身体の教養ラヂオ

大沼竜也

大沼竜也(おおぬま・たつや) 鍼灸師。1991年宮城県生。 身体の教養──自分の身体の状態を感じ取り、自分で調整できるようになること。読み書きと同じように、誰もが身につけるべきリテラシーだと考えています。 漠然とした不安、疲れ、行き詰まり。その原因を思考で探しても、また同じ不調が戻ってくる。身体の状態が変わっていないからかもしれません。 身体は常に何かを感じています。あなたが気づいていなくても。この「感じ」が、気分も判断も行動も──暮らし全体を方向づけています。 身体の構造を知り、自分の身体に通し、感覚が立ち上がる。コーヒーを飲む、本を開く、誰かと話す。行為は同じでも、身体の状態が変われば暮らしの質が変わります。 自分の手で触れ、ゆすり、さする。感じて、解いていく。僕はこれを身体動態瞑想と呼んでいます。瞑想は身体的な行為であり、感じ解いていくことです。 変われないのは、あなたのせいではありません。身体が固まったまま思考だけで何とかしようとしている構造のせいかもしれない。この番組では、身体の教養という視点から暮らしを見つめ直します。 ▼ 話している人について https://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma

  1. 5H AGO

    【後編】コリと疲労と鬱な気分|脳疲労が原因だった?

    「取れない疲れは『脳疲労』が原因かも?」シリーズの後編です。前編・中編で脳疲労のメカニズムと、身体動態瞑想の入口までお話ししてきました。今回はもう一段深く、宮本武蔵が示した「ゆるみ」の深さと、それを日常に織り込んでいくところまで、お話ししています。 後編(今回)でお話ししているのは、こんな内容です。 ・宮本武蔵『五輪書』にある一節──「心を静かにゆるがせて、其ゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし」・武蔵が要求しているのは、深層筋・肋間筋・大腰筋・横隔膜まで届くゆるみ。お風呂で気持ちいいレベルでは、まだ表層にすぎない・「ゆるむ」と「たるむ」は違う──だらーっとたるむ状態と、ギュッと締まる状態、その両方を最大限に自由に行き来できる状態こそが、身体合理性が高い状態。自由度の問題である・生理学的にも、筋肉が「ゆるんでいる」状態は何もしていない状態ではない。ATPというエネルギー物質を使い続けている。死後硬直──ATPの供給が止まった瞬間に身体が固まる現象──を思い起こせば分かりやすい・努力の方向を「気持ちよさを引き出すこと」に置き換える──座るときも、移動も、食事も、お風呂も、ベッドに入るときも、心地よさを最大限に味わうように生きる・落とし穴:今の自分の身体の小余りを前提とした気持ちよさしか感じられない。背中が丸ければ、その状態の中での気持ちよさしか拾えない・だから理性があり、他者がいる。身体動態瞑想は、解剖学的な構造の側からその落とし穴に補助線を引く実践。胸をさすると、肋骨を通じて背中の丸さに届く 身体に蓋をして頑張り続けてきた人にこそ、聴いてほしいシリーズの締めくくりです。日常の所作のひとつひとつに、気持ちよさを引き出す姿勢を織り込んでいくきっかけになれば嬉しいです。 ソマティックスタジオでは身体動態瞑想を詳しく解説する場や、一緒に実践する場を用意しています。興味のある方はぜひ覗いてみてください。 【参考文献】(後編で言及) ・宮本武蔵『五輪書』 お手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛 話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma

    15 min
  2. 2D AGO

    【中編】コリと疲労と鬱な気分|脳疲労が原因だった?

    「取れない疲れは『脳疲労』が原因かも?」シリーズの中編です。前編では脳疲労のメカニズムと、アスリートの脳疲労の話までしました。今回はその続きから、現代人がなぜ脳疲労を抱えやすいのかという構造の話と、対処としての「身体動態瞑想」の導入まで、お話ししています。 中編(今回)でお話ししているのは、こんな内容です。 ・座位時間そのものが運動量とは独立して身体に効いてくる──100万人を超える人々を統合した2016年のLancetの研究では、1日8時間以上の座位と低い活動量が重なると、全死因死亡リスクが約1.6倍になることが示されている・現代人は「自分が疲れていることに気づけないくらい疲れている」状態にある。本人は肩こりを感じていないけれど、施術側から触ると相当に硬い──臨床で頻繁に出会う光景・2023年の研究では、座位時間が1分増えるごとに、自分の身体の内側を感じ取る力(内受容感覚)が低下することが示されている・ペンフィールドのホムンクルス──手・足・口・顔の支配領域は圧倒的に広く、体幹は極めて狭い・発達の視点から:魚・爬虫類・四足動物まで遡れば、運動の本来の主役は脊椎・体幹だった・2023年、Gordonらが『Nature』に発表した「Somato-Cognitive Action Network」(体幹・呼吸・腹部を司る認知と運動の統合ネットワーク)・身体動態瞑想の核心──自分の脳を使って、自分の身体の硬さを感じ取り、ゆっくり動かし、気持ちいいなを指標にほぐしていく実践・受動的にマッサージ機・甘いもの・お風呂・音楽に頼り続けると、自分で自分を調整する能力が低下していく・解剖学者Robert Schleipの筋膜研究:能動的に「感じ取りながら触れる・動かす」とき、内受容感覚に関わる脳の部位が活性化する・「脳が疲れているなら脳を休めればいい」は逆。脳を「使いながらゆるめる」ことで、脳の能動的活動の能力そのものが鍛えられる・具体例:盆の窪を椅子の背もたれにあずけて、1センチ幅で首をゆっくり動かす実践 後編では、宮本武蔵『五輪書』が示す身体合理性の深さと、「ゆるむ」と「たるむ」の違い、ATPと弛緩の生理学、そして日常そのものを「気持ちよさを引き出す努力」に変えていく話までいきます。 【参考文献】(中編で言及) ・Ekelund U, et al. (2016) Lancet 388(10051):1302-1310.・Wallman-Jones A, et al. (2023) Biological Psychology 181:108600.・Gordon EM, et al. (2023) Nature 617(7960):351-359.・Schleip R. (2003) Journal of Bodywork and Movement Therapies 7(1):11-19 / 7(2):104-116. お手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛 話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma

    21 min
  3. 3D AGO

    【前編】コリと疲労と鬱な気分。脳疲労が原因だった?

    寝ても疲れが取れない。週末に休んだはずなのに、月曜の朝にはもう体が重い。激しく動いたわけでもないのに、夕方には頭がぼんやりして、目の奥が痛い。検査をしても異常は出ない。「年のせい」「ストレス」と言われて、それ以上の言葉が続かない──そういう疲れの正体について、僕は「脳疲労」という言葉で捉えています。 今回から3回に分けて、脳疲労とは何か、なぜ起きるのか、どう向き合うかについて、臨床と現代の神経科学の両方の側から話していきます。 前編(今回)でお話ししているのは、こんな内容です。 ・脳疲労と身体の固まりは「別々の現象」ではなく、同じ一つの現象の二つの顔である ・「身体合理性」という観点──体の不合理は脳の不合理に直結する ・トップアスリートの脳疲労──体を動かしているように見えて、相手の動きを読み、戦略を立て、瞬時に判断する脳活動が極限まで使われている。試合の後半・連戦で出せるパフォーマンスが落ちていくのは、筋肉や心肺だけでなく脳の側が疲労しているから ・Marcoraの実験(2009年):90分の認知タスクを課しただけで、その後の運動継続時間が15%短くなる。心肺機能も筋肉のエネルギー指標も変わっていないのに、身体は早く力尽きる ・これは僕たちのデスクワークの疲れと構造として地続き 中編・後編では、現代人の脳疲労が構造的に起きている理由(直立二足歩行、デスクワーク、幼稚園からの座位訓練、ペンフィールドのホムンクルスと動かしにくい体幹)と、対処としての「身体動態瞑想」の核心について話していきます。 身体に蓋をして頑張り続けてきた人にこそ、聴いてほしいシリーズです。 【参考文献】(前編で言及) ・Wiehler A, Branzoli F, Adanyeguh I, Mochel F, Pessiglione M. (2022) "A neuro-metabolic account of why daylong cognitive work alters the control of economic decisions." Current Biology 32(16):3564-3575. ・Marcora SM, Staiano W, Manning V. (2009) "Mental fatigue impairs physical performance in humans." Journal of Applied Physiology 106(3):857-864. お手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛 話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma

    21 min
  4. MAY 13

    自己愛が歪むと、人は差別したくなる?|陰謀論者と他責思考は藁をも掴む

    「あの人のせいだ」「中国人のせいだ」「あの世代のせいだ」── SNSを開けば一日中、誰かが誰かを糾弾している。気づくと自分も巻き上げられて、傷ついて、なんだか疲れている。 なぜ、人は誰かを悪者にしたくなるのか。 最近、こんな言葉を聞きました。「絶望を知らないからクズになる。だから誰かのせいにしたくなる」と。 確かに一理あります。けれど、深く考えてみると、見えてくるものがありました。 絶望って、「想像」でもあります。 想像は、これまでの経験や体験を基盤にして初めてできるもの。自分の身体で絶望を感じたことがなければ、世界の絶望や他者の苦しみを想像できるわけがない。だから、差別の向こうで誰がどんな痛みを感じるかも想像できない。 かといって、その痛みを思い出すこともできない。 代わりに、「あいつのせいだ」「陰謀だ」という記号を、藁にもすがる思いで掴む。── 自己愛が歪んだ時、人はこの「藁」を本気で握りしめます。 自信満々だった人も、人生の疲弊の中で自己愛が歪むと、「〇〇のせい」が止まらなくなる。 このエピソードでは: ・なぜ「絶望を知らない人」が藁にすがるのか・身体的な絶望体験(父との対峙、雪山、波)が想像の基盤になる仕組み・「絶望が足りない」を生む2つの社会構造(危険を排除する社会/効率化を強いる社会)・ブッダの「苦は遍く知られるべし」が、なぜ身体に降りる話なのか・健全な希望は、絶望を知った身体に立ち上がる を、丁寧に語ります。 「あの人のせい」と言いたくなった時、身体は何を伝えているのか。一緒に考えてみませんか。 参考文献:『初転法輪経(相応部 SN 56.11)』、メルロ=ポンティ『知覚の現象学』、養老孟司『唯脳論』、ハン・ビョンチョル『疲労社会』、増谷文雄/梅原猛『仏教の思想10 絶望と歓喜〈親鸞〉』

    52 min
  5. MAY 8

    禁欲ってどうなの?|身体論から見る「快楽」の捉え方

    「幸福とは〇〇だ」のラヂオを聴いてくださったある方から、こんなご質問をいただきました。 「禁欲についてもう少し詳しく聞きたい。性欲が強くて悩んでいる場合、その欲求に従うことでその時は快に向かうのですが、事後毎回不快な気持ちになります。寂しいというか虚しいというか。これを解消するにはどのように体と向き合えばいいのでしょうか。どれが自分の声かわからなくて」 すごく大切な問いだと感じました。今回はそのご質問を出発点に、欲と身体について少し丁寧に話しました。 「欲しい」と「心地よい」── どちらも広く言えば「快楽」と呼ばれるシステムの一部ですが、その内側にまったく違う2つの働きがあります。神経科学の研究でも、両者はそれぞれ別の脳の回路で動いていることがわかってきています。「欲しい」のほうはドーパミンが関係する駆動の回路(wanting)、「心地よい」のほうはオピオイドなどが関わる質感の回路(liking)。 事後に虚しさが残るのは、片方の回路だけが強く燃えて、もう片方が一緒に動いていない状態なのかもしれない。そして「自分の声がわからない」というのは、感受性が低いからではなくて、大きい声と小さい声を聞き分ける練習がまだ追いついていないだけ、ということなのかもしれません。 禁欲は、たぶん答えではない。欲を抑え込むのではなく、「心地よい」のほうの回路を、すこしずつ太くしていく。そうすると、「欲しい」だけが暴走することが、自然と減っていく。そして、「欲しい」を強く引き出してくる装置に満ちた現代社会のなかで、それは個人の弱さではなくて環境の側の問題でもある──そんな話をしました。 ▼ 今回のお話・「欲しい」と「心地よい」は、似ているようでまったく別のもの・どちらも「快楽」と呼ばれるシステムの一部、というのが共通点・なぜ事後に虚しくなるのか・「自分の声」とは、どこから聞こえるのか・力を抜きながら、溶けていくように、心地よい感覚を頼りに動くこと・禁欲は、たぶん答えではない・「欲しい」を強く引き出してくる現代社会のなかで ▼参照した文献Berridge, K. C. (2007). The debate over dopamine's role in reward: the case for incentive salience. Psychopharmacology, 191(3), 391-431.Berridge, K. C., & Kringelbach, M. L. (2015). Pleasure systems in the brain. Neuron, 86(3), 646-664.Schultz, W., Dayan, P., & Montague, P. R. (1997). A neural substrate of prediction and reward. Science, 275(5306), 1593-1599.Anna Lembke (2021) Dopamine Nation: Finding Balance in the Age of Indulgence. Dutton.Koob, G. F., & Le Moal, M. (2008). Addiction and the brain antireward system. Annual Review of Psychology, 59, 29-53. 身体の教養ラヂオ/のんべんだらりと暮らすだけ お手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛 話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma

    30 min
  6. MAY 1

    幸福とは〇〇だ|身体論から見る幸福論

    「幸せになりたい」と人は言う。けれどその幸せがどこから来るのかを明確に答えられる人は、ほとんどいないのではないでしょうか。 19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウアーは「幸福は積極的なものではない、苦の不在にすぎない」と書きました。人生は欲望と退屈のあいだを揺れる振り子である、と。 今回はこの振り子モデルに、身体論の側から読みを重ねていきます。古代ギリシアのアリストテレス(エウダイモニア)から、エピクロス、ベンサム、ヒルティ・アラン・ラッセルの三大幸福論を辿り、最終的にはスピノザのコナトゥス、カール・ロジャースの実現傾向、ユージン・ジェンドリンのフェルトセンスへとつながる「身体内在の動き」の系譜のなかにショーペンハウアーを置き直してみたい、という回です。 施術室で17年、人の身体に触れてきて見えてきたのは、苦と快が別々のものではなく、同じ一つのナビゲーション装置の両面であるということ。苦は、身体合理性から外れているサイン。快は、合理性に向かっているサイン。意志を否定するのではなく、サインに従って動いた結果として、「求めない」状態は立ち上がってくる。 幸福は追いかけて獲得するものではなく、身体が発しているサインに従って動いた結果、覆いを取り除かれて立ち上がってくるもの。その覆いの正体には、認知の物語だけではなく、身体合理性から外れた状態を別の快で覆ってしまう「マスキングの快」、そして社会の構造そのものも含まれます。神経科学のライキング(オピオイド系)とウォンティング(ドーパミン系)の区別を手がかりに、現代社会がなぜ身体のサインを聞こえなくしてしまうのかも、一緒に考えていきます。 ▼ 今回のお話・三大幸福論(ヒルティ・アラン・ラッセル)と、そこから外れたショーペンハウアーの異質さ・「快は消極的、苦は積極的」というショーペンハウアーの命題に、臨床から重ねる読み・振り子モデルが射程に入れられない「フローの瞬間」のこと・幸福のベースラインが高い人と低い人がいるのはなぜか・ショーペンハウアーの「意志」は思考レベルではない──スピノザのコナトゥスへの帰り道・「意志を否定する」ではなく「サインに従う」という処方・触れている手が受け取っている「共苦(Mitleid)」という出来事・成果主義と感情資本主義のなかで、身体のサインが埋もれていくこと・ライキング(オピオイド系)とウォンティング(ドーパミン系)の神経科学 話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma #身体の教養 #ソマティクス #幸福論 #ショーペンハウアー #身体合理性 #身体知の書庫

    1h 13m
  7. APR 21

    「私らしさ」とは「匂い」である

    「私はこういう人間だから」そう思うこと、ありますよね。 人見知りだから、緊張しやすいから、気が弱いから──いろんな言い方がありますけど、そういう自己認識って、どこから来ているんでしょうか。 生まれつきの性格。よく言われます。でも、施術室で毎日、人の身体に触れていると、ちょっと違う景色が見えてくるんです。 性格と呼んでいるものの正体は、長い時間のなかで身体に染みついた「匂い」のようなものかもしれません。お香が服に染みつくように、繰り返した行為が、身体に痕跡として残っていく。肩の構え、呼吸の深さ、触れられたときの反応──そういう具体的なかたちとして。 シリーズ「癖──あなたの性格は、身体が覚えている」第2回。今回は、2500年前のインドに飛びます。 ブッダや、そのあとに現れた人たちは、この「癖が染みついていく仕組み」を、驚くほど精密に見ていました。身体の癖、言葉の癖、思考の癖──それがどう作られ、どう重なり合っていくのか。 施術室で毎日出会っていることと、2500年前の人たちが見ていたことが、入り口は違うのに、ほとんど重なっている。そのことに気づいたときの驚きを、そのまま話してみました。 「私はこういう人間」という感覚は、身体の匂いなんじゃないか。焚きしめられたものなら、少しずつ、別の香りに変わっていくこともできる。 話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma

    1h 23m

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大沼竜也(おおぬま・たつや) 鍼灸師。1991年宮城県生。 身体の教養──自分の身体の状態を感じ取り、自分で調整できるようになること。読み書きと同じように、誰もが身につけるべきリテラシーだと考えています。 漠然とした不安、疲れ、行き詰まり。その原因を思考で探しても、また同じ不調が戻ってくる。身体の状態が変わっていないからかもしれません。 身体は常に何かを感じています。あなたが気づいていなくても。この「感じ」が、気分も判断も行動も──暮らし全体を方向づけています。 身体の構造を知り、自分の身体に通し、感覚が立ち上がる。コーヒーを飲む、本を開く、誰かと話す。行為は同じでも、身体の状態が変われば暮らしの質が変わります。 自分の手で触れ、ゆすり、さする。感じて、解いていく。僕はこれを身体動態瞑想と呼んでいます。瞑想は身体的な行為であり、感じ解いていくことです。 変われないのは、あなたのせいではありません。身体が固まったまま思考だけで何とかしようとしている構造のせいかもしれない。この番組では、身体の教養という視点から暮らしを見つめ直します。 ▼ 話している人について https://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma

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