『弱さ考』井上慎平のままならジオ(ままなラジオ)

井上慎平(『弱さ考』著者/問い読共同創業者)

「ままならジオ(ままなラジオ)」は人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者・井上慎平が、哲学や読書を手がかりに、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考えるポッドキャストです。 焚き火の音とともに、あわただしい毎日の「余白」となれば幸いです。 思考すること、問いを立てること、対話することが好きな方へ。 ■井上が主催するオンライン読書プログラム「問い読」はこちら https://go.toidoku.com/inoue ■お便り・感想はこちら:https://forms.gle/NaDpXUbzPB3Tri6PA ■著書『弱さ考』:https://amzn.asia/d/0j1A47b1

  1. 4d ago

    ごきげんでいる方法|ままならジオ(ままなラジオ)#14

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。 ▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中 ▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」 ▶︎著書『⁠弱さ考⁠』 ▶︎読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし) 人生、ごきげんがいちばん。でも、ごきげんでいるっちゅうんは、意外と難しいんよなー。今日はそんなお話しです。 ままならジオ。 『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。 もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。 今日は「ごきげん」について話したいと思います。 僕、『弱さ考』に「これからは強くて優秀じゃなくて弱くてごきげんだ!」って書いたらめっちゃ反響が大きかったんですよ。「井上さんめっちゃいいですね!」みたいな でも、実はちょっと申し訳なかった。あんまりごきげんについて深く考えてなかったから笑。なんかごめん、と。せやから、考えたで!待たせたな!って感じです。 まず、僕がなんで「ごきげん」なんが大事かと思ったかというと、これは恩師の教えなんですよね。僕が新卒で入社した会社の会長が、もうものすごくいつもごきげん、ごきげんっていうのよ。 まあ、でも20代前半のおれは思ってたよね。「この人は何を言っとるんや」と。まったくわかってなかった。きげんなんてどうでもええやろ、と。 その会長はね、「みんな不機嫌であることによって、何かをゲットしてるんだ」っていうふうに言うんですよ。 たとえば「自分はすごく賢いんだ」って見せつけるために、もったいつけて気難しくふきげんそうな顔をしてるってね。 でも、たしかに、あるよね。そういうの。不機嫌で人を動かす人っているやん?どんな職場にも。 周りの人が、「あの人の機嫌がいいかどうか?」を常に気にしなくちゃいけなくて、「この人の機嫌が悪くならないように振る舞おう」みたいなことを思っちゃう人。その時点でその人は自分の不機嫌によって他人の配慮を引き出して、ゲットしてるわけで、不機嫌を 1つの戦略にしとるわけですよ。 まあ赤ちゃんはね?しょうがないよ。不機嫌になったらすぐ泣いて、周りの大人は、あわわわーって振り回される。 まあ、でも大人になったらさ、自分の機嫌ぐらい自分で取ろうぜと思いますね。 今振り返れば、当時はその恩師の言うことも「なるほどねー」くらいにしか思ってなかった。20代前半やったからね。でもその後ちょっとずつ社会人経験を積んでいくにつれて、あ、やっぱご機嫌って大事なんやって感じることが増えてきたわけよ。 僕、ビジネス書の編集を長くやってきたんですけど、だいたいどの本にも書いてある警告みたいなんがあるんよ。 「それはスキルで人をとるな」っていうやつ。「即戦力だ!」っていう理由で採用すると痛い目見るぞって。組織が崩壊するぞって。 僕なりの言葉でいうとね、それは、その人が何をできるか、だけじゃなくて、その人が周囲の人にどういう影響を与えるかをみろってことやと思うんですよ。 僕はそれを触媒的能力って呼んでるんですけど。 触媒って、あのーあれ、科学かなんかの授業でならいませんでした? 自分自身は変化しないが周りを変化させる物質のこと。たとえば、小麦粉だけではパンにならないでしょ?小麦粉にイースト菌が加わると、ぷくーって膨らんでパンになるんよ。でも、イースト菌自体はただそこにいるだけなんよ。触媒ってそういう、ただそこにあるだけで周りに変化を起こさせる物質のことね。 人でもいるやん? 自分が高い成果を残すためには人をとことん利用してやろう、っていう人。利用価値がある人にはちゃんとするけど、利用価値がないと判断した人にはめっちゃ冷たい人。あと他人の手柄を平気で横取りするとか。こういう人がいるとチームが崩壊するやんね。 逆に、仕事がすげえ優秀っていうわけちゃうねんけど、あの人がいるとなんかいいよね!って人もいるやん?なんか雰囲気が明るくなるよね、とか。それがつまりごきげんやと思うんですけど。 そういう人こそ組織にとってすごく大事やっていうのは、10 年ぐらい働いたらなんとなくわかってくる。 でもその恩師は言ってたのよ。ごきげんでいることの難しさも。 っていうのも、ごきげんでいたら、人間ってアホっぽく見えんのよ! 「あの人ってさ、悩みなさそうだね〜」みたいな。逆に不機嫌でいたら最初に言ったみたいに少し賢そうに見えたりするのよね。 ごきげんでいるには、勇気がいる。 でも、勇気を発揮してごきげんでいることができれば、不機嫌で人を動かすんじゃなくて、ごきげんで人を活かす人、活性化させる人になれる。 恩師にね、謝りたいですね〜。「あんときなんもわかってなくてごめんなさい」って。でもね、最近僕もちょっとずつごきげんになれてる気がするんよ! それは、実は鬱の体験からきてましてね。 人間って全然立派な生き物やないんやなって自覚できたことで、僕はごきげんな人間にちょっとなれたんですよ! どういうことか。説明しよう!ちょっとごきげんに言ってみました。ネタが古いな。 僕、鬱んときはとにかくエネルギーが枯れてたの。ほんで、タイミングが悪いことにそんとき子どもがイヤイヤ期やったわけよ。 3歳くらいやったかな?とにかく理不尽なまでに泣くわけ。こっちが泣きたいわってくらいに。 世の中のお父さんお母さんは立派やから、それでも淡々と育児をこなすわけやけど、僕はもうあまりにエネルギーが枯渇しすぎてて、キレたんよね。3歳の子どもに。 だぁまれ〜〜〜〜〜!!!!!うるさーーーーーーい!!!みたいに。エネルギーが枯れてたらキレられへんやろって思うかもやけど、そうやなくて、エネルギーが枯れてると、理性によるブレーキみたいなんがぶっ壊れんのよね。 いやあ、ほんまもうクソみたいな人間やったね。あんときに自分の「立派な人間でいたい」みたいな思い上がりが一個ガラガラで音を立てて崩れたんですよ。 ほんで二つ目。これも鬱のどん底のとき、僕は自分のことを惨めやって思ったんですよね。あまりにもできることがなくて。 で、「惨め」やと思ったっていうのが実はすごく大事で。 これ、惨めじゃなくて「苦しい」とか「悲しい」でも良かったはずなんよ。でも僕はまぎれもなく惨めって感じたんよね。 惨めっていうのはすごく人と比べる言葉やなあと思うんよね。周りの人はあんなに頑張って活躍してるのに、とか。当時もめっちゃ人と比べてた。逆に誰もいない無人島で惨めになるのってまあ難しいと思うのね。 惨めっていうのは、なんちゅうか、基準となる点があって、そこからの比較で生まれてくる感情な気がすんのよ。 で、そんとき自分を惨めにさせてたのは、過去の自分やったんよね。 過去のバリバリ仕事してた頃の自分が、見下してきおんのよ、俺のこと。 お前は何もできねえやつになったなあ、みたいに罵ってくるわけ。 ほんで気づいたんよね。おれはめちゃくちゃ人のことを能力でジャッジしてるなって。能力=人の価値くらいに思ってるやんって。 それがもうショックで。自分はもうちょっとましな人間やと思ってたぞと。 この2つで決定的にわかったんよね。自分がいかに立派な人間でないか。これからも立派な人間になれる日なんてこんということが。 もう一個思ったんが、これ、おれだけやなくて余裕がなくなったらどんな人もたいがい愚かな人間になってまうんちゃうのってこと。 それから、いままでの自分やったら「なんて愚かな人や」って思うようなシーンに立ち会っても「ああ、あの人はいま余裕がないんやなあ」と思うようになった。 自分の底の浅さ、醜さみたいなのと直面したのがすごいよかったんよね。あれ、おれ、ダサすぎひん?っていう。もう笑ってまうしかないなと。 そっからね。ごきげんになったのよ。いや、もう半分ごきげんっていうテーマ忘れかけてたけど。戻ってきました。 なんでかと言うと、「自分は立派な人間になれるんだ」っ

    19 min
  2. May 27

    人生は「したくもないゲーム」でできている|ままならジオ(ままなラジオ)#13

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。 ▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中 ▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」 ▶︎著書『⁠弱さ考⁠』 ▶︎ 読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし) 人生がままならないのは、したくもないゲームをプレーさせられ続けとるからや。今日はそんなお話です。 ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の"ままならなさ"を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。 はい。今日は、人生を「ゲーム」という言葉で捉えると少し見え方がおもろくなるでって話をします。今考えたら、この「ゲーム」の話って、弱さ考関連のイベントでいちばんよく喋ってるかもしれん。やから、ほんまは本のなかにちゃんと書いておいたほうがよかったんやろなあって思った。なんで今日、話します。 まず、ゲームって、それぞれにルールがあって、どういうプレーをすると反則かっていうのが決まってるんですよね。どういうプレーをすると高得点か、を人はいつも意識して行動しとる。 ほんで、人生はいろんなゲームでできてると思うんですよね。たとえば、1人の人間としてこの命を生きるということ自体が、世界をフィールドとした一つのゲームやし、子どもの時は学校というフィールドでゲームをしてました。社会に出たら、職場というフィールドでビジネスパーソンというプレーヤーになってゲームをせんとあきませんよね、多くの場合。 ゲームという言葉にこめた意味は大きく2つあって、1つは先ほどの「ルールがある」「いいプレーと悪いプレーがあって人間は無意識にそのゲームのなかでいいポイントをゲットしようとして動いてしまう」という話。このルールというのが、ゲームごとに違うのがやっかいなんですよね。 たとえば、大体どの小学校にも「冬半袖半ズボンで過ごすプレー」をしている男の子が1人はいるんですが、あれは「男の子ゲーム」のなかではいいプレーなんですよね。いや、価値観によりますけど笑。女の子が張り合って「じゃあ私も半袖で」ってならないのがミソなんですよ。つまり、何が言いたいかっていうと、「女の子のゲーム」では半袖半ズボンは「いいプレー」とはみなされないんですね。女の子のゲームには、また違ったファインプレーがある。この「男らしさのゲーム」と「女らしさのゲーム」は根が深くて、語りたいことが1時間以上あるんでまたどっかで言います。 ゲームという言葉にこめたもう1つの意味は、「望んでもないのに投げ込まれる」っちゅう、その受け身さです。まず、いちばん根本的なゲームである「生きる」についても、僕たちは「生まれたい」なんて選んでないですよね。僕は生物学的に男性ですけど、「男性がいい」なんて選んでないんですよ。あと、大人になったら就活をしたり、資本主義社会のなかで仕事ができる人を目指すっていうゲームも、そんなにみんな選んでないんですよ。僕たちは気づいたらいろんなゲームにプレーヤーとしてほりこまれてしまっとる。 ゲームはいつも勝手に始まって、それでいて、そこから抜け出すのはめっちゃ難しい。しかも、悲しいことに一回ゲームが始まると人は「なんでこんなルールに従わなきゃいけないんだっけ?」みたいなことを考えんのを忘れて、ゲームに没頭してしまう習性があるんです。 鬱になるまでばりばりハードに働いていた僕なんかまさにそうですね。 まとめてみましょっか。ゲームには2つの性質があって、ひとつはゲームごとに違うルールがあって、どんなプレーがよしとされるのかも違うよっちゅうこと。もう1つは、ゲームには「望んでもないのに投げ込まれる」ということ。そして一度投げ込まれると、いいプレーをしようとがんばってしまうこと。なんでこんなルールがあるんだっけ?という問い直しができなくなってしまう。 僕は『弱さ考』という本を書いたんやけど、男性より女性の方からの反響のほうが大きかったのよね。それは、「女性のゲーム」と「ビジネスのゲーム」のルールが全然違うからだと感じました。反対に「男性のゲーム」は「ビジネスのゲーム」とルールが近い。ざっくりいうとどっちも競争的やからあまりギャップを感じずにすむんかなと。いや、当然やけど、個人差は大きくありますよ? あなたはどんなゲームに投げ込まれてますか?どんなプレーをいいプレー、どんなプレーを反則だと考えてますか?どんなルールを、「そのルールっておかしくない」って言えずにいますか?それらの総体が、複雑さが、現代の「ままならなさ」に強くつながっている気がします。 ちなみにこのゲームごとにルールが違うっていう考えは、哲学者のウィトゲンシュタインが言い出した「言語ゲーム」っていう言葉からインスピレーションを得ています。ゲームは気づいたら投げ込まれているものだ、っていうのは哲学者のハイデガーって人が考えていたことでもあります。いや、知識をひけらかしたいわけではないんやけど、先人の知恵を自分のもんみたいに言うのもちょっといややねんな。「ままならジオ」でもし僕が人々に「へえ、そんな視点もあるんか!」と思ってもらえていたとしたら、それはだいたい先人の知恵のたまものですね。 それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想もフォームから募集してます。あなたはどんなゲームに投げ込まれてますか?どんなプレーをいいプレー、どんなプレーを反則だと考えてますか?についての自分なりの答え、投げ込んでみてほしいですね。 僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

    10 min
  3. May 20

    脳から言葉を引っこ抜く|ままならジオ(ままなラジオ)#12

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。 ▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中 ▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」 ▶︎著書『⁠弱さ考⁠』 ▶︎ 読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし)言語はすごい。言葉はすごいで?でもたまには脳から言葉を引っこ抜いてみんと、大事なもん忘れてしまうで?今日はそんなお話です。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の"ままならなさ"を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。今日は言葉を抜いて、身体で感じるっていうことについて話してみたいと思います。言葉を自分の意識から抜き去ることの大事さみたいなことかな。これ、問題意識は#7で話した言語化を万能しすぎることの違和感っていうのとつながってんねんなー。つながってんのよ。何に対しての違和感かっていうと、世の中のあらゆるもんは言語化できるっていう、その前提ですかねー。言語化万能時代というか。でも僕は、世の中の大半の価値は数字にも文字にもできないっていうことを強く思ってんのよね。ここは以前も話した、僕が『シン・ニホン』の編集を担当させてもらった安宅さんの文章をあらためて引用させてもらおっかな。ロジカルシンキングの鬼とも言える安宅さんが書いた、とても文学的な一節です。さて、引用です。知覚って言葉が出てくるけど、安宅さんは知覚こそ知性だって主張してるんで、知性って置き換えてくれていいです。いきまっせ。「知覚を鍛えるために必要なもう1つのマインドセットは、言葉、数値になっていない世界が大半であることを受け入れることだ」「世の中の大半は数字にも言葉にもなっていない」「自分では数値化・言語化できていない部分にほとんどの情報があると受け入れられない人は、知覚できることも限定的になってしまう」はい。引用終わり。言葉にできへんものに大事なものは宿るっていうね。まあでも、あらゆることを全肯定もせず全否定もしないっていうのが僕の思考のスタイルというか文体なんで。まずは言語のすごさってものについても話してみよかな。人間のすごさってなんやと思います?なんで人間だけがこの地球をほぼ支配するような状況になってるんやと思います?僕なりの考えでは、一言で言ってしまうと、ありえないぐらいの規模のでかさで社会を形成できることです。人間ってばかでかい規模の社会をつくれるから、集団的知性っていうものを発揮できるんですよ。一人の知性ではなく、集団規模での知性がすごい。この「集団的知性」っていう言葉についてはちょっと説明がいるかな〜って思います。基本的に、集団が大きいと、社会は技術的に発展していくんですよ。マット・リドレーの『繁栄』っていう本におもろい例があるんですけど。タスマニアってあるやん?あのオーストラリアの横にちょびって浮かんでるところ。あそこって昔はオーストラリア大陸と繋がってたんやって。でも海面があがって約1万年前にあそこだけ切り離されてもうた。そしたら社会の人数が一気に数千人にまで減ったと。そしたら、それまで持っていた、釣り針や槍みたいなテクノロジーが数百年かけて失われて衰退していったらしいんよ。理由は2つで、一つは、技術を次世代に伝えようとしても担い手の絶対数が少なすぎて、誰かが死ぬと技術ごと消えてもうたこと。もう一つは、集団が小さいと分業が成立せえへんから、専門化が起きひんっちゅうこと。集団が小さいと分業が成立せえへんっていうのはあれやな、数千人の集団やと「左利き専門店」みたいなんって成り立たへんやん?まあこれはわかりやすい例のひとつで、さっき言った「なんで人間がここまで地球で支配者みたいな顔してられんの?」っていう問いの答えは、やっぱりでかい規模の社会を築けたからなんよ。他の動物は、せいぜい数十頭くらいしか群れの数を増やせへん。あんま社会がでかくなると維持できんくなって分裂すんねんな。人間はすごい。社会がでかいからすごい。っていうのをまず頭の片隅に置いといてもらえたら、と思います。また話変わるけど、宗教っていうのも人間がばかでかい社会をつくる上での一つのテクノロジーなんよな。まったく顔を合わせたこともない人が一体になれるってすごいことやん?宗教が人間を束ねるためのツールやったっていうのは、ロビン・ダンバーっていう人が『宗教の起源』っていう本のなかで主張してることです。で、言葉。言葉も人間が大規模な社会をつくるために欠かせないテクノロジーなんよね。言葉っていうものがあるから全然知らん人ともコミュニケーションが取れる。本なんか、なんと昔の人との対話も可能にしちゃったりする。まさにそうやって、「集団的知性」が蓄積していくんよね。やから何度強調しても強調したりひんのは、言語ってやっぱすごいなちゅうことよね。言葉こそが人類の暮らしを支える屋台骨になってきたってことよね。僕は「言語化万能論」とかを批判してきたし、「説明過剰社会」みたいなのも批判してきたけど、根底には言語すげえ!っていう感動に近い思いがあるんよ。言語によって人間は栄えた。やけど、いまの時代は言語に頼りすぎてバランスがちょっと偏りすぎよっていうんが僕が言いたいこと。世の中には言語化できる情報と言語化できない情報があるのよね。非言語の世界っていうんは、いわゆるあれよ、五感の話よ。さっきも散歩してたんやけど、ああ、風が気持ちええなあ、太陽ぽかぽかするとなんでこんな心地良いんやろうなーっていう。人間って突き詰めると心地よく気持ちよく生きることだけを求めてるんやなって思う。でも、ここで大事なのは、言葉ってときに人間の不快感を覆い隠してしまうとも思っていて。いや、僕『弱さ考』って本を書いたんやけど、読者からよく「私は今こんな状況で迷ってます、どうしたらいいですか?」って聞かれるんよ。転職すべきかどうか?会社休むべきかどうか?みたいなね。で、そんときにいつも言うのが、言葉を抜いてみたら?ってことなんですよ。どういうことかって言うと、さっき言った言葉が人間の不快感、「心地よくない感じ」を覆い隠してまう、ってところをもうちょっと説明しよか。ミッション・ビジョン・バリューとかってあるやん?あ、ここでつながった!「ミッション」って使命っていう意味の、バリバリの宗教用語やからね。今の時代、宗教って言うとオカルトみたいに思われるけど、形を変えてビジネスの世界でもバリバリ生きとるんよ。それも結局、顔を合わせたことがない人がたくさんいるくらいでかい社会を束ねる、っていう役割は変わってへん。かつて宗教が果たしていた役割が、いまの会社で言えばミッションとか、ビジョンとかバリューよね。で、よくあるんが、自分は感覚的に言えば今あんまり心地よくないんやが、ミッション・ビジョン・バリューにはすごい共感してるんです、みたいな状況。会社に勤めてるとあると思うんよね。そういう時に、言葉が「心地よくない感じ」を覆い隠してしまったりする。なんかさ、「僕は自分が心地いいか考えて、心地よければつづけるし、心地よくなければやめます」みたいな行動基準の人がいたら、この時代やとすごく今アホっぽく聞こえるでしょ?言語化優位な世の中になってくると、五感的なもの、感覚的なものってすごく地位の低いものになっちゃうのよね。でも、実際にはそこがめっちゃ大事なわけで。究極的には心地よさのために生きてるわけ、人間は。だから本当に大事なことについて迷ってるんやったら、AとBの選択肢それぞれを選んだ先を想像して、心地いいのか心地よくないのか?を感じる練習をしてみたらいいと思うねんな。で、それをするには、一回脳の中から言葉に出て行ってもらう必要があって。言葉が飛び交っているうちは、本当に大切な心地よさをきちんと感じ取れへんことも多いんよ。やから言いたいことを

    17 min
  4. May 13

    説明過剰社会|ままならジオ(ままなラジオ)#011

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。 ▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中 ▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」 ▶︎著書『⁠弱さ考⁠』 ▶︎ 読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし) なんかさあ、人間そんなちゃんとした理由があって動いてるわけちゃうって。今日はそんなお話です。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の"ままならなさ"を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。僕、『弱さ考』という本を出してから、取材を受ける機会が増えたんですね。ありがたいことなんやけど、たまに困ってまう質問があるんですよ。「なぜ、鬱になるまでハードに働いてしまったのですか?」「なぜ、問い読を立ち上げたんですか?」とかね。あ、問い読というのは、僕がパートナーと共同創業したオンライン読書プログラムの会社です。めっちゃおもろいんでよかったらぜひ。この「なぜ、●●したのか?」系の質問は、その背景に「●●という行動をしたからには、明確な理由があるはずだ」っていう前提があるんですよね。もっと言えば、「人間は自分の意志で行動を選びとっているはずだ」っていう、意志とか意識への強い信念ちゅうか信仰みたいなもんを感じるんです。信じすぎとる。やから、「なぜ●●か?」みたいな質問を受けると「人間そんなわかりやすい理由で動いてるんとちゃうんやけどなあ」って心のなかでいつも思てます。就活とかもそうでしょ?「なぜ弊社を志望したのですか?」「それはですね〜、こうこうこうなのです、キリッ!」みたいな。あれはね、「それらしいことをあたかも本当のように言えるか?」のテストをしとるっていう部分もあるわけです。そんな全部のことに理由なんかないよ。御社のために大学4年間すごしてへんよ。就活なんかはその茶番っぷりがよくわかりますけど、僕は、僕らも現代の世の中のなかで似たようなことをしてるから、全然就活を笑えへんと思うんですよ。あまりにも行動には明確な理由があるものだという前提に縛られすぎているような気がしてるんですよね。僕、前、イベントに出て喋る機会をいただいたんですよ。京都の未来を、東京という場所で考える、みたいなテーマの。そんときに「東京『的』なものとは何か」っていうことを考えて、けっこう自分なりに発見があったんですよね。それが今日の説明過剰社会とつながってるんで、ちょっと話しますね。東京って、すべてにおいて目的ありきで設計されてるんですよね。たとえば、公園をつくるにも、「街に余白を持たせる」とかそういう目的の説明をして全部がつくられてる。でも、本当におもろいもんって、目的を持って設計できひん、っちゅうんが僕の感じてることなんですよね。そのときに一緒に登壇した長島さんって人がめっちゃおもろい人でね。ローランド・ベルガーっていうヨーロッパ系コンサルティングファームの共同代表にまでなった、肩書きだけみるとつよつよな人なんですけど、めちゃくちゃチャーミングなおじさまやったんですよ。なんかね、京都の三十三間堂ってお寺があるんですけど、その裏にね、ある自動車整備屋さんみたいなんがあったんですって。自動車の修理はお任せください、みたいなお店。そこをね、買ったんですって。しかもただ買うだけじゃなくて、なんか事業をそのまま継承するんだ!とか言って。だから、その古ーい建物が今もそのままあるんですよ。で、話を聞くと、なんか学生とかいろんな人が働いたり遊んだりできるようなよくわからんスペースを作ると。よくわからんことが許容されるスペースを作るみたいなことを言っていて。長島さんがおもろいのは、ほんまに自分がおもろいと思うことをやっていて、自分でもなんか説明がついてないところなんですね。そういう人ってめっちゃチャーミング。自分の行動の理由を一から十まで説明できる人より、自分でも説明できへんけどおもろいからやってる人のほうがよっぽどチャーミングです。で、二人で対談してたんですけど、そこから最近の渋谷という街に対するぼやきみたいな話でめっちゃ盛り上がったんですよ。渋谷って今でこそオフィスビルの街ですけど、もともとは怪しい若者の街やったやないですか。猥雑なものが猥雑なまま存在することが許されていたっちゅうか。わけのわからん店がいっぱいあった。今は、とくに中心部はもうツルツルのオフィスビルばっかりになってまいましたよね。最初はわけのわからなさが許容されてても、嗅覚鋭いビジネスパーソンがやってきて、きちんと目的を持った設計物をぽこぽこぽこぽこ立ててって、名も無き若者の居場所はなくなるわけです。渋谷に限らず、どの街も必ずそうなる。しかも、オフィスビルを増やす目的の部分では「クリエイティブ」とか「イノベーション」とかいう言葉が飛び交ってるんですよ? でも全然クリエイティブとかイノベーティブでもない。それは、やっぱ街全体が目的に埋め尽くされてしまって、その目的から外れるものはおられへん構造になってもうたからやろうね。この「目的をセットした瞬間、陳腐になる」って、街だけじゃなくて、新規事業とか全てに言えるような気がして。説明不可能でわけのわからんもんみたいなものの存在を許容しなくなると、かえっておもろいもんが生まれづらくなるでしょう? クリエイティブとかイノベーションってようはおもろいもんつくるってことやのに。それに「説明」から入ると、もうその瞬間からおもろなくなるんですよ。別に僕はイノベーションに興味がある人間ではないんやが、説明のつくもので溢れてる社会、「何か行動をするときにはきちんと説明ができなあかん!」っていう前提の社会はおもんないし、息苦しいし、窮屈やと思うねんな。「なぜ●●したのですか?」とか、「このプロジェクトの目的は〜」とか「説明できて当然」の世界観になってきてる。いや、みんなもっと「なんとなく」生きてるって。「なんとなく」って言葉が適当すぎるなら、説明不可能な欲求とか直感とかを大事にして生きとんねん。問い読やって、究極、つくった目的なんかないんですよ。ちょいムズ本を、仲間と、問いを立てながら、ひいひい言いながら読み切る。試しにやってみたら、その途中の対話や人の心の動きが学びのあり方があまりにおもろいから会社にしましょうってなっただけで。いや、今日の文脈でいえばこれも目的を設けずにやったから生まれたイノベーションなんですよ。問い読には社会的なビジョンもないです。立てんでもいい問いを立てたり、考えんでもいいことを考えたり、人と対話的にコミュニケーションを取れる人が増えたり、あんまり読まれてへんけど読まれたらめっちゃおもろい本が読まれたり、そういうちょっとした泡がぽこぽこぽこぽこできたらきっとおもろなるぞ、っていう、ただそれだけ。でも崇高なビジョンが、目的ありきで社会を変えていくって人間の歴史を振り返っても幻想やから。世界を変えるようなものってだいたい偶然か遊びみたいなもんから始まるからね。あんま計画されてへん。このあたりはマット・リドレーの『人類とイノベーション』っていう本が詳しく書いてます。いつだって社会を変えていくのは、小さな泡のぽこぽこなんですよ。説明がつかないけどおもろいことをやっている。ここは最高の遊び場や。そういう感覚で働けてることは、今、めっちゃ誇りに思ってますね。いろいろ言ったけど、世の中があまりにも「行動には理由があり、それは説明可能である」ってなっちゃってるんがちょっと息苦しかったんで、説明過剰社会っていうテーマで話してみました。すべてが目的に従属させられてしまったらおもろないんよな。ほんまにおもろいものは、大事なものは、説明ができへん領域に潜んどる。説明できないということは一種の豊かさである。そういうことを主張してみたいですね。説明過

    17 min
  5. May 6

    「AIは人間を暇にする」という嘘|ままならジオ(ままなラジオ)#10

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。 ▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中 ▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」 ▶︎著書『⁠弱さ考⁠』 ▶︎読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし)AIで人間が暇になるなんて真っ赤な大嘘やんね。 今日はそんなお話です。ままならジオ。 『弱さ考』著者の井上慎平が、 人生の"ままならなさ"を、 焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。 もたもたと、割り切れないまま。 割り切らないまま。最近ね、よく「AIによって人間が暇になるんやー」っていう議論があるやないですか。 人間が暇になって、哲学的なことをたくさん考えるんやないかとか。あれ、「絶対嘘やん」って僕は思ってて。AIは人を暇にはしーへん。 というか、ただでさえ悲鳴をあげている脳が さらに働かされることになるのになあ、と思って、 このAI、AIの大騒ぎをはたから眺めとります。僕がAIが脳を暇にしないと思うには2つの理由がありまして。 ひとつは、「労働密度」の問題ですね。 うん、「労働密度」って聞いたことないですよね? あるっていう人は嘘つきですね。 僕が勝手につくった言葉ですからね。 労働にはね、密度があるんすよ。「昔、24時間戦えますか」っていうエナジードリンクのCMがあったやないですか。 あの高度経済成長期のころって、 労働の「密度」は実は低かったと思うんですよね。 たとえば、電車で先方に書類を渡しに行ったりする時間とかあったやないですか。 そういう実質働いてない時間とかあったし、 スマホもなかったから、会社を出たらしばらく だれとも連絡をとらんでいい時間があったりした。もちろん、当時の人が現代の僕らよりがんばってなかったって言いたいわけではないですよ? 単純に、人を密度高く働かせるテクノロジーがなかったっちゅうだけで。時間を一気に現代まで飛ばしますけど、 スマホが登場して、ちょっと前にZoomとかSlackとかが出てきたでしょ?ちょっと前まではSlackやなくてメールやったんですよね。 んで、メールやと、社内の人とやり取りするにしても 1日2、3回がまぁ限界やないですか。 それがSlackやと20、30回もいけちゃうでしょ? Zoomも、移動時間がなくなって暇ができるって言われてやないですか。 でも、実際コロナ禍のときなんか、 家にいるのにトイレにいく暇もないくらいミーティングが詰め込まれたりしてね。 どこが暇やねんっていう。テクノロジーは、確かに時間を、暇を作り出すんですよ。 でも、僕たちはその空いた時間で休憩するんやなくて 「さらに仕事する」っていう行為で埋めてまうんですね。 なんかすげえ悲しい生き物に思えてきたな。ハルトムート・ローザっていう人が『加速する社会』っていう本を書いてて、 そのなかで 「テクノロジーはなぜ時間を作るのに、我々は忙しくなる一方なのか?」 っていう問いに対して、 「人間は増えた時間以上に活動の量を増やしてしまうから」 って答えてます。 めっちゃ長い本なんで原著は読まんでいいと思うんですけど。人間は歴史上、ずっと時間を余らせるためのテクノロジーをつくりながら、 もっと忙しくなるっていう矛盾を繰り返してきたんよねー。AIが脳を暇にしないと思うもうひとつの理由は「競争」ですね。今の世の中、どの会社が自社のライバルになるかなんてわからんやないですか。 見えない敵と競争している以上は、 つねに敵がこの瞬間も自分たちより努力している可能性があるわけで。 やから暇になったからって社員に「15時に帰っていいよ」っていう会社なんか 基本的にはないんですよ。 基本的に新しい仕事が増えるだけなんよね。 人間はどこまでも無駄な仕事を増やす生き物なんでね。 このあたりは『ブルシット・ジョブ』のデヴィッド・グレーバーなんかが ずっと言ってることですけど。もう一回、働く人の人生に話を戻しますけど、 このテクノロジーの発展がどういうふうに影響するかというと、 一言でいうと労働密度がめっちゃ上がってミチミチの状態になんのよね。 密度の低い仕事がなくなって、 密度の高い仕事ばっかりになってまうんよ。今は労働密度の低い仕事から全部AIがやってくれるわけです。 経費精算とか。 僕、前は経費精算とかめちゃくちゃ嫌いやったんですね。 単調で、退屈で。 でも最近思いますもんね。 経費精算恋しいなあ、みたいな。 経費精算がなくなって、人間はもっと頭を使う、 ハードな仕事だけの状態になっていくわけ。 もう疲れてしゃあない。 まあ、それは僕の脳の体力が人の半分くらいしかなくて疲れやすいから、 余計にそう感じるんでしょうけど。でも、一回働きすぎて脳がぶっ壊れた身からすると、 明らかに現代人の脳は悲鳴をあげてると思いますよ。僕がね、脳に機能障害を抱えてからいろいろ調べてびっくりしたことを 共有したいんですけど、 科学とか神経科学によると脳はすごい可塑的なんですって。 可塑的っていうのはつまり後から形を変えることができるってことで、 つまりぐにゃぐにゃ形を変えて環境に適応するのがめちゃめちゃうまいんですよ! よう例に出るんは、ロンドンのタクシーの運ちゃんの話ですね。 ロンドンって迷路みたいな街やから、 タクシーの運ちゃんは記憶に関するパーツである海馬っていうんが めちゃくちゃ発達してるらしいと。 でも、同じロンドンでもバスの運転手は道を全部覚えんでいいから、 海馬はふつうの人と変わらんらしいです。ほかにもね! 楽しいからちょっと聞いてって。 人間ってこの数百年ですっかり生活が様変わりしたやないですか。 でも、生まれた時の脳の構造そのものは全然変わってないんですって。 だからもし10000年前の人間の赤ちゃんをタイムスリップして現代に連れてきたとしても、 脳は僕たちと変わらんから、僕たちと同じように育つ。 人間は、後天的に、つまり環境の中で 脳のバランスを調整して適応する能力がめちゃくちゃ高いんです。でもこれ以上AIが発展して、全然暇にならずに、 もっと労働密度の高い仕事を詰め込んだりしたら それはさすがに頭がパンクして、 僕みたいな思いをする人が増えてまうんちゃうのっていうのが 僕が最近心配してることです。最後にひとつだけ、じゃあどうしたらええん?っていうことに対して 僕の考えを共有しておくと、 いまAIは、新しいもの好きな人たちがめっちゃ試行錯誤してくれてるんで、 ほとんどの人は、なんも試行錯誤せんでええんちゃうかな、 意図的に遅らせて新しいもの好きの人たちが使い方を確立してから それを教えてもらったらええんちゃうかな。 たとえば一年遅れでAI使い始めても、大した違いなんて出ませんからね。 今使わんとやばいぞ、時代の波に乗り遅れるぞってみんな言うけど、 「へえへえ、私はその波には一年後にぴょいっと乗ろうと思ってますからね」って のんびりかまえてたらええと思います。それでは、今日のままならジオはここまで。 この番組は一緒に考える、をやりたいんで、 質問・感想もフォームから募集してます。 僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」 オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、 詳細を概要欄に置いておきます。 井上慎平でした。 ほんじゃあ、また。

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  6. Apr 29

    「意見と人格を切り離せ」って無理すぎ|ままならジオ(ままなラジオ)#9

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。 ▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中 ▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」 ▶︎著書『⁠弱さ考⁠』 ▶︎読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし) 「意見と人格は切り離せ」っていうけども、それ〜無理あるんちゃう?今日はそんなお話です。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の"ままならなさ"を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。よくビジネスの現場でこういうこと言われません?「あなたの意見を否定しても、別にあなたの人格を否定してるわけちゃうからね」要は、切り離して考えんとあかんよと。ビジネス書にもよう書いてますよ。でもなー、どう思います?無理ちゃいます?そんなん言われても。やっぱり否定されるのって怖いやないですか。怖い。ビジネス書ではよくこんなふうに書いとるやないですか。会議室のなかでは侃々諤々で議論しまくって、で、会議室一歩出たらニコニコ冗談言ったり、パブで肩を組んでビール飲んだりするのだ、それが外資系では当たり前だ、みたいな。いやいや。わかるけど。わかるけども。人間、そんなふうにできてへんやろってやっぱ思ってまうんですよね。いや、僕は「意見と人格は切り離せ」を全否定したいわけやないんですよ。前提として。仕事って、やっぱいい結論を出すためにガンガン議論をしてかなあかん場面もあるわけで、そんなときに「相手を傷つけたくない」「怖い」みたいな気持ちを大事にしすぎたら、話が1個も進まんからね。だからといって全肯定もできんよな〜っちゅうんが今日の話です。なんか、ここに考えるべきことがある気がすんねんな。「ままならなさ」とか、割り切りたくても割り切れない、って気持ちとか。そんなことをめんどくさく考えるのがままならジオなんですわ〜。まず、みんなやせ我慢して、ほんまは意見と人格を完全に切り離すなんて無理やのに、強がっている。ビジネスの論理が、弱い人間に強さをリクエストしてくる。『弱さ考』という本の著者としてはそこから始めたいなって思います。そういう視点から書いてる本やから。ほんで、実際どんなことが現場で起こってるかっちゅうと、意見と人格切り離すんが得意な人と、切り離すん苦手な人のあいだですれ違いが生じてるんと思うんよね。切り離しが得意な人たちは「意見と人格は切り離せ」を忠実に実践して、ばんばん思ったことを言うわけよね。んで、切り離すん苦手な人たちは、やっぱり立場とか、役職とか、相手の顔色とかを察しちゃって言えへん。意見と人格の切り離しゲームに乗れる人と乗れへん人のあいだで、ちっちゃな差が蓄積されてく。そしたらどうなるかっていうと、片方がオフェンシブに、片方がディフェンシブになっていくんよね。それが、よーない。んー、何がようないんかな?あー、うん、あれやな、「意見と人格は切り離せ」が「攻撃的に発言していい」カードみたいになってんのがよーないんやな。カード発動!みたいな。たぶん、切り離すん苦手な人の本音としては「意見を否定しても、別にあなたの人格を否定してるわけちゃう」とだけ言っとけばOKと思うなよ、みたいな感じで思ってんちゃうかなあ。こちとら機械やあらへんで、っていうな。「意見と人格を切り離す」って言葉が、相手に対する配慮をサボる言い訳になってしまいがちなんが、ちょっとなあって思うねんな。話してて思ってんけど、この「意見と人格は別やねんで」っていう言葉って、ほんまは人格の部分がキモやんか。つまり、「どんな話をしても、あなたをひとりの人格として尊重しますよ」っていうのが前提としてめっちゃ大事。それが、実際は人格の尊重の段階をすっ飛ばして、ブレーキを外すための言葉として使われてることが多いんちゃうかな。あなたは一人の人間として、ちゃんとシェルターに守られてるんやで。そのうえで、今この課題を前に進めるためには、シェルターから一歩出て、言いたいこと言い合ってええもんつくろうやっていう話でしょ。でも、よーあるんは、シェルターに守られてるんや、自分はここにいていいんや、っていう安心感とか居場所感が抜け落ちたままに話が進んでいってまう。人間って弱い生き物やから、ほんで社会的な生き物やから、ここに自分の居場所があるっていう安心感なしでは生きてかれへんのんよ。それが人間の弱さなんよ。でも、ビジネス書に書いてあることって、あんまそういうこと考えられてへんやんね。ほら、あれあるやん、「会議に出てずっと黙ってるやつはバリューゼロだ」みたいな。でもなあ、働くも暮らすの一部やん?暮らすときに「バリューを出さなければお前に居場所はない」みたいな脅し文句言われなあかんのかって、ちょっとなーって思うやん?自分がここにいていいんやっていう安心感を与えられへんままに、人間は働いたり暮らしたりできんのか?っていう、そこを問いたいねんよ。人間は不安で動く生き物やからね。良くも悪くも。やからこそ、不安を利用して原動力にするんやなくて、不安を取り除いたうえで、それでも気持ちよく働けるようにしたいやんか。あとこの、「意見と人格は別やねん」理論が日本の文化とめっちゃ相性が悪いってことも言っときたいな。ビジネス書とかの格言ってだいたいアメリカから入ってくるやん?でも日本的な感性がそれとそぐわへんときもある。というか元ビジネス書編集者として、文化が違うのに表面だけ真似してもうまくいかんで、っていうのは声を大にして言いたい。『弱さ考』っていう本を書いたときも文化の差についての問題意識はごっついあって、やから僕は日本とアメリカの気質の違いを教育システムにまで遡って考えたんですよ。アメリカって自分の意見を主張してなんぼの文化なんよね。やから、小学一年生から、「私のオピニオンはこれだ!」って、自分の意見をガンガン主張する教育を受けとる。で、日本はどうかっていうと、自分の意見はあんまり求められへんし、仮に意見を言ったとして、その意見が周囲から浮いてなければよしとされるけど、完全に浮いてたら、やんわーり正されんのよね。前提としてアメリカには強烈な個人主義の文化がある。個人の人格は尊くて、誰も否定できない尊厳みたいなもんを持ってるってことが当たり前になってる。やから、会議室で侃々諤々しても、そのあと飲みに行こうぜ、っていう話が成り立つんですよ。つまり、自分というものの尊厳はなんぴとたりともおかすことができんっていう前提がある。その前提が全然違うのに、表面的に「意見を否定しても、別にあなたの人格を否定してるわけちゃうからね」っていう部分だけを輸入しても、そりゃあうまくいくわけないですわな。この「私は私。誰にも私は変えられないし、変えない」みたいな個人の強さはすごい言語に表れてるよな。英語って一人称はIだけやけど、日本語って、俺はな、とか僕はな、とか私はですね、とか先生はだな、とかお父さんはね、って相手との関係によって主語がめちゃくちゃ切り替わる。英語が個人ありきやとしたら、日本語は完全に関係性ありきの言語。やから、「意見と人格は切り離せ」は基本的には苦手なんよ。それは、言い換えたら「言葉と文脈を切り離せ」ってことやからね。それは日本の文化に馴染んだ人には難しい。はい。「意見と人格は切り離せ」っていうのは「より良い答えに早く辿り着く」ための必要悪みたいな物言いやとやっぱり思うんですよ。ただ人間本来の性質と合ってないし、特に日本的文化との相性はごっつい悪い。だから、「これ言ったら何をいってもいい」みたいな攻撃のカードになってまうんよね。でもほんまに大事なんは守備で。「自分はここに居場所があるんや」「存在を認められてるんや」っていうシェルターが、働く全員の心の中にあるんが大事なんちゃうの?それができて初めて「意見と人格は切

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  7. Apr 22

    希望は絶望を救えない|ままならジオ(ままなラジオ)#8

    希望は絶望を救えない|ままならジオ(ままなラジオ)#8 「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。 ▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中 ▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」 ▶︎著書『⁠弱さ考⁠』 ▶︎読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし) 絶望を救ってくれるのは、希望ではない。今日はそんなお話です。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。絶望。まあ、そんな日常使いの言葉とちゃいますよね。僕の短い人生経験で言えば、本当に絶望と呼べるのは鬱の深いところにいた数ヶ月くらいやったんちゃうかなあ、と思います。いや、不幸自慢をしたいわけやなくてね。逆に、それまではずいぶんラッキーにものんびりとした人生を送ってきたと思うんです、ありがたいことに。僕の絶望期はどんな感じやったかというと、鬱なんで、ほんまになんもできないんですよね。テレビも見れへん、音楽もきけへん。もちろん文字を読むなんてとんでもない。時間だけが大量にあって、「ああ、なんて自分は時間を無駄に過ごしとるんや」って自分を責めてました。いつか読みたかった積読本をみても、まったく心が動かん自分に気づいてさみしぃなってました。何もできへん。でも時間だけは大量にある。1分が無限に長く感じる。これは、端的に言って地獄でしたね。しかも、そんときは「この地獄が永遠に続くんや」って思い込んでましたから。脳が乗っ取られた感じで、そうとしか思えないんですよ。まあ、でも何ヶ月かすると少しよくなってきて、読んでは休み、読んでは休みやけど本も読めるようになりました。これ、鬱経験者はみんな言う不思議な話なんですけど、最初に読めるようになるのは「鬱の話」なんですわ。めっちゃ自分ごとやからでしょうね。僕も人の体験記をやたらと読みました。そこから、いろんな本を読んでいくんですけど、今振り返って一つ気づいたのは「私はこうやって鬱を乗り越えた」っていう克服系の本はぜんぜん心に響かんかった。響いたのは、鬱とは全然種類がちゃうけども、同じ絶望のなかにい続ける人の話でしたね。哲学者・宮野真生子さんが自分のガンの末期をつづる『急に具合が悪くなる』とか、10歳から30年近く「死にたい」という気持ちが発作的に起こり続ける土門蘭さんの『死ぬまで生きる日記』とか。絶望は、それぞれ孤独なんですよね。「この苦しみは絶対に他者にはわかられはしない」という確信がある。別に病気やなくても、これを聞いてるみなさんにも「絶対に他人にはわかられない」と確信できるしんどさがあると思うんです。多かれ少なかれ、絶望はみんなにある。で、僕にとって絶望は、このとき孤独の問題にもなったんです。誰にも絶対に理解されないということは徹底的に孤独だということですから。うん。鬱のとき、頭の中で何回もくり返すイメージがあったんですよ。そのイメージのなかで僕は一定のペースで海に沈んで行くんです。上を見ると、ギリギリ海面が見えていて、みんな楽しそうに遊んどる。僕もあそこで遊べてたはずやのにな、とさみしそうに見上げるけど、僕が沈んで行くことには、海面で遊んでいる人は誰も気が付かんのです。でも、海を潜っていると、なんかおる。もうほとんど視野もないくらい光も少なくて、おぼろげながら形が見えるか見えへんかくらいの感じなんやけど、なんかがおる。しかもめっちゃおる。それは、今思えば「絶望を抱えた同志たち」の姿やったんですね。海の底で、暗くて、顔も見えへんねやけど。お互いに、「自分の絶望は誰にも理解されることはない」ということを、理解しあっている人たち。気軽にわかったような言葉をかけないという信頼感を、無言で共有しあっている人たち。かなしみの海の底にいるとは、自分の孤独と、相手の孤独がいっぺんにわかるようになることです。そういう孤独な悲しみを抱えた人たちの存在に、そういう人が書いたものに、僕は救われてきました。ちょっと話が逸れんねんけど、「本を読んで役にたつか」という問いをよくみます。僕は基本的には役には立たへんと思ってます。でも救ってくれることはある。本は役に立たんけどときに人を救う。なんの話やったかね。その深い海の底から戻ってきた話をしましょか。ゆうても症状は治ってないんで、海底から少し明るいところに浮上してきた、くらいなんで、海の中におるんは変わってへんのやけど。『弱さ考』を書いて僕に起こったいちばんの変化は、他人の絶望に敏感になったことやと思います。絶望というと大げさやけど、自分の心に開いた穴というか、ままならなさというか。「ああ、この人はいま『自分には他人に理解されへん心の穴がある』と感じてるな」という人は、なんでか、明るく振る舞っててもわかるようになりました。それから一年、僕はいろんな人とお互いに「絶対に理解されないしんどさ」について話してきた気がします。もちろん理解しあえないまま終わるけど。今この瞬間も、自分とは種類はまったく違うけど、世界に打ちひしがれとる人がおるって知っとくだけで、意外と人間は生きていける。そんなもんです。絶望のなかにいるとき、人は希望の物語に反応できないんです。絶望を救うのは、他の絶望しかない。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想もフォームから募集してます。僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

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  8. Apr 15

    「言語化」の落とし穴|ままならジオ(ままなラジオ)#7

    「言語化」の落とし穴|ままならジオ(ままなラジオ)#7 「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。 ▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中 ▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」 ▶︎著書『⁠弱さ考⁠』 ▶︎ 読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし) 言語化、って言葉ってなんかモヤモヤしません?今日は「言語化の罠」のお話しです。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。言語化。言語化言語化言語化。いま、世の中に言語化っちゅう言葉が溢れてますよね。僕は、その流れがちょっとだけいやなんですよね。僕はビジネス分野の書籍編集者を10年以上やってきたんで、その分敏感になってもうてんのかもしれませんね。ちゅうんも、「言語化すればうまくいく」みたいなビジネス書がこの数年でめちゃくちゃ増えとるんです。もちろん言語化は大事です。とくにビジネスの現場において、自分の思ったことをスムーズに言葉にできる人が有利なんは間違いない。でも、言葉にするのに時間がかかる人もいれば、自分が話すより相手の話を聴くことのほうが得意な人もおるわけです。実際働いてたらわかるけど、ほんまに大事なのは相手の言っていることを聴く技術のほうなんですよね。ただ、これだけ言語化言語化って言われたらたくさんの人が「もっと早くもっと正確に言葉にしないと!」って焦ってるはずなんですよね。それって、『弱さ考』でも書いた「ビジネスの論理が暮らしにまで侵食してる」典型的な例やなって思います。ちょっと一回、遠回りして、言葉ってなんなんかについて考えてみたいと思います。僕たちは日々いろんなものを視覚や触覚や聴覚など、身体全体を通じて感じとるわけです。その中で言語に落とし込めるのはごくわずかな領域、ほんの一部にすぎへん。言語には、どこまでいっても限界がある。星の王子さまで、キツネが王子さまに向けて「かんじんなものは目に見えないんだよ」って伝える場面がありますよね。あれと一緒で、かんじんなものは言葉にできへんのです。完全にはね。キツネはこうも言います。「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ」「かんじんなものって何か」っていうと、心が動くもののことなんですよね。もう一冊、僕が編集を担当させてもらった安宅和人さんの『シン・ニホン』という本にも似たことが書いてあるんですよね。補足すると、安宅さんはめちゃくちゃ頭がいい人で、たぶんロジカルシンキング日本選手権みたいなもんがあったら優勝してまうような人です。でも、一方でとても文学的な感性をもった、論理性と文学性を兼ね備えた稀有な人でもあります。『シン・ニホン』のP196にはこう書いてあるんですよね。知覚っていう言葉が出てくるんですけど、安宅さんは知覚こそ知性だって主張してるんで、知性って置き換えてくれていいです。さて。引用です。「知覚を鍛えるために必要なもう1つのマインドセットは、言葉、数値になっていない世界が大半であることを受け入れることだ」「世の中の大半は数字にも言葉にもなっていない」「自分では数値化・言語化できていない部分にほとんどの情報があると受け入れられない人は、知覚できることも限定的になってしまう」引用終わり。めちゃくちゃきっちり論理を積み上げる安宅さんの文章のなかに、ふとこういう文章がはいっとる。自分が編集してて初めてこの文章を読んだとき、そのギャップが印象深く残ってますね。星の王子さまにある目に見えへん「かんじんなもの」、あるいは安宅さんのいう「数字にも言葉にもなっていない」ことって、僕は一言でいうとやっぱり心が動くことやと思うんですよね。夕日や、海の波を眺める、綺麗やと思う、そのときの心の動きは言語化されてへんし、別に言語化してもええけど、せんままに味わってもええわけですよ。でも、あんまり言語化、言語化って言われると、忘れてまうでしょ? 世界って言語化できへんものにあふれとるっちゅうことを。そしたら安宅さんのいうようにめっちゃ「限定的」にしか世界を受け取れんくなるんですよね。言語化があまりに手放しでええものとされる世界の怖いところは2つで、一つはすぐに自分の考えを言葉にできへん人のことを、あるいは自分のことを、貶めてまうこと。もうひとつは、世界のほとんどを占める言語化できない部分に対する感受性を鈍くしてまうことです。最後に僕の実体験からひとつお話しします。僕は鬱になって、なにがいちばん辛かったかっていうととにかく1日が長いことやったんよ。意識はあるのに、脳が動かへんというかブレーキをかけてくるから何一つできることがない。一時間がとにかく長い。そんなときはぼーっとするしかないんですよ。脳がつかれとるから。それは何も鬱の人にかぎらんくて。ぼーっとするって大事やなってみんななんとなくはわかっとるんですよ。でも、現代人はこれができへん。なんでかっていうと、みんなぼーっとする、何もせんっていうと文字通り何も行為しない、完全なフリーズを思い描くんやけど、完全に脳に入ってくる情報をシャットアウトするなんてできへんのよ。何もしてへんつもりでも目が開いてるかぎり何かはみとるわけで。やから、せいぜいできるのは、ぼーっと何かを見る。ぼーっと音を聴く。ふだん言語が走り回って疲れきっとる脳を休めるためには、別の視覚や聴覚の使い方をすることでしか、脳の言葉を司る部分が静かに休まることはないんですよ。でも、何もせーへんっていうのは物理的に不可能やってことがみそで。結局、他の疲れへん行為をするしかない。それがぼーっとするってことなんやってことに気づくまで僕はだいぶ長いこと辛い思いをしました。ぼーっとするぞって力んでイライラしてしまったりね。言語化っていってもそれぞれのペースとやり方があるし、言語にあふれて疲れた脳を休ませるには、なんもせんのじゃなくて使っている知覚を切り替えるしかない。ぼーっとして、何を見て、何を感じて、それは言語化せずにただ味わうだけでもええ。ビジネスにおいて言語化が大事になってきている時代なんは間違い無いけど、それをプライベートにまで取り入れすぎんでええと、僕は思います。今日はそんなお話しでした。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想もフォームから募集してます。僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

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「ままならジオ(ままなラジオ)」は人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者・井上慎平が、哲学や読書を手がかりに、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考えるポッドキャストです。 焚き火の音とともに、あわただしい毎日の「余白」となれば幸いです。 思考すること、問いを立てること、対話することが好きな方へ。 ■井上が主催するオンライン読書プログラム「問い読」はこちら https://go.toidoku.com/inoue ■お便り・感想はこちら:https://forms.gle/NaDpXUbzPB3Tri6PA ■著書『弱さ考』:https://amzn.asia/d/0j1A47b1

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