東京ぶどうの木教会 メッセージ

「パウロの第1次宣教旅行から学ぶこと」2025年10月12日のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2025年10月12日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

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(聖書)使徒14:19-28 ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。 20 しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。 21 二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、 22 弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。 23 また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。 24 それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、 25 ペルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、26 そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。 27 到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。 28 そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。

 メッセージ題 : パウロの第1次宣教旅行から学ぶこと(使徒14:1-28)
*先週、使徒13章でパウロの宣教旅行から現れた特徴?

1)世界宣教は神様から、伝道は身内

2)福音が伝えられたら、霊的な背後の実体が、賛成も反対も。拒絶されても落胆しないで祈りを

3)自分の希望より神様の御旨に従うのが神の人、異邦人の使徒として…

*パウロは宣教旅行で数多く苦難を、しかし伴う神の御業に魅了され、続けて2次、3次宣教旅行を。私たちの信仰も

1.パウロとバルナバの働き

#イコニオンで?商業で発達した大都市、多くのユダヤ人、会堂も…パウロは会堂で福音を。1節、信仰を受け入れる人が。しかし2節、信じようとしないユダヤ人が人を扇動し悪意を抱かせ?しかしパウロは?3節、長くとどまろうとした。なぜ、イコニオンで信仰に入った初信者の為に。保護し自立信仰ができるように助けようとした。そしたら主が助けられた。→その後、5節、迫害の人がもっと強く、乱暴、石を投げつけ?仕方がなく避難するしか、大事なのは自立信仰できるように、御言葉と祈り(聖霊)により

#イコニオンからリカオニア州の町へ、そこはユダヤ人も会堂もなかった。しかしどうしても伝道しようと…

そうしたら神様が働かせて、8節、足が不自由な男に、10節、癒しが伴われるように…奇跡を見て、町中が動揺した。足が使えない人を生かすのは神しかできない。従ってパウロとバルナバを神だと拝もうと

←福音を伝えながら民衆から褒められるとき、どうするのか?使徒12章のヘロデ王は?しかしパウロとバルナバは自分の衣を裂き!15節、私たちも同じ人間だ。偶像を捨てて天地を創られた神様を拝むように

→大事なのは、真の神様を知らなければ、この世の不思議なすべてを拝もうするので、偶像の世界に、それを見てまた人々は偶像を拝むようになるので問題。キリストの福音が早く伝えられなければ!

2.リカオニア州の町で福音を伝えるとき、危機が!

*19節、ビシデアとオコニオンでパウロが伝えた福音に反対した人々が、リカオニアまで?(昔、サウロがダマスコにいる信者を捕まえに行ったように)彼らはパウロを石打で殺し、死んだと思って町の外へ引きずり出した。ところが弟子たちがパウロを探して集まったとき、死んだパウロが生き返って?そして、その町に再び入った。 →そこでバルナバは大きなトラブルが起きることが無いように、デルべに避難させた。そしたら、そこでまた福音を宣べ伝え、多くの人を救った。

→何ということでしょう。石打で死んだ状態だったのに?まさに、復活信仰だった。それから初めのアンチオキアに戻って来るなら、宣教旅行は終わりだった。#しかしパウロは?各地に戻るように?

→福音を受け入れた信徒たちを確かめる為!戻って行って、二つのことを頼まれた。

1)22節、御国に入る為には、多くの苦しみを経なければならない!苦難は友。

2)教会を導く、長老を立てた。

*キリスト教と苦難?

1)Ⅰペトロ4:1苦難を担うときは罪を犯さない?苦難が守り?

2)苦難が目を覚ますように、神様を求めるようにするのだ。

3)苦難が信徒を謙遜に、イエス様に見習うように…

→イエス様を信じるなら苦難がないのではなく、苦難に勝ち抜く。パウロも苦難を通して使徒に。

3.最後、教会に宣教報告を!異邦人がどのように福音を、神様の御業は、皆宣教に参加するよう

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