考える塾 in TAIPEI

Takashi Jome

哲学や思想や歴史や心理や脳や倫理などについてのエッセーです。

  1. 2d ago

    物語を読む➈中3国語教科書「故郷」

    「ふとんがふっとんだ」というダジャレを外国語に翻訳することは可能でしょうか。単語に分割して逐語訳すると、「ふとん」と「ふっとん」の発音の類似性は消えてしまいます。こうした言葉遊びや、短歌・俳句などの定型詩のリズムを厳密に翻訳することは難しそうです。となると、翻訳者が原文の伝えようとすることを完全に伝えることは不可能だと言えそうです。  中3国語教科書に掲載されている「故郷」は、中国の文豪である魯迅の代表作で、自身の体験を基にしたとされる作品です。地主だった主人公の実家は没落し、一家で故郷の家を引き払わなければならなくなります。転居の準備のため、主人公は20年ぶりに故郷へ帰り、そこで少年時代の友人で憧れの存在だったルントウに出会いますが、彼は主人公を「旦那様」と呼び、二人の間に悲しい身分の差があることを主人公は突き付けられるのです。しかし、彼の甥がルントウの息子と親しくなり、再会を約束していたことを聞いた主人公は、若い世代の希望ある未来を願うのでした。  教科書に掲載されている「故郷」の翻訳は中国文学者の竹内好が行っています。しかし、他にも十人以上が翻訳し、その内容は要所要所でかなり印象の異なる日本語になっています。翻訳者の数だけ解釈の異なる「故郷」が生まれているわけです。  故郷を離れる船上で甥のホンルが「僕たち、いつ帰ってくるの」と主人公に聞くシーンがあります。彼はルントウの子シュイションと遊ぶ約束をしていたのです。それを聞き主人公とその母は、「はっと胸をつかれた」と竹内は訳しています。しかし同じ個所を佐藤春夫は「母と私はそれに気を取られて」と訳し、井上紅梅は「わたくしどもは薄ら睡くなってきた」、増田渉は「なんとなくうら悲しい気持ちであった」と訳しています。一方、魯迅の原文は「我和母親也都有些惘然」となっています。「惘然」とは「何かを失って、がっかりし、満足しない様子」を表す言葉で、子供たちが交わした果たされがたい約束を聞き、切ない気持ちになってしまった主人公たちの複雑な様子を表現しているのです。  翻訳とは、単語レベルで原文を分析し、それを目標言語で最構造化する作業ですが、それは原文の再生を目指して行われる2次創作です。物語の大筋は変わらなくても、細部の表現は翻訳者の創造力に委ねられているのです。

    物語を読む➈中3国語教科書「故郷」
  2. 01/01/2025

    倫理記号の恣意性⑥「自由って何?」-1

    倫理記号の恣意性 第6回 「自由って何?」 現代の国際社会は、人権を守ることが最大の正義とされています。そして、人権の中でも第一に尊重されるのは自由権ですが、そもそも自由とは何なのでしょう。 一般的には、誰かに強制されることなく自分の思うように行動することが自由だと考えられています。あらゆる価値よりも自由を貴ぶことを正義と考えるリバタリアン≪自由至上主義者≫は、自由についてのこうした考え方を徹底し、特に経済活動の自由を掲げて、ビジネスに制限を加える権力を批判し、市民の財に税を課す政府を泥棒と呼びます。また、ロックやパンクなどの音楽に代表されるカウンターカルチャーは、社会の中にある様々な支配構造を破壊して、全ての人々が自分の望む生き方の出来る世界を理想とします。 しかし、現代の自由主義思想の源流となったヨーロッパの近代哲学には、現代人の考える自由とは対照的な自由の概念がありました。十八世紀のドイツの哲学者イマヌエル・カントの考えた自由とは、自然法則に支配された生理的な欲求に対する自由、欲望の意のままにならず道徳的に行動する自由でした。人間以外の動物が自然法則である本能に支配されて行動しているのに対し、理性を持つ人間だけが自らの生理的な決定から自由になれる存在なのだと、カントは言ったのです。 彼は、理性に沿った自由意志による行動にも二種類あると説明します。一つは仮言命法と言い、何らかの欲求を果たすために必要なことを理性で判断し実行することです。もう一つは定言命法と言い、理性の定める道徳律に従って行動することを指します。仮言命法は「欲求を果たすため」という条件を常に伴い自然法則の支配下にあるため、真の自由な行動とは言えませんが、定言命法は無条件に倫理的理性に沿った行動になるため、自己の内なる自然法則から完全に自由な状態となります。 重力の下で今あなたが手にしているものを手離せば、その物体は床に落ちるでしょう。人間ならだれでも共通した理性的認識に沿ってそう判断します。理性とはそのように、あらゆる人間に共通した認識をもたらします。道徳についても、同じ条件の下では人間には共通した実践理性が働くため、道徳律は人類普遍なものであるとカントは考えました。そして、「汝の意志の格率が、常に同時に普遍的法則となるように行為せよ」と言います。「格率」とは人間がそれぞれに持つ自己の判断基準であり、それが万人の共有する倫理基準と矛盾しない定言命法に適ったものとなるように行動せよというわけです。 現代の自由主義者が、自由を守ることこそ正義だと考えているのに対し、カントは、正義を守ることこそが自由だと考えていたのです。

    倫理記号の恣意性⑥「自由って何?」-1
  3. 08/14/2023

    倫理記号の恣意性⑤効率・自由 vs 道徳・公平、『歴史の終わり』と民主主義vsAI独裁主義、ヴィットゲンシュタインの『論理哲学論考』、ゲーデルの不完全性定理、ジョン・スチュアート

    ポンペオ米国務長官が七月二十三日に、中国の人権抑圧・領土拡張・経済的不公正と、その理念的基盤であるマルクス・レーニン主義に対し、宣戦布告とも解釈できる演説を行ったことで、新型コロナウィルスで混乱の中にある世界は新冷戦時代へ突入することになりました。現代の世界には、エリート階級が政策決定の権限を独占する体制と、自由と民主主義を標榜する体制の二種類の国家に分類することができますが、中国は前者、アメリカは後者の正義を代表する国家だと言えるでしょう。  しかし、中国の不正義を糾弾したポンペオ氏のアメリカの中にも相矛盾する複数の正義があり、必ずしも一枚岩とは言えません。自由と民主主義を標榜する社会の正義の一つには、最大多数の最大幸福を目指して経済的効率性を高めようとする功利主義や、他者の権利を侵害しない限りあらゆる個人の自由を認めるべきだと考えるリバタリアニズム≪自由至上主義≫があります。  例えば、アメリカの軍隊ではベトナム戦争まで徴兵制が実施されていましたが、全国民が兵役の義務を持ち国家の防衛に責任を負うべきだという考え方に対して、功利主義やリバタリアニズムはそれぞれの立場で異議を唱え、金銭を支払って兵役の義務を他者に代行させるという南北戦争時代の制度の正当性を主張します。   まず功利主義は、金銭を支払う者はそれによって兵役を回避するという利益を得るし、兵役を代行する者はそれによって金銭という利益が得られるため、双方の幸福が最大化されていると言います。またリバタリアニズムは、双方が自分の意思で多額の金銭を支払ったり、兵役を代行したりしている以上、この制度は自由の原理に適合していると言います。  その一方で、アメリカには両者の主張に対する反論もあります。その一つは、「兵役は国民が平等に負うべき義務であり、民主主義国家においては、あらゆる階層の人々とその愛する伴侶や子供や孫の全てが戦場に行かなければならない可能性があればこそ、政策決定者も簡単には戦争を起こせないのだ」というものです。平等な兵役こそ戦争を防ぎ平和を守るという論理です。イラク戦争では、戦場に赴いた志願兵の多くが低所得者層で、戦争を主導した政治家など富裕層の割合は低かったという事実があります。兵役の平等が崩れた社会は戦争を起こしやすい一面があるのです。また、兵役代行を引き受ける者の多くが金銭的に貧しい階層出身だという事実は、徴兵回避が貧しい者を奴隷的拘束に置くのと同じ状態になることを示しており、自由の原理にも矛盾しています。  経済効率や自由という正義と、道徳や公平という正義が、ここに対立しているのです。

    倫理記号の恣意性⑤効率・自由 vs 道徳・公平、『歴史の終わり』と民主主義vsAI独裁主義、ヴィットゲンシュタインの『論理哲学論考』、ゲーデルの不完全性定理、ジョン・スチュアート

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