天理教の時間「家族円満」

TENRIKYO

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。

  1. 6日前

    年祭の旬に

    年祭の旬に 埼玉県在住  関根 健一 先日、家族で何気ない話をしていた折、ふと「そういえば、修養科を修了してもう一年になるね」と、昨年修養科へ行った次女のことが話題にのぼりました。 次女は思うところがあり、21歳の誕生日を前に自ら修養科を志願しました。教祖140年祭の三年千日活動の最中に、自分の意思で志願してくれたことは、父親としても教会長としても、実に嬉しい出来事でした。 思い返せば、私自身も21歳の誕生日を迎えてすぐ、修養科を志願しています。次女は私が30歳の時に生まれたので、私の修養科修了からちょうど30年という節目になります。私の修養科生活もまた、教祖110年祭の年祭活動期間中でした。 その10年前、教祖100年祭の折にはまだ小学生で、年祭の意味もよく分からずに過ごしていました。ですから私にとっては、110年祭が実質初めての年祭となり、修養科では同期の仲間たちと諭達を競うように暗記していたことを、今もよく覚えています。 私が修養科を志願する少し前のことです。近所に住む同級生の女性、Aさんが白血病を発症したことを知りました。Aさんとは小学校6年間と中学校一年間を同じクラスで過ごし、また彼女のお兄さんとお姉さんも、私の姉二人と同学年でした。そんなご縁で母親同士も親しくしており、私の母がAさんのお母さんから連絡を受けたのです。 Aさんは体調不良で受診した病院で白血病と診断され、どうしてよいか分からずにいたところ、職場の同僚から「神様にお願いしてもらおう」と誘われ、天理教の教会へ行ったとのことでした。その話を自分の母親に伝えると、「関根さんのうちも天理教だから、同じ天理教のお話を聞くなら相談してみたら?」と勧められ、私の母に連絡を下さったのです。 私は白血病のおたすけと聞き、自分に何が出来るのか戸惑いましたが、母と姉とともにすぐAさんのお宅に伺い、お話を取り次がせて頂きました。併せておぢばがえりにもお誘いしましたが、すでに長期治療の計画が進んでいて、すぐにはお返事を頂けませんでした。 その後、数か月単位で入院と自宅療養を繰り返す生活が始まり、面会できる時期には、姉と私でおさづけの取り次ぎに通わせて頂きました。 そうした中、私が仕事の都合が折り合う時期に修養科へ行くことが決まり、Aさんには「おぢばで病気全快をお願いさせてもらいます」と伝え、21歳になってすぐの11月から3か月、年越しの修養科生活が始まりました。 この時季に志願した理由は二つあります。一つは姉から、「あなたは周りに流されやすいから、若い人が多い春の時季は避けた方がいい」と言われたことでした。 もちろん、若い人すべてが怠けるわけではありません。しかし、様々な事情でおぢばに引き寄せられた者同士、年齢や境遇の近い人たちが集まると、どうしても「少しぐらいいいよね」という空気が生まれ、その結果、怠けてしまう傾向があるのです。 そしてもう一つは、尊敬するB先生が、11月・12月に、詰所で修養科生を指導する教養掛に当たっていたことでした。 冬の時季の修養科は志願者が少ないと聞いていましたが、実際に行ってみると、この時季としては珍しく、大教会では10名を超える志願者があり、しかもその半数が21歳の私よりも若いという異例の構成でした。さらに、修養科全体でも、この期は異例と言われるほど若い人が多いことを、修養科が始まってから知りました。 周囲の空気に流されやすいと自認していた私にとって、この状況は、修養科中も気を引き締めて通るようにとの親神様のお計らいだと受け取ることにしました。 ところが、その心構えが裏目に出たのでしょうか。良かれと思って取った行動が蛇足となり、B先生から、他人のためにと思ってしたことが、かえって迷惑になる場合もあるのだとお諭しを頂きました。 また、私がAさんのおたすけに通っていることをご存知だったB先生は、私の行いを教訓にしながら、「難病の方のおたすけ」をさせて頂く責任について、ご自身の経験を交えながら親身にお仕込み下さいました。そのあたたかい言葉に、私は涙を抑えることが出来ませんでした。 それを機に、心新たに修養科生活を送ってしばらく経った、ある日のことです。その日は朝の神殿掃除ひのきしんに当たっており、身支度を整えて詰所の玄関へ向かうと、ちょうど当時所属していた上級教会の団参の一行が、夜行バスで明け方に到着したところでした。 その中に、姉に連れられてバスから降り立つAさんとお母さんの姿がありました。修養科生活に励む私を驚かせようと、姉が内緒で誘ってくれていたのです。 ひのきしんの時間も迫っていたため、その場では挨拶もそこそこに神殿へ向かいましたが、集合時間までのわずかな間、神殿の隅で涙を流しながら親神様にお礼申し上げたことを、今も鮮明に覚えています。 この団参で初席を運んだAさんは、その後、難しい病状の中でしたが、治療が順調に進み、寛解のご守護を頂きました。そして、それを機に女子青年の活動にも率先して参加してくれるようになりました。 やがて姉が結婚して他系統の教会の所属となり、その翌年には私も結婚しました。以後は、妻が一緒にAさん家族のおたすけに通ってくれるようになりました。 その間もAさんは別席を運び続け、私が教会長を拝命する前年、晴れてようぼくとなり、私の就任奉告祭では、おつとめはもちろん賛者まで務めて下さいました。 家庭の事情もあり、今は頻繁に参拝出来なくなりましたが、毎月の月次祭後には欠かさずお下がりを届けにAさんのお宅を訪ねています。最近ではお母さんの介護が始まったこともあり、介護施設で働く妻が相談を受けることも増えてきました。 私にとって初めての年祭活動だった30年前に与えて頂いたこのおたすけのご縁は、振り返るほどに、Aさんを通して私自身が成長の場を与えられてきたのだと実感させられます。 現在は女性同士ということもあり、Aさんについては妻に任せることが多くなりました。これからも、教会でおつとめを通してお願いさせて頂くことが会長の務めであると肝に銘じ、共におたすけに勤しんでくれている妻に感謝しつつ、Aさん家族の幸せを願い続けていきたいと思います。 疑う心 朝夕に唱えるおつとめの地歌である「みかぐらうた」に、   ひとのこゝろといふものハ  うたがひぶかいものなるぞ(六下り目 一ッ) とあります。 人間である限り、物事に対して多少の疑いを持つのは、ある意味当然のことかも知れません。ましてや目に見えない神様の言うこと、なすこととなると、初めからすべてを信じるのはとても難しいことです。 しかし、人間には本来生きるべき正しい道があります。その教えが、人類の親である親神様の教えです。教えに沿った生き方をして、正しい道をひたすらに歩んでいけば、何も問題は起きません。しかし、「誰も見ていないから、行ってしまえ」と止まるべき所で止まらなかったり、「こっちの方向であっているだろう」と、曖昧な判断で間違った方向へ行ってしまったり。それらも全ては疑う心から来ています。 神様のお言葉をひもとくと、「神の言葉に嘘はない」という意味のお言葉が散見されます。 そのものズバリ、 「神は嘘は言わん」(M37・12・14) また、 「これからという、これから嘘は一つも無い、という事思案せ。嘘というは何も旨い事はあろまい。真実というは、真実見えて来る。嘘と思うたら嘘になる。誠思えば誠出て来る。…神の道に嘘は無い。嘘に旨いものは無い。勇んでくる。嘘やない。結構台である」(M33・9・9) さらには、   このよふをはじめた神のゆう事に  せんに一つもちがう事なし(一 21) と、「おふでさき」に記されています。 これらのお言葉は、いわば人々の心が疑い深い証拠とも言えます。人間が疑う心を持つこと、神様の思いに背を向けてしまうことは、陽気ぐらしを妨げる大きな要因の一つです。 人間は神様のもとに、皆お互いにきょうだいであるという自覚を持つことが大切で、この気持ちがないと、神様の教えはもとより、人間同士でさえいつまでも疑い合わねばならないことになってしまうのです。 (終)

  2. 3月20日

    縁に揺さぶられて

    縁に揺さぶられて 千葉県在住  中臺 眞治 妻と出会って10年。結婚してからは9年が経ちました。「あばたもえくぼ」とはよく言ったもので、お互い出会った頃は足りない部分さえも魅力的に感じたものですが、結婚してからはケンカの絶えない時期もありました。 私は妻の気持ちを察するのが苦手なので、「分かり合えない夫よ、おやすみ」と茶化され、私も苦し紛れに「分かり合えない妻よ、おやすみ」と返していた時もあります。仲が良かったり悪かったり、未だに色んな時期がありますが、それでも一緒に生きてきた10年という歳月が、少しずつ私たちをたすけ合って生きられる夫婦に近づけてくれているように感じます。 妻は信仰熱心な信者家庭で生まれ育ちました。そして、大学を卒業後は保育士として勤めていましたが、32歳の時、私と結婚し、当教会に嫁いできてくれました。それまでとは大きく異なる環境に、戸惑うことも多かったと思います。 当教会には、結婚当初から身寄りのない高齢の方々が一緒に暮らしていました。また、その後も様々な事情で人生に行き詰まった方々を教会で受け入れています。そうした暮らしは、妻からすれば望んでいたような生き方ではなかっただろうと思います。しかし、そういう生き方しか出来ない私を妻は理解し、尊重してくれているのだと、有り難く感じています。 結婚して数年が経った頃、妻に「教会に来て一番しんどかったことは何だった?」と、何気なく尋ねたことがありました。私はてっきり、経済的なことに一番苦労を感じているのかなと勝手に考えていたのですが、意外な答えが返ってきました。 妻は、「教会の奥さんだからこうあらねばと考えてしまっていた時期や、どうして思うようにたすけ心が湧いてこないのだろう?と考えてしまう時期が一番苦しかった」と話してくれました。 誤解のないようにお伝えすると、妻は元々情に厚く、決して冷たい人ではありません。教会での生活に真剣に向き合ってくれていたからこそ、悩んでいたのだと思います。また、多くの困難を抱えている方々と一緒に暮らし、その生きづらさに触れれば触れるほど、自分の心が思うように動かないことに戸惑い、苦しんでいたのだと思います。 どうしたら、心の底から人にたすかって頂きたいと願える心になれるのか。その問いに私は答えを持っていません。私自身も相手のたすかりを願える時もあれば、「これ以上は無理」と限界を感じて願えなくなる時もあります。 未熟さという意味では、私も妻も何ら変わらないのです。ですが、たとえ心が伴わなくても、相手との関係を保ち続けることが大切ではないかと感じていたので、その思いを妻に伝えたこともありました。 この出来事から数年が経ったある日、部屋に戻ると、そこには泣いている妻がいました。私は戸惑い、「どうしたの?」と尋ねると、「神様、親心いっぱいだなと思って」と。それまで妻は、神様の親心を実感したことがないと話していたので、「どういうこと?」とさらに尋ねました。 妻はその日、ボーっとしながら、これまで教会で一緒に暮らしてきた人たちのことを思い返していたのです。 「最初に来たのがAさんだから良かったんだな。最初がBさんだったら、そこで私の心は折れていただろうな」 「Cさんがいた時にDさんがいてくれたから、Cさんの心は救われたんだろうな」 そうした点と点が線としてつながって、「ちょうどいい時に、ちょうどいい人と出会えるように神様が縁をつないで下さっていたんだな」と感じ、その親心が胸に迫り涙が流れてきたとのことでした。 私は時々、自分の生き方が妻の人生を犠牲にしているのではないだろうかと、悩んでしまうことがあります。ですが、この出来事以降、妻が「教会って面白いね」と時々言ってくれるようになり、私にとって大きな救いになっています。 そんな妻は、数年前から教会で「こども食堂」を実施するようになりました。妻は楽しいことを考えるのが得意なので、様々なイベントを交えながら実施しているのですが、そこでも多くの出会いがあり、今では夫婦の生きがいの一つになっています。 結婚当初は、お互い「この人とは合わない」と感じることもありましたが、時を経て振り返ってみると、妻との縁もまた神様のあたたかいご守護であったのだと感じます。 夫婦であっても心はそれぞれに違い、望む生き方も違います。だからこそ、「相手は自分との人生に納得して生きられているだろうか」と自らに問い続け、その問いに少しずつでも「イエス」と答えられる歩みを重ねていくことが、大切ではないでしょうか。 そして、その問いを夫婦に限らず、出会う人、一人々々を通して、自分自身に問い続けていきたいと思っています。 何でもない者や 通常、一つの教えの始まりには、その出現が待望されている預言者の存在や、長年の苦行と瞑想の末に悟りを開く者、あるいは海を渡って勉学に励み、その秘伝を持ち帰るといった開祖の存在があります。しかし、天理教の教祖・中山みき様「おやさま」の場合、立教以前にそういった特別な経験をされたわけではなく、そこにこの教えの特色があるのです。 次のようなお言葉があります。 「こゝに一つの処、天理王命という原因は、元無い人間を拵えた神一条である。元五十年前より始まった。元聞き分けて貰いたい。何処其処で誰それという者でない。ほん何でもない百姓家の者、何にも知らん女一人。何でもない者や。それだめの教を説くという処の理を聞き分け。何処へ見に行ったでなし、何習うたやなし、女の処入り込んで理を弘める処、よう聞き分けてくれ。」(M21・1・8) このお言葉によって、教祖の社会的なお立場が明確に示されています。「何処其処で誰それという者でない」とあるように、決して世間に名の知れた者ではなく、いち農家の主婦でありました。また「何にも知らん女一人」とあり、特別な学問を修めたり、宗教に関する専門の研究をされたわけでもありません。九歳から十一歳まで寺子屋に通われたのが唯一の学歴のようなもので、「何習うたやなし」とあるのは、そのことを指しています。 全く世間の評価からすれば、「何でもない者」であったのです。その教祖が、親神様が人間を創造された時、母親の役割を担った特別な魂を持ついんねんによって、「月日のやしろ」となられたのであり、まさに親神様のお心そのままに、教えを述べ伝え、陽気ぐらしへのお手本となる「ひながたの道」をお通り下されたのです。 これは何も、教祖のお立場を示されているばかりでなく、信仰する者一人ひとりにとっても心に治めるべきお言葉です。教祖の手足となって、陽気ぐらし世界実現に向けて人だすけの御用に働く者を「ようぼく」と呼びますが、このようぼく個々人にしても、大概は「ほん何でもない会社員」や「ほん何でもない主婦」であり、高い社会的地位や学歴を持つ者ばかりではありません。それを理由に自らを卑下したり、だから大した御用はできないなどと考える必要はまったくないのです。 親神様は、この私をようぼくとして引き寄せて下さったのだから、その思いに応えるべく精一杯つとめよう。その心意気が、親の思いに応える道なのです。「ほん何でもない者」の真実の働きを、親神様は待ち望んでおられます。 (終)

  3. 3月13日

    慎みの心

    慎みの心 大阪府在住  山本 達則 神様のお言葉に、 「知らず/\の道、分からず/\の道、みす/\の道ある。これ三つ出掛けたらどうもならん。(中略)暗がりの道が見えてあるから、諭さにゃならん」(M24.7.24) というお言葉があります。 自分が知らないうちに誰かを傷つけていたり、嫌な思いをさせてしまったり。教えられたことの意味が分からずに間違ってしまうことや、分かっているのにみすみす間違った行動をしてしまうことも…。これらは、私たちの日常で少なからず起きてしまうことです。 以前、電車に乗った時の話です。私が乗り込んだ時、車内には空席が沢山ありましたが、私は座席に座ることなく立っていました。次の駅に着くと沢山の方が乗り込んできて、たちまち満席になりましたが、そこに後から高齢の女性が乗って来ました。すると座っていた一人の女性がすかさず席を立ち、その高齢の女性に席を譲りました。 高齢の女性は恐縮しながらも席に着き、譲った方の女性も何事もなかったようにドア付近に立ちました。その時、私のすぐ近くにいた若い男性も、同じように高齢の女性に気がつき、腰を浮かせましたが、女性が席を立つ方が少し早かったので、男性はそのまま席に着きました。また、同じくそばに座っていたサラリーマン風の男性は、同じように高齢の女性に気づいていながら、携帯に夢中で気がつかないふりをしているように見えました。 この場面、最初に席を譲った女性に関しては、素晴らしい人だすけの行動であることに疑いの余地はありません。しかし、もう少し広くこの場面を見てみると、席を譲ろうと腰を浮かせた男性にとっては、先を越されてしまった悔しい出来事だったかもしれません。 また、気づかないふりを決め込んだ男性の様子は、私には少し不機嫌なように見えました。本来は自分も席を譲るべきだと分かっていながら、気がつかない振りをしてしまった自分と、即座に譲ることが出来た女性との違いに自己嫌悪を感じていた、とは考えすぎでしょうか。 話は変わりますが、ある時、地域の方々と街のゴミ拾いをさせて頂いた事がありました。普段歩いているだけでは気がつかないゴミが沢山あることに、改めて気づいた一方で、一緒にゴミ拾いをしている人たちの言動が気になりました。 「こんな所にポイポイとゴミを捨てる事が出来る人間は、ろくな人間やない」「誰が捨てているのか分かったら、家の前にまき散らしてやりたい」「こんなやつ、バチが当たったらええねん」などなど…。現に、駅の近くの歩道を、キョロキョロとゴミ箱を探しながら歩いている方が、結局見つからなかったのか、歩道の端っこに申し訳なさそうに、そっと空き缶を置いていく。そんな場面に遭遇したこともありました。 それにしても、街をきれいにするための行動をしながら、自分自身の心を憤懣で汚してしまっている、実に勿体ないことです。 自分ではそんなつもりが全く無いのにも関わらず、どこかで誰かに不満を抱かせてしまっている。先ほどの電車での場面がまさしくそうで、席を譲った女性は何一つ間違った事はしていません。そうした、むしろ賞賛に値するような行動でさえも、自分自身の知らない所で誰かが不満に思ってしまう事があるのです。 また、「こちらの選択が正しい」と分かっていながら、そうできないという事も多々あります。電車の中で、高齢の方に席を譲ったほうが自分自身も気持ちがスッキリすると分かっていながら、行動に移せないこともあるのです。さらには、ゴミ拾いの場面のように、折角良いことをしているにも関わらず、愚痴や不満によってみすみす心を濁してしまうこともあります。 私たち人間には、「心の自由」があります。しかしその自由は、目の前の現象に対してどう考え、どう行動するか、という所までで、その行動に対しての結果はまったく自由ではありません。 その結果を、喜べるような結果に近づかせるためには、「神様から見れば、私の行動はどこかが間違っているのかも知れない」「知らない間に誰かに迷惑をかけたり、嫌な思いをさせているかも知れない」という慎みの心を持つことが大切だと思います。 その思いを持つことが出来なければ、日常の中で「なぜ?どうしてこんなことが起こるんだ?」という疑問を繰り返し、その原因を自分以外の何かに責任転嫁し続けることになりかねません。 まずは、最も身近な家庭の中でも、常に慎みの心を忘れることなく、私たちの日常を大きな視野で見て下さる神様の存在を感じながら過ごすこと。そして、目の前に起こる結果、その元は自分自身の行動にある事を忘れず、本当の「家族円満」に近づきたいと思います。 御存命の教祖   月日にハせかいぢううハみなわが子  かハいいゝばいこれが一ちよ (十七 16)   にんけんをはじめたしたるこのをやハ  そんめゑでいるこれがまことや (八 37) 可愛い我が子である世界中の人間に、陽気ぐらしをさせてやりたい。これが親神様の親心です。そして、人間を創め出したその親は、教祖・中山みき様「おやさま」としてこの地上に現れてお出でになる。 教祖は、お姿こそ世の常の人々と異なる所はないものの、そのお心は、親神様のお心そのものです。その教祖の御教えを、全人類の「をや」なる親神様の御教えであると信じることから、天理教の信仰は始まります。 教祖は十三歳の時、三昧田村の前川家から庄屋敷村の中山家に嫁がれました。中山家は代々庄屋を務める裕福な農家で、教祖は村人をはじめ多くの近隣の人々から慕われていました。 誰から見ても模範的な主婦であった教祖でしたが、四十一歳の時、親神様が入り込まれ、「月日のやしろ」となられてからは、まだ小さいお子さんがいるにもかかわらず、内蔵に籠ることが多くなりました。そして、親神様の思召しのまにまに、中山家の蔵にある物を貧しい人々に施すようになり、その施しは次第に常識の範囲を超えて、家財や先祖伝来の土地、また母屋にまで及びました。 こうして食べる物にも事欠く状態が続き、家族と共に貧のどん底に落ち切っていかれたのです。それも全ては、「貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん」との思いと、「この家へやって来る者に、喜ばさずには一人もかえされん。親のたあには、世界中の人間は皆子供である」との深い親心からでした。悩み苦しむ人々をたすけるがために、自ら厳しい道中をお通りになりながら、お屋敷に寄り来る人々を迎えられたのです。 身分の高い人であっても、施しを求める人や世間から相手にされないような人であっても、どんな人でも喜ばさずには帰されんとお迎え下さる。小さい子供にも大人にも、お手元にあるお菓子や果物などをニコニコとおあげになる。 何度もご苦労下さった監獄の中でも、前の道を通る菓子売りの姿を見かけるや、見張りをしている巡査に対してでさえ、退屈しているだろうと、お菓子を買い与えたいと仰る。教えに反対する者であろうが、自らを捕えに来た者であろうが、そんなことは教祖には一切関係がない。分け隔てのない、子を思う親のお心があるだけなのです。 教祖にたすけられ、導かれた人たちは、自然に「おやさま」と「おや」を付けてお呼びするようになったと言われています。全人類の本当の親がいるなら、教祖のようなお方に違いない。お姿は人間と何ら変わることのないお方であるが、教祖こそ、全人類の親である親神様の、この地上におけるお姿なのだと信じる人が次第に増えていったのです。 (終)

  4. 3月6日

    なぜ、ごみを拾うのか

    なぜ、ごみを拾うのか 東京都在住  松村 登美和 今月は野球のWBC・ワールドベースボールクラシックが開催されます。日本代表チームは、3月6日から10日まで、東京ドームで第一次ラウンドを戦い、そこを勝ち抜くと、アメリカに試合会場を移して、準々決勝、準決勝、決勝と試合が行われます。 前回大会は2023年の開催でしたが、どの試合も手に汗握る展開で、最後は決勝で、大谷翔平投手がアメリカに投げ勝つ感動的なラストシーンで幕を閉じました。3年前の大会は私も連日テレビにくぎ付けで、実に楽しい時間を過ごしました。 その前回大会は、日本チームの活躍が連日ニュースを賑わせましたが、その中で、野球以外のところで採り上げられた出来事もありました。 それは日本チームのベンチの綺麗さについてです。アメリカのある野球チームの監督が、SNSに決勝戦の試合中の日本ベンチの画像を投稿し、「日本のダッグアウトの綺麗さに驚く時間を取ってもいいか?」とつぶやきました。 すると、そのつぶやきに対して多くの人が賛同のコメントを返しました。なぜなら、写真に写ったベンチ内がきちんと整頓されていて、地面にはゴミ一つ落ちていなかったからです。 アメリカでは、試合中に選手がヒマワリの種の殻を地面に吐き捨てたりするのは普通のこと。かつて大リーグに在籍した日本のあるプロ野球選手によると、飲み終えたペットボトルや、食べ終えたお菓子の袋をベンチに捨てるのは通常の風景で、彼の地では「掃除する人の仕事がなくなったらどうするんだ」という空気感なのだそうです。 その日本人選手は、「日本にいる時は、落ちているごみは拾ってごみ箱に捨ててましたけど、そのように言われると、下に捨ててもいいか、という気持ちになってしまいましたね」とテレビで話していました。 また、今年は6月にサッカーのワールドカップも開催されます。この大会でも、日本人のごみ拾いが世界の注目を集めています。日本代表チームの選手やスタッフが、ロッカールームを綺麗に掃除、整頓したり、日本人サポーターが試合後にスタンドのごみ拾いをしたりする風景が恒例となっています。カタールで行われた前回4年前の大会では、国際サッカー連盟の大会組織委員会が日本のサポーターを表彰しました。 表彰式では、「自発的に動いていたことに感銘を受けた」「モロッコやチュニジアのサポーターが真似をするなど、すでに他国のモデルになっている。カタールや他の国にも広めたい」との挨拶があったそうです。 日本人サポーターの行いが良い手本となり、他国の人が真似をし始めている。その姿を自分の国や、他の国にも広めたい、と話してくれたのです。 大谷翔平選手のごみ拾いも有名です。試合中、グラウンドに落ちているごみをさりげなくポケットに入れる様子が、しばしば見られます。また、大谷選手の元チームメートで、前回WBCの最後の打席で大谷選手と対決したアメリカ代表の主将トラウト選手が、大谷選手と同じようにグラウンドでごみを拾う姿も、YouTubeで見ることが出来ます。 このごみ拾いの輪が広がる話を聞くと、天理教の神様、天理王命様のあるお言葉が頭に浮かびます。 「一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという一つの理が治まるという」。 少し難しい言葉使いですが、「誰か一人が他人や周囲を思いやる、嘘偽りのない誠実な心を持っていれば、いずれ家庭でも職場でも、内々全体が睦まじく治まっていく」という意味です。 なぜかと言うと、誠実な姿は、少しずつでも必ず人に伝染していくからです。一人、また一人と誠実な心が伝わっていき、いずれ全体が優しい雰囲気に包まれていく。天理教では、そう教えられています。その証拠の一つが、大谷選手や、ワールドカップでのごみ拾いの広がりなのだと思います。 天理教では「誠」とは「少しでも人のよいよう、喜ぶよう、救かるように心を働かせること」と教えられています。 ですから私たちは、「ごみを拾うことで、掃除をする人の仕事を奪ってしまう」とは考えず、「ごみを拾うことで掃除をする人の手間が省けて、その人がたすかる」あるいは、「その場所が綺麗になって、みんなが気持ちよくなる」ということを考え、行動に移しているのです。 世の中には、誠の心が広がることと逆の現象、すなわち周囲への思いやりを欠いた行いや、我が身勝手な考えが広まってしまうこともあります。たとえば、以前は落ちているごみを当たり前に拾っていたのが、捨てて当たり前の風潮の中にいると、それでいいんだ、と思い始めてしまうという状況です。 さて、人に誠実な姿を伝染させる人間になるか、それとも、人を不誠実に誘導してしまう人間になるか。皆さんは、どちらの道を選びますか? 今回も、WBCとサッカーワールドカップを、お互い気持ちよく楽しみましょう。 「だけど有難い」 最近読んだ雑誌のなかに、面白い話がありました。 高校生のころ、数学が苦手だった。あるとき、数学の教師が側へやって来て、こう言った。「おまえは数学が全然だめだな。だけど心配ない。おまえのその笑顔とサービス精神があれば、きっと生きていける」。それを聞いて「ああ、そうなんだ。数学はだめだけど大丈夫なんだ」と思った。 またあるとき、父親から「おまえは働き者か、怠け者か」と尋ねられた。普段は物を言わない父が、そんなことを聞いてきたので、「怠け者」と答えたらおそらく殴られるだろうと思って、「働き者です」と答えた。すると父は「よし。頭が悪くても、真面目に働けば食べていける」と言った。そう言われて、「頭が悪くても大丈夫なんだ」と思った。 大学に入ったけれど中退した。「これで一流企業には就職できないな」と、なんだか寂しい気持ちになった。それを紛らわすために競馬場へ行った。周りを見たら寂しい人ばかりだった。そこで思った。「良い会社へ就職できなくても、寂しくても大丈夫なんだ」。馬券は外れたけれど、幸せを感じた。 変な話ですが、何か妙に面白いなと私は思いました。それはなぜかと言うと、「数学はできない。だけど大丈夫なんだ」「頭が悪くても大丈夫なんだ」「寂しくても大丈夫なんだ」。これらすべて、「思い直す」ということをしているんですね。人間は思い直すことができるのです。 河原町の初代会長に、次のような逸話があります。鍛冶屋をしているころ、転んでコブができるほど額を打って、こう言った。  「ああ、痛い痛い、有難い」 それを見ていた人が尋ねました。  「あんた、何が有難いねん」 それに対して、初代はこう答えました。 「いや、痛いと感じさせてもらえるのが有難いんや」 信仰していると痛くない、そんなはずはありません。痛いのですが、有難い。これは思い直しているのです。私は、それが値打ちだと思うのです。 痛いとか、つらいとか、悲しいとか、苦しいとか、信仰していたら感じない。そんなはずはないのです。やっぱり痛いときは痛い、つらいときはつらい、悲しいときは悲しいのです。しかし、初代会長をはじめ、お道を信仰した人たちは、「だけど有難い」―こう考えたのだと思うのです。 何があっても「だけど有難い」。この考え方が大事だと思うのです。うれしいことがあれば、誰だってうれしいのです。幸せなことがあれば、誰だって幸せなのです。つらい、苦しい、痛い、だけど有難い。何が有難いのか。そう言ってから、考えたらいいではありませんか。きっと浮かんでくると思います。おそらく、初代会長も「ああ、痛い痛い」と言っているときは痛かったのです。「ああ、痛い痛い、有難い」「何が有難いんや」と聞かれて、たぶん浮かんだことを言っているのだと思います。 それでは、そういうふうに「痛い痛い、有難い」「苦しいけれど有難い」「つらいけれど有難い」と、「思い直し」をしていけばどうなるのか。運命が変わるのです。初代会長がそうであったように、運命が変わる。「そんなこと言っても騙されないぞ」と思う人もいるかもしれませんが、心配ありません。なぜなら、元手は要らないからです。私の話を聞いて、やってみようと思って、やって損をする人はいないのです。 私たちの先輩は「つらいけれど有難い」「苦しいけれど有難い

  5. 2月27日

    おつとめメンドクサイ…

    おつとめメンドクサイ… 岡山県在住  山﨑 石根 2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。岡山は震源地から遠く離れていたので、当初はあまり気にかけていなかったのですが、事態は刻一刻と悪化していき、私たちはメディアを通して、その被害の尋常でない様を目の当たりにすることになりました。 ちょうど翌日の12日は、当教会で「おとまり会」という子どもを対象にした行事がありました。参加してくれた小学生たちと一緒に夜の時間を過ごしたのですが、テレビは震災の報道ばかりで、原発事故に関する緊急発表などもあり、みんなでただならぬ空気を感じていたことをよく覚えています。 あの日、あの時、あの頃、恐らく日本の多くの方が、大きな不安と共に落ち着かない日々を過ごし、「被災地のために何かしたい、何かしなければ」と思いながらも、何も出来ないことへの焦燥感や無力感を抱いたのではないかと思います。そして、世の中は忽ち自粛モードになりました。 天理教教会本部では、翌日からすぐに「お願いづとめ」がつとめられました。また、12日、13日、14日の三日間、教会本部にならい、国々所々の教会でも、正午に時間を合わせて真実を込めたお願いづとめがつとめられ、私も一生懸命祈りました。 震災から二か月が経った5月12日から16日、私は招集を受け、被災地を訪れました。これは「天理教災害救援対策本部」のもとで実施された取り組みで、被災地において特に子ども達を元気づける活動をするため、天理教の中で学生や子ども達のお世話に携わっているメンバーでいくつかのチームが結成されたのです。私は以前、児童養護施設で心理職として勤務していた経験から声がかかり、被災地で「子ども会」を開催するチームに加えて頂きました。 私たちのチームは6名でしたが、折り紙やバルーンアートが得意な方、プロのマジシャンとして活躍している方、ピアノが得意でリトミックが出来る方など、頼もしいメンバーばかりでした。私たちは、「天理教災害救援ひのきしん隊」という、現地で具体的な支援活動をされている方々と同じ宿営地に宿泊し、期間中、一つの保育所と六つの避難所で実動しました。 具体的には、避難所の子ども達と90分ほどの時間枠でとにかく元気に遊ぶプログラムを組みました。バルーンアートや折り紙から始め、大縄跳びやボール遊びなど身体を使った外遊びに展開していき、最後はマジックを披露し、避難所生活のストレスを解消してもらうことを目指しました。 どの避難所でも、不自由な環境で避難生活を送っておられることに、胸が痛みました。私たちが出来たことは本当に些細な活動でしかなかったのですが、子ども達が思いっきり遊び、それを見ている大人の方々が笑顔になる、それだけでこちらの気持ちも救われました。 私たち自身ももちろん緊張もしますし、感情が大きく揺れ動きます。避難所から避難所へ移動する時には、被災地の衝撃的な辛い現状を目の当たりにするので、活動に際して気持ちのオン・オフが非常に難しかったのを覚えています。 一か所だけ訪れた保育所では、自分たちのほうが辛い立場にあるはずの子ども達が、「さんぽ」と「ありがとうの花」という手話を用いた歌を、私たちへのお礼としてプレゼントしてくれ、涙をこらえるのに必死でした。 特に私は、当時、我が子が4歳と2歳でちょうど同年代でしたので、あまりにも身近に感じてしまい、励ます側が励ましてもらっているような状況に、何だか後ろめたさまで感じてしまいました。 最後には園長先生が、「天理教さんには救援物資をたくさん頂き、炊き出しもずっとして下さり、今日は心の栄養まで頂きました」という言葉を下さり、それに支えられたような心持ちでした。 被災地から帰宅した私は、教会の信者さん方にこの時の報告をしました。原稿にまとめて話すつもりだったのですが、いざ言葉にすると、涙があふれて止まらなくなり、うまく伝えられなかったのです。それは、自分がしてきたことがあまりに小さく、何も出来なかったのではないかという申し訳なさを感じていたからだと思います。 実は、私はこの活動の他にも、瓦礫などの撤去作業を行う別チームとして被災地を訪れました。重機が入らないような場所を、人海戦術でコツコツと作業をするのですが、天理教内の多くの仲間が「自分たちに出来ることはほんのわずかかも知れないけれど、やれることは何でもさせて頂こう」と口々に語っていました。そして、皆がそれぞれ、おつとめを通して被災地の治まりを祈っていました。 天理教では、世の中に起こる出来事を、他人事ではなく「我が事」として思案するように教えて頂きます。その上で、世界中の人々のたすかりを祈念しておつとめをつとめます。 私の教会でも、父の代から何十年にもわたり、毎日「お願いづとめ」がつとめられているのですが、その際にはたすかってもらいたい人のことを具体的に思い浮かべながら祈っています。 その人の元にすぐに駆け付けることが出来なくても、あるいは具体的に何か手だすけが出来なくても、私たちは人のために願う方法を教えて頂いています。本当にありがたいなぁと身に沁みます。そして、「これからは被災地で出会った子ども達のことも思い浮かべよう…」と、私はこの時誓ったのでした。 震災が起きた前月の2月に、長女が生まれました。彼女の誕生日が訪れる度に震災のことを思い出します。 今年の2月に長女は15才になりました。もうあれから15年が経ったのです。おかげで彼女には、何度もこの出来事について話をすることが出来ました。当たり前の毎日の有り難さや、人のために何かをすることの大切さ、そして、おつとめを通して、願う心の尊さについて伝えてきたつもりです。 ところが、まだ子どもですから、理屈では分かっても、長女にとっても、弟や妹たちにとっても、教会でのおつとめはメンドクサイものです。 中一の三男がお年頃になり、だんだんおつとめを真面目につとめなくなりました。そんな時、仲の良い友人が学校に行けなくなったのです。 妻が彼に、「教祖は、人のたすかりを願う方法として、おつとめを教えて下さったんやで。そのお友達が元気になるように、祈ってみたら?」と提案しました。すると、夕方のおつとめをいつになく真剣につとめるようになったのです。 「朝はメンドクサイけど、夕づとめは一生懸命祈ってるで」と三男。まぁ、子どもにしてみれば十分かなと、微笑ましい気持ちになりました。 「世界一れつをたすけたい」というのが神様の思いです。私たち一人ひとりにとっては途方もないミッションですが、その具体的な手段がおつとめだと思うのです。 あの震災以降も、世の中では様々な災害が起こり、さらには戦争や紛争も止まず、そしてコロナのような疫病の世界的流行も経験しました。でも、その度に信仰を同じくする仲間が具体的な支援に励むと共に、ずっとずっとおつとめをつとめてくれていることが、誇らしくてたまりません。 私も、このおつとめに、いつでも心を込めて祈ってゆきたい。三男の姿に励まされ、決意を新たにしました。そして、あの日、あの時に、歌を届けてくれた子ども達を決して忘れないようにしたいと、重ねて心に決めたのでした。 教祖、「おつとめ」を教えて下さり、本当にありがとうございます。 一二三と言う 神様のお言葉に、 「一二三と言う。一と言うたら一、二と言うたら二、三と言うたら三、一つ/\組むようなもの。成程という理治まれば、十分神が守護する」(M39・5・20) とあります。 何をするにも、なるほどと合点がいけば、物事はスムーズに進行し、実に気分良く暮らすことができるでしょう。ただこの場合、何をもってなるほどと思うのかが問題です。自分の都合に合わせてなのか、それとも神様のお話になるほどと思うのか。常に自分の都合に合わせていくとなると、その先には何か大きなトラブルが待ち受けていないとも限りません。 原典である「おふでさき」には、   いまゝでにないたすけをばするからハ  もとをしらさん事にをいてわ (九 29) と示されています。 元を教えてたすけることこそ、この道の本質である、ということです。親神様は先を見通しつつ、今ま

  6. 2月20日

    事故で喜べた話

    事故で喜べた話 福岡県在住  内山 真太朗 私がお預かりしている教会につながる、天理の高校に通う男の子から、「学校を辞めたい」という相談がありました。一年生の夏が過ぎた辺りから精神的にしんどくなり、学校に行けなくなってしまったとのこと。 それでも何とか頑張って続けてもらいたいと、彼と話をするためにおぢばへ帰り面会しましたが、見るからに病んでしまっている様子。聞けば、精神科に通院しているといい、学校もこれ以上休めば二年生への進級は出来ないという所まで来ていました。私はこの状態では退学もやむを得ないだろうと思い、今後の相談をさせて頂くために学校と連絡を取りました。 先生方との面談まで少し時間があったので、本部神殿前の駐車場に車をとめ、参拝をしました。参拝を終え、駐車場に戻り車を発進させた途端、横から来た車とぶつかってしまいました。相手の方の無事を確認し、警察を呼んで事故処理をしてもらいましたが、車のフロント部分がぐちゃぐちゃに潰れてしまい、これはしばらく地元には帰れないのではと思いました。 警察の人に確認すると、「ライトも付くし車も動くので、大丈夫ですよ」と言われ安心しました。しかし、若者の人生を左右するこの大事な時に、神様のお鎮まり下さるおぢばの目の前で事故を起こしてしまい、これは何か神様からのメッセージが込められていると思わずにはいられませんでした。 真っ先に考えたのは、車が前進している時に事故を起こしたということは、自分は今、彼に学校を辞めさせようと思っているけれど、それを神様がお止めになっているのではないだろうかと。しかし、どう考えても今の状況では再び学校に通うことは出来そうにありません。 判断に困った私は、大教会長様にお伺いしてみようと、すぐに電話で連絡を取りました。学生本人の状況と私が起こした事故までの一連を報告したところ、このようにお話し下さいました。 「それは恐らく、車がその子の身代わりになったんだと思う。このままいけば、その子は自ら命を絶っていたかもしれない。そこを車が代わりに潰れてくれたんだから、神様から命をつないで頂いたと悟って、前を向いていこう」 なるほど、私の中には全くなかった悟りをお話し頂きました。ただ、心の中では、「車は完全に潰れたわけじゃないし、このまま地元まで帰れそうだしな…」と、大教会長様のお話に対して若干疑いの心がありました。 結果的に、その日の話し合いで学校を中退することが決まり、そのまま地元の福岡へ連れて帰ることになりました。 車の後部座席いっぱいに彼の荷物を積み、その日のうちにフェリーに乗り、翌朝福岡に到着しました。港に着いて、彼を助手席に乗せ高速道路を走っていた時です。前の車が急にブレーキをかけたので、やばい!ぶつかる!と思い、すぐにブレーキを踏み、何とかギリギリぶつからずに停止しました。と思った瞬間、後ろからドーンッ!と追突され、その反動で前の車にぶつかり、私の車は横転してしまいました。 とっさに、「あ、これ、命が終わるかな?」と覚悟しました。ところが、「あれ?どこも痛くない…」助手席の彼に「大丈夫か?」と聞くと、「大丈夫です」と言うので、「よし、脱出するぞ!」と、横転した車のドアを二人がかりでこじ開け、何とか外に出ることが出来ました。 車の上から状況を見ると、四台が絡む玉突き事故。私の車は大破し、今度は完全に再起不能となってしまいました。しかし、乗っていた私たち二人は身体のどこにも痛みがなく、無傷でした。幸い、車のうしろに満タンに積んでいた荷物がクッションとなり、割れたガラスの破片からもガードしてくれ、傷一つ負わずに済んだのです。 その時、ハッと、前日に大教会長様から言われたことを思い出しました。 「車が身代わりに…」まさにたった今、車が身代わりになって命をたすけて頂いたのです。自分の車が大破しているという絶望的な現実を前にしても、なぜか私の心はとても明るかった。命を与えて頂けたんだ、有り難い!と心底思うことが出来ました。 そして彼には、「私たちは今回の事故で命を落としてもおかしくなかった。そこを神様にたすけて頂き、命を頂いたんだから、学校は辞めることになったけど、生まれ変わったつもりで、何でも喜んで頑張らせてもらおう」と伝えることが出来ました。 教祖ご在世当時の話。増井りん先生が、猛吹雪の日、大阪からおぢばまで帰らせて頂くと、教祖は、「ようこそ帰って来たなあ。親神が手を引いて連れて帰ったのやで。あちらにてもこちらにても滑って、難儀やったなあ。その中にて喜んでいたなあ。さあ/\親神が十分々々受け取るで。どんな事も皆受け取る。守護するで。楽しめ、楽しめ、楽しめ」とお言葉を下さいました。 これは今を通る私たちにとっても大切なお言葉だと思います。私たちは普段の生活の中でも、色々なトラブルや病気など、あちらにてもこちらにても、滑って、転んで、心を倒しそうな難儀な事に出合います。 しかし、そんな中でも喜びを見つけて通っていけば、親神様がどんなご守護も下さるのだという、とても力強く、心強いお言葉です。 この事故を通して、どんな事があっても、親神様、教祖にお喜び頂く心で通るという、ようぼくとしての日々の通り方を再認識させて頂くことが出来ました。 慎み 天理教の掲げる陽気ぐらしのキーワードに、「感謝・慎み・たすけあい」の三つがあります。その中でも「慎み」はあまり馴染みのない表現かも知れませんが、その教理的根拠となるお言葉が「おふでさき」に記されています。   たん/\となに事にてもこのよふわ  神のからだやしやんしてみよ (三 40・135) 人間の身体のみならず、この世界の一切のものは親神様からのかりものであり、すべての事物、現象の元である。ゆえに、絶対に無駄にせず、生かして使うことを教えられています。 教祖は監獄署に拘留されている時、差し入れられて、いらなくなった紙でコヨリを作り、それで一升瓶を入れる網袋をお作りになりました。それは実に丈夫に作られた袋でした。教祖は、監獄署からお帰りの際、お伴の仲田儀三郎さんに、その袋をお与えになり、 「物は大切にしなされや。生かして使いなされや。すべてが、神様からのお与えものやで」 と仰せになりました。(教祖伝逸話篇138「物は大切に」) 親神様からのどんなお与えも無駄にしない慎みの心を、教祖は身をもってお示し下されたのです。 また、お言葉にも、  「慎みが理や、慎みが道や。慎みが世界第一の理、慎みが往還や程に」(M25・1・14) あるいは、 「慎みの心が元である」(M28・5・19) とあります。 現在、私たちは科学技術文明の恩恵に浴して、あまりに恵まれた生活をしていますが、そのような生活が、陽気ぐらしに結びついているとは決して言えない状況です。すべては「天のあたゑ」である、という大切な思いを無視した「我さえよくば、今さえよくば」という強欲のほこりが、知らないうちに積もり重なっているのではないでしょうか。   なにもかもごふよくつくしそのゆへハ  神のりいふくみへてくるぞや (二 43) この世界は親神様の身体であって、あらゆる物はその一部です。どんなものも、私たち人間には所有権のない「かりもの」であると悟ることができれば、自然と報恩の気持ちが湧き上がり、大切にせずにはおれなくなるのではないでしょうか。 さらに言えば、物は人と人とをつなぐものであり、物を大切にすることは、人を大切にすることにもつながります。  「人間の反故を、作らんようにしておくれ」(教祖伝逸話篇121「葉っぱ一枚も」) と、教祖は仰せ下さいました。まさに、物を大切にすることが人だすけにつながることをお示し下されたのです。 (終)

  7. 2月13日

    楽しい夏のセミナー

    楽しい夏のセミナー フランス在住  長谷川 善久 天理教の教会では、親子三世代が一緒に暮らしている様子は、割とどこにでもあるものだと思います。しかし、日本とフランスにおける三世代同居の割合を調べてみると、日本が9.4%、フランスではわずか1%ほどであり、かつどちらの国も年々減少傾向にあるようです。 おじいちゃん、おばあちゃんが孫と一緒に平穏な日々を過ごす天理教の教会は、そのライフスタイルだけをとっても、社会的に希少価値が高まっていることが分かります。 フランスにあるヨーロッパ出張所も大所帯で生活しています。現在、同じ敷地内で寝食を共にしているスタッフは、上は50代後半から下は1歳まで、一家族、一夫婦、6人の独身者の計13人が暮らしています。ここに日中は外から通う70代後半のひのきしん者が一人、30代の勤務者が一人加わって、毎日神様の御用を賑やかにつとめています。 正直に言って、このような共同生活ではストレスも溜まりやすいもの。まして日本人が外国に住んでいるのですからなおさらです。それだけに、普段から生活の意識を自分中心に置くのではなく、親神様、教祖を中心にして、人様をしっかりと内側に引き寄せる努力が大切になってきます。 お互いに関心を持ち合い、ささいなことからでも、温かいコミュニケーションを通して信頼関係を保つことは欠かせません。私も所長の務めとして、お互いが自然に円滑に触れ合えるような雰囲気を作り上げることを、絶えず意識しています。 色々と苦労は絶えませんが、最近の社会学や心理学の研究でも、「共同生活は人々の幸福感に良い影響を与える」と分かってきたように、実際、私自身の経験からもこの説に間違いはないと思っています。 そんな、ストレスも溜まれば幸福感も高まる共同生活空間である出張所を会場に、昨年の夏、宿泊型の教理セミナーが開催されました。 一週間にわたる授業では、形式にとらわれることなく、生徒は疑問に思ったことはいつでも質問ができます。また、教え方も講師の自由裁量を認めていて、例えば教祖の道すがらについては、劇画『教祖物語』の場面描写を用いた授業もありました。 私が講師を担当した『みかぐらうた』では、お歌の意味の理解に加えて、受講生が一人で歌えるようになることを目標にした、日本人に対してはやらないであろう指導を行いました。 と言うのも、フランスでもみかぐらうたは日本語で歌われており、フランス人には簡単には覚えられません。参拝に来るほとんどの方は、翻訳冊子を見れば意味は理解出来ますが、日本人信者のように自信を持って歌うことは難しいのです。 もし一人ひとりが、鳴物に合わせてみかぐらうたを歌う事が出来るようになれば、彼らももっと、おつとめに心を込めることが出来るようになり、月に一度の月次祭も楽しく参拝出来るのではないかと思いついたのです。 そこで、日本語が出来ないのに、日本のアニメソングをカラオケで上手に歌う外国人にヒントを得て、独自にみかぐらうたのカラオケを作成しました。そして、授業では一人ずつ何度も何度も繰り返し歌いながら、言葉の意味は同時に理解出来なくても、教祖が教えられた言葉の響きや調べを身体で感じてもらうよう努めたのです。人生で一度もカラオケに行ったことがないという人もいましたが、勇気を出して一人で歌ってもらいました。 そのようなセミナーの初級クラス参加者5名の中に、子供のない高齢者夫婦がいました。この夫婦は古くから出張所にご縁があり、一度おぢばがえりしたこともあったのですが、旦那さんの気難しい性格と様々な状況が重なり、信仰に対して距離を取る時間が長く続いていたのです。 そんな夫婦でしたので、セミナーに参加されると聞いた時は、もしかしたら旦那さんによって、場が乱されるような展開があるかも知れないと、若干の不安が頭をよぎりました。 セミナーでは、朝、昼、夜の三食を講師やスタッフも受講生に混ざって一緒にとります。毎食20名以上が一緒に食べる賑やかな時間となっていました。普段は二人だけで過ごしているこの夫婦にしてみれば、最初は慣れない状況に戸惑ったと思います。このような団体生活を初めて経験し、精神的な疲労も溜まるでしょうし、加えて机に座って勉強することに対するストレスもあるだろうことは予見出来ていました。 そこで私がとった方策はただ一つ、講師はもちろんのこと、フランス語の出来ないスタッフに対しても、食事の時に日本人同士で固まるのではなく、意識してフランス人受講生の隣りに座ること。そして彼らと一言でも二言でも言葉を交わして、コミュニケーションを取ってもらうことです。 戸惑いの顔を見せる若いスタッフもいましたが、とにかくどんな手段でもいいので、自分から積極的に受講生にアプローチする努力を続けるようお願いしました。 そうしたところ、最初は緊張した雰囲気が漂っていた食事の場が、日が経つにつれて次第に和らいでいきました。実際、食堂に笑い声が絶えることはなく、食事にかける時間も徐々に長くなり、場合によっては一時間を超えることも珍しくなくなっていました。 おてふり、鳴物の指導は主に若いスタッフが担当していましたが、食事の時間を通して生まれた信頼関係が指導の未熟さをカバーしてくれ、参加者は親子ほど年齢の違う若い講師に対しても、リスペクトをもって積極的に学んでくれたのです。 こうして、一週間を通してスタッフ全員と受講生全員が家族のようにつながり合ったセミナーの最後の懇親会では、全員での大合唱も飛び出し、楽しい夜を過ごすことが出来ました。セミナーが始まる前に私が持っていた不安は、全くの杞憂に終わったのです。 その不安の要素となっていた旦那さんに、終了後感想を求めると、「出張所の若い人達の生き生きとした姿に感動した。彼らを見ているだけで元気になれる。このような天理教のコミュニティーのメンバーでいられて本当に幸せだ」と語ってくれました。 懇親会のカラオケ大会では、旦那さんは初めて人前でマイクを握って熱唱し、場の盛り上げに一役買ってくれました。そんな彼の姿に、スタッフ全員が、この夏のセミナーが大成功に終わった喜びを感じたのでした。 夫婦   このよのぢいとてんとをかたどりて   ふうふをこしらへきたるでな  これハこのよのはじめだし このお歌は、天理教の朝夕のおつとめで唱える「みかぐらうた」の一節です。 「自然のすべてが天地の間で生成発展するように、夫婦があって新しい命が宿り、家族ができ、社会が形成される。夫婦こそ人間世界のすべての始まりであり、元である」と、これ以上ないほど端的にお示し下されています。 夫婦や結婚の形も時代と共に様変わりしています。お見合い結婚はもう過去のもの、恋愛結婚が主流となり、今やSNS上での出会いから関係が発展して夫婦となるのも、当たり前の現象となってきました。しかし、どのような出会いにも、その蔭ではちゃんと神様が働いて下さっているというのが、次のお言葉です。 「縁談というは、そう難しいようなものやない。一人があれと言うた処が行くものやない。あれとこれと心寄り合うがいんねん。いんねんなら両方から寄り合うてこうと言う。いんねんがありゃこそ、これまで縁談一条治まって居る」(M27・9・21) 結婚とは自分だけで決められるものではない。双方が歩み寄って夫婦となるのはもちろんですが、そこには出会うべくして出会ったいんねんというものがある。そのいんねんという捉え方が、結婚生活を支える上で、特に夫婦の関係が危機を迎えた時にとても大切な土台となるのです。 そして何より、陽気ぐらしへ向けて、二人の心が寄り合い、心の成人に向けて励まし合うためにこそ夫婦というものがあることを忘れてはなりません。 「おつとめ」は、お互いが向き合うのではなく、横並びになって、それぞれが一対一で親神様に向き合い、親心を求めて真剣につとめます。それは、時に向かい合ってぶつかり合うこともある夫婦の日常の中で、一人ひとりが安らかに自らの心を顧みる貴重な時間です。 おつとめでそれぞれが自らの通り方を反省し、あらためて横に並んでいる相手と向き合った時、夫

  8. 2月6日

    地域に「誠」の心を

    地域に「誠」の心を 埼玉県在住  関根 健一 一昨年の春から、地域で「Clean up & Coffee Club」(クリーンアップ・アンド・コーヒークラブ)という新たな活動を始めました。頭文字をとってCCC(シーシーシー)と呼ばれる活動で、コロナ禍になり、人とのつながりが疎遠になってしまったことを憂いた青年が、東京で始めたものです。 活動はシンプルで、簡単に言えば地域のゴミ拾いなのですが、ただ街をきれいにすることだけではなく、地域で友達を作ること、そして地域において「ただ居るだけでいい場」を作ることを目的としています。運営本部は一般社団法人化もしており、やりたいと思った人が気軽に始められるようなサポート体制も出来ていて、今では全国50か所以上で開催されています。 私も東京都内で始まった活動の様子をSNSで知り、ちょうど公民館で行っていた地域交流のイベントがコロナ禍で出来なくなった時期でもあったので、いつか地元でも開催したいと思っていました。 そんな矢先に、知人を通して開催方法や本部担当者への連絡先などを知り、準備を進めることが出来ました。そして、手探りながら地元富士見市の名を冠した、第一回「CCC富士見」の開催に至り、現在、一年半以上続けることが出来ています。 このイベントは親子連れの参加者も多く、子供たちにはいつも助けられています。我れ先にゴミを見つけ、自分の背丈に近い長さのゴミばさみを使い、一生懸命にゴミを拾ってくれる姿は、微笑ましく映ると共に、我々大人たちを勇んだ気持ちにさせてくれます。 そして、ゴミ拾いをしていて気付くのが、タバコの吸い殻の多さです。携帯灰皿が普及して、紙タバコから電子タバコに変える人が増えてきたこともあって、昔ほど落ちてはいないものの、数でいうと他のゴミに比べて圧倒的に多いのが現状です。 CCCの参加者の中には、ほとんど喫煙者がいないこともあり、タバコの吸い殻が落ちていると、「どうしてこんなにタバコの吸い殻が多いんだろう。だからタバコ吸う人って嫌い」と、誰からともなく愚痴がこぼれ始めます。 確かに吸わない人から見れば、タバコは生活に全く必要がないどころか、目の前で吸われれば副流煙が発生し、悪影響さえあるものです。私も昔からタバコが嫌いなので、その気持ちはよく分かります。 そんな会話が耳に入ってきた時に、ふと昔聞いた上級教会の親奥様の言葉が頭の中を過りました。 「教会はね、心のゴミを捨てに来るところなんだよ。でもね、たまにゴミを拾って帰る人がいるの。せっかく教会に運んで来たのに、ゴミを拾って帰っちゃもったいないよね」。 教会でお茶を頂きながら談笑していた時の何気ない一言でしたが、なぜかその言葉が心に残って、今でも一緒に聞いていた妻と時折思い出して話題に上ります。 教会では、おつとめやひのきしんをつとめることで、心の埃を落として帰ります。ですが、たまにせっかく落とした埃を拾うかのように、他人の悪口や不満を垂れ流して帰る人がいるのが残念なんだ、という意味で仰ったのだと記憶しています。 ともすると、周りの人に同調して悪口を言ってしまいそうになる私に、親奥様の言葉がブレーキをかけてくれた気がしました。 私が地元で始めた「CCC」の表向きの目的は、地域に仲間を作ることですが、私自身は心の中で親神様、教祖への感謝を忘れずに「ひのきしん」の精神でゴミ拾いをしています。 自分たちが暮らす街を汚すのは、もちろん褒められた行為ではありませんが、ゴミを捨てた人を責める前に、こうしてゴミを拾えるのも親神様のご守護によって身体が動かせるからであることを実感します。参加者に天理教の教えを具体的に説くわけではありませんが、やがては皆さんに、私の行いを通して「成程」と思ってもらえるように心がけています。 神様のお言葉に、「成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という」とあります。  「誠」を辞書で調べると、「言葉や行いに作りごとがない。真実の心」と出てきます。一方、大正時代に宮森与三郎という先人の先生が、「誠」についてこう書き残しています。 「誠というのは、心と口と行いの三つがそろわねば誠やござりません。誠の話するくらいの人は、世界にはささらでかき集めるほどある。口でどれほど誠なことを言うても、誠なことをせなかったら、それは誠ではございません」。 CCCの活動で言えば、ゴミ拾いという行いに、感謝の心が伴っていること、そして言葉で参加者の方たちを勇ませること。そのように、心と口と行いが揃うように実行してこその「誠」である。この活動を通して、今の私に必要なことを教えて下さっていると感じました。 地域の活動の中で、参加者の皆さんに言葉でストレートに伝えることは難しくとも、常に誠の行いを心がけていれば、親神様のご守護の有り難さ、教祖のひながたの素晴らしさが伝わると信じて、この活動を続けていきたいと思います。 だけど有難い「たすかるキーワード」 よく、物事に「ひたむき」に取り組むという言い方をします。「ひたむき」という言葉は、一生懸命、健気に、一途に、真面目になど、そういう意味を含んでいると思います。このことが私は大事だと思います。 子供がひたむきに、一途に、一生懸命、健気に努力している姿は、親神様からご覧になれば、「いじらしい」とお感じになると思うのです。をやが「いじらしい」とお感じになったら、絶対に救いの手が伸びる。たすけてくださる。私は、たすかる元は「いじらしい」と感じていただけるかどうかだと言ってもいいような気がするのです。 私の育ての母・富子は水泳選手でした。母は信仰のうえでは全くの一信者、一ようぼくでしたから、河原町大教会長であった父のところへ嫁ぐときは、ずいぶん不安だったようです。 その母に、長老の役員先生が、こう言ったそうです。 「奥さん、心配せんでよろしい。奥さんが一生懸命つとめているその姿を、神様が『いじらしいな』とお思いになったら、絶対、身は立っていく。一生懸命、健気につとめている姿さえ受け取っていただいたら間違いない」 母は「『なるほど』と思って努力した」という話を聞いたことがあります。私もそれを聞いて、なるほどと思いました。「布教の家」の若者が、人生経験も少なく、おたすけの体験も無いなかで、大きな成果を上げるのも、このいじらしい姿があるからだと思います。 結婚したカップルにも、私はよくこの話をします。いじらしい夫婦になろう。いきなり立派な夫婦になれるわけがない。しかし、教祖から「いじらしい」と思ってもらえるような夫婦にはなれる。「いじらしい」という言葉は、たすかるキーワードだと思います。 (終)

評価とレビュー

4.7
5段階評価中
62件の評価

番組について

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。

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