小山ナザレン教会

どんな地図を作りたい?(稲葉基嗣) – 創世記 10:1-32

2025年9月21日 三位一体後第14主日

説教題:どんな地図を作りたい?

聖書: 創世記 10:1-32、ヨハネによる福音書 3:16–21、詩編 117、ローマの信徒への手紙 1:16–17

説教者:稲葉基嗣

 

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地図は読む人の目的によって、さまざまな情報を私たちに伝えます。また、地図を作る人が込めた意図によって、様々な意味合いや強調点を持ち、地図は私たちに世界の様々な姿を見せてくれます。そう考えると、地図はこの世界のありのままを映し出しているわけではなく、私たちの世界の見え方や、見て欲しい世界のあり方が表現されているといえます。創世記10章は、言葉によって地図を描いています。一見、これは系図のようですが、縦ではなく、横に長い系図です。ノアの孫たちの名前は、民族名や地域の名前をあらわす名前になっています。そのため、世界に広がったノアの孫たちが、様々な民族や地域の名前の由来となった、という説明を提供する系図となっています。その意味で、これは言葉によって作り出された世界地図のようなものでした。この地図は、1人の人や1つのグループによって作り出されたものではありません。この地図は、いくつかの地図を組み合わせてできたものです。その意味で、ひとつの視点からではなく、いくつかの視点が重なり合って、多層的で、色々な見方ができる地図として、この地図は成り立っています。人々が世界に増え広がったことが、この世界地図が持つメッセージです。創世記1章において「産めよ、増えよ」という祝福は、すべての人に与えられました。あらゆる民族、あらゆる地域に住む人々、あらゆる言葉を話す人たちがこの祝福の言葉の対象であるため、この地図はとても平等な見方をしています。古代イスラエルを苦しめた帝国も、あまり知られていない民族も、資料を残さなかった民族も、この世界地図には含まれています。神の祝福の結果、この世界に増え広がった民族のひとつとして、すべての民族を平等に描こうとしています。私たちは自分たちが生きるこの社会やこの世界に、そして日常の中に、どのような地図を描くべきなのでしょうか。お互いの命を喜び合い、神の祝福を誰もが実感し、楽しむために、私たちはどんな地図を作るべきなのでしょうか。結局のところ、ひとりの力で、誰か特定の人たちの力でこの世界や、私たちの生きる社会に、地図を作ろうと思うと、どうしても無視されてしまう声、踏みにじられてしまう人たちがいます。私たちに必要なのは、多くの人と語り合い、その声に耳を傾けながら、お互いの地図を重ね合わせて、地図を作っていくことです。その結果、カラフルでたくさんの発見がある地図が出来上がるならば、何と素敵なことなのでしょうか。