おうちで診る医療|名古屋発!ごうホームクリニックの在宅医療ポッドキャスト

Go Ito

「在宅医療って、実際どうなの?」その疑問に現場の医師がお答えします。 名古屋市天白区の「ごうホームクリニック」は、24時間365日対応の機能強化型の在宅クリニックです。約600名の患者さんの「おうちで過ごしたい」という願いに寄り添い、年間100件超の看取り・緊急往診、人工呼吸器を使う方や医療的ケアが必要なお子さんの在宅サポートなど、地域の在宅医療を支えています。 このポッドキャストでは、病院では教わらない在宅医療の実践知をお届けします。 ・高齢者の「いつもと違う」を見逃さないプロの眼 ・在宅での急変時、何を見て何を伝えるか ・ご家族への説明で大切にしていること ・訪問診療チームの連携の実際 医療・介護に携わる専門職の方の学びに、そしてご家族の介護に向き合う皆さんの安心につながれば幸いです。 移動中でも、家事をしながらでも、「聴く在宅医療」をぜひご活用ください。

  1. 4d ago

    【在宅看取りの実際】誰が担うのか、24時間つながる体制|#308

    在宅看取り(みとり)を支える仕組みを一言で表すと、「24時間つながること」です。どれほど丁寧な訪問診療や訪問看護を日中に積み上げても、夜間に家族が不安になったときの連絡先と対応手順が曖昧では、望まない救急搬送につながることがあります。24時間対応とは、常に誰かがただちに駆けつけることだけを意味せず、電話で状態を確認し、必要性に応じて訪問、医師への連絡、救急要請を判断できる体制をつくることです。 厚生労働省の人口動態統計によれば、死亡場所としての自宅の割合は近年上昇し、二割弱にまで戻ってきました。二〇〇〇年代に一割台前半まで落ち込んでいたことを考えると、自宅で亡くなる人の割合は増加傾向にあります。その一方で、現場の負担は特定の人に集中しがちです。訪問看護の管理者が事実上ずっと携帯電話を持ち続けている、院長ひとりが年間三百六十五日オンコールを担っている、そうした属人的な体制は珍しくありません。持続しない体制は、いざというときに最も危ういという事実を直視する必要があります。 この資料では、24時間連絡体制を「誰が、どの順番で、何を判断するか」という設計の問題として捉え直します。そのうえで、在宅看取りに関わる診療報酬・介護報酬の考え方、そして病院連携とバックベッド(緊急時に受け入れてもらえる入院ベッド)の確保という三つの柱を整理します。対象は看護師、介護職、ケアマネジャーの皆さんです。明日の担当者会議やカンファレンスでそのまま話題にできる形でまとめました。

    【在宅看取りの実際】誰が担うのか、24時間つながる体制|#308
  2. 4d ago

    【在宅看取りの実際】救急車を呼ばない、という家族の決断|#307

    在宅看取り(みとり)の現場で、最後の数時間に家族が直面する最大の分岐点が「救急車を呼ぶか、呼ばないか」です。呼吸が変わり、顔色が変わり、呼びかけへの反応が乏しくなる。その瞬間、それまで「自宅で最期まで」と決めていたはずの家族の手が、受話器に伸びます。これは家族の意思が弱いからではありません。目の前で人が亡くなっていく体験は、ほとんどの人にとって人生で初めての出来事であり、「何もしないでいる」ことに耐えるには、相当の準備と支えが必要だからです。 日本では、人口動態統計において自宅で亡くなる人の割合は長らく一割台にとどまり、二〇二二年は十七・四パーセントでした。一方で、意識調査では「最期を過ごしたい場所」として自宅を挙げる人が多いことが示されています。この希望を支える鍵の一つが、最期の数時間に何が起こるか、誰に連絡するか、救急要請が必要なのはどのような場合かを、本人・家族・チームで共有しておくことです。心肺停止後に救急要請すると、地域の救急運用や状況によっては心肺蘇生(しんぱいそせい)や搬送が始まることがあります。 同時に、私たちが目指すべきは「救急車を呼ばせないこと」ではありません。目指すのは、家族が慌てて救急要請をしなくても済む状態、つまり「何が起きるかを知っていて、誰に電話すればよいかを知っていて、それでよいのだと思えている状態」をつくることです。平穏死という言葉が示すのは、医療を引き算した結果の放置ではなく、本人の価値観に沿って必要なケアを足し算した結果の穏やかさです。本資料では、在宅医療に関わる看護師、介護職、ケアマネジャーが明日から使える視点として、本人の希望を聞く時間の作り方、看取り後のグリーフケア、そして「もっとできたのでは」という後悔への向き合い方を整理します。

    【在宅看取りの実際】救急車を呼ばない、という家族の決断|#307
  3. 4d ago

    【在宅看取りの実際】寝たきりでも、尊厳は失われない|#306

    在宅での看取りが近づくと、多くの方は少しずつ起き上がれなくなり、最期の数週間から数日は臥床(がしょう)、つまりベッドで横になったまま過ごす時間が大半になります。食事量が落ち、会話が減り、傾眠(けいみん)といって、うとうとと眠っている時間が長くなる。訪問するたびに「できなくなったこと」が増えていく時期です。このとき、ご家族から最もよく聞かれる言葉が「もう何もしてあげられない」「見ているだけで申し訳ない」というものです。 けれども在宅医療の現場に立つ私たちは、はっきり言葉にして共有しておく必要があります。動けなくなることと、その人らしさが失われることは、まったく別のことです。歩けなくなっても、食べられなくなっても、返事ができなくなっても、その人が何を大切にして生きてきたか、何を好み、何を誇りにしてきたかは消えません。尊厳ケアとは、その消えていないものに、こちらから手を伸ばし続けるケアのことです。 厚生労働省の人口動態統計では、自宅で亡くなる方の割合は近年上昇し、二〇二二年以降はおおむね十七パーセント前後で推移しています。在宅看取りは特別な選択ではなく、現実的な選択肢として定着しつつあります。だからこそ、最期の数週間の「寝たきりの時間」をどう過ごしてもらうかが、在宅チームの力量として問われます。この資料では、尊厳ケアという視点から、清潔保持と褥瘡(じょくそう)予防、本人の好きだったものに触れる時間、家族と一緒にできるケアという三つの柱を整理します。

    【在宅看取りの実際】寝たきりでも、尊厳は失われない|#306
  4. 4d ago

    【在宅看取りの実際】夜中3時、息が苦しいと電話が鳴る|#305

    在宅看取りの現場で、もっとも電話が鳴るのは深夜から明け方にかけてです。人は夜になると不安が増し、家族も疲れ、そして終末期の身体そのものが夜間に変化しやすい。呼吸のリズムが変わる、痰がごろごろ鳴り出す、急に起き上がって「帰る」と言い出す。日中なら落ち着いて見ていられることでも、午前3時の暗い寝室では、家族にとって「もうダメかもしれない」という恐怖そのものになります。 ここで大切なのは、深夜のコールの多くが医学的には「予測されていた変化」だということです。死前喘鳴(しぜんぜんめい)も終末期せん妄(せんもう)も、呼吸困難感の増悪(ぞうあく)も、看取りが近づいたときに高い頻度で起こる自然経過の一部です。つまり、事前に説明し、頓用(とんよう)薬を家に置き、電話で何を聞くかを決めておけば、その多くは「救急車を呼ばずに、家で看取る」ことができます。逆に、準備がないまま深夜の電話を受けると、家族は119番を押し、望まない搬送と心肺蘇生が起こります。 この資料では、深夜のコールで実際に何が起きているのかを、終末期せん妄の評価と対応、死前喘鳴への家族説明、在宅での緊急時オピオイドレスキューという三つの柱で整理します。対象は在宅医療に関わる看護師、介護職、ケアマネジャーの皆さんです。医師でなくても、電話口で「何を聞き、何を伝え、何を頼むか」が決まっていれば、その夜の質は大きく変わります。

    【在宅看取りの実際】夜中3時、息が苦しいと電話が鳴る|#305
  5. 4d ago

    【在宅看取りの実際】点滴1000mlが、最期の苦しみを増やすことがある|#304

    在宅での看取りの場面で、相談が多いテーマのひとつが「食べられなくなった」「飲めなくなった」です。そしてそこで話題になるのが、点滴をするかどうか、するとしたらどの程度にするか、という問題です。終末期、とくに亡くなる前の数週間では、一日千ミリリットルの輸液が利益をもたらさず、体液貯留による負担を増やす方がいます。一方で、可逆的な脱水症状があり、少量の輸液で楽になる方もいるため、量だけで良し悪しを決めません。 体が最期に向かうとき、腎臓から水を出す力や、血管内に水分を保つ力が低下することがあります。その状態で輸液が身体の処理能力を上回ると、水分が血管外に移動し、手足の浮腫(ふしゅ)、腹水(ふくすい)、胸水(きょうすい)、気道分泌(ぶんぴつ)物の増加につながる場合があります。「元気になってほしい」という善意で始めた点滴でも、状態の変化に合わせて利益と負担を見直す必要があります。 一方で、ご家族の「食べさせたい」「せめて点滴だけでも」という思いは、決して間違いでも無知でもありません。それは最後まで何かしてあげたいという愛情の表現です。在宅医療スタッフに求められるのは、点滴を否定することではなく、体の変化を正しく説明し、家族の思いが別の形のケアに着地できるよう支えることです。このテーマは、医学的判断の問題であると同時に、家族の後悔を減らすコミュニケーションの問題でもあります。

    【在宅看取りの実際】点滴1000mlが、最期の苦しみを増やすことがある|#304
  6. 4d ago

    【在宅看取りの実際】食べられないとき、からだで起きていること|#303

    在宅での看取り(みとり)の現場で、最も多くの家族を揺さぶるのが「食べられなくなった」という場面です。数日前まで少しは食べていた人が、ある日から口を開けなくなる。ご家族は「このままでは飢え死にさせてしまう」と感じ、「先生、点滴をしてください」と訴えます。この訴えの裏にあるのは、医学的な判断の要求ではなく、何もできないことへの恐怖と罪悪感です。ここを理解しないまま「点滴は不要です」とだけ答えると、家族は置き去りになり、在宅看取りそのものが崩れてしまいます。 医学的に押さえておきたいのは、終末期では、病状の進行によって食べられなくなることが多いという点です。がんの悪液質(あくえきしつ)、老衰、心不全や腎不全の末期では、それぞれ経過は異なりますが、水分や栄養を処理する力が低下することがあります。輸液が浮腫(ふしゅ)、胸水(きょうすい)、腹水(ふくすい)、気道分泌(ぶんぴつ)の増加につながる方もいれば、可逆的な脱水症状が改善する方もいます。点滴は「愛情の量」ではなく、本人に期待できる利益と負担を個別に評価して決める医療行為です。 もう一つの重要な点は、終末期の口渇(こうかつ)が輸液量だけでは決まらず、口腔(こうくう)内の乾燥に対するケアで和らぐことが多いということです。輸液を行うかどうかとは別に、口腔ケアは本人の快適さを支える手段になります。そして、その手段の主役を家族が担うこともできます。この資料は、在宅で働く看護師、介護職、ケアマネジャーが、経口摂取(けいこうせっしゅ)低下と輸液の調整という難所を、家族と一緒に越えていくための実践資料です。

    【在宅看取りの実際】食べられないとき、からだで起きていること|#303
  7. 4d ago

    【在宅看取りの実際】モルヒネは命を縮めますか、と聞かれたら|#302

    在宅での看取り(みとり)の場面で、医療者がもっとも頻繁に投げかけられる質問のひとつが「モルヒネを使うと、命が縮まるのではないですか」というものです。この問いは、単なる薬理学の質問ではありません。その背後には、「自分たちの選択で親の死を早めてしまうのではないか」という家族の罪悪感への恐れ、そして「最後までできることをしてあげたい」という願いが隠れています。ここで医療者が曖昧に答えたり、逆に専門用語で押し切ったりすると、家族は薬の使用をためらい、結果として患者は苦痛のまま最期を迎えることになります。 現在のエビデンスでは、疼痛(とうつう)や呼吸困難に対して適切に調整されたオピオイド(医療用麻薬のこと。モルヒネ、オキシコドン、フェンタニルなどの総称)の使用が、生存期間を短縮するという根拠は示されていません。むしろ、苦痛が十分に緩和されることで睡眠や食事、家族との会話が保たれ、患者の生活の質が上がる場面を在宅の現場では日常的に経験します。にもかかわらず、モルヒネ=終末の薬、モルヒネ=眠らせる薬、モルヒネ=中毒になる薬という誤解は根強く残っています。 そしてもうひとつ、在宅看取りの終盤で避けて通れないのが鎮静(ちんせい)の問題です。あらゆる手段を尽くしても取れない苦痛に対して、意識レベルを下げることで苦痛を感じなくする医療行為。これを安楽死と混同したまま実施すれば、家族にも、そして担当したスタッフ自身にも深い傷を残します。この資料では、持続皮下注(じぞくひかちゅう)によるオピオイドの実際、鎮静と安楽死の決定的な違い、そして家族への説明の言葉を、現場ですぐ使える形で整理します。

    【在宅看取りの実際】モルヒネは命を縮めますか、と聞かれたら|#302
  8. 4d ago

    【在宅看取りの実際】あと二週間、と言えるか──看取り期のサイン|#301

    在宅看取り(みとり)の現場で、私たちが最も問われるのは「あとどのくらいですか」という家族の一言です。この問いに黙ってしまうか、根拠をもって「週の単位かもしれません」と伝えられるかで、その後の二週間の過ごし方は大きく変わります。遠方の家族が間に合うか、本人の希望した場所で最期を迎えられるか、夜中に慌てて救急車を呼ばずに済むか。予後(よご)の見立ては、医学的な予測であると同時に、家族の時間を守るケアそのものです。 日本の人口動態統計では、自宅で亡くなる人の割合は近年上昇し、二〇二二年には全死亡の約十七パーセントに達しました。一方で、在宅療養中に最期の局面で救急搬送され、病院で亡くなるケースも依然として少なくありません。その多くは、看取り期に入ったという認識が家族とチームの間で共有されていなかったことに起因します。つまり「判断できなかった」のではなく「判断を言葉にして共有できなかった」のです。 予後予測は当たり外れの博打ではありません。臨床医の主観的な予測は楽観的にずれやすいことが繰り返し指摘されており、そのずれを補正するために、PPS(ピー・ピー・エス、パリアティブ・パフォーマンス・スケール)やPaPスコア(パップスコア、パリアティブ・プログノスティック・スコア)といった客観的な指標が開発されてきました。看護師も介護職もケアマネジャーも使える共通言語として、これらを日々の訪問記録に落とし込むこと。それが「あと二週間、と言えるか」への第一歩になります。

    【在宅看取りの実際】あと二週間、と言えるか──看取り期のサイン|#301

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「在宅医療って、実際どうなの?」その疑問に現場の医師がお答えします。 名古屋市天白区の「ごうホームクリニック」は、24時間365日対応の機能強化型の在宅クリニックです。約600名の患者さんの「おうちで過ごしたい」という願いに寄り添い、年間100件超の看取り・緊急往診、人工呼吸器を使う方や医療的ケアが必要なお子さんの在宅サポートなど、地域の在宅医療を支えています。 このポッドキャストでは、病院では教わらない在宅医療の実践知をお届けします。 ・高齢者の「いつもと違う」を見逃さないプロの眼 ・在宅での急変時、何を見て何を伝えるか ・ご家族への説明で大切にしていること ・訪問診療チームの連携の実際 医療・介護に携わる専門職の方の学びに、そしてご家族の介護に向き合う皆さんの安心につながれば幸いです。 移動中でも、家事をしながらでも、「聴く在宅医療」をぜひご活用ください。

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