本のカルチャーに流れてる、って話。情景描写、光の感じ。その世界に浸ると気持ちいい。言葉にしづらいけど、ある。 そういうモードになると、人間って気持ちいいし、写真集みたいな映画でも良くなる。ある人は「どうでもいいシーンがめっちゃあった」と言ってたけど、それも含めての“体感”なんだろうな。奥山監督は才能がめっちゃあると思った。MVもやってる人で、“きらめきを採る”みたいな感覚がある。シティポップのエモも、情景とか光の感じに近い。次の作品が気になる。 映画の話ばっかりになるけど、チェンソーマンのレゼ編を観た。漫画もアニメも中途半端に追ってたから、ちゃんと観たのは初めて。ただクオリティが高い。今、日本で一番元気な人たちが才能を投じてる感じ。作画の動きはもちろん、彩度や美術のセンスも先端。元々もっとアングラにあるはずの漫画が、メインカルチャーになってるのも面白い。小学生が観てて「大丈夫?」と思ったけど、時代が違うのかもしれない。情報量が多い時代だし、SNSで何でも入ってくる。 主人公の行動原理が「女の子と付き合いたい」みたいな低い欲望から始まるのも、昔の“世界を救う”系の大きな物語とは違う。今っぽい。ダークヒーロー像というか。共感性より「眺める面白さ」。半現実SFで、国家や戦争がバックにある。悪魔の設定も、恐怖が強いほど強力になる、とか面白い。裏設定はキリスト教モチーフもあるらしいけど、そこは半信半疑で見るくらいがちょうどいい。映画は映画単体で面白いかどうかがすべて、というこだわりは俺にもある。土俵の外の設定は勝手にやってくれ、くらいの。 劇場の体験はやっぱり別物。ドルビーアトモスやIMAXで観ると音がすごい。映画って音がすべてみたいなところある。低音の作り方とか、映画館でしか味わえない。ライブを観るのに近い。サブスクで観ても意味がないタイプの作品ってあるよね。ライブ上映やリバイバル上映は最高。『パルプ・フィクション』を福岡で雨宿りがてら観た時なんて、人生の名シーンだった。午前十時の映画祭もいい。朝映画館、幸福感がある。観終わって昼に何か食べて帰る、小市民の幸せだけど、それでいい。 幸せって案外すぐ感じられる。朝、仕事行く前にちょっと早く起きて、バナナケースに入れたバナナ持って川沿いを歩く。太陽に向かってバナナを食べる。恵方巻きみたいに(笑)。太陽礼拝みたいな感じで、「今日も頑張るぞ」と。一駅歩いて、太陽に向かってバナナ食べると、幸せをすごく感じる。セロトニンなのか、太陽光が効いてるのか。「ありがたいなぁ」って。変に“ありがたがりおじさん

    1時間11分
  3. 2025/09/27

    1ヶ月間北海道で車中泊してきた話 ─ 道の終わりで考えたこと

    プレイエリアの外へ—道東車中泊で見た「道の終わり」/伊豆の人工リゾート/台風の孤島体験/軽で二週間・半時計回り/車中泊の自由/セコマとサウナが命綱/鹿と野犬とリス/釧路・根室のさびれた町/明治公園で道が終わる/納沙布岬と北方領土の距離感/野付半島の沈みゆく大地/デスストとブレワイ的風景/知床と摩周湖/紋別のアザラシ/直線40キロの道/1500kmの走行とレンタカー故障/エスコンフィールドのテーマパーク感/豚丼とホットシェフの幸福/セコマはセーブポイント/一次産業のリアル/熊と人間の境界/旅で脳が組み替わる時間感覚/自然は厳しいが最高だった 「1か月ぐらいだっけ?」「そうだね、1か月ぐらい」。最初は、わけわかんないと思うけど、伊豆の—なんかリゾートみたいなところに行ってて。人工のリゾートみたいなとこ、多分そう。家族でね。人工のリゾート。リゾートというか、海沿いにある東急の……そう東急なんだ。部屋から、ベランダに寝るところがあって、そのままプール行けるみたいな。つながってるんだよ。部屋からプール行って、海も行ける。 夜、台風みたいな突風が吹いてきて、昼間は別に天気悪くなかったんだけど、夜だけ台風中継みたいになった。翌日には電車とかバスとか全部止まって、交通も麻痺して陸の孤島みたいになって、もう1泊追加。それからすぐ晴れた。別に特に話すことはない。何かしたわけでもない。ボケっとダラっとしてた。9月上旬で暑かった。音楽聴いて、ビーチで何もしない—あれはいいよね。リゾートは何もしないのが一番正解。何もしないために行く、みたいな。 ——本題、札幌。レンタカーを2週間借りて、ステップワゴンみたいな……いやワゴンRみたいな軽自動車。寝袋も持ってって、基本は車中泊。札幌から帯広へ。道東を半時計回りで回った感じ。何も決めないで行けるのがいい。ホテルに着かなきゃいけない“イズ”がない。道の駅も結構ある。北海道はみんな車中泊してる。キャンピングカーが多いけど、俺は営業車みたいなのに寝てた。だんだん面倒くさくなって、最終的には運転席をガタッとやって3秒で寝る。セコマで弁当買って、缶ビール飲んで、そのまま横になる。アウトドアチェアも持ってって、海を見たりもしたけど、基本そんな感じ。身軽で良い。東京で車中泊は人がいて気になるけど、北海道は人がいないから気にならない。カーテンもなくて大丈夫。鹿が夜、近づいてきてうるさいとかはあるけど。百均でブルーシート買って前面だけ囲ったり、日よけしたり。 札幌から帯広へ行くとき、大雪山を通った。森の出来方、風景が本州と全く違う。ちょっとヨーロッパの大陸の山みたい。フィンランドの森みたいな感じ。針葉樹の景色。自然自体が違いすぎる。インフラや国境は日本だけど、自然は違う国みたい。町から少し離れるともう大自然。ポケモンみたいに、森の中からいきなり街が出てくる感じ。道路→街の転換が急。 帯広から太平洋側へ。海沿いは本当にやばい。海と草原しかない、誇張抜きでそれしかない。鹿が道路を占拠してる。帯広の森で野犬に囲まれた。飲酒検問みたいにバーっと囲まれて、リーダー格の犬が「もういいよ」みたいに仕切って、みんな退いてくれた。縦社会がある。朝、帯広の公園—公園って規模じゃない—を散歩したら、リスが100匹ぐらい。カンカン木の実を齧ってて、リスまみれ。白樺の木が基本で綺麗。ゴールデンカムイでリス食ってたのも、まあ分かるぐらいにいる。 そこから東へ。釧路、根室へ。さびれ具合がレベル超えてる。更新されてない感じ。昔は石炭や漁業で発展したらしいけど、ロシアの影響で獲れなくなって……。根室の真ん中を通る道路の先に明治公園があって、道が終わる。「ここで終点」。本当に道路の終点。作るのやめました、みたいな終わり方。明治公園からは2つ道があって、納沙布岬までは行ける。明治公園から左へ行くとオホーツク海ルート、太平洋側に戻るルート、みたいに1ルートだけ。 納沙布岬。国後、歯舞諸島が目と鼻の先。肉眼で見える。ロシアの警備隊の施設も見える。碑がいっぱい。「北方領土を返せ」系の鎮魂の詩や標語。地元の人は、もともと住んでた土地だから切実。超・日本の端っこ。太平洋は何もない。太平洋とオホーツクの境目、半無限。岬へ向かう道の風景がすごい。デスストとブレワイを足したみたいな新鮮風景。自然を形作った人工物が点在する。 走って寝て、寝て起きてまた走るので、エピソードは少ないけど、それが良い。物語とかいらない。最小限の荷物でも意外と余裕。道の駅にサウナがあって、それがめっちゃ良かった。釧路の近く、海沿いの道の駅。サウナから海が見えて、外気浴はビーチ。脳がやられたみたいに最高。貸切、新しいサウナ。 野付半島にも行った。ブレワイの渦巻き半島みたい。先へ進むほど両側の海が迫ってくる。数年で消えるんじゃないか、沈むんじゃないかって言われるほど低い。海が侵食して、枯れ木だらけ—だったけど、その枯れ木すらもう消えつつある。先端まで歩道があって、でも「ここで終わりです」。デスストの世界の空。国後が近くに見える。天気は晴れ。日本の“果て”をAIに描かせたら出てきそうな風景。ゲームみたいに「これ以上先はプレイエリア外」。 紋別にはアザラシの保護施設(とっかりセンター)。流氷の来る場所で、はぐれたアザラシを保護してる。名前の付いた個体がいて、ずっとテレビ見てるおじさんみたいなのもいる。頭が良いらしい。1日走ってサウナに着いて、一体化して寝る。結局、何してたのかよく分からないけど、平均200〜300キロ、5〜6時間、もっと走ってたかも。 家族を旭川空港に送ったあと、「自然はもういいや」と札幌に戻り、エスコンフィールドへ。テーマパーク的。野球を見に行くというより、ご飯を食べに行って、風呂もあって、応援でエンゲージして楽しい。飯は“北海道飯”、ちょっと高いけど旨い。日本ハム関連の店もうまい。野菜も肉も盛んで、飯は間違いない。豚丼は4杯ぐらい食べた。最初の3日間は毎日豚丼。焼き鳥丼(実際は豚)もコンビニで焼いてくれて、めっちゃ旨い。セイコーマートはセーブポイント。ここを逃すと次は100キロ先。ガソリンも半分になったら入れる。ほんとに何もないところがある。 本州では人のいない平地なんてあまりないけど、道東は「誰も助けを呼べないエリア」がある。住めないのかなと思うほど。寒さが厳しくて育てられるものが限られる。帯広あたりは野菜や畜産が見えた。まとめると、何をしてたか? とにかく走ってた。でも楽しかった。時間の流れは長く感じて、2週間が2〜3か月に感じた。東京のことは—忘れてはないけど、日常が遠のく。 新しい場所に行く面白さ、刺激。自由感もあるし、恐怖感もある。みんな車中泊のプロ。キャンピングカー、ハイエース、四駆のルーフテント、いろんなスタイル。アメリカのロードムービーみたいな世界観。ラジオ流して、洗濯して、わがくす……みたいな。金持ってそうな旅人も多い。 岬の草原と崖はめっちゃ綺麗。人がいないから、一人称視点ゲームみたい。世界が終わって走ってる感覚。セコマと郵便局があると「まあまあの街」。郵便局は町の最小単位。誰かが働いていることのありがたさ。ホットシェフは店ごとに裁量があって、ポテトの盛りや味が違って面白い。工場生産的な都心コンビニと違って、その場で作ってる。かつ丼もうまくて涙出た。 走ってばかりでめっちゃ疲れる。札幌に戻って「ニコーリフレ」に入り浸って寝てた。運転中はずっと気が張る。突風や倒木、動物の死骸、穴ぼこ、南米みたいな路面、頭文字Dよりやばいヘアピン……。でも楽しかった。転職前の旅はこれで終わり。10月1日から仕事。 旅中、時間が長く感じるのは、脳の回路が新しい刺激で繋ぎ直されるからだと思う。社会人1〜3年目は長く、4〜6年目は加速する、みたいな。新しい会社・書類・人間関係で回路が変わると時間が濃くなる。感受性を張り続けるのはストレスでもあり、幸福でもある。ずっと感受性MAXだと壊れる。たまの旅がちょうどいい。長すぎる旅は逆効果で幸福度が落ちるかも。後半「札幌行かせてくれ」ってなったし。羽田に戻って東京の景色を見た

    1時間26分

番組について

東京の片隅で働くサラリーマン、スドウとヨシダ。 中高の同級生として多感な時期を共に過ごした二人が、30歳という「何者かにならなきゃいけない気がするけど、結局何にもなれていない」微妙な季節に、日常の端々に溜まった感情のクズ(Scrap)を拾い集めては、とりとめもなく語り合うポッドキャストです。

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